2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全2件 (2件中 1-2件目)
1
この5年間を振り返ると、「修行」「苦行」という言葉がまず思い浮かぶ。「今日を楽しめない者に、明日を楽しめるわけがない」と言いながら、自分は今日を楽しむことができない人間になってしまった。その前の5年間は、やはり修行・苦行だったと思う。ただ、苦しみの度合いが薄かったので、なぜか今は楽しかった(ネットゲームをやってただけだが)と、勘違いをするようになった。人間はそのようだ……--------------------苦行の原因は何だ?もちろん、身から出た錆だ。それ以前の30年近い人生に於いて、自らが溜めに溜めた悪行のその報いであることには違いない。本当にそうなのか?……そう思わねば、耐えられないから、そう思っているだけだ……真か偽かなど、問題ではない。自分以外に原因を求めれば、より悪い事態が待っていることは、自分の性格からして明らかだから。--------------------子どもはかわいいな。嫁もいとおしい。だが人生は苦しく、この5年の停滞が、さらに自分に重く圧し掛かる。日が進むにつれ、その重石がますます重くなるから、さらに苦行が苦行として続くのだろう。--------------------こう考えることは出来ないものか?人間は、苦しみ、悩んだ分、成長する。努力は裏切らない。ははは、そんな馬鹿なことがあるものか、と。真実は分かっているから。人間が苦しみ、悩んで成長するのは、その素地を持っている者、つまりそれを信じている者に対してだけだ。……おかしいな、自分はそれを信じていなかったか?いつ頃から、自分はそれを疑うようになったのか。きっとその頃から、自分は苦しみ、悩んだ分だけ、退化していってるのだ。卑屈になり、臆病になり、悲観的になった。自分でも自分が、卑怯だと思うようになった。その卑怯さは、確固たる信念に基づいた狡猾さとは異なり、自分の中の卑小な部分から生み出されるものだ。恐らく自分は、雄大に何かを語れた頃の自分には戻れないだろう。また、別の自分を模索して、生きるしかない。模索した結果見つかるものが、結局は「卑怯」でないことを願う。見つかるものが、できるなら人生を前進させるものであることを願う。--------------------努力に関しては言うまでもない。「無駄な努力」という言葉があるくらい、明白である。--------------------来月の中旬まで、仕事に忙殺されよう。そして、何が出てくるかは分からないが、結果を出そう。それまで身を持たせる手段は、考えねばならないが。--------------------忙殺されながら、何かを考えよう。これからの5年間は、何かを得る人生であることを。せめて過去、自分が居た水準まで、心を高めるために。--------------------賽の河原とは、よく昔の人は考えたものだ。ここは、賽の河原か?石を積み重ねては、鬼が来てそれを崩す。積み重ねては、鬼が崩す。積み重ねては……その無限の苦行は、やはり現世の人間が考えたものであるな。古人はその賽の河原の先に、何を見たのか?それは地獄か?それとも、極楽浄土か?それとも、無限の苦行は、やはりいつまでも終わらず、河原では、今も多くの者が、心を灰にしながら、今も自身を積み重ねているというのか?……--------------------捨てることも大切だ。自分が退化したと感じるなら、まずは捨てることから始めてみよう。
2010.05.24
コメント(0)
34歳になった。誕生日を過ぎた頃から、毎日5時間以上の残業が続いている。仕事に対し、常に90点以上の成績(自分の中で90点以上)を求めるからだろう。過去の尻拭いを始めると、粗が見つかって仕方がない。一つ、契約書の内容が間違ってて、無駄に費用を払い続けている。一つ、あるはずの物がない。一つ、……見つけたら、修正をするのが私の仕事だ。しかし過去の担当者はもう居ないし、なかなか調査も進まない。少しの修正に相当の苦労が掛かる。ここで私が50点くらいの仕事をしてると、次の担当者がまた相当苦労することになるだろう。だから、私は90点以上の結果を残しておきたい。国の借金のように、未来の者を苦しめる前提で、何かを積み上げていく愚考は、許せないことだと思うのだ。--------------------60点以上でいいのに……と思う。どうして60点で我慢できないのか……と思う。きっと、自他から「きちんとした仕事をした」と認められ、いや、自他から非難されたくないからだろう。60点であれば、どんなに楽だろうに、と思う。ある人にそれを言うと、「その仕事を止めたら、君意外に誰もやる人がいないじゃないか」と。その通りである。だから私がやっているし、「やらされている」のだ。上司の曰く「今まで誰も手をつけなかった分野」だ。面白い言い方をする……それ相応の膿が溜まっている……--------------------どうして自他から非難されたくないのだろう。最近、口論など、けんかをしてないな……社会人になったからだ。空気の読めない人間だ、けんかをすればとことんまで行く。社会に出るまでに出会った人で、今も付き合いのあるのは、一人くらいだ。しかし仕事は違う。多くの者の協力を必要とする。協力を得たいし、こちらも協力したい、そんな関係がベストで、そうあらねばという思いが強すぎて、非難されるのを極端に恐れる。それは、逆に言えば、自分は協力をしたくない人間には、(利得がない場合)協力をしない人間だからだ。しかしそれでも、90点以上を自己に科し続けるのは、異常だと思うが。--------------------基準がおかしいと思う。学校のテスト。90点以上、優、10段階評価の9以上……「まぁ、こんなものかね」90点未満、良・可、8以下……「悪かった」60点未満……「0点と同じ。無だ」たとえ平均点が30点だとしても、そう考えてしまう自分から抜け出せない。そうじゃない。ぎりぎり合格でも、合格は合格だ。と、何年も自分に言い聞かせているつもりなのだが、抜け出せない。90点より下は、自分の中では不合格だと、染み付いている。抜け出せない。--------------------結果として、今のところ自分の人生は60点以下だ。それは、この90点以上を求める考え方が、間違っていることの証明でもある。60点で満足していれば、きっと私の人生は、70点か80点は取れていただろう。角を矯めて牛を殺す、とは、なるほど、こういう時に使う言葉なのだな(笑)--------------------人生はまだまだ長いと信じている。早く考え方を改めて、前へ進まなければ。自分が自分であるための、本当に大切なものだけを残し、それ以外はすべて捨て去ってもいいのだ。だが、そう思って何年になる?やはり、まだまだ長い……
2010.05.23
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1