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前記事で「伊藤詩織さんの映画をめぐるドキュメンタリー制作者たちの緊急提言」を紹介しました。それとは別件ですが、本日(3月16日)になってようやくフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが実名で性被害を告白していたこと(加害者は広河隆一)を知りました。 (関連する3月3日付朝日新聞の記事) そんなことを今まで知らなかったのは、確かに「うかつ」なのでしょう。が、大々的に報道され、いやでも繰り返し目にすることになった「伊藤詩織さんの映画をめぐる問題」に対してこの件の報道はあまりにも小さくまた話題になりにくかったのではないか。安田さん自身が「攻撃を受けること」や「フラッシュバック」のリスクにもかかわらず勇気ある告白をしたことを考えると、あまりに報道が小さすぎたのではないか。結局、「被害者」を追い詰めることになる情報はあっという間に広がるが、性被害者の立場に立った報道や情報発信がまだまだ弱いのではないか、と思わずにはいられません。〔確かに、「映画」をめぐって伊藤さんを批判する立場についても理解はできますが、私自身は上記制作者たちの提言や、映画『主戦場』の制作者であるミキ・デザキさんの見解のほうがより納得できます。〕 リンク先は、安田さん自身が性被害を告白した記事です。 安田さんは、伊藤詩織さんの映画をめぐる問題についても発信していますので、合わせてご一読ください。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.03.16
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選挙演説中の立花氏が「なた」で襲撃された事件後に、「報道特集への批判」がもりあがっているようですが、これに関する私見を述べておきます。 ア、ある人物(この場合は立花氏)の言動が卑劣であると判断し、立花氏を殺傷するイ、ある人物(竹内議員など)が陰謀の黒幕として、いじめや集団リンチの標的にする上記ア、イはいずれも絶対に許されない行為だと考えますが、いかがですか。ちなみに立花氏は竹内氏が憔悴していったのは本人に問題(身に覚え)があったのではないかという主張しているようですが、「仮に何らかの問題があったとしてもいじめ・集団リンチや殺傷行為は許されない」と考えるべきでしょう。兵庫県知事選挙中立花氏は、「いじめる場合は大勢にしてもだめで、的を絞って徹底的にやれば皆ひっくり返る」と発言し、自宅に大勢を伴って押しかけ「〇〇出てこい」「自死するといけないからこれくらいにしとこう」と発言しています。本人が自覚しているとおりこれは明らかに「いじめ」であり、私は「ネットなどによる集団リンチ」をあおったといっても過言ではないと考えています。その手法が「まともな選挙」や「民主主義」を破壊しかねないものだという報道特集の問題提起は妥当だというのが私の認識です。立花氏の主張する「報道による選挙妨害」についてですが、その議員や政党の問題点を事実に基づいて報道することはむしろ判断・選択の材料を提供するという点で報道が果たすべき役割ではないでしょうか。先の衆議院選挙直前において多くの報道機関は「非公認になった裏金議員に対する自民党本部による資金提供」を繰り返し報道し選挙結果を大きく左右しましたが、これを選挙妨害で許されない、と判断すべきではないでしょう。立花氏に関する報道も「判断材料」になると同時に「選挙や日本の民主主義」に影響を与えうる行為や発信に対する問題提起の一つであり、容認できないものとは全く考えません。もちろん上記アの行為は断じて許されないものですが、報道特集が原因となってその許されざる行為を引き起こした、という主張は短絡であると考えています。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.03.20
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前記事(「参政党にからむ雨宮処凛(週刊金曜日)の文章から」)に関連する新たな情報を次々に付記したため、長く読みにくくなった。そこで、「付記の一部」(選挙運動に関する『報道特集』の発信とその後)を独立させ、切り離して公開することとした。同番組における選挙運動に関する報道は以下のリンクにまとめられている。「選挙運動の名のもとに露骨なヘイトスピーチが」参議院選挙 急浮上の争点"外国人政策"に高まる不安の声【報道特集】 | TBS NEWS DIG (1ページ) 放送後、上記番組(「報道特集」)に対して参政党は「激しく抗議」したようだ。中には「抗議が行われたことだけ」を報じたスポーツ新聞もあるが、大切なことは報道内容と「抗議」の妥当性をどう考え評価するか、ということであろう。 私自身は、報道内容の妥当性も公益性も高く、「抗議」にはおよそ説得力がないと判断しているが、この問題に関する元テレビ朝日法務部長の山脇弁護士の見解を紹介したい。ぜひ全文ご一読していただければと思う。 参政党による『報道特集』厳重抗議の是非、弁護士が指摘した「そもそも抜け落ちた点」とは 「参政党による抗議の問題点」を一言で言えば「放送内容のどの部分を不正確で誤導と考えているのか、具体的な事実の指摘が一切ない」ということ。山脇弁護士によれば例えば以下の通りである。 『報道特集』は神谷代表の「いい仕事に就けなかった外国人の方は、資格を取って来てもどこか逃げちゃうわけですね。そういう方が集団を作って万引きとかをやって、大きな犯罪が生まれています」「『お金がないから』って来て、『生活保護をすぐください』とかそんなもん、ない。お金がないなら帰ってって話ですよ」という発言を紹介。その上で、在留外国人数は増加しているが外国人犯罪の件数は減少傾向にあり、生活保護を受ける世帯に占める割合もわずかだという「事実」を示した。 また、参政党のある候補者が博士課程の学生を支援する「次世代研究者挑戦的研究プログラム」について「外国人の留学生には1人1000万円、お金がもらえる。日本の学生さんどうなのかと」と発言したことを紹介。この制度は日本人も外国人も関係なく審査を通った優秀な学生に適用され、「外国人の留学生にはお金がもらえる」という制度ではない「事実」を示した。 このように『報道特集』の放送は、参政党が主張の土台とする「事実」の認識に誤りがあるのではないかと指摘している。これに対して、参政党が抗議するなら「報道特集の放送のうち、この点とこの点は誤報だ」と具体的な「事実」について指摘することが必要なはず。 以上の引用部分、まったくそのとおりで、説得力がないのは参政党(抗議をし、さらにはBPOにも訴えたという参政党)の主張のほうだと考える。 なお、山脇弁護士は2016年の「選挙をめぐるテレビ放送についてのBPOの見解」がすでに出ており、このたびの「訴え」に対しても全く同様の判断がなされそうだという。 山脇弁護士によれば、その時のBPOの見解は以下のとおりだという。 「政党や立候補者の主張にその基礎となる事実についての誤りが無いかどうかをチェックすることは、マスメディアの基本的な任務である」「候補者や政党にとって不都合な争点が意図的にあいまいにされないよう目を光らせることも重要である」として当たり障りのない選挙報道を痛烈に批判。選挙期間中も報道は原則自由とした上で、こう明言した。 「その結果、ある候補者や政党にとって有利または不利な影響が生じうることは、それ自体当然であり、政治的公平を害することにはならない」 これを踏まえて、山脇弁護士は次のように述べる。 報道機関として問題と考える点を事実に基づいて指摘し、その結果ある政党に不利になっても、何も問題ない。「政治的公平」とは問題点があれば相手が誰であってもきちんと指摘するという「報道のスタンス」の公平であって、「ある政党を批判するときは、擁護の声もあわせて紹介してフォローする」という「放送結果の平等」ではないのだ。 参政党は『報道特集』の取材対象の人選も批判したが、同番組が取材したのは外国人留学生やヘイトスピーチを受けた男性など外国人政策の当事者や関係者。こうした人の事実に関する証言を報じることは「問題提起」であって「偏向」ではないだろう。そして「問題提起」に対して政党がとるべき姿勢は、「抗議」ではなく「説明」のはずだ。 以上、山脇弁護士の文章を一部紹介したが、全く当然と受け止めている。(以下のリンクも、よろしければ)「表現の自由とはデマを拡散する自由ではない」参院選の外国人差別・デマに日本ペンクラブが緊急声明【全文】 | ハフポスト NEWS選挙の争点 基礎から学ぶ「参政党ってなんだ?」【半田滋の眼 NO.129】20250715 にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.07.16
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前記事において、「イスラエルによるイランへの攻撃を非難した(G7の会でも一応そのような発言をした)石破政権」について多少なりとも評価する趣旨の文章をあげたが、すでに「共同声明」の時点で腰砕け、それ以降の見解もイスラエル大使に評価される始末である。 イラン攻撃支持のG7を評価=「日本は正しい側にいる」ーイスラエル大使 ウラン濃縮工場や原子力発電などが存在し、「核兵器製造の潜在的可能性(能力)」があるだけで攻撃対象になるのであれば、日本の核施設などもそれに当てはまる。例えば、日本海側の長い海岸線にズラリと並ぶ原発に対して、米国中心の軍事同盟に加盟していない「日本周辺の核保有国」がミサイルやドローンで攻撃することも容認されるのだろうか? 「イランにおいて核兵器開発の意図のもと作業が進行しているかどうか」についてはIAEA(国際原子力機関)がチェックしているはずであり、何らかの問題があったとしても「核拡散防止条約」に基づいて具体的に対応していくべきだろう。そもそもこの条約自体、核保有国に圧倒的に有利な内容となっているが、それさえも無視して「核施設」を核保有国であるイスラエルや米国が!一方的に攻撃するなど、論外である。 このような「問題点を指摘する」という当たり前のことができないとなれば、日本政府・G7・NATO諸国の発言する「道義・正義」など、全く信用することはできない。そもそもジュネーブ条約(下記)の合意・締結を推進し、それが遵守されるべきことを主張してきたのは誰なのか。(また、ウクライナ戦争がはじまったころ、開戦の一カ月以内に始まった「トルコを仲介国とする停戦」をNATOに属する複数の国 が望まなかった〔トルコ外相の発言〕というその国は明らかに米・英。「ロシアを悪魔化」することで、停戦を妨害し長期戦をあおった)。このようにみると、アフリカなど非同盟諸国の人々でなくても、米英を中心とするG7やNATOや日本政府の「ダブルスタンダード」は信用できないだろう。 ジュネーヴ諸条約・追加議定書(1977年)「第五十六条 危険な力を内蔵する工作物及び施設の保護1 危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標である場合であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない。 これらの工作物又は施設の場所又は近傍に位置する他の軍事目標は、当該他の軍事目標に対する攻撃がこれらの工作物又は施設からの危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらす場合には、攻撃の対象としてはならない。」にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.06.28
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「政治屋は次の選挙を考える、政治家は次の世代を考える」、という言葉を聞いたことがある。社会保障、年金、教育、少子化対策、気候変動など、次の世代も安心して生活できる条件づくりにおいて重要なテーマは様々あるが、私自身が早い時期から関心を持ち続けているのは「気候変動問題」である。 志葉玲が各党に対する複数の団体のレビューをもとに、政策への(志葉自身の)評価をまとめているのでご一読いただきたい。 これほど深刻な状況・現実が進んでいるにも関わらず、あまり選挙の争点になっていないのが気がかりである。きわめて重要な判断材料の一つと考えるべきではないか。志葉玲の評価について、私自身ごく当然の内容として受けとめたが、記事に対するコメント欄には「志葉の文章を最後まで読まずに書き込んだ(と思われる)もの」や、「いまだに10年以上前に発刊された『温暖化懐疑論』に影響された(と思われる)コメント」が数多く並んでいるのは残念である。2020年代に入って(気象や気候に関する)AIによる厳密なシミュレーションが行われるようになる中、少なくとも気象学を専門とする個人で「人為的地球温暖化説」を否定する者は存在しないと考えている。だが、現在においてもネット上から「懐疑論」の言説は消えていない。思うに私自身がHPでの情報発信(問題提起)を開始したのは2007年の後半。当時、気候変動(気候危機)に関する何冊かの書籍を読んだが、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』をはじめ、「温暖化懐疑論」とされるものが気になった。(気候変動対策を遅らせる「有害な影響」をもたらす恐れがある、と。)拙ブログのカテゴリーには同書だけでなく『不都合な真実』に関わる連載や、暴走する地球温暖化論、『二酸化炭素温暖化説の崩壊』などに関する批判的論考をまとめている。「懐疑論本」には一読して私自身の基礎知識(中学・高校の理科教員免許状取得)でも明らかにわかるような間違いが多かったが、自分自身の認識を検証するためにも複数の書籍を読んで私なりに確認・再検証をしてきたつもりである。志葉玲の評価と合わせて、ご参照いただければ幸いである。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.07.19
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『高校生のための哲学入門』 長谷川宏著(ちくま新書) 私が長谷川宏に「出会った」のは、『同時代人 サルトル』がはじめだったが、以来、彼の著作を何冊か読んだ。サルトル・ヘーゲルなど近現代におけるヨーロッパの哲学を学びつつ「知と思考の普遍性」を真摯に追求し、「その力を現実の中でいかに発揮させていくのか、」を問いながら「哲学を生きる」といった姿勢を感じ、共感を覚えた。 『高校生の哲学入門』は長谷川宏の最新作(2007年7月発刊)であるが、今その内容を拾い読みしつつ、著者の希望するとおり多くの若い人たちに読んでほしいということを私も感じた。 ここでは第8章「知と思考の力」の内容を一部紹介したい。 東京大学の大学院で哲学を学びつつ、全共闘運動を体験したという著者は、「大学で哲学を教える」というそれまで思い描いていた道を問い直し、「知と思考を積極的に鍛え上げる上でも、大学の研究体制の外に出て行くこと」を選ぶ。長谷川は、哲学の研究を続けながら塾の講師として生計を立てていくが「書斎で追求する抽象的・観念的な知と思考が日常的で具体的な暮らしのなかに容易に生かせないこと」に悩みを感じる。 「それから30年あまりの時が経つ。自分の思考の成熟度は測りがたいが、塾の日々は-とりわけ、授業とは別の夏合宿(山奥での10日間の集団生活)と演劇祭は-多くの仲間の協力を得て、抽象的な知と思考がそれなりに生かせる活動になったとは思う。個人の自由を認めつつどう集団の秩序を創り上げるか、年齢も能力も違う人間のあいだでどう対等な関係を築くか、信頼の上に立つ批判、批判を通しての信頼をどう確保するか、自由で実のある対話や討論をどう実現するか、ものごとの決定に全体の総意をどう反映させるか、活動の場面場面で個々人の能力をどう引き出し、集団の動きをどうおもしろくしていくか。(…)たとえば、合宿の進め方をめぐって中学生・高校生と議論しているとき、わたしはヘーゲルの『法哲学講義』を読むときのような緊張感を時に味わうのだ」 「青春とは、本来、哲学的な思考に向いている年代なのだ」と長谷川は言う。そのような若者を読者に想定したこの本は、日常の具体的な経験と哲学的な「知と思考」がどのように関わっていくのか、ということを様々な事例・角度から述べる。若者だけでなく、かつて「知と思考の力」を追求していこうとしてきた個人も含め、一読の価値がある著作である。(私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.01
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2024年の末、繰り返し報道された「今年のニュース」で目立ったのは①「被団協のノーベル平和賞受賞」でした。そして、2025年の初めは1月17日に向けて②「阪神大震災の記憶・継承」など。さらに、3.11に向けて未曽有の災害であった③「東日本大震災-原発震災」が繰り返し報道されることになるでしょう。 確かに①②③それぞれが重要で、しっかり報道すべき内容と考えていますが、「被ばく」や放射能による被害に関して忘れてならないのは、「太平洋諸島」がこれまで受けてきた被害でしょう。そして、現地の人たちには「福島第一原発爆発事故の結果発生した処理水(汚染水)の海洋放出」は、これまで受けてきた被害の延長上にあるものとして受け取られている、という事実です。「処理水放出」当時、東京新聞が適切な(と思える)観点で現地の声を報道していましたので、転載・紹介しておきます。ぜひ、ご一読ください。 処理水放出、太平洋島しょ国が怒り 背景に核や戦争、大国の犠牲になってきた歴史(東京新聞) https://www.tokyo-np.co.jp/article/272113 24日(2023年8月24日:補)にも始まる東京電力福島第一原発事故の処理水放出に、マーシャル諸島など太平洋の島しょ国から懸念の声が上がっている。遠く離れた海の向こうの人々が異議を申し立てた背景には、戦前の日本統治や米国の核実験など大国の犠牲になってきた歴史の記憶があるという。現地を訪れている明星大の竹峰誠一郎教授(46)に、住民の思いを尋ねた。(曽田晋太郎、安藤恭子)◆マーシャル諸島訪問の教授「頭ごなしに脅威押し付け」 竹峰さんは国際社会論が専門。米国による核実験が繰り返されたマーシャル諸島を中心に、国内外の核被害に関する調査研究を続けている。 13日からマーシャル諸島の首都マジュロに滞在。現地では新聞の発行が週1回しかないため、24日に処理水の海洋放出を始めると決めた日本政府の方針について「まだ限られた人しか知らないだろう」と語る。ただ、「自分たちの領内で処理できないものを太平洋に向かって一方的に流し、頭ごなしに脅威を押し付けるような行為に現地で誰も理解を示す人はいない」と明かす。 竹峰さんによると、2021年4月に日本政府が原発処理水の海洋放出方針を決めた後、マーシャル諸島政府は懸念を表明。日本側に代替策の検討や海洋環境保全のための国際的義務の履行、対話の実施などを求める声明を発表した。◆核実験の地で反対決議 今年2月の両国外相会談では、林芳正外相が「人の健康や海洋環境に悪影響を与えるようなことはない」として、海洋放出への理解を求めた。だが3月、マーシャル諸島の国会は「重大な懸念を表明し、より安全な代替処理計画を日本に検討するよう求める」決議を採択。処理水の放出が「海洋資源に大きく依存している太平洋諸島の人々の命と生活を脅かす」とし、「太平洋を核廃棄物のごみ捨て場にこれ以上するべきではない」と訴えた。 これに対し、日本政府は現地で説得するような行動を活発化させていると竹峰さんは話す。7月、日本政府の担当者が現地で地元市長らを訪問。先週は地元紙に日本大使が海洋放出について説明する記事が載り、唯一の戦争被爆国として「核実験被害を受けたマーシャル諸島の人々の思いは理解している」という趣旨の談話が掲載されたという。◆元大統領ら、日本の説明「遅い」 竹峰さんは今月21日、国会決議を主導したヒルダ・ハイネ前大統領や閣僚らと面会。最近の日本側の対応について聞くと、「いまさら説明するのは遅い。海洋放出計画を決める前に相談せず、放出開始を決める最終段階になって頭ごなしに説得されても理解はできない」と怒りをあらわにしたという。 同じオセアニア地域では、北マリアナ諸島の議会でも同様に反対決議が採択されている。竹峰さんは「決議は、マーシャル諸島を含む太平洋の島々がこれまで大国に核実験や核廃棄物処理で好き放題使われてきた歴史を踏まえた訴えだ。島々の人たちは放射性物質の量がたとえ少量であったとしても、日本が自分たちのことを何も考えずに汚染水を太平洋に流す行為が許せないと憤っている。日本にとっては単なる海かもしれないが、島々の人たちにとっては生活の糧であり、汚染水が長期にわたって流され、暮らしの土台が傷つけられることを危惧している」と解説する。◆マリアナ諸島から原爆投下機が出撃 太平洋の島々と日本とは、戦争と核の歴史を通じ、深い関わりがある。 フィリピンの東、赤道の北に広がる一帯は、かつて「南洋群島」と呼ばれた。1914年からの第一次世界大戦で、日本はドイツ保護領にあったマーシャル諸島を占領。20年に国際連盟から委任統治が認められ、実質的に支配するようになった。 太平洋戦争中の44年、日本軍との激戦の末にサイパン、テニアン、グアムなどマリアナ諸島を制圧した米軍は、ここから日本本土への長距離爆撃を開始。45年8月、原子爆弾を抱えたB29爆撃機「エノラ・ゲイ」「ボックス・カー」はテニアンの飛行場を飛び立ち、広島、長崎へ向かった。◆「核の植民地主義」…終戦後は実験場に 終戦後、マーシャル諸島は核実験場とされた。米国は46〜58年、ビキニ、エニウェトク両環礁で67回の核実験を実施。54年3月のビキニでの水爆「ブラボー」の実験で、マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員やロンゲラップ環礁の島民らが放射性物質を含む「死の灰」を浴びた。 軍事評論家の前田哲男さんによると、ロンゲラップでは島民82人が被ばく。頭痛、下痢、かゆみ、目の痛みを訴え、救助船が来たのは50時間以上後だった。「米国のみならず核保有国は、危険な水爆実験を本土でやらなかった。これは『核の植民地主義』。マーシャルの人々は広島、長崎に次ぐヒバクシャにさせられた」と憤る。◆日本は1980年代に「核のごみ」廃棄計画 1980年代には日本の低レベル放射性廃棄物を北マリアナ諸島海域に捨てる計画が浮上したが、当時の中曽根康弘政権は国際世論を受け入れる形で断念した。原発処理水の海洋放出について、前田さんは「海は人類共有の財産。『水に流す』などという思想をふりかざすのは日本だけ。中国の反対が目立つが、太平洋の人々の声を聞くべきだ。やがて大きな反感が日本に向かう」と警告する。 ロンゲラップ島民は米国の安全宣言でいったん帰島したが、がんや甲状腺異常などの健康障害が相次ぎ、85年に再び島を離れた。50年近く島民を取材しているフォトジャーナリストの島田興生さんは、「原発の処理水を流す海の先に住む太平洋の島の人々を想像してほしい」と訴える。 島田さんによると、20年余り日本の統治が続いたマーシャル諸島には日本語を学んだ人たちがいて親日的。旧日本軍飛行場があった現在のエニウェトク環礁では、44年2月の米軍の攻撃で日本軍は約2600人の戦死者を出し、ほぼ全滅したとされる。従軍していた朝鮮人労働者や基地建設に動員された島民らも亡くなった。 島田さんがロンゲラップを初めて訪れた74年、64歳の男性ナプタリ・オエミさんが胃がんで亡くなる前、病床で写真を撮らせてもらった。家族から「父は自分が苦しんでいるのは原爆のせいだ。気をつけろと言っていた」と聞いた。その2年前には1歳で被ばくした当時19歳の男性が白血病で死亡した。◆成長不全や白血病、不妊…「いつも巻き込まれる側」 島民たちには「放射能」という概念があまりなく、変な毒物という意味合いで「ポイズン」と口にしていた。米国の健康調査は続き、身長が伸びないなどの成長不全や白血病、不妊や流産が増えたと言われる。 「マーシャルの人たちはいつも大国に巻き込まれる側。米国の核実験で被ばくさせられ、今度は日本が処理水を流そうとしている。かつての死の灰と違い、島の人は健康への影響を神経質に受け止めないかもしれないが、私には同じことが起きているように見えるし、日本の罪は重い」と島田さん。海洋放出への受け止めを聞くために9月、現地に向かうという。来年でブラボー実験から70年だ。 「第五福竜丸とともに、忘れてはいけないマーシャルの人たちの歴史がある」◆デスクメモ 竹峰さんは、核兵器禁止条約が、核実験被害者の支援や環境汚染改善を盛り込んだことにも注目する。米国の「核の傘」に頼る日本は批准を拒むが、核抑止論は核実験被害者の犠牲の上で成り立つ論理だからだ。本来真っ先に参加すべきことをせず、この上まだ国の信用を失うのか。(本)にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
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前回記事(ローマ教皇とキリスト教)の末尾で、ヨハネパウロ2世に対して、経済学者宇沢弘文が「教皇の回勅」のなかへ社会的共通資本の理念をしっかりと盛り込むよう進言・協力したことに触れた。この「社会的共通資本」という概念を宇沢が経済学の領域にしっかり組み込むべきことを主張した背景には、すでに深刻な被害をもたらしていた「公害問題」に対する問題意識があった。このいきさつを丁寧にみていくと、まさに教育という領域の中に「総合学習」の理念が組み込まれていった問題意識との共通点が見えてくる。 さて、現在「指導要領」にも明記されている「総合的探究の時間」の目的は何だろうか。それ以前の「総合的な学習の時間」との違いは何か。学習指導要領の記述を比較すると、総合的な学習の時間は、「自分の生き方について考えながら課題を解決していく能力の育成」を目的とするのに対し、総合的な探究の時間の目的は「自分の生き方・在り方を考えながら課題を発見・解決していく能力を養うこと」だという。後者は前者の発展形態とみえるが、教科横断的に「さまざまな分野を総合」して問題を理解・解決していく力の育成という点で、根本的な違いはないと考えられる。さらに、指導要領では各教科・科目の学習も教科横断的で創造的な学びにつなげていくべきとされる。(註) さて、現場における教職員研修において「総合的な探究」の目的は、「グローバル人材の育成」と結びつけて語られることが多い。だが、そもそも「探究」の源流である「総合的な学習の時間」においてもそうなのだろうか。 実は、このような発想が生まれてきた背景には経済・社会の「グローバル化」ではなく(高度経済成長期から深刻化した)「日本の公害問題と住民運動」があったのだ。1970年代から、そのような問題に向き合う学習の必要性を文部省(当時)に先立って主張したのは日本教職員組合だった。教科横断的な学習の必要性(さまざまな分野を越えて、総合的に学び「公害」などの問題に向き合う必要性)を日教組が「総合学習」として(「総合的な学習の時間」に先立ち)提唱していたことはもっと知られてもいいだろう。 つまり、もともとは日教組の全国教研(公害・環境問題分科会)で提起された自然との共存をめざす教育が、「総合的な学び」提唱の始まりだった。このことは、教育学者の中内敏夫が著書の中で明確に指摘している。以下、中内敏夫著作集『教育をひらく』を要約した拙HPから転載しておく。 第4章 目標づくりの組織論 の 四 「開発・住民運動・教育課程」問題の、国家による総括と住民による総括教職員組合の学習 人的能力開発計画(1960年代から歴代政権が実行に移した「長期総合教育計画」、以下補足:農業中心の後進県から工業中心の先進県へ脱皮するために児童・生徒の個性的発達を犠牲にした1960年代の人材育成計画)の破産そのあらわれ・・・資源の枯渇、環境破壊、こどもの登校拒否・いじめのひろがり等々 Q 「人権と生活防衛の運動」(各種の住民運動)を立論の前提にした新しい動きとは?A 日本教職員組合が委嘱した教育制度検討委員会の報告書『現代日本の教育改革』(1983)自然との共存をめざす教育を 人間と自然との新しい共存共栄・・・をめざして自然を理解し、・・・自然を愛し、・・・次の世代に豊かな自然を伝えていくことがいま切実に・・・国家の学習「公害学習」を実践していた教師は「総合学習」を提唱(日教組全国教研の報告集)「公害学習が、自然科学認識と社会科学のそれとの統一の上になりたつことは、分科会設営当初から自明のことであった。・・・公害学習のもつ総合的性格・・・」「総合学習はそれぞれの教科で習得した分析的学力を総合し、これを応用して実生活上の課題や問題にとりくみ、またこのとりくみによって教科による基礎的な学習を一層必要と感じ取れるようになるものとして、一応他の教科とは独立の領域として設定する」(日教組が委嘱した教育制度検討委員会の第三次報告書) これをうけ、文部省も「新しい総合科目」を設ける意向を表明(教育課程審議会 中間報告 1975年) 「公害学習」実践の国家による学習の結果・・・ 教育課程審議会の答申を受け取り実施に持っていったのは文相永井道雄(哲学・社会教育学の教師、ジャーナリストを経た学者文相で審議会の民主的な議論にも影響を与えた)「環境教育は、人間にとって身近な問題から、人類の資源や食糧など大きな問題をふくむものであり、これまでの教育の根幹に迫る問をなげかけている」と書いた。 学校知を超えるもの 「答申」を受けて指導要領改定→『現代社会』と『理科Ⅰ』が誕生 現代社会冒頭「現代と人間」の学習内容(237頁)の二つは「公害学習」運動が取り組んできた問題。国連の人間環境会議(72年)の各国政府への要請の一つが「環境教育」。 新学習指導要領が「住民運動と教育課程」に学ぶ→既成の知と体系では解ききれず、既成の教科と学校知の枠組みに入りきらない新しい知の体系・総合科目を求める・1930年代の生活綴方運動・・・「生活学」と新しい「知」の体系を提案・60~70年代の「公害教育」運動・・・新しい知の体系とそれもりこめる新教科を要求→ 学校体系全体にわたる目標内容論、学力モデル、指導過程の再編成が要請される〔転載は以上〕 以上、「総合学習」が生まれた背景には、公害・環境問題をどう理解・克服していくかという問題意識があったことについて述べてきた。解決のためには教科横断的に(個別諸科学・学問の枠を越えて)考察・解明していくことが大切だ、という問題提起だったわけだが、これは経済学者宇沢弘文の問題意識とも共通する。従来の経済学は、主として「市場の内部」メカニズムを(個別の製品の需給ではなく全体として)数理的に解明し制御することを中心とする「学問」だったわけだ。が、公害問題と向き合う中で宇沢弘文は経済学の探究を従来の範囲から大きく拡大していく必要性を痛感し、社会的共通資本(回勅による解説)という概念を強く提唱するのである。(註) このような学びや力の必要性は多くの論者によって強調されているものの、それを具体化・実現していくために生徒と伴走・対話・助言すべき教職員がそれまでにない負担を負うことになる実態は無視できない。課題に目を向けつつ問いを立て、話し合いつつ探究する学習を実りあるものにするためには、各教科における学習内容の精選や教職員の負担軽減などの条件整備が不可欠なこと、それがまともになされていない現状も、多くの論者によって指摘されているのは周知のとおりである。 「総合的探究」と宇沢弘文② に続くにほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2025.05.31
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