戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2016年11月18日
XML
カテゴリ: 江戸めぐり
雷門をくぐると、まずはずらっと長屋状に長く軒をつらねる仲見世がお出迎え。

浅草・浅草寺16


写真に写っているだけではなく、裏手にも店が並んでいて現在は89店舗あるとのこと。

「仲見世」の名称の由来は、雷門前の広小路とこの先にある仁王門との間に
あったからだといい、元禄の頃、花川戸の住民に境内の清掃と引き換えに
営業を認めたものが始まりだとされる・・・
が、たぶんそれ以前から小さな屋台とかの類は周辺に集まって営業してただろうと
思うんだよね。
古くから人気の浅草寺だもの。

個人的には推測します。

明治維新の折にはさすがの浅草寺も寺領の没収は免れえず、
仲見世は一旦立ち退きを命じられたあとで明治らしい赤レンガの洋風なものにリニューアル。
が、関東大震災や戦災などでも被害を受け、その後復興。
商売人のしぶとさ・・・あやや、たくましさを物語る仲見世の歴史ですが、
まだ7時を過ぎたばかりのこの時間はどこの店も開いていない。

店が開いてたら開いてたで色々見たくもなるだろうから、
時間のない今回はこれでいいのだけど、江戸期の 人々の娯楽の場でもあった寺
雰囲気を味わうには店が開いてる時間帯の方が望ましいだろうな。

とはいえ、休日のオフィス街だとか普段人通りの多い場所が閑散としている中を

人が多ければイラつくのは目に見えてるし。
それに、浅草寺仲見世には店が開いてる時には見られないものがある。

浅草・浅草寺17


浅草・浅草寺18


店舗のシャッターに描かれたこれは、平成元年にあの平山郁夫氏の指導によるグループが

「いかにも江戸!」ってカンジの絵だけではなく、鎌倉期を思わせるような
風雅な絵もあるので、人の少ない静かな門前街で絵を眺めながら歩くのもオツなもの。

仲見世をずっと進んでいくと、左手に道がのびている↓。

浅草・浅草寺20


ここには今も下馬札が立っている。
馬でお越しの方はここで下馬してください。
ここはそのまま正面へ進みます。

伝法院通りは浅草寺の本坊・伝法院の敷地の南側に沿った通りで、
敷地の東側は本堂へ向かう参道に面している。
そこには浅草寺の歴史を語る文章や絵が並んでいた。

浅草寺創建や檜前(ひのくま)氏については簡単に 「将軍たちの宝(7)」 で書いてますので
ここでは解説の全文を紹介はしませんが、絵の方は少しご紹介していきましょう。


浅草・浅草寺21


ガラスケース入りの絵なので、ガラスに映った後ろの建物も写りこんじゃってますが、
これが浅草寺ができる以前の浅草を描いた場面。
奥の方に広がっているのは今はなき千束池かな。

この辺は今ではただの平地だけど若干の土地の起伏もあったらしく、
水没することを免れた7つの小山が水面から顔を出している。
そういう場所には古墳があり、浅草寺本堂裏手の熊谷稲荷の塚から出土したという石棺が
現在も伝法院に保存されている。
浅草寺のホームページでは、境内域から石棺が出土したことについて

 【浅草寺のご本尊さまご示現以前において、浅草の地に有力な豪族が住んでいたことを
  示している。】
  (伝法院のページより)

としている。
さて、そういう古い歴史を持つ浅草でヒノクマ兄弟が観音様を曳き上げる↓。

浅草・浅草寺22


個人的には、上記リンク先で紹介した塩見氏の創建についての推測もアリだと思うけどね。
というより、その方が現実的だろうと思う。
もちろん寺伝にケチをつける訳じゃないけど、浅草寺サイドでも
檜前兄弟&土師中知の伝承以外にも

 【そうした縁起とは別に、十人の童子がアカザという草で御堂を建てたという
  伝承もあった。】
  (現地解説板より)

という文章を加えているし、十童子が草庵を作っている絵も並べてある↓。

浅草・浅草寺23


絵の右下にちょこんと座っている坊さんが土師中知(はじのなかとも)ね。

「無事故(645)で終わった大化の改新」の年に浅草寺を訪れて
観音様を秘仏と定めた勝海(しょうかい)上人がいかなる人だったのかはわからない。
でもまあ、公的な仏教伝来より100年ほど経ってるとはいえ
まだまだ日本仏教の草創期ともいえる時期のことだから、
日本では「○○宗」というような明確な区分はなかった頃かもな。

ちなみに、645年は仏法興隆の詔が布告されて、国家として仏法を奉じることが
定められた年。
浅草寺は国家仏教とほぼ同じ長い年月を歩んできた古いふる~いお寺でございます。

さて、「将軍たちの宝」で浅草寺の歴史に触れる以前に
わたくしは寛永寺シリーズで浅草寺に親近感を持ちました。

現在の浅草寺は「聖観音宗」の大本山。
これは昭和25年からで、じゃあその前はというと天台宗なんだな。
「上野第二編(16)」 でイエアスが入府した頃に菩提寺と祈祷寺の選定についての
『落穂集』の話を紹介しましたが、浅草寺が天台宗だったことを知って
自称・大乗なら天台!!のわたくしは急に浅草寺をぐっと身近に感じるようになりました。

戦後になって天台から独立して聖観音宗を打ちたてた訳だけど、
ぶっちゃけそんなものどーだっていいです。
天台の歴史の方が長いし、わたくしの中では今でも浅草寺は天台宗です(勝手に・・・)。

そもそもが何宗だったのかもわからないし、はっきりナントカ宗から天台宗へ
改宗したと言っていいのか、いつ名実ともに天台宗となったのかなど
詳しいことはよくわからんのだけど、少なくともこの時点からは天台宗寺院と言えるでしょう↓。

浅草・浅草寺24


天台座主第3代の慈覚大師円仁さんの登場です。
円仁さんが座主となる頃の話については 「叡山攻め(81)」 でも少し触れてますが、
叡山のトップという立場にあった円仁さんが訪れたという寺はかなり多い。
それだけで1冊の本ができてしまうほど多い。

CIMG8530


記事はまだアップしてませんが、「叡山攻め」の後、再び叡山に行きましてね。
「叡山攻め」の時はオフシーズンで泣く泣く下界に宿を取りましたが、
再訪した時は念願の宿坊に泊まってきました。
荷物を送る手配をしてチェックアウトしようとした時、「あっ、ちょっと待って」と言って
奥に引っ込んだ延暦寺会館のおじさんが戻ってきた時手にしていたのがこの本。
これを気前よくタダでくれるというので、

「えっ!いいですよ、そんな・・・
てか、これどこにあったんですか?」


「いや、なんかあったから・・・
こういうの、好きかなと思って」


「好きですよ~、大好き!!
うわあ、いいんですかあ~


・・・とちゃっかりもらってきたので今わたくしの手許にあるワケですが、
チェックインの時わたくしはぶりぶり怒っていてチョ~態度悪かったので、
おじさんはカンジの悪い客をなだめようと色々勧めたりしてくれた。
ので、これもその一環だろう・・・

手に入れたい方はこちら↓。

【楽天ブックスならいつでも送料無料】慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼

と、それはともかく、この本の表紙には「ゆかりの550社寺」とある。
550だってよ!!
国内だけでもゆかりの地といわれる場所は沢山あるのに、
その他唐にも渡って沢山の苦労をしてきてるんだから、
強靭な肉体と精神力、それと運がなければこれほどの伝承は生まれ得ません。

で、その円仁さんは浅草寺で何をしたかとゆーと、絵の中で光輝く仏像を彫ってますね。
勝海上人が観音様を秘仏と定めた後に浅草寺を訪れた円仁さんは、
もうお目にかかれなくなった観音様の御前立(おまえたち)を彫ったとされます。
もっとも、現在ではその御前立も秘仏化しているようなんだけど、
1年に1回、年末の煤払いの翌日の法要の時だけは御開帳となるんだそうな。

いくら御利益のあるありがたい観音様とはいえ、まったくそのお姿が拝めないんじゃ
参拝した善男善女もテンション下がる。
パンピーにはやはりビジュアルに訴えるものが必要だと考えたのか、
「柳の御影」という観音様のお姿を彫った版木も円仁さんが作ったとされる。

そのほか、円仁さんが将来したという伝承を持つ仏具も数点伝えられているんだそうな。
これは写真で見ると密教法具のようで、円仁さんが持ち込んだものでなかったにせよ
確かに浅草寺が天台宗として歩んだ歴史のかほりを匂わせている。

そういう事蹟を遺した円仁さんは、浅草寺において中興開山とされる。
現地での解説板ではこのあたりを

 【版木が作られたことは、参詣者が増えてきたことを物語るのだろう。】

としているけど、わざわざ中興の開山として今でも尊崇しているんだから、
観音様が秘仏とされてしまったことによって一時は客足も遠のいていたのを、
庶民向けの施策を円仁さんが打ち出したことで再び呼び戻して
その後の発展の基礎を築いた、という風に考えることもできると思う。

さて、円仁さんより100年近く後になると、また強い味方が登場する。

浅草・浅草寺25


 【平公雅(きんまさ)堂塔伽藍を建立

  平安時代中期、天慶5年(942)安房の国守であった平公雅は京に帰る途次、
  浅草寺に参拝した。その折、次は武蔵の国守に任ぜられるように祈願した処、
  その願いがかなったことから、そのお礼に堂塔伽藍を再建し、田地数百町を
  寄進したと伝える。その伽藍に法華堂と常行堂の二堂があったことから、
  浅草寺が天台宗の法の流れに属していたことが知られる。】
  (現地解説板より)

平氏の簡単な略図については 「将軍たちの宝(9)」 などでも載せていますが、
その系図には書かなかったものの平の姓を賜った高望王の子に良兼という人がいて、
良兼の子が公雅。
つまり、平将門のいとこにあたる方のようです。

ウィキペディアによると、公雅さんが安房守となったのは将門の乱のあとのことで、
乱によって浅草寺も荒廃していたのだという。
ウィキではさらに

 【天慶8年(945)の3月18日に公雅の枕元に観音様が立ち「この沖合に生ずる青、赤、
  黒三通りの海草を食すれば、無病開運、来世は必ず仏果を得べし。」 と告げたので、
  教えの通りにそれらの海草を集めて食してみたところ、非常に美味しくて体にも
  良いことから「観音様の法(のり、教え)だから『浅草のり』だ」と評判になったという
  伝説も知られている。】

という愉快な伝承も紹介している。

いや、浅草海苔はともかく、ここはやはり公雅さんが再建した中に
法華堂と常行堂があったというのが目をひくよな。
寺院の規模にもよるんだろうけど、天台宗ではこの2つのお堂はセットになってるからね。
「叡山攻め(111)」 やその次あたり参照)

浅草寺のホームページには年中行事の一覧も載ってるんだけど、
正月の修正会(しゅうしょうえ)に始まり、中興開山である円仁さんの命日には
「慈覚大師忌」の法要が行われ、日本天台宗開祖の最澄の命日には
叡山と同じく法華八講が行われ、10月には「十夜会」として常行三昧があり、
中国天台宗開祖の天台大師・智ギ(ちぎ)の命日には「霜月会」として
これまた法華八講が行われるんだそうな。
「叡山攻め(62)」 などなども参照)

しかも、これまでまったく知らなかったけど、1月3日の元三の日には・・・
長らくの読者様にはもうおわかりですね。
元三(慈恵)大師・良源さんの命日であるこの日は、ぬわんと浅草寺でも
良源さんの徳を讃える「元三会」の法会を行うんだそうな!!

これ、過去の話じゃなく現代の話です。
ちょっとネットで検索してみると、
『浅草寺って天台宗なの?法要のスタイルも天台宗と同じなんだけど』
なんてのが見つかるので、聖観音宗独自の法要も当然あるものの、
古くから引き継がれてきた法要などは天台宗形式で行われているようです。

円仁さんは中興の開山だからまだわかるとして、智ギや最澄、
さらには良源さんの法要まで聖観音宗本山寺院が行っている・・・
その上ホームページでは、「円仁さま」「最澄さま」「天台大師さま」と表記している。
もちろん、わたくしの良源さんも「良源さま」となってます。

延暦寺会館のおじさんにもらった本には、

 【(浅草寺の)境内で円仁を見かけるのは、宝蔵門の手前、浅草寺幼稚園を過ぎた
  参道左手にある絵説きの浅草寺縁起ぐらいだろう。】

とある。
確かに、ハード面ではそうかもしれない。
でもソフト面をちょいと覗けば、今でも天台カラーがムンムンしている。

浅草寺の宗派なんかどうでもいい?
ま~、たいていの人はそうでしょうよ。
でもわたくしにはテンションがチョモランマよりも高くなる重要事項なのだ
ああ、浅草寺の元三会ってどんなだろ・・・
でも浅草寺の元三会は伝法院でやるらしく、普段伝法院は一般公開していないので
元三会も見られない可能性のが高そうだな

そういえば、寛永寺の元三会にもまだ行ってないんだっけ。
今年は行こうかと思ってたんだけど、すぐ後の連休のお出かけの準備で忙しかったから
行くのをやめたんだよな。

叡山横川の元三会も狙ってはいるんだけど、前回横川を訪れた時はちょうど
四季講堂で良源さんのバースデーパーティーが行われる前日でね。
「叡山攻め」の時と同じく参拝客はいなかったけど、翌日の準備で大わらわなのが
門をくぐった直後からわかった。
普段は静かな四季講堂が、ご住職らしきお坊さんまで総出でワイワイやっている・・・
もうまともな参拝すらできないような状態で、良源さんを愛してやまないわたくしですから
重要な法要だってのは十二分にわかってはいるんだけど、
やっぱイベント嫌いだ~と心の中でぶつくさつぶやいたのも事実。
時間が経った今となっては、もはやそれも懐かしい記憶ですが。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年11月18日 21時14分22秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: