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NHKの「名曲アルバム」で、大阪府民謡「淀川三十石船舟唄」を視聴しました。淀川をウィキペディアで見ると、次のように書かれています。---引用開始淀川(よどがわ)は、大阪湾に注ぐ日本の一級河川。滋賀県、京都府および大阪府を流れる淀川水系の本流である。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川(せたがわ)が宇治川(うじがわ)、淀川と名前を変える。流路延長75.1 km、流域面積8,240km2。なお、先述の流路延長は琵琶湖南端よりの延長であり、河口から最も遠い地点は滋賀県・福井県の分水嶺である栃ノ木峠であり、淀川の源の石碑が設置されている[1]。敦賀駅より北に位置するこの場所は琵琶湖へ流入する河川・高時川の水源地であり、そこからの河口までの直線距離は約130km、流路延長に換算すると約170kmとなる。---引用終了淀川ものがたり お船がきた日 [ 小林 豊 ]
2024/05/27
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時々、NHKプラスで「名曲アルバム」を視聴しています。今回視聴したのは、シベリウスの「組曲 カレリア」。この曲は、フィンランドの作曲家・シベリウス(1865~1957年)が、26歳時の新婚旅行で、カレリア地方に滞在した経験をもとに作られたそうです。カレリア地方は、風光明媚な地のようですが、地理的には微妙な位置にあるようです。以下は、カレリアに関する、ウィキペディアの記述です。---引用開始カレリア(英語: Karelia)は、フィンランドの南東部からロシアの北西部にかけて広がる森林と湖沼の多い地方の名前である。そこに住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。フィンランド、ロシア、スウェーデンにとって歴史的にも重要な地方である。---引用終了シベリウス:交響曲第2番,フィンランディア&カレリア組曲 [ シベリウス ]
2024/05/20
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NHKの「名曲アルバム」で、ブラームスの交響曲第1番を視聴しました。管弦楽は、東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は、大友直人。映像は、ドイツのバーデンバーデン。バーデンバーデンは、ドイツの温泉リゾート地。温泉地として整備されたのが18~19世紀とのことなので、ブラームス(1833~1897)がこの地で生活した時は、既に、温泉地として整備されていたことになります。ブラームスは、1865年から1874年の夏の間だけ、この地で生活したそうです。当時のブラームスの年齢は、32~41歳位になりますか。なぜ、この地を訪れたのかというと、この地に住んでいた、クララ・シューマン(1819~1896)に会うためのようです。クララ・シューマンは、1856年に夫(ロベルト・シューマン)を亡くし、この地に住んでいたようです。20世紀の巨匠シリーズ::ブラームス:交響曲第1番 大学祝典序曲 [ レナード・バーンスタイン ]
2024/05/13
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時々、NHKプラスで「名曲アルバム」を視聴しています。今回視聴したのは、メンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲 第1番」。メンデルスゾーン、どのような人物かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。---引用開始ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 - 1847年11月4日)は、ドイツ・ロマン派の作曲家、指揮者、ピアニスト、オルガニスト。---引用終了今回の「名曲アルバム」の映像は、ライプチヒです。ライプチヒは、旧東ドイツの都市では、ベルリンの次に大きい、2番目の都市になります。メンデルスゾーンとライプチヒの関係は、1835年に、メンデルスゾーンは、「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」の指揮者になっています。メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番&第2番 [ ヨーヨー・マ ]
2024/05/06
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短時間で、幅広く音楽を楽しむため、NHKプラスの「名曲アルバム」を、時々、視聴しています。今回は、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」モーツァルト。・(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団・(指揮)飯森範親 映像は、オーストリア・ザルツブルク、ウィーン。本曲は、セレナードに分類されています。モーツァルトが作曲したセレナードは、全部で13曲あり、その中で最も有名な曲が、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」になります。モーツァルト:セレナード第13番≪アイネ・クライネ・ナハトムジーク≫ セレナード第9番≪ポストホルン≫ [ カール・ベーム ]
2024/04/29
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時々、NHKプラスで「名曲アルバム」を聴いています。今回は、「ハンガリー舞曲 第5番 第6番」(ブラームス)。管弦楽は、東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は、田中良和。映像は、ハンガリー・ブダペスト今回聴いたのは、「ハンガリー舞曲 第5番 第6番」ですが、ブラームスのハンガリー舞曲は全部で21作品あるようです。作曲者のブラームスは、ウィキペディアに、次のように書かれています。---引用開始ヨハネス・ブラームス(独: Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共にドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風は概してロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。---引用終了ブラームス:ハンガリー舞曲集(全21曲) [ クラウディオ・アバド ]
2024/04/22
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NHKプラスの「名曲アルバム」の中から、「壇ノ浦~安徳天皇入水~」を聴いたので、記録しておきます。本作品の紹介記事には、次のように書かれています。---引用開始琵琶の演奏による、「壇ノ浦~安徳天皇入水~」。源平合戦のクライマックスとして名高い「壇ノ浦の戦い」を描く。一時は栄華を極めながらも、わずか数年で滅びることとなった平家一門。琵琶法師が語ったとされる彼らの悲劇が、美しい映像とともに現代の琵琶演奏者によって蘇る。今もなお平家ゆかりの地が多く残る山口県下関市を中心に、世界遺産・嚴島神社も贅沢にご紹介。▼栃木孝惟 作詞 坂田美子 作曲/演奏---引用終了そして、「壇ノ浦の戦い」は、1185年。総大将は、源義経(1159~1189)、平知盛(1152頃~1185)。平家物語【電子書籍】[ 林真理子 ]
2024/04/15
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フォスターの「ケンタッキーのわが家」を視聴。フォスターは37歳で早逝されていますが、ウィキペディアに次のように書かれています。---引用開始スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)は、ヘンリ・クレイ・ワークと並んで、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家。---引用終了本作は、フォスターがケンタッキー州のバーズタウンに滞在したことにより作られたそうだ。
2024/04/08
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最近、クラシック音楽を聴かなくなったので、NHKプラスで「名曲アルバム」を聴いてみることにしました。初回は、「ハンガリー狂詩曲 第2番」(リスト)。演奏は、NHK交響楽団。指揮は、手塚幸紀。映像は、ハンガリー・ホルトバージ作曲者のリストは、ウィキペディアに、次のように書かれています。---引用開始フランツ・リスト(独: Franz Liszt)、もしくはリスト・フェレンツ(ハンガリー語: Liszt Ferenc、1811年10月22日 - 1886年7月31日)は、ハンガリー王国出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活動したピアニスト、作曲家。---引用終了
2024/04/01
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ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ( 1901年11月22日 - 1999年7月6日)は、スペインの作曲家。幼児期に失明したにもかかわらず、芸術家として大成した。数々の作品を通じてクラシック・ギターの普及に功があったとされ、とりわけ《アランフエス協奏曲》はスペイン近代音楽ならびにギター協奏曲の嚆矢と看做されている。本人はピアニストであり、ギターは演奏しなかった。(ウィキペディアより)ロドリーゴは、長寿の方だったことを知った。昨日は、ロドリーゴの命日だったので、代表作というか、良く知られている曲である、『アランフエス協奏曲』の第2楽章を聴いてみた。
2012/07/06
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バッハの、カンタータ「お静かに、お喋りめさるな」BWV.211(コーヒー・カンタータ) ~ええ、コーヒーのおいしさったら、を聴いた。「コーヒー・カンタータ」というものである。訳されたものを読んでみたが、中々面白い。当時はコーヒーの流行の始まりという時期で、コーヒーの弊害を説く者もいたようだ。何やら、「コーヒー禁止令」なるものが20年位続いた国もあったようだが、そんなものを作っても、闇コーヒーが出回るのは明らかだろう。時代背景を調べると、これまた面白い。バッハのカンタータでは、こちらの日記にも書いた。
2012/06/22
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狂詩曲(きょうしきょく)またはラプソディー(英: rhapsody、独: Rhapsodie、仏: rhapsodie、伊: rapsodia)は、叙事的で民族的な内容を持つ自由な楽曲。(ウィキペディアより)シャブリエの狂詩曲『スペイン』を聴いた。この曲のことは、こちらの日記にも書いている。
2012/06/19
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ラッススの『ミサ「美しいアンフィトリット」 ~アニュス・デイ』を聴いた。 ラッススは、どのような人物かを、ウィキペディアで調べると、オルランドゥス・ラッスス(Orlandus Lassus:ラテン語形)(1532年 - 1594年6月14日 ミュンヘン)は、後期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家。と、バッハ以前の方であった。多くの作品を残しているが、そのうちミサ曲に関しては、ほぼ60曲が完全に現存する。そのほとんどが世俗音楽に基づくパロディ・ミサである。技術的には印象的だが、ラッソの全作品中でミサ曲は最も保守的な部分となっている。ラッソは常に、素材となった出典の曲(グレゴリオ聖歌同時代のマドリガーレまで)の様式を遵守するが、いつでも最後の筆勢まで表情豊かで敬虔な性格を失うことがない。(ウィキペディアより)パロディ・ミサというジャンルはわからないが、これ以上は調べず。
2012/06/14
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R.シュトラウスの『交響詩「英雄の生涯」Op.40 ~英雄』を聴いた。ウィキペディアによると、R.シュトラウスは、「リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864年6月11日 - 1949年9月8日)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家である。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、指揮者としても活躍した。ウィーンのヨハン・シュトラウス一族とは血縁関係はない。」交響詩という分野の作品を書かれている。今日聴いたのも交響詩だが、その交響詩とは、---ウィキペディアより引用開始---交響詩(こうきょうし)とは、管弦楽によって演奏される標題音楽のうち、作曲家によって交響詩(独:Sinfonische Dichtung、英:symphonic poem)と名付けられたものを言う。音詩(独:Tondichtung 英:tone poem)や交響幻想曲(英:symphonic fantasy)などと名付けられた楽曲も、交響詩として扱われることが多い。楽曲の形式は全く自由であり、原則として単一楽章で切れ目なく演奏されるが、中には多楽章制の交響詩も存在する。また、標題つきの交響曲の一部には、交響詩と名付けても差し支えないようなものがある。文学的、絵画的な内容と結びつけられることが多く、ロマン派を特徴づける管弦楽曲の形態である。---ウィキペディアより引用終了---
2012/06/11
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こちらの日記で、バッハの『無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009 ~第1曲 プレリュード』を聴いた、と書いた。今日は、その曲の第4曲 サラバンドを聴いた。そこで、サラバンドって何?との疑問発生。ウィキペディアを見ると、「6曲の組曲は、それぞれが前奏曲(プレリュード)で始まり、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(第3番・第4番はブーレ、第5番・第6番ではガヴォット)、ジーグの6曲構成となっている。」とのこと。バッハの無伴奏チェロ組曲は、全部で6曲あるそうだ。サラバンドは、その構成を表わす言葉であるとのこと。
2012/06/10
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パスピエ(仏語:passepied)は、17世紀から18世紀の古典舞曲。ブルターニュに起源を発し、17世紀にパリで大流行した。(ウィキペディアより)『管弦楽組曲第1番 ハ長調BWV.1066 ~パスピエ』(バッハ)を聴いた。バスピエという言葉の意味がわからなかったので、ウィキペディアで調べておいた。
2012/06/08
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バッハの『無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009 ~第1曲 プレリュード』を聴きながら思ったこと。無伴奏って何だ?ソナタと違うのか?ウィキペディアによると、無伴奏(むばんそう)とは、主として西洋音楽で用いられる用語で、通常伴奏を伴って演奏する単音楽器(ヴァイオリンなど、和音を演奏することもできるが単音で演奏するのを常態とする楽器を含む)や声楽が、演奏するさいに伴奏をともなわないこと、またはそのような楽曲のことである。例えば、「ヴァイオリンソナタ」という語は、直訳すれば「ヴァイオリンによる演奏(曲)」ということになるが、この語は通常、“ヴァイオリン+ピアノなどの鍵盤楽器”という編成の楽曲に用いられる。そこで、例えば完全にヴァイオリン一本だけによるソナタは、区別するために「無伴奏ヴァイオリンソナタ」と呼ぶ。とのこと。
2012/06/03
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ワーグナーの『タンホイザー』は、「一番被害を受けたはずの女性がその男性を命がけで救済するストーリー」であると、あるブログに書かれていた。あらすじを読むと、なるほどそういうものかなと。今日は、その『タンホイザー』より、大行進曲「歌の殿堂をたたえよう」を聴いてみた。
2012/05/31
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イサーク・アルベニスの『イベリア』より、第1集の港を聴いている。この曲、ウィキペディアには、次のように書かれている。---引用開始---イサーク・アルベニス最晩年のピアノ曲。1905年から1908年にかけて全12曲が作曲され、3曲1組で4巻に分けて出版された。アルベニスが病身をおして作曲に取り組んだ《イベリア》は、本質的には南スペインのアンダルシアの民俗音楽を喚起するものである。---引用終了---
2012/05/29
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1992年、オーストリアのチロル地方から驚くべきニュースが入ってきた。それはチロル地方シュタムス修道院(Stift Stams)の音楽蔵書の中から、1785年ごろ、当院の神父シュテファン・パルセッリ(Stefan Paluselli, 1748年-1805年)が写譜した『おもちゃの交響曲』の楽譜が発見されたのだ。そこには同じくチロル出身で、今日全く忘れ去られた作曲家エトムント・アンゲラーが1770年ころに作曲したと記されていた。(ウィキペディアより)おもちゃの交響曲を聴いた。この曲の作曲者は、ハイドン、レオポルト・モーツァルトなど、色々と言われているが、10年前の1992年に、新説が出ていたようである。それによると、真の作曲者は、アンゲラーであるとのこと。
2012/05/29
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ヘンデルは、1710年にドイツのハノーファー選帝侯の宮廷楽長に就いていたが、1712年以降、帰国命令に従わず外遊先のロンドンに定住していた。ところが、1714年にそのハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになる。そこでヘンデルが王との和解を図るため、1715年のテムズ川での王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが有名であるが、最近の研究では事実ではないと考えられている。以上、ウィキペディアより。ヘンデルの「水上の音楽」を時々聴くが、この曲の解説というか、作曲された当時の状況は知らなかった。
2012/05/26
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ハチャトゥリアンの『剣の舞』を聴いた。よく聞く曲だが、曲名を知らなかった。ウィキペディアには、次のように書かれている。『剣の舞』(つるぎのまい)は、1942年に作曲されたアラム・ハチャトゥリアンのバレエ『ガイーヌ』の最終幕で用いられる楽曲である。この楽曲は、クルド人が剣を持って舞う戦いの踊りを表している。
2012/05/24
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グリンカの歌劇 《ルスランとリュドミラ》 序曲を聴いた。ウィキペディアに、次のように書かれている。ルスランとリュドミラ』は、ミハイル・グリンカが1837年から1842年にかけて作曲したメルヘン・オペラである。5幕8場からなり、序曲は有名でしばしば単独で演奏される。メルヘン・オペラというのは、初めて聴く言葉である。
2012/05/22
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東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-の動画が視聴できる。今日は、この中から、アミーチ弦楽四重奏団の演奏を聴いてみた。弦楽四重奏の楽器の構成は、第1ヴァイオリン第2ヴァイオリンヴィオラチェロ一見すると、ヴィオラとヴァイオリンの外見は同じように見える。どこが違うのか?ちょっと調べておこう。ウィキペディアによると、ヴィオラは、「ヴァイオリンとほぼ同じ構造であるが、低い音を出すために全体が大きくなっていて、特に厚みが増している。ヴァイオリン同様、顎に挟んで演奏する。」聴いた曲目は、ベートーヴェンの「弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 op.18-3」
2012/05/17
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2011年11月30日の日記を読み返すと、モンテヴェルディのマドリガーレ集 第7巻 「星の光に照らされて 」を聴いたことを書いていた。昨日は、モンテヴェルディの誕生日だったので、マドリガーレ集より2曲聴いた。聴いたのは、マドリガーレ集 第1巻 ~私の生命を愛してもマドリガーレ集 第1巻 ~あなたを得るためにである。クラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ(1567年5月15日洗礼 - 1643年11月29日)。マドリガーレというのは、オペラの基になったものという位置づけがなされているようだ。
2012/05/15
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東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-の動画が視聴できる。今日は、「ゴルトベルク変奏曲 ト長調 BWV 988(弦楽五重奏編曲版)」を聴いてみた。弦楽五重奏というのは、・第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスという楽器の構成になるようだ。また、「ゴルトベルクとは、バッハも世話になったカイザーリンク伯爵に仕えた年若いクラヴィーア奏者の名である。当時、不眠症に陥っていた伯爵は、気晴らしの一曲をバッハに依頼し、それをゴルトベルクに弾かせたという。」とのこと。
2012/05/15
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トマソ・アントニオ・ヴィターリ(Tomaso Antonio Vitali、1663年3月7日 ボローニャ? - 1745年5月9日 モデナ)は、イタリアのヴァイオリニストにして作曲家。父も有名な音楽家ジョヴァンニ・バティスタ・ヴィターリ(Giovanni Battista Vitali)である。(ウィキペディアより)昨日は、ヴィターリの命日だった。そこで、シャコンヌ(ト短調)を聴いてみた。ただ、現在のシャコンヌは、19世紀のヴァイオリン奏者ダーヴィトによって編曲されているようだ。
2012/05/10
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フォーレの『夢のあとで』を聴いた。ウィキペディアによると、歌曲集『3つの歌』Op.7の第1曲。ロマン・ビュシーヌによるイタリア詩からの訳詩による作品。フォーレの歌曲中最も有名な作品。様々な編曲で演奏される。 とのこと。フォーレについては、こちらにも書いている。
2012/04/28
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レスピーギの「ローマの松」の第1部 ボルゲーゼ荘の松を聴いた。「ローマの松」は、・第1部 ボルゲーゼ荘の松・第2部 カタコンブ付近の松 ・第3部 ジャニコロの松・第4部 アッピア街道の松で成り立っている。また、ローマ三部作とは、・ローマの松・ローマの噴水 ・ローマの祭り
2012/04/17
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ジョルジュ・オーリック(Georges Auric, 1899年2月15日 - 1983年7月23日)は、フランスの作曲家。「フランス六人組」の一人として、また映画音楽の大家として知られる。(ウィイペディアより)さらに、ウィキペディアによると、代表的な映画音楽に、『自由を我等に』(1931年)、『美女と野獣(1946年)、『赤い風車(ムーラン・ルージュ)』(1952年、主題曲が非常に有名)、『ローマの休日』(1953年)、『恐怖の報酬』(Le Salaire de la Peur, 1955年)、『男の争い』(Rififi, 1956年)、『悲しみよこんにちは』(1958年)、『テレーズとイザベル』(1968年)。今日は、ムーラン・ルージュの主題曲を聴いてみた。
2012/04/14
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ブラジル風バッハ(葡語:Bachianas Brasileiras)は、エイトル・ヴィラ=ロボスの代表作。楽器編成や演奏形態の異なる9つの楽曲を集成した曲集ないしは組曲で、個々の作品の成立年代も1930年から1945年までと様々である。(ウィキペディアより)2011年11月18日の日記に、エイトル・ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ 第1番」の序奏を聴いたと書いていた。今日は、同じ1番のフーガを聴いてみた。このブラジル風バッハは、9番まであるようだ。
2012/04/06
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1798年、ベートーベンはピアノソナタ第8番「悲愴」を作曲します。ベートーベンは自分が作った曲に、ほとんどタイトルをつけていませんが、ピアノソナタ第8番の「悲愴」は、ベートーベンが自ら標題を考えた、数少ない作品です。(見つけて無断借用 m(__)m)ベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章を聴いた。買物などの用事を終え、紅茶を楽しんでいる午後4時前である。こういう時に、気持ちが休まる良い曲である。
2012/04/02
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ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strau? II),全名はヨハン・バプティスト・シュトラウス(Johann Baptist Strau?, 1825年10月25日 - 1899年6月3日)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家/指揮者/ヴァイオリニスト。ヨハン・シュトラウス1世の長男。弟には、次男のヨーゼフ・シュトラウスと三男のエドゥアルト・シュトラウスがいる。生涯の多くを、ウィンナワルツの作曲に捧げ、「ワルツ王」と評される。(ウィキペディアより)ヨハン・シュトラウス2世の「春の声」を聴いた。ウキウキしてくる曲である。
2012/03/31
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ガブリエル・ユルバン・フォーレ(Gabriel Urbain Faur?, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)はフランスの作曲家である。甘美で官能的な旋律と宗教的な崇高さを合わせ持つ作風で、『レクイエム』はとくに名高い。(ウィキペディアより)今日は、フォーレの「舟歌」第12番変ホ長調を聴いた。フォーレは、13曲の舟歌を作ったようだ。
2012/03/30
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組曲『グランド・キャニオン』(Grand Canyon Suite )は、ファーディ・グローフェが作曲した管弦楽曲。グローフェの代表作の1つである。『大峡谷』と訳されることもあるが、アメリカのグランド・キャニオンを描いた楽曲である。(ウィキペディアより)グローフェが作曲した、組曲グランド・キャニオンを聴いた。グローフェは、1892年3月27日生まれ。昨日が誕生日だったので、それにちなんでの選曲である。構成は、第1曲 日の出 (アンダンティーノ)第2曲 赤い砂漠 (レント)第3曲 山道を行く (アンダンティーノ・モデラート-アレグレット・ポコ・モッソ) 第4曲 日没 (モデラート-アダージョ) 第5曲 豪雨 (ラルゴ-アレグロ・モデラート)
2012/03/28
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ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。また歌詞やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。(ウィキペディアより)ドビュッシーの「アナカプリの丘」というピアノ曲を聴いた。じっくり聴いたのは初めてだが、CDにもそれなりに収められているようだ。
2012/03/27
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マリア・テレジア・フォン・パラディス(Maria Theresa von Paradies or Paradis, 1759年5月15日 ウィーン - 1824年2月1日)は、オーストリアの音楽家(ピアニスト、歌手 )、作曲家。若い時に失明した。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調』はパラディスのために書かれたと言われている。(ウィキペディアより)パラディスのシチリアーノを聴いた。パラディスを知らなかったので、調べてみると、28歳で亡くなったようである。しかも、若い時に失明したとのこと。
2012/03/25
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エルネスト・ショーソン(ショソン、Ernest Chausson, 1855年1月20日 - 1899年6月10日)はフランスの作曲家。はじめは法律を学んでいたが、24歳でパリ音楽院に入り、マスネに作曲を学ぶ。1886年にサン=サーンスが組織したフランス国民音楽協会に参加した。自転車事故により44歳で死去。交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野での作曲を手がけた。41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと管弦楽のための「詩曲 」が群を抜いて有名だが、「交響曲 変ロ長調 」や「愛と海の詩」も頻度は少ないものの演奏機会がある。(ウィキペディアより)ショーソンの「愛と海の詩」より水の花を聴いたので、調べておいた。
2012/03/23
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華麗なる円舞曲(かれいなるえんぶきょく)作品34は、フレデリック・ショパンのピアノ独奏曲集で、3曲からなるワルツ集である。ショパン初期の作品であり、華麗で演奏効果も高い。第1、2曲は1831年に、第3曲は1838年に作曲された。いずれも4分の3拍子である。(ウィキペディアより)------------------------------------------------------------ショパンの華麗なる円舞曲の第3曲を聴いた。「猫のワルツ」とも言われており、スタニスラフ・ブーニンの来日時に高速で演奏されたそうだ。
2012/03/21
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ヴィヴァルディのRV623「野に歌え、泉にほほえめ」を聴いた。ヴィヴァルディというと、四季を聴く機会はあるが、その他の曲は知らないというのも珍しくない。私もそうである。実際には、作品数は未完、紛失、偽作の作品を含めると約700曲以上にも及ぶそうだ。作品の分類は、RV番号というのを用いているようだ。
2012/03/20
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すすり泣くような旋律、中間部終わりの、激しく突き上げる慟哭のようなクライマックスで知られる。アメリカでこの曲が有名になったのはジョン・F・ケネディの葬儀で使用されてからである。 そのため、訃報や、葬送などでの定番曲として使われるようになったために、バーバーは 「葬式のために作った曲ではない」と不満を述べている。日本でも昭和天皇の崩御の際にNHK交響楽団がこの曲を演奏し放映した(他の曲目:バッハ「アリア」、ブラームス「交響曲第4番」)。 また「プラトーン」など映画やテレビドラマで使われることも多い。(ウィキペディアより)バーバーの「弦楽のためのアダージョ Op.11」を聴いた。ウキペディアによると、サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910年3月9日 - 1981年1月23日)は、米国の作曲家。特に弦楽のためのアダージョが有名。
2012/03/10
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彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。(ウィキペディアより)上記は、ベルリオーズの『幻想交響曲』の第4楽章「断頭台への行進」の解説である。ベルリオーズの命日は、1869年3月8日。昨日が命日だったようだ。今日は、この曲を聴いてみた。
2012/03/09
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ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854年11月6日 - 1932年3月6日)はアメリカの作曲家、指揮者。100曲を越える行進曲を作曲したことから、マーチ王と呼ばれる。またオペレッタも多く作曲した。(ウィキペディアより)スーザは、昨日が命日である。今日は、スーザの行進曲「雷神」を聴いてみた。
2012/03/07
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ジョゼフ=モーリス(モリス)・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel 発音例, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)はバレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケストレーションでよく知られたフランスの作曲家。バスク系フランス人。(ウィキペディアより)ラヴェルは、明日が誕生日である。今日は、ラヴェルの作品を聴いた。聴いたのは、組曲「マ・メール・ロワ」より「美女と野獣との対話」。
2012/03/05
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元来はバロック期後半に用いられた古楽器のひとつである。1720年頃ドイツで発明されたと考えられ、主に当時のドイツ音楽で使用された。特にヨハン・ゼバスティアン・バッハが好んで用いたことで知られ、『ミサ曲 ロ短調』BWV232、『マタイ受難曲』BWV244や、多数の教会カンタータ作品の伴奏、オブリガートにおいて重要な役割を担っている。また、テレマンもこの楽器のための協奏曲などを多く残している。18世紀後半頃には人気が衰え、古典派期以後長く忘れられていたが、近代になってモダン・オーボエの技術を応用して再興され、バッハなどの演奏に使われるようになった。(ウィキペディアより)これは、オーボエ・ダモーレという楽器について書かれたもの。今日は、バッハの「オーボエ・ダモーレ協奏曲 ニ長調 BWV1053」の第1楽章を聴いた。
2012/03/03
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トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tom?s Luis de Victoria, 1548年 アビラ - 1611年8月20日)は黄金世紀スペインの生んだルネサンス音楽最大の作曲家の一人。16世紀スペインの作曲家では最も有名であり、多くの人からパレストリーナに次ぐポリフォニックな教会音楽の大家と見なされている。(ウィキペディアより)アヴェ・マリアという名の曲はいっぱいある。今日は、ビクトリアの曲を聴いてみた。落ち着いた感じの良い曲である。
2012/03/03
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ウィキペディアによると、ボロディンは、1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日)はロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。2月27日はボロディンの命日だったので、それにちなんで、「ダッタン人の踊り」を聴いてみた。「ダッタン人の踊り」は、ウィキペデイアには、次のように書かれている。1869年には、歌劇《イーゴリ公》に着手、これはボロディンの最も重要な作品と看做されており、しばしば単独で演奏される。おそらく最も有名なボロディン作品となっている「ポロヴェツ人の踊り(だったん人の踊り)」と「ポロヴェツ人の行進(だったん人の行進)」は、《イーゴリ公》が出典である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかった・・・
2012/02/29
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エルガーの「愛のあいさつ」を聴いた。ちょっと調べておく。ウィキペディアによると、「サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar、1857年6月2日 - 1934年2月23日)は、イギリスの作曲家・指揮者。もとは音楽教師でありヴァイオリニストでもあった。」昨日が、命日だったようだ。「1889年にピアノの教え子だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚。婚約に際しアリスのために作曲した「愛の挨拶」はのちに広く知られるようになる。」今日聴いた「愛のあいさつ」は、こういう経緯で作られた曲のようだ。
2012/02/24
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ジョアキーノ・ロッシーニ(本名はジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ Gioachino Antonio Rossini, 1792年2月29日 - 1868年11月13日)は、イタリアの作曲家。美食家としても知られる。『セビリアの理髪師』や『ウィリアム・テル』などのオペラ作曲家として最もよく知られているが、宗教曲や室内楽曲なども手がけている。彼の作品は当時の大衆やショパンなど同時代の音楽家に非常に人気があった。(ウィキペディアより)今日は、ロッシーニのオペラから、「おいらは町のなんでも屋」を聴いた。この曲、フィギュアスケートの曲として取り入れた方もいるようだ。
2012/02/21
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http://plaza.rakuten.co.jp/seiyan36/diary/201111300004/↑の過去日記でも書いたが、また「グリーンスリーヴスによる幻想曲」を聴いた。今日は、 ヴォーン=ウィリアムズを調べておく。以下は、ウィキペディアより引用。レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872年10月12日-1958年8月26日) は、イギリスの作曲家である。Vaughan Williams が姓であり、RVW または VW と略される。Ralph は通常「ラルフ」と読むが、本人が古風な発音の「レイフ」にこだわったという経緯から「レイフ」が用いられる。グロスターシャー州ダウンアンプニーに生まれる。ロンドンの王立音楽大学で作曲を学び、在学中にホルストと知り合い親交を深める。民謡の採集や教会音楽の研究を通して独特の作風を確立し、イギリス人による音楽の復興の礎を築いた。イギリスの田園風景を彷彿とさせる牧歌的な作風は、広くイギリス国民に愛されている。日本では『惑星』で知られるホルストに比べて知名度が低いが、欧米ではホルストより高く評価されている。生涯に9つの交響曲を遺し、また、イングランドの民謡を題材にした作品も多い。生涯にわたってシベリウスを尊敬していたといわれ、第5交響曲はシベリウスに贈呈している。
2012/02/18
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