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2025年11月28日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「カクテル・パーティ」の翻訳を先ずは終えることが出来て、ほっとしているのですが、非常に

興味深く原作を味読出来て満足です。次は「太平記」に挑戦する予定ですが、その前に、いつもの

如くに特に若い世代の読者に老婆心ながらの「助言」と言えば体裁がいいのですが、繰り言めいた

独り言を申し述べたいと思います。

 貴方は、或いは、貴女は現状に満足できているでしょうか? 多分、殆どの方が幾分なりとも不

満足感をお持ちなのではないでしょうか。

 T S エリオットの「カクテル・パーティ」は以前に読んだ時よりも遥かに興味深く、オーバ

ーに表現するならば、スリリングに読み進みました。女性を愛せない男と、男性から愛される事の

無い女性の悩み・孤独感・絶望などなど、現代のみならずに、何時の世でも意識的に、自覚的に生



切りな存在なのだ。

 私の事を申せば。両親の深い、無償の愛情に恵まれ、優しく美しいパートナーに神の計らいで出

遭い結ばれ、仕事を遊びに代えて熱中出来た最良の相棒と固く結ばれ、良書とも邂逅出来、などな

ど良いことずくめの人生を送ることが許されて、自分自身を 幸福長者 と称して自画自賛してい

るのですが、神無き現代、或いは無限の愛情の塊である絶対者から見放された現代人らしからぬ野

蛮人でありまた原始人たる私、草加の爺は、生まれながらにして幸福感や生の充実感を感じ取れ

ていたわけではなかった。十代の後半では、その理由は定かではないのですが、何時も自殺を考え

る暗く、暗澹たる心情を抱えてもいた。自死する勇気が持てなかったからそうしなかったに過ぎな

い。少なくとも親兄弟や他人の目からはそんな風には全く見えなかったはずなんですが。

 それはともかくも、私達は何かある目的が、何か成し遂げなければならない使命を帯びてこの世

に生み出されわけではない。この世に産まれ出たのは少なくとも、意識的には主体的にそうしたわ



けです。そして、物心がつくとは自我に目覚める事を意味します。良くも悪くも自分は自分なので

す。人とは違うが自分とは一体何者なのか…、言葉にすればそんな風な感慨をおのずと覚える。腹

が減る、暑い、寒いの感覚に襲われる。全部が受け身である。

 所で、自覚的に生きるとは常に現在進行形である。永遠の 今 がいつの間にか始まつている。

永遠なそと言う時間の感覚は、人には与えられていない。常に今しかないのだ。死とは今が消滅す



今は様々な過去に支えれれて存在する。歴史とは集団の過去の記憶だ。過去は物語りの形でしか現

存し得ない。過去を持たない人間はないが、今に過去が蘇るとはまざまざと過去が見える、或いは

実感できると言う事だ。

 古事記と言う古典が我々と無縁でないのは、それは記憶にない我々の体験であり、喜怒哀楽の記

憶なのである。源氏物語は紫式部が創作した架空の世界ではない。我々がその気になれば参画でき

る夢なのだ。夢とは現実から生み出される理想的な人間世界でもあり得る。そして夢は、未来に向

けて希求することも出来るが、その本元は過去に見た別世界だ。望ましい物も望ましくないそれも

含めて。

 過去は確かに実在したのだが、未来は存在しない。在るのは常に今だけなのだ。望ましい未来、

おぞましい未来などと言うが、単なる言葉だけにしか過ぎない。

 従って、失われた未来などと言ったところで、言葉の遊びでしかない。存在してないものが失わ

れる筈もない。本当の未来とは、今・現在が紡ぎ出している透明無色な人間の夢であろう。

 さて、若い皆さん、老人を見てどう感じていますか。素敵な人もいれば、そうでない人もいる。

周囲にいる同世代の人々と同様ですね。

 私は子供の頃、年長者に常に憧れを抱いていました。特に、年上の女性に。それは母親から受け

ていたマザコン的な感情だった。

 今の私は81歳になって、容貌が醜く、体力も衰え、自他ともに好ましくはない在り方なのです

が、それでも自分では現状に満足できています。若者を羨ましく思うのはその外見が輝いているか

らで、私も若い頃にはそうでありました。

 考えるまでもなく、この世での生命現象は不可思議の連続です。しかし、我々はその不思議の真

っただ中に生かされてあるので、不思議だと実感するのは稀であります。不可思議だらけなので、

それは見馴れた普通の事柄で、特別な感動や感銘は受けないのですが、それでも、不思議は不思議

なのです。

 何故、私なる存在が今此処に現存し得るのか…。余ほどのもの好きでもない限りは、そんなこと

にかかずり合う気にもなれないでしょう。

 人間の幸福とか、不幸とか、運が良いとか、悪いとか、実はどうでも良い事なのでした。私が啓

示を受けた厳粛なる偉大な絶対者は萬物に無限の愛情・慈悲を与え続けておられる。これは、紛れ

もない事実で、見るもの、聞くものの全てがそれを證して止まない。

 眞の意味の教育とは、宗教(宗とする教育のことです)とは、その広大無辺の無償の働きに着目さ

せ、目覚めさせる行為なんです。それに比べれば、世に行われている教育など、どうでも良い事に

なってしまうでしょう。

 男が見目麗しい女性に魅かれる、女が容姿端麗な男性に魅惑される。これ皆、絶対者の計らいだ

と断言しても間違いではない。本質的に不可思議な現象ではあっても、極当たり前なことでありま

すからね。生物界に雄と雌がいて、世代交代がなされ、永続的な今が持続され続ける。

 生命現象は何度繰り返されても有難い物、祝福されるべきもの。信に目出度い好ましい事柄なの

ですね。

 私は個人は孤独で寂しい存在だと申しましたが、同時に、と言いますか、全体の一部であり、全

体に内包された有機体の部分でありますから、俯瞰すれば孤独どころか、寂しいどころか、福々

しいにぎにぎしい存在であるのです。祝福されてあるのです。皆が幸福長者たるべき存在なのです

よ。私は、事実を述べているにすぎず、説得しようなどとは毛頭考えておりません。

 私は前にも繰り返し書いて来ているのですが、柴田悦子、私の愛妻ですが、最初に出会って結婚

を約束してからも、その本当の素晴らしさや愛情の深さを実感できずにいた。つまり、結婚して生

活を共にしてから徐々に、彼女の真実の姿に触れるようになっていった。自分のような者には勿体

無い女性だ、これは神の御引き合わせに違いないと自然に、少しずつ分からせられた。

 悦子の方はどういう訳か直観力に優れていたのか、後で聞いてみると一目惚れしたとか。その後

私に愛想尽かしをするどころか、益々私への情愛が深くなるような夫婦としての絆を築くように

我々夫婦はお互いを高め合った。それも、神の計らいであっただろうと思っています。相思相愛者

となれたのも似たもの同士であったからで、人間と神の意思疎通が円滑に齟齬なく運んだのは予定

調和の如くで我々には望外の幸せでした。

 私は女性運が生まれつきに強い星の下に生まれついているのか、母親、姉、妹など少なくとも私

にはこれ以上はないと思われるほどに、彼女たちからも過分の愛情を忝くして今日に至っている。

 私は、人生に一時期を除いては孤独や孤立感、凍えるような寂しさなどは感じないで過ごすこと

が出来ている。

 Ⅾ ℍ ローレンスに「現代人には、他者を愛する事が非常に難しい」との思想がありますが、

それは神を見失ったからに相違ないのです。

 私も悦子も現代人ではありますが、神に愛され続け、無意識に神を信じている共通点がありまし

た。ここで、再び若い人々に申し上げましょう。

 神を信じようが、信じまいが、神は決してその被造物たる私達を見捨てる事はありません、断じ

て、金輪際です。ですから、安心して自由気ままに人生を謳歌なさるのが宜しいのです。

 私が、こんな能天気な駄法螺めいた事を野放図に放言すると、必ず次のような抗議の声が、不幸

な境遇に喘いでいる人の中から聞こえて来そうです。

 貴方は偶々、偶然に幸運に恵まれてほくほくできている様だが、私は、不運にもこれこれの理由

でとても人生を謳歌するどころではない。余りにも理不尽な運命がこんなにも私を今痛めつけてい

ると言うのに…。そうでしょう、そうでしょう、御尤もな言い分だと思います。私には、そしてあ

なたにもそのような羽目に追いやっている神の、運命の意図が理解できません。しかし、確信して

下さい、やがて深い暗鬱な霧は晴れるに相違ない。歴史が、物語がそれを證してあまりあるものが

あります。あなただけが特別に例外的に徹底して不運であり、全部が全部不幸である筈がないので

す。神の愛は広大無辺であり、必ずや普通の幸福が廻って来る。あなただけが最悪の貧乏籤を引い

ている理由は何処にもないのです。安心して下さい。

 私は以前に、四つの幸せ塾と言う物を提唱して主宰したことがあります。

 四つの幸せとは、天の配剤、地の恵み、自分が自分である事の幸せ、人の和・輪、であります。

これは例外なく誰にでも必ずついて回っている根本的な条件です。

 あなたが今、大きなたとえようもない不幸・災難と感じている事態を、そのままで見方を変えて

みるだけでも意外や、そうとも言えないと見えるかもしれないのです。

 私はブログに、「ブスはブスを磨け、馬鹿は馬鹿を磨け」と言う著作を発表したことが有りま

す。ブスとか、馬鹿などと言う概念は非常に相対的なものでして、ブスとは誰かと比較した場合に

悪態として他人から言われる言葉でしょうが、絶対的なブスなどと言うお方はこの世に存在しな

い。私は今でも自分を馬鹿だと思っていますが、その馬鹿さを自分なりに努力して磨き、人さまか

らはどう見えようとも、バカはバカ成りになんとかなるものだと、高をくくっているわけです。

 人にはそれぞれどうにもならない弱点や欠点があるものです。それを歎いているだけではかな

しいではありませんか。その弱点・欠点をそのままで長所に変える、美点にしてしまう。これは努

力次第では可能なことなのです。

 お人形のような美人は、老年を迎えればその魅力を大半は失ってしまう。イケメン男も老年を

迎えなくとも魅力を失うかもしれません。人間は外見だけではありません。内部から光輝くような

美男・美人が本当の立派な人物たり得る。

 人は一人では生きられません。貧乏でも健康であればなんとか幸せな人生は送れます。病身でも

人とのつながりを大切にしていれが、ベストではなくとも、次善の幸は得られるでしょう。

 どうか、あなた様が、恙無く、平穏無事な日々を送迎できますよう陰ながら、私も祈っておりま

す。無宗教でも、無信仰でも心の中で平穏無事を密かに祈るならば、そういう気持ちに自然にんれ

るならば、その願いは半ば以上叶えられているのです、間違いなく。





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最終更新日  2025年11月28日 20時40分02秒
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