戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2016年08月27日
XML
カテゴリ: 城(東北・関東)
ケンペル:
  平山常陳事件が落着した翌月には、長崎で教会関係者らが一斉に処刑された。


りり:
  「元和の大殉教」といわれるやつですね。
  この時に火刑・斬首となった者は55名で、宣教師だけじゃなく、
  彼らをかくまった女子供まで処刑されたとか・・・


ツュンベリー:
  一斉に大人数が処刑されたことや、ヨーロッパにもこの報がもたらされたことから
  「日本二十六聖人」の処刑と並んで有名なものだけど、キリシタンの処刑は
  太閤の時代から行われていたよ。


り:キリシタンの歴史もまた色々あって、後半で少し触れようかと思ってはいますが、
  元和の大殉教までにも前段階があった訳ですよね。


レフィスゾーン:
  それはそうだよ。禁令が出されてからも果敢に布教する宣教師もいたしね。
  幕府も宣教師を捕らえては投獄したりしてキリシタンの取り締まりを強化していたけど、
  平山常陳事件をきっかけに堪忍袋の緒が切れたってとこだろう。
  長崎奉行の長谷川権六は前回話したように宣教師をかばったので、
  自身にもキリシタンの疑いがかけられて、その疑いを返上するために
  弾圧に積極的に乗り出したといわれているよ。

り:「鎖国」を形成する重要側面のひとつであるキリシタン禁制も、
  ここで大きく動き出した訳だ。
  そして、別のファクターである朱印船についても動き出すんですね。


ズーフ:
  そうだな・・・
  前回、お前が言っていたように、日本人は朱印状を掲げて海外に買い付けに出ていた。
  これは権現様が定めたものだったが、ヨーロッパ人の東南アジア進出によって
  色々とトラブルが起こるようになった。
  ヨーロッパ船によって拿捕されたり、朱印船を利用して宣教師が日本に潜入しようとしたり。
  幕府は高官が朱印船貿易を行うことを禁じていたが、実際にはひそかに出資していた。
  そういう裏事情があるので、ひとたび朱印船がトラブルに巻き込まれれば
  問題も大きくなったし、我々ヨーロッパ人への風当たりも強くなった。
  ・・・まあ、色々な意味で平山常陳事件がいい例と言えるな。

り:大坂の陣も終わって名実ともに天下平定に至ったとはいっても、
  まだ前時代の記憶が鮮明な時期だから、譜代であろうと個人に経済力を持たせるのは
  危険だという考えだったのかな。


ズ:我々としては、何としても中国に足がかりが欲しかった。
  平戸の商館長はスペックスからレオナルド・カンプスに代わっていたが、
  平山常陳らが処刑された同じ頃にカンプスが書いた報告書によると、
  ポルトガル人の日本貿易は十分な成績を示し、利益は100につき
  50より少ないことはなく、たいがい75を挙げていたと言い、
  マカオは以前は寒煙荒涼の地だったのが、この称賛すべき甘すぎる利益により
  富める町となった。
  それゆえに、新たに有効で利益のある他の国土を探し、土着し、商業を行おうとするほど
  ポルトガル人やスペイン人は馬鹿ではないと考えられるといい、

 【彼らは如何に日本において侮辱されても、如何に多数の人々が不法に生命を失い、
  なお毎日殺されても、アンドレ・ペッソアのガレオン(大船)が皇帝(将軍)の命令により
  兵力をもって攻撃せられ、長崎の前で沈没しても、我々のために海上で危険を冒しても、
  日本を捨てて他へ行きかねるのである。ガレオンでは危難不幸多しとし、小さなガリオット
  (小舟)をもって代えた。すべてこれらは甘い利益が奴隷的のくびきの下に彼らの肩を
  屈せしめたのでなければ、世界統一を志せる賢明高慢な国民の耐え得ざる所であろう。】

  と分析している。 


ツ:甘い利益は人を狂わせるからねえ。
  我々がヨーロッパ人の中で日本貿易を独占してからも、命をかけて密貿易を
  行う人間もいたしな。


り:カンプスの報告書はまだ各国が競合してた時期のものだから、内容的にはかなり
  生々しさがプンプンしてますけど、甘いあま~い蜜を持つ、日本という名の小さな花に
  強欲な虫たちが群がってる光景が目に浮かびますね。


レ:虫?・・・って、私たちのこと?

り:当時の状況を端的に表すいい表現だと自負してますけど、何か?

レ:・・・・しくしく・・・・・・・・

ケ:日本人は世界を二分していたスペインとポルトガルを完全に追い出し、
  次に覇者に躍り出た我々オランダをも日本国内では厳格に管理下においた。
  その厳しい日本人の血を、お前も確かに受け継いでいると実感するよ。


り:まあ、視点を変えればこれも痛快な話じゃ~ありませんか。
  世界の覇者たちが揃いも揃って、極東の小さな島の強権にあらがえなかったんだから。


ツ:そして今も、ジジイの凶暴性にあらがえない・・・

金仁謙:
  いちいち相手にするな。女々しいぞ。


申維翰:
  さっきの話に出てきたあんどれナントカとは何だ?


り:朱印船に出資していた中には九州の大名などもいて、有馬晴信が出した朱印船の船員が
  マカオでひと悶着を起こしたので、当時マカオの総司令官だったアンドレ・ペッソアが
  鎮圧して日本人が多数死傷したそうです。
  その翌年、ペッソアが事件の申し開きなどのために来日したんですが、
  色々といざこざがあって、大した成果も得られないうちに、有馬晴信らが
  ペッソアと船の捕獲をイエアスに嘆願し、イエアスもGOサインを出しました。
  それでペッソアに召喚の命令が伝えられたものの、ペッソアは召喚に応じず
  出国の準備を始めたので、有馬晴信らによってペッソアのガレオン船の
  マードレ・デ・デウス号を襲撃してペッソアは自殺、船は炎上したという事件です。
  もっとも、一般的には船名は「マードレ・デ・デウス号」の方が有名ですけど、
  ポルトガル側の史料では「ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号」とあるらしいですね。


ズ:この事件のあと、ポルトガル船は2年来航しなかった。
  高慢な国民にしては、ポルトガル人は貿易面や宗教面でうまく日本に入り込んで
  長く日本との交流を深めていたとは思うが、随所でちらりとのぞかせる高慢な態度が
  自らの首を絞めていったと言えるだろう。


り:その言葉を額面通り受け取れば、ポルトガル人は自滅して日本貿易の道を閉ざしたって
  想像しちゃうけど、ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号を攻めればポルトガルとの貿易が
  ストップすると懸念したイエアスに対し、
 「ダイジョーブ、我々がちゃんと生糸を運んできますから、
  大御所様は心おきなくポルトガル船を攻めちゃってクダサイ
  とスペイン人がそそのかしたって話もありますよ。


ズ:それはスペイン人の悪事だろう。
  我々には関係ない。

り:さっきの虫のたとえで言えば、長らく甘い蜜を独り占めしてポルトガル虫は
  大きく成長したけど、あとから蜜の花を見つけた小さなスペイン虫・オランダ虫・
  イギリス虫が蜜の独占を目論んであの手この手で大きなポルトガル虫を花から
  引き離そうとやっきになってる虫たちのサバイバル状態ってカンジだよな。
  カンプスだって、例の報告書の中で「神これを与えよ」とポルトガルに取って代わる
  欲望を堂々と述べてるんだから、今さら気取ることないじゃないですか。
  さて、さっきの中国方面でのサバイバルに話を戻しましょうか。


ズ:権現様が亡くなった年、我々とイギリス人は貿易を平戸に限定された。
  どこでも好きに入港して交易してよいという当初の朱印状よりも自由が狭められた訳だが、
  それでも主要な輸入品であった生糸のルートを我々が押さえることができれば、
  その不自由さも挽回できる。
  まずはポルトガルの拠点を奪えば奴らに打撃を加え、奴らがこれまで享受してきた利益を
  そのまま我々が手に入れることができる。
  しかし、これだけでは生糸のルートをすべて押さえたことにはならない。
  日本人は朱印船を出して、マカオのほかマニラやコーチシナなど様々な場所で
  生糸の買い付けをしていたからだ。
  だが、マカオを手に入れれば東アジアにおける日本人の朱印船貿易はみずからやむだろうと
  カンプスは考えていたらしい。
  そうなれば、我々こそが日本貿易を独占できる。

  カンプスが先の報告書を執筆したのは、その夢の実現に向けてバタビアがすでに
  動きを始めていた真っ最中だった。


り:時の総督は 「(6)」 でも出てきたイケイケのクーンですね。
  カンプスは好戦的な総督の軍事行為を理詰めでバックアップする文章を書いたのか。


ズ:1622年3月、クーンはライエルセン率いる艦隊を派遣した。
  ターゲットはもちろんマカオだ。
  そして6月に攻撃を開始したが、さすがにポルトガル人の抵抗は激しく、
  死傷者130人を出した。
  そこで一旦退いて、タイオワン近くの澎湖島の南西部に城を築き始めたが、
  中国の福州総督がこれを危険視して船隊を送って妨害しようとしたので、
  福州船隊との間に武力衝突が起こった。


ケ:中国人も我々を快く思っていなかったからな。

ズ:それで、福州総督との間に戦闘と外交交渉を重ねた結果、翌年我々は澎湖島対岸の
  タイオワンに移ることになった。


申:オランダ人の拠点がわずかに東にずれだだけではないか。

レ:福州総督が言うには、澎湖島はシナの領土である。もしオランダ人が澎湖島を出て
  タイオワンに移るならば、船を出して交易しようということだったんですよ。


り:ほお?これは興味深い。
  現代では台湾北東の尖閣諸島をめぐって日中間にトラブルがある・・・
  つか、中国が一方的に尖閣諸島は歴史的にも中国の領土だ、てなことを
  主張してるだけなんですが、少なくとも1620年代前半の時点では
  澎湖島までは中国の領土だけど、そのすぐ東の台湾は領外だから、
  オランダ人は台湾まで退けって言ったって意味ですよね?
  台湾が領外なら、さらにその北東にある尖閣諸島なんて外国もいいとこじゃないですか。


ツ:へ~、今はそんな話になってるのか。
  中国も面白いこと言い出すな。


り:今の中国はかつての「中華」を取り戻そうとして、周辺諸国の多大なヒンシュクを
  買ってますよ。
  あれだけ国土が広いんだから、その上ちっぽけな日本の領土を削ろうなんて
  セコい考えやめればいいのに・・・
  中国人の強欲さは、オランダ人と十二分に張り合えますね。


ズ:(無視)我々と福州総督との意見はなかなか折り合わなかった。
  そういう中、ライエルセンは辞職して後任のマルチヌス・ソンクが澎湖島に着いてみると、
  多数の中国兵がいて、我々の少数の守備隊ではとうてい抵抗しうる見込みがないので、
  ソンクは引き上げてタイオワンに移ることにした。
  そして1624年、タイオワンにオラニエ城を築いた。
  オラニエ城はのちにゼーランディア城と名を変える。


り:台湾には私は行ったことないけど、地図で見ると結構大きな島ですよね。
  ただ、ここでいうタイオワンは台湾本島南部の安平(アンピン:台南市)のことで、
  「台湾」の名の由来には諸説あるみたいだけど、ひとつの説として
  オランダ人が安平に入植して周辺にもその勢力が及んだので、タイオワンが台湾に
  なったという話もあるようです。


ツ:ポルトガル船が初めて台湾沖を航海した時、あまりの美しさに「美しい島」という意味の
  「イル・フォルモサ」と呼んだとも言われているよ。
  ポルトガル人の地図には大きな3つの島が描かれていて、南の島をレケオ・ペケノ、
  中の島をイル・フォルモサと呼んでいたらしい。


り:北の島は?

ツ:北の島には名前が描かれていないんだ。

り:ふ~ん。
  ゼーランディア城跡は現在では「安平古堡」として史跡公園化していて、
  ゼーランディア城の遺構は今ではだいぶ少なくなってるみたいですけど、
  城を描いた絵や19世紀後半の朽ちた城跡を写した古写真を見ると、
  かなり立派な要塞だったようですね。


ケ:そうか、朽ちたのか・・・

り:あ、すいません。
  要塞を最終的に綺麗に破壊したのは、日本軍らしいです。
  でも会社がバタビアから運んで築いた城壁が一部保存されているみたいですよ。
  ちょっとゼーランディア城(跡)を見に台湾に行きたくなっちゃったな。


ツ: タイオワン付近の海は荒れる
  お前も海に投げ出されないようにしろよ。


り:船なんかで行きませんよ。
  今はぴゅ~んとお空を飛んでいくんです。
  ソウルまで確か2時間ぐらいだったから、2時間半ぐらいで着くかな?


金:空を、飛ぶ、だと?
  何を馬鹿なことを・・・


申:倭人は虚言・妄言が多いからな。
  どれだけ年月が経っても、倭人の性向は変わっていないと見える。



※今回の主な参考文献
『日本大王国史』(カロン原著、幸田成友訳著/平凡社東洋文庫90)
『平戸オランダ商館日記 近世外交の確立』(永積洋子/講談社学術文庫)

『日欧通交史』 (幸田成友/岩波書店)


とウィキペディア。



にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年11月26日 18時10分40秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: