おっちょこ母ちゃん備忘録
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私は日常生活における「痛い」という感覚に鈍感なところがあります。痛みに対する耐性も強いかもしれません。ちょっとした擦り傷とか、ぶつけたアザとか、痛いのは当たり前のことで。もちろん、痛いのが辛いという感覚はあります。だけど、「痛い」と言ってはいけないと思っていました。そんな中で一番辛かったのは、中学・高校時代の生理痛でした。毎回とても重い生理痛に襲われ、青ざめて、気持ち悪くもなり、冷や汗をかくほど痛かったです。だけど、鎮痛剤は飲めませんでした。鎮痛剤は体に良くないからダメ、という母の方針によって鎮痛剤を貰えなかったから。さらには、学校も休ませてもらえませんでした。母の「生理痛は病気ではない」&「学校は行くのが当たり前」という方針(きっと母もそのような状況で育ってきたのだと思います)により、痛みを我慢して学校へ行っていました。私も、親の言うことを聞くのが当たり前だと思っていたので、生理痛で辛いな・・・と感じながらも通学していました。そんなこんなで、私に染みついた「痛いのは当たり前・我慢が当たり前」精神。だけど、結婚して子供に恵まれて、年齢を重ねて。そんな精神は、いらない!!ということに気が付いたのです。痛かったら、やる気なんて出ないし。痛かったら、集中することなんて出来ないし。痛かったら、他人に優しくなんて出来ないし。痛かったら、自分で産んだ子供にさえ寛大になれない。痛かったら、楽しいことなんて一つも無い。自分にも、家族にも、周りの人にもなーんも良いこと無い。そしたら、痛みは我慢しなくていいってことなんじゃないか?生理痛が辛ければ、まずは鎮痛剤を飲んで痛みを緩和する。痛みが治まったなら、根本的な治療&改善をする。それだけのことなんだ、とやっと気が付いたのです。私は、どれだけ自分をいじめてきたのか。体の痛みだけでなく、心の痛みも我慢して。自分を大事にする、という意味が分からなくて。自分の好きな物も、嫌いな物も分からない。自己肯定感なんてものは1ミリもない。真っ暗な迷路で迷っているような感覚から脱出するべく、まずは酷い生理痛から解放されようと、婦人科を受診したのです。こんな風に考えられるようになったから、娘のランドセルで肩が痛い案件も改善してあげたいとも思えたのです。以前の私なら「それくらい我慢して学校へ行きなさいよ」と切り捨てていたことでしょう。けれど、「痛いのは当たり前・我慢が当たり前」の連鎖は、私で終わりにしたいのです。体の痛みも、心の痛みも、今まで無関心だった「なぜ私は痛みを感じたのか」という部分に少しずつ向き合って行きたいなと。秋の訪れと共に、そんなことを考えている今日この頃なのでございます。おしまい(^^)
2022.11.01
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