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前回、紹介したYOU TUBEのサイト、ログインしないと閲覧できないようになりましたね。不特定多数に公開されないことは、一つ前進ですか?同じような不適切なページがたくさんあるのだろうなと思うと、いろんな思いが駆け巡ります。ネットって、まさに両刃の刃。うまく使いこなせると良いのですが、その波に飲み込まれそうな気持ちもあります。
2006年05月30日
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you tubeというサイトがあります。本家ブログでは楽しい面を紹介しているのですが、このサイトで嫌な思いをするページを見つけてしまいました。Liberian Sunshine画像は、リベリアの内戦です。高橋さんの写真集にあるような少年兵の様子もあります。まさに、人が殺しあっているその場面なのです。問題はBGM。見れば嫌な気分になるかもしれません。画像そのものだけを見るほうがいいかもしれません。同じように、Holiday In Monroviaは、画像を加工しているだけにさらに低俗といえるかもしれません。
2006年05月28日
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助産婦じょじょのアフリカ日記にも書きましたが、同じことをここにも書きます。マーサ基金先日、このようなニュースをご紹介しました。<リベリアの少女>日本で治療を 神戸の看護師、私費で招くこの新聞記事にある美木朋子さんのアドレスへメールを送ったところ、お返事が来ました。 私信ではありますが、内容的に多くの方へ伝えても良いと思われるので、ここに一部をアップします。 この度は、毎日新聞にマーサの記事が載り多くの方々からメールを頂きました。全国からは元よりイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、カナダ、ベェトナム、マダガスカルからも届き、ニュースが世界に届く早さに驚きました。200通を超える全てのメールが温かい励ましのもので本当は一通、一通にお返事を差し上げたいのですが時間的に難しい為に、これまでの経緯とマーサの近況報告に代えて皆様にこのメールをお送りしたいと思います。最初にマーサに逢ったのは2005年の1月に国境なき医師団(MSF)の看護師としてリベリアの首都モンロビアに派遣された時でした。マーサはとても聡明な少女で、他の患者のリベリア訛りで分かりづらい英語を通訳してくれたり、私の言いたいことを他の患者に伝えてくれたりしました。この頃のマーサの状態は脱臼で歩けないという事に加え皮膚移植が必要なほどの床ずれと、尿路感染症のため長期で尿管カテーテルを挿入し自力で排尿できない状態が続いていました。フランスから来ていた整形外科医が「この子はリハビリを続ければいつか歩けるようになる、けれどこの状態で村に帰れば一生歩けなくなってしまうだろう」と言われたためモンロビアにあるNGO(ハンディキャップ インターナショナル)にリハビリに週2回通うことになりました。帰国後、遣り残した事が有ったのではないかと言う思いを持ちながら2ヶ月が経った頃、偶然同じリベリア国内の別の地域で看護師のポストがあると聞き2005年5月に再びモンロビアに戻る事が出来ました。病院を訪ねるとマーサは別れたときと同じ状態でまだ入院しており6月には村に帰ることが決まっていました。再会できて嬉しかったのですが仏人ドクターの言葉を思い出すとやり切れない思いになりました。この時、マーサを日本で治療できないだろうかということがふと頭をよぎりましたがそこまで一個人として彼女に関わることはとても無理だろうと思いました。世界にはマーサよりもっと悲惨な境遇の人は限りなく存在するし、私には目の前に新しいミッションが控えていました。半年間のミッションのなかで折にふれマーサのことを思い出したのもこの会いたかったのに叶わなかったいうことがあるのかもしれませんが、多くの患者さん達と出会う中、小さな女の子をみると不思議とマーサを思いださずにはいられませんでした。そしてミッションが終る頃、もう一度真剣にマーサを本当に日本に呼べないかと考え始めました。看護学生時代の先生が「何か物事を始めるときに出来ない理由を数え出したら決して達成できない、困難なことでもできる事を拾っていけば案外やれるものなのよ」と言われたことを思い出しました。しかし、やはり決断するには勇気が必要でしたし実際にマーサにもう一度会ってみないと自分の気持ちが本物であるか、もしくはミッションという非日常がもたらす興奮の為の一時的なものなのかわからないと思い、とにかく会いに行ってみようと思いました。こうして12月の初旬にマーサの村を訪れました。この時は乾季で道も比較的良かったのですが会えるまで本当に会えるのか半信半疑でした。そうして彼女と再会した時、私が会いたかった人はここにいたのだと感じました。私が同じリベリアの彼の地にいた頃ここで会いたかった人は同じ時間をひっそりと生きていたのだと思いました。マーサを日本に呼ぶことは特別扱いにならないだろうか、何故彼女だけ特別なのかという自分への問いに、私と彼女は縁があったのだと答えました。氷山の一角でその後に千人、万人のマーサがいるだろうし例えマーサが良くなってもその後の千人になにができるのかという問いかけに私はミッションで体感したこと、目の前のひとに精一杯の誠意を尽すという事を考えました。国際協力などといっても一人ができることには限界があります。ミッションに参加しても自分ができることは実はとても小さく、ほんの少しのこともできずただ見ているだけしかできないこともあります。そういうなかで人々は生きたり死んだりする、だからこそ自分が出逢えた目の前のひとに精一杯を尽していけばいいのだと思うようになりました。マーサはあまりおしゃべりではないので一体、アフリカの瞳にこの日本はどのように写っているのか、どんな気持ちで毎日を過ごしているのか想像をめぐらしていますが神戸での生活にも慣れてきた様子で、余暇に編み物をしたりひらがなの練習をしたり映画を観たりして過ごしています。鍼灸の良い先生にも診ていただけることになり週に3,4回、鍼に通っています。出発前、マーサにも彼女の両親にも日本に行ったからといって必ず歩けるようになるという補償はできないと伝えました。最善を尽したうえで歩けるようになるかは彼女のもつ可能性だと思っています。今はその可能性を信じて諦めず、焦らず一歩一歩やっていきたいと思っています。マーサの事を知っていただき関心を持っていただけたこと、私が始めた事を知って頂くだけで大きな励みになります。それは希望と勇気に繋がるということを実感いたしました。本当にありがとうございました。寄付のために振込み先を知りたいと言ってくださる方もありここに添付させていただきます。日本の多くの方々からの援助に助けられマーサがよくなることが出来れば、私や家族だけで行うより意義のあることではないかと思います。また皆様にマーサの経過を、よい経過をお伝えできればと思っております。どうぞこれからもよろしくお願い致します。マーサ基金(名義は美木朋子ですが新しくマーサ用に開設しました)三井住友銀行普通預金 三宮支店口座番号 9243265
2006年05月26日
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巡回写真展ユニセフ写真展『同じ地球の空の下』のお知らせ新潟開催期間: 6月1日(木)~14日(水) 会場: 東北電力グリーンプラザ(新潟) 新潟市上大川前通五番町84 東北電力(株)新潟支店 時間: 9時~17時(最終日13時終了) 入場料: 無料 主催: 新潟日報社ほか お近くの方、ぜひどうぞ。
2006年05月25日
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高橋さんのブログで、ムスのお父さんが「ムスがアメリカで暮らせたら良いのに」と話していることが書かれていました。高橋さんはこんな風に書いています。>僕の眼からみれば、人間的にしっかりとしたこのような両親が健在なのだから、金銭的に貧しくてもムスは家族と一緒にいるのが一番幸せなのでは、と思うのだが、それは気楽なよそ者のたわ言に過ぎないのかも知れない。>子供によりよい人生を送らせる為に、それを手放すこともいとわないのが親の愛なのだろうか。 昨年、コートジボワールに住んでいたころ、リベリア人女性に子どもの英語の家庭教師をお願いしていました。彼女の友人も、親戚も何人かがアメリカへ脱出しました。2000年アメリカと国連は、何千人ものリベリア人をコートジボワールからアメリカやヨーロッパへ脱出させたのでした。大学も出た十分な学歴も教養もあるリベリア人が、アメリカでは適当な仕事にありつけず、クリーナーをしている。あるいは、生活保護を受けている。(アメリカに生活保護があるのかな?) リベリアの人たちは、夢を持っているかもしれない。「アメリカへ行けば何とかなる。」あるいは、「アメリカへ行ってもろくなことはない」と思っているのかしら?実際、アメリカへ渡った人たちはどんな暮らしをしているのかしら? もし、ムスが心温かいアメリカの家庭に迎えられるなら、それはひとつの素晴しい結果だと思います。いつか、ムスが成長して働き始めて、リベリアにいる家族へ仕送りができるかもしれない。もしかしたら親を呼び寄せることだって可能だろう。親族一同の中から、出世頭が出れば、その一族はその人にぶら下がって生きていける。社会福祉のないアフリカではふつうのこと。ムスにもその可能性は十分にあるということですよね。それが悪いとか、良いとかではなく、現実のこととして。 先に書いたリベリア人家庭教師は、いつかリベリアに戻りたいといっています。今、コートジボワールに住んでいる多くの避難リベリア人は、「自分の村へ帰りたい」と思っているそうです。特に高齢者。若い人たちはコートジボワール生まれだったり、コートジボワールのほうが長い人もいるから。何であれ、ムスの将来が良い方向へ進みますように。 ところで、こんな記事がありましたね。<リベリアの少女>日本で治療を 神戸の看護師、私費で招く 難民キャンプで暴行され、両足を脱臼して寝たきりになった西アフリカ・リベリアの少女マーサ・ターケットさん(13)を治療しようと、神戸市の看護師、美木朋子さん(30)が私費で日本に招いた。今月から同市内のマンションに同居し、手術前の筋力アップのためのリハビリ生活を始めた。美木さんは「人生の入り口に立ったばかりのマーサを助けたい」と話し、マーサさんへの励ましや協力を呼びかけている。
2006年05月23日
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この日記で紹介している少女ムス。片腕をなくし、アフリカの地でどんな風に暮らしていくのか、心配している人もたくさんいらっしゃると思います。彼女は元気に成長し、素敵な少女に変身しつつあるようです。 高橋さんのブログに最近のムスの写真がアップされています。
2006年05月17日
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ムスという少女のことを覚えていらっしゃいますか?リベリアの爆撃で片腕を失った少女です。高橋さんがシカゴトリビューンに記事を掲載したことがきっかけで、大統領が訪米する際に同行することになったそうです。 詳細は、高橋さんのブログに書かれています。 リベリア人にとってアメリカはあこがれの土地だと思います。反面、内戦時代に具体的な介入をしてくれなかった恨みもあるかもしれません。今頃、ムスが住む町(村?)では大騒ぎになっているかもしれないですね。飛行機に乗ったことはもちろん、リベリアから一歩も出たことがない(と思われる)少女が、アメリカへ出かけるのですから。不安と、期待で胸がいっぱいでしょうね。ムスのアメリカ滞在が、楽しくて有意義なものになるように心から願います。 ムスに関しては私のサイトや高橋さんのサイトでいくつか語られています。「強烈過ぎる」写真写真展示会子どもの反応(千切れた腕)もし時間があったら、こちらの高橋さんのレポートも読んでくださいね。 著者は私と同じころにリベリアに住んでいた石田さんです実はリベリアは切手発行でも有名なのです。
2006年05月07日
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