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10月31日を以って、現在勤務している会社を辞める事になりました。とは言っても、何か問題事を起こしたわけでもなく、解雇になったわけでもありません。超円満退社です(^_^)また、11月1日からの新しいスタートもすでに待っています。これも運命の大きな流れでしょう。更に前に向って!ステップアップしたいと思います。しかし、はっきり言って不安がないというわけではありません。「情熱・期待・希望・やる気」7割、不安3割というところでしょうか。それが本心です。と言うわけでありまして、暫くの間、この日記はお休みさせて頂きます。(メールアドレスが変わるかもしれませんので、その時は別の場所でスタートさせます。ここに来て頂いている皆様にはご報告致しますね)本当に今までありがとうございました。(終わるわけではないかも知れないけれど...)それと、来月、ブラジルに行ってきます。しばらくは、東奔西走、夜討ち朝駆けの日々です。(^_^;)【皆さんへ御礼】⇒cyapunosukeさんまたお会いしましょう。ネットの世界は、君に任せる!「元寇」もね(^^)v⇒男はつらいよ2005さん社長、詳しくは今度お会いした時に。⇒keiko8807さん素敵な自分探しができるよう、祈っています。ありがとうございました。⇒morry1007さん勉強熱心で、上品で...。本当に色々と学ばせていただきました。ありがとうございました。 ⇒ぱお~ん(*^。^*)さん 「ぱお~ん芋」は衝撃的でした!(@_@)これからも御活躍を祈っています。同じ福岡、どこかで「すれ違う」かもしれませんね。(^.^)/~~~⇒きらりんgoさんいつも日記、楽しく読ませていただきました。これからも「きらりん」で「Go!」ですね。またお会いしましょう。再開した時は、御連絡します。 ⇒上海起業ストーリーさん遠い地、上海での御活躍をお祈りしています。いつかお会いできるといいですね。もちろん、上海で?\(^o^)/⇒かおるび5さんかおるびさんの日記は、いつも可愛いイラストが描いてあり、読むのが楽しみでした。その内本を出したらどうですか?買わせていただきます。(^^)v ⇒くまぷうさん、Yayoiさん紅白歌合戦!必ず出てください。最後まで応援しています。もし、出場できたら、テレビの向こう側のあなた方に、心から拍手を贈らせて頂きます。でも、たとえ出られなくても、たくさんの人が、二人の事を応援している事を、忘れないで下さいね。ここにも一人いる事も。(^.^)/~~~⇒善成(よくなる)さん善成さんの日記は、本当に勉強になりました。ありがとうございました。これからも宜しくお願いします。⇒いけPさん「本の師匠」は、いけPさんでしたね。いつかお会いできたらいいなぁと思います。その時は、いけPさん、数万冊読んでいるかも(^^) ⇒ミラクル☆りんだ姉さん本当に「ミラクル」が起きるような行動力!素晴らしい!落ち着いたら連絡します。今度ゆっくり話しましょう。⇒suzupc22さん一度お会いしたかったですね。いや、これからきっとその機会が訪れる事でしょう。それを楽しみにしています。いつも共感してくれるので、嬉しかったです。お酒はほどほどに。お体に気をつけて。それでは、皆さん、しばらくの間さようなら。また、いつかお会いしましょう。
Oct 26, 2005
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災害ボランティアの体験談をシリーズで書いたが、最後に感動した話で終わりたい。淡路島のボランティアには様々なところから、「何とか力になりたい」と自ら足を運んで「人助け」をしている人がいた。僕はそれまでボランティアに対してある種の偏見を持っていた事も事実だったのであるが、(「災害ボランティアを考える(その1)」)淡路島のボランティアで出会った人達は、本当に素晴らしい人達であった。先に話した庄島君、彼とは結局一週間一緒に過ごした(その内、海辺の野宿二泊)のだが、彼の生命力は凄かった!人のカップラーメンの残り汁はすするわ、飯ごうの底にこびりついた「おこげ」は残さず削り取るようにして食べるわ...。 「すごいねぇ庄島君...」と言うと、「いやあ、色んなところでボランティアやっていると、なかなか自分の食べるものまで面倒見れないんですよ。被災者の人達に食べ物先に食べさせてあげるもので...。だから、残り物ばかり食べてたんですけど、残り物でも何でも、食べられる時に何でも食べておかないとですねぇ」さすがである。災害ボランティアをする人の中には、「どこに泊まればいいんですか」とか「私たちの食事はどうなっているのですか」などと言って、ボランティアされる人がいるという。被災地に行って、自分たちが面倒見てもらわなければならない人が多くいるという。情けない話だ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊本から来た、カップルの坂下君と光安さん。 この若い二人は、部屋でテレビを見ていた時に、兵庫県の水害の模様が流れたそうで、その時に坂下君がぽつりと言ったそうである。「ねぇ、俺たちにも何かできる事ないかなぁ」その一言で、二人は「自分たちも何とかこの困っている人達の力になりたい」と、二人でバスに乗り、はるか熊本から淡路島までやってきたのである。素晴らしいのは、彼女の光安さんである。坂下君がその思いを口にした時、彼女である光安さんが「何言ってるの!やめてよ!」などと言っていれば、坂下君は来る事ができなかっただろう。素晴らしい彼女だ。坂下君と光安さんのいつもの写真も掲載! なかなかの美男美女だ!結婚しろ~!その他、会社の休みを返上してボランティアに駆けつけた、サンヨー電気の女の子三人組 最初は、文句を言ってばかりだったのに、30分もすると、一生懸命に、本当に一生懸命に、泥まみれになり、一人暮らしのおばあちゃんの家を、きれいに片付けた、地元中学生のみんな。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆最後の御宅で、こんな光景が見られた。一緒に行った、久次社長が、ふと見ると、おばあちゃんの家の裏で、おばあちゃんを目の前にして「土下座」している。「何かあったのかな?」と心配しながら、その場を離れた。 後で久次社長に聞いてみると、次のように言った。「窪山君、さっき、ばあちゃんが俺にね、『ありがとう、ありがとう』って言って、エプロンのポケットから泥まみれの千円札を何枚か俺に渡すとよ。『これでみんなでジュースでも飲みなさい』ってね。俺は涙の出てねぇ、ばあちゃんに言ったとよ。『これは受け取れません』って。けどばあちゃんがね、どうしても受け取らせようとするものだから、土下座して謝ったよ。『どうしても受け取れません』って言ってね」おばあちゃんは、本当に嬉しかったのだろう。今、色んな事件が世間を賑わしている。信じられないようなことがおきる事もあり、この日本はどうなっていくのだろうかと、将来が不安になる事もある。しかし、「日本もまだまだ捨てたものではない」心からそう思う事のできる若者たちと出会う事のできた、淡路島の災害ボランティアであった。
Oct 24, 2005
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書いているうちに興味深くなってきて、途中でやめるのももったいない気がしてきたので、この際徹底的に書いてみたい。僕らが御世話になった、洲本町の千福寺というお寺は、住職がボーイスカウトもしながら、青少年の健全育成の為に部屋を貸したり、お寺の敷地を利用して自然クラブのような体験学習も行なっていた。 「千福寺」は、真言宗のお寺で、住職の山階さんは、ボーイスカウトを52年も続けており、地域の子供達の育成をしている。その宿泊などにも使われるこのお寺には、宿泊用の広い部屋がいくつもあり、今回災害ボランティアの方々が宿泊できるようにと、無料でお寺を開放しているのだった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆全国からさまざまな支援物資や、義援金が送られてきている。送る側はそれが被災地で困っている方々に「有効に使われている」と思っている。しかし実際には、被災地に送られてくる物資が、本当に必要としている人の手に渡ることは少ない。また、義援金の使われ方に関しては「どのように使われているか」の報告などない。全国から集められた義援金がいくらで、それがどのように使われたかということは誰も知らない。それを寄付した「善意の人々」にも知らされない。 被災地に送られてくる生鮮物などを腐らせてしまうことも多いという。誰にどのように配分するべきかという事を話し合っているうちに腐らせてしまうのである。しかしそれも仕方のないことであるかもしれない。ボランティアを取り仕切っている人達は「行政の責任者」ではなく、社会福祉協議会の有志の人であったり、ボランティアをしている団体の方だったりするからである。要は各団体がそれぞれの立場で主張はするけれども、意思決定権者がいないので物事が決まらないのである。しかしそれが当然なのだ。善意の集団なのだから。この事は一切知らされない。自分たちが善意で送ったものが被災地の弱者の手に渡ることなく腐ってしまったというようなことがわかれば大変なことになるからである。しかし、このことに関しては、誰も責めることができないし、責任の所在がないからこのようなことになるのである。非難されるべきは行政のリーダーシップへの怠慢である。宿泊させて頂いた千福寺の住職のもとには、高野山真言宗の僧侶の方々が8名ほど集まって来られていた。彼らは何故集まってきているのか。何をしようとしているのか。その話を聞いた。 高野山真言宗では、先の阪神淡路大震災の時に、何とか力になりたい、被災地の方々を助けたいと、組織で2億ほどの義援金を送ったのであるが、その使い道が何に使われたか調べても全くわからなかった。自分達の大切な浄財である義援金が有効に使われたかどうかが不明であったという経験を生かして、今回は「人間を送る」「自分達で自らボランティアをして力になる」として、千福寺を中心に行動していたのである。すでに新潟地区にも行かれたそうである。家屋の修復、泥だしなどから、「心のケア」まで、高野山の僧侶の方々は、「自分達にやれること」を実践されていた。しかし、それでも行政との情報がうまく伝達できず、非常に効率の悪い活動にならざるを得ないというのが、「災害復興時」の現状である。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆災害ボランティアセンターの苦悩もある。ボランティアセンターとしては「ボランティアの申請」が無ければ数百人のボランティアの方々を派遣させる事はできない。心無い方がいるもので、ほとんど災害を受けてもいないのに、ボランティアの青年を20名も呼び、庭の草刈をさせたというのである。しかし、申請があれば送らざるを得ない(苦情に対応できないのである)。一方で、すべてが水没してしまい、電話すらかけることもできず、ボランティアが来ているということの情報すら知ることのできないお年よりもいるのである。ボランティアからの帰り道、一輪車を押しながら沿道を歩いていると、おばあちゃんが、「役場の方ですか?うちもだ~れもおらんもんで、全く手がつけれんのですよ、助けてもらえんですか。」と話しかけてきた。胸が締め付けられるような思いがして、センターの方に、その事を話すと、「わかります。でもセンターとしては申請がないと動けないんですよ。わかって下さい」と言われた。皆善意でやっている任意の集団である。しかし、勝手に動く事はできない。その災害ボランティアセンターは、その数日後、一応の状況沈静ということで「閉鎖」されてしまったのである。最後の日、千福寺の住職が「窪山さん!町を歩いていて、まだまだ手がつけられていないところがたくさんあります。『千福寺に連絡してください』ととにかく伝えて下さい」そのように繰り返し言われ、僕らもその通りした。たくさんの、特にお年寄りの家ほど、全く壊滅状態で、たくさんの御年寄りが途方に暮れている現状があった。
Oct 23, 2005
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最初の夜をお寺で過ごす事になったのだが、そこには僕らだけでなく、同泊者がいた。彼の名は庄島君といい、21歳であるという。 僕らが驚かされたのは、彼はその時、新潟の震災からそのまま淡路島に来たと言うのだ。新潟の大震災に駆けつけたが、まだボランティアの入れる状態ではない、と言う事でわずかな手伝いのみであったので、新潟の方で数日ボランティアをした後、移動中のバスの中で兵庫の話を聞き、夜行バスでそのまま来たと言うのである。彼が持参しているのは、簡易テントと寝袋、懐中電灯に炊飯セットなどの簡単なもののみであった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 翌日ボランティアセンターに行くと、近畿中部地方を中心に多くの方々がボランティアに来ていた。(その日は約800人)御高齢の方もこられており、「こんな方も来ているのだなぁ」と思い、話しかけてみると、その方は次のように言った。「私はね、神戸から来ているんですよ。以前の阪神淡路大震災のとき、私もボランティアの方々に助けてもらった。本当にありがたかったのです。だからこんな私なのですが、私も力になりたいのです」と仰られたのには感動した。「私も助けていただいたのです。今度は私が助ける番なのです」その年配の方は、長靴をはき、タオルを巻いて明るく笑っていた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆僕らが最初に伺った御宅は、岡本さんのお宅であった。岡本さんの御宅に行くと奥さんが出てこられた。御主人は単身赴任で、息子は地元を離れている。今ではおじいちゃんと二人で住んでいるため、途方に暮れていた。 水害というのは一見、外見上は全く被害を受けていないように見えるが、一階がすべて水没し、水が引いた後に、床下に大量の粘土状の汚泥を蓄積してしまう。この粘土状の泥が強烈なニオイとカビを発生させ、そのままにしておくと結局人が住めない状態になってしまうのである。 作業は、床下に入り込んで行なう。バールで床板をはずし、わずか数十センチの隙間での作業である。汚泥と一口に言うが、はっきり言えば、大小便も含まれているのである。くみ取り式の便所であれば、水が氾濫した際に一緒に「し尿」も地表に出てくるのである。 床下での作業は、全身「その泥」まみれになる。腹ばいになり、「手の甲」に汚泥をのせ(床下の高さが低いため、腹ばいになっての作業しかできない)それをひも付きのちりとりに載せて、合図と共に引っ張ってもらいながら交互に作業をしていくのである。上の写真はフラッシュ撮影したものであるが、実際の床下は、したの写真のような感じである。 床下作業は午前中から始めて、午後5時ごろまでかかったが、何とか床下の汚泥をすべて取り除く事ができ、消毒まですることができた。男4人が総がかりで作業をして、やっと一軒の家の床下作業が終わるのである。どれだけの時間がかかるか計り知れなかった。しかし、作業が終わったあと、岡本さんの奥さんが涙を流して喜んでくれたのにはこちらが感動した。「九州から来ていただいて、見ず知らずの私たちにこんなにして下さって、本当に、本当にありがとうございます」おじいちゃんとも握手をし、僕らは最初のボランティア体験が、非常に喜びに満ちたものになったことに感動したのであった。 しかし、この後、僕らは「ボランティアの現状と真実」に直面して、どこに向けようもない憤りと怒りを感じる事になるのであった。(その3へ続く)
Oct 22, 2005
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宮崎に住む友人の家が、水害で全滅した。一気に水位の増してくる泥水に、彼は家族と一緒に屋根の上に登り、必死で自分の着ている白シャツを振り回し、自衛隊に救出されたのである。自然災害というものは、本当に恐ろしいもので、本当に全てを奪ってしまう。僕らは仲間うちで義援金を募り、彼に渡した。彼は「本当にありがとうございます」と心から感謝していた。僕は、以前のある事を思い出していた。それは2004年の台風23号、淡路島での水害の時の事である。2004年。台風23号は、兵庫県を中心に、凄まじい被害の爪痕を残した。 毎日のようにテレビでは、屋根の上まで水が浸水した家屋の映像が流れていた。我々の企業でもそうだが、多くのスーパーなどからも義援の商品(水・毛布・食品)などがおくられた。ある所で宿泊のセミナーがあった時のこと。京都に住む私の尊敬する先生の一人が言った。「兵庫の惨状は、テレビで見るようなものじゃない!もっと凄まじい。こういう時こそ何とか、皆が力になれないものだろうか、何とかならんのか!」その言葉を聞いた時、「本当に力になりたい」と思った。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆話は変わるが、僕はボランティアと言うものがあまり好きではなかった。世にボランティアをする人達は大勢いるが、その中には、「同情心」や「優越感」でしている人が多く、その態度からは「してあげているのよ」というような態度言動が伺える人がいるからである。要はそのような人は、自分自身の優越感の自己満足の為にボランティアをしているのである。しかし、今思えば、自分自身の心にこそそのような心があったのかもしれない。人を見て嫌だなぁと思う時には往々にしてそれが自分自身にあったりする。僕自身の心の中にある、「同情心」や「優越感」に嫌悪感を感じていたからこそ、僕はボランティアと言うものがそのように見えていたのかもしれない。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆水害ボランティアで大切な事は、「即、動くこと!」である。全国でボランティアをして人の為に役に立ちたい!という方がいらっしゃれば、この話をよく聞いておいて下さい(というより「読んで下さい」だった)京都の先生の言葉を聞いて、何とかしたいと思った僕は、福岡に戻り何人かの友人にその話をした。お金ではなく、自分の足でその事を体験し、何かを感じ取りたいと言う気持ちがあった。我慢できなかったので、社長に「兵庫の水害のボランティアに行きたいのです。一週間休みを下さい」とお願いすると、社長は暫く考えて、「窪山君、そんな事は自分だけで行かず、何人か連れて行きなさい。素晴らしい体験と勉強になるだろう」と言ってくれた。色々と声をかけたが、最終的に4人で行く事となった。ボランティアに行く自分達がボランティアしてもらう事になってはいけないので、知り合いから四駆を借り、それにテントなどを積んで「野宿」するつもりで出発した。 福岡を出発して、兵庫に向かう予定だったが、兵庫の方は水害の被害もずいぶんと沈静化したということで、僕らは、淡路島へ回る事となった。淡路島の洲本町に到着したのは夕方の8時くらいであたりはすでに暗くなっていた。何も勝手がわからなかった僕らは、とりあえず災害ボランティアセンターへ行った。災害ボランティアセンターと言うのは、民間のボランティアの団体の方々が、「災害情報の収集」の中心にする為に簡易的に建てたり借りたりしている情報センターのようなものである。僕が驚いたのは、災害のボランティアだから、てっきり行政が動いて取り仕切っているものと思っていたのだが、じつは、行政は金を出すだけ(実際は管理するだけ、口を出すだけ)で、何もしないのである。民間のボランティア団体の方々が、この日も夜遅くまでミーティングをしていた。 ミーティングをしていた皆さんは、夜遅くにごそごそとやって来た「九州人」に親切にしてくれた。今日泊まる所がないという僕らの話を聞いて、「千福寺と言うお寺があって、そこの住職に頼んでみましょう。もしかしたら泊めてくれるかもしれませんよ」願いがかなって、僕らはボランティア初日を野宿せずにすんだのである。 このあと衝撃の体験をする事になった。続きは(その2)に書きたいと思います。
Oct 22, 2005
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「世に読書人多くして真の学者なきものは、学を為すの初め、その志すでに誤ればなり」〈世の中に本を読む人が多いのに真の人物がいないのは、学問をする最初にその志がすでに間違っているからである〉これは幕末の維新の志士、吉田松陰が言った言葉である。正しい志とは人間としての正しい道、つまり正しく人生を歩む為の道を明らかにする学問・勉学である事を思い定める事であって、いかに読書し勉強しても正しい道を知らないのなら、学問・勉学したとはいえないのである。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本当にその通りだと反省した。よく学生時代に(社会人でもそうだけれども)多くの「資格を取る」人がいる。聞いてみると「たくさん資格を持っていると、何かの役に立つものよ」などと言っていた。しかし、そういう人の多くは「資格を取る」のが目的であって、後に聞いてみると、その資格のほとんどが役に立っていない場合が多かった。(資格をとる為に努力をする、その努力の姿勢は素晴らしいが)それに反して、全くそれまで資格などもっていなかった人が、ある仕事に携わり、その仕事の中で必要な資格を実践の中で身につけていった方が仕事上でも人生の上でも自分の身になっているようである。読書にも同じ事が言える。「本を読む事」が目的となってしまい、何の為に読んでいるのか、また自分自身が「何をしたいのか」「何故それをしたいのか」もわからず「志(こころざし)」というものが心に無ければ、どのような読書をし、学問をしても所詮は、人の意見に感銘し共感をする程度のものではないか。猛反省をさせられた。確かに、読書は人との出会いに良く似ている。どのような人(本)とめぐり合うかによって人生の豊かさが変わってくることも事実だろう。しかし、人と出会って、人に感動しているばかりでは、いつまでたっても真の自分自身とはめぐり合う事はできない。自ら学問し、実践し、自分自身の生き様の中でそれ(自らの歴史)を作り上げていくからこそ、人が感動するのである。果たして自分自身の志はどうであったか。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「井を掘るは水を得るためなり。学を講ずるは道を得るが為なり。水を得ざれば掘る事深しと言えども、井とするに足らず。道を得ざれば講ずること勉むと言えども、学とするに足らず」〈井戸を掘るのは水を得るためであり、学問をするのは人の生きる道を得るためである。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えぬように、たとえどんなに勉学に励んでも、人の生きる正しい道を知ることがなければ、学問をしたとは言えない〉何故人は勉強するのか。何故自分自身は読書するのか。学問するのか。今一度自分自身に問いかけてみる機会を得たことに、感謝したい。
Oct 20, 2005
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非常に嬉しいものを頂きました。\(^o^)/前から欲しいなあと思っていたのですが、作ってもらったら20万ぐらいはするんではないかというシロモノ。皆さんはこれを見たことがありますか? これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。この置物にはこういう物語があるのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。 孔子は廟守(びょうもり)に「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。それを聞いた孔子は、「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。 御弟子さんが水を器に注ぎました。中ほどのところでは正常の位置になり、水が一杯になるとガクリと転覆し、水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。そこで孔子は言いました。「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」虚なれば即ち傾き中なれば即ち正しく満なれば即ち覆る 何事も「足るを知る」という事ではないだろうか。広く世の中を見てもそうだが、「足るを知る」という事を自分自身の心の中にもてない人というものの欲望は際限がない。欲望と言うものは時に本人の中では、「成功の目標」や「成長の目標」である場合がある。それ自体は何の問題もないのだが、(正しいものであるのに)この「足るを知る」という事を心に養っていないが故に、失敗してしまう。時にはすべてを失ってしまうものである。夫婦、男女の恋人同士や、職場の人間関係などすべてにそれはあてはまる。「相手がもっとこうあってくれたらよいのに」と思う気持ち。「何でこんな風にしてくれないのか」などという気持ちは、同じような事かもしれない。他人の欠点を指摘し批判する事はたやすい。それよりも、「他人の欠点我これを補充する」のこころで接してやる事ができれば、どんな人間関係も結果温かいものとなるのだ。
Oct 20, 2005
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この日記に色々と自分の考えている事を書いているのだけれど、どうやら50名ぐらいの方が定期的に見に来てくれているようだ(嬉)昨日、尊敬している知り合いの社長が「ブログに日記を始めました。窪山君知ってるよね」という話をされ、あのF社長が始められた事に驚きと喜びを感じた。(話は変わって)昨日勉強させていただいた事にこういうことが書いてあった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆『論語』に「道に聴いて塗に説くは、徳をこれ棄つるなり」とあります。これは、道で人からよい話を開いて、それをすぐほかの人に説明するのは、自分の徳を捨てているようなものだ、という意味です。つまり、よいことを聞いても、心にとどめてそれを実行しなかったならば、自分の身につかないということです。私たちは、道徳などの何かよい話を聞くと、すぐ自分が実行したかのように他人に説いて聞かせようとしがちです。しかし、自分が実行しないことを他人にいくら説いても、それは徒労に終わります。ただ知的にその原理を知るとか、他人に説明するとかというのでなく、これを聞くと同時に、たとえわずかでもみずから実行することが大切です。単に自分の知識を示したいとか、先輩や同僚あるいは聴講者に気に入られたい、ほめられたいなどというような心づかいで話をすることは、道徳的に見れば効果が乏しいといえます。また、個人的に相談を受けた場合でも、相手の感情に引き込まれていたずらに同情したり、相手の行為が自分の感情や利害に反するためにこれを諭すというような心づかいで助言や指導をすることは、同様に良い結果をもたらしません。なぜなら、そのような講話や指導は知的、感情的なものにすぎず、その動機、目的が利己心にもとづいているからです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ついつい、このような「誰も知らない場所」でさえ本当の自分の足取り、「あゆみ」を書き込めていない自分がいることに気がつく。(反省)人間の「自分をよく見せたい」という欲望が、こんな場所でも頭をもたげる。何かの会があり、人にその説明をしようとしたとき、人はその会がどのような会であるかという事を「その人」を通して見る。とどのつまりは「恥ずかしながら自分自身を見てください。私がこの会の代表です」ということではないか。会社も同じ事だろう。「その会社」「その組織」「そのサークル」が何をやっているか、ではなく、自分自身がどのような人間であるのか、と言う事が結果問われるのだ。そんなつまらないこの「場所」にも、時折でも遊びに来て、読んで言葉を残してくれる方々がいる。その事に気づくと、ふと心が温かくなる。本当に感謝したいと思います。ありがとうございます。
Oct 18, 2005
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皆さんは「ちり銭」というものの考え方を知ってますか?内容を聞けば「ああ、なるほど」と思い出され、うなずかれる方も多いのではないでしょうか。これは、日本人独特の文化でもありますが、人から応援される人間になりたいと思う人は、知っておくと得をしますよ。(^_^)僕も身につけたいと思っている習慣の一つです。今でもそうですが、家に来客があると、うちの母親は決まってその方が帰る時、「これ頂き物だけど...」とか「たくさんあるから...」などと言いながら、果物やお菓子やジュースを御土産に渡している。これが「ちり銭」を大切にする生き方です。つまり、自分が得たものの一部を他人にお返しする行為、生き方の事です。例えば自分が何かをしようとする時、「これ少ないけど何かの足しにして」などと言ってお金をくれた人がいたとするならば、その人にわずかでもいいから御土産を買って帰るなどという形でお返しする事です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今、企業にはこれが必要だと思う。自分が得た利益の一部をお客様に対して返す、あるいは地域の方々に返す、この考え方が企業を永続させる秘訣の一つではないだろうか。自分が得た利益は確かに自分の利益である。けれどもそれを出してくれた人がいるからこそ、その利益が生じたのであって、何もないところからお金は湧いてこない。店で言うならば「お客様の支持があるから」こそ利益が生まれるのである。人生にもこれはあてはまる。自分が幸せに生活できるのは、様々な人達のお陰である。親であり、家族であり、親戚縁者であり、会社の仲間であり、上司であり、恩師であり、友人である。自分が得たものは自分が頑張ったからだ、自分がどう使おうが自分の勝手だろう。などという人がいるが、無人島で商売しても誰も何も買ってくれないように、支えてくれる人がいるからこそ生きていけるのである。ハンカチ一枚でもいい、御礼のハガキ一枚でもいい、自分が毎日の生活の上で支えてくれている人のありがたさに気づいたならば、その人達にたとえ小さな形であっても、お返しができる、それを自然に、あたり前に、習慣としてできるようになりたいと思うと同時に、その心を養う事ができるようになったならば、今度は多くの人が自分を支えてくれるようになるだろうと思うのである。「ちり銭」を大切にする生き方。身につけたいものである。追伸:読み直してみると「です、ます」調と「である」調が混同した文章になっていました。御了承下さい。m(__)m
Oct 16, 2005
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昨日に引き続き、長崎の後輩からもらった斉藤一人さんのCDを車の中で聞いていた。「自分はこういう信念で生きている」と思っている事や、「自分はこう考える」と思っている事に対して、現代の成功者は勿論だけれども、歴史上の人物や、自分自身が尊敬する人物が、「このことはこうであるんだよ」と話しているのを聞いたり、書物で読むと、非常に共感すると共に、自分の次の一手に自信がつく。情熱が湧く。僕はよく、歴史上の人物で言えば吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、勝海舟などの話を聞くことが多い。幕末の維新を生きた青年達の話は、現代の日本の状況となんら変わることなく、その情熱、目標達成の為の洞察力、計画力、実行力は本当に見習う事が多いのである。(ところが残念な事に現在の日本の教育の中においては、これらの教育はされないのが残念な現状なのであるけれども...。)話を元に戻そう。斉藤さんの話の中に、「どうでもいい生き方をしている100人の人間が集まって何かをやるくらいなら、本気で目標を達成しようと考える人間が10人でやった方がいいんだよ。戦になったら、どうでもいいと考える人間は、途中で逃げるんだよ。でもね、本気でやろうと言う人間は、逃げないんだよ。だから10人でやった方がいいんだよ。100人いると、頭数に入れて作戦を立てちゃうんだよ。だから負けるんだよ」全くその通りだと思った。企業も起業も同じである。何かを目標達成しようとする組織も、そうである。「枯れ木も山の賑わい」という言葉もあるが、戦の時には「逃げる人間」は要らない。人生かけて生死を共にする。そんな仲間がいれば、物事が達成できないはずはないと思うのである。ふと、今、この日記によく訪問していただいている方々が、「輪和」という行動を起こしていて、色んな情報が入っているけれども、こういう仲間が、情熱の集団こそが、小さな動きかもしれないけれど、大きなうねりとなっていく事と考えるのである。追伸:偉そうに書きましたが、すずさん、りんだ姉さん「輪和」のことなんですが、私は非常に感心を持っています。しかし、何をどうすればいいかがよくわかりません。(^_^;) 善成さんにも、メール等を頂いてますが、MIXIの方もどう対処したら言いかがわからず、日々が過ぎて...。(^^;ゞどうぞ、長い目で見守ってください。(^.^)/~~~
Oct 13, 2005
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一昨日、長崎の後輩が、「斉藤一人さんのCDが手に入ったので、持ってきます」と言って持ってきてくれた。(感謝)早速行き返りの車の中で聞いている。斉藤さんの本やCDを僕も読んだり、聞いたりしているし、身内に近しい人の中でも、「ツイてる」という言葉のプラス発想を実践している人がたくさんいます。(勿論私も言っていますよ(^^)v)昨日の車の中で聞いた話の中で、今回「面白い」と思ったのは、「あなたが仕事を選んでいるんじゃないんだよ、 仕事があなたを呼ぶんだよ、 今の仕事がつまらないと言っている人間は、 今の自分がつまらないからその仕事を選んでいるんだよ。 つまらないと思う仕事でも、 一生懸命にやれないつまらない人間だから、 その仕事があんたを呼んでんだよ」この話は面白いと思った。全くその通りである。今の生活に「幸せ」を感じることができない人は、どんな生活を手に入れても幸せになることができない。それは原理原則を考えればわかる簡単な事なのだが、「心」が「感謝する」という習慣を習得していないからだ。わざとらしく難しい表現をしたけれど、人間これは「心のクセ」だから、一朝一夕には、習得できないものだ。車が自分の前に割り込んでくれば、「なにやってんだよ!」と心が反応してしまう。しかし、「前の車は急いでいるんでしょうね、 事故を起こさなければいいんですが」と考える事のできる人もいる。(これは実際の話)つまり「幸せ」になるには、幸せになるための「心の反応の仕方」を自分自身で習得しなければならないと言うことである。お金を手に入れて、不幸になる人、地位を手に入れて結果身を滅ぼす人。企業も同じである。日本でも永続している企業と言うのは、研究していくと必ず「ある法則」にしたがって経営されている。そしてその「徳育」が、脈々と父・母から息子娘へと受け継がれているということは、広く一般には知られていない。企業であれば、一代で潰しても構わないかもしれない。ダイエーのように一代で栄枯盛衰の極みを見るような経営であってもいいかもしれない。しかし、家族の場合は別である。子供に幸せになってもらいたいと思わない親はいない。ある大成功者が言った。「金を残すと言うのは、後世の者には下の下」どなたかが書いた別の成功者も言っていた。「私は息子には全く金は残さない。私は苦労してこれだけのものを得た。素晴らしい人の縁、自分自身の努力、その過程で得ることの出来るたくさんの物事...。金を残す事で息子からその事を奪うほど、私は野暮ではない」これぞ本当の経営者であり、親であるなぁとおもったものである。
Oct 12, 2005
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これは別の場所で遠い昔に書いていたものだけれど、あらためて見直して感動しました。何度も読み返したい無名の少年の話です。◆「少年の涙」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ベトナムのとある村で宣教師たちが運営する孤児院が、爆撃されてしまいました。宣教師たちと2人の子どもが即死し、多くの子どもたちが重傷を負いました。重傷になった子どもの中でも、ある8才の女の子は最も危ない状態でした。無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ軍の医師と看護婦が到着しました。少女は大量に出血しており、すぐに輸血しないと命を落とすことになります。でも輸血用の血液などありません。医師は、心配そうに集まっている周りの人たちに、血液を提供して欲しいと、言葉が通じないためジェスチャーを混じえて必死に伝えました。沈黙の時間がしばらく続いた後、大人たちに混じって見ていた一人の少年の細い腕が恐る恐るあがりました。急いで血液を調べ、輸血の準備をし、苦しむ少女の隣に少年を寝かせて、輸血用の針を腕に刺しました。少年は黙ったままじっと天井を見つめています。しばらくすると、少年は眼に涙を浮かべ、そのうち、自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣きはじめました。注射針が痛いのかと思った看護婦は、やさしく微笑みかけ少年をなだめました。いったんは落ち着いた様子でしたが、またしばらくすると今度は大粒の涙をこぼしていました。「どこか痛いの」と尋ねましたが、そうではないようです。医師は気になりましたが、再び尋ねても、痛くはないと言います。そこへ、別の村からベトナム人の看護婦が救援に現れました。医師はその看護婦に少年に何が起きているのかを尋ねるよう頼みました。現地の言葉で看護婦がやさしく話しかけると、少年の悲しそうな表情はゆるみ、ようやく平静を取り戻しました。そして、少年は、こう答えたのでした。「僕はまだ死にたくない!」「僕は血を抜かれて、まもなく死んでしまう...。でも僕は血だらけになったこの女の子を僕の血で助けるんだ!」それを聞いた看護婦、そして周りにいた大人たちは皆愕然としました。針の痛さのせいではなく、まもなく死ななければならない悲しさと、自分が少女を助けるんだという使命感との葛藤の中で、少年は大粒の、最期の涙を流していたのでした。輸血に対する知識が全くない少年が、自らの命をも引き換えに少女を助けようとした行為...。20年近く前にキリスト教の牧師が早朝のテレビで話していたこの話を、私は今でも思い返しては自分の心に問いかけています。見返りを求めずに善行を積むことは非常に尊いことです。また、他人に対して深い思いやりの心を持つことも大切だとわかってはいます。しかし、それでいても、対価を求めず私財を提供する、あるいは、無償で労力を提供することは、口で言うほど簡単にできることではありません。ましてや、「無償の愛」の境地にまで達することは非常に難しいものです。寄付とか、ボランティアといった慈善行為は、もっと偉くてお金や時間に余裕のある人がするものだ、と私も心のどこかで思っていたのが正直なところです。しかし、そうではないのだということが、最近だんだんと分かってきました。他人に対する思いやりに、どんな理由がいるのでしょう。あるいは、どれだけの財産、時間があれば他人のことを思いやる余裕ができたというのでしょう。この少年には、財産や時間的余裕、ましてや特別な才能があったわけではありません。しかし、純真な心をもって、自分の一番大切なものを人に与えたのです。「無償の愛」とはこういうことではないでしょうか。寄付をするのもいいでしょう、ボランティアに参加することも決して悪いことではなく、むしろ推奨されるべきです。しかし、名誉欲や社会的地位など、欲求や願望が些かなりとも介在してしまっては「無償の愛」にはなっていないということです。周りにいた大人たちが表現できなかった、少年が私に教えてくれた「無償の愛」を、いつも心の底にもち続け、日常を過ごしていきたいと思っています。「無償の愛」はこの少年のように特別な誰かだけがもっているものではなく、人間の心の中の深いところに誰もが持っているものだそうです。この前テレビで興味深いことをある男性が言っていました。氾濫した川におぼれている人を助けに飛び込んだ男性の話なんですが、「無償の愛」とは意味合いが違うけれど、その人がこんなことを言っていました。「何で飛び込んだかって?そんなのわからないよ。普通に考えれば危ないし、自分の命も失うかもしれないよね。けど、人間は皆そんな状況に遭遇すると、僕がとった行動と同じ事をするんだよ。そんな風に作られているんだよ、人間はね」「そんな状況」までに陥らずとも、この少年のように自分を犠牲にしてでも、目の前で死んでしまおうとしている少女を助けてやりたいという思いは、親であれば誰でもが持つ自分の子供に対しての「無償の愛」と同じようなものなのかもしれません。
Oct 11, 2005
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今をときめくIT産業の成功者。一日で何千万の買い物をした、とか、年収数億円とか。世の中には凄い人がいますね。そんな人とは別の世界で、「人のために行動することが喜び」という人がいる。皆さんはどのような人、どのような生き方を通して、「幸せ」というものを考えますか?今日はそんな話です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 幸せであるかどうか、自分で見きわめるのはむずかしいものです。人から見て「あの人は幸せそうだ」とか「幸せとはいえない苦労をしている」と思われることはあるでしょう。また自分がつらい、きびしい、しんどいことを「不幸せ」と考えてしまうことはあります。「幸せ」というのはどんな状態をいうのでしょうか。経済的な安定、世間から評価される職業に就く、健康、好きな趣味などの時間が持てることなどもあるでしょう。よく、つきつめて考えていくと、自分はだれかのために何かをしている、自分は前に出なくてもだれかの後ろに立っている、そのことで得られるよろこびが、根底にないとなかなか幸せとはいえないのではないでしょうか。つまり自分が生きていることは、まわりのだれかのためになっていることです。さらに自分とともに歩んでいる人がいるという状態なのです。最近ボランティアをする人たちが増えていますが、人のために自分の力を使うという実感がよろこびに結びついているようです。家族や恋人などの身近な人、職場という小さな社会にいる人たち、地域の人、友人たち、自分のまわりにいる人によろこびを与え、幸せを感じて生きていきたいものです。====================どんな富を得ても、地位を得ても、名声を得ても、それを分かち合うことのできる、喜んでくれる、共に歩んでくれる人が誰もいないというのは、無人島で王様の生活をしているようなものだろう。自分を支えてくれる人、自分と共に歩んでくれる人、自分の喜びを共に喜んでくれる人、共感してくれる人を大切にして生きたいものである。
Oct 7, 2005
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今日は、人生3★回目の誕生日。朝からたくさんの人達が「おめでとう」とメールをくれたりして、「嬉しいなあ」と一人喜んでいた。考えてみると、小さい頃は誕生日が待ち遠しかった。幼稚園ぐらいか、小学校の低学年ぐらいかな。今では「ケーキ」や「バナナ」など「いつでも食べられるもの」だけれど、僕らが小さかった頃でさえ、「ケーキ」と言ったら「特別な日」だけにしか食べられなかった。一つ下に弟がいるのだが、その弟と一緒に、「おにいちゃん、今日は誕生日だからケーキが食べれるね」「そうだね、祐ちゃんにもあげるから、二人で食べよう」などと会話して、走って帰った記憶がある。小学生も高学年ぐらいになると、友達が誕生日を一緒に祝ってくれるのが楽しみで、待ち遠しかった。色んな友達が自分の誕生日を祝う為に「プレゼントを持って」自宅に集まる。母親が自分の誕生日を祝う為に「美味しい料理を作ってくれる」子供としてこれほど嬉しい事があるだろうか。年をとるにつれて、自分の誕生日など忘れてしまう毎日を送るようになってしまっていた。しかし母親だけは毎年いつも「誕生日おめでとう」と祝ってくれていたような気がする。反抗期の頃などは「おめでとう」と言われる事にさえ、苛立ちを覚える頃もあったような気がする。時が過ぎ、社会人となり、仕事をするようになってからは、自分の誕生日などもすっかり忘れてしまい、銀行に現金を引き出しに行った時に預金引き出し機(キャッシュディスペンサー)に「お誕生日おめでとうございます」と表示されるのを見て「そうかぁ、今日は誕生日だったなぁ」と思い出す程度の毎日だった。ある時、そんな毎年の誕生日の話をしている時、ある方が、「窪山君、それはちがうよ。誕生日というのは自分が祝ってもらえるから嬉しい日じゃないんだよ。親が自分を生んでくれた事に感謝する日なんだよ。君がこの世に生まれた事に感謝する日、その生んでくれた親に感謝する日、それが誕生日なんだよ」そう言われた。子供ができ、父親となり、親の気持ちが少しずつでもわかるようになった今日この頃、少しずつではあるがその事をしみじみと思うようになってきた。「おかあさん、ありがとう」素直にそう思い、言える様になってきたのは、年のせいだけではない。今、家族と一緒に母と住んでいるが、本当に幸せな毎日を送らせていただいている。巷では、嫁と姑の諍い問題がテレビなどでもよく取り上げられているが、実の母と娘以上に仲のよい二人を見て、「ありがたいなぁ」と感謝している。本当に母に助けられている事が多い。会社でも、そうであろうが、自分中心の「与えられる喜び」「育ててもらう喜び」「教えてもらう喜び」から、自分自身がそのように人から育て、教えられ、多くのものをもらった恩に気づいたならば、その恩に感謝するだけでなく、恩を返す「報恩」を次は自分がしていかなくてはならない。「人を育てる喜び」「人が育っていく喜び」それを感じる人間に成長していきたいものだと思うのである。そういう気持ちで過ごしていれば、来年もきっとさらに素晴らしい「感謝の誕生日」が迎えることができるだろうと思うのである。
Oct 6, 2005
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日記を書くときのテーマというのを選べるようで、ここ最近いくつか選んで書いているのだけれど、4つぐらいのテーマでしか書いていないことがわかった。(^^ゞ要するにその事に今一番興味関心があるから書いているのだろうけれども、同じような考え方の人の周りには同じような人が集まるというのも、面白い事で、これを『同類親和の法則』という。意識するしないに関わらず、同じようなオーラ(生き方)を発している人を人は求め、縁を繋いでいくのだ。話は変わって...。どうやら「人生の転機」が来ているようである。これまで蓄積してきた事が、また次の一歩になりそうである。非常に険しい人生の選択であるかもしれないが、今非常に、「ワクワク」している。そう。今の気持ちを表現すると、「ワクワク」と言う表現が稚拙かもしれないが、一番ぴったりしている。たった一度きりの人生。自分自身と自分自身を育ててくれた「縁を頂いた人々」、本当に感謝です。何かまとまりのない日記になりました。また、後日詳しく書きたいと思います。是非
Oct 2, 2005
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