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今日は仕事帰りにDVDを借りて帰った。「3年B組金八先生 Part2」である。私はこのドラマがとても大好きである。Part1から現在放映中のPart7までずっと見ている。生徒の名前もかなり憶えていて、リンリン竹ちゃんとカラオケに行った時はいつも「贈る言葉」を歌いながら、その間で生徒の名前を言うといった芸(?)をいつもやらされる…。私がこのドラマが大好きな理由はその時代の教育現場で起こっている事柄をテーマに進めていく点である。妊娠・校内暴力・いじめ・性同一性障害・ドラッグ…。このような様々な問題に武田鉄矢演じる金八先生と生徒達が取り組んで行きながら3年B組なりの答えを出していくのだがこの問題がその時その時の実際の教育現場で起こっている事だから、とても感情移入がしやすいのである。自分が生徒の立場であった時の見方と人の親という立場になってからの見方は明らかに変わり、2つの立場で感情移入をしながらいつも見ている。今日借りたPart2は「金八世代」と呼ばれる方にはとても印象深いシリーズであろう。なかでも「腐ったミカン」と呼ばれた加藤優(直江喜一)が自身を追い出した中学に校長達を謝罪させるといって乗り込み、ついには謝罪を勝ち取って、全校生徒の拍手を受けるがそこに警察が介入し、加藤らが捕らえられ、護送車にて護送される…。中島みゆきの「世情」がバックに流れた、このシーンは賛否両論あるが私の中では日本ドラマ史上最高のシーンである。「筋」を通したが「権力」「組織」には理解してもらえない。これは一般社会においてもよくある事であり、その繰り返しで人は「権力」「組織」に迎合していく。これが悪いとは私は思わない。そうしないと守るべきもの(家族や色んなもの)が守れなくなるかもしれないからである。私も自身が気付かないところでそうなっているのかも知れない…。しかし、どうしても「筋」が通らないと思った時は「権力」や「組織」にツッぱる事も大事ではないか。先日、裏金について内部告発をした愛媛県警の巡査部長のように…。私にも守るべきものがあるが通さなきゃいけない「筋」はしっかり通せる人でありたい…。人間誰しも自分を励ます時の「心のBGM」があると思う。ここで私の「心のBGM」であるこのドラマの主題歌の歌詞をこの日記に記したい。人として(作詞:武田鉄矢)遠くまで見える道で君の手を握りしめた手渡す言葉も何もないけど思いのままに生きられず心に石の礫なげて自分を苦しめた愚かさに気付く私は悲しみ繰り返すそうだ人なんだ人として人と出会い人として人に迷い人として人に傷つき人として人と別れてそれでも人しか愛せない夢を語り合えばいつも言葉はすぐに途切れてしまうひざを抱えてうつむくことばかり鳥のように生きたいと夕空見上げて佇むけれど翼は愚かな憧れと気付く私は大地に影落とし歩く人なんだ人として人に出会い人として人に迷い人として人に傷つき人として人と別れてそれでも人しか愛せないそれでも人しか愛せない
January 31, 2005
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今日、私は午前中で仕事を終わらせて息子と一緒に彼が通う小学校のグラウンドに向かった。それは野球部に入部させて頂くお願いに行く為であった。監督さんにご挨拶をし、その後マネージャーさんに入部するにあたっての説明を受けた。練習日は毎週水・木・土・日曜日である。それに先週から始めた書道教室が毎週金曜日にあるので何もないのは週に2日だけとなった。つい最近までそういったのがなく、学校から帰って遊ぶだけ、土日の休みも遊ぶだけという生活から一変する毎日になる。息子もそれに対して少々戸惑いもあるようであるが彼はそれに対して「がんばってみる…」との事。環境が変化する事での戸惑いは大分から福岡に出てきた私もとても感じる部分である。しかし、その変化に喰らい付いていく事が色んな成長や刺激をもたらすはずである。(私の場合は時間の有効な使い方について考えたり、今まであまり関心のなかったはずのOSSで営業マンとして人間として磨きを掛けたいと思うようになった)息子にはこの環境の変化のなかから、人への思いやり、自己犠牲の精神、集中力などを身につけてほしいと強く望む。息子が入部した野球部は数年前までは市内でも強豪と呼ばれていたチームだったらしいがここ最近は部員数の減少で力が落ち、練習も親が参加して行われてるとの事。野球好きの私も積極的に参加をして、息子と一緒にボールを追いかけたい。その為には今まで以上に「仕事の質を上げて」、息子とともに野球をする時間を作らなければ…。息子の野球部入部によって私の環境が変化するのもとても楽しみである。あっ、それとしげ4君!たまには福岡に遊びにきて、拓也に野球を教えてあげてな!お願いします。
January 30, 2005
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昨日はOSSに初参加しました。今回の内容はリンリン竹ちゃんが大人物と仰られるキューインの黒○社長のお話を聞かせて頂きました。『1mの氣』というテーマで講演は進められ、黒○社長の生い立ちからキューインに転職したきっかけ、見知らぬ熊本という地において何も無い所での悪戦苦闘された事、その中で勇気を振り絞って前に出た1mによって見えてきたもの…。何度か転職をし、今回見知らぬ福岡の地での勝負に出た自分自身に照らし合わせながら、お話を聴かせて頂きながらとても印象に残った言葉は…『オンリーワンを1つじゃなくてたくさん作る。小さな土俵をたくさん作って勝負する』「私だから…」「私でなければ…」といえるものを1つ1つ築いていって、ナンバーワンを目指していかなければと思いました。「オンリーワン」という言葉も自身の気持ち1つで甘えや1人よがりになるのではないか…。学生時代、野球・柔道といったスポーツを行ってきた私ですが、「自分にしかできないプレイ」・「自分だからできるプレイ」を追い求めていくなかでナンバーワンを目指してきた自分がいました。スポーツはただ単純に楽しむだけでは意味がない。少しでも上手になりたい…と思いながらナンバーワンを目指す事でそのスポーツをもっともっと楽しいものにしていってたはず…。例えナンバーワンにはなれなくても、ナンバーワンになる為にオンリーワンを積み重ねていく事でそれに取り組む時間・日々を充実できるものとしてきたはず…。これを今の自身の人生(仕事)にも置き換える事で日々を充実させていきたいと思いました。OSSの皆様に対して今回の参加で感じたのは「情熱」です。営業をやられてる方にとって、金曜日の夕方から夜という時間は土日のアポをとる為の貴重な時間のはず…その時間を割いて、現状に満足せず、自己研鑽に励まれる姿を見させて頂く事で私自身とても刺激を受ける事ができました。今後もこの会に参加させて頂く事で常に刺激と実践する行動力を学ばせて頂きたいと思います。キューインの黒○社長、OSSの皆様、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い申し上げます。昨日はOSSのセミナーが終わった後は黒○社長を交えての懇親会があり、その後はリンリン竹ちゃん、ボスさん、自称一番弟子のまっちゃん、きくりん1518さんととあるスナックにて次回OSSにお見えになられるlavanellさんの歓迎会の練習が行われ、終わったのが朝方の4時でみんなで仮眠をとった後、私は5:30のバスで福岡に帰り、その他の皆さんは6:00からの倫理法人会に参加されました。歌い過ぎで喉がガラガラで極度の寝不足なので今日はゆっくり寝ようと思います。lavanellさんっ!今度のOSS、楽しみにしてて下さい!みっちり練習しましたので…。
January 29, 2005
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先程、明日OSSに参加させて頂く為に福岡からの高速バスの予約を行った。OSSの存在というのはかなり以前から知っていた。私の人生の師匠であるリンリン竹ちゃんが代表を務め、前職の後輩であるしげ4君が事務局を務めている関係上、この会が発足した当初から知ってはいたが正直参加する気にはなれずにいた。というもの1番最初に勤めた自動車リース会社でリンリン竹ちゃんの教えを受けたお蔭もあり、また生来の人懐っこさでそこそこ売れてきたつもりでいた。自身の中ではある意味「感覚」というか「感性」の部分で売れると思っていた節があったのだ。しかし、それは見知らぬ福岡の地で会社を立ち上げて、日々営業活動をしていくなかでとても大きな勘違いに気づいたのである。立ち上げたばかりの会社など当然のことながら誰も知らない。それでなくても競争相手の多い福岡である。多くのお客さんは名の知れた所に行ってしまう。私が大分(会社の中)でそこそこ売れてると思ってたのは私ではなく、私の勤めていた会社が長年かけて築き上げてきた「安心」「信頼」という名の「ブランド」でお客様が商品を購入していた事に気付いた。そう思っている時にリンリン竹ちゃんからOSSのお誘いを頂いた。私の性格を誰よりも熟知しているリンリン竹ちゃんが「今この時」というタイミングで「今度のOSSはとてもいいお話が聴けるから必ず来いっ!」と言ってくれた。リンリン竹ちゃんと知り合ってもう8年近くなるが私が様々な岐路に立った時、いつも的確なアドバイスを頂いた。その中にあの人の後輩である私への思いやりをいつも感じていた。私はすぐに「行かせて下さい」と言いました。今までOSSに関心を示さなかった私が…である。明日のOSSではリンリン竹ちゃんが大人物と仰られる黒○社長のお話が聴けるのも楽しみだが、OSSの皆様の高い「スキル」と熱い「情熱」に触れさせて頂く事でまた一つ成長したい。これから私は自分が立ち上げた会社に「安心」「信頼」という名の「ブランド」を築き上げていかなければならないのだから…。リンリン竹ちゃんにお誘い頂いてから明日という日をとても心待ちにしていました。OSSの皆様、宜しくお願い致します。
January 27, 2005
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今日は1日中チラシ配り…。ここ数日はほぼ毎日のように問い合わせがあり、チラシをポストに押し込む手にも力が入る…。しかし、福岡の冬は大分に比べるととても寒い。玄海灘の潮風のせいか、はたまた原チャリで活動しているせいか…。自分で創った会社とはいえ、寒くてチラシ配りに出たくない時もある。そんな時は息子の連絡帳に書かれた文を読んで、自分に渇を入れている。(原文のまま)十月二十八日木曜日ど力遠足の話し合いをしました。23ぱんになりました。でも、てんこうするのでいけません。4キロあるくそうです。いっしょにいきたかったです。これは息子が前の学校を去る、1日前の連絡帳に書いたものである。拙い文であるがこれを読んだ時に私は涙が止まらなかった。息子は前の学校が大好きだった。友達も多く、毎日我が家の狭い部屋に7,8人の友達が来ていた。彼はみんなと一緒に遠足に行きたかったんだろう。けど私のわがままで、私が福岡という地で勝負してみたいの一心で彼に淋しい思いをさせてしまった。本当は転校などしたくなかったはずだ。しかし、彼は「僕はお父さんの決めた事だから、それについていくだけだよ」と言ってくれた。自分の淋しい気持ちを押し殺して…。もう2度と彼に淋しい思いはさせたくない。この地に骨を埋めるつもりで日々の仕事に取り組むのみである。
January 26, 2005
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今日の新聞に「昼寝ビジネス お目覚め」「仮眠専門店 福岡にも登場」とあった。福岡市内に昨年の12月に多忙で睡眠不足に悩むサラリーマンやOLに心地よい仮眠を提供するお店がオープンし、どんどんお客さんが増えているという記事である。店内は照明を落として薄暗くし、仮眠用マッサージチェアを置き、ヒーリング音楽を流して眠気を誘うようにしているとの事。因みに利用料金は15分350円~である。首都圏ではこの「昼寝ビジネス」というものが流行の兆しを見せているらしいがこの福岡の仮眠専門店を経営されている女性の経営者の方は自身が会社勤めをされている時に昼寝をする場所が欲しかった経験からこのお店を思い立ったとの事。確かに仕事中に仮眠をとる事はなかなか難しいと思う。スペースの問題もあるし、「仕事中に寝る」という事に対して周囲から理解を得る事は難しい部分もあるだろう。だから、この試みは非常に面白いものではないかと思う。時間と料金の設定に対しても興味深いが…。15分という時間は昼食を済ませた後に作る事が出来る時間だと思う。それに350円という料金も高いと思うか安いと思うかは人それぞれであるが不眠症や常に眠気に襲われるか過眠症といった睡眠障害から自身を守り、仕事の能率を上げるメリットを考えれば決して高いものでもないと私は思う。かくいう私もほぼ毎日仮眠をとる時間を設けるようにしているのである。だいたい昼食を摂った後に15分くらいである。福岡に来てからの私の平均睡眠時間は4時間くらいであろう。「4時間寝れば平気」と思っていたが今までみたいに車でお客さんの所を回るのではなく、歩いて回る機会が多くなると知らないうちに疲れが溜まり、結局仕事が捗らない時期があった。しかし、仮眠をとるようになると体調がとても良くなったのです。今月はまだ1日も休日がないのですが全然キツク感じないのです。この仮眠ってのは微妙で15分くらいだと仕事の効率も上がるんでしょうけど1時間も仮眠をとると却って頭がボーっとして効率が上がらなくなるような気がします。しかし、このような「昼寝ビジネス」も会社の経営者の方達などが仮眠をとる事で仕事の効率が上がる事に理解を示せば、毎日350円を使わずに済むんでしょうけど…。
January 25, 2005
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最近、近くの体育館のトレーニングセンターに通い始めた。忙しい毎日ではあるがこれも自身のテーマである「時間の有効活用」の一環として週に3日通うようになって2週間が経った。トレーニングセンターに通うようになった理由としてはずっと営業の仕事を続けたいからである。ずっと営業の仕事を続けたいとはかなり前から思っていた事ではあった。人と会うのがとても好きだし、自分を活かせるのはこの道しかないと思っていた。しかし、その思いを今まで以上に強く持つようになったのは冬休みの宿題で息子が書いた「自分の夢」という作文を読んでからである。息子は作文に「僕の夢はお父さんと一緒にマンションを売る事です。お父さんは僕に「お父さんは人が一生で一番高い買い物のお手伝いをしているんだ」とよく言います。僕はその話を嬉しそうにするお父さんの顔が大好きです。僕もそんなお父さんと一緒に一生で一番高い買い物のお手伝いをしたいです。」と記していました。私はそんな息子の作文を見て、とても嬉しかったです。まだ物事がわからない小さな息子ですが彼なりに私を見て、そのように感じてくれた事に対してです…。高3で柔道を引退してからまともなトレーニングなどやった事が無くて最初は苦しかったのですがそんな時は彼の拙い字で書かれた作文を思い出す事で始めた当初の筋肉痛になんとか打ち克つ事が出来ました。子供の夢はコロコロ変わったりするから彼が社会にでる頃に私の仕事を志すかどうかはわかりませんが、彼が志した際には彼に私の持ってる物全てを伝える事ができるように日々勉強・体力増強を行って高いパフォーマンスを保持していたいです。その日が来る事を楽しみにしっかり自己投資するで~!
January 24, 2005
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今日はいつもより早く家に帰る事ができ、子供と一緒に最近流行りのお笑いコンビ「レギュラー」のネタである「あるある探検隊」の練習をした。今月になって、休日がまったくない。11月からチラシを配り始めた成果が出始めたのか?問合せの電話が結構掛かってきて週末には案内が入り、平日は物件調査やお客様のフォロー、チラシ配りと休める時間がない。恐らく今月に入っての睡眠時間は平均4時間といったところだろう。しかし、11月・12月より忙しいのに体調はとても良く、毎日もとても楽しいのである。それはなぜか?と自分自身考えてみた。そして出た答えは「時間を有効に活用」できるようになったからだと思う。「24時間は平等に与えられた時間…」その事は以前日記にも記したが祖母に教えられた。私もそう思い、大手や老舗の不動産会社がやってない時間も仕事をしていた。チラシ配りも朝から夜までやって、夜は事務所で事務作業を行い、平均睡眠時間は今と同じくらいであるが今の方がとても楽なのである。それはただ単にそれに「慣れた」からではないと思う。リンリン竹ちゃんの日記の中で平等に与えられた24時間を有効(ここが大事だと思う)に使う為には「仕事の質を上げる」と書かれていたが正に「その通り」だと思う。弓矢の弓も張りっぱなしだと肝心な時に使えなくなるが人間の身体や気持ちもそうだと思う。人間は「ゆとり」を持つ時間を作る事がとても大切だと思う。家族とゆっくり過ごしたり、色んな人と会って語らう事で自身を「磨く」事は大切である。しかし、仕事は生きていく為に一番大事な事であるから、この量を減らしたくはない。そう考えるとやはりリンリン竹ちゃんが言われるように「仕事の質を上げる事」が上記の事を実現する為に一番良い方法だと思う。この事を心掛けて仕事に取り組むようになると以前よりも仕事量が増えたにも関わらず、全然キツクなくなったのだ。それは仕事の質を上げる事で時間の余裕ができた事で家族と過ごす時間が少しずつ増え、また色んな人と会って語らう時間を持てるようになったからである。今まで以上に仕事の質を上げ、もっと「ゆとり」と「磨き」の時間を作りたいと思う今日この頃です。けど、時間って凄いですよね?使い方一つでその人の人生を大きく変えてしまうパワーがあるんですから…。
January 23, 2005
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今日、私はリンリン竹ちゃんの師匠である高橋幹先生のセミナーを受講させて頂くべく大分に向かった。セミナーは題して「増客システム 5つのステップ」と言って、成長期の常識から脱皮して、新たな増収増益システムを作り上げる為のハジメの一歩を歩き出す事をテーマとして行われた。私自身、福岡に来てから3ヶ月近くになる。その中で大手や老舗と呼ばれる不動産会社よりもマンションを通じて多くの方達と出会う為には以前日記にも記したが皆に平等に与えられた24時間をいかに有効に使うか…って事を考えていた。しかし、それだけでは足りない。弱者が強者に「勝つ」為には勝てる策を練らなければならない。そして、その策を実践しなければならないと思う。しかし、自身だけで考えてしまうとついつい1人よがりになりがちであるから、その様な勉強をしっかりされた方のお話を聴かせて頂ければと思っていたところにリンリン竹ちゃんとしげ4君からこの高橋先生のセミナーを紹介して頂き、すぐに申し込みをさせてもらいました。私は現在、福岡市内にて1週間で約15,000枚のチラシをポスティングしている。だいたい6,000枚に1件くらいの割合で問合せがきている。しかし、我が社は新聞折込広告は全く行っていない。それを行ってる大手・老舗より多くの方達と出会う為には「広告の精度を高めていくしかない…」これが私の出した結論である。今回のセミナーには広告作りのエッセンスがふんだんに盛り込まれていて、とても楽しかった!事前に先生にご挨拶させて頂いてたお陰で講演中も色々な例え話もマンション販売を例に置いて話をして頂いて、わかりやすかったし、何より先生の話がとても面白くて予定時間をかなり過ぎていたが私はゲーテの最期の言葉である「もっと光を…」ではなく「もっと話を…」状態だった。そんな私はセミナーが終わった後も先生にご一緒させて頂き、実際に私が作成しているチラシの診断をして頂き、尚且つ作り方のヒントも頂けた。その後は食事もご一緒させて頂き、「男と女についての関係」等かなり砕けた感じの話もあり、先生の人間としての奥深さも学ばせて頂いた。高橋先生、今日は本当にありがとうございました。これからの自分がやるべき事が先生のお話でわかりました。とにかく「実践」します!リンリン竹ちゃん、しげ4君、とても充実した1日になったのも2人が高橋先生との出会いを与えてくれたからだと思います。本当にありがとうございました。リンリン竹ちゃんに今日の感動を伝えたくて高橋先生と別れた後、すぐに電話したのですが留守電…。そうやった。今海外やったんや…。今日は妻の3?回目の誕生日だ!ケーキと美味しい紅茶を買って帰ろう~っと。あっ!確かしげ4君!1回目の結婚記念日やったな~。おめでとう!いつまでも変わらぬ愛を…。
January 21, 2005
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今日、高3の時のクラスメイトから数枚の写真が届いた。その写真とは先月の30日に行った、高3の時のクラスメイト10人(男のみ)での飲み会の際に撮影したものである。毎年、この時期になると私はその時の仲良しグループであった4~5名で「忘年会」と称して飲み会を開くのが恒例である。しかし、今回は私も30歳になって昔を懐かしむようになったのか、仲良しグループの1人に「いつも同じメンバーってのもつまんないから、クラスのみんなを誘ってみよう」というと彼も大賛成してくれ、思い立ったら、すぐ行動に移す私は卒業アルバムを片手にクラスメイトであった16人に声を掛けたら、みんな大賛成してくれ私を含めた10人が当日参加できる事になった。会場もその中の1人のTが国東半島の海沿いで親の跡を継いで民宿を営んでいるのだが彼がそこを提供してくれる事になった。電話で話を聞くと殆どのクラスメイトは結婚して子供がいるとの事。一緒にみんなで馬鹿をやってたのがついこの前だと思っていたのに時の流れの速さをつい感じた。しかし、飲み会が近づく1週間前に私は重大な事に気がついた。それは家業の手伝いである。以前この日記にも書いたが私の実家の年末は目の回るような忙しさなのである。しかも、今年は母が病気の為、その分忙しいのである。その事を1番仲の良い友人であるAに相談すると「大丈夫、大丈夫…」ととても気楽である。「俺に任せてたらいいよ」と言ったので彼が手伝いに来てくれるのだろう。しかし、それでも手が足りないのである。それを彼に伝えても彼はまったく意に介さない。当日がやってきた。早く仕事を片付けて、会に出席したい私は前日から一睡もせずに仕事をしていた。それでも仕事は一向に片付く気配もしない。そうしてるとAがニヤニヤしながらやってきた。Aは「助っ人を連れてきたで」と言うと会に参加するクラスメイト全員が手伝いに来てくれたのである。私は涙が出そうになった…。「みんな、結婚していて色々と忙しいのに…」するとみんなは「ば~か!早く終わらせて飲むで!」みんながやってくれたお陰で予想以上に仕事は早く終わり、私は会に参加できる事になった。終わった後、みんなにお礼を言うとみんなは「お前が今回の会を企画してくれて本当に嬉しかった。お前がおらんと面白くないし…」 私は涙が止まらなかった。するとそれに感動した私の父が「これを持っていけ」とAに焼酎を差し出した。その焼酎とは私の実家の近所の酒屋さんが製造している「兼八」というめったに手に入らない焼酎である。Aは父に「おいちゃん!これを待ってたんよ」と言いながら笑ってたが私はAなりの思いやりにとても感動した。以前に日記に私の人生は周りの人達に「生かされた」人生だと記したが正にその通りである。私の高校生活はとても充実したものであったがそれは彼らによってもたらされたものだと実感した。会が始まり、みんなの近況報告・高校時代の思い出話にも花が咲き、気が付けば朝になっていた。高校時代、優等生だったKが仮装してのマツケンサンバにも笑い、当時見る事の出来なかったKの素顔を見る事もでき、楽しくもあり内容もあり、とても充実した会であった。Yの提案でこれから毎年12月30日はこの民宿で飲み会を行う事が決まった。民宿の跡取りであるTもこの日は予約は取らないとの事…。そんな彼に敬意を表して会の名前は民宿の名前を頂き「しおじ会」と名づけられた。いつまで続くかわからないが私はこの集まりを大事にしていきたい。友人の1人であるNが「来年もここでいい近況報告ができるようにみんな1日1日を充実したものにしよう」と言った言葉を胸に私自身、充実した毎日を過ごしていきたい。宝物のようなクラスメイトに会えるのを楽しみに…。
January 18, 2005
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来週から息子が書道教室に通う事になった。きっかけはこの前の正月の書き初めだった。学校の宿題で書き初めにて1枚書く事になり実家で息子が道具をセットして書き始めたのだが、これが何とも言い難い字で周りから「大丈夫か?」の声…。私には兄と妹がいるのだが3人とも小学生時代に祖母から強制的に書道教室に通わされていたのでそこそこの字は書けるつもりでいる。私は息子の書く字より、書く際の姿勢がとても気になった。というのも書いてる最中にきょろきょろして集中できない点である。私は小学生時代、書道教室の先生から「字の形は気にしなくていいから、心を筆先に集中させなさい」といつも言われていた。最初はなかなかできなかったがやってるうちに段々とそれが身についていくのが自分でもわかるようになってきた。小3から始めた書道で「集中」する事を学べたのはその後の私にとって、大きなプラスになった。野球をする上でも柔道をする上でも勉強をする上でも仕事をする上でも「集中」する事がいかに大事かということを思い知らされたのだ…。また、落ち着きがないと人間関係を構築する上でもうまく行かないような気もする。息子は正直なところ、書道教室に行く事を嫌がっている。嫌がるのを無理やり行かせる事が子育てという見地から考えるとそれが良いのかどうか、私自身わからない。(この答えが出ない所が子育ての一番難しい点だと私は思う…)しかし、私は無理やり祖母に行かされた書道教室であったがそれは自分の人間形成において、とても役に立ったと思い、今では無理やりでも行かせてくれた祖母にとても感謝している。来週から息子にとって嫌な時間が始まる。しかし、最初はそうでも何時の日か「心を筆先に集中させる」ことを心地よく思い、彼がまた一つ成長できる事を父親として望む…。
January 17, 2005
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今日は早く家に帰る事ができた。ここ1週間、とても忙しくて家に帰るのが夜中の1時過ぎ、家を出るのが朝方の5時過ぎと家には殆ど寝に帰ってた状態だったので息子と娘と話す時間がまったく無かった…。久々に帰ると娘が私に飛びついてきて、満面の笑みを浮かべながら、「パパ、パパ…」と声を掛けてくれた。ちょっとしたら、娘は安心したのか昼寝をしてなかったのか寝てしまった。それから、息子と色んな話をした。何せ1週間ぶりである。息子も色々と話したい事が溜まっていて、機関銃のようにこの1週間の出来事を私に話してくれた。話が終わると息子が私に「お父さん、僕CD買ったんで!」と言ってきた。私が誰のCDか?と聞くと「オレンジレンジ」と聞き、私はびっくりというか何か感慨深い気持ちになった。「だんご3兄弟」のCDを買って、私と妻の前でだんご3兄弟の踊りを踊ってた息子が「オレンジレンジ」である。息子はCDをコンポに入れて、流れてきた曲が「ロコローション」だ。あの曲はラップ調で歌うのが難しいように思えるのだが、息子はわりかしスムーズに歌っている。歌詞もちょっとキワどい所があるが彼はそこらへんの意味はわからずに歌っているんだろう。息子のその姿を見て、時の流れの速さを感じた。「だんご3兄弟」の頃はまだ保育園に通ってた息子がもうすぐ4年生になろうとしている。その頃は私も大分の自動車リース会社に勤務していて、まさか自身が不動産の仕事をし、まさか福岡に出てきているなんて思いもしなかった。これだから、人生は楽しいのだろう…。色んな人との出会い・縁、ちょっとしたきっかけで思いもしない素晴らしい事が待ち受けている。今から5年後はどうなのだろうか?息子は中2で高校受験というものが具体的になってくる。今は童謡のCDばかり聴いてる娘も小3になり、息子みたいに流行りの歌を口ずさむようになっているのだろうか?会社はうまく軌道に乗っているのであろうか?5年後に妻とこれからの5年間を笑って振り返れるように日々を「一生懸命」にまた「おもしろ」「おかしく」過ごして生きたいと思う…。
January 16, 2005
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今日、電話でリンリン竹ちゃん・しげ4君と話した。2人にこの楽天日記の書き方のアドバイスを頂いた。とても参考になった。まだ、この日記を始めて間もないせいで文章をうまくまとめる事ができず、悩んでいる私に懇切丁寧にアドバイスをして頂いた。なぜかこの電話が終わった後にこれまでの私の人生について考えてみた…。「人生」…辞書で調べてみると (1)人間がこの世に生きている期間。 人の一生。 (2)人間がこの世に生きていくこと。 とあった。しかし、私の人生は周りの方達に「生かされて」頂いた人生だと思う。リンリン竹ちゃんには営業マンとして、1人の人間として、また1人の男としての生き方を学ぶ事で自分自身を「生かされて」頂いた。しげ4君には同じ会社で一緒に仕事をしていた頃から今に至るまで後輩として、よき弟分として色んな意味で「暴走」しがちな私を影になり日なたになり、支えて頂き「生かされて」きた。中学時代の野球部の先輩には小学生時代、野球チームの2軍の捕手であった私を1人前の選手にするという思いで鍛えて頂き、そのお陰でレギュラーになる事ができ、「生かされて」頂いた。高校時代の柔道部の仲間や先輩達には練習が辛くてやめそうになる自分の心に渇を入れて頂き、3年間続ける事ができ、この事が今の自分に「生かされて」いる。今まで30年間生きてきて、家族・友人・先輩・後輩・上司・同僚など様々な人達に様々な場面で「生かされて」頂いた。その間、私はそれらの人達を「生かして」あげる事ができたのか…。その答えはわからないし、これから先も永遠に出ることのない答えかもしれない。しかし、今まで色んな人達に「生かされて」頂いた分、「生かして」あげる事ができる人間になれるようにこれから先、いつまであるかわからない私の「人生」であるが日々「前向き」な気持ちと「優しい」気持ちを持って、「生かして」る人生を送っていきたい…。さあ!明日は我が社初の「オープンルーム」だ!現地周辺にいっぱい看板取り付けるけど、しげ4君みたいに警察に捕まらないように気を付けよう~っと…。(しげ4君、ごめんな。)
January 14, 2005
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昨日、実家に住んでいた時にずっと同居していた私の母方の祖母から電話があった。電話の内容は私が福岡で新しく始めた事業の調子を伺う話だった。以前、この日記にも書いたが私の祖母は北九州の小倉で海産物やお米などを販売するお店を営んでいる。もうすぐ81歳になろうとするがいまだに「現役バリバリ」で毎朝7時の電車で片道2時間近くかけて宇佐から小倉まで通い、夜は11時近くに帰ってくる。祖母はこの商売を戦後間もない頃から始め、もう55年近く続いている。元々はリヤカーを引っ張っての「行商」のスタイルでやっていたのだが、10年近く前から小倉駅前に店舗を構えてやっている。祖母はこの界隈では有名で愛称が「リヤカーのおばちゃん」である。だから祖母の店も「リヤカーのおばちゃん店」という名前なのです。祖母の店もやはりこの界隈では有名で何度か地元のタウン情報誌やTV番組にも取り上げられた事がある。店はその事や祖母が守り続けた「商品の信頼性の高さ」のお陰でとても繁盛し、私達家族も人並み以上に贅沢な暮らしもさせてもらった。私は働く祖母がとても大好きで小さい頃、夏休みになるといつも祖母にくっついて、毎日電車で小倉まで通ってた。祖母はその頃からずっと私に自分の商売の哲学を私に語り、そのせいで私も営業の仕事を無意識のうちに志すようになったのだと思う。祖母がこの商売を始めるきっかけとなったのは戦後すぐに夫を戦争で亡くし、生まれて間もない母とともに夫の実家から追い出され、自分の実家にも帰るに帰れず、どうしようもなくなり、母と近所にある「底なし沼」と呼ばれる沼に身を投げようとした時に死ぬ事ができず、死ぬ前に自分と母を叩き出した夫の実家を見返そう…の一心で始めたのがきっかけだったらしい。この死ぬ気で働き成功した祖母の商売哲学の有無をも言わせぬ凄みを私は小さい頃から感じ続けてきた。ある意味、私が商売人として一番尊敬する人である。話は戻って、祖母との電話祖母:「真也、新しい仕事はどんな具合かえ?」真也:「うん、ぼちぼちやけど、なかなか大手の不動 産会社を切り崩して行くのが難しいな~」祖母:「あんた何言ってるんかえ?よ~く聞きなさい」 「確かにあんた達が始めた会社はまだできて間も ないから大手や老舗と呼ばれている所と比べた ら、資本もないし、人も少ない、知名度もない、 色んな繋がりもない、けど時間だけはあんた達 もそういう所も平等に24時間あるんや。だか ら、その平等に与えられた時間を有効に使えば 勝てるチャンスはいくらでもあるんよ」私は自分がとても恥ずかしかった。大手や老舗と呼ばれる所に勝ちたいと思いながら、この3ヶ月一生懸命やってきたつもりであったがどこか自分の中に逃げ道を作っていた事に対してだ。祖母は後に退けない覚悟で商売をし、それを成功させた。私も後に退けない覚悟で大分から福岡に出てきたつもりであったがどこか甘えてる所があったのだ。祖母は確かに時間を徹底的に有効活用した。それは宇佐から小倉の行き帰りの電車の中での事だ。祖母は電車に乗るや否やちょっとしたスペースに商品を並べ、そこで販売を始めるのである。すると通勤途中のサラリーマンとかが晩酌のつまみとして買っていくのだ。それとこれは良いかどうかは別にして、通常は電車の中で物品販売などしてはいけないはずなのだが祖母は国鉄(古いなあ…)の方達に商品をあげたり、休みの日には駅に花をいっぱい植えたりして、親しい関係を築く事で電車内での物品販売を可能にしたのです。私のすぐそばにそうやって必死の思いで商売を成功させた人がいる。それに私の周りにはリンリン竹ちゃん、しげ4君、我が社の社長など色んな『氣づき』を与えてくれる人達もいる。大手や老舗の不動産会社にない、素晴らしい宝物が自分にはいっぱいある。そう考えると恐れる事も逃げる事もない。ただ、『我武者羅』に色んなものを吸収し、頑張ればいいのだ。ばあちゃん、いつも本当にありがとう!ばあちゃんがいつの日か引退した時には僕とカミさん、拓也と綾子と一緒に旅行に行きましょう!その日が来るのを楽しみに僕は日々頑張ります。
January 12, 2005
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昨日は取引先の人と一緒に食事に行きました。私が扱っている中古マンションの売買の件で打ち合わせをしたんですが、その後に「shinya0505さん、僕らとカラオケに行きませんか?」と誘われました。「…。はい…。」と私は少し戸惑いながら答えました。というのも私はカラオケ自体はとても大好きなんですが初めての人とは緊張するし、選曲にもとても気を使ってしまうからです。最初はひたすら聞く方にまわってたのですが相手の方達から強く勧められたのでサザン、ミスチルとか歌ってたんですが相手の方達から「shinya0505さん、もっと自分らしさを出して下さいよ!shinya0505さんとは知り合ってから間もないですが話してる感じではとても面白い人って思ってるんですよ。」と言われ、「よし!ここは自分も楽しみ、相手にも楽しんでもらえるような選曲をしよう!」と思いました。そこでまず考えたのが相手の年齢です。取引先の方は2人いて、どちらの方も30代後半だったので何か「ノスタルジー」に浸れるような曲にしようと思い、歌ったのがシブがき隊の「Zokkon命(Love)」でした。しかも振りつきで…。すると相手の2人がとても盛り上がり「shinya0505さん、すげえなあ!さすが奥さんがたのきん世代なだけあるな」と大爆笑しながら言いました。確かに高校2年生の頃、7歳上の妻に片思いを始めてから何かの話の中で田原俊彦のファンだった…って事を知り、彼女に自分自身をアピールしたい一心であの当時の曲を憶えたものです。しかし、これが振り付きにグレードアップしたのは私が大学を卒業して最初に勤めた自動車リース会社に入社して数日経ったある日の事です。その日、私は仕事が終わった後、同じ部署の先輩である「リンリン竹ちゃん」にカラオケBOXに連れて行ってもらいました。そこで「何か面白い歌を歌え!」と言われて、私の妻と同じく「たのきん世代」であるリンリン竹ちゃんがノスタルジーに浸れるだろうと思い、田原俊彦や近藤真彦の曲を歌うと「お前、面白いなあ…」と一言。おそらく、そこでリンリン竹ちゃんの中で「こいつをうまくいじってみよう」と天性のプロデューサー魂に火が着いたのでしょう。それから毎日面白くもあり楽しくもあり恥ずかしくもある特訓は始まったのです。まず、朝これから2人で営業に回る時に営業車にCDをリンリン竹ちゃんが持ち込むんですがそれがシブがき隊や田原俊彦の曲です。これを車で回っている最中にずっと流しながら、私が歌い続けます。それから車の中で簡単な動きのレクチャーがあります。そこまでは面白くもあり、楽しくもあるのですが、その後に恥ずかしいひと時が始まるのです…。それは営業が終わり、一通りのレクチャーが終わった後にどこか広いスペースに車を止め、車から降り、実際に振り付けの練習が始まるのです。これは正直とても恥ずかしく、特にシブがき隊の「Zokkon命(Love)」のサビの部分で♪感動じゃん!朝まで抱きたい オットット!♪とあるんですがオットットと左手を前に出して、片足でチョンチョンと前に出る、あのありがちなポーズをする時はとても恥ずかしく「誰かに見られてなければいいけど…」と思いながら、レッスン(と呼べるほど格好いいものではないが…)をやってました。けど、そこは色んな人が通り、怪訝そうな眼差しで相撲取りみたいな体型でスーツを着て、オットット…とやってる私を見ていくのです。やってる時はいやだったのですが、これをリンリン竹ちゃんと行った、様々なカラオケの場面で出すととても大ウケし、これで初対面と人とスムーズに打ち解けれた事が何度もあります。昨年あった友人の結婚披露宴でこの歌を歌った時も場内拍手喝采でビデオにもフルコーラス撮られました。また、リンリン竹ちゃんに紹介して頂いて、お付き合いさせてもらっている中古車屋の社長さんと愉快な仲間達との飲み会でも毎回定番の爆笑タイムとなります。昨年の10月に私が福岡に行くという事でこの会で私の送別会を開いてくれた際にも「shinya0505の後継者を育てよう」という事になり、きくりん1518さんがそこのスナックでリンリン竹ちゃんと私の指導の下、何度も同じ歌でレッスンさせられました。(全然イヤそうな顔をせずにやってたきくりん1518さんにもビックリしたけど…)私がリンリン竹ちゃんとのカラオケを通じて、感じた事はあの人の後輩への思いと天才的な「プロデュース力」です。「強引だなあ…」とは思いながらも仕事中に歌の練習をして、振りを憶えて、それを色んな人の前で披露して打ち解けれたのも多分、あの人なりの考えだったのでしょう。まだ、社会的常識がなく、目上の人とうまくコミュニケーションがとれない私を「振り付きカラオケ」という媒体を使って、うまくコミュニケーションをとれるように仕向けてくれたのだと思います。また、私をプロデュースする事でリンリン竹ちゃん自身も自分の周りにいる人達をどうやったらうまく周りとコミュニケーションがとれるのか?を考えていたのでしょう。あの人のプロデュースを見てると私はいつも昭和50年代「視聴率100%男」の異名を取った、欽ちゃんこと「萩本欽一」を思い出します。素人をあくまでプロっぽく見せず、いい意味での素人っぽさを残しながらのプロデュースのやり方は欽ちゃんを思わせてなりません(また、後日この日記にリンリン竹ちゃん=欽ちゃんといった感じのテーマで書いてみたいと思います)。話はもとに戻りますが「Zokkon…」の後は同じくシブがき隊の「ZIG ZAG セブンティーン」や田原俊彦の「誘惑スレスレ」といった、やはりリンリン竹ちゃんの下でレッスンした曲を振り付きで歌って大ウケし、帰りに取引先の方達から「こんなに楽しいカラオケは久しぶりでした。また来月行きましょう!」と言ってくださりました。こうやって、また初対面の人と円滑なコミュニケーションを築く事ができました。私の事を考え、プロデュースしてくれたリンリン竹ちゃんにはとても感謝しています。また、社会人1年目という大事な時期にリンリン竹ちゃんと出会った事をとても幸運に思います。リンリン竹ちゃん、これからも時間がある時には一緒にカラオケに行きましょう!今度はリンリン竹ちゃんの十八番であるWINKの「淋しい熱帯魚」を振り付きでマスターしたいと思います。
January 11, 2005
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今日は朝から近所の公園に行き、昨日実家の大分から帰ってきたばかりの息子とキャッチボールをした。息子は大分の学校にいた頃はずっとサッカー部に入っていたのだが転校し、環境が変わったのをきっかけに私が最も好きなスポーツである野球を勧めてみたところ、本人から「やってみる…」との返事が返ってきたので3学期からの野球部入部へ向けて、今は時間があれば息子とのキャッチボールにいそしむ毎日である。グローブは息子が野球好きである私の父に「じいちゃん、僕3学期から野球始めるけん」と電話したら、もう次の日にはグローブが送られてきてました。私が半ば強引な形で息子に野球を勧めたのは共通の話題を通じて親子の会話をしたかったからです。私は小・中学生時代は野球をやっていました。ポジションはキャッチャーです。キャッチャーというポジションは「扇の要」と言われています。打者によって、内野手・外野手のポジショニングを考えたり、ピッチャーをいかにリードしていくか等…。考えなきゃならない事がいっぱいあります。私はそれらの事を自宅でごはんを食べながら、いつも父を質問責めにしていたのです。中学生になると反抗期が始まり、親と会話する事が少なくなるといいますが私は父と共通の話題があったお陰で反抗期ではあったけど親との会話はしっかりできていたのです。私もいつか来るであろう息子の反抗期を共通の話題を持つ事でその時期を充実した時期にできればと思っています。息子とのキャッチボールは息子が私の投げたボールをポロポロと落とす事が多くてまだまだキャッチボールと呼べるものではありませんが少しずつ上達の跡は見られるようにはなってきました。明日は「成人の日」です。息子が20歳になった時は私は41歳です。その日もお互いキャッチボールを楽しめる関係でいれたらと思います。新学期から始める野球で体力を付けるだけでなく、多くの事を野球から、またチームメイトから学んで欲しいと思う今日この頃です。
January 9, 2005
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朝、スポーツ新聞を見てたらヤンキースの松井秀喜選手の記事が出ていました。記事の内容はインドネシア・スマトラ沖地震による津波被害の復興支援の為、5000万円を寄付した…との事。松井秀喜選手は私の最も好きなスポーツ選手ですが彼を好きな理由は私と同学年という事で私達の世代の代表として応援したい気持ちもあるが彼を好きというか尊敬するようになったのはある一つの事件がきっかけである。その事件とは今や伝説となった1992年8月16日夏の甲子園、対明徳義塾戦で起こった「5打席連続敬遠」である。その時の彼の野球に対する真摯な姿勢とその後の彼の人間性に惚れてしまい、今日までファンを続けています。あの日、私は受験勉強をしながらTV観戦していた。1、2打席目は「まあ松井やけん、しゃあねえ~なあ~」と思いながら見ていたが3打席目、4打席目も敬遠が続き「おいおい、マジかよ?」と思いながら、球場も異様な雰囲気になり、5打席目にはスタンドから物がどんどん投げ込まれ、騒然としました。結局、この試合は明徳義塾が勝利しましたが校歌斉唱の際にはスタンドから「帰れ!帰れ!」とシュプレヒコールの嵐…。この試合で彼が凄いなって思ったのが敬遠された全てのボールに対してふて腐れる事なく、打ちに行く姿勢を崩さなかったことです。また、試合後のインタビューでは悔しい気持ちを押し殺し、「敬遠は相手の作戦だから仕方ないです」とキッパリとした口調で受け答えした点です。普通はあの年頃だと感情が先走ってしまうと思うんですが彼は感情を封じ込み、理性で喋ったのです。けど、そんな彼も感情が先走ってしまった事があったそうです。それは彼が中学時代、試合中に相手ピッチャーから敬遠をされて、ふて腐れてバットを地面に投げつけた途端にベンチから当時のコーチが飛び出してきて、「お前は何様のつもりじゃ!」と言いながら、何十発もの平手打ちをくらわしたそうです。そのコーチは敬遠もルールの一つであるのにそれに対してふて腐れた事と野球選手にとって、大切なバットを投げつけた事に対して怒ったそうです。私も中学時代、野球をしていました。試合中に敬遠された事が何度かありますがその時、私がとった態度はふて腐れてちゃんと構えず、相手ピッチャーを口汚く罵り、あげくにバットを地面に叩きつける行為と殆ど中学時代の彼と同じ行動をとったのです。それを見た私の父は試合後、帰宅した私に「今日の態度は何か!お前程度のバッターを敬遠してくれただけでありがたく思え!」と言われました。私は納得ができず、「毎日毎日、一生懸命バット振りよんのに打ちたいよ!チームの4番打者として打って勝ちたいし、逃げた相手が悪い!」と言い返しました。すると父は「思い上がるのもいい加減にしろ!お前一人で試合に勝つと思ったら大間違いや!敬遠で歩くのも4番の仕事や!その積み重ねが打点を打線にしていくんや!」と言われましたが納得はできずにその口論は終わりました。それから私は高校に入って柔道を始めて、やっと父の言葉の意味がわかったのです。柔道という競技は個人戦の場合は勝ち負けをはっきりさせるのですが団体戦においては5人対5人の総当たり戦にしても抜き勝負にしても「引き分け」というものがあります。実力が拮抗したチーム同士だと勝ち負けをはっきりさせるのは難しくなってきます。そこで「引き分け」が重要になってきます。団体戦の場合は個人戦と違って体重別ではないので自分よりかなり体重が重くてパワーのある人や明らかに自分より強い相手と対戦する事が多々あります。その時に負けずに引き分けて次の人に繋ぐ事がとても大事になってきます。ここで「俺が… 俺が…」の気持ちで勝ちに行こうとすると負けてしまい。そのまま団体としての勝負も負けてしまう事になるのです。個人競技としての要素が強い柔道でもこんな感じなら団体競技である野球は尚更次の人へ繋ぐ意識がとても大事になってくるのでしょう。それは昨年のペナントレースを見ても明らかです。ホームラン打者を揃えたジャイアンツが優勝できず、ホームラン打者が殆どいないドラゴンズが優勝しました。これはジャイアンツは「俺が… 俺が…」でホームランを狙い、効率的に得点を挙げれなかったのに対し、ドラゴンズは「繋ぐ」意識を忘れずに戦い、これが打点を打線という一つの太い線にした事で優勝を手繰り寄せたのでしょう。かなり話が脱線してしまいましたがその後の彼のこの事件に対してのスタンスはとても余裕があり、思いやり溢れるものと感じます。その表れとして、敬遠の事について聞かれると「あれが僕の契約金をハネ上げてくれたのでとても感謝しています」と大人のコメントをしたり、あの敬遠の指示を出した明徳義塾の馬渕監督が夏の甲子園を制した際には明徳OBであるジャイアンツのチームメイトを通じて「優勝おめでとうございます」のコメントを出したり、また、当時のチームメイトが気を使うといけないからとあの時のバットは人目につかない実家の倉庫にしまったりととても優しい気遣いを見せています。昨年はメジャーで31本塁打を放ち、日本の長距離打者がメジャーでもホームランが量産できる事を証明してくれました。今年は是非メジャーでホームラン王のタイトルを獲得される事を期待しています。拝啓 松井秀喜様あなたがメジャーでホームラン王を獲った暁には是非日本プロ野球界に帰ってきて下さい。ファイターズの新庄剛志選手がメジャーで学んだ「ファンとの距離の大切さ」を球界にフィードバックして球界を盛り上げているようにあなたも「メジャー最高のパフォーマンス」をフィードバックして、この混迷極める日本プロ野球界をグイグイと引っ張っていってくれる事を期待します。 敬具
January 7, 2005
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正月に体調を崩したのが完全に治ってなかったのか、色々と着込んでも寒気が治まらないので今日は少し早めにあがり、ブルブル震えながら原チャリで家に帰りながら考えたのが今日の晩ご飯…。妻と息子と娘はまだ大分に居るんです。祝日が入った関係で息子の新学期が1/11からと例年より遅い為、実家でのんびりして帰る事になり、福岡に戻ってくるのが1/8とあと2日もあるのです。僕自身、食べることが大好きで自分なりに工夫して色んな料理を考えたりするんですが、それを作るのは妻の役目で自分が台所に立つことは殆どありません。ブルブル震えながら、自宅の近所にあるスーパーに入り、いろいろ物色していたら「キムチ鍋」のスープが…。「こんな寒い日はキムチ鍋で暖まるのもいいなあ…」と思い、カゴのなかにそのスープを入れたんですが、すぐに気付きました。「あ~っ!そうやった~。俺、野菜を切れんかった~」野菜がなきゃ鍋じゃない…。と思いながら、そのスープは元の場所に戻されました。で結局買ったのがレトルトのお粥です。これなら温めてお椀に入れるだけだし、調理する手間も省けるし…。家に帰って、そのレトルトのお粥を温めてズルズルとかき込んだのです。がその時に以前読んだ本に書いてた「男は戦士であるから戦場に出たら自分の身の回りのことは全部自分でしなければならない」という言葉を思い出したのです。結婚して、もうすぐ10年が経とうとしていますが優しい妻に甘えて、自分の身の回りのことを全くしようとしませんでした。しかし、考えたくないことではありますが、いつ何時自分が一人ぼっちになるかわからないし、何より自分で身の回りのことをちゃんとすることで妻の負担を少しでも軽くできれば、今まで以上に家庭の中に笑顔が多くなるのでは…。と思いました。さあ~、カミさんが帰ってきたらまずは野菜の切り方と味噌汁の作り方を教えてもらおう。
January 6, 2005
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今日は我が社の仕事始め。普通の会社は社長からの年頭あいさつとかあるのでしょうが我が社は現在社長と私の2人だけ…。しかも社長は北九州の新築マンションの販売に入っていて、現場へ直行したので事務所には私1人だけ…。まず事務所に着いて、簡単に清掃をしてそれからは日頃お世話になってる他の不動産会社さんへごあいさつへ周りました。それから事務所へ戻って、ため込んでいた仕事を片付けてたらあっという間に時計は夜の9時…。ため込んでいた仕事は夢中でやったおかげで片付いたので明日はじっくりとやりたかった仕事に取り組みたいと思います。今年は「マンション」を通じて、1人でも多くの人と出会い、その人達の「住まい」へ対する悩みを一緒に解決できたらいいな~と思います。今年も頑張るぞ~!
January 5, 2005
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今日の夕方、電車と地下鉄とバスを乗り継いで福岡市内の自宅に帰り着いた。今回の年末年始はとても休みが長く、12/26~1/4まで私と妻のお互いの実家がある大分県宇佐市に帰っていました。しかし、私の実家の年末は大掃除とかでバタバタしてるとかそんなレベルでないくらいに忙しいのです。私の実家は同居している母方の祖母が北九州の小倉で海産物やお米などを売ってます。もともとはリヤカーから始めたのですが、今は小倉駅前に店舗を構えてやってます。その店は年末になるとお餅を扱います。小さくて丸い小餅や鏡餅などを宇佐の餅屋さんから仕入れて、それを販売するのですがその量が半端ではなく、それを袋詰めしたり、餅が売れて無くなりそうになると餅屋さんから仕入れて、特急電車に飛び乗って小倉まで餅を持っていくといった仕事があり、僕もこの時期は平均睡眠時間が2時間くらいになる約1週間を小1くらいからずっと続けてます。昔は家族総出でも追いつかず、友人をアルバイトで雇ったりしてたんですが友人たちも成人して仕事を持ち、家庭を持つとなかなか頼みづらく、今では極力家族だけでやるようにはしてるんですが今回は母が肺がんの手術を行って、あまり日が経ってないということで母にはゆっくり休んでもらわないといけないので、その代わりとして僕と妻が母の分までと頑張ったんですが正月に入ると緊張の糸がぷつりと切れたのか私も妻も寝込んでしまい、とても面白みの無い正月を過ごしましたが今まで体を酷使させてきた母を少しは楽にしてあげれたかと思うとこれはこれでよかったのかもしれません。さあ~、明日からは我が社の仕事始めです。やる事は山のようにあります。今年1年しっかり頑張って、年末は家業の手伝いをしっかりやって、家族のみんなや不動産を通して出会った全ての人に喜んでもらえるような1年にするぞ~!
January 4, 2005
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