戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年05月11日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
光珍寺所蔵だった、弘法大師作といわれる愛染明王様は現存しませんが、
前の記事の仏壇の写真を見てください、
右脇にあるのが、明王様の写真です。

この明王様については、仏像にありがちな遍歴の話が伝わってます。



もとは山城の国白河のさとまる堂にあったが、応仁の頃に
美作の安国寺の住職が上洛した折、同伴の童の口を借りて

「我はさとまる堂の護法神である~。
戦火が仏殿にかかっちゃったので、本尊を泥の中に隠したのじゃ~。
汝は速やかに本尊を本国へ移して、清水で洗うべし~。
きれいにしてくれて一生懸命祈れば、願いを叶えてやってもよいぞ~。」

てなお告げがあったので、その像を探し当てて美作に持ち帰った。

その後、今度は宇喜多直家の夢に

「我は愛染明王である~。
備前こそ我のいるべき場所なのじゃ~。」


と明王様ご自身が現れたので、直家は光珍寺の本尊として祀った。


因幡の観音堂へ移したが、そこの住職の夢に明王様がまた現れて、

「備前へ帰りたいのじゃ・・・・」

と何度も何度もおっしゃるので、ご住職自らお送り申し上げたそうな。


このエピソードは、「柴岡山露月光珍寺本尊愛染明王略縁起」
(正徳元年、弘化二年写)に記されているそうだが、面白いのは、

 【今に至て諸願を祈るに、かなへ給はば浄水を以てきよめ奉んとて、
  杓の底なきを奉り、其願成就するとき、その底を入て奉る事、
  なをこの因縁によれり、これ則大悲の方便、さつたの利物なるもの歟。】

とあること。

底のないひしゃく!!
諏訪大社・赤間ヶ関に続いて、これで私が知ってるのは3つめだ。
(知らない方は、 「赤間ヶ関編(14)」

意外とポピュラーなグッズなのかしらね。

でも光珍寺のは、「願いが叶ったら底を入れてあげる」だから、
一種の取引だよな(笑)。




愛染明王様をはじめとする、光珍寺所蔵の宇喜多家ゆかりの品々は


  一. 宇喜多一族の位牌
  二. 宇喜多直家公木像
  三. 宇喜多直家公護持仏 愛染明王像
  四. 宇喜多秀家卿寺領米寄進の折紙(豊臣秀家の黒印)
  五. 宇喜多秀家卿「南無阿弥陀仏」名号一筆
  (光珍寺の資料より)


これらの貴重な品が、先の戦争での空襲により寺とともに焼失。

光珍寺の現代風な外観は、戦後再建されたものだからなんですね。
ちなみに光珍寺でもらった資料には、かつての本堂の写真も載ってた。

かつての光珍寺



かつての光珍寺2

どうです、立派なもんでしょお~!!
「岡山城」シリーズでも書いたけど、岡山空襲で岡山城も燃えちゃったしね・・・
くそっっ



さて、前の記事の写真の通り、ここにあるのはお位牌だけです。
直家の墓についても、光珍寺でもらった資料にこんな事が書いてありました。

 【「宇喜多直家公のお墓はどこにありますか?」というお問い合わせが
  多々あります。

  先代住職夫妻から、「戦前、光珍寺の庭に桃山時代の五輪塔があり、
  昭和初期、当時の住職が認めれば直家公のお墓として指定するという話があったのを、
  確証がないので断った」という話を聞きましたが、この石塔は戦災により
  行方不明となっております。

  しかし、大正三年編纂の「岡山磨屋町誌」、昭和七年編纂の「宇喜多直家墳墓考」、
  昭和十一年編纂の「岡山市史」にはこの五輪塔について記載がありません。

  直家公のお墓については諸説がありますが、いずれも確証はなく、
  わからないというのが真相のようです。(位牌は光珍寺にあります)】

墓も戦災か・・・
まったくもう



それでは、宇喜多コーナーに所狭しと並べられてるグッズをご紹介。

岡山・光珍寺6

↑親切にスタンプ台まで置いてあったので、押させていただきました。


岡山・光珍寺8

↑おっと、これは美人だと有名なひでくんのママか~。


岡山・光珍寺9

↑すんごい家紋・武将グッズの数々・・・
仏壇にも、いくつもミニのぼりが立ってたしね(笑)。


岡山・光珍寺11

これ・・・は何だろう?
「宇喜多直家公像」として有名なのは、確か戦災か何かで
焼失したんじゃなかったっけ?

あらたに造って、寄贈したのかな?

さらに驚いたのは、コレ~!!

光珍寺のお供え2

主にビジュアル系武将本の数々・・・
中には、同人誌みたいのもある。
中身を見てはいないけど、おそらくBL(ボーイズラブの略、一昔前で言う「やおい」、
もっと昔風に言えば衆道)も含まれてるんじゃないかな・・・

なんて柔軟なお寺なんだ!!


でも、基本的に光珍寺の姿勢には私は賛成なんだ。
歴史を伝えていくためには、知名度ってのはやはり不可欠。

ゲームとかグッズとかは、わかりやすく手っ取り早く、かつ身近に
名前を知って親しんでいくためのとても有効な手段だし、
私はアリだと思ってる。

私もミーハーだけど、そういう人達が実際に現地に訪れて
墓参りでもすればもちろん直接の供養になるし、現地でお金を使ってってくれれば
史跡保存の役にも立つ。

とにかく埋もれさせていかないこと、これが大事だし
供養になると私は思うんだよね。



しっかし、これだけの数の宇喜多グッズをよく集めたな・・・
と思ったら、2ちゃんねるでこれに関する記事を見つけた。

なんでも、直家の命日にはご住職が一人で細々と法要を続けていたらしいのだが、
2008年に宇喜多ファンの女性2人がやってきて、
「チョコをお供えしてもいいですか?」と言ったので、
ご住職は申し出を快諾。

それに感激した2人がネットで報告したため、
年々参拝者が増え、全国から関連グッズなどが送られてくるようになったらしい。

なるほど、じゃあこのグッズの山は、送られてきたものを
ご住職が丁寧に仏前に奉納してるって事なのか。

「いい供養になる」とご住職もおっしゃっておられるそうだから、
やっぱり私と同じ考えの方なんだね。


グッズとかゲームとかマンガとかの類には眉をひそめる方もおられるけど、
例えば三村氏なんかいい例だと思うんだよね。

支城をいくつも持つ備中の覇者なのに、
知ってるのはごく一部の歴史ファンだけ・・・

でもそんな埋もれている氏族は、歴史の中にごまんといる。
なんて悲しいことだろう

「知ってどうなる」って考え方もあるけど、
知らなきゃ何も始まらないじゃん?


おきゃやまから帰って、職場に土産を配った時、
この辺りの出身の同僚から「どこ行ったの?」って色々聞かれた。

その会話の中で、「池田の殿様が・・・」って普通に言ってたから、
やっぱり地元では池田の方が馴染みがあるんだな~って思ったんだよね。
統治期間、長いしね。

そんな中で、近年の宇喜多氏の再評価の動きが出てきて、
観光面では思ってた以上に宇喜多カラーを打ち出してたから、
静かに宇喜多家を祀ってきた光珍寺としても、やっぱり嬉しかったんだろうな~
って思ったワケですよ・・・


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最終更新日  2012年05月11日 21時44分08秒
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