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4月のこと1日道端にツクシが生えていました。 今更ながら・・ツクシって漢字で書くと「土筆」って書くんですよね。本当にニョキニョキって、土から小さな筆が生えているようです。 毎日いろんな事があって、時が経つのを忘れてしまいがちですが、春は着実に近づいているのですね。2日今日父を病院に連れて行った。BNPの数値が125以下→3300になっていた。要注意10日いよいよお花の季節になりました。モノトーンだった景色が、一気にカラーになったようです。 心がちょっとウキウキしちゃいますよね。今日は父に面会するために施設に行った。面会室で20分間だけの面会。父が笑顔になれるように、できるだけ明るくふるまう。面会の後にケアハウスの退所手続きを済ませる。これで父は正式にケアから特養へ移ることになる。いろいろ大変だったから、ケアハウスの職員さんはホッとされただろう・・・と思う。16日今日は朝8時30分に介護タクシーに迎えに来てもらい、父を病院に連れて行った。血液検査の結果、肝臓の数値が急に下がっているので 次回 5月7日に再検査することになった。19日橋の上から川を覗いたら、沢山のカメが甲羅干しをしていました。長い冬を乗り越えて春のおとづれを楽しんでいるのは、人間だけではないですね。24日父の介護保険の認定書が届いた。要介護度が2から4になっていた。早速施設に持って行った。29日今日は母の月命日のお参りに、納骨堂へ行きました。今月のお供えはこちら・・・可愛いでしょ? 母は喜んでくれるかな?
2024年07月30日
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3月のこと1日父の部屋の片付けに行く。2日父の部屋の片付けに行く。一人だとなかなか進まない。感染防止のために施設の中にはできるだけ外部の人間は入らないほうが良いので、私一人だけで毎日コツコツ作業している。私は車の運転ができないので、毎日両手いっぱいの荷物を袋などに入れて少しずつ我が家に徒歩で運んでいる。重いので途中で何度も荷物を持ち替えながら歩いているが、それでもあまりに大きな荷物や重たいものはさすがに無理だ。今日は主人が仕事休みなので車で施設の玄関まで来てもらい、父の布団などを運んだ。押入れの中に母が使っていた布団もあったので、私一人では大量過ぎて台車に乗せるのが大変だった。エレベーターの入り口に布団が引っ掛かり、一人では乗せることができなかったので、ケアの職員さんに手伝ってもらった。ケアマネからTELあり。明後日面会の約束する。4日ケーキ屋に主人の誕生日ケーキの予約注文に行く。父の部屋の片付けに行く。14時~施設の職員と面談。5日検査のために父を病院に連れていく。 体重が2.1kg増えていた。数値が良くなっていたので、血液内科の薬の量が減った。6日父の部屋の片付けに行く。今日は押し入れの中などにあった衣装ケースの整理をした。母の服が沢山残ったままだった。母が亡くなって10年経ったけれど、父には処分できなかったのだろう・・・と思った。施設の近くの調剤薬局に行って、難病保険証に記入してもらう。(病院で薬が処方されたら、処方箋をこの調剤薬局にファックスで送り、薬を直接施設に持っていってもらうようにしている。通常はそれだけでいいのだが、難病治療の薬が処方されているときには、その治療薬剤費を保険証に記入してもらわなければならない。)7日父の部屋の片付けに行く。今日は机の上を整理した。本棚には書物や辞書などがずら~と並んでいる。父はとても社交的な人で、施設の外にも沢山の友人・知人が居る。その人たちからの手紙や写真がたくさんあった。一緒にいろんな所に行って楽しんでいたようだ。コロナ感染防止のために、施設が外出禁止になっても、タブレットを使ってリモートでその人達と交流していたようだ。機械音痴の私より、よっぽど父の方が進んでいるんだな・・・と思った。8日父と面会する。面会する時には父を車椅子に乗せて、職員さんが応接室まで連れてきてくださる。時間も決められていて、時計を見ながら会話をする。体は浮腫んでいるが認知症はなく会話はできるので、父の部屋のかたずけの進み具合や必要な物、処分してもかまわない物、これから手続きなどに必要な物などの確認をした。9日父の部屋の片付けをする。今日は主人に車で施設玄関まで来てもらい、大量の衣類を運んでもらった。11日今日は主人の誕生日でした。還暦でございます~。今年のケーキは、大黒様にしました。写真は職場の人たちが費用を出し合って作ってくださった大漁旗風のタオルです。(名前の部分は消してます)こんなのがあるんですねぇ・・・びっくりしました。主人はとっても嬉しそうでした。さっそく額縁を購入して、客間に飾りました。ありがとうございます。12日 父の部屋の片付けに行く。サイドボードの中から大量のウイスキーなどの酒類が出てきた。全部未開封のままだ。施設に入所する時に、山口から運んできたのだろうが、施設では飲酒は禁止されているので、真面目な父は飲まずにそのまま仕舞っていたのだろう・・・と思った。主人も下戸だし・・・・どうしよう。高級そうなお酒だから、捨てるのも勿体ないような気がする。主人に相談したら、「職場にはのん兵衛が沢山いるから、あげたら喜ぶだろう。持っていくよ」と言ってくれた。良かった。13日父の部屋の片付けに行く。今日は台所の棚の上や食器棚の上にあった荷物の整理をした。部屋のいろんなところから、私がプレゼントした未使用の衣類やサンダル・小物などが出てくる。ケアハウスの職員さんに、施設のバザーの時に利用してもらうようにお願いした。14日昨年8月に義父が亡くなって家の登記をどうするか、家族でずっと考えてきた。自宅はいわゆる旗竿地と呼ばれる土地に建っていて、消防法により建て替え不可の家だ。建物を解体して更地にしても、土地の形状上買い手が現れる可能性は低い。築50年以上経っているので、老朽化が目立ち、住み続けるのであれば、リフォームするしかない。リフォームして売りに出したとしても、家に出入りするための土地の竿の部分は普通車がやっと通れるぐらいの道幅しかなく、片側は崖になっていて、運転に慣れてない人は脱輪して上げるのに苦労するようなところだ。それでもここが交通の便がある都会なら良いが、車でしか移動手段のない過疎化が進んでいるようなところだから、売れたとしても二束三文にしかならないだろう。私が「義母さんももう高齢だし、安心してここに住み続けるためには、配偶者居住権をつけて同居している主人が所有権を持ったほうが良いと思いますよ」と言って主人と3人で話して決まりかけたのだが、義兄が反対して「待った」がかかって保留したままだった。弁護士と相談するらしい。義兄からなかなか返事が来なくて申請期限が迫る中、やっと連絡があり結論が出て、その結果自宅は義母の名義で登記することになったので、主人が登記書の書類を作り、今日3人で法務局に行った。義母が所有者になり、もし義母が亡くなったら主人が所有者。主人が亡くなったら義兄が所有者になるそうだ。(先々困ることにならなければ良いけれど・・・)と心配だったが、「あんたは関係ない」とのことで私の意見は却下された。寿命は年齢順ではない。縁起でもないが、万一主人より義母が長生きしたら、どうするつもりなんだろうか・・・と思った。その時には私はここを出なくてはならなくなる。私たち夫婦には看てくれる人はいないので、もともと老後ここに住み続けることは難しいと思っていたから、老後独りになっても困ることなく暮らせるような、終の棲家になるところを今から探せば良い。でも、ここに残ることになる義母の世話や家の処分はすべて義兄家族がしてくれるのだろうか。東京に住んでいるのに、それができるのだろうか。それとも東京に義母を連れていくか、自宅を処分してこちらに帰ってくるつもりなのだろうか。・・・と思ったが「関係ない」と言われた私は何も言えなかった。後で義母が困ることにならないことを祈るしかない。主人からホワイトデーのクッキーとチョコを貰いました。 美味しかったです。 18日父の部屋の片付けに行く。 部屋に飾ってあった母の遺影写真を持ち帰る。ケアマネから「ショートステイから特養になる」と連絡があった。19日検査のため父を病院に連れて行く。数値が良くなっていたので、また血液内科の薬が減った。良かった。糖尿病内科は相変わらずの状態。腎臓内科は本日はお休みだった。21日今日は私たちの結婚記念日でした。主人がケーキを買ってきてくれました。34年。両親より長く一緒にいるんですね。家族って一緒にいる時間でできるんだな・・って思います。これからもどうぞ宜しくお願いします。22日今日やっと父の部屋の片付けが終わった。もう次にこの部屋に入るお年寄りが決まっているが、その人は経済的な事情があってベッドや家具などを揃えるのが難しい人なのだそうで、ベッドやタンス・机・カーテンなどを使わせてほしいと職員さんに言われた。処分するのも大変なので、必要な物は使ってもらうために置いたままにすることにした。食器棚はケアハウスで使ってくれるそうだ。無事に片付いたことを父に報告するために写真を撮った。父が入所して17年間暮らした部屋。母と一緒に過ごした家族の時間が思い出されて、なんか感無量です。今日は彼岸参りに納骨堂に行きました。お供えはオハギです。生ものは置いたままにはできないので、お参りの後は「いただきますね」と言って食べました。25日桜が咲いていました。 その近くにキジがいました。お花見をしているのかな ?22日に片付けが終わり、父の部屋の鍵を職員さんに返却し、23日にハウスクリーニングの業者さんが入ったので、ケアハウスの退室が終了した。手続きを済ませれば、すべてが終わり。今までショートの費用と一緒にケアの部屋の費用も支払っていたので、これで負担が軽くなると思った。今日はお世話になったケアハウスの職員さんのところへ菓子折りを持ってご挨拶に行った。お年寄りたちと一緒に、お茶菓子にでも食べてもらえたら幸いです。26日父と面会した。部屋の写真を見せながら、片付けが終わったことを報告する。父は「ありがとう。大変だったな・・」と言った。27日特養の入所手続きをした。 そのままケアマネに連れられて一緒に施設医の診療所に挨拶に行った。この施設医にはこの施設ができる前からお世話になっていて、母も何年も特養に入所していた。すごく長い付き合いなのだが、このケアマネは最近入ったからか、それを知らないらしい。いまさら・・・とも思ったが、「これから父が特養でお世話になります。」と挨拶をした。医師は「お母さんの時にはずいぶん頑張って世話をしていたけれど、あの頃よりも職員の数も増えているので、安心して任せれば良い」と言われた。29日今日は主人の検査のために病院に付き添って、その後この間提出した登記の手続きのために義母を連れて法務局に行った。登記手続きは複雑で、通常何度もやり直しになったりするらしいが、一発OKだった。書類を作成するために何日も主人が頑張っていたのを見ていたので、ホッとした。さすが旦那だ~ とちょっと尊敬した。法務局の後、母の納骨堂へお参りに行った。今日は母の月命日のお参りに納骨堂に行きました。今月のお供えはこちら・・・桜の花の造花とお菓子です。あ・・・このお菓子のお店の名前も「さくらや」なんだ~
2024年04月19日
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2月のこと2日父の入っている個人保険の会社に電話してみた。前に前立腺ガンで手術・入院した時には保険金が入金されたので助かったからだ。だけど契約していたのはガン保険で、ガン以外の入院は含まれていないようだ。たとえ難病でもダメ。父ぐらいの年齢になると、これからもしガンが見つかっても、病気の進行より手術を受けることのリスクのほうが高くなるので、手術適応外になってしまうし、ガンの治療ができないのなら入院もできない。じゃぁなんのための保険なんだろう。掛け金をかけ続けるだけ無駄なんじゃないか・・と思った。それでも父が長年ずっと入り続けてきた保険だから、私が勝手に解約することは、父が生きていることを否定するようで気が引ける。月の掛け金も少額だし、父が(保険に入っているから安心だ・・・娘の負担が軽くなる)と信じているから、たとえ掛け金が無駄になっても、このままにしておこうと思った。3日・4日3日に主人と高尾神社で行われている「節分厄落とし」のお参りに行きました。神社に作られている大きなお多福の口の中を通ってお参りをするのです。お参りを済ませて家に帰って義母に話をすると「私も行きたかった~」と駄々をこねるので、義母を連れて翌4日にもお参りに行きました。二日続けての厄落とし・・・・今年はスペシャルな年になるでしょう。5日今日父が病院を退院して施設へ戻った。でも施設へ帰っても自立生活ができない状態なので、ケアハウスの自室には戻ることはできない。ショートステイでお世話になることになる。6日施設に行ってショートステイの契約書を書く。施設は感染症の予防のために面会制限が取られているが、今日は父と面会できた。7日職員さんから父の今の体調だと、今後ショートステイからケアハウスに戻ることは無理だろうと言われる。特養の空きができしだい、特養に移ることになるようだ。今はケアハウスの自室費用も払っている状態なので、「ダブルの支払いになるので高額になります。」と言われる。17年間住み続けたケアハウスの父の部屋には、山口の実家から運んできた家具が置いてある。母のこだわりの食器や小物なども飾っていて、生前の母を車いすで連れて行って、親子三人で過ごした思い出が沢山詰まっている。できれば部屋をそのままにしてあげたかったが、ダブルの支払いになれば父の年金額では払いきれないし、ケアハウスの部屋が空くのを順番待ちしているお年寄りもいる。もうあきらめるしかない。父に部屋を整理して明け渡すことを話す。父は「しかたないな・・・」と言った。施設に届いた共済保険の手続きの書類を受け取る。この保険は入院した日数で支払われる保険だが、父の年齢になると一日の支給額が1000円と少なく最長44日分が限度なので、この度の入院費用の支払いにはぜんぜん足りないが、それでも支給されれば助かる。保険の書類などは郵送で契約者本人の住民票の住所に届く。父の住所は施設になっているし、施設は我が家から近いので、私がすぐに郵便物を受け取ることができるけれど、遠方で一人暮らしをしているお年寄りの場合、家族が代理で手続きをしても、郵送で親の家に届く書類を取りに行かなければならないなんて大変だな・・・と思った。父のケアハウスの部屋の掃除・片付けを始める。思い出がありすぎて、なかなか進まない。申請していた難病保険証が届いた。8日昨日、難病の保険証が届いたので、病院の診療代の支払いに行った。この保険では指定病気の治療費は軽減されるが、それ以外の病気の治療費とベッド代や食事代と病衣・オムツ代などは普通通りの割合で支払はなくてはならない。結構な金額だったので驚いた。9日父と面会する。父の知り合いから送られてきた写真を届ける。それを見て懐かしそうに微笑む。父の部屋の片づけ。部屋にあった未使用の尿パットやオムツをショートステイで使ってもらうために持って行った。父の部屋を片付けていると、ケアハウスのお年寄りから声をかけられた。「お父さんの植木をどうしましょうか?」父が母を喜ばせるために育てていた植木。毎年花が咲くと母に見せていた。母が亡くなった後も大切にしていたようだ。そのことを知っていたお年寄りが、父が入院中に植木が枯れないように世話をしていてくださったらしい。ありがたかった。父が退院してももうケアハウスに戻れないと知って、(この植木をどうしたら良いだろう)と困ったらしい。職員さんに相談して、廊下から見下ろせる施設の庭に植え替えていただくことにした。ここならもし父が元気になれて植木のことを気にしても、「あそこにあるよ」と見せることができると思った。12日共済保険の手続き書類を郵送する。13日 父と面会する。足の浮腫みが気になる。入院前に父を病院に連れて行く時に、父が靴を履くのに苦戦していたのは、もしかしたらあの時から足が浮腫んでいたからかもしれない・・・と思った。履こうとしても靴に足が入らなかったんだ。体調が悪くて認知度が下がって履けなくなっているんだと思っていたけど、そうじゃなかったんだ。病院に行くためにタクシーを待たせていたので厳しい口調で「どうして履けないの!」と父に言ってしまったことを後悔した。父の部屋の掃除をする。今日は食器棚の整理をした。14日父の部屋の掃除をする。今日はサイドボードの整理をした。サイドボードの中には、母が大切にしていた小物があったので、自宅に持って帰って飾ることにした。16日父と面会する。顔がまん丸で体全体が浮腫んでいるように見える。父の部屋の片づけをする。レンジとトースターなどを処分する。使えるものはケアハウスで使ってもらう。介護保険証が届く。共済保険金の入金あり。19日足が浮腫んでいるので大きいサイズの介護用の靴を買って持っていく。でも一番大きなサイズの靴でも入らない。足がゴム手袋に空気を吹き込んで膨らませたようになっている。沢山の患者さんを見てきたが、こんなの初めて見た。治療薬の副作用かな?・・・と思う。職員さんから「あまりに浮腫んでいるので、履かせる靴下がない」と電話があった。明日は病院に連れていく日だ。介護タクシーに乗せて車いすで連れて行く予定だから最悪靴が履けなくても、せめて靴下は履かせなければ、足が冷えてしまう・・・と慌てて買いに行く。ルーズソックスのようなブカブカの靴下を見つけた。これなら履けるだろう・・と買って施設に届けた。父の部屋の掃除をする。20日今日は検診のために父を病院へ連れていく。採血・尿検査の後に、血液内科→糖尿病→腎臓内科とはしご。施設に戻ったのは17時過ぎになった。 21日施設職員から電話があり、父の足が浮腫んでズボンが合わなくなって困っているそうだ。裾から上まで開けられるファスナー付きのズボンを買いに行って届ける。サイズも大きめの物にした。父の部屋の掃除をする。22日父の部屋の掃除をする。一人で父の荷物を黙々と片付けながら、母が亡くなった時に、哀しみのあまりに、特養の母のベッド周りを片付けることができなかったことを思い出した。母の居た部屋どころか2階の特養フロアに近づくこともできなかった。全部父に片づけてもらった。(父はまだ生きてる。だから私は片づけることができてるんだ。父がこの部屋には戻れないのは残念だが、まだましなことかもしれない)・・と思った。23日父の部屋の掃除をする。東京から義兄が来る。墓じまいをして納骨堂に移したのを確認しに来たのだろう。24日義兄を連れて納骨堂の墓参りに行った。25日義兄が東京に帰るので新幹線駅まで送る。父の施設に飾られていた折り紙の雛飾りです。とても素敵でしょう?2 7日今日は私一人で労災病院に行って来た。3月1日は父の泌尿器科の診察予約があったが、今は別の病院で難病治療を受けていること、現在の父の状態ではこちらの定期検査の受診は難しいと話した。「元気になられたら、その時に予約して来られたら良いです。」と言ってくださった。ホッとした。受診をキャンセルしたことを施設に報告する。28日父の部屋の片づけをする。29日今日は母の月命日なので、納骨堂へお参りに行きました。今月のお供えはこちら。クッキーのお内裏様とお雛様がありました。可愛いでしょ?
2024年03月23日
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1月のこと1日初日の出を拝みました。良い年でありますように・・・3日父が転倒したと病院から電話があった。父は怪我などで出血したら止まらなくなってしまう病気だ。「もし脳内出血したら、もう手の施しようがない可能性があります。」と入院時に主治医から言われていたので驚いた。看護師さんは「大丈夫だと思いますが、すぐに検査をするようにしています。」と言われた。4日病院に行き父の容態を訊く。たんこぶはできたようだが、幸い脳内出血は無かったようだ。良かった。5日職員さんに施設へ呼ばれて行く。やはり父の状態では退院後にケアハウスに戻ることは無理だということだ。この施設には特養があるが今はいっぱいなので、退院になったらとりあえずショートステイで様子を見ながら、特養の空きができるのを待つようになるとのこと。7日今朝の朝食は七草がゆにしましたよ。10日難病保険申請の手続きに必要な、病院の医師に書いていただいた書類ができた。住民票や年収証明の書類・父と私のマイナンバーカードも揃えて保健所に行く。記入する書類が沢山あったが、対応してくれた職員さんが一つ一つ丁寧に教えてくださったので、無事に手続きを済ませることができた。これで難病保険証が届くのを待つことになる。職員さんに「大変ですね。頑張ってくださいね。」と励ましていただいて、ありがたかった。この保険証が届いてから、病院の治療費の支払い金額が決まるので、その間病院には支払いを待ってもらっている。11日父の病院の歯科治療費を支払う。これは難病治療とは関係ないので、普通の支払いになる。父の通帳などは施設が管理することになっているので、施設の部屋代などの費用は支払いができているのだが、病院の費用は私が立て替える形になる。万一のために介護費用を少しずつ貯金していて良かったと思った。12日父宛に喪中ハガキを送ってくださった方たちに、年賀仕舞いのご挨拶を兼ねた寒中見舞いのハガキを作って送った。16日 19日 病院に父の状態を訊きに行く。検査データーは少しずつ良くなっているようだ。治療薬であるステロイド剤の量を、徐々に減らしいてるそうだ。体調も安定しているらしい。良かった。23日診療所の支払いと病院の病衣・タオル代の支払いを済ませる。父の体調が落ち着いているので、近く退院の見込みらしい。24日退院に備えて、施設に父の着替えを取りに行く。 26日血液内科の医師の紹介で、腎臓内科の医師と面会する。父の腎臓の数値がかなり悪いらしい。医師の説明を聞いているときに「もしかして医療関係者ですか?」と訊かれた。「・・・いいえ」と否定した。「ずいぶんお詳しいので・・」と言われた。確か父の入院時に血液内科の医師にも同じことを訊かれたことを思い出した。そういえば昔、母の入院時にも聞かれたことがあったな・・・と思った。あまり意識はしていないが、私は過去に祖母・母・義父と3人の介護をしていて、少しずつ勉強するようになったので、検査データーや医師の説明を理解しやすくなっているのかもしれない。だから医療従事者と思われるのだろう・・・と思った。退院後は定期的に腎臓内科にも受診することになった。27日今日は主人と人間ドックを受けに行きました。人間ドックは年に一度の夫婦のイベントになっています。ここの検査は、豪華な昼食付なので、これを密かな楽しみにしています。今年もとっても美味しゅうございました。( ´艸`)29日今日は納骨堂へ母の月命日のお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・父の病気の鬼は、どこか遠くへ退散してくれ~・・・・母には父を守ってください・・・とお願いしました。30日父が近く退院してまた施設に戻る予定なので、施設医の診療所に挨拶に行く。
2024年02月01日
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12月のこと1日午後20時頃父より「歯からの出血が止まらないので、病院に連れて行ってほしい」と電話があった。数日前に職員さんに病院の歯科に連れて行ってもらって、処置が済んだと聞いて安心していたのに・・・とビックリして「なんでもっと早く言わないの~」と思った。すでに診療時間が過ぎている。今からでは面会時間も過ぎているので施設に会いに行くこともできない。それでも本当に緊急ならば救急で病院に連れて行かなければならないかもしれない・・・と不安になった。とりあえず施設に電話をして、夜勤の職員さんに父の様子を見に行ってもらうように頼んだ。「緊急性はなさそうです。「明日で良い」と本人が言っています。」とのことなので、翌日まで待つことにする。2日歯科クリニックに父と一緒に行く。応急処置をしてもらうが、依然出血は止まらないので、再び病院の歯科に受診予約を入れる。4日病院の歯科を受診5日 病院の歯科を受診。次回は12月18日に受診予約を入れた。6日 父の歯ぐきには血餅のようなぶにょぶにょしたものができ、それがとれるとまた出血するのが繰り返している。ずっと続く父の状態に疑問を持ち、歯ではなく他の病気の可能性を疑った。今日施設医師のクリニックに行き、今までの経緯を説明し病院の内科を紹介・予約をしていただいた。8日 病院の内科を受診。血液検査などを受けて結果を待合所で待っていると、診察室の中からにわかに慌ただしい声がしてきた。「すぐに〇〇さん(父の名)を呼んで・・・いやダメだ、僕が行く!」と医師が待合所に飛び出して来られた。車椅子に座っている父に「よく来た。よく来たね~。今なら間に合うよ。治療が可能だ!」と興奮気味に話される。できるだけ父を動かさない方が良いということで、私だけ診察室に行き医師と話をする。「自分は専門医ではないが、検査結果からある病気を強く疑っている。それは〇〇〇というとても珍しく、難病指定の病気だ。専門医に電話をして確認してみたが「たぶん間違いないだろう・・」とのことだった。このまま専門医が居る病院に紹介するので、すぐに行ってほしい・・・と言われた。父を紹介先の病院に連れて行き、採血などの検査をして、そのまま緊急入院となった。9日 入院のための荷物を渡すために、主人と病院に行く。この病棟は感染に弱い患者さんが多いので、面会謝絶になっていて父に会うことはできない。でも電話をかけることはできるようなので、荷物の中に父のスマホを入れておいた。11日 面会はできないと分かっていても、心配で病院に様子を聞きに行く。歯の治療途中だったことを伝え、この病院の歯科で治療を受けることになった。12日 18時頃父から電話あり。歯の治療のために何か口に入れてあるらしく、ちょっとしゃべり難そうだったが、元気そうで安心した。15日今日自販機の下にタンポポが咲いているのを見つけました。こんな時期に咲くなんて・・・ガンバレ!18日今日も病院に行った。やっぱり会うことはできないけれど、父の様子を聞きたいから・・・駅の自販機に珍しいスープがありました。美味しいのかなぁ・・? 買って飲んでみたい気もしますが・・・どうしようかなぁ・・19日 今日は施設の父の部屋の掃除に行った。退院した時に綺麗な部屋で迎えてあげたいから・・・と思った。父の部屋に入って、血だらけになった枕カバーやシーツを見て(こんなに出血していたんだ・・)と驚いた。ゴミ箱も血の付いたティッシュペーパーでいっぱいだった。(一人でさぞ不安で怖かっただろう)・・・と思ったら涙が出てきた。21日 今日も施設の父の部屋の掃除に行く。病院の看護師さんと退院後のことについて話をする。患者が退院後スムーズに戻る場所があるかの確認だ。父の場合は施設に戻る予定だ・・・と話す。22日冬至だから・・・今日はゆず風呂にしました。23日我が家のクリスマス飾りです。可愛いでしょう?イブイブで主人がケーキを買ってきてくれました。右の写真は主人からのプレゼントです。充電式の保温機みたいで、ポケットに入れて手を温めるんですって・・・・ふ~ん。25日病院からの帰りにちょっと寄り道して、以前ニュースで放送していたポストを観に行きました。呉市公式キャラクターの呉氏でできているポストです。可愛いでしょう。これ中学生のアイデアだったんです。最高ですよね。手紙を出したくなっちゃった。ケアハウスの職員さんから父の様子を尋ねる電話があった。父の状態から、ケアハウスに戻るのはもう難しいのかもしれない。介護申請手続きをするように言われる。病院医師から難病の保険手続きをするように電話があった。26日病院の受付に難病保険の手続きをしに行く。「医師が記入する書類ができるのに時間がかかるから、できあがってすぐに保健所に手続きに行けるように、住民票などその他の必要書類を揃えておくように・・」と言われた。27日施設に行き父の部屋の掃除。洗濯物をクリーニングに出す。難病の保険申請のために必要な父の住民票を貰いに支所に行く。でも・・・「マイナンバーカードをお持ちなら、住民票ならコンビニで受け取った方が良いですよ」と言われたので、コンビニに行くが機械が父のカードを受け付けない。どうやら父が5年の更新手続きをしていなかったらしく、暗証番号が消えた状態らしい。また支所に戻り、暗証番号の更新手続きをするのだが、本人ではなく代理人の場合は、代理人の申請手続きをして、その書類が郵送されてきて、届いた書類を持ってまた支所に行って更新手続きをして、それから住民票を受け取る手続きをしなければならないそうだ。たった住民票を受け取るだけのために、こんなに複雑で時間のかかる作業をしなければならないなんて、マイナンバーカードって本当に便利なものなの?と思った。「本人をここに連れてきてくれればすぐに手続きできますよ」と言われたので「病院に入院していて面会謝絶の人間をどうやって連れてくればいいんですか! 急いで難病保険の手続きをしなければならないのに、これでは何日かかるんですか!」と支所の窓口でブチ切れてしまった。驚いた支所の人はすぐに保健所に電話をして、できるだけ早く手続きができるように頼んでくれたらしいです。28日今日は病院のソーシャルワーカーさんと話をする。退院後施設に戻るにあたって、病院・施設と相談しているようだ。29日今日は母の納骨堂へお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・お正月バージョンです。「どうかお父さんをお守りください」とお祈りしました。30日毎年父の年賀状は私が作成していました。できあがった年賀状を施設の父のところに持って行き、父がハガキの空いたところに添え書きなどを書き込んで投函していました。父には沢山の友人・知人が居るので、その縁を大切にしてほしかったから、年賀状作りをずっと続けてきたのです。だけど今の父の状態では、添え書きを書くこともできません。たぶんこれからも無理でしょう。だからとても残念ですが、今年を最後に年賀状仕舞いにしようと思いました。父にはこれを見せて「年賀状は今年を最後にしますね」と言うと「良いよ」と言いました。 31日今日は義母と一緒に納骨堂に行って、義父とご先祖のお参りをしました。「ご先祖様がいつも見守ってくださっているから、家族揃って一年を無事に終えることができました。どうもありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします。」と手を合わせました。 今年も主人の会社の会長様から、お歳暮のお蕎麦セットが届きました。ずうずうしいかもしれませんが・・・毎年届くのを楽しみにしているんです。( ´∀` )おかげさまで、我が家の年越しそばはいつもすごいご馳走です。残念ながら私は蕎麦アレルギーがあるので、食べられないのですが、義母と主人は喜んで食べていましたよ。ちなみに私はラーメンで参加します。細く長く・・は同じですからね(笑)
2023年12月31日
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11月のこと3日義父が亡くなってからのいろいろな手続きが済んで、なんとか生活が落ち着いてきたので、主人と一緒に備北のイルミネーションを観に行きました。今日は早くに家を出発できたので、まだ明るいうちに到着できました。でも、主人は長距離を運転したのでくたびれてしまい、車内で仮眠をとることにしました。その間私は一人で、夜になると閉まってしまう里山屋敷などを観て歩きました。古民家の屋敷の中で、ぜんざいを食べました。美味しかったです。でも・・・畳の上に大きなカメムシがいっぱいいて・・・・ちょっと怖かったです。屋敷の中には灯篭が飾ってある部屋や懐かしいレコードがいっぱい展示されていました。暗くなってイルミネーションが点灯されたので、主人と一緒に観て回りました。キレイですよね~ 空気は冷たいですが、心が温かくなります。干支の龍のイルミネーションもありましたよ。いろいろな動物も・・・素敵ですね。5日今日は近くの公園で収穫祭がありました。農家さんが丹精込めて育てた野菜や畜産農家さんのお肉などが販売されています。沢山の家族連れで賑わっていました。義母はそこで職場で育てた花を売っています。主人と一緒に様子を見に行きましたが、私たちの存在に気付かないぐらい、忙しくしていました。義母はまだまだ元気です。沖縄の人たちが太鼓の演奏をしていました。すごい迫力でしたよ。7日今日手続きのために支所に行ったら、玄関先に綺麗な菊が沢山並んでいました。癒されますね~28日今日主人の従兄と従姉夫婦が墓じまいをするために、我が家にやってきました。従兄一家の墓は我が家の近くにあるので、いつも墓参りのたびに我が家に寄ってから帰っていました。二人は早くに父親を亡くし、母親である伯母と暮らしていましたが、二人とも成人して家を出てそれぞれ遠方に家庭を持ったので、自宅で伯母はずっと一人暮らしをしていました。従兄は一緒に暮らすために、自宅を建てる時に伯母のための部屋まで用意していましたが、伯父が建てた愛着のある家を離れて、友達も居ない遠地に行くことを伯母が拒んだのでそのままになっていました。従姉が時々伯母の家に通いながら、買い物などを手伝っていたようです。その従姉も今年70歳を超えて、このまま通いながらの世話も難しくなってきました。伯母は少し認知症の症状も見られるようなったので、さすがに一人暮らしは無理だと数か月前に従兄が居る横浜に連れて行きました。伯母が暮らしていた自宅は借地に建てられていたので、家を取り壊し土地を更地にして地主に返したそうです。だからこちらに残ったのは、伯父が眠る先祖代々のお墓だけになってしまいました。もう伯母が居ないのでこちらに来ることも無くなって、墓参りだけのために帰れないので、家族で話し合い墓じまいをしてお骨を横浜のお寺の納骨堂にお預けすることになったようです。従兄の家の近くのお寺なので、伯母もいつでもお参りに連れて行ってもらえるようになるでしょう。今日はお寺の副住職にお願いして、墓じまいのお経を唱えてもらい、先祖のお骨をお墓から全部取り出しました。先祖全部の骨壺は数個あり (こんな重たいものをどうやって運ぶのだろう・・?)と疑問に思っていたら、近くの郵便局から納骨するお寺に郵送すれば良いそうです。骨壺は普通の宅急便などでは取り扱ってくれませんが、郵便局に行くと骨壺の配送セットが購入できるので、それを使って郵便局から送ることができるそうです。そんなことができるなんて知らなかったので、従兄の段取りの良さに感心しました。これが郵便局で購入できる骨壺配送セットです。骨壺の大きさの箱の中に、送り状などが入っていました。説明書も入っていて、梱包の仕方など丁寧に記されています。皆でワイワイ話しながら、長年の汚れを落とした骨壺を一つ一つ丁寧に梱包していきました。私が「こんな作業一人でやっていたら気分が落ち込んでしまうよ。大勢でやるから良いんだよ。」と言うと、皆が笑っていました。梱包した骨壺を郵便局から無事に発送した後、近くのお店に行って慰労のための会食をしました。久しぶりに会った親戚が揃っての食事は、いろんな話も弾んでとっても楽しかったです。それにしても私は今年二度目の墓じまいです。「なんて年なんだ~」と叫びたくなりました。 今日父が歯からの大量出血したそうだ。父は介護認定を受けていない人が居るケアハウスなので、病院などには職員ではなく家族が付き添って自分達で行くことになっている。普通は具合が悪くなった時には、施設から家族に連絡があるのだが、緊急だったため職員さんが付き添って連れて行ってくださったらしい。父のかかり付けの歯科クリニックを受診したが、出血が多すぎてそこでは手に負えないということで、急遽病院の歯科に紹介され行くとになった。「歯の根元が腐っているのだろう」ということで、抜歯をして縫ってもらったようだ。処置の後「抜糸は紹介元のクリニックでしてもらうように・・・」と指示があったらしい。後で父に一連の経緯を訊かされて驚いた。職員さんには(大変迷惑をかけて申し訳なかったな)・・・と思った。29日今日は母の月命日なので、お参りに行きました。今月のお供えはこちら仏壇にクリスマスってちょっと可笑しいかも・・でも可愛いから良いでしょう?30日施設の父に会いに行った帰り道。私の好きな山と池の風景です。池のほとりにシラサギが1羽たたずんでいました。私と同じでこの景色と静けさを楽しんでいるのかなぁ・・・と思いました。
2023年12月30日
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10月のこと2日今日は施設の父を腎臓の定期検査を受けさせるのために病院に連れて行く日だった。9時30分には病院に到着していなければならない。私が車の運転ができないので、病院に行くときには、いつもタクシーで行く。数日前に予約をしておいて自宅へ迎えに来てもらい、それから施設へ寄って父を乗せて病院へ行く。タクシーに私が乗り込んだら、そのタイミングで施設の父に電話をして、1階まで下りてきてもらうようにしている。施設の玄関はガラス扉なので、外から中の様子を見ることができる。迎えに到着した時、父が玄関で靴に履き替えているところが見えたので、(すぐに出てくるだろう)・・・と思って待っていたが、今日はなかなか出てこなかった。(何をしているんだろう)タクシーを待たせているので、しびれをきらせて見に行くことにした。父は靴を履こうとしているのだが、なかなか履けないようで苦戦していた。「どうしちゃったのよ~?」 とブツブツ言いながらも靴を履くのを手伝った。「忘れ物はない? 保険証や診察券・お薬手帳は持った? 」と訊くと「あ・・・忘れとった」と言う父。父が取りに戻ると時間がかかるので、私が鍵を預かり父の部屋まで取りに行った。(私が玄関に戻った時には、もう父はタクシーに乗っているだろう)と思っていたが、まだそこにいた。まだ靴が履けないようなので、私が手伝って履かせたのだが、なんだか靴がきついように感じた。父は高齢だが認知症もなくしっかりしていて、何でも一人でできるはずだった。施設に居るといっても、父が居るのはケアハウスで、生活全般自立している老人が居るところだ。今までこんなことは一度もなかったので驚いた。何かが変だ・・・また嵐の前触れか・・?なんとか靴を履かせてタクシーに乗り込んだ。出発が少し遅くなったが、病院の診察予約時間には間に合ったので良かった。10時30分に診察。血液検査の結果は、腎臓だから良くはならないが現状維持の状態。次回の健診は12月25日の予定。12日秋ですね~ バス停の自販機に栗のジュースがありました。栗は大好きなので、さっそく買って飲んでみました。(あっ甘~い) でも・・美味し~い ほっぺが落ちるっていうか・・ぷよんぷよんになりました。脳が疲れた時に、最高に効果がありそうです。14日コロナに罹っていた主人。クリニックに処方された薬が効いたのか、徐々に熱が下がり、完全回復した。念のため検査キットで調べたら、マイナスだった。良かった。これで仕事に行けるでしょう。自分が感染しないように気をつけて、義母に感染させないようにしながら、旦那と義母の世話をするのは大変な日々だった。風呂場・トイレはもちろん、共用の場所で主人が触っただろうところはその都度除菌。かなりの汗をかくので、こまめに布団を干した。着替えやシーツの洗濯も大量で、一日中ずっと洗濯機を回していた気がする。食事は二人それぞれの部屋に運んで、洗濯物も別々にし、二人が接触しないようにした。施設でもコロナ患者が出たようで、施設に行って父と面会ができない状態だったが、症状は無くても万一私がウイルスに感染していたら大変なので、今は返ってそのほうが良かったと思った。23日今日は施設に居る父の誕生日だった。83歳になった。おめでとう。今は施設での面会ができないので、事務の職員さんにプレゼントだけ渡してもらうように頼んだ。24日揉めていた義父の納骨は、山にあったお墓を仕舞って、母と同じ納骨堂に移すことになった。先日義母と主人と私の3人で納骨堂に行って無事に契約を済ませ、仏壇内の飾りつけなどは後日私が行って済ませておいた。午前に住職にお経をいただいて墓じまいをしてお骨を取り出し、午後に納骨堂に場所を移して再びお経をいただいて、義父とともに先祖と祖父母のお骨を納める予定だ。お経を寺の住職にお願いしていたのだが、住職の体調が良くないので副住職の娘さんが来られた。葬儀の時などはいつも住職と一緒に来られていた。将来住職となってお寺を継ぐことになるらしい。これが初めての独りデビューらしくかなり緊張している様子だが、一生懸命務めてくださった。お経が済んで墓から先祖と祖母の骨壺を取り出した。数日前に墓所の方に予め調べてもらったのだが、幸いお骨は乾燥した状態だった。万一お骨が汚れていたら、石材業者にお骨の洗浄・乾燥をお願いしてから、次の納骨堂に入れなければならなかった。そうなると乾燥が済むまで数日かかるので、墓じまいと納骨を同日に行うことは普通はできないそうだ。お骨を取り出した後は、業者に墓石を処分してもらうのだが、墓の家紋が入った石だけは持ち帰ることにした。この墓を建てた時「この石はすごく良い石なんだぞ」と自慢していた義父。(結局、義父さんが入ることは叶わなかったな・・・家紋の石だけでも持ち帰ってあげなければ・・)と思った。予定通りに順調に進んでいる・・・と思ったら、ちょっとしたハプニングがあった。午後に納骨堂に着いたらエレベーターが点検中だったのだ。母の仏壇は3階にあるのだが、用意した我が家の仏壇は5階になる。納骨堂の係りの人には予め納骨式の時間を知らせていたのに・・・・ど~すんの。とりあえず義母と副住職には2階にある応接室で待っていて貰って、私たちは5階に行って納骨式の準備をすることにした。すべての骨壺と供物や花を抱えて、階段を駆け上がる私と主人。荷物はかなりの重量があり、二人とももう若くはないので、階段を上がるのは大変だった。なんとか準備が整い、二人に上がって来てもらってお経を頂き無事に納骨式を済ませることができた。ちょっとドタバタしてしまったが、これもまた良い思い出の笑い話になるだろう・・と思った。29日今日は母の月命日のお参りに納骨堂へ行きました。今月のお供えはこちら・・・可愛いでしょう?今月から先に5階の義父と祖父母のお参りをしてから、3階の母の所へ参るようにします。31日父の施設のコロナによる面会禁止が解けたので、今日は父の部屋の掃除に行きました。施設に行って掃除をするのは久しぶりなので、かなり汚れていて時間がかかりました。ケア職員さんにも挨拶に行ったら、食堂の掲示物にこんな素敵な絵が飾ってありました。これ色とりどりの紙を丸めて貼り付けて作ってあるんです。とっても綺麗で色鮮やかで、見ているとなんか元気になれそうです。「う~ 」って文字が書いてあるから、何かな・・・と思ったら・・・「う~ マンボウ!」ってことですね。笑っちゃいました。あ・・だからマラカスもあるのか~
2023年11月30日
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9月のこと15日今日は婦人科のガン健診のために労災病院に行った。今年もクリアできた。安心してまた一年頑張ることができる。22日明日の義父の法要のために義兄一家が来る。通常は四十九日にするのだが、そうすると義父の場合は3ヶ月をまたぐことになる。これは仏事では「三月越し」「三月またぎ」といわれ縁起が悪いとされている。なぜ「三月越し」の縁起が悪いのかというと、49日は「始終苦」3月は「見付き」という語呂合わせから、「始終苦(四十九)労が身(み=三)に付く」に繋がると考えられていたためだそうだ。そういうものなのか・・・と思った。23日朝9時30分からの三十五日法要を行う。法要の後で義母と義兄と主人とで「納骨はどうするか・・・」という話になったようだ。我が家の墓は裏山の高い山頂にあり、参りに行くには車で行かなければならない場所にある。墓を守るのは本来は長男の役目だ。跡取りも義兄家にしかいない。本来なら先祖供養は義兄一家が継いでいくものだが、遠方だから難しいし継ぐ気もないらしい。そのことで義兄と主人がちょっとした口論になったようだ。確かに遠方に住む義兄には管理は無理だろうが、主人も高齢になれば運転が難しくなり、参りに行きたくても行くことができなくなるだろう。「このままでは無縁仏になってしまう・・・そんな罰当たりなことはできない」とずっと私が心配していたことだった。 (やっぱり そういうことになったか)と思った。私は主人に以前から考えていたことを話した。「母が眠る納骨堂は一つの場所に16個遺骨を納めることができるから入る余裕はあります。そこは60年間供養・管理してもらえて、その後は合同墓に移して供養してくれます。バスやタクシーで行くことができるし、建物全部がバリアフリーだから車いすになってもお参りができます。でもお義父さんが私の親と一緒のところに入ることになるのは、お義母さんが納得されないでしょう。だから同じ納骨堂でも我が家とは別に用意して、山の墓の先祖の遺骨をそこに移すのはどうですか?この夏増築工事が終了して募集を始めたばかりだから、まだ空きがあると思いますよ。」と言った。すると主人の顔がちょっと明るくなった。「すぐに見学の予約を取ってくれ、とりあえず母さんや皆を連れて行ってみよう」と言った。14時に納骨堂の見学予約が取れたので、皆を連れて行った。工事が終わったばかりですべてが真新しく綺麗なので、不安そうにしていた義母の顔が少し明るくなった。義兄家族もあちこちを見て回っていた。(ここならたとえ後継者がいなくても心配しなくても良いだろう。上手くいけば良いが)・・・と思った。納骨堂見学の後、女性陣はお土産を買いに行き、男性陣はボーリングに行った。24日今日は義兄家族が東京に戻る日なのだが、甥っ子の一人が高熱を出してしまった。この子は昔から帰省するたびに具合いが悪くなってクリニックにかかっていたのだが、大人になっても変わらないのか・・・・と思った。でも今日は帰りの新幹線の時刻を考えると、クリニックに行く時間はない。急遽ドラッグストアに行って、解熱剤を買ってくる。薬を飲ませて寝かせてしばらく様子を診る。幸い熱が下がって落ち着いてきたので、義兄家族はそのまま帰って行った。25日朝主人の布団に水たまりができていて驚いた。(なに? オネショしたの??)と一瞬思ったが、寝汗だった。水たまりになるほどの尋常ではない汗。39度を超える高熱を出していた。(昨日も甥っ子が発熱したばかり・・・えっ! これってもしかして・・・)クリニックに行って検査した結果・・・・コロナでした。(とにかく私はもちろん、義母には絶対に感染させないようにしなければ・・・・)主人を隔離。我が家は厳戒態勢になった。28日 コスモスが綺麗でした。29日 母の月命日のお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・ウサギが可愛いでしょ?月が綺麗でした。 月見団子でお月見をしました。
2023年10月31日
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8月のこと21日 医師に死亡診断書を書いていただいて、各所に提出するために10枚ぐらいコピーする。 すぐに葬儀屋に連絡して葬儀の準備にかかる。 通夜と葬儀は自宅ではなく葬儀会場で行い、親族だけでゆっくり過ごせる家族葬にした。 「今夜は義父の傍に居たい」と義母が言うので、線香の番を任せて二人だけにしてあげた。22日 11時に東京の義兄一家が新幹線で到着。 義姉が最近足を骨折して車椅子使用なので、駅からそのまま葬儀会場に行ってもらった。 会場は家族が宿泊もできるので、義兄一家は今夜家に泊まるよりその方が良いと思った。 お昼に葬儀社が家に義父を迎えに来て会場に運んでもらった。 通夜は19時からだが、その前に「湯灌の儀式」をしていただいた。 葬儀職員さんと家族が一緒に、義父をお風呂に入れるのだ。 お風呂が大好きだった義父。でも亡くなる前の数日は入ることができなかった。 髭を剃ってもらい、洗髪もしてさっぱりとした義父。 ほんのり化粧もしてもらって血色が良く見える。 闘病期間が短かったからか、闘病やつれがほとんど見られない義父は、 「お~っ 気持ち良かった~ よく寝た。」と再びまた目を開けそうに見えた。 家族葬なのに義母がいろんな知人に知らせてしまい、通夜には沢山の弔問客が来られた。 家族葬用の狭い会場には入りきれないお客様が、廊下や外まであふれてしまった。 ほとんどが高齢者なので足の悪い人も多く、立っているのも大変そうで申し訳ない。 私は葬儀屋さんと別部屋から椅子を運んで会場や廊下におられる方たちのために並べた。 家族葬なので帳場も立てていないから大混乱。 とりあえず丁寧にお礼を言って、香典はお返しし名簿だけ記帳していただいた。 まったく・・・義母には困ったものだ。 23日 10時から葬儀 昨夜に続き今日も沢山の弔問客が来てくださった。 今日も私は接客のためにバタバタ動き、義父とのお別れがゆっくりできなかった。 でも、義母は多くの知人に久しぶりに会えて話ができたことを喜んでいた。 きっと義父も沢山の人に見送っていただいて、喜んでいるんだろうな・・・ もしかして、これはこれで良かったのかもしれない・・・と思った。24日 広島12時18分発の新幹線で義兄一家が帰って行った。 忌引きで7日間の休暇を取ったんだから、もう少し義母の傍にいてくれても良いのに・・・ 義兄だけでも残って、この後の事務手続きを手伝ってほしかったのに・・・ 親が手続きをどう進めるかを知るのは、子供達にも経験になるのになぁ・・と思った。 25日 主人の忌引き休み中に事務手続きをできるだけ終わらせなければならない。 私は介護と葬儀でここ数日はほとんど睡眠がとれていないので、頭がうまく回らない。 でも今日私は施設の父の定期健診のため、病院に連れて行かなければならなかった。 「私は行けないけど、午前中にお義母さんと一緒に支所に行っておいて」と主人に頼む施設から自宅に戻る帰り道の畑にヒマワリが沢山咲いていました。ちょっと癒されました。 病院の健診が済んで父を施設に送り届けてから自宅に戻ると、主人と義母が家に居た。 「支所の手続きは済んだの?」と訊くと「お前が帰ってくるのを待っていた」と言う。 「はぁ~? 私が居なくてもできるでしょう!」と怒り、急いで3人で支所に行った。 家族が亡くなった後の手続きは種類も多くて大変だが、支所の方が丁寧に教えてくれた。 マイナンバーカードがあると省ける手続きもあったので、作っておいて良かった。 遺族年金の手続きをするために、年金事務所に電話をかけて30日の予約が取れた。 義父が持っていた高齢者用バスカードの清算のために、バス会社に行った。 窓口閉店時間ギリギリ間に合って良かった。26日 午前 義母と一緒にお世話になった医師や知人に挨拶するための菓子折りを買いに行く。 業者が介護保険で借りていた電動ベットと喀痰吸引の機械を回収に来る。 午後 ケアマネージャーさんが挨拶に来られる。 28日 義母の誕生日 81歳になった。 いつもならプレートで飾ったケーキにするのだが、喪中なので今年は質素にした。 義兄家族から花が届いた。29日 義父が亡くなったことを知った親戚夫婦がお参りに来られた。 家族葬にしたので遠くの親戚には知らせていなかったのだが、 「私達もお別れがしたかった。知らせてほしかった。」と悲しそうに言われた。 家族葬にするときには、知らせるか知らせないか親戚の選別が難しい。申し訳なかった。 「お知らせできなくて、申し訳ありませんでした。 でも当日は予定外の弔問客で葬儀会場はごった返して、ゆっくりお別れもできなかった。 少し落ち着いた頃お参りいただいたので、義父の当時の様子を詳しくご報告できます。」 と言って義父の写真などを見せながら、長い時間お話をして納得されたように見えた。 業者が在宅酸素の機械を回収に来られた。 今日は母の月命日なので、夕方になってしまったけれど納骨堂にお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・ゼリーにしました。 30日 義母の遺族年金の手続きをするために、3人で年金事務所に行った。
2023年09月30日
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8月のこと4日 訪問入浴あり 褥瘡予防のため介護保険を使って、ベットの上に置く電動エアーマットを借りた。 自動でマットの空気圧が変わって、体位が変えられるもの。 母の時にも使って良かったのでお願いした。 5日 義父が見やすいようにテレビを設置した。 ちょっと大変だったけど、主人が頑張ってくれた。 義父母がすごく喜んでいたので良かった。7日 医師の往診あり 訪問入浴あり 入浴後に気分が良くなったのか世話をしている私に義父が「チューしようか」と冗談を言う。 「嫌いね~」と言い返すと、風呂の片づけをしながら二人の会話を耳にした訪問職員さんが 「聞こえましたよ~」と言い皆で大笑いする。ふざける元気があるので大丈夫だ。9日 訪問看護師 臀部が少し赤くなって皮膚が浮いているので、褥瘡処置をしてもらう。10日 義母が仕事休みなので義父のことをお願いして、施設の父に会いに行く。11日 訪問入浴の看護師に臀部にできた褥瘡の処置の仕方を習う。 傷を密封するテープではなく、穴あきナイロン袋を切ってシートにして覆う方法。 傷に薬を付けガーゼで覆い、その上に傷の大きさに合わせて切った穴あきシートを置く。 穴から浸潤液が出てくるので、尿パットで上から覆うのだ。 母を介護していた時に足に傷ができた時も、これに似た方法で治したことがあった。 介護士さんに「私の経験上この方が早く治る」と言われた。私もそう思う。 別室に呼ばれ「状態から残された時間はあまり長くはないだろうと思います」と言われる。 12日 町内の花火大会があった。 義父の部屋からベットに寝たままでもよく見えるのだが、義父は見ようとしなかった。13日 義兄帰郷 義父がどのように世話をされているのか心配したらしい。 訪問入浴が週に2回。訪問看護師が週に3回。 医師が週に1回来られることになっていると説明。 訪問入浴の時には看護師も一緒に来るので、体調チェックや褥瘡の処置があること。 異変があれば夜中でも来てもらえること。 必要だったらすぐに主治医に連絡してもらえること。 便秘の時には摘便などの処置をしてもらえることを説明すると少し安心した様子。 「東京ではここまでのことはできないかもしれない」と言う。14日 訪問看護 血液中酸素濃度が低くなっているので、鼻からの酸素吸入を始める。15日 医師の往診 点滴あり16日 医師の往診 今まで入れ歯は自分で外していたけれど、二日前から義母が手伝っても外せないらしい。 残っている歯に掛けるタイプの入れ歯なので、コツがあって他人が外すには難しいのだ。 仕方がないので係りつけの歯科医に往診を頼む。 すぐに歯科医と看護師が来られて、入れ歯を外して口腔内を綺麗にしてもらえた。 「よく知らせてくれました。 口腔内で雑菌が繁殖して大変なことになる患者さんもいるんですよ。」と言われた。 口腔内を綺麗にするためのスポンジと乾燥を防ぐための軟膏薬を貰った。 17日 訪問看護 点滴あり 酸素を2Lにする。 医師の往診 5日間居た義兄が東京へ戻る。 私は義父の介護だけでも大変なのに、義母と主人に加えて義兄の世話で疲れきっていた。 義兄には悪いが戻ってくれて、正直内心はホッとした。18日 訪問入浴日。体調が心配だったが本人が入浴を希望するので、短時間で済ませてもらう。 痰がからむので機械で吸引する。 飲み薬を飲むことが難しく痛み止めが効きにくくなりモルヒネ開始する。 義父は一日のほとんどを眠り続けているようになった。19日 看護師 点滴あり20日 看護師 点滴あり 21日 深夜1時に義母から呼び出し、義父の様子を診て訪問看護ステーションに電話をする。 酸素を3リットルにするように指示あり。量が増えたからか少し落ち着く。 2時半頃部屋に戻って眠りにつく。 3時に再び義母から呼び出し。機械にて痰を吸引。呼吸が落ち着いたので、義母を寝かせる。 義母が寝ている間は、私が義父に付き添う。 5時に主人が起床するので、世話のために義母を起こして代わる。 6時に主人を仕事に送り出し、再び義父に付き添う。 呼吸の仕方が変わってきたので、訪問ステーションに至急に来ていただくように連絡する。 義母と私が見守る中、義父の呼吸は静かになっていった。7時56分死亡 仕事に行った主人に家に戻るように連絡する。実は今は2024年なのですが、この記事は1年前に遡って書いています。介護が終わりを迎えたとき、一生懸命に世話をしたほど大切な家族を失った時の喪失感は、そうとうなものです。母の時には気持ちを落ち着かせるのに、かなりの時間がかかりました。たぶん義父の時にはそんなに落ち込むことにはならないだろう・・・と予測していたのです。でも、嫁いでからずっとだから33年以上も同じ屋根の下で一緒に暮らした人です。たとえ他人でも実の親よりもずっと長い時間を共にしたんですから、いろいろな思い出があります。良い思い出も・・悪い思い出も・・・いろんな過去の義父との出来事が思い出され、やっぱりダメで、なかなかブログを書くことができませんでした。だから無理をせずに心が前に向こうとするまで、日々の出来事を下書きだけで保留にして、遅れながら少しずつアップしていました。義父の一周忌を無事に終え、記録としてそろそろ書き始めようかと思ったのですが、1年経つと時間経過でアップできなくなっていました。私のブログは私がしている介護の日々で感じたり実行したりしていることが、少しでもどこかの誰かの役に立つことがあれば・・・と思い始めました。祖母と母と義父との時間が終わっても、まだ父と義母との日々が始まります。いつこの介護生活が終わりを告げるのか、私にも想像できませんが、もう何年も続けてきたブログですので、これからも少しずつ書いていこうと思っています。遅れ遅れのアップになってしまいますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2023年09月21日
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今日はお盆のお墓参りに行ってきました。山頂のお墓は色とりどりの灯篭で飾られていて、とても華やかです。私の実家があった山口県では見慣れない光景です。これって広島だけの風習なのですかね?母の納骨堂にも参りに行ってきました。お墓のご先祖様も納骨堂の母も、隣近所を参っている他家の家族を眺めながら(うちはいつ参りに来てくれるのかなぁ・・・)と首を長くして待っていたんだろうな・・・・と思いました。お参りに来た私たちを見て(おっ・・・来てくれたか・・・ありがとうね)と何となく喜んでくれているような気がします。
2023年08月13日
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お風呂に入るのが大好きな義父は、毎日一番風呂に入っていました。でも最近は筋力が落ちてだんだん足が立たなくなってきました。車椅子に乗せてお風呂場まで連れて行って、義母と二人で着替えなどを手伝いながら続けてきた入浴も、義父の体位が崩れるようになってきて、そろそろ難しくなってきたので、訪問入浴をお願いすることにしました。祖母を自宅で介護していた時には、祖母が他人の世話になるのを嫌がり、訪問入浴を拒否したので、家族の入浴が集わない昼間に私が一人で入れていました。足の悪い祖母の入浴は、当時はちょっと大変だったけど、振り返ればそれも祖母との良い思い出になりました。二人だけなので家族に気を使うことなく、祖母の体調や動きのスピードに合わせて、ゆっくり体や髪を洗うことができました。湯船に浸かって体が温まって気持ち良くなった時には、二人で歌なんか唄ったりして・・・結構楽しかったです。だからお風呂好きな義父にも、心地よい時間を作ってあげたい・・と思い訪問入浴をお願いしました。それに訪問入浴ってどんな風にされるのか、私も初めて見るので興味津々でした。義父のベットのそばに設置された湯舟です。部屋の中に防水シートを敷いて置かれています。この湯舟は真ん中で分離されていて、部屋に運び込んでから組み立てます。機械で水道の水をお湯にして、シャワーホースでお湯を入れていきます。湯舟には排水用のホースもついていて、体を洗った後の石鹸水を排水させることができます。義父をこの湯舟用の担架に乗せて抱え、担架を湯舟に設置します。この担架はワイヤーが張っていて、リモコンで担架のワイヤーを緩めていくと、義父の体がゆっくりと降りてお湯に浸かっていきました。初めての訪問入浴。最初何が始まるのかとちょっと緊張していた義父も、実際に経験してみたらすごく良かったようで、お世話してくださる方たちと嬉しそうに笑顔で会話をしながらお風呂を楽しんでいました。これなら安全に無理なく入浴ができるな・・・と感心しました。訪問入浴には看護師さんも一緒に来られて、入浴前に体温や血圧・血中酸素量や心拍数などを調べてから実施されるので安心です。せっかく来られて準備したのに、患者の状態によっては入浴が中止になることもよくあるんだそうです。時には入浴させたい家族としたくない患者で喧嘩になることもあるんだとか・・・義父がお風呂好きで良かったな・・・と思いました。今日の義父は体調が良く、入浴後は血行も良くなったのか、肌がピンク色になっていました。入浴が終わって着替えも済ませてベットに横になった義父は「気持ち良かったの~」と言いながら、すぐにウトウトし始めました。少し微笑みながら眠りかけている義父を見て、汗だくになって介助してくださった方たちも「喜んでいただいて良かったです~」と笑っていました。
2023年08月07日
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一日のほとんどをベット上で過ごすようになってしまった義父。楽しみはテレビを観ることぐらいのようです。テレビはベッドの横に設置してあるので、寝ていても右側を向けば観ることができるのですが・・・この間から「足元の箪笥の上にテレビを置いてくれ」と言っていました。私も過去に病院に入院していた時、寝たままの状態でテレビを観ていました。その時に長時間同じ方向に頭を向けたままテレビを見続けると、首がすごく痛くなって辛かった経験をしたことがあるので、義父の言葉の意味がすぐに理解できました。寝た状態で顔を前に向けたまま観ることができれば、良いのだけれど・・・・でも、義父の部屋のテレビは大きくて、とても箪笥の上に置くことはできません。良いサイズのテレビを購入するように義父母に頼まれますが (たとえ箪笥の上に設置できる物を買ってきても、義父が無理なく観ることができるかわからない)・・と思いました。で・・・(私のディストップのパソコンのモニターを外して、食事介護用に借りたテーブルに付けたらどうだろう)と思いました。テーブルはキャスターが付いているので前後に動かせるし、これは上下に高さを変えることもできます。これならイケるかも・・・・と主人に相談しました。私のパソコンのモニターはもともとモニターアームが取り付けてあったので、それごとはずしてテーブルに付けてみました。モニターとテレビを接続すると、テレビのリモコンでチャンネルを変えることもできるはずです。アイデアが閃いても、取り付けやテレビとの接続は私には無理なので、家電オタクの主人の協力が不可欠です。そして・・・取付大成功! 義父に見え方を訊ねながら、高さや距離・角度を決めてベストな位置に設置することができました。これには義父母は大喜び。「すごい! よく見える」とはしゃいでいました。良かった~訪問看護師さんや医師も「こんなことができるんですねぇ・・」と驚いていましたよ。私のパソコンはモニターを外しちゃったから使えなくなったので、ちょっと不便になりましたが、義父が喜んでくれたからそれで良いです。しばらくは主人が仕事で家に居ない間だけ、主人のパソコンのモニターを使わせてもらうことにしました。
2023年08月05日
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今日は母の月命日のお参りに、納骨堂に行きました。先月はここの増築工事のために立ち入り禁止になっていてお参りができなかったので、2ヶ月ぶりのお参りです。義母に義父の世話を頼んで、仕事休みの主人と一緒に行ってきました。山の頂上にあるお墓と違って、ここは天気を気にしなくても良いし、墓掃除もしなくても良いので、主人も嫌がらずについて来てくれます。今月のお供えはこちら・・・可愛いでしょう
2023年07月29日
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7月24日のこと義父は部屋の隣にあるトイレに間に合わずに漏らしてしまうようになったので、義父のベットのそばにはポータブルトイレを置くようにしました。でも最近は立ち上がってそのポータブルトイレに座るのも大変な様子です。無理ならオムツの中にしてくれたら良いのですが、どうしてもそれが嫌なようで、すごく時間をかけて座ろうとしています。きっと家族の手間をかけるのが申し訳ないと気を使ってくれているのでしょう。今日ポータブルトイレに座るのを手伝っていると、姿勢が保てないのかゆっくりと崩れてきました。前かがみになり両膝を着く形になったのを見て、ベットに抱えて上げようとしたのですが、ふと(このままでできないだろうか・・・)と思いました。で・・・ベットに上半身だけを乗せて、両膝を着いたまま腹ばいにして「お義父さん。今の姿勢はしんどいですか?」と訊くと、「平気だよ。」と返事がありました。「じゃぁ・・このまま用をたしちゃいましょう。ちょっと足を広げてみてください。」と両足の間にポータブルトイレの中のバケツだけを置いてみました。するとうまい具合に置くことができました。「これで大丈夫だから、お義父さんのペースでしてもらって良いですよ。どこか痛かったりしんどかったら言ってくださいね。」と私が言って少し時間を置くと尿が出て、それから便も出すことができました。終わったらお尻を拭いて義父をベットに戻してオムツを付けました。「良かったの~ 汚れんかったの~」とニコニコしながらとても嬉しそうな顔の義父。「そうですね。私も楽でしたよ。」と言いました。義父が喜ぶのなら、今度からはしばらくこの方法でやってみようと思いました。7月25日のこと今日は介護保険を使って頼んでおいたテーブルが届きました。ベットに居るまま食事をするときなどに使います。前後に動かせて、高さも調整できるのが便利ですね。7月26日のこと写真はこの間の訪問看護の時に、看護師さんから勧められて購入した介護用品です。寝ている人の体を動かす時に、このつるつるしたシートの上に寝かせていると楽に動かせるそうです。お尻が汚れた時に使う洗剤や洗い流すために使うシャワーボトルも買いました。看護師さんが「お尻を洗うだけなら、無理に購入しなくてもペットボトルで代用できますよ。」と言ってくださったのですが、母の世話をしていた時に、ジャバラになった部分が角度がつけられるから、シャワーボトルのほうが使いやすかったので、今回も買いました。尿パットの使い方も教えていただきました。長く母や祖母の世話をしてきた私も、男性は初めてなので、どうしたら良いか困ってしまいました。パットをあてていても、どうしてもずれてしまって、尿漏れになってましうのです。だから毎回パットもオムツも交換しなければなりませんでした。それで看護師さんに訊ねると・・・「パットのギャザーの部分に少し切り込みを入れて、その穴に〇〇〇を通してから包み込むようにすれば、ずれませんよ」と教えていただきました。(なるほど・・)と感心しました。そのようにしてからパットをあててオムツを履かせたら、オムツまで漏れる回数が減りました。パットに比べて外側のオムツは結構価格がするので、助かりました。ただし、切込みをいれるのは、ギャザーの部分です。内側に切込みが入ってしまうと、中のポリマーが出てきてしまうので、それが肌につくと取り除くのが大変になりますので要注意です。7月28日のこと義父の部屋はクーラーがあり、いつも室温には気を付けていますが、寝ている間に口呼吸をしているので、どうしても口の中が乾燥しているようです。口腔内が乾燥していると、喉が痛くなったり、細菌が繁殖したりすることもあるので心配でした。それで、テレビで放送されていた小型のクーラーを購入して、義父のベッドの枕元に置いてみました。このクーラーは水を入れて動作させるものですから、加湿ができると思ったのです。これを置いたことを知らなかった義父は、目覚めた時に義母に「どうしたんか・・今日は喉が痛くないぞ」と言ったんだそうです。義母がクーラーを見せると「そうか・・・」と喜んでいたそうです。
2023年07月28日
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今日から週に1回訪問看護師さんが来られ、掛かりつけ医師にも週に1日往診をしていただくことになりました。今日は看護師さんが朝9時30分~10時の間、義父の体温・血圧・血中酸素濃度などを測ったり、家族に飲食の状況や薬の管理状況を尋ねられました。この間に得た治療に必要な情報は、後で掛かりつけ医師に報告されるそうです。義母はいつも仕事に出かけていますが、薬の管理は義母がしていて、医師や看護師さんが来られる時間帯だけは自宅に戻って来て、一緒に説明を聞いています。昼間義母がいない間は私が義父の傍に居て世話をして、夜は義母が義父の傍にいるようにしています。在宅介護は一人で抱え込むと煮詰まってしまいます。できるだけ多くの人の手を借りて、専門の知識もお借りして、義父が少しでも笑顔でいられる時間を保てるように、皆で頑張っていこうと思いました。
2023年07月19日
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何でも自分でやりたがる義父は、髭を剃るのも自分でやろうとするのですが、今は立つことができず座ったままの状態で剃らなければなりません。でも椅子に座った状態では、洗面所の鏡に自分の顔を映すことができません。義父母がどうにか鏡を見て髭が剃れないか・・・といろいろやっていたようですがうまくいかず、私に「どうにかできないか」・・・と言ってきました。(困ったな・・・)と思いましたが、お風呂の洗い場に、座ったまま見ることができる鏡があることを思い出しました。義父を車いすに乗せたまま浴室の中まで入れて、鏡にできるだけ近づけると義父の顔を鏡に映すことができました。義父は「これなら見える」と愛用の髭剃りを使って喜んで剃っていました。(これで一件落着・・・良かった。)と思いました。義父が髭を剃っているのを見ながら、ふと考えました。我が家の洗面所の鏡は三面鏡になっているんですけど、その真ん中の鏡の上部が少しだけ前に倒せるようになって、顔が映るくらい斜めにできれば便利なのにな・・・と思ったんです。普段使う時には今まで通りの位置にある鏡を、車いすの人や小さな子供が使用する時には、上部を引き出して斜めの状態にすると低い位置からでも顔を映すことができますよね。下の収納部分もキャスター付きの箱のようにしておいて、もし家族が車いすを使用するようになったら、その箱を除けて足が入れられるようにできたら、自分で顔を洗うことができます。これからどんどん高齢者が増えるのだから、メーカーさんには少しでも楽に使用できる洗面台を作ってもらえないかな・・・・と思いました。 今日はケアマネージャーさんと訪問看護業者の方が来られました。義父のケアプランを計画してしただくためです。自宅で介護をする・・・・家族だけでは難しいです。いろいろな知識を持ったプロに支えてもらって、進めていく必要があります。迷ったり困ったりした時に、いつでも相談できる人たちが居る・・・とても心強いです。
2023年07月14日
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義父はお風呂にはいるのが大好きです。夕方には毎日1番風呂に入っていました。去年の2月に脱衣所とお風呂場をリフォームして、しっかりした手すりを4ヶ所も付けて貰っているので、最近少々動きが悪くなっていた義父は「掴むところがいっぱいあるから、お風呂場が一番安全だ」と言って喜んで入っていました。でも、徐々に歩くことが難しくなってきて、自室からお風呂場までは、伝え歩き ⇒ 杖をついて行く ⇒ 義母の肩を借りる ⇒ 義父が私の両肩を持ち、義母が後ろから支える・・・という電車ごっこのようにして風呂場まで行かなければならない状態になりました。脱衣所でも立ったまま自分一人で服を着たり脱いだりが難しくなったので、椅子を用意して手伝っていました。お風呂も一人では心配だったので、手伝おうとしたのですが、息子の嫁の私に裸を見られるのが嫌なようなので、義母に頼んで一緒に入ってもらうようにしました。近所のお嫁さんは姑さんが先に亡くなってしまったので、舅の介護をしなければならず、入浴の際には自分は水着を着て舅さんをお風呂に入れていたそうです。(うちはまだ義母さんがいるから良かったけど、あのお嫁さんはさぞ大変だったろうな・・・)と思いました。そして義父もとうとう支えていても立つことも難しくなってしまったので、ケアマネさんに相談して、介護保険で車いすをレンタルすることにしました。この車いすは自分で動かすのではなく、介助者が後ろから押して動く、室内用でタイヤの小さなものです。さっそく義父を抱えて座らせると、しばらく家の中も自由に歩くことができなかった義父は「あっちに行ってくれ」とか「今度はこっち」と嬉しそうに指さしながら支持するのです。私が義父に言われるまま家のあちこちに連れて行っていると、その様子を見ていたレンタル業者の人も「喜んでいただいて良かったです。」とニコニコしていました。これで安全にお風呂場まで義父を連れていくことができます。良かったな・・・と思いました。
2023年07月12日
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日を追うごとに少しずつ体力が落ちている義父。歩く足取りもおぼつかなくなってきました。今まで近くの診療所に自分で車を運転して通っていたのですが、この状態ではさすがに無理だと医師の往診を受けることになりました。過去に胃がん・肝臓がんを克服して頑張ってきた義父でしたが、この度の肺がんは今年87歳の義父にはもう治療に耐えられる体力はないだろう・・・と思われたので、義父母が話し合って病院での手術・入院はせずに、自宅で家族と過ごすことを決めたようです。その覚悟を聞いて医師は地域包括センターのケアマネージャーに連絡して、定期的な訪問診療・訪問介護のプランを立てていただくことになりました。早速、もし義父の状態が急変して酸素が必要になった時にすぐに家族が対処できるように、今日の夕方、業者の方が在宅酸素の機械を持って来られました。今は呼吸は安定しているので、当分は使用しないで良いと思われますが、なにぶん高齢者は急変することがあるので、その時に慌てなくても良いように義母と一緒に使い方を習いました。 義父は長い人生を車の運転に関わる仕事を続けてきたので、運転はすごく上手で在職中には何度も表彰されて、それが自慢の人でした。でももう高齢なので、私が心配して「そろそろ運転は止めたらいかがですか?」と言っても「まだ大丈夫!」と言って聞いてはもらえませんでした。そんな義父がさすがに覚悟を決めたのか先日唐突に「・・・車を処分しようと思う」と言いだしました。私は心の中で(・・・良かった)と思いました。さっそく業者に連絡し手続きをして、今日車を引き取りに来てもらいました。年数は経っていますが、メンテナンスは完璧にしていた義父の車。廃車にならずに誰か大切に乗ってくださる方がいたら良いな・・・と思いました。車は持ち主の財産になるので、本人が手続きできない状態になると、大変なことになります。生前の名義変更に必要な物①車検証 ②印鑑登録証明書(旧所有者と新所有者) ③実印(旧所有者と新所有者) ④譲渡証明書亡くなった後の名義変更に必要な物①車検証 ②印鑑登録証明書(新所有者のみ) ③実印(遺産分割協議書に表記されている相続人全員分)④所有者死亡が確認できる戸籍謄本 ⑤結婚などで戸籍謄本に記載されていない相続人の戸籍謄本⑥相続人全員の実印を押した遺産分割協議書 ⑦車庫証明書施設に居る父もやっと先日車を手放してくれましたが、もし自分自身で手続きができなかったら、これだけの手間がかかってしまうので、本人の意思がはっきりしているうちに二人とも手続きを済ませることができて良かったな・・・と思いました。
2023年07月10日
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これは義父のいつもの昼食です。冷やした細めのうどんの上に紫玉ねぎのスライス・細切りのキュウリ・かまぼこ・竹輪・錦糸卵をのせてあります。ツユにはネギ・ノリ・ゴマ・ワサビと氷を入れています。義父はこれが大好物で、いつも残さず完食です。「朝・昼・晩の三食これでも良いぞ~」とニコニコしながら美味しそうに食べてくれるので、私も作り甲斐があります。でも・・・さすがに三食これでは、栄養面が心配になるのでやめてます。
2023年07月06日
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我が家は築50年を超えたかなり老朽化が目立つ家で、最近あちこちが傷んでいます。この度も屋根の軒がはがれてしまいました。ここは車庫の屋根の上なので、軒を直すためには、いったん車庫の屋根を壊す必要がありました。そして6月27日から始まった工事が今日無事に終了しました。新しくなった軒と、新品になった車庫の屋根はとても気持ちが良いです。この家の施主は義父ですので、義父の許可がないとリフォームはできません。今の義父は外に出て仕上がりを見に行くことは難しいですが、私が毎日工事の進行状態を細かく報告していました。「お義父さんのお陰で、とても奇麗になりましたよ」と報告すると「ほ~か~ 良かったの~」と喜んでいました。
2023年07月03日
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今日義父の様子を見るために部屋へ行こうとして、部屋の前の廊下を歩くと素足に冷たいものが・・・よく見ると部屋から廊下を通ってトイレまで、一面水浸しになっていました。(あ~・・・・これは、もしかして・・・)と頭を抱えてしまいました。たぶんトイレに行こうとして間に合わなかったのでしょう。この分だと着替えも必要だな・・・でも、この間と同じように、恥ずかしさから義父は私が下の世話をするのを拒むだろうと思いました。とりあえずお風呂場に行って足を洗い、義母に職場から帰って来てもらうように電話で連絡して、廊下などの拭き掃除をしました。これからだんだんこんなことが増えてくるんだろうな・・・義父が私に世話をさせてくれるようになると良いのに・・・と思いました。 私の連絡で職場から戻ってきた義母は、午後はそのまま家にいることになったので、義父のことを任せて私は母の月命日のお参りに行くことにしました。でも・・・・納骨堂に着くと「〇月〇日~△月△日まで 工事中につき立ち入り禁止」と貼り紙がありました。ここはもともと3階建てでしたが、手狭になったので5階建てにするようで、数か月前からその工事が行われていました。工事中もお参りには行くことができたのですが、工事も終盤になり数日間は立ち入り禁止にしなければならなかったようなのです。母が亡くなってから毎月命日には欠かさなかったお参り。(遠い距離をせっかく来たのに・・・しかたないか・・・でも前もって教えておいて欲しかったな・・)と残念に思いました。
2023年06月29日
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今日の午後、義父が眠っている間に用事でちょっと家を留守にしたんですが、事件はそういう時に起きるんですね。家に戻ってすぐに義父の部屋へ様子を見に行くと「〇〇さんに会ったら、お礼を言っておいてくれ」と言いました。何があったのかと問うと、詳細を話してくれました。〇〇さんは近所に住む男性で、毎月各家庭の新聞の購読料金を集金しています。今日も私が居ない時に、集金に来られました。玄関のチャイムの音で目を覚ました義父は、自分が出ようとしたようなのです。伝え歩きならなんとかゆっくり歩ける義父ですが、早く出なければ・・・と急いでいたからなのか途中で転んでしまい、一人では立ち上がることができなくなってしまいました。「助けてくれ~」という義父の声を聞いて、驚いた〇〇さんは「あがりますよ!」と声をかけ助け起こしてくださったようです。義父には幸い骨折などの怪我もなく、笑い話になったようですが、私は話を聞いて驚きました。以前祖母が家に居た時に、畳の目に沿って靴下が滑って転倒し、大腿骨を骨折したことがあったからです。このぐらいの時間なら大丈夫だろう・・・と思ったのがいけなかった。骨折をしなかったのは運が良かっただけだ・・・・目を離さないようにしなければ・・・と思いました。〇〇さんには義父を助けていただいたお礼を言って、次回からは集金の時間を私が確実に家に居る時間帯に来ていただくようにお願いしました。
2023年06月25日
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主人が出張から帰ってきました。この写真はお土産です。仙台は牛タンが名物なんですね。牛タンのソーセイジなんだそうです。どど~んって感じで、すっごく大きくてビックリしました。味は・・・・・・・・酒のつまみには良さそうですよ。
2023年06月24日
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綺麗な紫陽花が咲いていました。心が疲れているときには、とても癒されますね。
2023年06月22日
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今日家事の合間に義父の様子を見に行くと・・・何やらゴソゴソとしていました。ズボンを脱いで床に這いずるようにしている義父。部屋には異臭が漂っていました。どうやらトイレに行くのが間に合わずに、粗相をしてしまったようで、自分で何とかしようとしている様子でした。でも、もう一人では立ち上がるのも不自由になってしまった義父には、タンスから下着やズボンを出して替えるのも大変だし、まして床掃除などできるはずがありません。何度も「お義父さん。手伝いましょうか」と声をかけますが「来るな! 来ないでくれ!」と大声で怒鳴ります。きっと息子の嫁の私にシモの世話をされることが恥ずかしく、プライドが許さないのだと思いました。でも・・・そんなことを言っても、今の義父には後片付けはとてもできません。このままではどうしようもないので、義母のスマホに電話をかけますが、何度かけても出てくれませんでした。仕方がないので義母の職場に電話をかけて、連絡するように頼みました。すぐに義母から電話があったので、事情を話して帰ってきてもらいました。義母は義父の世話をしながら「実の娘だと思って、やってもらえばいいのよ!」と言っていましたが、義父は「嫌だ・・・たとえ実の娘だったとしても、やっぱり頼めない・・」と言っていました。祖母や母の介護を何年もしてきた私ですが、男性である義父の場合は、精神的な面も考慮しなければならないので難しいな・・・と思いました。
2023年06月21日
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今日主人が仕事で出張になりました。ここ数年コロナの影響で出張はなかったから、久しぶりことです。主人がいない間に、主人の布団を綿の打ち換えに出すことにしました。出張から帰ってきたら、ふっかふかのお布団で、疲れを癒してもらおうと思いました。お仕事頑張ってくれてるから、感謝の気持ちです。喜んでくれると良いな・・・・
2023年06月20日
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これは私が義父のお昼ご飯に、いつも作っている冷やしうどんです。細いうどんの上に錦糸卵・蒲鉾・竹輪・キュウリ・玉ねぎをのせています。つゆにはネギ・ワサビ・ノリを入れています。これが義父の口に合ったのか、他の食事はあまり食べたがらないのに、これだけはいつも完食します。「のど越しが良くて、食べやすいんだ。朝昼晩、毎食これでも良い」と嬉しそうに食べてくれるので、作り甲斐があります。義父のことを心配して帰省してきた義兄夫婦は、義父が昼食を一人で全部食べるのを見てすごく驚いていました。これならまだまだ大丈夫だろう・・・と思ったのか、安心した様子で東京に帰って行きました。
2023年06月19日
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義父の体調が急に悪くなり、ゴールデンウィークに帰郷できなかった義兄夫婦が、昨日帰ってきました。何年も会っていなかった義兄夫婦が突然戻ってきたので、義父は「わしがもう長くはないから帰ってきたんだろう・・」と寂しそうに言いました。私が慌てて「違うよ。この間帰って来られなかったから、父の日に合わせて帰ってきてくれたんよ」とごまかしました。でも、ちょっと不審げで固い表情の義父。なんとか沈んでいる義父の気分を変えなければ・・・で・・・町に行って父の日用のケーキを買ってきて、皆でお祝いをすることにしました。皆にせかされて、ベットからゆっくり起き上がった義父。「どうせなら夫婦二人でケーキ入刀をしましょう」と言って、やってもらいました。結婚式も挙げてなかった二人。「人生初めてのことだ」と家族にひやかされて照れくさそうな義父。家族揃って記念写真をたくさん撮ったりして、とってもにぎやかで楽しい時間でした。こんな可愛いケーキがありました。家族の結婚記念日や誕生日には必ずケーきでお祝いしていたのですが、父の日をケーキでお祝いしたのは初めてでした。もっといろんな行事でもしてあげたら良かったな・・・って思いました。
2023年06月18日
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今日は施設の父の所へ、父の日のプレゼントを届けに行きました。今年も施設内で履く、サンダルにしました。父に会って顔を見て直接渡したかったのですが、施設はコロナのせいでまだ面会ができないので、会うことはできません。受付の職員さんにプレゼントを預けて帰りました。電話では元気そうな声の父。でもちょっと寂しそうでした。早く面会ができるようになったら良いな・・・と思いました。
2023年06月15日
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築年数も相当経った我が家は、また水漏れが見つかって昨日は水道工事をしてもらいました。続けて今日は仏間と隣の部屋の畳替えをしました。数日前に義母が仕事休みだったので、義父の世話を任せて私が買い物に出かけていると義母から電話がかかってきました。「畳替えをするから、部屋を片づけなさい」と言ってきたんです。(家に居るときに言えばいいのに、わざわざ電話で言うこと?)と突然の内容に驚きましたが、思いついたらすぐに行動してしまう義母。もう業者にも連絡しているようでした。その時私は隣町にいたので、買い物もそこそこに慌ててバスに乗り自宅に帰りました。で・・・これから大変になる義父の世話に専念するために、今はできるだけ体力を使いたくなかったので、私たちの部屋はそのままにして、仏間とその隣の部屋の畳だけ替えてもらうことにしました。朝、業者の人たちが運んで行った畳は、夕方には新しくなって戻ってきました。新しくなった畳は確かに気持ち良いですが・・・・(なんで今頃畳替えなんて言い出すんだろう・・・正月でもないこんな時に・・・)と思いました。
2023年06月07日
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今日は訪問調査員が家に来られました。検査で義父の肺癌がみつかったけれど、病院での手術・入院治療をしないことを決めた義父母。自宅での介護を始めるにあたって、介護保険の認定を受けるために、かかりつけの診療所の医師の紹介で、今日は訪問調査員が来られました。でも、今のところ病気による症状はなく、食事は自分で食べることができるし、寝返りや起き上がりは自分でできて、少し足はおぼつかないけれど、物につかまりながら歩いてトイレにも行けます。認知症もなく調査員の質問にも普通に受け答えできて、時には笑顔で冗談なども言っています。(まだまだ元気なのに、こんな状態で介護認定できるのかな?)と思いましたが、治る見込みのない病気を持った義父をこれから自宅で介護をすると決めたからは、家族だけの力では難しいと思います。そのうえ義母は義父の介護のために仕事を辞める気はないようなので、一日のほとんどは家にいません。そうなると今まで通りの家事だけでなく、義父の介護も私一人にかかってきます。私は以前介護で疲れ切って精神に異常をきたしたお嫁さんを見たことがあります。両脇を親族の男性達に抱えられながら、診療所につれて来られました。お嫁さんは虚ろな目に涙を溜めて「すみません・・・すみません・・私にはもう無理です。」と誰に言うでもなくずっとブツブツつぶやいていました。治る見込みのないと思われる人を介護することは大変です。私自身が疲れて壊れてしまうことのないように、いつでも相談できる医師や訪問看護師のような経験豊富なプロの手助けを借りながら、義父母を支えていく必要があるのです。家族だけでは気づけない変化や知識やさまざまな制度なども教えて貰うためにも、介護に詳しい第三者とつながりを持ったほうが良いと思いました。
2023年06月06日
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今日は母の納骨堂へ月命日のお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・・ちょっと涼しげな感じでしょ?毎日暑い日が続いていますが、ここは冷房がきいていて快適です。暑さが苦手だった母も、ここならきっと大丈夫でしょう。ちょっと羨ましいぐらいです。(笑)
2023年05月29日
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私は週末に主人と一緒に1週間分の食料を買いに行きます。で・・・買い物を終えてレジでレシートを見ると・・・なんと1がずら~と並んでいるではありませんか。思わず「すっごーい!」とちょっと大きな声で言ってしまったので、レジ係りの人が驚いていました。しょ~もないことですが、なんかラッキーな気分になって、主人にも見せましたよ。
2023年05月19日
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今日は母の日でした。上の写真は義母へのプレゼントです。今年は感謝状を添えてブラウスとカーネーションにしました。下の写真は母へ・・・納骨堂へ行って供えてきました。どちらの母も喜んでくれるといいな・・・・
2023年05月14日
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主人はせっかくの連休ですが、私は義父の世話があるので一緒に旅行などには行けません。それでもずっと家に居るとストレスが溜まってしまうので、短時間だけでも何か楽しいことしたいな・・・と思い、義母が仕事休みの日には、義父を看てくれている時間を使って、買い物の途中に二人でラーメン屋を食べ歩くことにしました。5月2日には・・・・わいるどラーメン「ごんぞう」に行ってみました。スーパーの買い物に行くたびに隣のラーメン屋にいつも行列ができているのが前々から気になっていたんです。まだ開店前で数人しかいなかったので、私たちも行列に並んでみることにしました。並んでいる最中に、スマホでメニューを調べてみると、麺の量を150g~500gまで選べるようになっていて、注文するにはそれぞれ変わった名前が付いていました。『あまぞねす(150g)』『ガキ大将(200g)』『普通(300g)』『大盛(400g)』『でんじゃらす(500g)』若者ならたくさん食べるんだろうけど、年寄りの私たちには普通の300gでも難しそうだし、「初めての人や女性は150gがおすすめ」と書いてあったので、二人とも「あまぞねす150g」にしてみました。券売機に先着5名様は豚2枚モヤシマシマシ800円 → 500円って書いてありましたが、初めて来たので意味が分からずにいたら、店主が「一人は500円ね!」と大きな声で教えてくれました。それで並んだお客さんの数を数えると、私たちは5番目と6番目だったので、一人は500円で食べることができました。ラッキー本当に「ワイルドだぜ~」って本格的な二郎系ラーメン。チャーシューが分厚く切ってあって食べ盛りの若者にはたまらないラーメンですね。モヤシが大盛なので麺を150gにしても、お腹一杯になりました。とっても美味しかったです。 5月4日は「丸源ラーメン」に行きました。以前テレビで特集をやっていたのを見て、ずっと気になっていたんですよ。放送内の店員さんの教育がすばらしいと感動して観ていたんですが、実際に来てみて店内だけでなく、テーブルの上や置いてある調味料も綺麗にしてあって気持ちよく食べられました。肉そばとチャーハン+餃子を注文しました。チャーハンは生のままの卵液が運ばれてきて、ご飯が入ったアツアツの鉄板に直前にかけてくれました。店員さんに「すぐに固まってしまうので、急いでかき混ぜて食べてくださいね。」と言われたのですが、写真を撮っていたらちょっと固まってしまいました。こんなチャーハンは初めてでちょっと驚きましたが、とっても美味しかったですよ。ぜひまた来たいと思うお店でした。
2023年05月04日
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28日に体調を崩した義父。4月29日と30日も主治医が往診に来てくださり点滴を続け少しずつ回復してきた。今日は医院に行ってレントゲンを撮ってもらった。足の付け根が痛いらしい。癌が骨転移しているのかもしれない。義父は以前、胃がん・肝臓がんを患ったが、そのたびに手術して回復してきた。でも今回は病院の医師からは病状や年齢から「手術不可」の診断がくだされたようだし、本人も「もう手術はしたくない」と言ったようだ。前回までは私も検査のたびに病院に一緒に行って、検査結果などを見て医師と治療方法などを決めてきたのだが、今回は義父母だけが病院に行って治療方針を決めてきたらしい。私は検査結果を知らないので、詳しい状態がわからないのだが、義父は87歳という高齢だし、見た目にもかなり体力が落ちているように見える。たとえ手術をして癌が全部取り除けたとしても、前回のように回復できるとは私にも思えないので、義父母が出した結論に従おうと思った。病院での入院・手術による治療より、少しでも自宅で家族と一緒に過ごす時間を選んだ二人をできる限り応援しようと思う。
2023年05月01日
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今日は母の納骨堂へ月命日のお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・こどもの日バージョンです。東京の義兄の子供たちに会えることを楽しみにしていたのですが・・・帰省が中止になって残念です。(子供って言ってももう30歳過ぎてるんですけどね(笑)コロナが落ち着いてきてやっと外出が緩和された今年のゴールデンウィークですが、私は義父の世話に明け暮れそうです。
2023年04月29日
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明日は東京の義兄夫婦と息子たちが帰ってくることになっていました。それで今日主人が職場から帰ってきたら義母を連れて食料の買い出しに行くことになっていました。でも数年ぶりに孫たちに会える喜びで気が急いだ義母は、主人が帰宅する夕方まで待つことができず、昼間義父の運転で買い物に出かけたのです。スーパーで義母が買い物をしている間、歩くことが少し難しくなっている義父は、駐車場の車内で待っていたようです。そして夕方買い物から帰ってきた義父が頭痛を訴え、発熱をしていました。急遽主治医に連絡し、往診に来ていただくことになりました。肺癌を患っている義父。本日の事情を知らない医師は癌による急な発熱と思ったようですが、私は日中車内でエアコンもかけずに長時間いたことによる熱中症なんじゃないかと思いました。今日はとても天気が良く気温がかなり高かったからです。医師による点滴と経口補水液で水分補給し、保冷材で体を冷やすようにして症状は徐々に治まっていきましたが、医院は連休中なのに点滴を続けるために、往診に来ていただくことになりました。義父のこの状態ではとても義兄一家を迎えることはできないと、義兄に帰郷を取りやめるように連絡しました。皆が戻ったら庭でバーベキューをしようと、張り切ってコンロや炭などを購入していた主人は、とても残念がっていました。
2023年04月28日
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平成28年に甲状腺がんの手術を受けた義母。その後定期的に病院で検査を受けていたけれど、今日の検査で術後無事に7年経過したので、もう検査に行かなくてもよくなった。心配事が1つ無くなって、ホッとした。
2023年04月24日
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施設医の紹介で父の検査のために病院に行きました。父は昨年4月に前立腺癌の手術を受けましたが、他所への転移もなく3か月毎の経過観察期間を終え、次回の検査日が3ヶ月毎から半年毎に伸びたばかりでした。(ちょっとホッとしていたところなのに・・・)今回は血液検査で急にカリウムの数値が高くなっている・・・とのこと。そのためにこの間手術を受けた病院ではなく、念のために腎臓治療で知られている病院へ行って検査を受けるように指示がありました。(ん~~・・・今度は腎臓か・・・)父はこの病院は初診になるので、いつも通りいろんな検査を受けましたが、一番大変だったのは尿検査です。前立腺癌術後の後遺症のため、自分で排尿コントロールができない父は、いつも尿パットを使用していて検査コップに採尿することができません。今までは医師に事情をお話しして尿検査はしないようになっていたのですが、今回は詳しい腎臓検査をしなければならないので、どうしても尿検査が必要なのだそうです。で・・・医師や看護師さんによる導尿カテーテルを使った採尿になってしまいました。手間をかかせてしまって、申し訳なかったです。検査を終えて診察室に入る前に、看護師さんに「もしかして青汁を飲んでいませんか?」と訊ねられました。そういえば今朝病院に向かうタクシーの中で父が「健康のために最近青汁を飲み始めたんだ。」と話していたのを思い出しました。なんでもカリウムを排出しにくい体質の人が青汁を飲み続けると、急激に高くなることがあるんだそうです。(そうなんだ~・・・知らなかった・・・体に良いものとばかり思っていた・・・)父と二人でびっくりしました。診察室に入っても医師に同じことを訊かれ、もしかして青汁が原因かもしれないから、しばらく飲むのを中止して次回もう一度検査に来るように言われました。次回は10月に検査をすることになりました。何ともないことを祈るばかりです。
2023年04月03日
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今日は主人と鏡山公園の桜を観に行きました。見頃を少し過ぎたのか散り始めている木もありましたが、まだまだ美しい姿を観ることができました。公園には沢山の家族連れの人たちがシートをひいてお弁当を食べながら、花見と会話を楽しんでいました。コロナが少し落ち着いてきて、マスク着用も個人の判断になりましたが、大半の人は着用していました。お酒を飲んでカラオケなどで騒いでいる人はいなくて、皆マナーを守って楽しんでいましたよ。キッチンカーも数台来ていたので、「唐揚げ」と「アイスメロンパン」を買って食べました。主人はスマホ用の三脚を使って、二人の写真をいっぱい撮っていました。他人に見られて、ちょっと恥ずかしかったです。でも、長かった自粛の時を超えてきたので、こんなささやかな時間が愛おしく思えて、幸せなんだな・・・・と思いました。
2023年04月01日
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私の好きな花見スポットです。薄いピンクの桜と真っ赤なボケの花が一緒に咲いているのです。綺麗でしょう?
2023年03月30日
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今日は母の納骨堂へ月命日のお参りに行きました。今月のお供えはこちら・・・桜のピンクがとても華やかでしょう。仏壇の中がとても明るくなりました。自宅に戻ると施設の父から電話があり、施設医師から病院で検査を受けるように言われたそうです。(えっ・・また何処かに癌が見つかったんだろうか・・・・去年手術してやっと落ち着いてきたところだったのに)・・・・母のお参りでちょっと明るくなっていた気持ちが、一気に沈んでしまいました。
2023年03月29日
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今日は朝から庭で義父がタイヤ交換をしていました。義父はいつも自分でタイヤ交換をしているのですが、体力的にも年々大変になっています。(業者に頼んだら良いのに)・・・と思うのですが、「自分でやるんだ」と聞いてくれません。(まだまだ自分は大丈夫だ)と思いたいのでしょう。今日は義母は仕事休みのはずですが、朝早くから出かけているので、義父のことが心配だから手は出さずに見守っていることにしました。一旦座り込んだら、立ち上がるのも一人では難しい義父。立とうとするたびに私がズボンの後ろを持ち上げて手伝います。ゆっくり・・ゆっくり・・時間をかけて作業していました。タイヤを2本交換した時に、義母が帰ってきました。(お義母さんが帰ってきたのなら、任せても良いだろう)・・・と思い、私は洗濯などの家事に取り掛かったのですが・・・しばらくすると庭で二人が言い争っている声と、カン・・カン・・・と何かを叩いている金属音が聞こえてきました。(何事?)と驚いて二人のところへ行ってみると・・・金属音は義父がジャッキを叩いている音でした。義母は休日の午前中に買い物のために義父と出かけるのですが、戻ってきてもタイヤ交換が済んでいないので、早く終わらせるために手伝おうとしたようです。それで慣れない義母がジャッキを勝手に扱い、壊してしまって使えなくなってしまった。義父は「いらんことをするな!」と怒鳴りながら、曲がって壊れたジャッキを直すために、叩いていました。今日は天気が良く、だんだん気温も高くなっていました。(もう無理だ。これ以上義父を炎天下に晒すことはできない)・・・と思った私は義父を説得することにしました。「お義父さん。ジャッキが壊れたのならもう無理でしょう。業者に電話してやってもらいましょう」と言いましたが、まだ「大丈夫じゃ~ わしがやる! やらしてくれ!」と言い張ります。(そんなこと言ったって、具合が悪くなるのは目に見えてるでしょう。具合が悪くなったら世話をするのは結局私なんだから~・・)と心の中で言いました。最終的には近所に住む親戚に頼んで、手伝ってもらうことにしました。彼は今は農家を手伝っていますが、前職は車関係の仕事をしていたのでタイヤ交換は慣れていました。ものの30分ぐらいで済ませてくれました。助かりました。義父は車庫の中に腰かけて、親戚が作業している姿を静かに見守っていました。義父は87歳。最近は歩くことも危なっかしくて、杖をついて歩いています。タイヤ交換どころか、もう車を運転することが無理だということをそろそろ自覚してくれれば良いんだけど・・・・事故を起こさないうちに、早く免許を返納してほしいな・・・と思いました。
2023年03月28日
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施設の父から電話がありました。父の知人が前立腺癌になり手術をされたようです。父の場合は早期に手術ができたので、今のところ転移もなく術後の経過観察だけで済んでいますが、その方は抗がん剤治療や放射線治療などが必要になったそうです。知人からそれらの治療がとても大変なんだという話を聞いた父は「わしは良いほうなんだな・・・」と言いました。術後に尿漏れの後遺症に悩んでいた父は、電話のたびに不満を口にしていました。時には「手術なんてしなければ良かった」なんて愚痴を言っていました。でも話を聞いて、知人に比べて自分がどんなに幸運だったか、しみじみ考えたようです。あの時、手術を拒んだ父を説得するのは大変でしたが、父が「早く手術をして良かった」と思ってくれただけでも良かったな・・・・と思いました。
2023年03月27日
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今日は母の納骨堂へ、彼岸参りに行きました。お供えはこちら・・・お彼岸には定番ですよね。でも、納骨堂には生モノは置いておけないので、しばらく供えてから美味しくいただきました。今日は私たちの結婚記念日でした。主人がケーキを買ってきてくれました。義兄からは綺麗なお花が届きました。ありがとうございます。一緒になって33年。初めて出会った日は結婚の5年前の同じ日なので、出会ってから38年になるのか・・・・人生の大半は主人と一緒にいるってことで、これは血の繋がった親よりもずっと長い時間を共に過ごしているってことで・・・・考えてみればすごいことなんだな・・と思います。今結婚しない若者が多いんだそうです。私も若い時には自分が結婚するとは思ってなかったです。独身で一人暮らしをしていた時には、一人でいることがそんなに苦ではなかったし、むしろ他人といるより一人の自由を楽しんでそれなりの生活ができていたから・・・でもね。誰かと生活を共にするって、時々ちょっと大変な時もあるけど、この年になるとそれも良い思い出になってくるんですよ。楽しいことは2倍になって、苦しいことは半分になるって言うけど、本当だな・・って思えてきます。決して贅沢な暮らしはできてないし、したいとは思わないけど、このまま主人と仲良く添い遂げられれば良いかな・・・ずっとそばにいてくれる人がいて良かったな・・・と思います。
2023年03月21日
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今日は主人と人間ドックに行きました。まだ年寄3人を看なければならないのですから、二人とも健康でいなければなりません。そうは思っていても、やっぱり年齢的にもいろいろ不具合が出てきますよね。二人とも去年よりはちょっとダイエットできていたみたいですが、検査結果が送られてくるまでは、ちょっと心配です。
2023年03月18日
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今日は主人の誕生日でした。今年から厄年になる主人。病気にならないように、元気で長生きしてほしいです。それで、今年のケーキのイラストは、厄払いの高尾神社に参った時のお多福にしました。いつまでも元気で一緒にいてくださいね。義兄からは綺麗なお花が届きました。ありがとうございます。
2023年03月11日
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今日の我が家の夕食です。小さい女の子でも居れば、もっと可愛らしく・・・今でいうインスタ映えするような料理やデザートを頑張って作るのですが、年寄りばかりの我が家では、こんなもんです。(笑)ホントはひな祭りだとハマグリのお吸い物なんでしょうけど、スーパーに買いに行ったら、とてもとても高かったので、シジミとワカメの吸い物になりました。それでも義父母は喜んで食べてくれたので、良かったです。
2023年03月03日
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