柴楽日記

柴楽日記

2016.12.04
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カテゴリ: グルメ・旅
前回の続き。
京都滞在2日目のこの日は京田辺市にある酬恩庵へとやって来ました。
一休寺としても有名な酬恩庵。
この旅の第二の目的地です。

酬恩庵は鎌倉期に南浦紹明が開いた妙勝寺がその前身となっているお寺です。
その後、鎌倉末期に戦火により一時衰退の途を辿ることになりますが、室町後期に
この地に酬恩庵と号した草庵を一休宗純が結び中興することとなっていきます。

総門をくぐった一休和尚碑前にて皆さんと合流して境内参観がスタートします。

碑には「諸悪莫作 衆善奉行」と記されています。

である」という意味になりますとの解説が皆さんになされていました。


こちらの参道の紅葉も見事に色づいています。

方丈庭園にて一枚。
こちらは南庭。

緑豊かな後方の山を借景にした枯山水庭園。
ホントに見事です。

こちらは北庭。
この方丈庭園と虎丘庭園は酬恩庵庭園として国指定の名勝となっています。

方丈の襖絵も撮ってみました。
こちらは檀那の間。陶淵明、林和靖図が描かれています。
こうした襖絵はかの狩野探幽の筆によるものです。


安置されています。

方丈参観を終えてみんなで宝物殿へ。

こちらには一休禅師の書跡や頂相などが保管されていました。
素晴らしく達筆な文書や感情がこもった文書などその筆跡を通して
僅かながら一休さんの人柄に触れることができた様な気がしたひと


昼食前に虎丘庵にてこちらの住職さんより酬恩庵の歴史や一休禅師についての
御話を頂きました。

晩年、東山にあったものをこの地に移し、一休禅師が結んだ庵には様々な
分野からたくさんの人々が訪れたそうです。
能楽についても造詣が深かったと言われている一休さん。
彼のもとには金春禅竹や観阿弥の孫でもある音阿弥も教えを乞いにこの庵
を訪れていたと言います。
茶道の祖と言われる村田珠光もそうした中の一人と言われています。
当時修行に励む禅僧の間でお茶には眠気防止の効用が認識されていたと
言われています。一休禅師の禅弟子でもある珠光に座禅時に茶を勧めた
ことが珠光と茶の出会いとなったと言われているようです。
その後珠光は、「四畳半の茶室の中においてはそこに身分の上下はなく
もてなす亭主と客人との空間が存在するだけ・・・」そうした観念を
体系化し茶の湯の概念を確立していきます。
その思想は武野紹鴎そして千利休へと受け継がれていくことになります。
日本文化の集大成と言っても過言ではない茶道の萌芽の地がこの酬恩庵
であることに改めて感慨深さを抱きつつ住職さんの御話に耳を傾けます。

その後、時は流れ明治期に入るとかつて境内に三つあった庵も廃仏毀釈の嵐に
巻き込まれることとなり、この虎丘庵を残すのみとなったそうです。

一瞬一瞬を大切にすること。
その積み重ねがまだ見ぬ未来へと繋がる。
そんな趣旨で結ばれた住職さんの御話。
ありがたい御話を頂いたと思います。
本当にありがとうございました。

こちらは京都を発つ前に訪れた平等院。

2年前に補修工事も完了し、鮮やかな朱色が午後の日差しに輝く鳳凰堂を一枚。

平等院鳳翔館(平等院の博物館)の出口にて一枚。
近代的な構造と境内の風景そしてそれを包み込むような色づいた光景の
調和は得も言われぬものがあります。

短い滞在期間ではありましたが、味わい深い晩秋の古都巡りを満喫できた
2日間でした。
最後に今回の旅に参加させて頂く機会を頂いた皆様に感謝の気持ちでいっぱい
です。本当にありがとうございました!





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最終更新日  2016.12.10 23:50:24
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