2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全8件 (8件中 1-8件目)
1
最近、少し書けなくなっている。 というより、書きたくないって言う方が合っているかもしれない。 書くことで癒されていた部分が、書いても癒されないからだろうか。 そんなとき。 長女に思い切り催促された。 「母さんの文章が好きだから、もっともっと書いて欲しい」と。 そうか、好きなのかーと少し嬉しくなった。
2005年09月28日
亡くなった元夫の49日の法要が、先週の日曜日に営まれた。 ものすごく迷ったけれど、わたしは行かなかった。 「ずっと父さんのお墓参りや法事には呼んでもらいたから、あちらの親戚とは仲良くしたい」とは、娘たちの弁であり、それは我が子ながら中々天晴れな心構えである。 それに引き換え、別れた夫の実家はどうも居心地が悪い。 わたしには居場所がないのだ。 ついつい隅っこに退いてしまい、それが周囲に気を使わせてしまう。 わたしの存在が、場所に妙な空気を漂わせてしまう気がするのだ。 彼の、長い闘病生活の最後の部分しか関わらなかったことが、どうしても後ろめたい。 それには、わたしなりの理由があり、言い訳もしたいところだけれど、誰にも理解はしてもらえまい。 だから、わたしの本当の胸の内は、誰にも語ってはいない。 これはわたしの悪い癖で、いつも肝心なところで口をつぐんでしまうのだ。 でも、亡き元夫はそれを誰より理解してくれていたのだから、心配には及ばないのだけれど。
2005年09月27日
高校の同級生のH君が出張で上京して来た。 その辺で酒を飲むのも良いけれど、時間があるならーと鎌倉散策を提案した。 待ち合わせの北鎌倉では、お昼を食べ損ねては悪いから、光泉のお稲荷さんを買って待っていた。 携帯のメールで、羽田から北鎌倉の経由を知らせておいたら、約束の時間にほぼ到着した。 円覚寺の境内で広げたお稲荷さんは、ものすごく美味しかった。 なんとなく、こんな風な時間を過ごしかったから、わたしは満足だったのだけれど、彼には少々子供じみていたかしら? 「どう?」 と訊くと、まんざらでもなかったのか、美味しいと言った。 円覚寺、東慶寺、浄智寺、源氏山から化粧坂経由海蔵寺、寿福寺。 クールビズスタイルのサラリーマンには、少々きついコースかと思いきや、学生時代から登山をする彼にとっては、それほどのことでもなかったみたいで、十分に堪能した様子。 浄智寺で背の高い紫苑を見つけて、 「この花知ってる?」 と訊いてみた。 「しおんだろ?うちの庭にも咲いてるよ」 「へえー。知ってるんだ」 そういうなり、おもむろに携帯の画像をほらと見せた。 「りんどうじゃない?」 「苗を買ってきて植えたんだ」 と自慢そうに言った。 「へえー。ガーデニングをしてるんだー」 「まぁね。休日は、こんなことをしてるよ」 中々良い趣味だ。 のーんびり歩いた後。 冷たいビールで喉を湿らせた。 「もう3キロは落とせよ。その方が魅力的だぜ」 「そんなこと言わないで。これで十分なんだから」 「だめ、だめ」 思い切り、ウエストにだぶついていた肉をつままれた。 「失礼ねー」 と言いながら、少しも腹立たしくはなかった。 「もっと落ち込んでいるのかと思ったけど、どうやら大丈夫みたいだな」 「うん。もう平気。わたしは鉄の女だもん」 小じゃれた居酒屋で、ご馳走してくれた。 「破産しない?」 おどけて言うと、 「これくらい大丈夫だよ。元気出してがんばれよ」 そういって、さようならと電車に乗った。
2005年09月19日
秋晴れで、絶好の鎌倉散策日和。 本当は一人で、のーんびり歩きたいのだけれど、高校の同級生がやって来る。 せっかくだから、と頑張っちゃいそう。 明日は仕事だから、ほどほどにしなくちゃ。 では、行ってきます。
2005年09月19日
よほど疲れていたのだろうか。 このところ、眠くてパソコンも立ち上げられなかった。 じっとしていても、上瞼が落ちて下のにくっついてしまう。 例えば、大好きなハーゲンダーツのラム&レーズンを食べながらも、眠ってしまうという有様だ。 新しい職場に移って、今日で十日になる。 ようやく、気分が上昇を始めた。 与えられたものをすべて、あるがまま受け止めてやろうじゃん、な気持ちになってきた。 良い傾向だと思う。 通勤時間は、読書をするほど長くはないのに、それでも文庫本を開くゆとりができた。 毎朝、五時に起きて、大体の家事を済ませて、家族より一足早く家を出る。 わたしの弁当を作るついでに、長女の弁当も詰めてやると、昼食時には 「ありがとう。超美味しい!!でも、無理はしないでね」 の携帯メールが飛び込んでくる。 本当は、目が腐るほど惰眠をむさぼりたいなーと思う日もあるのだけれど、誰かが少しでも嬉しい反応をしてくれると、ついつい頑張ってしまう。 そして、亡き母もこんな風だったのだろう、と今頃母の気持ちに触れている。
2005年09月15日
電話が鳴った。 我が家にはめったに電話が鳴らなかった。 理由は簡単だ。 あまり教えてないからだ。 「ケイコさん?」 「あ、はい」(この時点でてっきり亡くなった元夫の兄だと思ってしまった) 「明日来てくれるよね?」 「え?明日?だって再来週のはずでは?」 「何言ってんだよ。明日だよ」 しどろ、もどろ、あのー、そのー。 「祭りは明日だよ」 「え?雅さん?」 「そうだよー、誰かと間違えた?」 「なぁんだ。びっくりしちゃったわ。だって法事は再来週のはずだもの」 「誰と間違えたの?」 「亡くなった夫のお兄さん」 「そうなのか。明日は来るでしょう?」 「うん。行く行く」 電話の主は従兄からだった。 というわけで、明日は娘を連れてお祭りに行く。
2005年09月10日
雑踏の中でぼんやりと佇んでいたら、どこからともなく秋刀魚の焼ける匂いがしてきた。 ああ、秋刀魚の美味しい季節なのだなぁ。 折しも。 その界隈は、野球観戦へ急ぐ人、ひと、ヒトで溢れ返っていた。 わたしはといえば、駅舎の壁に背中をあずけて長女をじっと待っていた。 「母さん。ごめん、遅くなっちゃった」 早足で長身の長女が手を振りながら近づいて来た。 「待ったぁ?」 「うん。少しね」 「じゃぁ行こうか?」 わたし達は久しぶりに、街へと繰り出した。 ここ数ヶ月間は、いろんなことが山ほどあった。 一年半の闘病生活の末、それが最初から決まっていたことのように、元夫は永遠の眠りについた。 命の継続が途絶えた瞬間、涙が両目からこれでもか、とあふれ出た。 人の一生の凄絶さに、儚さに……。 そして何より、取り残された悔しさに……。 そんな佇む雑踏で、わたしは久々に人々の営みを強く感じた。 死に急ぐ人が居る中、その他方では逞しく生きている人。 どんな人生も受け止めて、ひたすら前向きに生きる人。 不可思議な現実の中。 わたしは逞しい部類に属するのだろうか? 「ねぇ。どこにする?」 「例のあそこはどう?」 「そうね。安くて居心地が良いものね」 わたし達は、お袋軍団が立ち働く居酒屋へ向かった。 全員が若くなくて、妙に落ち着くのだ。 「わたしは秋刀魚の塩焼き」 「あたしは冷奴」 さりげない惣菜がメニューに並ぶ中、雑踏で嗅いだ懐かしい匂いに、迷わず秋刀魚をオーダーした。 「魚を食べるのが、父さんは上手かったよね」 「うん。そうだったね」 「もうすぐ四十九日だね。母さんどうする?」 「それなんだけど。今回は遠慮しようかな?」 「そう?もう、好きにして良いよ。十分やってくれたと思うから」 長女と言葉を交わしながら、手元の秋刀魚を見た。 彼は本当に魚の身をほぐすのが上手かった。 わたし達は、いつもほぐれるのをじっと待っていた。 完全に骨から離れた身を、彼は「さぁ」とよこしてくれる人だった。 でも、秋刀魚の身をほぐしてくれる人は、もうこの世の人ではない。 「父さんは死んだんだねぇ」 ようやくそれを実感した気がした。 家に帰ったら、一枚のはがきが届いていた。 法事の日程が書いてあった。
2005年09月10日
先日、長女の友達Tちゃんが、彼氏を伴って我が家を訪れた。 Tちゃんは、長女の短大時代からの親友であり、わたしのブログの愛読者でもあった。 我が家の出来事のほとんどは、わたしのブログから汲み取っているのだとか。 そのTちゃんと、この度わたしはやっと対面できたのだ。 わたしのTちゃん像は、すっかり出来上がっていたのだけれど、それを上回るくらい素敵でチャーミングな女性だった。 具体的に言えば、お嫁さんにしたい女性ナンバーワンな、そこに居るだけで場が和むというか、そんな感じなのである。 そして彼氏もTちゃんに引けを取らない、やはり素晴らしく好青年であった。 「母さん、今日はよくしゃべるね」 長女が茶化した。 「だって楽しくて仕方がないんだもの」 本当に楽しかった。 過去のブログ情報があるので、改めてわたしが自己紹介することは何もなかった。 艱難辛苦のテンコ盛りだったけれど、もう立ち止まってばかりはいられない。 娘の友達カップルにはそんな気持ちと、優しくて上等なひとときをプレゼントされた気がした。 ありがとう。 また遊びに来てね。Tちゃん
2005年09月02日
全8件 (8件中 1-8件目)
1