大体3分の2は猿の如く

大体3分の2は猿の如く

2008/10/28
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カテゴリ: 一時の気の迷い



別に、今のままずっと続くとは思っていない。
誰かが言ったように、「この世は移り変わっていくことが常」だから。

例えば、俺が今まで考えた事なんて、どうせ塵一つほどの価値もない。
でも、遠い昔にまだ小さいときに思い描いた絵空事は
やはり、その時の俺にとっての価値なき物だったろうか。

いや、違う。

きっとそんなものなのだろうとさえ思う。
人の思う事なんて、大概その程度のものであって、それ以上もない。

今の俺みたいに、頭から否定をするようになったのはいつからだったか。

それは考えても考えても、やっぱり分かる物ではないし、そういうものでもない。
ある種、これは俺の中での自己防衛なんだろうか。


そう思う俺は、まだ、幸せだとか恋だの愛だの、感情的な
それでいて、周囲によってやたらと持ち上げられているこの感情たちを。
理解できていない、いやもはや理解することすら永久に叶わぬかも知れない。

それでも、どこかで大事な人に感じる感情を
これは愛だ、恋だ、一緒に居ることが幸せなんだと。
最初に前提づけて、決めてかかっている。そんな俺がいる。

理解できないからこそ、そう決めるのか?

はたまた理解したくないから故に、そう決めるのか?


ただ、そうやってやっていることに意味を持たせるのは必要だと思う。

傷ついた人を救うには「助けたいから」とさえ思えばいい。
じゃあ、大事な人が傷ついたときには?

無論、助けることが当然だ。
そこに感情はない、かといって義務でもない。


お前は何を考えている?と、たまに訊かれるが。
俺自身、そこまで考えて行動できているわけがない。
ただその時、俺以外の人々に不快を与えぬよう動いているだけだ。

要は、俺の行動理念の中に俺は無い。

あってはいけないのだ、邪魔だから。
何故って、自身の持つ葛藤とか、躊躇とか動くのに邪魔だろう?
なら、俺が俺でなければいいだけの話。
しかし端から見た場合、俺は俺でなくてはならない。

そうしないと、俺が俺でなくなってしまうから。
俺でない俺が、誰かを救おうとしてもそれはひたすらな影で。
しかし、その影が実体を持つとき、俺は俺であることを許される。


だから。

俺は俺であるという証明のために。
自らの力の及ぶ限り、大事な人を救い続けるとしよう。
今はイカロスでも、何時の日か、純白の翼で飛び立つことを願って。





了。





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最終更新日  2008/10/29 01:12:23 AM
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