素敵なさちでいたい☆

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Oct 7, 2009
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カテゴリ: 名古屋文化
 あまり台風の来ない地域ですが、


 朝から門や扉を紐でくくりつけたり、
 ガレージを固定したり、
 台風に備えて準備です。

 「伊勢湾台風のときはほんとすごかったのよぉ。
  それ以来、台風が来るとやっているの」

 とおばあちゃん。

 そう「あの」伊勢湾台風からちょうど50年です。


 たくさんの死者を出した
 東海地方で戦後最悪の天災といってもいいのではないでしょうか。

 私の親戚のおばちゃんは、
 台風の翌日に長島へ舟でお手伝いに行ったそうです。
 それはもう壮絶な光景だったとか。

 このあたりは、
 木曽川・長良川・揖斐川の三つの川が合流して
 海に流れ出す場所であり、
 愛知、岐阜、三重の境界エリアでもあります。

 海抜ゼロメートル地帯、
 つまり水面が地面より高いんです。

 塀で囲んで水が流れてこないようにしている地域です。

 もちろん、今は堤防があります。
 ただこの堤防も鉄橋などの影響で、低いところがあるのだとか。

 万一、高潮が襲ったら、
 そこからどっと流れ込みます。


 さちの実家も、そのせいか床がとても高いです。
 玄関にあがるのに階段を10段ほどのぼらないといけない

 川の恵みに支えられている一方で、
 この辺りは昔から水害に悩まされる地域なんですよね。

 ちなみに、江戸時代には
 岐阜県と愛知県で堤防の高さが違ったのだとか。

 さて、どちらが高いでしょう?

 もちろん愛知県。
 だって、徳川御三家の尾張藩ですもの。

 当然、水はまず低いほうに流れ込むから、
 高くしてある尾張側には水害が少なかったのだとか。

 なんか、、、尾張側に住んでいるけれど、それはずるい。。。と
 子どもながらに思ったものです。

 ですから、岐阜県はずいぶん、水害に苦労してきたようです。
 江戸時代には三川分流工事が行われています。
 千本松原といえば、このあたりの人ならご存知だと思います。
 さちは確か道徳の授業で習いました。

 薩摩藩が治水工事の命令を受けて、
 たくさんの尊い命を犠牲にしながら行った事業です。

 何でここで薩摩藩(九州の鹿児島ですよ)?!って感じですが、
 幕府の嫌がらせ?!ということだったみたいですね。
 幕末だったので、薩摩藩を財政的に疲弊させるのが狙いだったとか。

 かなりの難工事であり、
 その上、疫病が流行ったり、政治的なことも絡み…
 大変な事業だったようです。

 事業が完成した後に、総監督だった平田靱負(ゆきえ)は切腹します。
 → 宝暦治水事件

 この治水工事の際に1000本の松が植えられ、
 平田靱負らを祭った治水神社が建てられています。

 さちの記憶では、
 薩摩藩の皆さんのおかげで、
 この地方がその後水害が守られるようになりました。

 という話の尾張だったと記憶しているのですが、
 今回この記事を書こうとして調べてみたら、
 Wikiには
 この治水工事の後、皮肉にも洪水の回数が増えたとかかれてました。

 現実のお話は、なかなか綺麗には収まらないみたいです。

 話が大幅に脱線してしまいました。
 ローカルなお話に付き合ってくださってありがとうございます。

 ということで、
 みなさん、台風の準備は抜かりなく~。 





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Last updated  Oct 7, 2009 03:15:46 PM
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