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日中どんなに残暑が厳しくても、秋はそこまでやってきている。 八階に住んでいるのだけれど、虫の音は届くし、何より夜の風が冷たくなった。 朝から憂鬱で気分が浮上しないのは長女で、次女は折からの生理で機嫌が悪い。 それを聞くにつけても、やはり秋なのだとひとりほくそえむ。 食欲の秋、芸術の秋、凌ぎ易い気候の秋。 もしかしたら、四季の中で一番過ごし易いのが秋なのかもしれないのに、 わたしは秋が大嫌い。 何故ならば、どうしてだか気分が滅入ってしまうからだ。 長女の憂鬱はわたしの遺伝子で、次女の不機嫌もわたしの生理不順DNAだろう。 秋が嫌いなのは、ものすごく孤独を感じてしまうから。 切なくて、哀しくて、たまらないから。 それなのに。 今日届いた郵便物の中。 必要で取り寄せた元夫の除籍謄本。 わたしが去り、子供達が抜けた謄本は、寂しくて胸が裂けそうだった。 高が書面上のことなのに……。 そのことは秋と無関係なのに、秋が二重に嫌いになった。
2005年08月29日
西瓜が無性に食べたくなった。 それくらいこの夏は、暑いということなのだろう。 いつものスーパーで、12度と表示されているくし型の西瓜を一切れ買った。 本当は、はちきれそうに熟れた丸ごと一個の西瓜に包丁を入れた瞬間の、あのわりわりっとした感覚が大好きなのだけれど、少人数ではとても食べきれない。 何日も冷蔵庫の中で転がして、不味くして腐らせてしまうのが落ちである。 唐突に、亡き元夫が西瓜にかじりついた時の、嬉しそうな顔が浮かんだ。 彼は西瓜が大好物だったのだ。 八年くらい前、考えて悩んでその西瓜の為に、大型冷蔵庫を買った。 購入条件はもちろん省エネタイプのものであり、次に重要なことは西瓜をまるごと冷やせることだった。 大型電気店を何軒も歩き回りメーカーを比較して、そうして現在の冷蔵庫が決まったのだ。 その夏、わたしは待望の大きな西瓜を何度か買った。 夫や子供達の嬉しそうな顔を思い浮かべ、八百屋さんからえっちらおっちら運んだのだ。 汗だくで辿り着き、野菜庫に収納した瞬間、わたしは大役を果たした充足感で満たされていた。 だって西瓜は、家族みんなの大好物でもあったのだから。 くし型に切って齧り付いたり、繰り抜いてパンチを作ったり、楽しみながら甘い西瓜に舌鼓を打った。 でも今思うと、西瓜で盛り上がったのはその夏限りだった気がする。 以来冷蔵庫に、大きな西瓜が丸ごと入ることはなかった。 夫が単身赴任し、義母が別居したからだ。 家族が縮小されたら、大きな西瓜の出番が全くなくなった。 くし型の西瓜を更に切って、齧り付いた。 甘い果汁が口中に広がった。 猛暑の中を旅立った彼は、もう二度と食べられないのだと思った時。 胸の奥がきゅんとした。
2005年08月27日
初七日を終えた深夜。 ものすごいドラマだった、と次女をきつく抱きしめていた。 もしかしたら、心残りに思った亡き元夫が、そうしてくれたのかもしれない。 偶然、父親の最期を看取った次女は、それなりの重責に悩んでいた。 「もっと早く急変に気づいてあげていたら、父さんの命はまだ続いたかもしれない。母さんや姉ちゃんももう一度父さんと言葉を交わせたかもしれない」と、涙ながらに訴えた。 人が死ぬという行為を、あからさまに次女はわたし達に伝えてくれたのだ。 もし、わたしがそこに遭遇していても、やはり同じ気持ちだったに違いない。 最期の最後まで、彼は生きるという行為を捨てなかったらしい。 何度もベッドに起き上がり、死神に連れて行かれそうになるのを拒んだのだそうだ。 「くそ!くそ!死んでたまるか」 彼は、そう言っては、一点を見つめていたという。 急変してから他界するまで、40分足らずの出来事だったのだ。 何度もその最期のシーンが夢に出る、と次女は青ざめていた。 いつになく言葉に棘を含み、長女やわたしに毒を吐くのだった。 些細な言葉尻を捕まえては、執拗につっかかってきた。 何度たしなめても、聞く耳を持たなかった。 そんな次女を、もう知るものか、と半ば諦めかけていた。 眠れないと言い、夜半まで酒を放さない次女に、わたしは何か恐ろしいものを感じた。 彼女はまるで、針ネズミのようだった。 誰をも寄せ付けない鋭さを纏い、目が据わっていた。 何を言っても心に届かない頑なさを持ち、斜に構えていた。 「もう勝手にすれば?知らないから」 あまりにふてぶてしい態度に、先にわたしが切れてしまった。 「分かったよ。勝手にするよ」 彼女は、一時凌ぎに借りたホテル代わりのウイークリーマンションを飛び出した。 住んだことのない地方都市の、しかも深夜の雨がそぼる中へと。 わたしはじりじりと待った。 勝手にすれば良い、と思う反面、胃の辺りに異様な痛みが走り始めていた。 きりきりとした痛みが止まらない。 それなのに、冷凍庫に放り込んだズブロッカをストレートで口に含んだりした。 意識が酔いで遠のき始めた頃、次女は戻ってきた。 「ごめんなさい。あたしが悪かった。とってもイライラしていてむかつくんだもの。大学も卒業できるかどうか不安だし、就職も決まらない。将来があるのだろうかと考えていたら、何もかもが厭になって来たの」 わたしに抱きついてきて、感極まって泣き出した。 思い切り抱きしめて、頭を撫でてやった。 「大学は大丈夫。一年延びてもあなたにその気さえあれば、お金はなんとかするから。就職も絶対に妥協しなくて良いし、自分がやりたい方向へ進めばいいわよ」 わたしは、ようやく次女の苦悩に触れられた気がした。 バイトと学業に就職活動、その上に夏休みに入ってからの父親の看病だった。 神経をすり減らしていたに違いないのだ。 何かひとつでも外してやらなくては、がんじがらめで辛かったに違いないのだ。 同時に頭の中では、苦しい家計を思い描いていた。 それでも、なんとかなるさ。 わたしは何より、次女がわたしの胸の中に戻ってきてくれたことが、嬉しかった。 思い切り抱きしめて、何度もつぶやいた。 「もう大丈夫だから」と……。
2005年08月22日
終わった。 悲しみというより、悔しさに満ち溢れていた。 こんな人生が待っていることが分かっていたなら、あそこでここで我慢はしなかった。 我慢の先には絶対に、安寧な日々が待っていると信じていたからこそ、辛抱したのに……。 と思うのは、もう止めた。 これがわたしの運命だったのだから。 そう思うことの方が、きっと明るい未来へと繋がるのだろう。 初七日を過ぎた頃から、わたしの胸の奥に広がっていた得たいのしれない霧のようなものが晴れ始めた。 もう振り向かない。 わたしはそう決めた。
2005年08月20日
開け放した窓から、風鈴の音色と共に風が入ってきた。 気温は三十度を越えているのだろうか。 先ほどから、身体の真中に汗が集まっては下へと滴り落ちる。 その風鈴の音色に、これを買った日のことを思い出した。 たかだか数千円のものだったと思うけれど、わたしはすごく迷って購入した。 「買えばいいじゃないか」 可笑しそうに、彼が笑った。 「うん。この控えめな音色にすごく惹かれるのよね」 「だからさー、買えば?」 わたしには妙な癖があった。 衝動買いする割には、本当に欲しいものはものすごく吟味するのだ。 この風鈴も例外ではなかった。 何度も何度も足を運んだ。 買った後で、もっと素敵なものに出会ったら悔しいから。 前の家を引っ越す際、最後の点検をしていたら、軒下の風鈴がちりりーんと奏でた。 それはまるで忘れないで、と囁くように、たった一度きりだった。 わたしは慌てて取り外し、大事にここへもってきたのだ。 それ以来ずっと軒下に下げているのだけれど、風鈴は相変わらず控えめで、心の奥深くに響くのだった。
2005年08月08日
暦の上では秋だけど、現実は限りなく猛暑だ。 毎週末、元夫の見舞いに通い始めてもう一月が過ぎた。 医師に告げられた一月を、今日で数日更新した。 何より嬉しいのは、彼が生きる努力を怠らないことである。 一日でも二日でも命を延ばすことが、彼の使命であるかのように、身体の痛みを必死でこらえて食事を取ろうとする姿は、残される身内にとって何より頭の下がる姿である。 わたしも娘たちも、取り立てて特別な会話をするわけではない。 昨日も、今日も、そして明日も、明後日も、それが当たり前の日常のように、ありきたりの会話を繰り返すだけだった。 もしかしたらこの膠着状態のまま、永遠に彼が生き続けるのではないかと錯覚するのだけれど、それでも彼の方から自分がこの世を去った時の話しをさりげなく告げるから、わたし達もそれをさりげなくキャッチした。 「もう秋なんだよ。暦の上では」 「そうか。立秋なんだね」 「外は立っているだけで汗だくになるけど、確実に秋は近づいてるのよ」 「そうなんだね。俺も頑張って乗り越えなくちゃな」 「そうだよ。秋には紅葉を見がてら、温泉にでもつかろうよ」 「温泉かー。良いなー。行きたいなー」 病室に居るときは、他愛も無い会話で盛り上がる。 結局なんで笑っているのだろうと、後で思い出せないようなことだったりするけれど、そのほとんどがわたしのドジ話なのであった。 それで平和なら、わたしはいくらでも提供してやるつもりだ。 「母さんは相変わらずなんだなー」 「だって幼いんだもの。母親ならもう少し大人になってくれなくちゃ」 「母さんの良い話もしてよ。ちゃんと母親してるでしょう?」 「いやぁ、今はどっちが子供かわからないよ」 空気が、限りなく柔らかい。 昔、昔。 毎日がこんな風だった。 もちろんそう仕向けたのは、彼とわたしであったのだけれど、ある日突然、この空気は切り裂かれるはずだ。 それはすでに暗黙の了解であり、誰もが密かに覚悟していた。 だからこそ、今日という一日が、わたしにはたまらなくいとうしい。 病室を後にする時、わたしは最高の笑顔とVサインを送る。 彼は嬉しそうに、バイバイと手を振った。
2005年08月07日
まだ少しも立ち直ってはいないのだ。 前を向かなければと己に発破をかけながら、実は後ろばかり振り向いている。 次女が指摘するように、わたしは悲劇のヒロインに成り下がっているのかもしれない。 だけど、つい楽しかったあの頃をふと思い出してしまうのだ。 何もかも、彼が中心に回っていたあの頃を。 絶対に彼を許すまい、許してしまったら生きてはいけないと、自分に言い聞かせてきた。 でもつい最近、わたしは彼を許して仲直りした。 そうしたら、わたしは自分の存在が急に疎ましくなった。 悪いのはすべてこのわたしで、病人である彼には何の落ち度もないような気がしてきた。 彼の周囲の人々は、こうなってしまった詳しい事情を何も知らない。 わたしはあえて説明をする気もないけれど、当時は皆そっぽをむいてしまった人達だった。 なのに、今のわたしの存在は病気の彼を放棄した最悪の元悪妻として、彼らの目に映っている。 あの地獄のような日々は、世の中がこんな風にとげとげしい時代には、高々氷山の一角の出来事に過ぎなかったのだろう。 そう思うことで、わたしは耐えてきた。 自分だけが特別ではないのだ、と思うことで何とか凌いできた。 今、目の前の彼は、がんと真摯に向き合っている素晴らしい人間だ。 激痛と闘い、生きることへの凄まじい闘志を見せてくれる。 それが、最愛の元家族に対する使命とでも言うかのように。 「もう良いよ。分かったから楽になりなよ」 そう言ってあげたい言葉を、わたしは歯を食いしばって我慢している。 「体力を回復しなければ、抗がん治療できないんだ。このまま体力が回復しないと、痛みを止める薬で後は眠るばかりのようだ」 彼はわたしの目をまっすぐ見つめながら、ぽつりと言った。 わたしは言葉を失った。 その場をうまくはぐらかして病室を後にした。 もう、わたしにできることは何も無い。 ただ、無念さをかみ締めている。
2005年08月06日
マンションの八階に住んでいるのだけれど、今朝は窓を全開しているせいか、蝉の声がけたたましい。 耳をすませると、どうやらミンミンゼミの鳴き声が圧倒的である。 全くの無風状態なので、そろそろエアコンのスイッチをオンしたいところだ。 でも今朝は、べたつく身体をそのままに放置している。 汗だけではない色んなしがらみがまとわりついていて、そう簡単にはがせそうもない。 だからという訳ではないがシャワーを浴びたいと思いつつ、こうしてうだうだとキーボードを打っている。 そういえば、先日の姉からの電話には少しほろっとさせられた。 「一番穏やかな人生を歩きそうだったのに、なんであなたにばっかり不運なことが舞い降りるんだろうねぇ」 その言葉に、なぜか急に悲しくて涙声になってしまった。 辛くて悲しくて切ないかと言えば、決してそんなことはない。 ちゃんと楽しいことも嬉しいことも、いっぱい味わっている。 でも周囲からみると、相当不幸そうに見えるらしい。 わたしは平凡な日常を、誰よりも強く願って生きてきた。 普通が一番だと信じて、石橋を叩いて渡ってきた。 でもいつか、誰かに言われたことがある。 「あなたの普通は言葉だけ。普通じゃないよ」 こうなってみると、その通りだったのかもしれない。 どこまで戻って人生をやりなおせば、この現実を回避できたのだろう。 そんなことを思うとき、わたしの耳に蝉の声がきこえてきた。 実家の近所の、寺の境内で日がな遊んだ子供のころの……。 その蝉時雨が、重なった。 いつのまにか現実の蝉時雨は、車の喧騒にかき消されていた。
2005年08月05日
本当に暑かった。 立っているだけでも汗が出る。 でも今日は面接だった。 だからこの暑いのに上着を着る羽目になった。 待ち合わせの場所に立っているだけで、こげてしまいそう。 近い勤務地に変わりたい、というのがわたしの第一希望。 今までの所は、通勤に往復四時間近くかかる。 もう体力的に勘弁だ。 うまく決まれば、通勤時間は往復で一時間足らずになる。 感触はどうだろうか。 確立は半分と見た。 気長に探そうと口では言いながら、ついつい電話をかけてしまう。 失業していると落ち着かないのだ。 だけど実のところ、決めてしまうと元夫の容態次第では、入社後すぐに休暇を取ることになる。 やはり今は、焦って求職をすべき時ではないのかもしれない。 実は、長期休暇中の派遣会社を、今日正式に辞めることになった。 すっかり戻る気が失せたからだ。 派遣先を裏切りたくはなかったのだけれど、社長とこの先一緒に仕事をする気がなくなった。 人の使い方が下手な人だとつくづく思う。 ルーズで頭の回転が鈍い人は、嫌いだ。 それでも我慢してきたのは、生活のためだった。 でも、今日は堪忍袋の緒が切れた。 暑さのせいだったかもしれないけれど。
2005年08月04日
そういえば、今年はまだ一度も娘達に浴衣を着せていない。 彼氏が居なくなったら、見せる相手もいないということなのだろうか。 今夜の花火大会にも勤務先からそのまま洋服で行く、と長女は言った。 少し寂しい気がした。 あの頃。 母もきっと同じ気持ちで、わたしに浴衣を着せてくれたに違いない。 少しでも華やかな娘時代を送らせたくて、浴衣の反物を選び、縫ってくれた。 「あなたには少し派手目のものが似合うから」 と母の選んでくれた浴衣は、紺地に黄色の木の葉柄。 浴衣にしては大胆で、誰もが振り向いた。 わたしは少し気恥ずかしくて、それでいて母のお手製の浴衣は誇らしかった。 母がしてくれたことの半分も、わたしは娘達にしてあげられない。 餓鬼っぽくて、甘ったれで、二人の娘には思い切り依存している。 亡き母のようなきりりと優しい母親が、わたしの理想だったのに……。 だから、申し訳ないなーと時折情けなくなる。 「浴衣を着るのなら手伝うよ」 「ううん、良いわ。直接行くから」 長女は、夕方に向けていつもより軽装で出かけて行った。 次女は、別れた父親の看病に向かった。 今年はどうやら、娘達の浴衣姿を見られそうにない。 やっぱり少し寂しいな。
2005年08月01日
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