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4月25日5時45分に父が旅立ちました。
最期は自宅の畳で迎えたいと希望がありましたが、
4月23日の夜、相当きつかったのか、
自分で“救急車・・・呼んで・・・くれ・・・”
と息も絶え絶えに言いました。
救急搬送されているとき担架に乗せられて家の外に
出ると、これで最後と悟ったのか、
家の外観をじーーっと見つめて救急車に乗り込んだ父の
姿が印象的でした。
病院についてCTをとると
右肺のすべてががん細胞にむしばまれていて
真っ白でした。
血液中の二酸化炭素もかなりの高値で
先生からも『ここまでよくおうちで頑張ってきましたね・・・』
と言われるほどでした。
それから、呼吸困難が強い父が少しでも楽になるように
麻薬の処方を先生に頼みました。
それを私の手から飲ませたのが最後です。
ここ何週間か見たことのないような安楽な呼吸のしかたに
戻ってきたのを確かめました。
前日徹夜で看病していたし、姫もいることなので
看護婦さんにお任せしていったん家に帰ると
病院から電話があり
駆けつけましたが間に合わず・・・
だけど全然苦しんでいるような顔ではなく安らかな顔だったので
安心しました。
お父さんが亡くなったから悲しいのは当たり前なんですが、
お父さんの介護を一生懸命にやったし
ケンカもしたけど最後までおしゃべりできたので
悔いの涙はでませんでした。
末期のがんだと診断された後から、遺影の撮影を済ませていたり、葬儀屋さん
に自分の葬儀について相談していたり、お葬式にかかるであろう現金を用意してくれて
いたり、火葬する数珠を用意してくれていたり、
最期の準備を着々と済ませてくれていた父。
生前、そんな父のやっていることに対して、
『生きてるうちからそこまで準備しなくてもいいやん^^』
と、冗談にしたこともありました。
でも今思うとそれも残される私たちが困らないようにしてくれていたんだと
感謝しています。
保険の相続に行ったとき
保険やさんが
『生前にお父様が、“俺が死んだあと、娘の手を煩わせないような
簡単な手続きで相続できるようにしてくれよ”ってお願いされたんですよ』
と教えてくれて、こんなことまで考えていたなんて・・・と思うと
ジーンとしました。
とにかく、自分の生きたいように生きた父。
それで周りが振り回されて、困ったお父さんでもありましたが、
自慢の父でもありました。
もっと生きているうちから、素直に自慢のお父さんだよ、っていえばよかったな~。
仏壇の前でこんな風にお父さんを褒たときは、
遺影の顔が少しニヤッとしているように見えます^^
だからきっとどこかで聞き耳を立てているはず。
来月には生まれ変わりを出産する私。
お父さんに似てまっすぐに生きていくような強い芯の通った女の子を
産むからね~~^^