July 21, 2007
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カテゴリ: そのほか
先日の新潟の チェンバロ製作家のページ

楽器製作の行程を彼はこの様に書いている。

『「あらゆる部分にどんな音にしたいかという意思を込めなければならない」』

『「意思を込める」というのは、こんな音になれと念ずるという意味ではもちろんない。』

『楽器づくりは、こんな音にしたいという意思をコンマ何ミリという作業の中に込めていくことにほかならず、その集積が楽器のキャラクターや個性となってあらわれるのとだ思う。どんな音にしたいかのイメージがはっきりしていなければならないことはもちろんだが、それをいかにして楽器の細部にわたって形にしていくか。』

全く持って「歌う」という事と同じ言葉だ。
と僕は勝手に共感させてもらった。
そしてとても励みになった。


自分の頭の認識を超えたところで結果が出る場合もある。
そして、それも自分の意志であり想いである場合がある。
どちらかと言えば「念ずる」に近いかもしれない、、。
神様の目から見れば、こちらが根幹なのかもしれない、、、。
でも、その「念ずる」部分は「私」個人の意識としては本当に僅かな枝葉の部分だ。
もしそれが自分の思考の根幹であったとしたら、
また、安易に言葉に表してしまうとしたら、、
こんなに危険な事は無い、そうも考える。
だからこそ、『コンマ何ミリという作業の中に込めていく』のだ。


あと、かれのページから刺激を受けたのは「木」の事。
材料に何の木を使うか。そして、木目の扱い方のこと。

日本はモンスーン気候なのだ、当たり前だがヨーロッパの気候とは違う。
同じ北半球で植生も似たところもあるが、やはり違う。
やはり「事実」の一つ一つが積み重なって楽器が出来るのだ。

これは日常の一瞬一瞬が楽器の製作者であり調律師でもある歌い手にとっては非常に大きく共通する大問題だ。

先日コンサートを聴きに行き終演後お話しさせてもらった ソプラノのMさん

気候、風土、歴史、文化、肉体的特徴、言語、習慣、、、などなど
これらを踏まえて音楽は文化として、伝統としてその地で、その人たちが、社会が育んで来たもの、、。

違った条件を無視して同じ様にその楽しみを享受する事は絶対に不可能。と断言しても良い。年を重ねるにつれ、それが「単に事実である。」という事を知る。
そして、その異質なものを受け入れようとしているこの日本に生きている事それも「単に事実である。」。日本の音楽状況がこの今現在の状況に至ったのも日本だけではなく世界の歴史の中の一つであり、そしてこれも「単に事実である。」という事。

歌も事実を一つ一つ積み重ねて出来る事。
これまでのブログにも書いて来たが、言語と文字いう文化の違いという事実は大きい。

音素文字 が一般的なヨーロッパ文化。
音節文字 が一般的な日本文化。
この違いが音声の認識にも大きな違いをもたらしている。
先日の日記です

そして ヨーロッパ語と日本語では声門の扱い方の文化がまるで違う

これらの事実を正しく理解しようとし、
こうした事実とどう向き合って行くか、
実に大切なことだ。そう思っています。

「日本語の発声」という「私」をきちんと説明出来る様になりたい。
これが今の僕の目標です。
そして、日本語を声にして話す事は、
何がどれだけ西洋文化や西洋音楽と異なっているのか、、
その事実を知り様々なもつれている問題を
事実の積み重ねでそのもつれをほどいて行きたいのです。

その僕の目標に周りの仲間たちから多くのきっかけを頂いている、、
そう感じる事が多いこのごろです。


『コンマ何ミリという作業の中に込めていく』

これこそが「祈り」でもあり、
「心を込めて歌い上げる」
そういう事だと日々実感する。





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Last updated  July 21, 2007 03:22:14 PM
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