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All We Need Negicco!   Without a Doubt!
2022.10.14
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カテゴリ: 読書

明治期(明治 31 年〜明治 43 年)に嶽間村(のち鹿北町、現在は山鹿市)で村長をしていた浦田健吾氏( 1858-1945 ) の伝記的な本。1999年 西田書店。
ISBN4-88866-295-9

子息の誠道氏 (1895-1989 )が生前書き溜めていた原稿を誠道氏の子息、つまり健吾氏の孫である乾道氏が書籍にまとめたもの。

私の祖先も嶽間村出身でその中の一つの集落(多久? ) で明治ごろまで庄屋だか村役だかをしていたと聞いていたので、何かしらの言及があるかと思い購入。なお、嶽間に小学校が出来た際には祖先が敷地を提供したと聞いている。祖先は火事で家産を無くしたことを機に嶽間を離村したと聞いている(古い戸籍によれば曽祖父は幼少期に叔父である本家の養子に入っているが、生家は明治 37 年に対馬厳原に渡っている)が、嶽間で墓の管理をしてくださっている遠縁の方とその方がお亡くなりになる近年まで交流が続いていたようである。なので、 1999 年にこの本が出たこと自体はその当時父や祖母も知っていたように記憶している。

健吾氏は幼少期から儒学・漢学を学んでおり、また著者の誠道氏も戦前に弁護士(たいへんな難関)となるぐらい学識豊かな方なので、全体的に表現が堅く、現代に生きる私からするとかなり難しい言葉・表現もよく使われている。

一方で歴史的な事柄についてはインターネットの無い時代調べるのも大変だったのか、あるいは著作当時はまだ幕末・明治期についてのまとまった本もあまりなかったのか、初歩的な部分での間違いがちらほら見受けられる。

例えば、氏が明治最初期に仕えた宗村斜川の地位が熊本藩『大属』とあり、著者の氏はこれを旧制の家老と書いているが、当時家老クラスは『大参事』であり大属はその下の小参事のさらに下の地位である。現代であれば課長級ぐらいであろうか?

話は嶽間村や熊本城下で過ごした幼少期、教員、玄洋社と関わりの強い九州改進党、営林署等の職員として九州内を転居した青年期を経て、嶽間村長として中年期を過ごし、給与の少なさから明治の終わりに新天地朝鮮へと渡り、子息が医者として開業していた北九州で晩年を過ごしたようだ。(最晩年は疎開により山鹿の石村)

購入当初、嶽間時代に関する部分しか目を通しておらず、我が家関連の名前は全く出てこないな、と思っていたのだが、手持ちの本を通して読んでは捨てるという身辺整理を行ってる最中、朝鮮在住時のエピソードの中( p.194 )に曽祖父の兄の名前が出てきたので驚いた。

談合事件で裁判所に提出する陳述書を締め切りギリギリに曽祖父の兄が清書し、裁判所の垣を超えて宿直をたたきおこして提出したというくだりがあった。

曽祖父の兄は年齢的に子息誠道氏と同世代( 1 2 学年上か、この当時は飛び級もあったであろうからわからないが)なので、同郷の嘉もあり健吾氏のもとで書生のようなことをしていたのかもしれない。

曽祖父の兄は書が達者だったと聞いていたし、数年前曾祖父母の仏壇を祖母の妹に譲る際の運び出しに駆り出された際、仏壇の隙間から曾祖父の兄によるなかなか達筆な板書を見たのでそういう依頼もあったのかもなと思った。

ただ、曽祖父の兄は嶽間を離れた後戦前は満州で暮らしていたと聞いていたので、朝鮮に足跡を残していたのが意外だった。このことは私の父も知らなかったそうだ。

曽祖父の兄は明治 27 年(西暦 1894 年)の生まれ。その世代の人としては長命な方で、私が幼少期の頃既に 90 ほどであった。立田山の麓に住んでいるとかで私とほぼ同年代の父の従兄弟たちからは『タツタのおじいさん』と呼ばれていた。曽祖母や祖母、父は◯さんと名前で呼んでいたように思う。たまに義妹に当たる私の曽祖母・姪にあたる祖母を訪ねてきており、私も幼少期に何度かお会いしたことがあった。白い髭を蓄え仙人然としている方であったように記憶しているが、さて実際はどうだったか。亡くなる直前まで非常に元気で 90 を超えてなおアイススケートを嗜むぐらいだったそうだが、百寿を前に、 97 98 で亡くなったように記憶している。

思わぬ形でタツタのおじいさんのことを思い出すことができた。とてもありがたいことだった。

今回古い戸籍の写しを整理していたところ、曽祖父兄弟の母(私の高祖母)の旧姓が浦田であったことがわかった。地縁はもちろん、あるいは遠縁であったのかもしれない。






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Last updated  2022.10.14 12:42:04
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