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<いまだ「議論必要なし」。進歩ゼロの安全保障論議>
神戸新聞より
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自民党の中川昭一政調会長が15日の民放番組で必要性を指摘した日本の核保有をめぐる論議に対し、野党各党は反発した。
同番組で民主党の松本剛明政調会長は「わが国が(核を)持つという選択をする必要はない。将来も持たないというスタンスを堅持すべきだ」と指摘。共産党の小池晃政策委員長は「 日本は唯一の被爆国であり、核を持たない 」と強調し、社民党の阿部知子政審会長も 「外(国)からどう見られるかもあり、日本が核を持つ抑止論は成り立たない 」と反対した。
一方、自民党でも中川秀直幹事長が「安倍晋三首相は国会で非核三原則を守ると答弁しており、私は高く評価している」と記者団に述べ、核保有に関する議論は必要ないとの認識を示した。
( http://www.kobe-np.co.jp/kyodonews/news/0000140217.shtml )
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雑誌『プレイボーイ』での発言が原因で西村真悟議員が防衛政務次官を辞任するにいたった事件から何年たちましたかね,もうずいぶん遠い昔のことのように思います。
あれから我が国の安全保障に対する認識も(北の将軍様のおかげで)ずいぶんと正常化し,論壇ではあちらこちらで「核に関する議論を真剣にはじめるべきだ」との声も聞かれるようになり,「日本の安全保障議論もようやくまともになったか」と感じ始めた矢先,これです。正直,国の政治を預かる人々がこの程度の認識であるという現状に深く失望しました。
松本剛明氏の意見はまぁ,まだ一般的な意見でしょうか。アメリカの核抑止力に今後も全面的に依存することが前提になっていると思われます。
ただ,この立場の場合は以下の弱点があるということを常に心にとどめておくべきだと思います。以下の文章は,サッチャー政権で国防相・外相を歴任した英国保守党の政治家,フランシス・ピム氏の手による文章。
「もしも, 私たちが全面的に他国に私たちの安全保障を委ねるならば,私たちはもはや独立した国民とは言えないだろう 。もしも私たちが,あらゆる状況下で,いかなる時にも,アメリカがヨーロッパの救済のために出動してくれると考えるならば,それはあまりにも愚かというものだ。なぜアメリカがやってこなくてはならないのか?とりわけ, もし私たちが自分のために何の努力もしようとしないのなら,私たちはアメリカの介入を期待するどんな権利を持っているのか? 無論,経済的に見ても軍事的に見ても,ヨーロッパへのあらゆる脅威は,とりもなおさずアメリカへの脅威となろう。 だが,私は,アメリカが,介入をあまりにも大きな負担と感じ,介入によってより大きな脅威にさらされると判断する状況を思い描くことができる。 」(フランシス・ピム著 戸沢健次訳 『保守主義の本質』(中公叢書)p93~94)
次に共産党は「唯一の被爆国だから核をもたない」という,論理的になんの関連性も見出せない二つの命題を並べる従前の議論を繰り返すばかり。
被爆の事実が核保有の否定の結論を当然に導くことはない。むしろ唯一の被爆国であるからこそ,二度とあの悲劇を繰り返さないためにどのようにするべきか,核保有も含めて真剣に話し合うべきなのであって,もういいかげんこのような幼稚な議論から脱却してもいいのではないだろうか。
再びピム氏の言葉を借りる。
「 国防とは,展開されうるすべての軍備に対して,合理的な防御を備えることだ 。・・・ どれほど核兵器の存在にむかつこうとも,核兵器は既に発明されてしまったのであって,発明されないでいるわけにはいかない。核兵器が存在しているがゆえに,最終的な目標はその廃絶となろうが,当座の目標は,その使用を防止することだ 。・・・核保有の根拠は,軍事力が,圧倒的に一方に片寄っている場合よりも均衡しているほうが,核兵器を行使する可能性がはるかに少ないという信念だ。この信念は,第二次大戦以後,核兵器が使われたことがないという事実,及び世界中で紛争が頻発しているのに,西欧ではここ40年間にわたり,平和が維持されているという事実によって,その正しさが実証されている。・・・核兵器の抑止力が,功を奏したか否かは証明されえないが,だからといって,抑止力が皆無であると考えるのは早計というものだろう。」(同書p97~98)
次にシャミン。
自国の安全保障を論ずる際に他国の見る目を気にするなんていう主張を展開していること自体,そもそも安全保障問題を議論する資格を疑う。
安全保障の議論がそもそも抑止力を前提に構築されている以上,相手方に合理的な圧迫感・威圧感を与えることは当然の前提(その圧迫感・威圧感こそが,「抑止力」なのだ)。その威圧感や圧迫感を理由としてある特定の兵器の保有を否定するなどとは,そもそも根本的に安全保障の議論の仕方を理解していないとしか考えられない。
ここまでくると,その主張の病的程度は,共産以上に重症といえる。絶滅寸前の政党とはいえ,国会議員がこの程度のレベルっていうのは本当に情けない。歳費を受給させる価値もないとさえ思う。
日本の安全保障の議論は(少なくとも政治家のレベルでは),遺憾ながら幼稚園か小学校高学年のレベルに留まっているといわざるを得ないのかもしれない。
<悩めるドイツに響き渡った憂国の言葉>
今日ご紹介したいのは,フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』。
ドイツがナポレオン支配下で分割統治されていた時代。ドイツがばらばらになり,国民相互の結びつきが失われようとしていたとき,祖国を憂いて哲学者フィヒテがベルリンアカデミーの大講堂で一般大衆向けに,教育・国語・愛国心の重要性を説いて,ドイツ国民を奮い立たせた講演を行いました。それがこの『ドイツ国民に告ぐ』。
教育とは利益のためにしかも他律的に勉強する者を育てることではなく,自立的に学び,善をなすことを快く感じる者を作ることであり,そのような人間を作ることに成功すれば,必ずや祖国ドイツは立ち直ることができる。国語は民族性と不可分であり,純粋な国語なしに民族の精神的発達はありえない。何かを愛するということは,それを永遠の秩序の中にとどめさせるようにすることであり,そのために国民が身命を賭すことが時として要求される。愛国心ということはまさにこれである・・・等々フィヒテの熱い信念がひしひしと伝わってくる一冊です。
教育現場の荒廃が指摘されて久しく,その復興の模索が始まっている今だからこそ,読む価値のある一冊だといえます。教育問題に興味がある方,愛国心というのはどういうことなのかもやもやしている方,国語の重要性について今ひとつ自信が持てない方は是非手に入れて,もしくは図書館で借りて読んでみてください。損はしません。
戦前は岩波文庫に収められていたようですが,戦後は発行しておらず,しかも復刊の予定もないようです。その理由はもちろん,岩波にとって内容が極めて不都合だからでしょう。
というわけで,戦前の岩波文庫か,その他の出版社のものを手に入れるしかないのですが,世間に出回っているのは悲しいかな殆んどが岩波版。岩波は『紫禁城のたそがれ』で前科がありますから,場合によっては肝心な部分が抜け落とされている可能性があります。戦前モノでも油断は出来ません。ですので,なるべくならば岩波版でないものの入手をお勧めします。
日本の古本屋
楽天フリマ
http://item.furima.rakuten.co.jp/item/59521727/
http://item.furima.rakuten.co.jp/item/12961448/
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