せんだって日記

せんだって日記

2005.01.23
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 せんだってから、似てる似てるなんか似てると気になっていたが、さっきエウレカ。
バス釣り とブッ飛ばしマン(by家田荘子)が似てるんだ。
 ゲームフィッシングだの自然との会話を楽しむだの、いっぱしの趣味ツラをしているが、バカが女の子を車に引っ張り込み輪姦して山中に捨ててくるのと質的に似ている。
 「アイツラだって喜んでたぜケケケ」という感じも似てる。

 せんだっての日記を書いてからしばらく気になって某巨大ちゃんねるを見ていたのだが、バス釣りの魅力は「引きの強さ」と「魚を持って帰らなくてもいい気軽さ」が大きいようだ。ほかにもバカ魚との駆け引きや道具のコレクション性もあるようだが、バス釣り特有の要素となると、結局は手応えと手軽さというところに収束する。快感原則そのものだ。そりゃ面白そうだわい。いやはや、似てる。

 オオクチバスが特定外来生物に指定されるに至り、釣る行為やリリース自体は禁止にならないとはいえ、バス釣り愛好家の間では先細り必至の高尚な趣味となりそうだって判断が、まあ冷静なところらしい。カジュアルレイパー、いや、カジュアルアングラーが離れて釣り具市場が縮小、金が落ちることで協力的だった自治体も叩きに転ずるであろう見通し。なるほど。
 エキセントリックな反応では、外来種ならニジマスも、フィッシュイーターなら鯉も鯰も雷魚もニジマスも、全部やれ(指定せよ)なんていう意見もあった。多かった。いつだってバカは多い。煮ても焼いても喰えない害魚であることもそうだろうが、バスをとりまく人々のマナーの悪さもまた今回の指定の遠因のはずだ。ウチから盗んだ船外機を返して欲しい。

 見識あるバス釣りマンの間では数年前から懸念されていた特定外来生物リスト入り。決して晴天の霹靂では無かったはずだ。

 これはなにかといえば、既得権益を守ろうとする反応だ。
 いままで楽しんでいたオモチャ(手応えのいい活魚)をボクタチから奪わないで! だ。

 論点は、密放流、環境問題、ボート屋や地元ショップ、在来種の個体数減少は本当にバスだけの問題か、漁協へのバス補助金、コンクリートと金、環境省のスタンドプレイ、土建か釣り具か漁協か、など、裏表含めて茹だっている。
 ピーク時にバス釣り人口300万人、1000億円のマーケットという数字を鵜呑みにするとして、近ごろめっきり衰退傾向にあったバス釣りが本格的に「終わったもの」になった場合、どんくらいの失業者が出るかはわからんし、それはそれで厄介で調整の難しい話ではある。

 議論百出だが、これらはすべて後知恵言い訳言い逃れだ。
 日本の水域にバスがいた方が具合がよろしいのは、金銭や権益の面だけで、魚を弄びたいという欲求を主張しながら大威張りでいいかっこしーな理由にはならない。

 彼らの根本にあるのは、バスを釣り続けたいという強い気持ちである。

 ここ数日の暇つぶしの中で、「バスの駆除」という話題に対して「バスがかわいそうだ」というバカが極まったような感情論が存在することがわかった。
 リリースされすぎて、口の周りがグズグズになっているような30inchバスを、なお再び釣りあげてリリースしたいと願う彼らの心情に「バスを殺すのはかわいそう」という感情があるのだ。60へぇ。
 もう、殺してやれよ。

 命を軽んずるにもほどがある。



 西洋発のスポーツには、実はこのような意識が根底にある。
 東洋の、たとえば武道は殺人目的の究極目標があり、競技化されても「殺す相手への尊敬」という根っこが残るのと異なり、西洋スポーツは、ナチュラルなものを人間が征服するというテーマを抱えている。
 競技としてのルールも「自然法×成文法」のような二項対立の切り口を持つことができるくらいに、両者の精神はかけ離れている。
 ましてやバス釣りは「狩り」カテゴリーに入るスポーツだ。スポーツとしての「狩り」は、人間様が自然を相手に殺傷や嬲りを楽しむ性質のものである。

 話は飛んで、狩りと狩猟、というかなんというか。

 生き物を殺すのは、ザ・悪いことである。
 だから、食べ物を残すのは良くないし、食べる以上に殺したり、食べもしないのに無駄に殺したりってのは悪いことだって話になる。無駄に殺して、あとで食べたい時に獲物がいないってことになったら、腹が減るのは自分だし。ほら、アメリカバイソンとか、カリブ海の海牛とか、アメリカ捕鯨とか。せめて喰えよ。
 人を殺しちゃいけません、ってのはこの理屈の延長上にあったはずだ。
 輪廻を信じる信じないの問題ではなく、これはたぶんあたりまえの考えのはずだが、私なんかかぶれてますか?

 ガキが昆虫をオモチャにして殺してしまうのは間違いなく悪さであり、悪さする当人もそのことを薄々自覚している。悪さを悪さとして行い、背徳感と罪悪感を覚えている。背徳は気持ちいい。悪さだから。

 バス釣りは、自然とかスポーツとか、なんかコクのないペラペラな概念だけで罪悪感を隠している。
 カルマだらけの悪行だと自覚していない。
 むしろ、いいことをしてると、善行を成していると、そんなふうに思っているようでさえある。
 かわいそうに背徳の快感を知らずにいる。
 そういうふうな仕組みになっている、と言ってもいいが、それではあんまりにアングラーの知能程度が低いことになってしまう。
 虫取りのガキ以下だなんて、彼らは認めてくれないよ。

 バスは46億年もの間、ウチんとこの生態系の構成要素としては存在していなかった明らかな外来種であり、侵入した時点で環境破壊と言って過言。人の意識はとっくに変わってしまった。魚をレイプして遊ぶ人間が300万人だ。「すでに生態系に組み込まれ安定したじゃないか」というバカがいたが、たった数十年で安定ってなんだよ。
 バス関係の産業・権益もまた、本来は要らないもの、無駄で余分な金のサイクル経路といえる。
 喰いもしない魚を釣り上げてはリリースというマッチポンプで無限回廊で虚ろな産業構造などエッシャーの階段絵バブルバブル。もともと騙し絵だったと思えば消えて当然だ。

 私とて無益な殺生は大好きであり、ほかにもそういった数多くの矛盾を背負って生きている。
 誰かをなにかを弄ぶくらいなら、殺す/殺されるくらいの覚悟または願望も、人並みにある。
 セコいバスバカとは欲望も覚悟も、量が違うのだ。

 そういう意味で、ムシキングに一喜一憂する子供に寒さを感じるっていうか、そんなことより、ウチから盗んだ船外機を返せ。犯人が自然を愛するアングラーなのはわかってるんだ。





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最終更新日  2005.01.26 01:10:10
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