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大学院時代ですか。。。。良い時代でした。研究者の卵として。部活の指導者として。飲み会の幹事として。などなどまあ、いろいろできた時期でした。この時期は妙にもてた時期でしたね。いまの奥さんに出会ったのもこの時期でした。。。まあ、詳細はおいといて(笑)まずは無難な部活の話から(笑)ぼくは大学からラグビーを始めました。ラグビーは走る格闘技ともいわれていて、一つの楕円形のボールをめがけて肉弾戦を行う、陣地取りゲームです。細かなルールはあれども、ボールをとにかく相手の陣地におけばいいわけです。大学院生になると、現役兼コーチとして、指導者の側面を担うようになりました。ボクハ基本的に、平均よりは運動神経はよいですが、ずば抜けたものはもっていません。ですから、現役兼コーチといっても、すばらしいプレイを見せて実力で学生をまとめるという作業はできません。 実力のあるプレイでチームをまとめるのは、非常にわかりやすい力関係です。 しかしながら、ラグビーは15人で行うスポーツで、ラグビーはビジネスと同じで、一つ一つの動きの「積み重ね」で陣地をとるものです。フォワードがきちんとボールを確保し、陣地を少しづつ奪う。バックスは、そのボールを動かして、相手の守備と、弱点を明らかにしていく。フォワードが弱点の穴を広げる。バックスがそこを攻めていく。その相互作用で、陣地を奪っていくという戦略ゲームでもあります。ですから、1人のスーパースターでどうにかなるタイプのものではありません。ま、これはほかのスポーツでもそうでしょうが、スーパースターというのは、監督からすると、ほしいけど入らない存在です(笑)なぜかというと、どうしてもチームの性質がスターに依存してしまうし、スターの性格そのものがチームの雰囲気を決めてしまうなど、決定的な役割をもつだけに、「あつかいづらい」ものなんです。そうなると、指導者は、スターがいれば「スターのコントロール」に腐心します。いなければ、「日替わりスター」を作ることで努力します。こういういろいろなことを考える経験を積ませてもらったのが大学院時代の部活指導でよかったことでした。部活指導では、プレイで言えば1人ポイントゲッターとなるスターがいました。しかし、まだ下級生です。4年生は非常に仲が良く、向上心がある。これは一番いいチームになるなと思いました。それにこのときのチームは強くはなかったものの、素直でしたし探求心旺盛でした。ですから、ぼくの指導方法はすぐに決まりました。 ・日替わりスターを作りモチベーションをあげる。 練習は、一日キャプテン制度を導入して、その人が 声を出し、チームを牽引する。 ・練習メニューは「共通感覚」をメインにする。 基礎から応用までフォワードバックスが一体となって 共通メニューを作り、互いのプレイの長短を理解する。 ・探求心を刺激するように、一つ一つの練習について 意義とメカニズムを説明、そして易から難へと構成 ・練習に「遊び」と「真剣」の2つの要素を取り入れる。 ・練習の「前」と「後」を意識させる。という、今思えば5つの方針をたてました。 日替わりキャプテンというのは、ほんとうに練習にきてはじめて指名されます。そして練習がだれていたり、意欲がおちているとすべて一日キャプテンのせいになります。 だから、その日はすごくがんばります。声をだします。 ラグビーという競技は、声が非常に大事です。 共通感覚といいましたが、プレイの一つ一つはすごい連動しているわけです。ですから、強いチームほど、前のプレイヤーがどういう意図をもってプレイしたのか、そしてそれをつなげた方がいいのか切って、別のプレイに切り替えたほうがいいのかを絶えず自問自答しながら共通感覚へと結びつけていかないと、バラバラになります。これが「チームの戦術」になっていかないと、積み上げにならないのです。これは、監督が戦術をいったからというのでなくて、肌と肌で感じ会わせて積み上げていかないと、戦術にまで高まりません。 戦術なくても、きちんとしたシゴトしてさえいて、50%以上で相手をおしていれば必ず陣地はとれますから、戦術の前に、共通感覚を育てようという気持ちがないとだめです。 それに日替わりキャプテンは有効でした。 時間はかかりましたが、すごく声をお互いにかけるチームになりました。この声というのは、イベントでも何でもそうですが、「雰囲気」を作るんですよ。良いチームは、良い声の出し方をします。 すごく「まとまった感のある声」なんですよね。 それが無言のプレッシャーになるし、相手が強いときにはチームの結束力を増す効果にもつながります。 ですから、練習も、普通の練習って、フォワードとバックスに別れてするんですよね。最初のパス回し以外は。ぼくはそれをやめさせて、共通練習を軸に練習を組み立てました。 だからパス回しはバックスとフォワードにもある一定の精度を求めましたし、逆にフォワードプレイにおいても、バックスに一定の水準を求めるわけです。 ですから、フォワードはバックスのすごさを感じ、バックスは力勝負のしんどさを学ぶわけです。そこが相手のプレイを感じ取るという気持ちになるんですね。 それがチーム理解につながっていきます。 次に、楽しさですよ。モチベーションアップなくしてチームの強さは継続できません。 そこでヒントになったのは、フォワードです。 ぼくはいつもフォワードがなぜつまらなくなるのか考えていました。 それは状況など考えずに、フォワードらしさを要求され、地味な役回りしか与えられない。しょせん、バックスのための玉だしマシンでしかない。そういう自虐的なところにあると考えました。 バックス出身の人は、そのあたりの機微に弱く、きちんと玉が出ないとゲームにならないというポイントを甘く見ていて、出るのが当たり前のように振る舞うことが多かったです。 そこをきちんと理論化し、説明し、フォワードバックスともに、状況によって、場面によって、要求されるプレイが異なってくる。 それがある時はフォワードプレイであり、ある時はバックスプレイなんだと。 だから、その両方の理解とプレイができないと、絶対弱くなる。 と理論のおとしこみをしつつ、フォワードには、当たる楽しさ抜く楽しさというバックスの喜びも教えつつ、実は普段通りのプレイがもっとも崇高で誇りに思って良いプレイなんだと教えていきました。 すると、見違えるように楽しくやるようになりました。 そして、練習も「遊び」の要素をいれて、笑いながら体の動きをチェックする練習、そのあとに、徐々に「真剣ながちがちのプレイ」(つまり当たって相手を倒しにいくような激しい練習)を重ね合わせるようにしていきました。 すると、メリハリが効き始める。 すると、練習がおもしろくなってくるんですよね。 それに一日キャプテンが一生懸命声を出す。 ますますがんばってやろうとする相乗効果が生まれてきます。 之が最後の、練習の前と後に何をすればよいのかを考えるようになってくるわけですね。 こういうメリハリのある練習をするためには、いちはやくグラウンドに出て、体を温め、ストレッチを大事にしないといけない。 そして練習と練習の合間に、気持ちを高めていくことが自然と学べる。 最後に、体のメンテナンスをしていかないと、練習に参加できなくなるから、楽しくできない。 だからおわったあと、きっちりとダウンをおこない、ストレッチをするようになる。 すべて「相互作用」です。 一つ一つは足し算の積み重ねなのですが、結果的には相互作用を生み出し、一つの大きな流れを生み出す。 これって、教育の真骨頂なんですよね。 洗脳じゃなくて、教育がおもしろいのは、ああなれこうなれでなくて、一つ一つの仕掛けによって学んだことが、さざ波をうみ、それを続けていくことが、いろいろなコラボを生み出す。 すると、自分でその波に乗れるようになり、もっと波を大きくすることができる。 そうなってくるとおもしろくてたまらない。。。 この感覚を生み出させ、学び手の力をそれぞれ活かしつつ、どんどんふくれ上げさせていく。 このおもしろさを体験し、自分で自分のモチベーションを高めていく方法を自分のものにする。 そうなると、どんどん自分の意識が高いものへのあがりたくなってくる。 その先にあるもの、それを一人一人考えさせることによってゴールは違えと、粋なオトナが生み出される。 そんな構造をいろいろ試しながら行ったのが部活でした。 結局、この年のチームは、県で優勝。四国大会でも優勝。 それまでのチームの歴史で唯一の優勝経験をもつチームに成長しました。 そして、3年間のラグビー指導者経験を終わらせた後、ぼくは教育現場に行くことになるのです。 *ただし、このあと、チームの性格はかわり、またバックス経験 者による戦術にこだわったチームに変貌してしまったので す。。。 継続して強くなる、というのがいまの課題です。。。~続く~
2004.12.25
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今日からは、大学院生の時代の話です。ぼくの研究テーマは社会科教育です。つまり、「社会科をどうやって教えればいいのか?」教えるって「なに」からのスタートです。教えるのは洗脳と何が違うの?教えるって、情報量間格差で、知っている人が知らない人に知識を流し込むための作業じゃないの?なんていう疑問難問との出会いです。そう、いろいろな人がそのことに気付いて、共育とか協育とか言う言葉に変えている由縁です。まず、社会科は、*********「社会を知ること」*********これが第1目的です。第2目的に**********************社会の中における自分の位置(存在)わかること**********************があります。第3目的に**********************社会と私の関係を良好に保とうと行動すること。**********************つまり、この3つの考え方には、「私」と「社会」は不即不離・共依存の関係にあるということです。社会は、「私」の集積です。その集積に、一つ一つの事象が生まれ、そこにはある一定のルールや法則が成立するわけです。その事象やルール、法則をわかることで、社会を自分のなかに作り上げること。それが第1目的です。これをしないと、社会を維持しよう、よくしようという気もおきないし、その社会の恩恵をうけるであろう自分にとって不利益が生じるからです。それ以外にも、自分の住んでいる場所への「愛着」この支えなしには、あり得ません。愛着の度合いが、地元だったり、県であったり、地方であったり国であったり、アジアであったりと、その比較すべき対象によって変わりますが、「社会への愛着」というのは大事なものだと思います。 *ただし、昨今はやった地球市民という概念がありますね。 地球そのものへの愛着というのは、地球と比肩しうる ものが登場しない限り、本物の愛情にはなり得ないと思ってい ます。たしかに愛情はあるのですが、愛情の対象が今比べるも のがないので、持ちようがないというのがおおにしの考えで す。心の中で実体化しようがないわけですね。これは、自分への愛着がもてなくて自傷行為に陥ったり、心身的に不安定なものです。*最近まで、いろいろな歴史教科書の問題や、国に対しての愛情、 そしてアメリカとの愛憎、中国海軍の侵入による反中意識、北朝 鮮拉致問題といろいろ起きていますが、日本そのものへの愛着が 生まれない限りは、なかなか解決しようがない問題なのかも知れ ません。次に、社会のなかにおける自分をわかること。 われわれって、いろいろな仮面をもち、基本的に多重人格的に自分の性格を使い分けているとおもうんですよ。 たとえば、 学校では「おとなしい自分」 家では「自分の意見をはっきりいえるわがままな自分」 サークルでは、「しっかりとした自分」のように。 一つだけの自分では、息苦しくて、しょうがないんですよね。 西欧では、アイデンティティ、自分らしさを作ることが教育の目的として語られますが、ぼくなどは、そうじゃなくて自分らしさにはいろいろなピースがある。 そのピースをうまく使い分けて、よりよく自分を演出できたり、自分の違う部分に気付いたりして成長できる。 それはいろいろな色の異なる「自分」がいるからこそ、「自分らしさ」が豊かになる。 そう思うんですよね。 だから、おとなしい自分もいるし、わがままな自分もいるししっかりとした自分もいる。 それは周りの社会との関係性で登場するものだんだとおもいますね。それが社会と私との共存関係であり、共依存なんですよね。 共依存って、精神医学用語では、だめな旦那とそれを支える妻それが互いに支え合うことで、マイナスな状態を維持してしまう。 という言葉なんですが、私と社会も実はそういうもんで、だめな社会を私が支える、あるいはだめな私がシステム化された社会に支えられる。けれども、それは共依存で、お互いにもたれあっているのです。だから、どっかで爆発的な矛盾が起きないことには日本社会では次のステップにいけない。。。 そういう依存関係にも気がつくべきだと思っています。 3つめです。 社会をわかり、そして社会と自分の位置づけがわかっても、社会を自分をよくしようと良好な関係を気付こうと思わなければ意味がありません。 つまり、良好にしようとする意志。 そして、判断・決定。 そこから行動へといかないとまるで幽霊でおわっちゃいます(笑)。 あたまのなかにあるものは、外に出てこなくてはだめです。 いくらよいことを思いついても、それだけではもったいない。 何らかの「表現方法」で、行動してみる。 頭の中にある考えは、なかにあると社会的には「ぜろ」状態です。 それが頭の中から、口に出してみる。すると「1」になります。 聞いた人が、それを納得したり、アイデアをつけて足してくれます。すると「2」になります。 その繰り返しが意見を洗練させ、「形」になってくる。 たとえば、商店街もっとよくしよう計画というのがあるとする。 すると、商店街のアイデアをだしあう。 アイデアが洗練化される。そして、それを商店街に伝える。 それが実施されて「社会の事象」となる。 ここまでいくと、めちゃくちゃ楽しいですよね。 必ずしも、勉強したものすべてを社会的行為や事象にまですることもないですが、ちょっとしたゼロから1を生み出す「社会的出産の喜び」を体験できます。 いま、ぼくらに足りないので、社会的出産の喜びです。 男女問わず、僕らに神様が与えてくれたものは、 「社会的出産」です。 ぼくらは神様の力をもらって、昨日までなかったものを今日生み出すことが可能です。 テレビはありましたか。 インターネットは。 ・・・・ 私の人生そのものでもそうです。昨日までなかったものを今日行動すれば、神と同じ社会的出産が可能なわけです。 そういう体験が不足していることに、小さな神である子ども達は不満をもっている。 しっかりと根付いた人生のレール。 それが強すぎると、いままでのレールの上を歩いただけで社会的出産行為をなにも成し遂げたことにならない。 また、弱すぎてしまうと、社会的出産のレベルがわからないから、何がよくて何が悪いのかわからない。。。 不登校は、神様が岩戸に隠れた状態。そんな気がします。 社会科には、こういう3つの目的があります。 国語には、数学には、、、というように各教科であります。 けどそれらがねらっているのは、 「子どもをオトナにすること」です。 このあたりのことを気づき始めたのが大学院生のころからでした。 ~続く~
2004.12.24
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大学生時代のぼくは、今の学生にくらべると大したことはなかったけれども、自分で柔道部を作り、ラグビー部ではバイスキャプテン。大学祭の実行委員長などなど。まあ、それなりに、自分の好きなことをした。。恋愛でふられるたびに国内を旅行し、最終的に47都道府県を回ったのだから、恋愛の教育効果は高い(笑)そのときにおもったけれども、 (1)イベントをすると人は成長する。 (2)1人旅は人を成長させる。です。 よくいまでもイベントをするのですが、企画を作り人をまとめ上げる。これって最高の勉強ですよ。 教育効果ばりばりです!!! 部活もおんなじなんですよね。 目的は優勝。そのためにまとめ上げる。 そのためにモチベーションをあげて、つらい練習をうまく工夫してやっていく。 ただ大学祭の難しいところはゴールのないところ。。。。 部活のように、優勝というのがないだけに、これまた難しい。。。。 最初、昨年の流れで実行委員長になったときにはあんまり考えないでうけもったものの、これが半年以上にわたって大変な想いをすることになる。。 まず、メンバー。 自分のいうことを聞かない、いまだけを楽しみたい、それとおんなを口説くためにはいったようなメンバーがいた。 それがまた、女性とある程度の影響力を持っているだけに非常にやりにくい。 ぼくがもてないのもあるのかもしれないけどね(笑) 本当にひがみでなく、力があって自分の思い通りにいかないメンバーがいるというのは困る。 トップとして、毎回苦労するのだ。。 これはたぶん、みなさんも経験あるかも知れない。 自分でメンバーを選んだのでなくて、そういう構成から始めないといけないというムズカシサ。 力で納得させる。 これも必要です。実力をみせつけて服従させるところはさせて、そしてミスをしない。 このミスをしないようにする。 大事ですね。 できるかぎりミスをしないことが生命線です。 だから、ややもすると冒険しなくなるのですが、ぼくの場合、ミスもする。けれども冒険をしまくるタイプです。 だから、反発も多い(笑) 女の取り合いもありましたし(結局負けましたが・・)、なんかすごかったですよ。 それで1人残ってシゴトしたり、裏切られようが何されようが絶対に「形に残す」。 まわりが彼女を作り、責任のない行動をしようとも、きっちり「形に残す」。 今思っても、愚直にがんばりましたねえ(笑) それがねえ、大学祭当日、形になったんですよ。 ほんとうれしかったですねえ。 最後の夜のステージで、締めの言葉を500人の前でしゃべりました。 スポットライトがあたり、ミンナの視線が集まりました。 「つらいことも、苦しいこともあったけど、みなさんのおかげでこんないい大学祭ができました。。ありがとう・・・」 涙が出てきました。 滝のように。鼻水もでまくりで。 最後、いがみ合ったメンバーともなんとなくうちとけました。 結局最後まで一皮一枚なんかやりきれなさものこった感覚を持ちながらも、感動でした。 そしてね、プチ自慢じゃないですけど、このとき、ミスミスターを決めるじゃないですか、どこの大学でも。 その8位にはいったんですよ、このブサイクマンおおにしが(笑)。 そのときはあとで感激しましたね。 「誰が俺に投票してくれたのって(爆)」 このときのつらかったこと、メンバーの反乱にあったこと、それでも、最後までつきあってくれたメンバー。 最高の思い出でした。 この一つ一つが自分の糧になりました。 人を見るときの眼力の経験ともなりました。 どんなタイプが人を裏で裏切り、実は反乱分子と思っていたのが、意外に支えてくれていたり。。。 部活のように、自分の実力で、きっちり押さえきれなかった分すごく勉強になりました。 次に旅行ですね。 旅行は1人で行くと、すごく繊細なセンスが磨かれます。 ぼくは失恋旅行ばかりでしたが、 最初が九州。これはすごく自分を強くしてくれた旅でした。 女々しい旅って、いいんですわ。 次に中四国一周。 室戸岬の荒々しい波。東洋町の断崖が最高です。 そして高知の屋台でラーメンをたべ、オヤジとひとときの会話を楽しむ。 そして、車の中で寝たり、公園で寝たり。 そんなときに、旅行者同士で仲良くなります。 北海道旅行。 これはバイクで行きましたが、最高の思い出です。 サイクリングしている連中も、バイクの連中も必ず 対向車線で会えば、サインの交換。 新しい町に出会うたびに、優しさに出会います。 富良野の駅や、網走の名もワスレタ駅で宿泊したときも、やさしく寝場所を提供してくれた駅員さん。 今思い出しても、涙が出ます・・・ その後も東北にいったり、研究会のたびに、いろいろな場所にいきました。 青森が実にいいですね。 白神山地なんか、きれいですよ。 沖縄ものちに行くんですが、最高でした。 そう海外も。 フランス。ポルトガル。スペイン。モロッコ。 キプロス。イスラエル。オランダ。 アジアはシンガポールや香港、タイ等々 15カ国それは最高の想いでです。 旅行に行くと、人への感度がまします。 自分への感度もまします。 なぜか全てのことに感謝をしたくなります。 そして、自分のふるさとや住んでいるところへの帰巣本能が働き始めます。。。。 そんな自分の原点に気づけるところ。 それが旅行の教育効果です。 さあ、恋と旅行とイベントをしよう!! 今日も恋をしちゃうぞ!!~続く~
2004.12.23
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恋愛第1章終わりました(笑)この最初の恋愛の後、いろいろやけになって恋愛暴走族になるのですが、見事に連敗街道を走り抜けました。最後にはやけでしたね(爆)けど、この恋愛で学んだことですが、 「恋愛は教育効果が高い」です。 みなさん、どうですか。 恋愛していると、まあ、手抜きの恋愛をしていると自分自身も「手抜きな遊び」になっちゃいます。 *ホストのようなプロの遊びとは分けます。 けれどもですね。。人間的に成長するんですよね。 好きになると、否が応でもコミュニケーションをとらざるを得なくなるし、もてようと思えば、コミュニケーション力ないとまったく女性陣に通じない(笑) まじめにドキドキしてる男って、若いか、かっこよくないと絵にならないでしょ?? どうです。 まじめでドキドキしているキムタク。 まじめでドキドキして(汗ばんでいる)ブサイク。これは同じカタカナ4文字ですが天と地の違いがあります。 けっして女性は手を握ってはきません(笑) そうなると、ブサイクがもてるためには (1)理論武装 (2)自信をもっているものを作る (3)こぎれいにする。 事が必要になります。 まず、恋愛をきちんとこなせる恋愛理論が必要です。 このあたりの恋愛をきちんと語れるだけの言葉がないと女性は相手してくれません(笑) 恋愛でなくても、自分の職業への理論とかね。 理論の奥深さと自信は比例してきます。 その辺り大事です。男の将来性を感じるからでしょうか。 女性は冷静にみていますね。 次に、「自信を持っているもの」 これもポイントです。 理論武装していて自信があるのと違って、なにか自分が絶対的に自信のあるものをもっていると、男にももてます。 スポーツでも何でも良いのですが、うんちくでさえ飛び抜けているとなかなか武器になります。 けれども、中途半端な自信はかえって、「ドツボ」です(笑) それと気付いたのですが、女性は「一番」に弱いということです。 どんな業界でも一番になると、もてるというのは事実のようです。ぼくでさえ、一番の時は、ちょっとだけもてました(恥ずかしい) みんなもて期というのがあるとおもいますが、ぼくも一時期ありました。みじかい春でしたけど、自分の研究に自信をもっていた大学院生のときはなぜか美人にももてました、成就しなかったですけどねえ(笑) そう、おもいだせば、のんちゃんという、いまでいうとスイカップのあの人にそっくりの美女でした。。。 それと、昨年はもてましたね。。それは生々しいのでひみつです。 いまはどん底ですが(笑) さて、3つ目の「こぎれいにする。」 これ大事です。見た目の大事さも非常に大事です。 やっぱりビジネスシーンでもいうではないですか、おしゃれは足下からって。 靴とか、靴下とかね、いいかげんな選び方していると、やっぱり女性は「自分が相手してもいいランクの男かどうか」というのを見ていると思うんですね。 そのあたり女性も男性も現実主義者ですから。きちんとしとかないとだめですよね。 さてさて、話を戻すと、こういうふうに、おおにしでさえもやっぱり恋愛理論を考える、つまり分析的に物事を恋愛で学ぶようになるわけです。。 これは下手に数学するよりも、論理的に法則性を導き出し、自分を冷静に客観化できます。 くわえて、国語能力も身に付きます。 シャベリの下手でもてるのは、いい男だけです。 ブサイクマンのぼくは「しゃべり」だけは鍛えようと思いましたもの(笑) そういういい意味で恋愛は人を鍛えます。 ここで問題です。 教師として、生徒の恋愛を勧めるべきか、それとも勧めないべきか。 これは悩みの種ですが、ほっといてもするんですから、ぼくは応援する方ですね。 けれども、部活動とかある目的に向かって戦っている時には多少控えます。 恋愛モードになると、まったくダメになる生徒もいるのでねえ(笑)。 けれども、自分自身の経験から言えば、恋愛はよいです。 ただし、純愛が良いですね、若いうちは。なんてね。~続く~
2004.12.22
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恋愛って、人を成長させますね。。毎日がバラ色の人生とはこのことでしたね。禁欲生活の受験生が、夢見た禁断のパラダイス。それが恋愛。今の学生は笑うでしょが、もてないとそんなもんなんです(笑)中学生で一人前にエッチしてしまうのにくらべるとペヨンジュンの世界。ぼくも「冬のソナタ」の気分でいました。おもえば、バスケの試合に応援に行ったり。逆にラグビーの試合を応援に来てくれたり。バイクに乗ってデートしたり。そんな幸せも突拍子もない事件で幕を閉じます。これは彼女の名誉もあるので、墓場までもっていく内緒の話です。ま、突然お別れが来ました。そのときのショットといえば、ねえ。今思い出しても泣けてきます!!冬のソナタのパクヨンハの気分です。好きでも好きでも、結局成就しないパクヨンハのむなしさみたいなもの。お互い好きだけど、なにか歯車が動き出して。衝動的に根性焼きをし、自分の体をいじめるかのように酒をくらいました。ウイスキーを一気のみ。これは最短記録です、いまも。 よく死ななかったものです(笑)彼女の故郷の宮崎にいって、めめしいですけどえ、精算のための旅行にも行きました。軽自動車での1人旅です。四国の鳴門を出発して、室戸岬経由で高知を横断。愛媛の川之江にあがり、松山から大分へ。そこから一気に宮崎に向かいました。彼女の育った町。高鍋町についたときは、なんか「自分に乾杯」ってな気持ちでした。あまりにもつらくなって、一気に鹿児島へ。つらい気持ちで宮崎と鹿児島の県境の峠近くで暴走族に遭遇。どうにでもなれと、勢いで、クラクションを鳴らし、その後暴走族との峠バトル。。。。すごく怖かったです(泣)5~7キロぐらいずっと追いかけられました・・・ま、それはともかく、偶然に宮崎の暴走族であったためか県境で許してくれました。逃げ切ったあとの桜島の朝焼けは未だに忘れられません。「生きてて良かった!!」~続く~
2004.12.21
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<女子大生に聞く>今時の男子は「幼児的、バカ、無責任」 女子学生は、いま時の男子学生をどう見ているのか? 大阪国際大学人間科学部(守口市)の心理コミュニケーション学科の12人が、女子学生を対象にしたアンケートを、「男の値打ち 女の目」と題した卒業論文にまとめた。結果は、「幼児的、無責任」など、どうも評判はよろしくない。【梶川伸】 宮本二美生教授のゼミで学ぶ4年の奥村彩子さん、砂山素美さんら女子学生が共同で調査した。質問はコミュニケーション能力、社会に対する姿勢など20項目。調査対象は、阪大、京大、神戸大、関関同立や女子大など京阪神の4年制15大学の計300人。11項目については、回答をプラスイメージとマイナスイメージに分けてまとめた。 男子学生の印象では、幼児的52・3%がトップ。優しい45%が2番だが、バカ40・3%と続いた。言動から思いつく四字熟語では、大言壮語、優柔不断、軽佻浮薄(けいちょうふはく)が上位を占めた。 評価を具体的に聞くと、意思がかたい、迫力がある、節度がある、マナーがよいの質問で、「ノー」が「イエス」を上回った。また、デリカシーがない、がさつ、見えっ張り、下心が見え見え、未熟、うそをつく、口が軽い、の質問で「イエス」が多かった。この項目では、「元気がない、社会性がない、幼い」という分析をしている。 授業態度では、不まじめは61%を占めた。理由として、183人が「寝ているか、しゃべっている」を挙げた。 全体では、マイナス回答の総計が8702で、プラス回答の7659を大きく引き離した。これらから、男子学生の5悪を「幼児的、バカ、無責任、無神経、うそつき」とまとめた。そのうえで、「大人になりきれていない」という声が強いと分析している。やる時はやる、責任感がある、といった好印象の回答もかなりあったが、女子学生の「期待値」も入っていると見ている。 研究メンバーの川岸真紀さんは「目的を持たず、何となく生きている人が多い」と語るが、「女子学生も一緒と思う」と付け加えた。 宮本教授は「男子学生は幼いという印象を持っていたが、やはりそうか。他人を理解しない、主体性がないなど、大人になりきれていない。危機には違いないが、学生自身が危機感を持っているところに救いがある」と分析している。(毎日新聞) - 12月20日16時7分更新
2004.12.20
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大学生になると一人前に恋いもする(笑)。あれほどひどく落ち込んだ受験失敗から、不死鳥の如くよみがえる。そうなると、ある女の子が登場してきた。そう、初めての彼女、Hちゃんである。Hちゃんは、宮崎の出身で、バスケで九州代表にもなったような女の子。すごく責任感があって、家庭科だけあって、料理もうまいし、なにより賢い。今思い出しても、まだ好きな感覚というか(笑)、一度つきあった彼女とは、別れたとしても、なにかあれば一生手伝ってやりたいというのが気持ちの中にある。なんだか中学生の台詞みたいだが、そんな気持ちが残っている自分に気付くと、いつも「乾杯」したくなる。まあ、それはおいておいて。最初に彼女が登場したのは、当時同じ寮に住んでいた友達の彼女だった。いつもその友達に彼女のことをいろいろ聞いていた。悩んだこと、デートのこと、キスしたこと。。。。まあ、全てのことを知っていると言っても過言ではない(笑)。そのときは、彼女に対して、そんな恋愛感情もなかったのだが、友達と当然遊ぶ関係で、少しづつ彼女のことを知ることとなる。そこから、ある事情から、じょじょに彼らの中は別れていくこととなる。そのときに悩みにのっていたのが、そう「わたくし」。あ~だ こ~だといろいろ聞いているうちに、結局、そのかいもなく別れてしまった。。。彼は非常に別れた後は苦しんでいた。それもよくわかった。だから、彼女の方にもいろいろ個人的に聞きにいったりしていたわけ。。そこから、彼女の人柄に惹かれるようになる。だんだん、友達のことでなく、自分の話をするようになり、あるときに好きであることに気がつく・・・・そして、初めて、告白をすることになる。 ∩___∩ | ノ ヽ/⌒) あばばばばばば /⌒) (゚) (゚) | .| / / ( _●_) ミ/ ∩―-、 .( ヽ |∪| / / (゚) 、_ `ヽ \ ヽノ / / ( ● (゚) |つ / / | /(入__ノ ミ | / 、 (_/ ノ | /\ \ \___ ノ゙ ─ー | / ) ) \ _ ∪ ( \ \ \ \_) いまは子どもを3人も生んじゃってしまってねえ、もうなんだか時間がたっちゃいましたけど。初めての告白は、それはそれは緊張しました。寮の駐車場に呼び出して。。いっちゃいました。。。「知らない間に好きになってた。。」「少し考えさせてね。」おまいが~~~~~~~「考えさせて」は「ことわりの黄金法則」頭の中はめまぐるしく「不安」なほうへと駆けめぐります。。。このときは、めちゃめちゃ悩みましたね。。。。次の日、電話がありました。「駐車場に来てくれる?」微妙な声です。。。どちらに転ぶかわからない声です。。。そして、彼女が寮の玄関から出てきました。「私も好きだよ」って渡してくれたのが夕食のおかず、たしか魚の煮付けでした。このときは思わずガッツポーズでました。「勝訴勝訴勝訴~~~~~~~~~~~~~~」全面勝訴です。~続く~
2004.12.19
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なんだかんだと激闘の小学生時代(笑)それが中学になるとどうなったか。恋愛の話も全く書いていない、いや意図的にのぞいていますが、ぼちぼちと書いていきましょう(笑)中学生のときは、「自分のサイズにあった環境選び」というのが大事だというのを学んだ時期でしたね。中1のときに、柔道という自分の体を活かせる場所にたどり着いて、非常に生き返りました。中1のころから、ある程度成績が伴って、結局中3までの間に24枚ぐらい賞状もらうまでに強くなりましたが、1番になかなかなれなかったんですね。いまだに親友ですが、同じ名前の大西というのがいてですね、そいつといつも決勝なんですよ。それで引き分けて、ジャッジで負けるというのがよくありましたね。また、負けず嫌いなもですから、部活が終わって、自転車に乗って30分ぐらい先の隣の町の道場にも通ったり、社会人や高校生と練習したり、いろいろやりましたねえ。このころから、闇雲に努力するんですねえ。安田塾でのストイックな精神論が支配していた時期ですから、とにかく「こつこつと努力する」。それに自分が一番活躍できた分野ですからね。大会の後とかに朝礼で表彰されるんですよ。やっぱり誇りにしていましたね。それに1年の時に、学年みんなのアイドルだった女の子がいたんですよ。目がくりくりっとして、胸も大きくて(恥)その子に「柔道着似合っているよ!!」なんて言われたことがあって、ますますのめり込んだのを覚えています。そういえば、あのころの恋愛って、ほんとせつなくていいですね。中学生って、まだ人間じゃなくてサルなもんだから、ほとんど好きになる女の子がかぶっちゃっている(笑)だから、ほんと、みんなすきなもんだから、どうしても競争となると、負けちゃうのでもんもんとしますよね。それで切なくなったり、部活姿をちらっとマラソン越しにみちゃったりして。。。。あ~、なんか良い思い出ですわ(笑)。いま、全然なくて困ってますけどね。純愛でしたね。え、恋愛の具体的な話はなかったのかって?「ないです!!」(きっぱり)告白したことも、されたこともございません。もっぱらヒトの事ばかりですね。そうそう、さっき登場してきた学年のアイドル。3年の時に友達とつきあうようになったんですよ。美男の。そりゃあ、みんなもんもんとしちゃったでしょうねえ(笑)そのときには、ぼくは近所のTという女の子が好きでしたけどね。陸上大会とかで学校代表になって、放課後一緒に練習するのが楽しみでした。髪の毛の色素がうすくて、茶色っぽいんですよ。それがまたさらさらできれいなんですよ。背が高くてあんにょも長くて。これまた色白なんですわ(笑)高校のときまで好きでしたからね。けど、この子はけっこう両思いだった時期もあったのではと思うこともありましたね。高校の時とか、やっぱり好きなんだ、っていうオーラでちゃうでしょ。自然と。ぼくはあんまり出ている気はしてなかったんですけど、やっぱり周りから見ていると出ていたみたいでね。そんな感じで、家に帰る方向が同じ時にたまにしゃべったり、ほんとたまになんですけどね。幸せな時期でした(嬉)まあ、それはさておき、恋愛に臆病な人生を高校まで送っていました。学校の成績は、そうですね。中学入学当時は、たぶん中の上でしょうね。それが2年になるころには、上位30番以内には常にいるようになり、3年のころからは上位20番以内、最終的には10番以内で、郡内で15番になったのを担任に教えてもらいました。こうやって思い出すと、やっぱり「努力のヒト」でした。中学生時代は。たまに喧嘩したり、ヤンキーグループともめたりしてましたね。ほんと硬派な一面ももっていました。高校も同じ感じでした。250人ぐらいの70番ぐらいで入って、徐々に上がっていって。最終的には、やっぱり10番以内にいました。日本史は得意で、ほぼ1位独占でした。国語もそういえばよかったです。共通一次試験もともに9割超えてましたから。まあ、こうやってみると「こつこつ努力人生」を絵に描いたような人生でした。3年のときには、弁当2つもっていって、13時間ぐらい猛勉強してましたもの。お風呂も10分で、寝る時間も削って。あのころの写真をみると、すごく「ガリ勉顔」なんですよね。いまの欲望にまみれただらしない顔とは大違いです(笑)いつも高校の時のアルバムを見て感心しちゃいます。 「こんなに人の顔って変わるんだ!!」 ほんとに、官僚顔というか、すごく勉強できそうな顔してるんですよね。いま、ぜんぜんダメですけど。*恋愛こそ、あ、思い出した。1人ぼくを好きにあってくれた女の 子がいたんですよ。Fという子で。いつも妙にかばってくれた り、ほめてくれた女の子でした。卒業してあったら、きれいな女 性になってましたけどね。 甲子園にいくたびに(かつては甲子園常連校であった徳島の池田高校出身)結成される応援団の団旗もちをやったり、柔道では、3年の時に県でベスト8。 なんだかんだいっても満足しきった高校生活でしたね。 ところがですね。 「努力が裏切られる」事件が起きたのです。 そう、受験失敗です・・・ 共通一次、いまのセンター試験ですが、これいつものできと全く違う。日本史と国語以外は惨敗。とくに数学と生物は初めてとった点数でした。 いっきに番数を落とし、試験後の学校ではお通夜状態でした。 「こつこつ努力の崩壊」でした。 「報われないこともある」 そういうのを体験した事件でした。 これはさすがにショックでして、しばらく立ち直れませんでした。知らない間に、自分よりも成績低かった女の子が早稲田にうかったりしたして、なんだか複雑な時期でした。当時岡山大学の考古学専攻を目指していましたが、一気に当落。もう一つの夢だった教師に、そして家が3度目の職がえをして国立で、地元でないといけないということで教育大学をうけることになりました。これまた裏話なんですが、うちのオヤジが10年ぐらい立って、ぽろっと、「おまえを大学に行かすのは経済的に無理だった」「やめてもらいたかった」みたいなことをいったんですよ。おもえばね、中学の時に家を引っ越したんですよ。いまおもえば、経済的にうまくいってなかったんですよね。昭和前半の長屋みたいなところで、部屋は2つしかない。狭い家で、ぼろぼろでした。両親も3度目の転職(お好み焼き屋)が徐々にうまくいかなくなり苦しかったんでしょうね。うえには同級生の親で893が住んでいて(笑)一度事件が起きて、ほかのやくざとの抗争がありましたもの。夜中勉強していたら、包丁もって鉄砲玉らしき人間が逃げていきましたもの。その翌年には、組長逮捕されるし(笑)高校3年の時に、なやんでなやんで花屋に職を変えたんですよ。(いまでは町で一番大きい商いやってますが)だから、相当経済的にも参っていたと思います。だいたい花のことも知らないのに、花屋ですからね。母親も電車に乗って1時間30分のところへ修業にいったり、オヤジも市場のしきたりもしらないのに、市場へ仕入れにいったり。なかなかやりますよ、うちの両親は。受験失敗したときに、親の前で大泣きしたんですよね。あるとき。あまりにも悔しくて。そのときに親にだまって慰められて、すごく親の偉大さを感じましたね。あんなに起業直後で大変な時期に、子どもまで参っちゃってしまって、さらに経済的にたいへんな大学進学をしようとして。結局、大学進学は、授業料免除申請などをして、さらに寮にはいったのでどうにかこうにかお金がかからずに進学できました。今思い出したら両親の年収300マン切っていましたからね。相当苦しかったと思いますね。親子4人ですから。このころの体験の一つ一つがぼくを作り上げたと思いますね。まずは「こつこつ努力してもだめなこともある。」しかし「努力の積み重ねは、ヒトを成長させる。」「失敗したときこそ、真価が問われる。」ストイックな大西イズムだけでなく、「運」とか「無言の優しさ」に気付かされた時期でした。~続く~
2004.12.17
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小学生時代を一通り見てきましたが、ぼくの教育論のスタート地点も実は小学生時代にあります。少し、小学生時代に感じた教育論を振り返ってみます。ぼくの教育の原点は、先ほど書いたのをのぞくと2つあります。 1つは、いろいろな教師と罰との出会い。 2つめに、毎年の骨折。 です。なんだかめちゃくちゃな原点ですが。 ぼくの教育の原点は、いろいろなタイプの教師との出会いにあります。なぜかぼくの学んだ先生方はすべて校長になり、いまも活躍されていますが、いろいろな思い出があります。 みなさんも、いろいろな先生に出会えたと思うんですが、先生への思い出というと、たいてい「よい」か「悪い」かのどっちかで(笑)。 先生も人間ですから、まあどちらもいるのですが、ぼくの子供時代、つまり80年代の前半までは、教師の聖職性や権力は強くて、体罰も当たり前だし、ぼくらも甘んじて受けていました(笑)。 いまとなっては体罰もだめですが、良い時代でしたね。 ぼくは、200○年頃ですかね、喫煙や飲酒のことでずいぶんともめた学年がありました。元気な学年であったというのもあったのですが、家庭内のごたごた、とくに保護者の複雑な恋愛事情の犠牲があったりなどなどがあって、複雑な事情でした。どの学校でも過抱えている問題だと思います、最近は。 そうなると、学校で、やっぱり「出てくる」んですよね、メッセージが。怒られたいためにするのか、かまってほしいからなのか、なぜか見つかるとやばいのを知っているのに、学校で悪さする。 本当に「家族の信頼の糸が切れる」と、学校には来なくなって、外で悪さをするようになるのですが、この学年の子ども達は、やたら学校で悪さする(泣)。 校舎の陰で喫煙したり、最上階の部屋で飲酒をしたり。。。。 まあ、大問題になったのですが、その前後に、ある生徒ともめたことがあるんですよ。そのときに、ある先生がたたいたんです。部活を指導している生徒ですから。そのときにそのたたかれた生徒がいった台詞が「体罰で生徒がよくなるんか!!」です。それ以来、ぼくは体罰をしていません。まあ、もともと体罰はしない方でしたけど(笑) よく教育論になると、体罰肯定派と否定派で分かれますが、ぼく自身は、どちらかといえば体罰肯定派になります。 傲慢かも知れませんが、一時的に感情の隙間を作るテクニックとして「ほっぺたをはたく」ことや、あと不思議なことですが、80年代までに生徒時代を過ごしたヒトならわかると思うのですが、なんとなく「本気で怒ってくれた」ときに劇的な効果を発揮することもあります。ぼく自身も、そういう教育効果を目の当たりにしたことがあります。 けれども、逆に、暴力としての体罰も感じるときがあります。小学生時代に感じたのは、こちらのほうが結構ありました。小学2年生の時に、九九を覚えられなくて、廊下に立たされてぐらいにことはよかったのですが、友達が図書館のガラスをスライディングして割ったときには、えらく怒られたのを横目で見ていました。当然ぼくはまったくの第三者でしたけど(笑)割った友達は、髪の毛が右に左になびくほどたたかれていました。そのときって、体が硬直するんですよね、恐怖によって。ぼくのオヤジはぼくには体罰したひとで、あるとき騒がしくしていたときに「プラスティック制野球ばっと」でおもいっきりお尻をたたかれたり(小4)、人前でも、生意気な表現を使ったときにはばしっと、よく叩かれた思い出があります。まあ、いまでは大事なオヤジですが、小さい頃には「恐怖の象徴」でした。顔色一つでオヤジノ感情を読めましたもの(笑)だから、ぼくも顔色をみながら反抗してましたけどね。 *うちの親父は、脱サラしてラーメン屋や食堂、いまでは花屋を 経営する自営業なんですが、食堂をやっていたときには、一度 お客さんを包丁で追いかけたときもありましたからね(笑)。そういうときは体が硬直して動かなくなるんですよね。それと、暴力を最小限に食い止めようと体をまるめて、接触部分を少なくして、ひどすぎると、ちょっと自分の体であることを「忘れる」かのように、体が無反応な状態を作れるようになるんですよね。まあ、こういう状態が続けば、いわゆる「多重人格」になったり、トラウマになるわけですが、父親はそのぶん愛情も深かったので、そうはなりませんでしたがね。ぼくが大学受験に失敗したときにはうちの両親の励ましなしには、気持ちの入れ替えをできませんでしたもの。そのときの思い出から考えると、体罰は否定派なんですけどね。複雑ですわ。ただ、ぼく自身は抑止力として「暴力」も時にはあるかのようにやっぱりやっています。あの生徒の一言からいっさい使ってはいませんが、ときには「力」なしに混乱が収まらないのも事実なんで。 みなさんはいかがですか?さて、もう一つ。骨折です。実はぼく小学生から中学生までの間、1年おきに、ひどいときは続いてですが、よく骨折してました(笑)。まあ、たわいもない遊びをしてこけて骨折したり、階段から飛び降りてやっちゃたり、野球をしていて外野を守っていたときにフライを捕ろうとして顔面からコンクリートに激突。前歯3本が真ん中から折れてぐらぐらになったこととか。オトナになってまで通算すると、8回ぐらいやってます。そうなると、一時的に「障害者体験」になるわけです。右手を骨折すると、左手しかつかえない。文字を書くにも左手トイレも左手で不器用にお尻をふいたり(泣)、お風呂も大変なんですよ、両手でできないので。足を骨折すると、50メートル松葉杖であるくのも大変です。一度学校から家まであるいた事があるのですが、20分もあれば帰れる距離を1時間30分以上かけて帰ったこともあります。そうなると、いろいろ見えてきます。松葉杖で階段を上るつらさ。利き腕を使えないで、板書を書くつらさ。よくいうバリアフリー。身をもって小学生時代に体験しましたね。良い体験でした。いまおもえば、体罰や障害者教育を自分なりに体験的に考える機会が多くあったのが小学生時代でしたね。~続く~
2004.12.16
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おおにしの個人的な自伝を書いていきます。そこから自分なりに、どうしてこんなふうに教育を愛すようになったのか、整理していこうかと考えています。まずは、おおざっぱに自分の来歴を語ります。それが最初となります。1970年11月16日四国徳島で誕生しました。今年で34歳になります。生まれたときの写真は、「さぞかし女性を泣かすだろう」と呼ばれた(笑)美男子ぶりですが、それは幼少期にとどまります。保育所では、地域一番の悪ガキで、保育所から脱走したり、納屋におしおきで監禁されたこともありました(笑)そんなこんなで幼稚園デビュー。幼心に、幼稚園の担任の先生が美人だったので喜んでいた記憶があります。まあ、そんなこんなでいわゆる悪ガキ時代を超えて、小学生になりました。小学生の時の成績は、「あひる」です。つまり「2」ばかり。そのかわりに、当時はスリムで足が速く、小2までかけっこ一番の写真が残っています。そのころ、テレビでは「熱中時代」という番組が人気を博していました。水谷豊さん演じる熱血教師北野広大先生が大好きでした。ぼくの世代より上なら金八先生より北野先生でしょう。それより上の世代には、「夕陽丘の総理大臣」とかあるのですが、ぼくにとって、教師を目指すきっかけとなったのがこの番組でした。「ぼくのせんせいは~~フィバ~嵐を巻き起こす」というフレーズではじまる挿入曲は、いまだに歌えます(笑)ところが、転機がありました。小3のころ、レントゲンの写りが悪いということで、あやしげな薬を飲むようになりました。いまだになんの薬かわかりませんが、その薬を飲んでから、体質がいっきにかわり、太る体質になりました。その結果、4年生になった頃には、かけっこの最後を走らざるを得ないポジションにおちてしまいます。これが第1のぼくのターニングポイントでした。それまで悪ガキで運動神経もそこそこよかったのが、いっきに一番下に下がる。6年生になると、長距離マラソンなどで学年のブービーを争ったときなど、最低の思い出です。同じ肥満同士で、みにくく最後を争うんです(笑)このときはいろいろ肥満でちくちくといじめられましたし、妙に正義感の強いところもあったので、よく喧嘩もしました。体は大きかったので力はつよかったので いわゆるいじめとは違うのですが、連絡帳とかノートにいろいろないたずら書きをされていたこともよくありました。そうそう。このころサッカーをしていたのですが、当然太っているので、キーパーでした。けれども、これも近所のはせというメンバーが入ってきたらすぐに控え。DFに転向とかいろいろやりましたが結局うまくいきませんでした。最終的に、ぼくはこのころ、「自分に見切りを付ける」という作業を選びました。サッカーという競技では、自分の体の大きいのは絶対的に不利だと。自分はこの環境では絶対に活かされることはないというのに気がつきました。そこで中学生で選んだのが「柔道」、つまり自分の体を活かせる自分が有利に戦える環境に移るわけです。結局、ここでの選択が功を奏し、中学時代は、いつも2位か優勝でした。今思えば、この自分を行かせる場所に移動することで、成功をつかむという体験をしたのが、大きなポイントだったと思っています。さてさて、それをさかのぼること、小学4年生。実は勉強面でも、ターニングポイントがありました。たしか、4年の頃だったと思います。なんで自分は「あひるの成績なんだろう」と。。。考えたことがありました。まわりには、やすくんという優秀な友達がいました。彼は頭脳抜群スポーツ優秀というやつで、何年か前の飲み会でも、自分のもて期は小学校時代だったといっていたぐらい、ずば抜けていたやつです。ほかにも明徳義塾にいった西岡とか、まわりに優秀なやつがいました。そいつと何が違うんだろうと。。。小学生ながら頭脳をフル回転です。とにかく違うところを見つけました。というよりも賢いやつの「共通点」を探したのです。すると、あるとき気がつきました。「机の中が整理されている」そうなんです。賢い連中はなぜか男女問わず「机の中が整理整頓」されていたんです。今思えば、それほど大したことではなかったと思います。しかし、自分と「できるやつとの違いを考える」という「問いの設定」を覚えたのは、すごく自分を変えるきっかけとなりました。いまだに鮮明に覚えています。放課後、賢い男女の机の中を確認したことを。そこから4年、5年で、どうにか中の上へとあがっていきます。当時通っていた塾の安田先生のおかげもあり、ゆっくりとでしたが肥満で、頭の悪い男がどうにか、頭の悪いという部分だけはかばーできそうな感じになったのです。当時4年のときの担任の先生が、うちの母親に、「ラブレター書くのにも困る成績ですね(笑)」といっていたのを思い出します。よく母親が思いだしたように言うときがあります(笑)そして、そのころボクは塾の安田先生の「洗脳」を受けることになります。なんか衝撃的でしょ。ぼくは当時やや卑屈になっていました。自虐的でした。そこに、変わった塾の先生であった安田先生は、道徳的な生き方をぼくに教えるわけです。安田先生はもうお亡くなりになられましたが、ぼくの高校までの「道徳観」を作り上げてくれた人です。安田先生は、日蓮宗の教えをすごく信じていて、そういうコメントをいつもしゃべるわけです。人として「どのように生きるのかと」。ぼくはどんどん安田イズムを自己の生き方にしていきました。清廉潔白な男としての生き方を目指そうと。今の私からは想像もつきませんが(笑)そこで拍車がかかります。4年生から安田塾に通っていたわけですが、そのころぼくはなぜか歴史と神秘的なものが大好きで、このころからオトナのよむような「歴史読本」という専門雑誌を定期購読するようになります。そして、なぜか学研の「ムー」も(笑) 「ム-」は知る人ぞ知る雑誌で、オカルトや超能力関係、古代文明など、その手のものをこれでもかこれでもかと紹介する雑誌でした。 複雑な小学生時代でしょ。 やんちゃ坊主が肥満児になって一気に自信を失い、オタク化し、仏教的な禁欲的生き方を身につけようとしていた。 そんな時代がぼくの小学生時代でした。 ~続く~
2004.12.15
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こんな記事が出ました。○産経新聞抗日歴史教育、中国強化へ 南京事件67周年、盛大に愛国行事 【北京=野口東秀】中国・南京で旧日本軍が30万人を虐殺したと中国が主張する「南京大虐殺」事件が13日で67周年を迎えた。来年の「反ファシスト勝利60周年」を控え、抗日歴史の宣伝工作が活発化するなか「南京大虐殺記念館」では小学生らを集め愛国行事が盛大に実施された。 中国中央テレビなどによると、「南京大虐殺記念館」では13日、小学生の団体を含め約3000人の市民、軍人を集め式典が開かれた。記念日を示す空襲警報のようなサイレンも3分間響き渡った。 13日を前に中国主要メディアは虐殺の「生存者」に焦点をあてており、12日には179人の生存者に各界からの援助を得られる証明書が授与された。 一方、中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」は13日、大学生1000人対象の意識調査を1面に掲載。事件の日付を知らない回答者が多く、一層の歴史教育が必要と分析されている。 調査では92%が「虐殺の人数は30万人」と回答したほか、93%が「虐殺の歴史教育の強化が必要」とし、「記念館を世界遺産に申請すべきだ」も73%に上った。 「大虐殺の歴史はメディアを通じて知った」とするのが過半数を占め、政府主導の宣伝工作が極めて高い効果を生んでいるといえる。 もっとも、「現代日本への理解が不足しており、もっと知るべきだ」と考えている学生も63%に達している。【2004/12/14 東京朝刊から】あいもかわらず、中国の反日教育・抗日教育はめざましいものがあります。靖国よりも、このほうを問題にして正式に中国に訂正をのべたほうがいいですね。。30万人を殺害しようとすれば、どれだけ計画的に殺害方法を考え、どのように埋めるのか。仮に、1分につき一斉射撃で100人同時に殺害したとしましょう。1000人で、10分1万人で100分です。10万人で1000分30万人で3000分です。実に、殺害し続けて、50時間これに、遺体の処理時間が入ります。よっぽど計画的か、大量の殺害方法をしないかぎり30万人とはなかなかいきません。一説によれば、南京には30万人もの人すらいなかったと言われています。そういう事実を日本は提起しているのでしょうか。。。靖国問題のみならず、中国海軍の問題。今年に入って36回もの、かってな海底調査と領海侵入。そういう事実を中国国民は理解しているのでしょうか。。。こういうことを議論せずにやっているあいだに、自衛隊はのらりくらりと変形していっています。これまた、おかしな現象です。きちんと議論して、自衛隊を軍隊にすることは賛成ですが、いまの流れは危ない限りです。。。おかしげな流れです。好日になることもなく、どんどんお互いが、反共・反日でいくようです。どうしたものやら。。。
2004.12.14
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ども、おおにしです。昨日兵庫でラグビーの試合で、ぼろぼろになって帰ってきました。おでこにすりきず、スクラムで首は動かない、肩は上がらない、肘はいたくて寝返りうていない、筋肉痛で腹筋やらなにやらいたいで、たまりません(笑)先日もオヤジノセナカプロジェクトin京都が終わり、ゲストを入れて10人に満たなかった大阪でのリベンジを京都で返しにいきましたが、これもあえなく敗退。ゲストと身内入れて50人程度のイベントとなりました。さてさて、いろいろばたばたと忙しく駆け回っておりまして、おおにしもちと疲れております。というよりも、「飽きてきました」次なるモチベーションをあげる「何かとの出会い」を作るためにしばらく充電しときます。来年もいろいろ「人生を遊ぶ」ことができるように、いろいろ充電です。また、いろいろやらなくちゃいけないことあるんで、それも含めて、練り直しです。それでは、師走をかけぬけましょう、みなさん。では
2004.12.12
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ヨン様ブーム、韓国も騒がす「朝鮮通信使以来の熱風」「経済効果は数千億ウォンに」“○○様”すっかり韓国語 【ソウル=久保田るり子】ヨン様が日本で引き起こした熱狂のブーメラン効果もあって、韓国では今、「日本の“韓流”熱風(ヨルプン)」に関する分析や考察が盛んだ。ヨン様ことペ・ヨンジュンさんの人気は朝鮮半島からの対日熱風としては「四百年前の朝鮮通信使以来」(朝鮮日報)とされ、ヨン様詣で客による免税店の売り上げ急増などで経済効果は数千億ウォン(数百億円)に上る。日本の映画誌、「キネマ旬報」も三十日、「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督に特別賞「日韓友好功労賞」を贈呈した。 「キネマ旬報賞」は映画賞として知られる。今年は映画界に“韓流”が押し寄せるきっかけを作った冬ソナに注目し、ユン監督は同賞初の海外特別賞受賞者となった。 ユン監督は冬ソナ人気を問われ、「誰もが持っている純粋な感情への追憶ではないだろうか」と答え、「製作者の意図を超えた、作品がもたらす文化の力には私自身も驚いている」と語った。 韓国では特に今夏から東部江原道の春川や龍平といった冬ソナのロケ地に日本人女性観光客が殺到する現象が起きた。 「ヨン様に迷惑をかけてはいけない」と、現地を清掃する人もいれば、結婚式をする日本人カップルも出現。人気にあやかって「ヨン様出入り」を看板に掲げる焼肉レストランも。韓流スターが出没する高級ブティック街には日本人客が増え、韓流スターが登場する催事には日本人女性が必ず押しかけ、韓国マスコミの話題になっている。 ぺ・ヨンジュンさん訪日に際しては連日、日本での「熱風」が「写真展に徹夜組も」「日本メディアの密着取材」などと報じられ、ニュース専門テレビYTNなどは「なぜヨン様が日本で受けるのか」という討論特番を組んだ。近く「日本の韓流熱風」との分析本も韓国で出版される予定だ。 「中国で韓流は五年しか続かなかった。韓流をわれわれの大衆文化として拡大するには民間や文化産業が交流し第二、第三のスターを作るシステムが必要だ」(評論家イ・キジン氏)との専門家提言も行われている。 韓国観光公社の調査では、ヨン様ツアーなど韓流観光客は一-九月で二十万人に達し、ヨン様観光の収入は約二千四百億ウォン(二百四十億円)、今年四月からぺ・ヨンジュンさんをCMモデルに起用しているロッテ免税店は売り上げが10-15%アップ。韓流経済効果全体はこの数倍とみられている。 ちなみに「ヨン様」はすっかり韓国語になってしまい、自分の名前に「様」をつけるオジサンまで現れたりしている。(産経新聞) - 12月1日15時48分更新
2004.12.01
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