高速道路が整備されているから,行けるところまで行くのが第一.行けるところまで行ったつもりでも,同じように効率的に出口まで通り着いている人がたくさんいる.そこから頭角を現すのは,更なる努力が必要だ.つまり誰だって少し気の利いた人なら「相当のところまでは行ける」ってことだ.思い起こせば僕が学生の時代だって,予備校全盛期で受験対策はかなりの精度で整備されていた.真面目に一日10時間,一年間受験勉強すれば,大抵の受験範囲はカバーできる仕組み(=高速道路)がすでにあった.また子供の通うスイミングスクールだって,50年昔なら日本記録並の記録を小学生が平気で出していく.これは泳ぎ方が研究され,温水プールが普及し,栄養状態が良くなって体格が向上したなどの「高速道路」の成果だ.でも偏差値ランクの高い大学に行ったって(=高速道路の出口),それで人生を勝ち切れる訳ではない.小学生で昔の日本記録と並んでも,水泳で生きていけることはおろか,将来インターハイにだって出れるとは限らない.高速道路は誰にだって解放されているから,要するに全体のレベルが上がってしまったってことだ.梅田さんの本で言われているインターネットの普及も,今でこそ使いこなしているのは少数かも知れないが,近い将来は当たり前の高速道路でもない一般道路になってしまうだろう.
ではどうしたらいいかってことだが,梅田さんは「高速道路を抜けてさらに高みを目指していくか」,もう一つの選択肢として,誰も踏み入れたことのない「けものみち」に入っていくことだと言う.そしてまだルールも定められていない「けものみち」で必要になるのは,様々な能力をかき集めた「総合力みたいなもの」である.
彼の議論で面白いのは,「大抵のの人は中途半端な能力しか持ってない」,「だからその中途半端な能力を寄せ集めてなんとか生きていこうよ」というメッセージが殆どすべての人に発せられていることだ.たぶんこのメッセージを感じたことで,僕は読後に「それを言っちゃあおしまいよ」って思ったのだろう.高速道路を知らなければ話にならないかもしれない,一方で「高速道路」を抜けても食えるようにはならない,そして高みに登ることを諦めて「けものみち」に入ったとしても,それはそれでルールが定まらない場所で「中途半端な能力の寄せ集めで戦うしかない」とということだ.「総合力で戦う」と言えば格好いいけれど,つまりは中途半端な能力を寄せ集めるってことなのだ.そして意義深いのは,それが何もいわゆる中途半端な一般人だけに言えることではなくて,相当のエリート層とも思える人だって,やっぱり同じ悩みを抱えていることを告白に近い形で示唆していることだろう.
これって言わずもがなだけど,中小企業経営にはまさしく当てはまる.高速道路をひとりで走っているつもりでも実はちょっと真面目な企業ならみんなやっていることだ.そして高速道路を知らなければ話にならないことも同じ.「けものみち」に降りたところで,「総合力」の名の下で中途半端な能力をなんとかやりくりしながら,手探りで自分なりの食える道を切り開かないといけないこともその通り.まあ中小企業経営者,必読の本ってことですね.
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