SF拡張の原理
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キング読んで改めて気づいたのが無駄なことをたくさん書いていること。1行で済むことを5行ぐらい使って書く。例えば↓こんな具合。ボビーはハーウィッチ・ウエスタン・オートのショーウィンドウに飾られた車輪26インチのシュウィン製自転車に首っ丈になっていた。ボビーは自分が知っているあらゆる方法で、この自転車のことを母親にほのめかしつづけ、遂にある晩ふたりで映画を見に行った帰り道で、母親に自転車を指差して教えた(ちなみに見てきた映画は階段の上の暗闇。ボビーには筋立てがさっぱり理解できなかったが、ドロシー・マクガイアが椅子に身を投げ出すようにすわった拍子に、すらりとした足をあらわにしたシーンは気に入った)。↑ここなど、普通の作家は↓こんな風に書くだろう。ボビーは自転車屋のショーウィンドウに飾られた車輪26インチの自転車に首っ丈になっていた。ボビーはある晩、母親に自転車を指差して教えた。↑これで十分だろう。自転車のブランド、母親に自転車をねだったとき映画を見に行ったことやその映画の内容など、全く不要な情報である。下手な作家がキングのように書いたら冗長になるだけで、ただのページ稼ぎにしか見えないはず。この「余計な情報による水増し」がキングの個性であり、なおかつ、キングの人気の源。固有名詞の選び方、膨らませ方が巧妙で、それ自体が興味を引き、臨場感を高めている。上記のシーンでは自転車を具体化、固有名詞化することで想定読者である平均的アメリカ人の共有記憶を刺激し、ノスタルジアを高めるのだろう。映画についても同様だ。共感性を高める手段として、平均的アメリカ人の共有記憶を刺激するためのディテール詰め込み。日本人作家が同じことをしたらどうなるか。例えばこんなふう↓啓祐はサイクルベースあさひのショーウィンドウに飾られた車輪26インチのブリジストン製自転車に首っ丈になっていた。啓祐は自分が知っているあらゆる方法で、この自転車のことを母親にほのめかしつづけ、遂にある晩ふたりで映画を見に行った帰り道で、母親に自転車を指差して教えた(ちなみに見てきた映画はスワロウテイル・バタフライ。啓祐には筋立てがさっぱり理解できなかったが、伊藤歩が裸でうつぶせて刺青を入れてもらうシーンは気に入った)。やっぱり微妙だ。具体化の仕方、固有名詞の選び方にセンスが問われる。キングはこのセンスがいいのだろう。
2013.08.07