草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2011年11月14日
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私は草加市役所の近くに住み始めてから、早くも



八年半になります。以前住んでいた金町にも



近くに都立の水元公園があったりして木々や緑の環境に



比較的恵まれた暮らしが出来ていましたが、草加市役所周辺には



コンクリートで囲まれた小さな花壇が幾つも設置されて



それぞれに色とりどりの草花が植えられて、私たちの目を



楽しませてくれています。それはそれとして、とても結構な



事ですので別段文句をつけようなどという気持ちは、さらさら有りません。



しかし私はこの人工的に栽培された可憐な草花を眼にするたびに







居られないのですね。草加市も東京都から流入してくる住民の増加



と共に、農耕用の土地であった場所が激減して、自然状態の



野原と呼べるような広場は皆無と言っても過言では無いでしょう。



一口に「雑草」と言いますが、その種類は殆ど無数でありましょう。



現代人には一寸無理な注文かもしれませんが、一種の原生林というものを



想像し、イメージしてみて下さい。そして現代人には想像すら



出来ないかも知れませんが、その全体像は清潔で美しいと私は



思うのです、丁度太古の日本列島が限りなく美しい海と



山々の緑に包まれて光り輝いていた如くに。これは何も誇張ではないので



ある時仕事で訪れた長崎県の五島列島の、それこそ絵の様に



美しい海岸の景色を見て、深い感動に包まれながら思ったことでした。








憧れを持つ。その事自体はどうしようもない極めて自然な欲求でしょう。



しかし、人間は考える事のできる動物であり、反省の必要があり時には



きちんと反省も出来るように生まれ付いても居る。田舎は清潔・健康・ほど良い上品さを



持っていないだろうか?都会は野卑で、野蛮で、下品な一面を



隠し持ってはいないだろうかと。私が殊更に「雑草」の美しさを







であり、反動でありますが、それと同時に「全能の神の被造物」に対する



無条件の信頼がある。小賢しい人造・人工物より自然の方が遥かに



勝っているに違いないと思う揺るぎの無い確信なのですね。



つまり「無宗教者と評される日本人の典型」である私・草加の爺は



特定の所謂既成の宗教を信ずる者ではないが、正真正銘の



原始宗教を無条件に信ずる敬虔な隠れ信者である訳ですよ。



そして普段はそれを余り意識に上せたりする事がないだけの事



にすぎません。雑草とは無条件に美しい草花のことを意味します。



もしその雑草を見て醜い、価値がないと感じる人が居たら



それはそう感じているその人自身が、或いはその人の生き方が



醜かったり、無価値に等しかったりする証左ですね、実のところ。






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最終更新日  2011年11月14日 14時18分27秒
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