草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に、現メ…
拈華微笑@ Re:久しぶりです、元気になりました(09/26) ずっと心配していました。 頭の手術の件は…
以前お会いした事の有る者@ Re:久しぶりです、元気になりました(09/26) 長い間、ブログが更新されず心配していま…
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2024.03.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日3月8日はインパール作戦が実行に移された日。1944年。

作戦はビルマ防衛のために敵の拠点を攻略するといった“攻撃防御や米国による蒋介石支援ルートを遮断してする目的、さらには大目的のインド独立運動支援。
牟田口廉也中将の強硬な主張により決行された作戦とされている。撤退時に特に多くの犠牲を出したことから、陸軍の大失策として常に非難を受けている。インド独立の大義を掲げて戦いを進めた部隊の忠烈は時が来れば正当な判断がされるのでは。少なくとも敵は現地人ではなく支配者たるイギリス。早くインドに向かってほしいとのチャンドラボースらの要請にこたえようとする焦りが先行しすぎたのであろうか。
 インド独立のヒーローは非暴力での戦いを貫いたガンジーといわれる。むろん素晴らしき人物で絶対的に尊敬するがしかし相手がそれなりに紳士の国とされていたイギリス。相手が協賛独裁国ソ連であったりやイスラム原理主義国だったとしたら非暴力不服従活動のガンジーがが殺害されないでおられたであろうか。日本の支援を受けて武力を背景にしてインド独立を目指したボースの方が評価GQ低いのが長く不思議であった。
しかしうウィキを見てみると、こうあった、
以下ウィキ引用
かつては「戦勝国史観」のもとで評価が低かったボースが再評価されるようになって共産独裁国党きている。ナレンドラ・モディ政権がボースとインド国民軍の功績を復権しようとしており、自由インド仮政府が一時期統治していたアンダマン諸島の一島を「ネタージ・スバス・チャンドラ・ボース島」(ネタージとは指導者という意味)と命名したり、インド門にボースの銅像が建てられ除幕式にモディが参列した。これはモディ政権が、中国などと対峙する現状の国際情勢を鑑みて、非武装のガンジーよりも、大英帝国と戦い続けたボースの方が、インドに相応しい歴史上の偉人であると判断しているとの指摘もある。ボースやインド国民軍の再評価が進むに従い、インド国民軍が日本軍と共に戦ったインパール作戦についても歴史の見直しが進んでいる。
 引用以上



 朝8時に三ヶ根に参拝。ご冥福を祈らせていただいた。
草取りや花壇の整備をなす。10時半に作業を終えて帰宅、来客を迎える。

 きょうは朝10時名古屋にて英語教育の研修会参加。終えて4月7日の草薙隊慰霊祭や29日の昭和の日講演会計画の立案をなし明日の岡崎会議に概略説明ができるように準備。





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Last updated  2024.03.09 05:43:01
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