せんだって日記

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2007.02.02
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 せんだって、見事に『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス GC版』を終えた私だ。
 実は私、Wiiを欲しいとは思っていない。
 いまのところ、WiiはあのWiiリモコンをメインにしたソフトが多く、なんていうかひとりではさみしい。ワリオはもちろんWiiスポーツなどは、アレ、パーティグッズである。ふたり以上で遊んで最大のポテンシャルを発揮する遊具だろう。

 ずいぶんせんだっての話になるが、Wiiのコマーシャルをテレビでばんばん流してた時に、感動したことがある。
 Wiiリモコンの動きに効果音をかぶせたものなんだが、Wiiの楽しさって「見立て」なんだ! という、強い主帳を感じたのである。

 あのリモコンが短めの棒状のカタチをしている理由がよくわかったじゃないか。
 バット、ラケット、ゴルフクラブ、銃、釣り竿、ボーリングの玉、シャンパンボトル、筆、フライパン、手綱、ハンドル。なんにでも見立てることができる。フライパンはすげえ。
 酒席の冗談では、『ぼくはAV男優』というゲームが欲しい、という企画案も出た。出すな。

 フランスの思想家ロジェ・カイヨワは、遊びを四種類に分類した。

・アレア(偶然)
・ミミクリ(模倣)
・イリンクス(めまい)

 Wiiリモコンはミミクリを入り口に、眩暈と競争と偶然の幸運を楽しむようにできている。
 これってすごいことなんですよ。

 「見立て」というのは日本独特の感覚で、このへん、ゲームをバーチャルだから悪いみたいな言い草で毛嫌いしている右翼民族派のオヤジたちに突っ込みたいことなんだけど、Wiiはその日本独特の文化の上に乗っかった、伝統に連続した遊具なんである。
 落語の所作で、手拭いを財布や帳面に見立てたり、扇子を箸や筆に見立てたりしますわな。
 枯山水の庭や築山のある庭園なんてのも、川や富士山に見立てているわけ。
 茶道、盆栽、日本画、歌舞伎も見立てを抜きには語れない。
 見立てを解釈するのには、文化的な積み重ねが必要で、そういう意味でWiiがプロデュースする楽しさは、オヤジの好きな伝統文化と直結している。
 ざまあみろ、と言おう。ざまあみろ。






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最終更新日  2007.03.03 22:39:16
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