小市民の一日

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2006年07月21日
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カテゴリ: 雑感

 普段から「中国」べったりなのにもかかわらずそれを巧みに隠している,「経済専門誌」を騙る日経新聞が,その一面において元宮内庁長官の残したとされるメモを公開。その中で,先帝陛下がどうもいわゆる「A級戦犯」の合祀につき良い感情を抱いておられなかったかのようにも解釈できる発言が記されていました。

 なぜ,今公表されたのか,どうして経済新聞が一面のスクープとして取り上げる必要があったのか,個人的なメモがどのようにして流れ出てきたのか,そんな面からもすでに怪しげな匂いがぷんぷんしてくるわけですが,その点は他の方々の検討にお任せするとして,ここでは個人的に,今後展開されるであろう一連の議論を正しく観察するために有用と思われるいくつかの視点を書いてみたいと思います。

A:メモの真実性について

 1:当該メモの形式的真実性(メモは元宮内庁長官の手によるものであるか)

  そもそも議論の出発点としてこの点を問題にしなければならないのは,一部報道でも伝えられているように,このメモが,普段の日記と異なり別の紙に書いたものを後日貼り付けたもののようであること,しかも,その日の通常の部分は黒のペンでかかれているのに,メモは青のペンで書かれているという不自然性があるからです。

   基本的なことではありますが,まずはこの点をしっかりと固めておく必要があると思われます。

 2:当該メモの実質的真実性(メモの内容は正しいか)

  仮に1がクリアできたとしても,次に問題となるのはそのメモの内容の真実性。

  まず,先帝陛下がこのようなご趣旨の発言を本当におっしゃったのか,おっしゃったとしてもその真意はどこにあったのか,が問題になります。

  仮にその点をクリアできても次に観点を変えて以下の点を検討しなければなりません。

  すなわち仮にこのメモが時間を経て加えられたものであったならば(メモの形式からしてその蓋然性が高い),執筆者の事実の評価,そしてその記憶に誤りが混入している可能性があります。また,仮にこれらに一分の誤りがないとしても,執筆者がそれを正しく表現できているかどうか,という点が問題になります。

  ここで決定的に重要なことは,仮に以上のいずれかの過程に誤りが混入していたとしても,関係者がすべて故人であるため,その誤りがあったか否かについての確認がまったくできない,ということです。  

  先帝陛下のご発言を内容とするものとはいえ,その実質は結局又聞き。果たして信用の置けるものであるものかどうかは,他に残された資料と比較対照した上,執筆者の属性やその誠実性について吟味を加えて検討しなければならず,これを無条件に真実であるとして議論を進めるのは危険です。

B:メモの利用の仕方について

 3:メモの議論における利用価値はゼロ

   仮に先述の条件をクリアして,メモの真実性が明らかになったとします。しかし,実はそうなったとしても,「だからどうした」ということにしかなりません。

   案の定,今回のメモを契機に反日メディアや特定アジア,そしてこれに媚びる売国政治屋が騒ぎ出しています。「靖国に参拝すべきではない」とか,「代替施設を作るべきだ」とか。

   しかし思い出していただきたいのは,靖国参拝に賛成する人々や代替施設の建設に反対する人々は先帝陛下の大御心を自らの主張の根拠として用いたことはまったくないのです。したがって今回のメモにより,それらの人々の主張が揺るがされることはありません。

 4:天皇の政治利用   

   さらに翻って考えると,メモを根拠に靖国神社に「ブンシ」を迫り,首相の参拝の反対し,はたまた代替施設建設の後押しになったと主張することは天皇の政治利用であり,許容できません。

   現行憲法下において天皇は国政に関与する権能を有しないとされており(4条1項),その延長として,天皇陛下が政治的発言をされたり,政治に関わられることは禁ぜられているという不文律が存在します。

   その根拠についてはっきりと説明した文献に出会ったことはありませんが,推測するに,それは天皇は我が国の君主であり,2600年もの永きにわたり我が国に存在されておられるという歴史的な重みと,今でも国民の多くから崇敬されるなど,我が国において他に比べるものもないほど極めて重い存在であり,またそのお言葉はすべての国会議員の一致した発言よりもはるかに重い価値を有しており,政治決定を一言で変更できるほどの力があるところ,そのような事態は国民主権を採用する我が国では到底是認できないことであるからである,と思われます。

   以上のような根拠,及び天皇のお言葉はそれが仮に崩御された先帝陛下であっても,実質的に今上陛下のそれと何らかわることのない重みを有していることとを考え合わせると,先述の不文律の趣旨は,既に崩御された先帝陛下のお言葉にも当てはまると思われます。

   したがって,今回のメモを根拠に「ブンシ」を唱えたり,首相の参拝を否定したりすることは許されません。

   それを踏まえると,観点を変えていえば,今回のメモによって「ブンシ」推進派や,参拝反対派,代替施設建設推進派の論拠はまったく強化されることにはならないわけです。

   仮にそれでも根拠に使う方がいらっしゃるならば,私はこう問いたい。

   「では,このメモが仮に『首相は靖国参拝すべきだ』と書いてあったならば,あなたは靖国参拝支持者がそれを根拠に首相の靖国参拝を支持することを認めるのか,メモをそれらの人々の主張を支持し補強する根拠として認めるのか。もしそれを認めないならば,あなたの今回のメモの用い方は矛盾してはいないか」と。

   世の中はにわかにこれを契機に活気付くでしょうが,メモは仮にそれが真実のものであったとしても,従来の議論に影響を与えることもなければ,そもそも与えるものであってはならないわけですから,我々としては普段の「釣り記事」と同じく,推移を冷ややかな目でもって見守ればいいわけです。






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最終更新日  2006年07月21日 11時58分13秒
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