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2011年05月16日
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或る生物学者の言によりますと、生物界では





ある特定の固体の死というものは生物界の全体を生かすために






重要な意味を有している、とのこと。生物界の連鎖、殊にその






食物連鎖は弱肉強食によって、より弱いものが上位者の餌食となり






その頂点に君臨する「王者」も死しては、最微小生物の働きによって






再び土に還元され、植物の栄養素としてその根から吸収されてゆく。







それでは、人間の死はどうでしょうか?個人の死は人類全体のために






利益を齎す「貴い行為」となっているでしょうか……。結論を急がず






先ず手始めに、細胞レベルの現象を考えてみる事にしましょう。受け売りですが













自死する。つまり全体の為に犠牲となり自ら進んで死を選択する、と言います。






そうでないと単純な二分割を繰り返す細胞分裂で、私たちの複雑極まりない






人体を完成させることは不可能。とても説得力の有る説明だと感心して






記憶に鮮明に残ったのです。人類全体に対する個人の関係がこの個々人の






細胞との関係にそのまま置き換えることが出来るのか。もし可能なら






個人の死は人類全体の為にとても重要な働きをする「利他的行為」なのだ






とする一つの命題が成り立ちますね。そして人間という種もまた






地球という惑星の中で誕生し、他の生物に支えられその生を享受出来ているからには






少なくとも他の動植物との調和・共存を深く、深く慮り、行動すべきもの






という事に、いわば論理の必然として、当然結論付けられる。いわば当たり前すぎる






ほどに当然の事柄。しかし、現実はどうでしょうか?「驕り昂ぶった













「悪逆非道の限り」をつくし、後戻りが殆ど不可能なほどに荒廃の極にまで






追い込んでしまいましたね。少なからず難しすぎる問題をテーマに取り上げましたが






私たちがいやおう無く現実に直面している難局とは、大雑把にいえば





以上のような有様なのでした。個人の努力や工夫だけでは到底解決できない。






そうした現実のありようを先ずシッカリと見つめなおすことが何よりも













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最終更新日  2011年05月16日 15時54分45秒
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