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このブログ自体がなくなってしまうと悲しいので、近況報告です。とりあえず、私は元気にしております。コロナ禍ですが、私はマイペースに過ごしています。飲みたい時は飲みに行くし、出かけるし。周りがわりと感染しても自分は大丈夫だったので、自分は感染しても発症しないタイプなのかも?なんて思っていましたが。つい最近、なりました🤣🤣🤣↓以下、コロナの発症のあたりのことを。このお正月、1月2日に、家族で1泊、亭主の母も一緒に鎌倉に行ったのですが。全員同じ部屋で寝るのに亭主が1人、ゲホゲホ咳してまして。案の定、全員やられました。1月4日に目が覚めると、気管がかゆい感じというか、風邪ひいたかな、移ったかな、という感じで。熱はありませんでした。翌日の5日には37.1℃の微熱、のども痛い………。微熱だから、まあ、風邪かな?と、風邪薬飲んで安静にしてましたが、熱は下がらず(それほど上がりもせず)。でも、夜になると、喉の痛みも咳も、悪化。あ、ただの風邪なら、薬飲んでこれだけ大人しく寝てたら治るけど、悪化してるということは、インフルエンザかCOVID-19か、どっちかだな、と。とりあえず風邪薬は飲み続けつつ、東京都のコロナ判定キットを申し込んで就寝。6日の朝は、熱は37.1℃~37.5℃を行ったり来たりでしたが、発熱外来を予約して夕方受診(朝電話して、そこしか取れなかった)。クリニックでは36.1℃でしたが。みごとにコロナ陽性でした。1年半ほど前から高血圧で薬を飲んでたりするので、ハイリスクとされまして、コロナ治療薬も処方していただけまして。自宅で療養生活開始となりました。7日は、家にあるレトルトのお粥に、フリーズドライの七草を混ぜて七草粥にして食べ、せっせと指示通り薬を飲んで寝てました。消炎鎮痛剤や鎮咳去痰薬、喘息の炎症を抑える吸引薬なども処方されていたので、熱も上がらず、そんなにしんどいこともありませんでした。保健所の人からお電話があって聞き取りのやり取りをしたり、支援物資を申し込んだりしました。8日は朝からずっと体温は36度台で。家にあるカップ麺でしのぎ、9日からは消炎鎮痛剤も飲まなくていいことになりました。東京都の支援物資が届いて、チンするご飯とやきとり缶、卵スープなど、ご飯が美味しい〜〜と、しみじみしました。11日に保健所の人からまた連絡をいただいて、この日をもって療養解除となりまして。12日には久しぶりに外に出てちょっと買い物などして。久しぶりにサンドイッチとか食べました〜〜。まあ、そんな感じで、私の場合は、インフルエンザの時とあまり変わらず過ごせました。支援物資がありがたかったです。とりあえず、気管がヒリヒリする感じはまだ続いてますが、これは体質なので仕方ないですね。ちゃんと薬はいただいて、指示通り、吸引したり飲み薬飲んだりして過ごしてます。
2023年01月28日
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このブログ、削除されていたらさびしいなと思いながら、こわごわのぞいてみたら、まだありました♪ということで、せっかくなので、近況報告元気に生きております。ちょっとずつ横に成長していますが、それ以外は特に変わったことはありません。あ、年のせいか、左肩の痛みが治らなくて、医者に通っています。俗にいう、五十肩というやつですねこのブログを始めたのがちょうど10年前なので、人間、10年もたてばそれぐらいのガタは出てきますね長女は大学4年生、次女は大学1年生になりました。ちなみに私は転職をして(といっても、またアルバイトですが)、家の近所の大学の研究室で秘書をしています。などと書くと大層なことをしているように見えそうですが、何のことはない、パソコンで作業したり、郵便物を出しに行ったりする、雑用のおばちゃんです。家のパソコンのOSがWindows Vista だったので、Windows8の基本操作でわたわたしています。1年半前にぷよクエにはまっているとか書きましたが、いまは、Lord of Knghitsというアプリにはまっています。ぷよクエもしっかり続けていますよ~~ではではほんとに暇ネタですみません
2015年08月11日
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ものすご~~~~くご無沙汰しています。(とか言って、以前の方がお読みになる可能性も低いかなと思いつつ…のご挨拶)近況の報告と申しますか…特に、何があるっていうわけでもないんですけど とりあえず、無事に生きております。というか、だらだらとおばさんしております。在宅で、まったりと、パソコン入力のお仕事などしています。家にいて、パソコンいじってるだけでお金もいただけるので、大変ありがたいことです。経緯としましては…1年半ほど前に、営業のアルバイト始めたんです…。議員会館まわりなんかやったから、飛び込み営業ならできるかなと思ったんですがその営業は、まず〔テレアポ〕して、アポイント取れたら営業に出向く、というスタイルを強いられたので、テレアポでカミカミの私は、あえなく撃沈いたしまして…。半年ほどで心折れて、やめさせていただこうとしたら、人間、何が身を助けるかわからないもので…「営業はもうしなくていいから(在宅で必要情報をパソコン入力する)営業サポートをしてくれ」と慰留され…ひきこもり大好きの私としては、願ったりかなったり!在宅でダラダラとパソコン入力をするアルバイトを、この1年ほどしております。私、じつは、ものすごく神経質で細かい性格も持ってるので、入力するときには、ものすごく神経質に、きっちり仕事するんです~~~(あんまりそういう印象ないかと思いますが…)おかげさまで、そういう部分では、この仕事、わりと向いてるかなと思います。(でも、会社自体がかなりアバウトなので、そこら辺がかなり問題あるんですけどね~~。 そんな会社だから、パートも営業も、3カ月の契約期間が切れると、ほとんどみんな延長しないで辞めていってしまうという、かなりブラックな側面もあったりするんですけど。 私も、やめようかな~~と思ったら、条件緩和してくれたので、とりあえず続けてます~~~)一時期、営業のころの5倍くらい月給をもらうほど入力の仕事が来ていたのですが…それだとちょっと日常生活に支障があるので…わがままを言って…減らしていただきました…(考えてみると、この数年、このパターンが多いような…)そんなこんなで、まったりと家にいることが多くて…下半身に大分、お肉が付きましたまあ、アラフォーだったのが、もうアラフィフですから…それも当然といえば当然ですよねぇ(ちなみに今年、年女です)母が亡くなってからまる5年が過ぎ、当時まだ中学生と小学生だった娘たちも、それぞれ大学生、高校生となりました。長女は、今年成人式を迎えました。ものすごく歳月がたったのだなと思わずにはいられませんね…このブログ、情報も、ものすごく古臭くなっていますよね~~~(あえて読む気もないので、読んでないけど、トップページ見るだけでも古いというか…)まぁ、以前に宣言した通り、亡くなった方々の思い出などもあるから、楽天に削除されない限りは、自分から削除するつもりもないのですが…。私にとっては、防備録というか、歴史というか、という感じですけれど…。あまり振り返りたくないことも、正直、たくさんあるので…。 正直・・・ 扱いあぐねているというのも、なんかありますかね~~~~ということでのんびりと、自分の時間を費やして生きております。最近はまっているのは、「ぷよぷよクエスト」です。とくに不平不満もありません。はい。では~~~
2014年01月19日
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こんにちは。 私の所属する患者会で、21日の日曜日にイベントがあり、島根に行ってきました。好天に恵まれて、会場の規模にちょうど良い程度のお客様が入り、よい雰囲気でイベントは終わりました。 翌日は、うちのNPOの理事長の好意で、出雲大社と灯台を観光させてもらってから帰路につきました。 そうそう、おみくじをひいたのですが、「第一番」というのをひきました。 出雲大社のおみくじには、いわゆる大吉とか小吉というのがありませんが、「第一番」には、とにかく『良い』ということばかり書いてあったので、これはすご~い!という感じでした。 ちなみに、今年の3月に川崎大師でひいたおみくじも「第一番」で、そちらには大吉と書いてありました。なんか、今年はすごい運命の年であるみたいですが…。自分としては、割と淡々とした一年であるような印象です。 さて…。 そんな、ほっこりした雰囲気で今週は始まったのですが…。 その翌日、ちょっとショックなことが…。 今年大学1年になった長女が、高校2年、3年と担任を持ってもらった先生が、今は次女の部活の顧問をされていたのですが…。 その先生が、来週から、手術のため入院されることに…。 その先生は、生徒たちからの愛称が「げっちゃん」。大ベテランで、今年の3月に定年を迎えられ、今は、担任を持たずに比較的ゆったりと勤務されていました。 長女たちの受験の時の担任ですから、いろいろとご心労もあったと思いますが、4月以降は、私が次女の保護者会などで学校に行ったときには、「お姉ちゃんは元気ですか?」なんてニコニコと声をかけてくださり、この前の9月に学園祭でお目にかかった時も、別段変わったご様子ではなかったのですが…。 手術で、しばらくは学校に来られない…と聞くと、私の場合はすごく胸がざわざわします。 比較的簡単な手術で済む場合は、近頃は、1週間程度で職場に復帰されることが多いので、しばらく学校に来られない、という手術なら、内視鏡や腹腔鏡での対応ではない手術ということを意味するのでは、と考えられるからです…。 昨日は、大学が学園祭前日で休みだった長女は、高校でも大学でも同じクラスのお友達と、早速母校へ行きました。もちろん、先生が心配だったからです。 幸い、先生は昨日までは出勤されていて、いろいろお話できたそうです。 長女は、私がこんな活動をしているし、3年前(もうじき4年になりますが)に亡くなった私の母の病状も見てきたし、今も健在でパワフルな、主人の母(2001年に検診で大腸がんが見つかって手術しました)も見てるし、ということで、がんと聞いても必要以上に驚くことはなかったようで、先生から直接、先生のご病状について伺ったようでした。「げっちゃん、どこのがんかはわからない(聞いてない)けど、やっぱりがんだった。来週入院するんだって。手術するって。ちょっと転移もしてるんだって…。どこのがんかなぁ…大丈夫かなぁ。」「転移があっても手術するというのは、あまり聞かないけど、大腸がんの肝転移なら手術できるみたいだから…。よくなるといいね」「ちょっとやせちゃってた…」「そりゃあ、まあ、ショックとかご心労もあるだろうし…。でも、あんたたちが行って、先生もちょっとは喜んでくれたんじゃないの」「でも、げっちゃん、ツンデレだから、ほかの先生が『先生が入院されると聞いてすぐに来てくれる卒業生なんて、いい子たちじゃないですかぁ~』とかって言ったら、『いやぁ~~。でも、うん。少し、いい子になった』くらいの感じ。まぁ、ツンデレだからね。」 …自分の、手の届く範囲(と言うほど近しい距離でもありませんが)で、進行がんの患者さんが見つかるのは、すごく心の痛むことで…。 個人面談のときに、先生に嫌がられても「がん検診受けてますか~?」とか、言うべきだったのかなぁ…。 でも、そういうことを堂々とするのって、ちょっと、変人の感じ…だから、しなかった、できなかったけど…。「再来年の成人式の後、みんなで集まった時には、げっちゃんにも元気で来てほしいなぁ」と、長女はつぶやいていました。 生徒たちのためにも、頑張ってがんを克服してほしいです。 万が一、とりきれなくても、抗がん剤治療に前向きに取り組んでほしいです。 それで、何年もふつうの生活ができる患者さんが大勢いるのですから。 がんばれ!!げっちゃん!!!
2012年10月27日
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渦中の森口尚史氏(48)は、読売新聞の10月13日07:02の記事によれば『東京医科歯科大大学院修了。1993年に看護師資格を取得したが、日本の医師国家資格は持っていなかった。』そうで。 国公立大学なんかだと、看護学科が医学部の中にある大学は多いですもんね。 だから、「私は医学部卒です」とか言われれば、だれしもその人のことを「医師だ」と思ってしまうけど、じつは医師とは限らないんですよね。「医学部卒です」と言い張る看護師の人がいたって、その申告自体はまったく虚偽ではない、ということですねぇ…。(私自身はあんまりそういう人にあったことないけど。看護師の方は、ふつうは、敢えて医学部卒です、といういい方をしないから) ちゃんと確認をしないで、医師だと誤解した人のほうが悪い、ということみたいで。 まぁ、報道だったら、そりゃ、画期的な記事ならちゃんと確認すべきだったのでしょうね。 ↓お詫びの記事はこちら http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00115.htm 最初、この報道を聞いたときは、次女と「なんでこんな、すぐばれるようなウソつくんだろうね~~。ハーバードだの東大だのって、こんな大きな名前使ったらすぐばれちゃいそうなのに、浅はかだね~~」「小学生並みだね」などと会話していたのですが、「検証…」の記事を読んでびっくり! 今まで、ばれてなかったのね 今までばれてなかったから、味をしめて…ということだったのか…。 医師免許持ってないのに、まんまと医師のふりもしていたようで。 このごろ、医師を騙るニセ医者詐欺事件が、多い気がします。しかも、その詐欺が発覚するまでの期間がとても長いことが問題だなと思います。 こんな風になると、じつはニセ医者って、発覚してるのは氷山の一角で、水面下にはもっとごっそりいるのかも。 同姓同名の人がたくさんいるような名前だと、結構簡単になりすませるみたいですしね。 ↓検証の記事はこちら 検証「iPS移植報道」森口氏、治療の事実なし (2012年10月13日07時02分 読売新聞 記事は) 11日朝刊1面に掲載した「iPS心筋を移植」「初の臨床応用」の見出しの記事などについて、読売新聞は12日、iPS細胞(新型万能細胞)から心筋細胞を作り、心不全患者に細胞移植の治療を行ったとしていた森口尚史ひさし氏(48)の説明は、虚偽と判断した。 その理由と、取材・報道の経緯などを報告する。 ◆「共同執筆者」知らされず◆ 森口氏が患者への治療を試みたと主張している米マサチューセッツ総合病院(ボストン)の広報担当責任者スーザン・マクグリービー氏は12日(現地時間)、「iPS細胞の臨床研究に関する申請自体がない。(森口氏による)手術は、当病院では一切行われていない」と述べ、森口氏の主張を全面的に否定した。 同病院は、11日に発表した声明でも、「ニューヨーク幹細胞財団主催の国際会議で森口氏が発表を予定していた研究成果は、病院では行われなかった」と明言している。 同病院と密接な関係を持つハーバード大も11日、「森口氏の研究に関連するいかなる臨床研究もハーバード大及び病院の倫理委員会によって承認されていない」との声明を発表。森口氏はニューヨーク市内のホテルで記者団に対し、「誤解ではないか」と主張したが、マクグリービー氏は、「私が言えるのは、彼はわずかの期間しかこの病院にはおらず、それから10年以上も過ぎたということだけだ」と話した。 森口氏が今回発表するとしていた論文の「共同執筆者」として名前が挙がっていた研究者らは12日、「iPS細胞について共同研究したことはなく、論文に自分の名前が記されていることも知らなかった」など、一様に困惑した表情で語った。 共同執筆者とされたのは森口氏以外に4人いる。 その一人、杏林大の上村隆元たかもと講師は、「iPS細胞について、私は全くの専門外。事前に一切連絡はなく、なぜ私の名前が入っていたのか分からない」と語った。上村講師によると、森口氏とは、ハーバード大で公衆衛生学に関する同じ短期講座を受講して知り合い、帰国後、公衆衛生分野の研究を共同で行った。しかし、ここ5年ほどは連絡を取っておらず、森口氏がiPS細胞の研究を行っているという話も知らなかったという。 また、東大先端科学技術研究センター(先端研)の井原茂男特任教授も、「去年の今頃、遺伝子情報の解析を頼まれて、データを渡しただけだ。iPS細胞を臨床応用したという話も聞いていなかった」と話した。やはり共同執筆者とされた先端研の大田佳宏特任助教も「論文の中身や、名前が載ることについても知らなかった」と驚いていた。 一方、森口氏が師事し、今回共同執筆者となった東京医科歯科大の佐藤千史ちふみ教授(健康情報分析学)によると、今年8月末、森口氏から今回の移植についてA4用紙2枚程度の論文概要がメールで送られてきた。ハーバード大の倫理審査を経たかどうかなどを森口氏に確認し問題ないとの回答を得たという。佐藤教授は12日、「注意が不十分だった」と話した。 森口氏が今年9月に発表した「肝臓がんの細胞から作ったiPS細胞を使った新治療法」に関する投稿で、共同執筆者とされた慶応大医学部の興津太郎助教も12日、同大総務課を通じ、「掲載された研究に関与した事実は一切ない」とコメントした。 ◆手術手法に専門家疑問◆ 森口氏は、問題となった手術に関し、自身がiPS細胞由来の心筋を注入した場面とする動画を本紙など一部メディアに公表した。 この動画について、京都府立医科大の松原弘明教授は、画面に一瞬映る注入用の針が、2か所で折れ曲がった特殊な形をしている点を指摘した。この針を用いている研究機関は、同大しかないはずだといい、「注射する場所の目印として穴を開けたシートを心臓に貼るなど、特殊な技法が見られる。本当に、彼らがやったのか」と疑問を投げかける。 森口氏が使用したというiPS細胞に対する疑問の一つが、遺伝子を使わずにたんぱく質と薬剤という2種の物質だけで作ったという点だ。 山中伸弥・京都大教授のiPS細胞では4遺伝子を細胞内に入れて作られる。遺伝子を使わない手法の研究も行われており、可能性がないとは言えないが、多くの専門家は、「森口氏の手法は聞いたことがない」と首をかしげる。 森口氏は、英国のネイチャーやランセット、米国のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンといった有力専門誌に論文発表の実績があると主張している。だが、論文の掲載基準が厳しいことで知られるこの3誌で、本紙が確認できた森口氏の著作5本は、いずれも正規の論文ではなく、「コレスポンデンス」と呼ばれる短いコメント記事だった。また、5本とも東京医科歯科大の佐藤千史教授が共同執筆者になっていた。 2012年7月28日本紙朝刊「卵巣の一部 凍結保存→4年後妊娠 米大学など成功」の記事では、研究成果は「科学誌ネイチャー・プロトコルズなどに28日発表した」とあるが、この関連で森口氏が書いたもので本紙が確認できたのは、同誌サイト内に併設された治療計画(プロトコル)についての自由投稿欄の記事だけだった。(記事より) 新聞記者のレベルも「ひく~~い」ということですかね。 なんというか、お粗末でハズカシイ感じの事件ですね。では~~
2012年10月13日
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みなさまこんにちはご無沙汰しているうちに季節も変わり、今日から新学期です。次女は昨晩は徹夜だったみたいですが、宿題はとりあえず全部終わったそうです。彼女が夏休み明けに、宿題を全部そろえて登校するのは、人生で初めてなのではないかと思いますこれで、学校からのお叱りのお電話を私が受けなくてすみますバンザ~イさて、今日は本のご紹介です。昨日、こんなメールをいただきました。8月24日に発売された 『生きのびるためのがん患者術ー伝わる「ことば」の使い方』青木晴海著(岩波書店1700円+税)を読みました。 「はじめに」の中で、「この本は、私がどのように自分の気持ちをことばで伝える患者になっていったのか、その成長記録として読んでいただければ幸いです。」と書いていますが、医師と自分、看護師と自分、同室の患者と自分、など自分の気持ちと考えをどのように工夫して伝えるのに成功したか、そして支え合って生還したかの記録です。 自分の考えをどのように相手に伝えて、気持ちよく理解してもらえるかそれは単なるテクニックではないと思いますが、積極的に自分の気持ちと考えを伝える努力が、最良の治療を得るのに役立ち、成功したかの記録として貴重なものと思いました。ご参考までに。(メールより引用) 私はまだ読んでいませんが、読んでみたいなと思いました。 みなさんもいかがですか?残暑厳しい毎日ですが、みなさま健やかにお過ごしください♪
2012年09月03日
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私は、イレッサについては「薬害」ではないと常々思っていたので、非常に妥当な判決だと思っています。 イレッサの副作用である間質性肺炎は、抗がん剤の副作用としてはそんなに珍しいものではなく、抗がん剤治療を行う医師であるならば、当然、間質性肺炎に対しては、注意を払うべきであり、初めてその薬を使う患者さんに対しては、注意深く観察すべきものです。 ですから、イレッサの事故は、医師をはじめとする医療提供側の管理に落ち度がなかったかどうかを問うべきもので、薬剤そのものや、それを承認した国に落ち度があったとは私には考えられません。 イレッサは分子標的薬なので、効果のある患者さんには大変効果が出ますが、まったく効果のない患者さんもいます。効果がないうえに副作用だけが出ることもあるわけですから、経口薬で簡単に飲めるからといっても、注意深く対応する必要があるのは、他の抗がん剤と同様です。 効果がなくて副作用だけが出た方からすれば、こんな薬を承認するな!という言い分もあるのかもしれませんが、それでは、効果があって、生存期間を1年とかそれ以上延長できる患者さんの権利を侵害してしまいます。 そもそも、現在ある抗がん剤は、副作用がまったくなくて、効果だけが大きく出る、というようなものはありません。患者さんの体質により、効果や副作用には大きなばらつきがあるものです。 ただ、がんという病気が命にかかわる重大なものだからこそ、効果が限定的でも、副作用がそれなりにあっても、そういった薬剤が治療薬として存在しているわけで…。 そのあたりのことは、 2007年2月19日のこの日記「イレッサについて」 http://plaza.rakuten.co.jp/SUNROOMosaru/diary/200702190001/でも書いています。 肺がんは、現在の日本の男性のがんの死亡者数の第1位、女性では第3位で、抗がん剤治療を必要とする進行がん患者さんがたくさんいます。 抗がん剤治療では、その患者さんによく効く抗がん剤でも、やがて耐性ができて効果が出なくなり、薬剤を違うタイプのものに変える必要が出てきてしまうので、承認されている薬剤が多数そろっていることが、患者さんの生存期間延長に大きく貢献します。 これがきかなくなっても、まだ次がこんなにある、という状態が希望につながることは言うまでもありません。 医療提供体制の不備を問うならよいのですが、治療薬をやり玉に挙げて攻撃するのはいかがなものかな、と思います。 原告団は上告するみたいですけど。 いかがなものかな、と思います。イレッサ大阪訴訟、高裁は会社の責任も認めず (2012年5月25日21時20分 読売新聞) 肺がん治療薬「イレッサ」(一般名・ゲフィチニブ)服用後に副作用の間質性肺炎で死亡した患者の遺族ら11人が、国と輸入販売元の製薬会社「アストラゼネカ」(大阪市)に計約1億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は25日、ア社のみに賠償を命じた1審・大阪地裁判決を取り消し、原告側の請求を全面的に退けた。 原告側は「副作用の注意喚起が不十分だった」と主張したが、渡辺安一裁判長は「注意喚起に関する添付文書の記載に欠陥はなかった」と述べた。 イレッサの副作用を巡る訴訟では東京高裁に続く2例目の高裁判断で、いずれも国とア社の責任を否定した。東京訴訟の原告側は上告しており、大阪訴訟の原告側も上告する方針。(記事より) 医師免許を持っていたら、その医行為をそれまでまったくやったことがなくても、その医師の裁量で自由に行うことができる今の日本の医療制度のほうをむしろ問題視すべきではないかな、と、私は思います。 他の先進国と比べて、日本の医師は、「医療の不確実性」を過大に解釈しているような印象が私にはあります。 そのため、そういった事故の教訓が後世に生きず、未然に防げたはずの事故が再び起こってしまったり、リスクマネジメントのための対策が遅れてしまったり、ということが現実に起こっている、と思います。 イレッサの事故は、薬害じゃなくて、そっちの方の問題じゃないのかなぁ…。 ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2012年05月28日
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東京は曇り空。 心配された金環日食でしたが、雲が薄くなったときに観ることができ、日食メガネで楽しむことができました。 夜の猫の眼みたいでした♪ ちょうど金環のときに雲が厚くなったので、次女は携帯で写真をとることもできました。 てるてる坊主も頑張りました♪
2012年05月21日
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「返事は24時間以内に、信頼関係は時間をかけて」 患者団体の人の場合、お仕事が別にあったりするから、メールの返信も滞りがち、ということはよく聞きます。 でも、仕事ではないにしても、それなりに責任あるポストに居る人の場合、重要な返信を相手が待っているときには、なるべく速やかにしたいものですよね。 どうしてもお仕事などで一定期間忙殺され、返事が出せないことがわかっているような場合には、その期間は返信できない旨を周知しておくとか。 どなたかに、その間の実務の代理をお願いしておくとか。 それから、信頼関係を、時間をかけて築いていく、という部分も、やはり大事だなと思います。 ネットでいろいろやり取りするからこそ、意思の疎通がうまくいかなくなることもあります。顔の見える関係にして、時間をかけて信頼関係を築いていく、という部分も、意外と忘れられているような気がします。 これは、すごく参考になるなぁと思います。 まさにスピード感と、コミュニケーション、ですね。 返事は24時間以内に、信頼関係は時間をかけて――コミュニケーションとスピード――(2012年5月14日 exiteニュース) 「グローバル時代を生き抜くスマートリーダー術」というテーマで、前回は「闘いに勝つにはまず勢い――雰囲気づくり」について話しました。今回は、コミュニケーションに求められるスピードについて話します。 現在はインターネットが普及し、多くの情報がすさまじい勢いで流れる中(2000年から2010年までに情報量が300倍になったというデータもあります)で、スピードが求められる時代です。コミュニケーションにおいてもやはりスピードがとても重要になっていると感じます。 ただ一方で、変化のスピードが速いからこそ、逆にじっくりと構えるべきこともあるのではないかと思います。その2つをよく見極めることが欠かせません。●受け取ったメールに返事をしているか 以前は直接話すことが多かったものの、今は部下や周りの人からメールが届くことが多くなったでしょうか。部下や周りの人からもらったメールに返事をしているでしょうか。返事をしている場合何時間後にしているでしょうか。 某有名外資系金融機関の幹部が次のように言っていました。 人により例外がありましたが、弊社の幹部は、連絡を入れるとどんなに忙しく、どんなに偉い人でも24時間以内に必ず返事を返してくれました。これはいうのは容易いですが、なかなかできないことです。返事が来ないために仕事が止まるということがありません。また、忙しいわりには人の話をよく聞いてくれたと思います。リーダーシップやマネジメントスキルを徹底的にトレーニングされていて、それらを身につけたうえで、ある程度のポジションになり、実践しているのだなと感じることが多かったです。 同じオフィスにいる人であればその人のところに足を運んで聞けばいいですが、物理的に離れている場合(特に海外とのやり取り)、直接尋ねることは難しいものです。時差を気にしなくてもいいのでメールを使用することが多いですが、その返事がないことで業務に大きな支障が出ることがあります。この外資系金融機関では、24時間以内に返事をする、ということが徹底されていました。 ある有名なコンサルティングファームでも、「上司であろうと、部下であろうと、社内の人からのメールには、世界のどこにいようと24時間以内に返事をするというルールがあります」と言っていました。 メールで質問などをされて返事を求められた場合、できるだけ早く返すことを心がけたいものです。もしすぐに返事ができないのであれば、「メールを受け取りました。今は立て込んでいるので、検討して○日までにご連絡します」と送っておくだけでもいいです。検討や調査が必要で時間を要するならば、「調べる必要があるので○日までに連絡します」と伝えればいいのです。 これを伝えるだけで相手は安心します。なお、ここで大切なのは「○日までに連絡します」と相手に日付を明示することです。これによって、相手はその日までに返事がある、それまで待っていればいいということがわかり、もしほかの人が関わっている場合、そのように伝えられます。●2週間後に100%のものよりも1週間後に80%のものがいい ある外資系企業の経営幹部と仕事をしたときのことです。彼女は、次のようなことを言っていました。 2週間後に100%のものよりも1週間後に80%のものがいい。 ビジネスは刻々と変化しており仕事に関してまずは早く実行することが求められていると痛感した言葉でした。2週間後に100%のものができればいいですが、なかなか100%になるのは難しい。それならば80%のものをできるだけ早く出してもらい、そこから一緒に議論しながら100%に持っていったほうが結果としていいものができる、という考え方です。 スピードがとても大事、逆にスピードを持っていると大きなアドバンテージになるということです。 なお、コミュニケーションにおいてスピードが求められるものとして、ミスをしたときや業務上の問題が発生したときが挙げられます。何かミスをしたときにはできるだけ早く謝罪する、もしくは何かしらメッセージを発することが欠かせません。 問題が発生してそれを誰にも伝えずにおくことでより大きな問題に発展することもあります。ミスをしたことで業務に支障をきたしたり、同僚やクライアントに迷惑をかけることが分かった場合、できるだけ速やかに報告し、謝罪することが重要です。●信頼関係は時間をかけて築く スピードを求められる時代だからこそ、投げられたボールはできるだけ早く返す必要がありますが、スピードが重視されるからこそ、一方で時間をかけて作っていくべきものもあります。それは信頼関係です。「時間をかけて信頼関係をつくる」ことがコミュニケーションでは欠かせません。 どんなに役立つことを言葉にしても、相手にとって有益だと思うことを発しても、相手が聴く気がなければそれは相手には伝わりません。自分が発した言葉を聞いてもらうには、長い時間をかけて信頼を得ていることが大切なのです。 エレベーターテストやエレベータールールという言葉を聞いたことがあるでしょうか。自分のこと(自分の考え、自分がやりたいと思っていること、自分の仕事など)について相手に30秒以内で説明するテストです。エレベーターで会った人に30秒以内で説明することから、このように呼ばれるようになりました。 30秒で自分のことを話せることが大切ですが、ひとつ落とし穴があります。ある有名外資系企業の日本法人の社長を務めた人が「自分のことを30秒以内に話すことはとても大切。ただそこですぐに決めようと思ってはいけない。30秒話しただけですぐに何かできる、という単純なものではない。ただ、興味を持ってくれれば、また会おう、もっと話を聞かせてくれ、となる。そうなればいいのです」と言っていました。30秒ですべてを決めよう、と思ってはいけません。再度会ったときにじっくりと自分の考えや思いを伝え、相手のことも理解し、信頼関係を築くことでいろいろなことが進んでいく可能性があるのです。 ものすごいスピードで変化している時代だからこそ、じっくりと時間をかけて信頼関係を築くことが大切です。スピードが求められるコミュニケーションとじっくり時間をかけるコミュニケーション、その双方が求められているのです。【林正愛】(ITmedia エグゼクティブ)(記事より) 記事はこちら http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20120514/Itmedia_enterprise_20120514005.html?_p=3 世の中の、ふつうというか、一般的な感覚というか。 そういうものから乖離していってしまうと、カルト集団みたいになってしまいますよね。
2012年05月16日
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今日は母の日 素晴らしいお天気ですね。 さわやかで気持ちがいいです。 私自身はもう母がいないので(姑はいますけど)、特別にすることもなく。 自分自身が逆に母だったりするけど。 うちの娘たちはマイペースだから… まあ、それは置いておいて。 お母様が闘病中だったりとか ご自身が闘病中だったりとか そういう方々にとっても 幸せなことがたくさんの よい母の日でありますように
2012年05月13日
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みなさまこんにちは 連休の前半はお天気に恵まれて、お出かけ日和ですね。 第二東名も開通して、渋滞も今年はましなのでしょうか? テレビでは、第二東名は道路から見える景色もなかなかのもので、渋滞しても比較的快適なのでは、ということでした。利用された方の感想も聞いてみたいですね。 今日は、がんの患者さんの治療中に必要なグッズの通販サイトを見つけたので、ご紹介します。 …といっても、今治療中の多くの患者さんはすでにご存じなのかなと思うけど…。 私のような、遺族になっちゃってからもう3年以上もたつ人間から見ると、なんだか新鮮です。 いろいろな環境が少しずつ少しずつ整ってきているのだなと感じます。 母の治療中、治療で髪が抜けてきても、かつらを買いに出る気力というか体力というか、が、本人になくて、兄と私が買いに行きました。当時、私がバタバタと忙しく、なかなか一緒に行くことができなかったせいもありました。 本人抜きで、私と兄とで、選んだかつらでしたが、ほとんど使うことなく母は旅立ちました。 一緒にインターネットでショッピングできたらよかったな~と思います。 ということで。サイトはこちら PreSta4U(プレスタ フォー ユー) http://presta4u.jp/qolstation/ 治療中などで、一緒にお出かけするのがしんどい時でも、ネットなら一緒にショッピングを楽しめたりするし。 お買い物した商品が届いたりすれば、それを身につけてお出かけ(通院でも)するのがちょっと嬉しかったり、楽しみになったりするし。 こういうサイトがどんどん増えるといいですね♪ ではまた~~~
2012年04月29日
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先日、このブログで、意識障害の発作を起こす持病を持った方の運転について、取り上げたばかりだったのですが・・・。 悲劇が繰り返されてしまいました。 このブログの過去記事はこちらをご覧ください。 クレーン車事故の遺族 厳罰化求め署名提出 ひき逃げが無罪かぁ… 車突っ込み7人犠牲“再び惨劇” 持病のてんかん、関連か(2012年4月13日07時58分 産経新聞) 京都・祇園で歩行者の列に車が突っ込んだ事故では、車を運転していて死亡した藤崎晋吾容疑者が、突然意識を失うてんかんの治療を受けていたことが家族の証言から判明した。栃木県で小学生6人が死亡した事故などでも問題化したてんかん患者による車の運転。事故の遺族は厳罰化などを求める署名を提出しているが、病気の差別につながる可能性もあり、対応は一筋縄ではいかなそうだ。 ◆過去5年で18件発生 「(何かに)ぶつかったことは覚えている。人をはねたか覚えていない」 栃木県鹿沼市の事故は昨年4月18日に発生。元運転手、柴田将人受刑者(27)=自動車運転過失致死罪で懲役7年の判決確定=がクレーン車を運転して工事現場に向かう国道で、小学生の列に突っ込み、9~11歳の6人が死亡した。クレーン車は時速約40キロのスピードで児童をはね飛ばしていて、急ブレーキが踏まれた形跡は確認できなかったという。 栃木県警の調べに、柴田受刑者は事故の瞬間の記憶がないことを供述。免許取得の際には持病のてんかんを隠していた。 平成22年12月には、三重県四日市市で、踏切待ちをしていた自転車の3人に乗用車が追突。線路内に押し出されて、2人が死亡、1人が負傷した。運転していた歯科医、池田哲被告(47)=控訴中=はてんかんの持病があり、三重県警の調べに「事故直前から搬送された病院までの記憶がない」と供述した。 警察庁によると、交通死亡事故のうち、てんかん発作によるものが過去5年で18件発生している。 ◆不正取得「罰則なし」 てんかん患者の運転免許取得は、14年施行の改正道路交通法で可能となった。5年以内に発作がなく、「今後、発作が起きる恐れがない」と医師が診断していることなどが条件となる。一方で、てんかんであることを申告しなくても罰則はない。 栃木県の事故の「遺族の会」は今月9日、刑法改正などを求める署名計約33万人分を国家公安委員長らに提出したばかりだった。免許を不正取得し事故を起こした場合は、法定刑のより重い危険運転致死傷罪を適用するよう法改正することなどを求めている。 遺族の会代表で、亡くなった大森卓馬君=当時(11)=の父で会社員、大森利夫さん(47)は「てんかん運転者といっても、きちんと申告した人もいれば、無申告で免許を不正取得した無責任な者もいる。病気を差別しないためにも区別しなければならない」と話した。 ◆発作の形態さまざま 今回の事故について日本てんかん協会役員の鈴木勇二さんは「持病があっても薬の服用で発作は抑えられる」と述べる一方、「今回の事故が発作によるものかは分からないが、発作が出ることが分かっているなら免許を取らないようにすべきだ」と指摘した。 順天堂大学の菅野秀宣准教授(てんかん外科担当)は「栃木の事故の発作と似たようなものだろう。ただ、発作の形態はさまざまで、薬がよく効き運転に支障のないケースもある。前提となるのは、しっかりと専門医の治療を受け、指示をよく聞くことだ。そうでないならば、ハンドルを握るのは危険といわざるを得ない」と指摘する。(記事より) こういう問題が議論されるときには、何かというとすぐに「差別」云々の話が引き合いに出されて、問題の本質があいまいになってしまうと私は感じているのですが。 私は、差別は絶対にあってはならないことだし、てんかんの患者さんたちが今度のことで肩身の狭い思いをする必要は全くないと、思っています。 ということを大前提にしたうえで。 そういう差別の問題と、犠牲者を生まないように事故が起こらないように対策を講じるということは、全く別次元の問題で、そもそも、同じ土俵に引っ張り出して語るようなことではないと思います。 2002年に改正された道路交通法の「過去5年以内に意識障害の発作を起こしたことがない」という規定に該当しないのに、それを隠して免許を取得(または更新)し、運転する人が大勢いることが大問題なのです。 改正から10年がたち、てんかんの持病を持った運転者の重大な事故が何度も繰り返し起こっている事実からも、免許を持つてんかん患者さんの中には、本来ならハンドルを握ってはいけないレベルの症状なのに、発作の危険性を非常に安易に考えて、自分だけは大丈夫、と、運転を続けている方が、まだまだ多いのだろうと考えざるを得ません。 3日前に、1年前のクレーン車の事故の遺族が署名を提出したばかりだというのに、同様の事故がまた起こるなんて… “過去5年以内に意識障害の発作を起こしたことがある人”に運転をさせないための対策が必要なのです。 決まりを守らない人に対して罰則を強化したり厳罰化などの対策を講じることは、特定の疾患に対する差別でも何でもないと私は思います。 今日ご紹介した記事は産経新聞のインターネット版の記事ですが、今日の日本経済新聞の記事の中には、加害者である藤崎晋吾容疑者の父親の「こんなことが起きるとは思ってもいなかった。被害者の方には本当に申し訳ない」というコメントが載っています。 「こんなことが起きるとは思ってもいなかった」という考えで運転していたということが、この問題の本質なのだと思います。 飲酒運転で事故を起こした人も、 「今まで大丈夫だったから、今日も大丈夫」という意識で運転していたのだと思います。 飲酒運転の場合、飲酒運転が発覚したら30万円というような高額な罰金を科せられます。運転することを知りながら一緒にお酒を飲んだり、お酒を勧めたりすると、その人も罰せられますし、お酒を提供したお店も罰を受けるというように、法律が改正されています。 シートベルト着用や飲酒運転については、こういった罰則規定の強化や厳罰化が、はっきりと功を奏しています。 てんかんの患者さんの運転免許についても、法改正、罰則強化、それらの厳格な運用、といった措置は、事故を未然に防ぐのに有効であると思います。 てんかんなど、意識障害の発作を起こす可能性のある持病をお持ちの方が運転免許を持つ場合には、そのひとが免許を持ってよい状態であるという専門医のお墨付きを絶対条件とし、発作を起こした場合には、速やかに免許を返還しなければならない、という法律に変え、虚偽を申告(発作を起こしたのにその事実を隠すなど)したり違反した場合には高額な罰金を科すなどの罰則規定を設けるべきだと思います。 また、定期的に診察を行っている主治医には、発作を起こした患者さんが、免許証を持っていないことを確認することを義務付け、患者が症状を隠して免許を持っていることを知った場合には、通報することを義務付けるような措置も必要だと思います。 家族にも、発作を起こしたのに運転を続けている事実を知っていたら、やめさせる、どうしてもやめない場合は通報する、といった義務を課すべきだと思います。 そして、発作を起こしたのに免許を返還せず運転し、今回のような事故が起こった場合には、通報の義務を怠った家族や主治医も罰するというような、厳格な運用をすべきではないかと私は思います。 こういった事故が起こる時には、その背景には、『これぐらい、いいだろう』という安易な気持ちがその本人や家族に潜んでいるのではと思います。 そういった安易さの中で、誰かの命が奪われるようなことは、あってはならないと思います。 危険な状態で運転を続け、事故に至ることは、飲酒運転の「危険運転致死傷」と何ら変わりないと思いますので、それと同等の罰則が必要だと思います。 医師の場合、患者さんの病状などについて守秘義務があったでしょうが、発作を起こしたてんかん患者さんの免許返還については、警察と連携することの方を優先させるべきだと思います。 責任の所在を明らかにし、きちんと病状をコントロールできている人の運転までが差別されることのないように、そして、このような事故が二度と起こらないように。 効果のある対策を、早急に講じる必要があると思います。
2012年04月13日
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みなさまこんにちは。日本経済新聞の記事から。 厳罰化求め署名提出 クレーン車事故の遺族 (2012年4月10日 日本経済新聞) 栃木県鹿沼市のクレーン車暴走事故で死亡した小学生6人の遺族計11人が9日、刑法改正による同種事故の厳罰化を求める署名約17万人分を小川敏夫法相に、運転免許制度の変更を求める署名約16万人分を松原仁国家公安委員長にそれぞれ提出した。遺影を抱えた遺族らは、大臣室で小川法相に署名簿を手渡し、その後の会談(非公開)で一人一人が思いを伝えた。松原国家公安委員長は「大変痛ましい事故で、二度と起きないよう重く受け止めさせていただく」と応じた。(記事より) 記事からは、求められた改正の内容がわからないのですが、持病のある人でも、運転する以上は、危険運転致死罪や重過失、業務上過失致死などの罪が問われるのは当然ではないかと私は思います。 先日の日記(2012年3月22日「ひき逃げが無罪かぁ…」)にも書きましたが、 持病のある人にも、運転免許を取得する権利を認める法改正が以前にあって、その権利が認められました。権利を認められたということは、それ相応の義務とか責任も発生したということのはずです。ですから、 ひとたび事故になったら責任はないというのでは、その「権利」自体、認めてよいのか…?ということは、同然議論されるべきだと思います。 意識障害に陥るような発作をもたらす持病のある人が、発作を起こした状態で車を運転するというのは、持病のない人が飲酒運転の酩酊状態で車を運転するのと同等に危険だと思います。 正常な判断力を失わないように、運転者の飲酒が厳しく制限されているように、そういった持病をもった人が運転をするときには、意識障害などの発作を絶対に起こさないように、薬のコントロールなど万全の備えをするというのが、その人に課せられる義務ということになると思います。 持病があるのに免許を持ち運転するというのは、もともとハイリスクな行為を本人の責任において行うということだから、より一層の慎重さが求められるはずです。 意識障害を起こし、重大な結果を招いた場合は、どのような事情があったにせよ、そういった義務を怠ったと考えるべきだと私は思います。 「責任能力がない」なんて言わせません。 むしろ、危険運転致死とか、重過失の範疇にはいると思います。 鹿沼市でクレーン車の事故を起こした加害者は、それまでにも2回以上の事故を起こしていました。小学生6人の命を奪う事故の前にも、意識障害を起こしてけが人を出していました。 もし、その時に事故をうやむやにすることなく、彼が刑罰に問われていたら、小学生6人の命は守られたかもしれません。 近頃では、バスの運転手さんや運送会社の運転手さんが、運転を開始する前に、呼気にアルコールが残っていないかしっかり検査する会社も増えています。 前夜に飲みすぎたりしてアルコールが残っていたら、ハンドルは握れません。 そうなると、その運転手さんは仕事に穴をあけるわけですから、当然、会社からペナルティーがあるでしょう。でも、それは、自らが招いたことの結果ですから、仕方ありませんよね。もしそれを隠したりごまかしたりして運転をして、事故を起こしたら、もちろん責任を厳しく追及されます。 鹿沼市の事故を起こした加害者は、前夜に、持病をコントロールするための薬を飲み忘れ、その朝、その治療薬を服用してからハンドルを握ったと、確か、当時の報道があったと思います。 本来、そのような状態だったら、当然、自動車の運転は許されませんが、彼は、仕事を欠勤したくなかったからハンドルを握ったのでしょう。 でも、アルコールの残ったバスの運転手さんがハンドルを握れずペナルティを受けるように、彼も、ペナルティを受け、その日は欠勤するべきだったのです。 同じ持病を持ちながらも、きちんと自らのコントロールをして安全に運転している方々からしたら、同様に扱われるのは、たまらないことだと思います。 そもそも彼は、意識障害の発作を起こしてからの日数が、規定以上に達していなかったので、本来なら、自動車の運転免許証を取得できない状態だったようです。 ただ、運転免許証を取得したり更新したりする際には、現状では持病をチェックする機能が働いてはいないので、黙っていれば運転免許証を取得してしまうこともできるようです。 同じ持病の方でも、きちんと持病をコントロールして安全に運転している人はこれまで通り運転ができるように、その一方、自らの責任をきちんと取れないような人には強制的にご退場いただけるように、そういったきめ細やかな制度改正がなされるとよいなと私は思います。
2012年04月10日
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今日もいいお天気で暖かいですね。 昨日、一昨日はお花見など桜を楽しまれた方も多かったのではないでしょうか。 私の家の近所が桜の名所なので、ぶらっと家族で散歩をしましたが、すごくたくさんの人で賑わっていました。 私たちのように歩きながら楽しむ人もたくさんいましたが、“花より団子“で、お花に関係なく(?)宴会を楽しまれている方もたくさんいました。 昼間から大手を振って、青空のもとビールなどを楽しめるのはこの時期ならではですね。 東京は満開ということでしたが、昨日私が見たところでは、よく見ると、枝にはまだつぼみがたくさんついていて、実はまだ五分咲きくらいかも、という感じでした。 桜の木を再生・保存するためということで、桜の太い枝(枝というより、幹かも)がたくさん切り落とされたようで、いつもの年は、桜の花が空を覆うように、トンネルのようになっていたのに、今年はなんだか『工事中』みたいな風情になっていました。 “根を守るため”ということで、桜の根元にレジャーシートを広げないように縄が張って立ち入り禁止になっていたので、いつもの年よりもお散歩はしやすかったのですけれど。 根元の保護がされていない講演のほうのエリアは、宴会の人たちのブルーシートだらけで散歩は無理でした 純粋にお花を楽しみたかったら、早朝とか、平日の早い時間でないと無理みたいですね。 私が子どものころからここはそうでしたから。 足元のスミレも、うれしそうな春の日でした。
2012年04月09日
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今日はポカポカ、ずいぶん春らしくなりましたね。 4月2日に長女の入学式も終わりました。 大学近くの駅にも、大学の中にも、大きな桜の木があったのですが、その日はまだ全く咲いていなくて、少し残念でした。 でも、学校近くの小さな川の川岸には菜の花が満開で、春の日差しを受けて眩しく幸せな感じで咲いていました。 桜の花も、満開は咲きそろった感じが見事ですが、菜の花も、これだけの広さに一斉に咲きそろうとなかなかのものですね。 その翌日の昨日は、うって変わって超大型の春の嵐でしたが、みなさま大丈夫でしたか? 私は、超大型の春の嵐が来るという予報の中、次女と『ももへの手紙』の試写会へ行ってきました。もともとは長女が応募した試写会だったのですが、昨日は大学のガイダンスがあって行かれないので、チケットを次女にくれたのでした。 次女は、お友達を誘って、試写会を楽しみにしていたのですが・・・。 その前の晩の気象庁の「超大型の春の嵐」の記者会見を見て、お友達がみんな怖気づいてしまい、計画がキャンセルになってしまいました 試写会の会場は我が家からはそんなに遠くなく、クルマなら10分もかからない距離だったので、「おかーさんと一緒に観に行くのでもよかったら、行こうか?」ということで、行ってきました。 私は予備知識ゼロで観に行ったのですが、笑いあり、涙ありで良い映画だと素直に思いました。特に、親子とか、家族とか、これから一緒に家庭を築こうと思うカップルとか、で観に行くとよいのではないかな、と思いました。 おススメです。 ↓ 公式サイトはこちら http://momo-letter.jp/ ちょっとネタばれな感じがありますが、予告編の動画もあります。
2012年04月04日
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昨日、一昨日とものすごい南風が吹き荒れていましたが、今日は穏やかに晴れていますね。 ひと雨ごとに春らしくなってきました。 我が家のすぐ近くが桜の名所なのですが、今年はまだお花はほとんど…。 例年だともっと咲いてるかなと思うのですが。 さて、私事ですが、春分の日からFacebookを始めてみました。 きっかけは、携帯メールに変なお誘いが来たからでした。 知らない人から「フェイスブックで一緒にあの頃の思い出を語ろう」というメールをいただいたのですが、差出人の名前が、“あの頃の思い出”なんか語れそうもない、記憶にない人から(しかも、すごく変な名前)だったので、「配信停止」をクリックしたのですが、配信停止のためには私の個人情報を入力しないといけなくて、この頃巷で話題のフィッシング詐欺とかだったら大変だな、と、なんだか気持悪くなって、一旦作業を中断し、パソコンからフェイスブックのサイトを覗いてみました。 とりあえず、正しいサイトから会員登録して、メールの差出人の名前(特徴のある変な名前)を探してみたら、該当者がありませんでした さらに、試しに、私の携帯電話宛に、「友達を招待」としてみました。 たしかに、件名は「フェイスブックで一緒にあの頃の思い出を語ろう」でしたが、いろいろな細かいところが、私が最初に受け取ったメールとはビミョ~に違いました。 登録してない人から招待できるはずはないので、やっぱりあれはニセモノだったんだなぁと思って、変な名前の人からのメールはとっとと削除しました。 みなさんも気を付けてくださいね~~ そして、とりあえず一件落着したので、せっかくだからFacebookの機能を使ってみました。 Facebookに登録すると、いろいろと知人を検索できるので、思いつく名前を検索してみたら、そんなにたくさんではないけど、旧友を発見できました。 幼馴染、小中学校の友達、高校の友達、大学時代のサークルの同期や先輩、といった具合です。 女の子は結婚すると名字が変わってしまうので、現在進行形で交流のない友達を見つけるのはなかなか難しく、男の子のほうが見つけやすいですね。 でも、「見つけてくれてありがとう」「元気そうで何より」「またみんなで集まろうね」という感じで、時間と空間を飛び越して、やり取りができるというか、再びご縁がつながるという感じが、なんだか嬉しいですね。 いろいろな使い方があるようですが、たわいもない日常をやり取りできる感じで、私は主に旧交を温めたり、プライベートな友達とやり取りをするツールにしたいなと思っています。
2012年04月01日
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みなさまこんにちは 今日は新聞を読んで思ったことを…。 横浜の高3死亡ひき逃げ 低血糖で意識障害 無罪 地裁判決 被告の責任能力認めず(2012年3月21日 日本経済新聞) 2009年に横浜市で自転車の高校生を軽乗用車ではねて逃げたとして、道交法違反の罪に問われた会社員の男性被告(46)の判決で、横浜地裁は21日、「持病の糖尿病の治療による低血糖で意識障害に陥っていた」として責任能力を認めず、無罪(求刑懲役1年)を言い渡した。~中略~ 判決によると、糖尿病の治療薬のインスリンを自己注射するなど治療を受けていた男性は09年9月1日夜、横浜市中区で運転中、高校3年だった17歳の男子生徒の自転車をはねた。 神奈川県警は同日、自動車運転過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)容疑で男性を逮捕。生徒は頭などを打って同20日に死亡した。横浜地検は自動車運転過失致死容疑については嫌疑不十分で不起訴とし、道交法違反の罪だけ起訴した。 閉廷後、生徒の父親は「残念で悔しい。これでは息子が浮かばれない。検察は控訴してほしい」と話した。横浜地検の堀嗣亜貴次席検事は「判決を精査し、適切に対処したい」とのコメントを出した。(記事より) 被害者ご遺族のコメントは、同じ年頃の子を持つ親としてすごく共感します。 自動車運転については、運転する当人たちの努力にしか頼れないというか…。 それが健常者であれ、持病のある人であれ、ハンドルを持つ時には、絶対に事故を起こしてはならないという意識で臨まなければならないと思うし…。 以前、てんかんの持病を持った加害者が幼い子供の命を多数奪うという痛ましい事故があり、そのときも同様の感覚を持ったのですが・・・。 持病のある人にも、いろいろな利便性の観点から運転免許を取得する権利を認めろということで、法改正があって、その権利が認められたわけですが・・・。 権利を認められたということは、それ相応の義務とか責任も発生したということのはずで… ひとたび事故になったら責任はないというのでは、その「権利」自体、認めてよいのか…? ということを考えずには居られませんでした。 糖尿病の人が低血糖を起こすリスクというか頻度について、私はよくわかっていませんが、少なくとも、低血糖の状態で車を運転するというのは、持病のない人が飲酒運転の酩酊状態で車を運転するのと同等に危険なのではと思います。 正常な判断力を失わないように、運転者の飲酒が厳しく制限されているように、糖尿病の人が運転するときには、低血糖を起こさないように万全の備えをするというのが、その人に課せられた義務だったはずです。持病があるのに免許を持ち運転するというのは、もともとハイリスクな行為を本人の責任において行うということだから、より一層の慎重さが求められるはずです。 どのような事情があったにせよ、結果の重大性は、むしろそれを怠ったと考えるべきなのではないでしょうか。 ご遺族が納得できないのは当然だと私は思います。 こういう裁判は、なんとなくうやむやな感じになってしまうことが多いように感じますが、論点を明確にし、責任の所在についてもっと真剣に考えてほしいなと思いました。 ハンドルを握る方には、その方の持病の有無にかかわらず、絶対に事故を起こさない、被害者を生まない、という意識と責任感をつねに持って運転していただきたいですね。(私も運転ますます気をつけます)
2012年03月22日
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先日携帯電話で書いて、途中で電池切れになったからアップしなかった記事があったので、時間が過ぎちゃったけどアップしておきます~~。 ただの愚痴って感じの、当日の感想です。 今、医療部会に出席した帰り道なのですが。 今日のテーマは医療法の改正(ほとんど改正しなくて通達で済ますだけみたいですけど)を今国会内で閣議決定しないといけないから、ということで『医療法人について』でした。 規制改革との整合性を確認する、みたいな作業をしただけの会議でしたので、まぁ、内輪(要するにお医者さん達同士)で、手打ちしてシャンシャンという感じで、私のような立場では、関係ない話がほとんどだったのですが…。 医療法人てなんか、普通の社会通念とは違うところに存在しているんだなぁと、あらためて思いました。 まぁ、私には関係ないしわからないけど、 医療の非営利性が大前提だから民間の営利組織と手を組んじゃダメ(病院の役員に営利組織の人を入れちゃダメ)とか言いつつ、 病院の役員が営利組織の役員するのはOKよとか。 地域の事情とかあるんでしょうけど、何か変なの、って感じでした。 医療部会に出てていつも違和感あるのが、民間の営利組織はもうけ主義、銭ゲバで、医療は非営利で常に善良、みたいな物言いが当たり前な感じになっていること。 あのねぇ・・・、って言いたくなる。 あの部会に出てると、私なんかにはお医者さん達の方がよっぽどお金に執着してるように見えるし 民間の企業だってもちろん色々だけど、少なくともある程度以上の規模の企業なら、コーポレートガバナンスとかコンプライアンスとか社会貢献とか意識してるし、製品にしろサービスにしろ、価格だって、消費者のニーズと折り合うところにあるから、そんなにアコギなことにはなってないというか こういう活動するようになってから、というかこの会議に出るようになってから、私は『お医者さんという人種は、その年齢に達するまでに一般的な社会人が経験などから体得している常識とか社会感覚が根本的に無い人で、その人達だけで通用する常識に支配されていて、そのことに気づきもしない人の集団なんだなぁ』と、思うようになりました 言っても通じないし、日本の医療ってこのまんまずっと行くんだろうなぁ、と思うから、もう言わないけど。 言ったところで、別に私には何の得もないし疲れるだけだから。 そんな中で東大法学部教授の樋口範雄先生のご発言は、我が意を得たりというか(私にはとてもあのように的確に発言する能力はありませんけど)、言っていただいて嬉しかったというか、痛快でした まぁ要するに、あの会議に医師という職業についていない人が出たら、ふつうに感じる違和感を、見事に表現してくださっただけなんですけど。 そのうちに(忘れ果てたころに)議事録が出てくると思いますので、もしご興味がありましたらごらんください。 では~~
2012年03月07日
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みなさまこんにちは 寒い毎日ですが、我が家には一足早く春が来ました 長女の受験が終わりました 第一志望ではありませんでしたが、大学が決まりました。 ホッとしています(^^) 私が住んでいるあたりは、今日はお天気が良くて暖かです。 立春の日に、あの日もお天気が良くて、ふと 春立ちける日によめる 袖ひちて むすびし水のこほれるを 春たつけふの風やとくらむ (紀貫之 古今集)を思い出し、試験に向かう娘にメールしたのでした。 娘は『え?なに??』と、面くらってましたが、「あ、一応、今日は立春だから、押さえとくといいかなと思って。 意味は 夏、袖を濡らしてすくった水が(冬になって)凍ってしまったのを、立春の今日の風が溶かしているのだろうか」と送ると、「あ、そういうこと。ありがとう」と返信が来ました。 今日みたいな、春を感じられるような日差しの中で、 「春立つけふの風やとくらむ」が、なんだかいいなと思いました。 とりあえず、我が家には一足早い春が来てホッとしています。 難関校や国立大学の2次試験はまだまだこれからですが、受験生の皆さん、受験生を支える親御さん、頑張ってくださいね けふの風やとくらむ では~~~
2012年02月09日
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個人的な主観ですが…、 自称「自分に正直な人」って、ただ単に身勝手な人が多い気がする。 というか、自分自身の身勝手さの言い訳にその言葉を使っているだけというか。 私の知る限り、そういう人ばかりというか。 そういう人にはかかわり合いたくないというか。 勝手にやってろというか。 個人的に、腹の立つ出来事があったので、ちょっと書きました。 何でもアリの人って、大っ嫌いだわ。 そういう人は、長生きする。 うん。 残念だわ……
2012年02月05日
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ご無沙汰しています。ものすごく久しぶりの更新です。 寒い毎日ですが、風邪などお召しになっていませんか? 今年は長女が受験生で、年が明けてからは、近所に買い物に出る以外はほとんど家にいるので、寒さや風邪の流行を自分自身が肌で感じることはあまりありませんが…。 インフルエンザの流行には「警報」がでていますね。 我が家では、亭主と長女は11月にインフルエンザの予防接種を受けましたが、次女と私は受けそびれました…。 このブログを始めた時はまだ小学生だった長女も高校3年生、ただ今受験戦争まっしぐら、怒涛の5日間連続入試です。 通ってる塾では、「入試が連日にならないように志望校を絞ってください。間違っても3日間連続なんてことにならないように。」とか言われましたが、長女はお勉強が嫌いで、難関校を狙わない(受けても意味がない)ので、受ける意味のある学校を選んだら、こういうスケジュールになってしまいました。 レベル的に似たようなところがだいたい似た様な時期に入試をしてしまうんですもの。 連続にしたくないけど、連続になっちゃいます。 でも、今日で4日目、明日で終了です 毎日、縁起の良い献立を考え、夕飯の時間が遅くならないように、朝も絶対寝坊しないようにと気を張っていたからか、私もなんだか疲れてしまいました 普段と起きる時間が違うわけでもないのですが・・・。 私が受験生だった時は、受験の前夜は母がくしカツとか、ヒレカツとか作ってくれて、お弁当にも入っていたので、私も真似しました。 でも、5日間連続受験なので、毎日とんかつというわけにもいかず、語呂合わせしたりこじつけたりしています。 ここ数日のメニュー(メイン)は、 1月31日=ヒレカツ(勝)、 2月1日=カツオのヅケ丼&梅納豆(粘り勝ち)、 2月2日=エビ入りもちもちレンコン餅&山芋とレンコンの棒餃子(粘り&見通しが良い)、 2月3日=恵方巻(縁起もの?)という感じです。(ネタが切れてしまい、今日はどうしよう…。先が見通せるということでちくわとか?油揚げに具を詰めて「福袋」とか?) お弁当には、毎日一切れだけはヒレカツを入れています。 あと、普段は「森のたまご」という商品名のたまごが、今は「森のたまごうかく」になっているので、それで作ったオムレツとかハムエッグが朝ごはんで、お弁当には卵焼きが入っています。(我ながら涙ぐましいあがきっぷり…) そういうメインに合うように、野菜もとらせようとすると(一人1日350グラムとらせろとか、推奨されてるから)、だんだんワンパターンに…。 野菜をたくさん食べられる(グラム数を稼げる)もの、というと、炒め物か煮ものかスープですよね。ふつうのときだったら、和食、洋食、中華…などをまわして献立を作り上げるから毎日似たような感じになることはありませんが・・・。 語呂合わせしてたら気がつくと和風のお惣菜ばっかり(副菜が根菜系の煮ものとかきんぴらとか)に…。 明日は語呂合わせから解放されて、鶏肉とかエビとか使ってイタリアンみたいなのにしようっと…。 そうそう、昨日は、次女は学校が休みだったので、遅ればせながらHPVワクチン(子宮頚がん予防ワクチン)を接種しにかかりつけの先生のところに行ってきました。(もちろん予約をして) 夏までは、ワクチンが不足しているから医療機関への問い合わせも控えるようにということだったので、先送りにしていたら、年度が終わりかかっていました(大汗) まぁ、そういうわけで秋までは接種開始できなかったので、今年度に限り、年度をまたいでも助成してくれると書いてありましたから、そんなに焦ってはいなかったのですけど。(次女は中学3年生だから助成対象ですが、長女は対象外です。受験が終わったら自費で接種しないと…) 痛いと評判の高いワクチンで、次女はお友達からさんざん聞かされておびえてましたが、かかりつけの先生は、ここに打つと痛くないんだよ、と、腕の少し内側に注射してくださったので、いたくなかったそうです。 2回目は来月、3回目はその半年後です。 でも、なんで日本は2回接種で済んで、カバーするウィルスの数も多いM社のワクチンじゃなくて3回接種しないといけなくてカバーするウィルスの数も少ないG社のワクチンが推奨されているんでしょう??? 世界のシェアでは、M社が8割と聞きましたが(当然といえば当然)、日本ではシェアがまったく違うとか。 公費で自己負担ゼロで受けられるから、3回接種でも受けさせますけど。 なんだかへんなの~~と思わずには居られません。 ではまた~~~
2012年02月04日
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みなさまこんにちは。 毎日暑いですね。 エアコンをなるべく我慢しようと頑張る日々です 長女が受験生なので、今年は海も山もありません さて今日は、タイトルの本、 「朽ちていった命-被曝治療83日間の記録-」 NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮文庫)をご紹介します。 東日本大震災以後、福島第一原子力発電所の事故は、地域の再生や経済の再生に暗い影を落としています。 今になって大騒ぎになっていますが、国民は「原子力発電が安全で安価」という国の施策を深く考えもせずにその恩恵の部分にばかり乗っかってきたのですから、その点については、国民自らが深く反省すべきではと思います。 今回の事故は、それでも、不幸中の幸いというか、臨界に達した原子炉から中性子線が漏れたということではなかったので、1999年に茨城県の東海村で起こったJCOの臨界事故のような事態にはなりませんでしたが、一歩間違ったら、と思うと本当に恐ろしいです。 福島の原子力発電所で働く作業員の方の中にも、JCOの事故のように、8シーベルト(ミリでもマイクロでもなく『シーベルト』です。今大騒ぎになっている『ミリシーベルト』とか『マイクロシーベルト』単位の、1000倍とか100万倍とかの単位です)を超えるような方が出なかったのは、不幸中の幸いとしか言いようがないと思います。 8シーベルト以上の被曝をしたことが明らかな人が、長期生存した例はありません。 (JCOの事故発生時までは、8シーベルト以上の被曝の場合は1~2週間で死に至るという前例しかありませんでした。) 8シーベルトという量がどのくらいの量かといえば、年間100ミリシーベルトを浴び続けた人の線量が全部蓄積されていったとして、80年かかって到達する量です。 単位がマイクロシーベルトなら、その1000倍の時間が必要です。 ということで、これから書くことは、今福島で起こっていることとはまったく別の次元のこととして、混同しないでお読みいただきたいというのが大前提ですが。 それでも、核というものがどういうものなのか、最悪の場合、人体にどんなことが現実に起こるのか、を、知ったうえで原子力発電所のことも考えていただきたいので、今日はこんなことを書いています。 私は、2001年5月にに放送されたNHKスペシャル「被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故~」を視て(本放送ではなく、再放送のものだったかもしれませんが)、改めて核の怖さを思い知りました。 その放送の前に、1999年12月、被曝され治療中だった患者さんが亡くなられたときに、治療チームの記者会見が行われ、主治医だった先生が(詳細な表現は記憶していませんが)『放射能、核の脅威の前には人間の知識や能力が(現代の医療、とおっしゃっていたかもしれません)あまりにも無力であるということを思い知った』ということをおっしゃり、そして、『私は、核というもの(放射能とおっしゃったかもしれません)を心から嫌悪する』とおっしゃいました。 はっきりと『嫌悪する』とおっしゃったのです。 そういった記者会見で、医師の方がはっきりと『嫌悪する』などという言葉で表現するのを聞いたのは初めてでしたから、とても印象的で、私の心にくっきりと刻まれました。 そして、それから1年以上経ってその番組を見たのですが、想像を超えた状況がもたらされていたことを知りました。 多くの方々に、あの番組を見てもらいたいし、この本を読んでいただきたいと思います。 そして、人体が中性子線を浴びるということがどれほどのことなのかということをぜひ、多くの皆さんに知っていただきたいと思います。 中性子線を浴びた人体は、その体の組織の設計図である染色体が、すべてバラバラに散ってしまう程の破壊を受けるため、その組織は2度と生成することができなくなります。 それはどういうことかというと、一定のサイクルで古い組織が役割を終え、新しく作られた組織に交換されるはずなのに、新しい組織ができてこないということです。 つまり、たとえば皮膚が知らず知らずのうちに、普通は古いものが垢となってはがれ、新しい皮膚がそこを覆っているのに、その場合は、古い皮膚がはがれおちるだけはがれおち、新しいものができてこないのです。 化粧品のコマーシャルなどで、お肌が生まれ変わるのに4週間、などとやっていますが、たとえば、ひどい日焼けをして真っ赤にはれた皮膚でも、しばらくすればダメージを受けた皮膚がボロボロむけて元通りになりますが、そのボロボロの後、何も再生されてこなければ、筋肉がむき出しになってしまいます。 JCOの事故で被曝された患者さんについて 『皮膚がむけた部分は、むけたての状態がずっとつづき、治っていくところがひとつもない』と、本の中にはあります。 医療スタッフは、体の前面の皮膚(表皮)がすべてはがれおちてしまった患者さんの体に抗生物質の入った軟膏を塗り、特殊なガーゼをあてがい、治療を続けました。 最初に影響を受けるのは、そういった新陳代謝のサイクルの早い血液、粘膜、皮膚などですが、筋肉や臓器も『染色体がばらばらに破壊』されてしまったなら、最終的にたどる道筋は同じです。 被曝当初お元気だった患者さんを何とか助けたいと、当時の最高の技術を駆使して必死の治療を医療スタッフはつづけましたが、再生できなくなった組織を再生させるすべはなく、患者さんは亡くなりました。 本の中に、医療スタッフの一人の方が『むかし広島にある原爆の資料館で見た被爆者の写真を思い出した。50年以上前、原子爆弾で被爆した人たちも、こういう状態だったのだろうかと考えていた』とあるのですが、私も、本を読み進める途中で、まったく同じことを考えていました。 以前にこの日記(2005年8月15日)にも書きましたが、『わたしがちいさかったときに』(フォア文庫)という、広島での原爆体験の作文集には、小さな子どもの目の前で起こった悲惨な現実が淡々とつづられています。 爆心地近くから無事に戻ってきたものの、1ヶ月経つか経たないかで亡くなってしまった祖父と妹のことが書かれた作文には、致死量をこえる線量を被曝してしまった人の、無治療の場合の転帰と呼べるものが書かれていると思いました。 今日は広島の原爆の日ですから、原子力、核というものを本気で見つめてほしいと思います。 原子力発電所自体の是非もさることながら、使い終わった後の核燃料ですら、安全性は確立されていません。生物にとって危険性の少ない物質に分解することもできず、危険が及ばないように、地中深くに埋めるしか方法はありません。 そんな方法で、その土地で大地震や大津波が起こったときに、本当に安全だと言い切れるのでしょうか? その施設が老朽化する100年後200年後も安全だと言い切れるのでしょうか? 使い終わった燃料を、安全な物質に分解できるならまだしも、危険な状態のまま、危険が及ばないように地中深く埋め込むことを『安全』と言い切るなんて、ナンセンスです。 原子力発電所の廃棄物を兵器に再利用しようとする国も少なくありません。 私は、電力を大量に使う生活の恩恵を享受してきたことを否定しませんが、これからもし日本が、脱原子力発電の方向に向かうことを決断するなら、不自由な生活を我慢しなければならなくとも、それを受け入れたいと思います。 ということで…。 ではまた~~
2011年08月06日
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もし、日本医師会の役員がドラッカーのマネジメントを読んだら、日本の医療再編はもうちょっとまともになるかもしれない。 今の日本の医療制度だと、元気で長生きできた人以外は、しんどい。 働き盛りの若い年齢で、長期にわたるような治療が必要な病を得てしまうと、一律3割負担が重くのしかかる。 元気に高齢者になり、高齢ゆえの不具合を持つ人は、掌にいっぱいになるくらいの薬をもらう。 そんな年齢まで元気でいられない人に対して手を差し伸べるのが共助ではないのか??? 働き盛りでがんになると、医療費が重くのしかかるけれど、そのことについて騒いでくれるのは患者団体くらいのもので。政治家も話ぐらいは聞いてくれるけれど。本気で役人をしかりつけたりしない。 でも高齢の人は、たった100円の自己負担の純増でも、日本医師会のエライ人が『基礎年金だけで暮らしているような高齢者に、そんな負担をかけるなんて、この提案は筋が悪すぎる!!』と、厚労省の役人に食って掛かってくれる。 昨日の、医療部会での出来事だ。 厚労省が提示していた文書の中に「治療費のほかに、一律100円徴収して、それを高額な、高度な医療の財源にしてみたらどうか?」というような記述があり、それをみつけた日本医師会の中川俊男副会長が怒ったのだ。 会議が終わる直前だったので、反論の機会がなかったけれど、ほんとにびっくりした。 なんだそりゃ。 『そもそも、保険外で100円一律に徴収しますなんて、患者さんにどうやって説明するんですか?納得が得られると思いますか?』というようなことも発言していた。 趣旨がきちんと理解されれば、喜んで払う人のほうが多いのではないか? 趣旨がグダグダだったり、きちんと政府が広報しなかったりしたら、ブーイングも起るだろうけれど。 いきなりだったので、私自身も趣旨や内容を把握しきれていないが、その100円の収入で1800億円程度の財源となり、若年で高度な医療を受け続けなければならない患者への負担軽減の財源とするというような書きぶりだった。 医療機関に支払われた100円をどうやって吸い上げて財源にするのか見当もつかないが、保険外に設定したのは、100円の自己負担を保険内に設定すれば、健康保険組合が医療機関にさらに210円支払う仕組みになってしまうので、財源どころか健保組合を圧迫してしまう仕組みになるからだろうと、なんとなく、素人考えだけれど想像がつく。 強い語調で中川委員は語り続け、だれからも反論はなかった。 言わずもがななことではあるけれど、敢えて書けば、 自己負担が増えて、比較的軽症な患者さんの足が診療機関から遠のくことは、診療報酬を支払っている側からすれば、望ましいことだ。 それが進めば現役世代の負担も軽くなる(というか、増え続けるのを少しゆるやかにできる)が、そういう人の足が診療機関から遠のくということは、日本医師会を構成しているような開業医、小規模診療所にとっては大口顧客の減少を意味する。 日本医師会としたら、大口顧客の負担増はゆゆしき事態、ぜひ回避したいというところだろう。 元気に70歳80歳になることができなかった人が周りにたくさんいる私にとっては、そんな発言に対し、怒りがこみ上げ、手が震えた。 発言しなきゃと思ったけれど、この気持ちをどうやってうまく伝えればよいのだろう。 手が震え、胃がきりきりと痛んだ。 生活を切り詰め、治療費がかさむことを家族に謝っていた多くの働き盛りの患者さん。 40代をやっと迎えたばかりで、小学生や幼稚園の子供との時間をもぎ取られて旅立っていった患者さん。 30になったばかりなのに、いつも周りを気遣って明るくふるまっていた患者さん。 自分は消化管の狭窄で食事ができないのに、家族のために食事を作り続けた若い主婦の患者さん。 元気で長生きできた人から100円をとることがそんなに悪なのだろうか? たとえ今の生活が豊かでなくても、これまでの生活が大変であっても、長く生きられたことだけでも幸せではないのか? 私の父は、戦争世代で、子どものころからずいぶん苦労した。母も。 でも父はたった52歳で、母は74歳で、死んだ。 そういう人と比べれば、老後を迎えられていることは幸せだと思う。 今の高齢者は戦争を体験して苦労した人たちだから、十分な社会保障を、という主張は十分に理解しているつもりだが、それぞれの世代ごとに、それぞれの悩みや苦労はある。 現役世代への度を越した負担増は、制度の破たんにもつながりかねない。 家族と共に過ごすはずだった数十年を過ごせない人のために、たくさんの人から100円を集めるのは、私はいいことだと思う。 挙手はしたが、私には、発言の機会は来なかった。 医療部会がグダグダなのは今に始まったことではなく、私なんかが委員になっていることからみても、会議での議論に本当はあまり意味などなく、アリバイ作りだろう。 だから、どんな発言が出ても『あらあら』と思って、大人の対応をしていればよいのだろうけれど。 つい、憤ってしまう。 医療に携わる人たちにはぜひ、ドラッカーを読んで、マーケティングとイノベーションについて本気で考えてほしい。 医療を必要とする人のために医療が提供されているのだと、肝に銘じて、自分たちの側の権利主張ばかりをしないでほしい。 現役世代も、このままのグダグダにお付き合いして負担増できるほどゆとりはないのだから。
2011年06月09日
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みなさまこんにちは。 今日はさわやかに晴れました。トイレや洗面所の掃除をすませ、あとはのんびり過ごしました。 先日の日記にも少し書きましたが、私が委員をしている『社会保障審議会 第3号被保険者不整合記録問題対策特別部会』の5回目の会議が昨日開かれ、報告書(案)の審議をして終了しました。 内容は、今朝の日経新聞などには載っていましたが、ほかの新聞はどうだったのでしょうね? 最終報告書は、そのうちに厚労省のホームページに載ると思います。 以下は、私の感想などです。 この部会が急遽開催されたのは、1月に厚労省の出した通達に対し、マスコミや国民からのブーイングが激しかったからなのですが、その通達の内容が、要約すると「第3号被保険者(給与所得者の無職の妻)から第1号被保険者(国民年金の対象者)への手続きができていなかった人に限って、国民年金未納期間が何年あっても2年分納めたら年金を満額支給する」というびっくりなものだったので、ブーイングが起こったのです。当然ですよね。 それで「その通達をどう扱うか」「ずっと第3号という記録だったけれども実際は第1号被保険者で、その分の国民年金を納めてこなかった人をどうするか」「そういった記録の不整合をどうやって防ぐか」というテーマで、アリバイ作り的に議論することになったのです。 第3号から第1号への変更手続きに何らかの不備のあった対象者はこれまで2000万人ほどいて、そのうちの95%(1950万人)はきちんと手続きをし、未納金も追納などしています。残りのたった5%(50万人)の人たちが、変更手続き未了の、いわゆる『記録不整合』のままの人たちで、今回の救済策の対象者でした。 平成10年から、手続きを促す通知は送付されていたのですから、第3号から第1号への手続きを放置したり怠ったりしてきた本人の責任をどう考えるか、そういった人のフォローを、国としてはどこまで責任を持つべきなのか、ということをきちんと踏まえることが重要ではないかと私は思うのですが、そういった議論もあいまいなままに救済策へと話は進んでしまいました。私は終始、どうしてこの人たちを特別扱いしなければならないのかがわからず、その疑問はついに晴れないまま会議は終わりました。 まぁ、基本は、きちんと追納したり過払い分の返還を求める、ということになったのですけれど。こちらの報告書にどれほどの効力があるものなのかはわかりません。 国会でセンセイたちが決めることのようですから。 結局、この会議の最終的な報告書が完成する前に民主党のワーキングチームが方針を発表したので、アリバイ作りにすらならなかった感がありますけど。 今度はマスコミも全く騒がなかったから、ガス抜き程度にはなったのでしょうね。 でも、大騒ぎになった『不公平』については、民主党のワーキングチームの打ち出した方針によれば、「2年分追納すれば満額支給」という馬鹿な救済策は姿を消したものの、気になる記述がありました。 「住民税が非課税である低所得者については、すでに裁定されていた年金額を維持し、過払い分についても減額措置の対象としないものとする」という記述です。 年金受給者の9割は住民税が非課税なのですから、不整合のまま年金の支給が既に開始されている人は、本来は追納したり減額されるべきところを、いわば『不当に』高い年金をもらい続けるということになり、不整合があってまだ年金をもらう年齢に達していなかった人たちや、きちんと手続きしたせいで未納期間が発生してしまった人との間には大きな不公平が残ることになります。まぁ、不整合記録がある人で、かつ、すでに年金の支給を受けている人は、7万人程度で、全体の中ではさらに少数なのですけれど…。 これがそのまま国会で通るなら、会議で話し合ったことは一体何だったのかな、という感じです。 正しい手続きをしたせいですでに未納期間が生じてしまった人たちにも、10年分の追納が認められますが、しなかった方が追納を免れるなんて、明らかに不公平ですよね。 ほとんどの人は、自分の年金の権利を失わないように、きちんと手続きしているのに。なんかほんとに納得いきません。 手続きを放置したり怠ったりする本人の責任をどう考えるか、手続きをしない人のフォローを、国がどこまで責任を持つべきなのかの議論はないまま、救済だけを考えるなんて、不整合の問題だけが独り歩きしているように思えます。 それに、今後もそういった5%の人たちを出さないために、様々な対応策を考えたり対処したりしなければならないのは少しおかしいような気がします。 5%の落ちこぼれを出さないためにかけるコストって、どのくらいが妥当なんでしょうね。 私は、そんなことにたくさんのお金をかけるくらいなら、年金の給付額を増やしてほしいと思いますけど…。 やれやれ。 ではまた~
2011年05月18日
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みなさまこんにちは この頃初夏らしく暑い日もありますが、突然肌寒い日があったり、暑い日でも朝夕は肌寒かったり、体調を崩しやすい時期でもあるかな、と思います。ご自愛くださいね。 さて今日は、焼き肉チェーン店の食中毒事件から思いだしたこと、思ったことなどを書きます。 今回の食中毒は、4人もの方が亡くなり、腸管出血性大腸菌の恐ろしさを思い出させられました。 さまざまな報道を見ていて、以前(1996年夏ごろ)、O-157の食中毒で被害者が出た時に、その恐ろしさに戦々恐々としたことを思い出しました。 その当時、まだ長女が2歳で、私は次女がお腹にいて、食べ物にかなりナーバスになり、調理器具の衛生や調理方法に神経質になっていました。 子どもたちも大きくなり、今でこそ、『人間垢では死なない』とか『日常生活は黴菌だらけだから、そこら辺に普通にいる黴菌で病気になるほど弱くては困る(免疫をつけるためにも殺菌はほどほどに)』・・・・などとかなり大らかに(ずぼらに?)暮らしていますが、当時は性格的に完ぺき主義なところがまだあって(今は大雑把)、かなり厳格に神経質に暮らしていました。 その当時の、とあるドキュメンタリー番組のなかでのアメリカ人男性の言葉がとても印象的でした。 O-157の食中毒がアメリカでも起こり、その男性は幼い娘さんを亡くしてしまったのですが、「病院に連れてきて、病原菌も特定されて、原因がはっきりわかっているにもかかわらず、現代の医学を駆使しても命を救えない病気があるなんて思っていなかった」とおっしゃっていました。 私も、食中毒で、症状が出てすぐ病院に行っても救えないことがあるなんて、と、そのことに恐怖を覚えました。 O-157は、その原因菌自体はそれほど強靭な菌ではなく、きちんと加熱すれば死滅するし、体内に入った場合も、菌自体は、抗生物質などでやっつけられるそうです。 が、問題なのは、菌自体ではなく、菌が増殖するときに出すベロ毒素という毒素のほうで、ベロ毒素は、一旦体内に取り込まれてしまうと解毒する方法がないということでした。 だから体力のない乳幼児やお年寄りが感染すると、その毒素で溶血性尿毒症症候群(腎不全・溶血性貧血)や急性脳症になり命を落とすことがあるということで、2歳の子を持つ母としては、とにかく恐ろしい思いで夏を過ごしました。 おいしさよりも安全第一、と、お肉には火を通しすぎるぐらい加熱していたことを思い出します。まな板や包丁からほかの野菜などに菌がつかないように、と、調理する順番や調理方法なども神経質にやっていたし、殺菌消毒のアルコール除菌スプレーなども使っていました…。 あれから15年、O-157のことは、忘れた訳ではありませんでしたが、以前ほど気にならなくなっていました。焼肉屋さんに行って娘たちとユッケを食べることもたまにはあります。 外食産業も、あの当時以上に価格破壊などコスト削減のきつい中で、喉元過ぎれば熱さ忘れる、という感じで、食品安全の大切さ、食中毒の恐ろしさを忘れてしまっていたのかもしれませんね。 私が一連の報道を見て、今、一番心が痛むというか、気になるのは、遺されたご家族の心のケアについてです。 特に、一家5人での楽しい誕生会が悲しい思い出になってしまった16歳の高校生のお嬢さんが心配です。 お母様とおばあさまを亡くされた悲しみの原因が自分にあるように思ってしまうのではないか、ご自身を責めてしまうようなことがあるのではないかと、そのことがとても心配です。 私の勝手な想像ですが、お誕生日のお祝いの焼肉パーティーは、もしかしたら、そのお嬢さんが「お誕生日何が食べたい?」「焼き肉!」というように、リクエストなさったのかもしれません。 そのことで、「あの時私が焼き肉を食べたいなんて言わなければ…」というように、ご自身を責めてしまうのではないかと思うと、本当に心が痛みます。 食中毒の被害に遭われた被害者の方々、ご遺族には、何の落ち度もありません。 結果に対し、全く責任がないのです。 だから、絶対に自分を責めるようなことを思わないでほしい。 そのことを強く願います できれば、優秀な心のケアの専門家がついて、そのお嬢さんをはじめ、幼い坊やを亡くされたお父様お母様など、ご遺族の心のケアを手厚く行ってほしいと強く願います。 口にした食事で中毒になり命を落とされた被害者の方々も、さぞかしご無念だったと思います。さらに、そのことで遺されたご家族が苦しい思いをすることは、もっともっと悲しくつらい気持ちになられると思いますから、ぜひ、ご遺族に対しては、十分な補償と十分な心のケアをと、願ってやみません
2011年05月14日
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みなさまこんにちは ゴールデンウィークも終わり、立夏も過ぎました。 連休の疲れを今週末に癒す方も多いのかなと思います。 私はほとんど家にいて、ひっくり返った家の中を片付けようと試みましたが、効果は上がりませんでした。しくしく… さて、今日は、とりあえずびっくりしたことがあったので、書き留めておこうと思ってブログをアップしています。医療とは関係ないお話です。 私はこの4月から『社会保障審議会 第3号被保険者不整合記録問題対策特別部会』という会議の委員になったのですが(私は年金なんて全く詳しくないし、医療の部会の委員をやって、もうこういった委員はこりごりだったので、もちろんお断りしたのですが、一般的な国民の立場としての発言でよいということで、1ヶ月くらいで終わる予定の会議だということでしたので、仕方なくお引き受けしました…)、私への取材依頼ということで、とあるテレビ局のディレクターの方からメールをもらいました。 SunChild様お世話になります。○○テレビ報道局の×××と申します。このたび、私が担当しております「○○△△…」という番組の中で、SunChild様が特別部会の委員を務める『第3号被保険者不整合記録問題(いわゆる主婦年金)』を取り上げたいと考えております。つきましては、SunChild様のご意見(部会の中で主張されたこと)や現段階での基本方針、部会の中でどのような意見があったのか等、伺いたいと考えております。突発的な災害、事件等が起こらない限りは、明日の放送を予定しております。必ずというわけではございませんが、お答えいただいた内容につきましては、ある委員の意見として番組に盛り込みたいと考えております。お忙しいところ恐縮ですが、宜しくお願い申し上げます。不明な点などございましたらご連絡ください。詳細につきましては、以下に記します。質問事項:●『第3号被保険者不整合記録問題(いわゆる主婦年金)』の中で、“すでに受給している人への対応として、過去に支払われた年金の返還をどうすべきか”ということについて、委員であるSunChild様の意見をお聞かせください。また、どういった理由でそのような結論に至ったかについてもご回答願います。●「返還を求めるべき」とお考えの場合、個人によっては、真面目に返す人がいる一方で、あえて返納しない(経済状況で大きく左右されるとは思いますが)という方が出てくる可能もございます。不公平との批判が噴出した“運用3号”でしたが、新たな救済策でも別の不公平が生まれる可能性もあるのではないしょうか。そのあたりはどのようにお考えでしょうか。●特別部会では、この過払い分の返還については、どのような意見が出ていたのでしょうか。また、現段階での基本方針はどのようになっているのでしょうか。以上 メールを読んで、目が点になりました。 メールの文中、おもに、私が驚いたポイントは、赤い文字にしてあります…。 要するにこの人、会議を一切傍聴してないし、関係者にもきちんと取材してないのね……? つまり、手っ取り早く電話とかメールで内容を聞いちゃって、それで番組一丁上がりってことなのかしら…? その安直な姿勢に、「この人、ほんとに報道のプロなのかしらん…」と、目が点になりました。 この会議は公開で、申し込めば当然、傍聴もできます。 しかも委員は部会長も含めたった6人しかいませんから、1回でも傍聴に来ていれば、6人全員と名刺交換したり、意見を聞くこともそれほど大変なことではないと思います。(医療部会なんて、30人くらい委員がいるんだから…。) 会議で委員からどんな意見が出てるかとか、今までどんな議論があったかなんて、傍聴した上で取材に来なさいよ、バカタレ…… と、思いました。 議事録だって、直近の以外は公開されてるんじゃないかしら、と思うんですけど。 そもそも、そこの局の中で、誰か一人ぐらい傍聴したり取材したりしてる人いないのかしら。その人に教えてもらいなさいよ。誰一人傍聴してないんだとしたら、それもびっくりだけど。 会議の傍聴すらしないで、偉そうに批判だけするというか、そういった姿勢で番組作っちゃうんだなぁと、改めてしみじみと情けなくなりました。 そういった人がいる一方で、別のテレビ局(某NHK)の記者さんはすごくきちんとしていて、年金の制度についてもすごく勉強されていたし、初回の会議のときに名刺交換もしたし、私の考えについても、きちんと対面で取材してくれました。彼はその後も毎回傍聴されています。(委員も少ないし、傍聴者も少ない会議なので、会場を一望すると、名刺交換したことのある人の顔くらいはすぐに見つけられます。) それに比べて、こっちのディレクターさんのレベルの低いこと…。 そもそも、常識もありません。こんなこと、放送直前に電話やメールで取材するなんて、ほんと、非常識だし失礼です。 テレビ関係の人にとっては、こういったやり方は非常識でも何でもないんでしょうかね。 まぁ、いろんな人がいるんでしょうけど…。 それにしてもびっくりして愕然としました。 今までも、その番組は見てなかったけど…。 これからも、信頼性が低い報道番組ということで、みるのはよそうと思いました。
2011年05月07日
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みなさまこんにちは 今日は、先日書いて、長すぎてアップできなかった思いを、改めてアップしていきたいと思います。 社会保障審議会医療部会は、中医協(中央社会保険医療協議会)の透明性や公正さを保つため、中医協に先駆けて診療報酬の改定の基本方針(方向性)を決めるところのはずですが、医療部会での議論と並行して(同時進行で)中医協で診療報酬の議論が進んでしまっているのですから、まったくと言っていいほど、意味のない部会だと思います。 それに、中医協を構成するのが医師会など(医療提供側)の代表と、保険者(支払い側)の代表と、有識者(公益委員)という構成ですが、医療部会の委員の中に日本医師会の代表と保険者の代表が既に入っているのですから、何をもって上部組織というのか、透明性や公平さを、こんな構造でどうやって保つのか、一般人には理解しがたいところです。 私が委員になってまず驚いたのは、前回(2年前)、前々回(4年前)の『基本方針』が、まったく同様なうえに、その当時喫緊の課題とされた問題がいまだにほとんど解決されていないこと、そしてさらに、今回(その当時=平成22年度改定に向けたもの)も、たたき台として役所が用意したものが、前回・前々回とほぼ同様のものであったことでした。 全く解決しない問題に対して、さらに同じことをしようとしているこの人たちは、一体何なのだろうかと、唖然としてしまいました。これまでしてきたことに意味がないというか効果がなかったからこそ問題がほとんど解決していないにもかかわらず、相も変わらず同じことをしようとしている、この人たちは何なのだろうか、と。 ただ、私も含め、国民の側にも非はあります。そんな体たらくで診療報酬という、巨額の、医療の中心をなすものが決められているのに、何が起こっているかを知ることもせず、のんびり過ごしているのですから。 30名近い委員が、2時間半の会議の中で、ほぼワンチャンスの発言の機会に(日本医師会の先生とか、VIPの委員の先生は、のんびりと何回でも発言されますが・・・)、それぞれの立場から、用意したペーパーを読み上げるような形式なので、議論の応酬ということになるはずもなく、本当に、形式だけのアリバイ作りの場でした。ペーパーの棒読みであっても、議事録には文章として立派な発言が残りますから、委員の方々は重責を全うしているということになるのでしょう。 がん対策推進協議会の委員だった時は、医療提供側の委員の先生方も、目指す方向性に大きな違いはなかったので、出来上がる報告書が役所の作文的でそのことにジレンマはあっても、会議自体に大きな齟齬や落胆を感じることは、私はなかったのですが、医療部会の委員になってからは、日本の医療は、もっと大きく座礁するまでは方向を変えられないのではないか、という気持ちになってきてしまい、日本の医療の未来を信じることができなくなってしまいました。 現場で誠心誠意頑張っている医療者や、高度な医療を求める患者にはつらい状況が続くのではないでしょうか。 ただ、医療従事者の疲弊や過重労働に対しては、私自身は、当事者がもっと声を上げるべきではないかと考えるようになりました。 勤務医の先生方の中には、自分たちでは言いづらいから、患者さんがもっと言ってくれ、というようなことをおっしゃる先生も多数いらっしゃるように感じますが、私たちが勤務医の労働環境について声を上げるのは、本当はお門違いかな、と思います。 本質的には、医師の労働環境(勤務医の処遇改善)については、労使交渉のようなもので(医師は労働者という位置づけではないので、勤務医にはそういう権利を与えられていませんが)、当事者である勤務医が改善を求めるべきであって、その当事者でない一般の国民は、それぞれの言い分をよく聞き、正しいと感じる主張を応援するという立場であるべきだと思うのです。そうでなければ、患者や国民の代表者は、結局医療者の立場の代弁者に終わってしまいます。 私たちは、自分たちが求める医療のために頑張っているのであって、そこにはもちろん、頑張ってくださっている医療者が疲弊しないように、ということも含まれますけれど、あくまでも、私たちの立場は、患者や国民にとっての、いい医療を求めるというものです。 そういった意味で、ハイリスクだったりハイコストだったりする医療に、もっと厚い手当てを、と求めることはできますが、その内部の複雑な配分にまで踏み込んで議論に参加するというのは、どだい無理な話です。 そういうところの議論は、有識者などの専門家でなければできませんから。 所詮、私のような患者とか一般人の代表者は、医療そのものに従事しているわけではなく、また、制度・政策や経済に関する研究を専門にしているわけでもなく、他の仕事をこなしながら、医療を受ける立場としてその議論に参加しているにすぎないのですから。すべてのことを理解できるはずもありません。 私たち国民は、求めるものをきちんと主張し、その主張に沿って複雑な制度や体制が整備されていくように監視すべきなのであって、会議の場で、専門の学者や医療者の代弁をする必要はないと思います。 私が主張したかったことは、病気の種類や経済的な理由で、受けられる医療に著しい不平等や不均衡があってはならない、ということや、医療の質が国民に対し担保される必要がある、ということでした。救える命を救ったり、機能を維持するための治療法がこの世に存在するなら、そういった医療が公平に最大限提供されてほしいということです。 高度経済成長の波に乗れる時代に確立していた治療法は、今広く提供されていますが、この10年に大きく変わった医療については、経済的な理由もあって、広く提供されているとはいえない状況です。そういったことがきちんと行われるならば、国民の負担が大きく引き上げられても、それは仕方のないことなのではないかと私は考えていました。 今の日本の医療は、国民の命に直結するようなハイリスクだったりハイコストだったりする医療と、ローリスクだったりローコストだったりする医療との、コストを除いた時間単価に大きな差がないように思います(というか、時間単価に直したら、高度な医療のほうが安いのかも…。専門的な知識がないから印象ですが。)。 まずその矛盾があるから、高度な医療を行う医療機関に問題課題が集中してしまいます。 現在の医療の問題は、監視したり矛盾を改めさせたりする機能がまったくないことに起因していると思います。 利害が直接的に影響するような医療提供サイドの人間が、制度や体制を作り上げ、報酬まで決めるような今のあり方では、あるべき姿に近づいていかれるはずもありません。 風邪や一般的な感染症で命を落としていた時代が日本でもあり、そういった病で今でも多くの命が失われる発展途上国から見れば、すぐに医療のお世話になれる日本の健康保険はやはり素晴らしいのだと思いますが、現代の価値観からみると、在り方を見直すべき時期に来ていることは明らかです。 フリーアクセスであることのありがたさと弊害、それらを解決するためにどうあるべきか、今、それぞれが、我慢すべきことや我慢できることと、やらなければならないことを真剣に議論し、すぐに結論を出し、決断し、実行していかなければならない時でしたが・・・。 「社会保障審議会医療部会は、そういうスピード感は、ゼロであった。」としか言いようがありませんでした。 ではまた~ ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2011年03月31日
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こんにちは 東京は桜も咲き始め、今日もよいお天気です。 我が家は日当たりが良く、家もとってもコンパクトなので(要するに狭い)、家でちんまり過ごしているととても温かです。 一昨日、久しぶりにブログを更新したら、まだ覗いてくださる方もあり、気負わず思うことをまた書いてみようかなと思っております。 私の医療部会の任期は3月25日までだったのですが、現在進行形で、医療提供体制について一応話し合いがされていて(一応、と書くのは、そこでの議論が、本質的には日本の医療の提供体制にほとんど影響を与えられないと感じるからです)、その報告書を取りまとめるところ(今年の6月頃)に行きつくまでは、委員を延長するということで、臨時委員の扱いになりました。 任期が終わった後の再任については、まったく考えていなかったのですが、3カ月の延長ということならばと、それについてはお引き受けしました。 この2年間いつも感じ、思っていたことを思いつくままに書いていたら、ブログの字数制限を思いっきり超えてしまいました。 分割してアップすることも考えたのですが、分割するポイントが難しいので、また改めて、字数制限内に収まるようにしてアップしたいと思います。 ではまた~ ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2011年03月29日
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ブログの更新も7カ月半ぶり、ブログも閉じようかどうしようかと考えることがないわけでもないのですが・・・。 自分自身も忘れかけているような出来事や想いがつづられているし、何より…もう、会話することのかなわないたくさんの仲間のコメントが、やはり、私にとっては宝物なので…。 これを消すのは、私の手ではできないなと思います。 ずっとブログを離れている間に、マイツールさんからとても大きな相談があったのに、気づかず過ごしてしまい申し訳ありませんでした。m(__)m いかがお過ごしでしょうか… 東日本の大震災は、本当に大きなものでした。 被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。 少しずつ復旧して、私のような素人でもお役にたてることが出てきたら、協力しますから。m(__)m 今は寒いですが、少しずつ暖かくなりますから。 まずは今を乗り切りましょう。 もし、子供服(女の子用)など、新品でなくてもとにかく衣類が必要、というようなことがあったら、娘の衣類とかありますから(上等なものではありませんが)、お送りします。 左上の「メール」の所からご連絡ください。 地震発生以来、私には何ができるだろうか、と、考えたりしています。 地震発生の当初は、2週間くらいたってライフラインがある程度復旧したら、10kgのお米の袋(自分の食糧=現地に負担はかけられませんから)と水と軍手を背負って、がれきのお片づけのボランティアに行こうか、などと考えていましたが、今回の災害はそんな規模ではなく、いまだに、私のような素人が近づくことは、かえって被災地に迷惑をかけてしまうような状況です。 今、私にできることは、自分自身が普通の生活をすること、風評に惑わされずに野菜や乳製品を買うこと、募金をすること、くらいなのだと思いました。 被災していない地域が、被災している地域の負担になるようなことがあってはならないと、つくづく思いました。 被災していない地域で、お米やパンや飲み物を買い占めしたような人たちは、ぜひ、自分たちの行為を恥じてほしいものだと思いました(乳幼児の親御さんがお水や飲み物を買うのは、今回の場合当然のことですが・・・)。テレビの映像で、東京のスーパーで、大きなお米の袋を2つも担いでいるおじさんやおばさんがたくさん映っていました。 被災地の親せきに送るのだったら仕方がないけど(でも当時、被災地への輸送は全面ストップの状態でした)、自分たちのために買っているのだとしたら、とってもさもしいというか、あさましい行為だと私は思いました。 テレビも、そういう行動を単純に垂れ流すのはどうかと思うなぁ…。 自己中心的な行動に対しては、もう少し否定的なコメントを前面に出してほしいなと、私は思いました。 今回の震災の場合、被災地は、津波の被害が甚大なので、これ以上は備えようがなかったかと思うのですが・・・。その周辺の、直接の被災を免れている首都圏などの物資不足や停電に対しては、当たり前のことをあえて言うと、平時の備えが必要だということですよね。 電池や懐中電灯は、停電など必要になってから買いに走るのではなく、普段から備えておきたいですよね。(こういうものは、普段の生活ではちょっと邪魔だったりするかもしれませんが…。邪魔だからとどこか変な所にしまいこんでしまうと、必要な時に見つからなかったりして…。) スーパーや家電量販店では、懐中電灯と電池は、棚がすっからかんで、被災地から遠く離れた近畿や中国地方でも、そういう状態が見受けられるようです。 懐中電灯などは、普段の生活ではあまり使うこともないので、懐中電灯自体はあるけど、電池が切れていた、という方も結構多かったのかもしれませんね。 友人からは、家の懐中電灯が単1電池を4つ使うタイプのもので、電池を買うのに苦労した、という話もちらほら聞いています。 普段、単1の電池なんてあんまり使わないですもんね~。 我が家は幸い、電池も懐中電灯も、家にストックしてあったのであわてて買いに走らないですみましたが、案の定、懐中電灯の電池は切れていました。単3の電池を4つ使うタイプだったので、家のストックで賄えましたけど(汗)。子どもが幼かったころのおもちゃがいろいろな種類の電池を使っていたので、それのための年代物の電池のストックが、腐らずそのままありました。 ガスコンロやストーブなどでも、着火のときに電池を使っていたりしますから、普段から、どういった電池がどの器具で必要か、調べてストックしておくといいですね。 被災地では、ガスや燃料が漏れている危険性があるうちは、ろうそくも引火の危険があって使いづらいかもしれませんが、安全性がわかった後なら、ろうそくも、灯りとしては便利ですよね。 寒いときは、少し暖かいし。もちろん、火事には注意しないと、ですが。 私くらいの世代(バブル期に結婚したタイプ)だと、結婚式のときに使ったキャンドルサービスのろうそく(そうそくの親分のような、直径10センチくらいで長さ50センチ前後の巨大なヤツ)をお持ちの方も多いのでは、と思います。いざという時のために、捨てないでとっておきましょうね…。我が家も捨ててないと思うので、探せば出てくると思いますが、我が家の場合、その前に大掃除が必要かも…ではまた…
2011年03月27日
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みなさま、ご無沙汰しております。毎日本当に暑いですね~~ものすごく円高なので、海外にいらっしゃる方も多いのでしょうか?バカンスをハワイで過ごされた方のお話によれば、 「ハワイのほうが涼しかった」ということです。 うちの子供たちは、『ゲゲゲの女房』の向井理が好きで、それが見たくて朝8時に起きるか、昼まで寝ているか、というような夏休みを過ごしています。 …というような、のんきな毎日を過ごしていましたら… 今朝、パソコンを立ち上げてメールをチェックしたら、かなしいお知らせが届いていました。 私がこのブログを始めたときからのブログ仲間というか、ブログの先輩の「さ~り☆うみ」さんの訃報でした 今日の前の、2月7日の日記に、うみさんはコメントしてくださっていたのに…。 うみさんは私よりずっとお若くて、いつも前向きな素敵な方でした。 温かな日常がつづられたブログは、うみさんのお人柄があふれていました。 とてもショックでした… うみさん、頑張っていらしたのに・・・ 私がブログを始めたのが、2005年夏。 いちごレンジャーさん、優菜のママさん、さ~り☆うみさん… お互いのお部屋にお邪魔するような感覚で、ブログを行き来していました。 みなさん前向きで、自分のことよりも人のことを気遣うような方々でした。 私一人になってしまいました。 とても寂しいです… うみさん、またいつか、会いましょうね
2010年08月12日
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みなさまこんにちは 今日の東京はとっても良いお天気、私の今いる部屋の窓からは、雲がひとつも見えません。 タイトルの通り、2月4日から2泊3日で沖縄へ行ってきました。 といっても、観光ではありません。 講演会の講師として呼んでいただきました。 講演会の当日以外もみっちりなスケジュールで、ついてから帰りの飛行機に乗るまで、のんびりした時間は全くありませんでした~~~~ 2月4日は午後1:30の飛行機で現地入りし、午後5時過ぎにホテルについらすぐにパソコンを開いて講演会の資料の手直しをし、息つく暇なく夕食…をとりながら翌日の打ち合わせ。 沖縄料理をいただきながらでしたが、分厚い資料とにらめっこしながらだから、『泡盛梅酒』とか『泡盛トニック』をいただいても、まったく酔いませんでしたあ、飲食代はもちろん、参加者のワリカンです。 翌日は 朝10時から12時まで…現地患者会の会合『がん患者ゆんたく会』の見学、 12時から…打ち合わせ、 2時から5時まで…『第4回沖縄県がん診療連携協議会』傍聴、 夕方6時から…講演会本番、 終わってから…患者会・協議会の方と懇親会 (気が付いたら日付が変わりそうになっていました…)という、とってもみっちりしたスケジュールで、 2月6日も、 朝の10時から12時まで『がん患者ゆんたく会沖縄連合会(仮称)』の見学、 1時から4時まで『第3回沖縄県のがん対策に関するタウンミーティング』(パネリスト) その後砂川恵理歌さんミニライブ~一粒の種~ 終了後タクシーに飛び乗り空港へ、家族へのお土産を買って空路羽田へ…というスケジュールで、家に着いたらもう夜の10時をまわっていました… 家族は…というと…亭主は娘たちを引き連れて『里帰り』してしまい、家にはみーこが居るだけ、さむ~~~かったです 私は名前のせいか、かなり『晴れ女』なのですが、沖縄は滞在中ず~~~っと雨が降ったり止んだりで、『この冬一番の冷え込み』ということでした。 この冬一番の冷え込みといっても、さむ~~い東京から行った身には、春の暖かさでしたが…。 『こんなに寒いとみんな家に閉じこもって出てこない』のだそうです!! 気候と同じくみんなとっても暖かい人たちばかりで、とってもとっても楽しくて有意義な時間でした。 ということで、まずは、2月4日の日記…。 2月4日は、まず、出発前にかなりバタバタしました。 なにしろ、東京は2年ぶりの雪が降った直後で、前夜も雨がぱらついたりして、節分だったけど『この冬一番の冷え込み』。 朝、子どもたちを駅まで車で送ろうとしたら(3日も家を空けるので、せめてもの罪滅ぼし…)、車についている水滴がじつは全部氷で、ワイパーをかけてもまったくとれないのです。 それでも何とかフロントガラスの氷を溶かし、駅まで送って戻ってきたのですが、我が家の駐車スペースに車を止めようとバックさせていたら、隣の奥さんが必死の形相で 『ネコちゃん!ネコちゃん!』と、絶叫していました。 やっと気付いてその場に車を止めたら、奥さんが駆け寄ってきて、 『ネコちゃんが、・・・お宅のネコちゃんが…死んじゃってるみたい・・・』 『・・・・?!』みーこは、ついさっきも家の中で床の上に伸びていたけど…????まさか、私たちが家から出た時に一緒に飛び出してしまったとか??? びっくりして車を降りてみると、駐車スペースのちょうど車の下のところに、みーことそっくりの模様の猫が絶命していました よく見れば模様の位置も違うし、顔も違うので、みーこではありませんでした。 車の下で雨をしのいでいたのか、何か怖い目に遭って逃げ込んだのかはわかりません。 ぱったりと倒れたような姿で横たわっていました。 とりあえずタオルで覆い、ダンボール箱に入れました。 住んでいる自治体のホームページで連絡先を調べると、担当は『清掃局事務所』でした 連絡をしたら、私が出発しなければいけない時間より前に、引き取りに来てくれました。 ごみの収集車ではなくてホッとしました。 手を合わせてにゃん子ちゃんを見送りました。 出発前にそんなことがあったので、夕飯の支度をしてから行くつもりにしていたのですが、タイムリミットになってしまいました 沖縄に行ったのは、実は生まれて初めてでした。 那覇空港から首里までは『ゆいレール』というモノレールでつながっていて、町の景色を楽しみながら移動できます。 便利ですね(^^) 私が泊ったのは、ゆいレール「おもろまち」下車、徒歩数分の便利なところです。 すぐ隣のブロックにはとても大きな「DFSギャラリア」があって、のぞいてみたかったのですが、のぞく時間は全くありませんでした 打ち合わせの夕食のお店は「ぱいかじ」本店です。 朝からいっぱいいっぱいだったせいで、デジカメは忘れちゃうし、でも携帯で写真撮れるからいいか~~と思っていたのに、沖縄では写真を撮るのをまったく忘れていました。 ご紹介できなくて残念です 『ぱいかじ』では、ラフテーや、豆腐のチャンプルー、パパイヤの炒め物など、名物料理をいただきました。そうそう、山羊のお刺身も! 先ほども書いたとおり、泡盛の梅酒『梅美人』と、泡盛トニックもいただきました。 あ、オリオンビールももちろん! とか書くと、『何だ、遊んでるんじゃない』と思われるかもしれませんが…・ いえいえ~~ 先ほども書いたとおり、分厚い資料とにらめっこしながらですから~~~ ただ、分厚い資料を真剣に読み解く他の参加者の方と違って、私は『ぼけ~~』っと、隣のお部屋から聞こえてくるにぎやかな三線の音や『島歌』の大合唱に耳を傾けたり、食べることを楽しんだりしておりました(^^;; 豚足料理はちょっと苦手かな、と思っていたのですが、テーブルに並んでいたので、炙ってある料理をいただきました。私は歯並びが悪いので、かじりつく料理はあまり得意ではないのです。豚足が煮込んであるほうは、すごく大きくて、かじりつかないと食べられなさそうだったからパスしました。 テレビで見たときから、『青パパイヤのいためもの』は、食べてみたいと思っていたので、 「あ、やっぱりこれおいしい」と思って、もぐもぐしておりました 沖縄は、山羊を食べる習慣があるそうで、山羊のお刺身や山羊汁など山羊料理がたくさんあるみたいです。 山羊のお刺身は2~3切れ、ニンニクとショウガをたくさんつけてお醤油でいただきました。 『山羊刺しが食べられたら、もう十分沖縄人』だそうです! 『あ、でも、山羊汁が食べられないとまだまだかな』というご意見も。 山羊汁のほうが、より、味わいがヘビーなのだそうです。 うう~~~ん。 ちょっとパスかも~~~ きれいな沖縄ガラスのコップや小皿が目にも優しいお店でした。ということで・・・・。 2月5日以降の日記は、またあとで・・・。よろしければ、1日1クリックで応援を♪
2010年02月07日
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みなさまこんにちはこの頃お天気が良いですね。私はなんだか疲れがとれません予定のないときは極力ダラダラしているのですが・・・。(かえってそれがいけないとか?)このままだと体がますますギシギシと動かなくなりそうだから、ヨガでも習おうかなぁ…。先日、どこの報道機関でも『新型インフルエンザワクチンが余っている』というニュースを伝えていました。皆さんはどう思われましたか?私の感想は、 …そりゃあそうだろうなぁ…でした。 そもそも、マスコミが大騒ぎしすぎという印象を持っていましたから。 『新型』インフルエンザに対する恐怖心というのは、もちろんありました。 でもそれは、鳥インフルエンザが人から人へ感染するように変異した、極めて致死率の高いインフルエンザに対する恐怖心であって、単なる『新型』すべてに恐怖心を持っているというわけではありません。 一番最初に『新型インフルエンザ患者発生』のニュースを見たとき、そのインフルエンザがどのぐらいの致死率で、脳症などの重篤な症状の発生率がどのくらい高いのか、ということに対する恐怖心は持ちましたが、鳥インフルエンザが変異したものではなく、症状や致死率はこれまでのインフルエンザと変わらないということが分かってからは、普通のインフルエンザに対する『かかったらいやだなぁ』という気持ちと同様の気持ちしか持っていませんでした。 少なくとも、私の周りのママ友達は、同様の感覚を持っている状態で、大騒ぎする人に会ったことはありませんでした。 5月の連休のころに第1号の患者さんのニュースで大騒ぎになっているころには、どうやらそんなに怖いインフルエンザでもないらしいということがわかってきていて、私の友人などと話すときには、『あんなに大騒ぎされて、患者さんも親御さんも先生もお気の毒。もしあれが自分の身の回りに起こったらと思うとぞっとするよね』という感じで、新型にかかるとあたかも[悪いことをした人]のように扱われることに対して恐怖を感じ、患者さんやご家族に、むしろ同情していました。 そして、『あの“封じ込め”だって、まったく意味がないよねぇ…。本気で封じ込める気があるんだったらそこの発生エリアとの行き来をまったく途絶えさせる以外に方法ないんだから。 そもそも、何の意味があって医療機関だけ封鎖するんだろうね』と、当たり前の思考と判断能力があったら、普通に感じる程度の疑問を井戸端会議していました。 9月に子供たちの2学期が始まるや否やあっという間にインフルエンザで学級閉鎖続きになっても、普段の学級閉鎖と大差ない印象しかありませんでした。 高校時代の友人と、メールでやり取りしていたらそこのお子さんが『新型インフルで学級閉鎖だし、やっと学校が始まると思ったら兄妹が相次いで発症してトホホ…』ということで『うわ~、大変ね。ママが寝込まないでね。お大事に』なんてやり取りをしている状態で、普段のインフルエンザのときと感覚的に変わりはありませんでした。 そんな状態でしたから、報道機関の人とお話しすると、新型インフルに対する感覚の温度差を感じることもありました。 どうやら、マスコミ関係の人は、一般人の過半数は、少なからずパニックに陥っていると思い込んでいる節があるようでした。 まあ、大騒ぎの渦中の取材ばっかりしていたら、そういう風に感じるのかもしれないけど。 私が、そのことを伝えると『あなたは医療関係のことに詳しい方だから』とか、『あなたの周りの人がとても冷静な方々なのでしょう』という感じで、私の言うことが『普通の人』の考えだとはあまり信じていない感じでした。『私が取材した高校では、怒りの電話やFAXがたくさん寄せられて、大変な思いをされていた』とおっしゃる記者さんもいて。 …そりゃあ、そういう変な人もいると思いますけれど…。 一般市民の何パーセントが、そういうエキセントリックな行動に出ていると思っているのだか…・。 これと似ているのが、成人式の大騒ぎの報道です。 成人式でどうしようもない輩が大騒ぎする映像も、毎年見ますけど、何百か所も成人式が行われている中で、大騒ぎになるのはほんの数か所だし、そこの会場に何百人、何千人と集まっている新成人の中で、ほんの数人から十数人が大騒ぎするだけでしょう…。 冷静に考えれば、125万人も新成人がいる中で、あの人たち全部合わせたって、100人未満でしょう。 率にしたら、0.01%もいないくらいで…・。 それなのにあんなニュースを1日中流されたら『まったく今どきの若者は…・』みたいな印象を世間は持ってしまうけど、ほとんどの新成人は迷惑していると思います。 話をインフルエンザワクチンのほうに戻しますけれど…。 そんなわけで、今回の新型インフルエンザのことに限って言えば(あくまでも、鳥インフルからの変異のインフルエンザのことではなく)、感染したところで普通のインフルエンザと大差ない症状だし、リレンザも効くみたいだし、いつものインフルエンザと対策は同じ、という感覚の人が多かったということではないでしょうか。 一般市民は、まあ、わが子には受けさせても、自分はまあいいや、という人が多かった、ということだっただけではないかと。(それに、わが子にはという人も、もう2学期に大流行してしまった後だから、いまさらもういいか、と思っている人も多いのでは…という気が…。うちもそうだし…) ワクチンの準備予定数(9000万人分)を聞いて改めてびっくり。 私のようなタイプもあわてて接種する数のうちに入っていたみたい。 鳥インフルからの変異インフルエンザのワクチンなら接種するけど、今回のはもともと、受ける気まったくなかったんですけど…・。 ただ、これは近い将来に来る『鳥インフルエンザが変異した新型インフルエンザ』のパンデミックのときには全く参考にならない現象で、鳥インフルエンザのパンデミックのときには、もっと戦々恐々とするに違いないし、本気でエリア封鎖をしない限り大変なことになるということは、忘れてはならないと思います。 ただ、国民は、マスコミの人が思っているより意外と冷静なのだということを、もっとマスコミの人が認識して、マスコミの人たち自体が大騒ぎしないでほしいなということを思います。
2010年01月27日
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みなさまこんばんは今、北海道にいます。月曜日の午後、どうしても外せない勉強会(主催者側で、私は庶務全般をしているので…)を終えた後札幌へ行って一泊し、火曜の朝伊達に向かいました。ママさんのお顔を一目見たくて、告別式に参列してきました。とても良いお顔でした。ただ眠っているようで、やつれたところもなく、お肌もつやつやでした。少し微笑んで、いつものママさんのお顔でした。「ありがとね」「な~んもだよ」ママさんがそう言って起きてきそうなお顔でした。ママさんへ行くのが遅くなってごめんね。いろんな人が、ママさんにありがとう、って言ってたよ。そうそう、伊達はママさんが『札幌より暮らしやすい』って言ってたように、札幌より雪が少ないね。列車の窓から見える景色、屋根に積もってる雪が、伊達はとっても少なかったよ。駅で乗ったタクシーの運転手さん、斎場の外には看板も出ていないのに、『そうか今日は金子さんの…』って、ママさんのことを知っていたよ。できることなら、もっと早く来て、もう少しゆっくりママさんのお顔を眺めたかったけど…。ママさんがいかに、いろんな人に愛されていたか、あらためてよくわかったから、うれしかったよ。なんだかほっとした。パパさんも、お兄ちゃんも優奈ちゃんも、きっと大丈夫だね。周りにたくさん、ママさん一家を愛する人たちがいるから。ママさんの声はよく通るいい声だと思っていたけど、カラオケ得意だったんだね。ご葬儀で聞きました。ママさんの歌は聞いたことなかったけど…。そちらでまた会った時には聞かせてくださいね。今までありがとう。ほんとにほんとに、ほんとにありがとう。ママさんには、いっぱい支えてもらいました。ほんとにありがとう。またね。いつかきっと、また会おうね。
2010年01月19日
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皆様、ご無沙汰しております。年もあらたまり、15日となりました。今年もよろしくお願いいたします。今日は議員会館をひたすら回ってきました。とある勉強会の告知のために…(勉強会の開催は1/18(月)なのに、議員向けの案内をする担当だった方が、「あれ?私の担当じゃないんじゃないの?私はタウンミーティングでいっぱいいっぱいだから」とおっしゃる始末で・・・・青ざめてダメもとで這いつくばってきました。私が頭を下げてすむ話ならいくらでも下げますけど…。この頃私も、頭を下げに行く時間がなかなか取れない有様で…。) 途方に暮れつつ議員会館に行ったのですが、エレベーターを降りたとたんに、エレベーターホールの正面のお部屋にいる女性と目が合いまして、なんとその人は、今日お会いしたいなと思っていた山本孝史議員の元秘書さんでした!!(民主党の秘書さんは、いろいろ事務所を変わられている方が多いので、その秘書さんのことも、行きの電車の中で、どの議員さんの秘書さんなのかわからないけど、今日お会いしたいなと思っていた矢先でした!!) もう、なんというか神がかり的で、山本議員のお引合せでは?!なんて思ってしまった私でした。(単純!) 今朝は、朝6時半ごろ、私の心の友ご主人のメールからはじまりました。 件名は「危篤です」でした。 彼女は、私がこの活動を始める前後からのネット上の知り合いで、こういう活動を始めてからは、私にとって、活動の原点をいつも教えてくれるような、そして、へこたれたときに温かく、さりげなく励ましてくれるような、心の支えでした。 私は、公の場で発言するとき、いつも、どうすれば彼女のような人にとって良い医療や制度になるのか、それを考え、心の片隅に置いていました。 もし、私の発言や行動に評価される部分があるとするならば、 「亡くなった会長なら何と言ったか」 「心の友にとって良い医療や制度とはどういうものか」 これが常に私の頭の中にあったからだと思います。 彼女(心の友)のご主人とお電話でお話しすると、彼女の血圧が下がり、意識もないということでした。 母を見送った経験から、下顎呼吸の状態を想像しました。 母のときには、看取ってくださった先生から「耳は最後まで聞こえていると言われていますから」と言われ、母に呼びかけた経験がありましたから、ご主人に「耳は最後まで聞こえているそうです」とお伝えしましたら、ご主人は、私が彼女と会話できるように、電話を心の友の耳元においてくださいました。 私は「心の友さん、SunChildです。 ありがとう。 頑張って。 頑張ってって言っちゃいけないのかもしれないけど。 でも、頑張って」と言いました。 心の友は今までものすごく、ほんとにものすごく頑張ってきた人です。 これ以上頑張れなんて言ったらいけないかもしれないけど… でも、もう少し頑張ってほしくて…。 私、心の友にもう一度会いたい。 たとえ意識が無くても。 でも、ひきうけているいくつかの責任があるから、今はちょっと動けない。 彼女の愛娘ちゃんのお誕生日も、2月だから、あともう少し。 今日は議員会館を回りながら、ずっと携帯電話を意識して過ごしました。 携帯電話は、聞きたくない知らせをもたらせませんでした。 心の友は、今も頑張っています。 きっとご本人が、頑張りたいのだと思います。 夕方ご主人が、「耳は聞こえています」と、メールで知らせてくれました。 頑張りたいんだよね。 ずっと頑張ってきたけど。 ものすごく頑張ってきたけど、でも、まだ頑張れるんだよね。 頑張って、って、言っていいんだよね。 頑張って。 頑張って。 がんばって できることなら、私の人生を半分こしたいよ。 私は今も考えてしまいます。 MDアンダーソンがんセンターでお会いした「私はお腹の中にがんが散らばって、治癒は望めない状態だけど、それでもこの状態で12年も生きているわ」と言った、明るいがん患者さんのように、彼女も生きられたはずではなかったかと。 あるいは 彼女の発病がもし今日なら、もっと生きられたはずなのにと。 彼女が、大腸がんの手術後から、オキサリプラチンやアバスチンの補助抗がん剤治療が受けられたなら、発病当時乳飲み子だった愛娘が小学校を卒業するまで生きられたはずではなかったかと。 ドラッグラグがあのように放置されていなかったら、救われた人がたくさんいたのに。 私が出会った、患者会の会員さんの中にも、当時承認されていなくて、高額すぎて手が届かずに、あきらめた治療がたくさんありました。 40歳にもなれずに、あるいは、やっと40歳を超えたところで亡くなった患者さんたちがたくさんいました。 心の友には何とか間に合いましたが、やっと使えたというレベルで、ベストなタイミングではありませんでした。 私が国の委員になってから、厚生労働省の報告書には『質の高い医療』とか『適切な医療』あるいは『高いQOL(生活の質)』『QOL(生活の質)の維持』といった表現がみられるようになりました。 進歩とも言えるかもしれませんが、その中身については依然として玉虫色のまま、手がつけられていません。 当事者の主観でいかようにも変わってしまう内容です。 過失がなければ、質の高い医療なのか? 故意の過失や悪意がなければ無過失なのか? 患者や家族は、ただ、大切な命を、可能な限り守りたいだけです。 この人を助けられるならば、全財産をはたいたっていい。 地の果てまでいっても、治療法があるなら試したい。 ・ ・ ・ この地域で最高の医療を受けさせたい。 日本で名医と呼ばれる先生の医療を受けさせたい。 この県で評判の良い先生に診てもらいたい。 ……これって、愛する家族がいたら、普通に思うことではないでしょうか。 これって、異常なことでしょうか? 『多大なる要求』でしょうか? 国の検討会や、医療のシンポジウムを聞くと、『患者の多大なる要求』のせいで『医療現場は疲弊している』という発言は随所に出てきます。 そのたびに、『多大なる要求』が独り歩きしてるような印象を受けてきました。 心の友が生きたいと願うこと、ご家族が彼女が生き延びることを願うこと、それは人として当たり前のことです。 多大なる要求なのではなくて、当たり前の願いです。 インフルエンザを1日で治せというのとは違います。 骨折を3日で治せというのとも違います。 救えるチャンスがあるなら、救いたいだけです。 漫然と、最期の時を迎えたくないだけです。 だからずっと頑張ってきました。 私は、そんなの人として、当然のことだと思う。 だからずっと応援してきたし、何か少しでも役に立つことをしたかっただけです。 今の私には、頑張って、としか言えない。 でも、彼女が今また、ほんとに頑張っているから、言っていいのだと確信しました。 頑張って。 ずっと応援しています。 祈っています。 頑張れるだけ頑張って。 無理はしなくていいから。 でも頑張って。 応援してる。 祈ってる。 がんばって。 これからも一緒に頑張ろうね。 あなたは、今までも、これからも、私の心の支えです。 大丈夫だよ。
2010年01月15日
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皆様いかがお過ごしでしょうか? すっかりご無沙汰しているうちに、クリスマスになってしまいました 早いもので、母の一周忌も過ぎ、喪が明けました。 公私ともに忙しく、あっという間に1年が過ぎてしまいました。 母の夢を見て涙することもこの頃少なくなりました。 春ごろは、母が元気なころの姿で夢に出てくるとうれしくて、『よかった、元気で♪』と、最初は思うのですが、夢の中で、 『あれ?それでは、一体誰のお葬式をこの間したのだっけ…?あのおばあさんは誰だっけ??』などと考えだし、 『そうだ、あれは病気をして痩せた母の姿だった…!』と、気づいて、これは夢だと、夢の中で気付くのです。そして、 『やだやだ、もう逝かせない! これが夢なんていやだー!!』と、泣きながら目が覚めることが何度もありました。 この頃は、夢の中に何げなく母がいて、一緒に買い物してたり、お茶飲んでいたりします。 目が覚めた後に、そういえば一緒だったな、と思ってちょっと嬉しいです。 母も、あちらでの生活に少し慣れたのでしょうか? 私のほうは、年内の仕事(?)はとりあえず一段落したので、これから大掃除したり、『エバー・スプリング』(←私が立ち上げた患者会)の仕事をしたり、ブログの手入れをしたりしたいと思います。 今日は家族でクリスマスです。 あ、年賀状もしなくちゃ…(これから図案を考えて印刷して…元旦には間に合いそうもありません) からだが3つ欲しいです 年末年始の期間中に、私がかかわった審議会や検討会のことなども、アップしたいなと思っているのですが・・・。 する時間あるかなぁ… ともあれ メリー・クリスマス 皆様にとって暖かい時間が過ごせますように♪
2009年12月25日
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みなさまこんばんは ご無沙汰しているうちに、8月は終わって9月になってしまいました。 あっという間に、今年もあと残り3ヶ月半です 今日は、久しぶりの更新なのに、私見と雑感です。すみませんm(__)m TBSのドラマ『官僚たちの夏』をずっと喜んで観ていたのですが・・・。 鮎川さん、無理がたたって…(←鮎川さんがわからない人は、TBSのホームページで調べましょう!) 「官僚たちの夏」にはまっていた私は、8月の第1部終了時点で、主人公“風越“や、風越の仲間たちが今後どうなるのか気になって気になって、我慢できずにwikipediaでいろいろとモデルとなっている通産省の官僚の人のことを調べちゃったので、今後どうなるのか、だいたい知っているからドキドキ・ワクワクももうないんですが… あのドラマは、私にとってはものすごく感慨深いものがあります。 ああいう官僚に会ってみたいなぁ…。と、つくづく思います。 あの時代の通産省と今の時代の厚労省とでは、環境がまったく違いますが… 「官僚たちの夏」の、風越たちは本気で「日本の未来」を思い、自分たちの信ずるところに向かって努力し、ぶつかり合い、理解し合ったり反目し合ったりしています。 やろうとしていることがたとえ真逆の者同士であっても、「日本を一流国にする」という思いは同じだったりします。 信念に従い、本気で努力し、自分のためではなく国を良くするために、役人として誠実に仕事と向き合い、自分の理想を実現したいからこそ、最高権力の「次官」をめざす・・・。 まぁ、モデルとなる人はいても、それ自体はフィクションなのですが・・・。 日経新聞の「私の履歴書」では、三菱商事の相談役をお勤めの槇原稔氏が、つい先日の9月9日、ハーバード大学留学中の1950年ごろを回顧して、「大学院にはガリオア奨学金で来られた日本銀行の石坂一義さんもいた。彼はアメリカの工業力に圧倒された様子で、『日本の自動車産業がいくら頑張っても、ビッグスリーに対抗してハイウエーを高速で走る車をつくるのは無理だろう』という。私も同感だった。それから半世紀たち、窮地に陥ったのはビッグスリーのほうだ。『先見の明がない』と言われると俯くしかないが、当時、今のような事態は夢にも想像できなかった。」と、書いていらっしゃいます。 その文章を読んだときに、日本の産業を守るために、必死になって育て、闘い、時には断腸の思いの決断もし、今日の日本を築いていった「官僚たちの夏」の風越の姿が思い起こされ、誰も想像することができない、信じることもできない未来の姿を信じ、願い、そのために必要な努力を惜しまない人間が、歴史を作ったのだなぁと思ったりしました。 私はこんな活動をはじめてから気づいたら、丸4年が経過し、5年目に突入していました。 厚労省の役人さんには何人か会いましたが、風越、鮎川、庭野のような“未来を信じ頑張る役人”“日本の繁栄のために時には苦しい決断もするが、根底には、一人ひとりの生活を思う気持ち、弱者を思う気持ちがある役人”には会ったことがないような気がします。 このブログでは『もし、あるべき姿や正しいと信ずるところに本気で突き進む、信念を持った役人が一人でもいてくれたら、もっと違った結果が出ていたかもしれない』というようなことを何回か書いているかと思いますが、ほんとに、どの役人さんも“お利口さん”で、信念であるとか、覇気だとか、気概だとかを感じたことは、残念ながら、私にはありません。 異常な速さで異動していくローテーションの在り方も、役所全体としての、仕事に対する考え方が明確に表れていると思います。 1年半や2年で、しかも前任者からのしっかりした引き継ぎがほとんどないような異動の仕方で、まともな結果の出せる仕事ができるはずがありません。 右を向いても左を向いても、当たり前のことが当たり前にいかない状態に陥っていて、こんな状態を放置しているなんて、国民を馬鹿にしているとしか思えません。 そういう、『普通の人』が『普通に感じる理不尽』を、普通のトーンで言っているだけなのですが、私の意見は『新しい』のだそうです 新しくもなんともなく、普通の人なら普通に思いつくような、当たり前のことを言っているだけなのですが…。どうも、役所の人もその周りにいる人たちも、普通の人が少ないようで… 役所の人たちは、基本的に皆さん善良だし、あれやこれやと常に忙しそうですが・・・・ 「仕事のための仕事」としか言いようがない仕事がとっても膨らんでいる感じで、家にもいられないくらい忙しいのに、国民のためになるような仕事にはなかなか手が回らない感じです。ここら辺で誰かが、こういうあり方を改革してくれたらと思うのですが・・・。 私の好きなドラマ『踊る大捜査線』では、『いいことがしたかったら偉くなれ!』というのがキーワードでしたが・・・・。 役所の人たちは、偉くなるころには『偉くなってやりたかった“いいこと”』を忘れてしまうのでしょうか? やれやれ・・・。
2009年09月13日
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みなさまこんにちは 毎日、降るのか降らないのかわからないお天気が続いていますね。 今日は、患者会に所属したり、地域や国のがん対策推進協議会の委員になっていたり、病院などで患者さんを助けるボランティアや相談員をされている方向けに、第47回日本癌治療学会学術集会の参加費用を助成するプログラムの紹介です。 10月開催の日本癌治療学会に注目 がん患者や支援者に開かれた学会を実現へ (7月14日がんナビ 記事は ) 学会に参加したいがん患者や支援者の参加費を免除、交通費、宿泊費の助成。患者会のブース設営、患者とのコラボでシンポジウム開催――。10月22日から24日に横浜で開催される第47回日本癌治療学会学術集会は、いつもの学術集会とはちょっと様子が違うようだ。------------------------------------------------------- 医学・医療分野の学会が開催する学術集会といえば、参加者のほとんどは医師で、看護師をはじめとするコメディカル向けのセッションがちらほらあるくらい、といったところだろう。そんな現況の中、がん関連では国内最大級の学会である日本癌治療学会は、今年の学術集会を「がん患者や支援者に開かれたもの」とするため、着々と準備を進めている。 取り組みの目玉は、がん患者や支援者を学術集会に招待する「スカラーシッププログラム」だ。がん患者や支援者の参加費を免除し、交通費や宿泊費を助成する。日本の医学系の学会では初の試みとなる。 応募資格は、がん患者団体や支援団体に所属する人や、国や都道府県のがん対策推進協議会の参加者など。選考を経た50人のがん患者や支援者を招待する。 対象の50人は、学術集会で実施されるセッションの聴講が可能だ。専用のラウンジも用意される。ラウンジの半分は軽食や飲料を備えた休憩用のスペースで、残りの半分は講演会用のシアターになる見込み。シアターでは、がん治療の専門家が患者向けのセミナーなどを行う。 ラウンジには、LAN環境を整えたパソコンが数台設置されるので、得られた情報をその場で発信することも可能だ。さらには、患者会などの取り組みを医療者に知ってもらうための展示ブースも出展できる。●医師+患者+行政でシンポジウム開催 同学会の新たな取り組みは、スカラーシッププログラムだけに留まらない。三つある特別企画シンポジウムの一つを「がん患者中心の医療」と題し、患者会の代表者らとともに準備を進めている(下写真)。がん治療のあるべき姿とがん対策について、医療者(学会)と患者、家族、患者会はどのような点で協業できるのかを議論するという。 具体的には、(1)がんおよびがん対策の現況と診療の可視化、(2)現場スタッフの確保の問題、(3)医療連携(がん難民の解消)、(4)医療費不足問題について――という四つのテーマについて話し合う。 シンポジウムへの登壇は、患者や支援者から3人、医療者3人、行政から1人を予定する。「立場は違うものの、がん医療を良くしたいという思いは同じはず。お互い意見を出し合って、質の高い医療を実現するための体制の充実と環境整備のために、お互いできるところからとりくんでいこう、という共同宣言を出したい」と、シンポジウムの座長を務める日本医療政策機構がん政策情報センターのセンター長を務める埴岡健一氏は話す。 シンポジウムを前に、学会会員の医師らには事前にアンケート調査を行い、診療現場の問題点を洗い出す。「がん対策基本法の施行によって現場では何か変わったか」「診療報酬の改定に向けて資源投入してほしいことは」「この数年でどのくらい忙しくなったか」--。現場の実態を浮き彫りにするところから、議論を始める考えだ。●患者との協業は医療者への啓発でもある さて、こうした学会の取り組みについて、現場の医師らはどう思っているのだろうか。今回会長を務める岩手医科大学医学部産婦人科教授の杉山徹氏は「2割はおもしろい、支援したいと思っていて、2割は『治療するのは自分たちなのに、なんだそれは』などと良く思っていない。残りの6割はよく分からない、という感じでしょうか。あくまでも私の印象ですが」と話す。 遺伝子タイプ別の治療、分子標的薬の登場――。がん治療は複雑化、個別化し、様々な選択肢が考えられるようになってきた。医療費の問題も大きい。「患者や家族の理解と協力が得られなければ、がん治療は立ち行かなくなっている。医師が、“あなたにはこの治療です”と提示するような一方通行では、信頼関係をもって治療ができない時代。今回の試みは、医療者への啓発でもある」と杉山氏は強調する。●来年以降の継続は? がん患者やその家族を巻き込んでのこうした一連の取り組みは、ASCO(米国臨床腫瘍学会)やECCO(欧州癌治療学会)が手本になった。スカラーシッププログラムや患者会による展示ブース、患者や支援者と医療者の交流の場となるラウンジの設営など、すでに1980年代には始まっていたという。 海外の学術集会に参加する患者の姿を幾度となく目にしてきた杉山氏は「最初に見たとき、あの人たちは一体何だろう? と不思議だったが、いつかは日本でも実現したいという思いに変わってきた」という。「今年がベストなタイミングなのかもしれない」と話すのは埴岡氏。例えば10年前だったら、患者と医療者は「がんを告知する・しない」という大きなテーマを抱えていて、「一緒にがんの医療を変えていこう」という機運は高まらなかったはず、という。もちろん10年後では遅すぎる。 次なる課題は、来年以降も継続できるのか? ということにある。スカラーシップの費用だけでも500万円程度かかる見込みで、ラウンジやブースの運営費も別途必要だ。企業からの協賛も呼びかけてはいるが、今回の費用はすべて学会の予算から捻出する予定という。「なんとか今年成功させて、来年以降も続けられるようにしたい」と杉山氏は語る。 スカラーシップの応募締め切りは7月31日。募集要項ほか学術集会について詳しくは第47回日本癌治療学会学術集会参照。(記事より) 私は2006年、2007年とASCOに参加させていただき、たくさんの収穫がありました。 患者会の人間同士が交流する場は、この頃増えていますが、学会で勉強しつつ、学会を構成している先生方とも交流でき、お互いに顔の見える関係になったり、意見を交換できたりしたら、両者にとってプラスになると思います。 そういう場になることを願ってちょっとお手伝いさせていただいています。 ところが、ちょっと気になるのは、この募集要項・・・・ うう・・・ 私がお手伝いに参加させていただいた時にはすでに、この募集要項は完成してしまっていて、募集も開始されていたのですが・・・・。 この書き方では…応募しようという気にはあまりならないかも、というのが心配でした…。 (私がお手伝いに参加していない立場だったら、あれを見てあえて応募するかというとちょっと自信がないです…) 杉山先生の思いを反映した書き方になっていないのが大きな問題かなぁと思います。 杉山先生ご自身は、ASCOで患者向けのラウンジや患者団体のブース展示をご覧になって、いつか日本でも、と思っていらっしゃったそうです。素晴らしい先生です。 その思いがやっと実現する日が来ようとしているわけなんですが、なんだかあの募集要項だと「勉強したい人、どうぞ応募してみて下さい」という雰囲気ではなくて、「応募しても参加資格を満たしてない人は呼んであげないから、呼ばれなくても恨まないでね」っていう書き方なんですよね。 全6枚の募集要項のうち、5枚にわたって「応募資格があるからこの要項を必ずすべてお読みください」とか「上記の要件を満たす人でも下記に該当しないことが条件」とか・・・。 ・・・はっきりいって・・・うるさい!!!くどい!!! 何となく嫌な印象を与える書き方になってしまっているのがとても残念です 癌治療学会は外科系の先生が主流の学会なので、腫瘍内科医が主流の臨床腫瘍学会の先生方とは、多少考え方が違うようです。 固形がんの患者さんの抗がん剤治療には、副作用に応じて段階的に治療薬の量を減らすことなどをなさっている先生が多数います。 固形がんの抗がん剤治療は、今のところ、再発予防(アジュバント)以外は、治癒を目指したものではなく、「元気な日を一日でも長く」という治療ですから、患者さんのQOLを良くし、がんが進行しないようにすることに心を砕いていらっしゃるのです。 癌治療学会の先生方とお話しして一番新鮮だったのは、とにかく、目の前の患者さん本位の考え方をされる先生が多いということでした。 私見ですが、私がお目にかかってお話しした臨床腫瘍学会の先生方には、残念ながら、そういう印象を持つことはできませんでした。 臨床腫瘍学会の先生方は、「エビデンス」がすべてなので、常に最大容量(マニュアル通り)の抗がん剤投与を優先し、患者の状態が悪くて、その量がどうしても投与できないときは、休薬の選択しかしないのです。(余談ですが、エビデンスエビデンスとおっしゃる割には、学会発表では、“○○に関する1例”なんて報告が平気であったりして。私としてはとっても違和感があります) そのことを癌治療学会所属の先生にお話しすると、私がお会いした先生はみなさん「それは、あなたがお会いになったのが、一部の、偏った考え方をされる先生だったのでしょう」 と、必ずおっしゃるのですが、(^^;;; (そういう、他の医師を悪くおっしゃらない姿勢も、私は好きです) いえいえ・・・臨床腫瘍学会の先生方は、体表面積から割り出された投与量以外の量を投与することは、変な宗教や変な治療法と同等の扱いで、「エビデンスに基づかない治療」とお考えなんですよ・・・・ (私がお目にかかってお話しした先生は、みんな、投与量を患者の状態に合わせて減らすなんて、考えられない、と、口をそろえておっしゃっていましたから。) そんな経験からも、私は、癌治療学会の先生方の、患者さん本位の姿勢に、ものすごく期待しているのです~~~ なんか話がそれましたが~~~ どうぞ、患者会スタッフをされている方や、患者さんの相談支援をされている方、地域や国のがん対策推進協議会の委員をされている方、この奨学金に応募なさってみてください。m(__)m 私もお手伝いさせていただいていますから、お目にかかれるかもしれませんm(__)m あの募集要項にご意見、ご質問ありましたら、どうぞ事務局までご連絡を・・・(^^) ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月29日
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みなさまこんにちは。 ご無沙汰しています。 あっという間に7月も終わりそうですね。 今日はつれづれネタです。 7月は怒涛の忙しさで、やっと一息ついたら今日でした。 子供たちは夏休み真っ盛り。 ぐーたら過ごしております。 やっぱりね~~。 勉強なんてやるわけないと思ってたわ 野放しにしている私の責任もあるかもですが・・・ 私の抱え込んでいる仕事(といっても、職業じゃありませんが)が、暇な時は暇なのですが、立て込むと、「明日できる仕事は今日はできない」という感じの自転車操業状態(?)になってしまいます。 7月は「社会保障審議会医療部会」が開催され、委員になって初めての会合でしたから、机に置いてあるペットボトルのお茶を飲むにも、手がプルプル震えるほど緊張しました。 同じ日に「新人看護職員研修に関する検討会」も開催され、そのほか、25日(土)が「患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会(患者の声・協議会)」の総会でしたので、それの準備にも追われてあたふたしていましたが、やっと終わって一息つけたので、翌日の26日(日)と、27日(月)、1泊2日で千葉の海に行ってきました。 日曜日の朝6時半に出発し、道路も順調で9時前には目的地に着きました。 東京はよく晴れていて、千葉県に入っても、田んぼや山がたくさんあるエリアはとても暑くてよく晴れていたのに、目的地の海についたら、どんより曇っていて霧がかかって、とってもじめっとしているのに肌寒いのです…。 え~~~ん、なにこれ~~~ と、車から降りずにぐずぐずしていましたが、駐車場にいても仕方がないので泳ぐことに… す・・・すると・・・亭主が一言 「水着は?」 「え??あなた入れてくれたんじゃないの?? さっき日焼け止めとかと一緒に、黄色いカバンに入れてくれたんだとばっかり思ってた」 「・・・・・・・」 亭主と長女と私の3人分の水着の入った袋が、ダイニングの椅子の上にちょこんと置き去りにされている光景がよみがえり、きっとそのまま放置されているのだろうと思いました。(次女はしっかり自分のカバンにしまって持ってきていました) 私も亭主もあんぐりしてしまいましたが、私、そういう時の切り替えは早いのです。 「考えていても仕方がない! ここら辺だったらファッションセンターし●むらとか、ホームセンターとか いっぱいあるだろうから、買いに行こう!来る途中にもあったよね? ファッションセンターし●むらだったら、激安で有名だから、子どもたちの水着も 安く買えそうだし。」 ちょうど長女も次女も水着が小さくなっちゃって買い換えなきゃ、と言っていたところでした。(今回はきつくても頑張って着る予定でしたが・・・) 車にエンジンをかけ、海水浴場の駐車場から出て走りだしたとき、長女が歌い始めました。 ♪海水浴~をしようと でかけた~ら パッパヤッパ♪ 水着を わすれて 愉快~な ○○家♪ (サザエさんのメロディーで♪) ちなみに、我が家の名字って、いそのさんに似ているのです。 あんまり間抜けでぴったりだったので、爆笑してしまいました。 ちょっと走ったら、ほんとにすぐ近くにファッションセンターし●むらがありました。 もう、水着売り出しの時期ではなくて、残っているものっていう雰囲気でしたが、奇跡的に、それぞれ長女と次女にぴったりのサイズの、ぴったりのデザインのものが一つずつ残っていました。 私のはもう何でもいいんですが、着てて見苦しくない感じのが一つあったのでそれにしました。 無事に水着を調達し、 「さあ、泳ぎに行こうか」と車に乗ったら、大食いの亭主が 「はらへった」と言うので、そのままお昼ご飯を食べに行きました。 我が家のレジャーはパターン化しているので、行った海水浴場もお昼ご飯のお店も、2006年8月10日、11日の日記と同じなのですが・・・ お昼ご飯を食べ終わったらお天気も良くなって、暑くなってきました。 でも、海の水が信じられないくらい冷たくて・・・・ それでも根性で泳ぎましたが、波にのまれて死ぬかと思ったりして、やってることも2006年と同じでした。 違ったのは、長女が高1、次女が中1になっていたことと、ちゃんと海のテントを持って行っていたことでしょうか。 高校生になっても、まだ親と一緒に遊んでくれてうれしいです。 【おまけ】 謎の看板→ 我が家で人気(?)の謎の看板です。 「リゾーン」て、何でしょう?? 海に行く途中の道にあるのです。 う~~ん、何でしょう。 リゾートでもゾーンでもなくて 「リゾーン」??? ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月27日
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みなさまこんにちは 毎日暑いですね~~ 今日は今のところ曇っていますが、なんだかムシムシします。 娘たちは今日が終業式・・・テストの結果がああなので(←って、ブログの記事にはしませんでしたが・・・)、通知表が悲惨なのはもうわかりきっているので…夏休みは頑張ると、本人たちは、今は言っています。 ほんとにやってよ~~~~ さてさて・・・。 土曜日は何かとイベントが入っていて朝から出かけたりすることも多いのですが、今日は予定がなく、娘たちも学校があるので朝から起きていました。 娘たちが出かけた後、NHKニュースを見て、そのまま朝の連続ドラマを見て・・・、合い間に、朝9:30からロボットスーツの話題をやります、と宣伝していました。 「あ、HALだ!!」 やっと実用化の日が来たんだ!!と、これは見なきゃ!!、と思ってじっくり見ました。 ちょっとウルウルっときました・・・ このブログを始めたばかりの頃、同じような時期にブログを始めた(正確に言うとちょっと私より先輩の)ブログ仲間と、お互いのブログを行ったり来たりしていました。 その中に、たいむ博士さんという仲間がいました。 たいむ博士さんは私よりずっとお若くて、博士号もお持ちの秀才でした。自称「トラキチ」の大、大、阪神タイガースファンで、ALS(筋委縮性即策硬化症)という難病と闘いながらもとても明るいブログでした。若くして難しい病とたたかい、いろいろと心の中に葛藤がおありだったと思うのですが、ブログでは、ほとんどの場合そういう部分を感じさせない明るさでした。 今はそのブログは閉じられてしまって…紹介できないのですが・・・。 KANA♪さん(のブログももう閉鎖されてしまいましたが・・・)と一緒によくたいむ博士さんのブログには遊びに行きました。 ロボットスーツHALのことは、たいむ博士さんのブログで知りました。 2005年ごろのことだったかなと思います。 夢の技術、実用化へ―――というようなニュースだったと思います。 HALの特徴は、人が筋肉を動かそうとした時に脳から信号が出て、その信号が発する電気を察知して内蔵されたコンピューターが作動し、手や足を動かす動作を補助するというものです。 (詳しくはhttp://www.cyberdyne.jp/robotsuithal/index.html その時のニュースでは、まだ一般人のところにその製品が届くには時間がかかるということでしたが、それが完成したら、みんなでお金を出し合って博士さんにプレゼントしようね、なんて会話したり。 博士さんも、「そしたらビールジョッキを持って乾杯!」と、うれしそうでした。 博士さんのALSは、その後とても進行してしまい、愚痴を書きたくないと、更新も滞りがちになり、閉じてしまわれたけれど・・・。 博士さんはこのニュース、ご覧になったかな? 介護施設向けに月額約17万円でレンタルを開始、年間500台のペースでの量産も計画、ということでした。 (詳しくはhttp://www.cyberdyne.jp/robotsuithal/information.html ) また、歩行訓練など、介護されるご本人の介助用のタイプだけでなく、介護士さん自身が着用する全身型のHALも開発されているそうで、それを着用すると体重60kgの男性を楽々と抱きあげ、腰への負担もほとんどないということでした。 すでに、デンマークのある市では、介護施設への導入が決まっているそうです。 ロボットスーツHALを開発したのは、筑波大学発のベンチャー企業「サイバーダイン社」です。 サイバーダインと言ったら、映画「ターミネーター」のスカイネットシステムを開発しちゃった会社の名前ですよね・・・ きっと、軍事転用などは絶対にさせないという意志と戒めを持ってその社名をつけたのだろうと思います。 (著作権、大丈夫なのかなといらない心配をしてしまいましたが、もちろん大丈夫みたいです) HALを開発した山海嘉之博士は「サイボーグ009」が大好きだったそうで、人の役に立つロボット技術の開発にずっと取り組んでいらした方です。 <参考> 我らクレイジー☆エンジニア http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000743 ひとりの夢が、たくさんの人を幸せにするって、ほんとに素敵だなって思います。 さらにさらにこの技術が進んで、手足を全く動かせない方にも使えるような製品も出てくるといいなと思います。 ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月18日
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みなさまこんにちは。 今日もニュースいろいろ。 これから出かけるので駆け足です。 まずは、がん検診受診率アップのためのキャンペーンから。 がん検診「謙信」キャラで推進 目標50%の旗掲げ (2009年7月10日 朝日新聞 記事は) がんの早期発見・治療をめざそうと、厚生労働省は9日、「がん検診50%推進本部」を同省内に立ち上げた。検診の受診率について、11年度までにがん対策推進基本計画に掲げる「50%以上」に引き上げるのが目標。「がん検診 愛する家族への贈りもの」をキャッチフレーズに、啓発活動に取り組む。「検診」と響きが同じ、武将・上杉謙信をモデルにしたイメージキャラクターも採用した。 日本の検診受診率は先進国の中でも低く、胃がん、肺がんで約30%にとどまる。(記事より) がん検診、予約を入れて、その日に行くというのがなかなか億劫で、ついつい私もさぼっています。 特に女性のがん検診や便潜血検査などは、女性の場合、生理日と重なったりすると受けられないので、ますます遠のいてしまう傾向があるのでは、と思います。「今日受けようかな」と思い立ったらすぐに受けられるシステムなら、受診率も向上するかな、と思います。 早期発見なら、がんはもうほとんどが治癒できる時代です。 それに、早期発見なら、手術で取り除く部分も小さくて済むし。 …と、私もわかってはいるのですが、なかなか・・・。 今年こそ、受けるぞ!! さて、次のニュース。卵巣がん、抗がん剤が効きにくい原因物質解明 阪大など (2009年7月14日 日本経済新聞 記事は) 医薬基盤研究所の仲哲治研究部長と大阪大学の木村正教授らのチームは、卵巣がんの中でも抗がん剤が効きにくいタイプの原因物質を突き止めた。「アネキシンA4」というたんぱく質で、細胞膜にあり、抗がん剤を細胞の外に排出する働きを持っていた。この作用を抑える薬剤が見つかれば、抗がん剤による治療効果を高められると期待している。 卵巣がんは国内で毎年約7000人が発症するがんで増加傾向にある。4タイプに大別できるが、全体の2割を占める「明細胞腺がん」は抗がん剤が効きにくい。 研究チームは各タイプの卵巣がん患者から手術時に摘出したがん細胞を詳しく比較。明細胞腺がんでは、アネキシンA4が多く働いているのを突き止めた。抗がん剤が効くタイプの「漿(しょう)液性腺がん」の細胞にアネキシンA4を導入すると、抗がん剤の効果が半分以下に低下するのも確かめた。(記事より) つい数年前までは、乳がんの「Her2因子」強陽性の患者さんは、抗がん剤の効果が出づらく、進行が速いということで予後不良でしたが、「トラスツズマブ(ハーセプチン)」の登場により、大きく予後が改善、多くの患者さんに希望の光がともりました。 この「アネキシンA4」についても研究が進み、抗がん剤の効きにくい2割の「明細胞腺がん」の方に、早く希望の光がともることを願っています。日本化薬、救急薬品とがんの痛み緩和薬で第2相治験 来年にも (2009年7月15日 日経産業新聞 記事は) 日本化薬は救急薬品工業(東京・中央、稲田裕彦社長)と共同でがんの痛みを緩和する治療薬の開発を進める。医療用麻薬を含有したフィルム剤について、2010年にも第2相臨床試験(治験)を始める方針を決めた。日本化薬の医薬事業は抗がん剤が主力。がん治療に関連する医薬品の開発も進め、売り上げ拡大を目指す。 開発候補物質「NKQ―01」は医療用麻薬のフェンタニルを含んだフィルム剤で、歯ぐきにはり薬を体内に吸収させる。06年から欧州で第1相治験を実施、このほど試験を終え良好な結果を得たという。救急薬品工業が持つフィルム剤の技術を生かした。15年の発売を目指す。(記事より) 有効成分自体は、フェンタニルなんでしょうか?この記事からだとよくわからないけど。 もし、有効成分が同じなら、今あるフェンタニルパッチに比べて、どのくらい患者さんにとってメリットがあるのかよくわかりませんが・・・。(歯ぐきに貼る??口の中にフィルムを貼るほうが、不快感がありそうに思うけど…どうなんでしょう??) でも、皮膚がかぶれやすい人や、皮疹がたくさん出ている患者さんにとっては大きなメリットかもしれません。やはり、当事者でないとわからないニーズがたくさんありますから。 ということで、今日はニュースを3つお伝えしました。 ではまた~~~ ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月16日
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みなさまこんにちは 夏休みまで秒読み、今日はこちらは夏の青空です。 東京は、7月がお盆なので、13日には母の新盆でお迎え火をたきました。 両親が元気なころから、私の実家では7月13日にお迎え火、7月15日に送り火を焚いていました。 今日は送り火です。 早いもので、母が逝ってからもう半年以上が過ぎました。 母の終末期・・・その時期には、私も母もまだ終末期だなんて思っていませんでしたが・・・。振り返ってみると、昨年11月後半、あのあたりのころからが終末期だったのだな…と思います。 母のがんには腫瘍マーカーが反応せず、スキルス胃がんで画像上もあまり映らなかったので、がんの進行を確認できるものは、母の場合、PET-CTくらいしかありませんでした。 PETは胃がんには保険適応がないため、1度の撮影に13万円ぐらいを投じていました。 胃がんの場合、日本で承認されている治療薬以外には今のところ世界的に見てもほとんどエビデンスがなく、TS-1がダメになった後は、あっという間に八方塞がりな状態になってしまいました。 画像も腫瘍マーカーも母のがんの進行を伝えてはくれないけれど、段々に母は不調が多くなり、あまり動きたがらなくなりました。食事もあまりとらないし、エンシュアリキッドもほとんど飲まない…。 当然、不調のスパイラルに入っていきました。 見えないものは、存在しないもの・・・・ そんな風に考えていたわけでもなかったけれど、私は、栄養をとるとか、筋力を維持するためにもう少し動くとか、母なりの努力を少しでもいいからしてほしいと思ったりしました。 兄はその辺り、達観していたというか、母の好きに過ごしてほしいということで、あまりうるさいことは言わなかったようです。 母の状態が良くないから、治療もできないことが多くなりました。 治療できないのだから、当然がんはますます進行していたと思います。 それを確認することはできませんでしたが・・・。 母の主治医は、母の状態については、母の自助努力があまりにも足りないと考えていたようです。 私もそう考えていたけれど、そうではなかったのかもしれません。 11月になり、私はじわじわと、「母はお正月も越せないのではないか」と、不安を覚えるようになりました。 兄も母も、まだもう少し時間があると考えていたようでした。 私は、少しでも、できる努力をすることが、いい状態を長くすることにつながるのだから、と、母や兄に危機が迫っていることを伝える努力はしましたが、あまりかみ合いませんでした。私は母と同居していなかったので、基本的には兄にすべて依存していましたから、兄は、私が言うようにはとてもできない、とも言っていました。 諦めるというつもりはありませんでしたが、現実は、受け入れていくしかありません。 できることしかできないのです。 私が母のことすべてをできる状況でもなかったし・・・・。 11月のいつのころだったか、晴れた昼間、実家のリビングのソファーの上で、母と一緒にひざかけ毛布をかけて、のんびりしていました。 実家でのんびりするのは久しぶりだったし、今から思えば、あれが、母の死を(不安に思いつつも)意識しないでのんびりくつろいだ最後だったかな、と思います。 母は、生協などのカタログをせっせと見て、お正月にみんなで食べる食べ物を吟味していました。 「あら、これおいしそうね」 「これもいいわね」 うれしそうにそのカタログを見て丸をつけていく母の横にいて、なんとなく、とても安心して幸せに感じたことを、今も思い出します。 なんとなく、このまま平和に時間が過ぎて、このままいつも通りのお正月を迎えられるのかな、という気持ちにもなっていたりしました。 現実はそうではありませんでしたが・・・・。 がんがそんなに悪化しているようにも見えないのに、それからしばらくして、腹水がたまり始めました。 スキルス胃がんだから、腹膜に転移したがんが腹水を産生していると考えられなくもありませんでしたが、アルブミンがとても低い値だったから、アルブミンを投与してもらえれば状態が良くなるのではないかとも思いましたが・・・・。 母が手術をした当初、TS-1のアジュバントはとても遠くて、たどり着くまでに私は苦労しましたが・・・。今回も、アルブミンのハードルが高くて、母が亡くなるまでに、アルブミンの投与を受けることができませんでした。 母は、がんで亡くなったというより、生体を維持するのに必要な物質が足りなくて、突然逝ってしまったというほうが正しいかな、と思います。 母は、再発後もずっと普通の生活をしていましたが、12月に入って腹水がたまりだし、腹水のせいでますます食事もとれなくなったので、一般病院に1週間ほど入院しました。体が、生命を維持するギリギリのところまで「飢餓」のような状態に入ってしまっている感じでした。 入院した病院では、緩和ケアの病院病床ではないからという理由で、アルブミンの投与はしてもらえませんでした。生理食塩水に利尿剤を混ぜた点滴だけを受けていました。 それでも、それだけでもずいぶん楽になったと言っていました。 在宅緩和ケアだったら、もっと十分な緩和ケアが受けられるということで、急ぎそれらの準備を整えて、金曜日にやっと退院したのですが・・・。 入院していた病院では、母のPTCDチューブのケアもできないということで、退院の時に、PTCDの処置をしていただいた病院を回って、チューブの詰まりを洗浄していただいてから帰ってきました。 母は兄にちょっと手をひかれるだけで、自分でちゃんと歩き、何時間も待合室で座って待たされてから帰ってきました。 私は、なすすべもなく、母の好物を用意して家で待つだけでした。 日本の医療制度がおかしくて、こんなばかばかしいことをしなければならないことにも、私は、仕方がないと受け止めていました。 母の退院を気遣ってメールをくれた方に、退院はしたけれど別の病院を回って処置してもらってから帰ってくるから、まだ、家についていないとお伝えすると、その方は、「一体患者を何だと思っているのでしょう!」と、私の代わりに怒ってくれました。 私は、その一言でなんだか目が覚めました。 退院した日、母のベッドを囲んで、みんなで食事をしました。 母も、おいしいおいしいと言って、いつもよりたくさん食べてくれました。 私はその時、これからは母もちゃんとした緩和ケアを受けられて、クリスマスとお正月を、家で迎えられるのだとホッとしていました。 腹水も、抜くことが心臓の負担になって、多少命が縮まることがあるとしても、それで少しでもおいしいものがたくさん食べられるようになるのなら、そのほうがいいな、と思っていました。 クリスマス前の22日あたりに、腹水を抜きましょうか、と、在宅の先生と相談していました。 私も母も、兄も子供たちも・・・・ 母の死は避けられないにしても、まだ数日はあると思い込んでいました。 それから48時間後には、母はもうしゃべれなくなっているとは、夢にも思いませんでした・・・・。 適切な緩和ケアを受けて、もっと静かな最期を迎えさせたかったなと、そのことは心残りです。 必要なタイミングで必要な処置を受けられれば、もう少し穏やかな日々が過ごせただろうにと…。 母の最期の言葉は「くるしい」でした。 母も、遺された日々は長くないと思いながらも、まさか、今ここで亡くなるとは思ってもいなかったでしょう。 私や兄や孫たちに、言葉を残すことはありませんでした。 自分でトイレにも立てるくらい元気だったのに…。 生命を維持するのに必要な有機質などが足りなかったせいで逝かせてしまったなんて。 亡くなった母の体からは、便などの汚物はほとんど出てきませんでした。 母の葬儀の終わった翌日、母の注文していたおせちやごちそうが実家に届きました。 今、私の願うことは、2つあります。 1つめは、 必要な人に、必要な医療を提供できるようになってほしいということ。 なぜ、医療の制度は今、こんなにも患者本位ではないのだろうと思わずにはいられません。 体験した者にしかわからない落とし穴がたくさんあります。 必要な人が必要な医療を求めるだけなのに、ひどい言葉を不用意に言う医療者もたくさんいます。 切実な、切羽詰まった言葉は、モンスターペイシェントのそれではありません。 傷つく患者の気持ちのわからない医療者には、医療者であってほしくない。 医師不足、看護師不足が叫ばれて久しいですから、明らかに不適格な人でも、その人が辞めない限り職にあぶれることはありません。 供給をもっと増やさない限り、不適格者でも立ち去らせることができませんね。 2つ目は、必要なタイミングで、必要な医療(緩和ケア)を、患者さんの側も受けてほしいということです。 私は、今でも、母の最期の「くるしい」と言っていた姿が脳裏に焼き付いています。なるべく思い出さないようにはしていますが、とてもリアルに細部まで焼き付いています。 ・・・それはとても悲しいことです。 十分な緩和ケアを受けて、静かな時間を、家族と一緒に1日でも、1時間でも長く過ごしてほしいです。 そして、静かな時間の中で、いろいろなメッセージを、家族に伝えてほしいです。 その時間が、そのメッセージがきっと、遺される家族にとって宝ものになると思うから・・・・。 ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月15日
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みなさまこんにちは 昨日は、NPO法人ブーゲンビリア主催のシンポジウム 「救われる命を失わないために 今、私たちのできること」に、パネリストとして参加してきました。 その様子がTBSの朝のニュースで放送されましたので、ご紹介します。 (ちなみに私は一瞬映りますが、ほとんど背景の一部です) より良いがん医療を、シンポジウム開催 (2009年7月13日 TBSニュース 記事・動画は) 「東京を変えれば日本のがん医療も変わる」。東京都議選の投票日だった12日、「東京のより良いがん医療をつくる会」が立ち上げられ、記念シンポジウムが開催されました。 「患者本人の意向が十分尊重されたがんの治療法の選択、それをどう実現させてあげるか」(都立駒込病院 佐々木常雄 病院長) 「救われるいのちを失わないために 今、わたしたちのできること」と銘打たれたこのシンポジウム。がん医療を変えるには、政治を動かすことが最も有効な手段であると、国会議員らを招いて開かれました。 東京には高度な医療を提供できる医療機関が多数存在するにもかかわらず、乳がんや女性の大腸がんによる死亡率は全国でワースト1です。さらに、いわゆる「がん難民」問題やがん検診の受診率が低いなど東京は、さまざまな問題を抱えています。 そこで、NPOの理事長らが「東京のより良いがん医療をつくる会」を設立し、山積みの問題を1つ1つ解決することで東京だけでなく日本のがん医療を変えようというものです。 「東京のがん医療を変えることで、日本のがん医療、さらには日本の医療そのものを変えていきたい」(NPOブーゲンビリア 内田絵子 理事長) 「つくる会」では、9月に、タウンミーティングを開き、患者の生の声を集めることから活動を開始したいとしています。(記事より) 少しずつ、少しずつ、よりよい医療を自分たちで実現していこうという輪が広がっている気がします。 シンポジウムのなかで、ドラッグ・ラグにたいする取り組みを報告されていた、卵巣がん体験者の会スマイリー代表の片木美穂さんは、NTVの特集などでも大きく放送されていたかたで、がんばっていらっしゃるなぁといつも、陰ながら応援していました。 リレー・フォー・ライフ東京のとき、スマイリーさんは私と、母と、兄と、長女と、4人並んだ写真を撮ってくださって、わざわざ焼き増しして送ってくださったことがあり、とても感じのいい方、とても感じのいい団体だなと思った印象があります。 その後これまであまり接点がなかったのですが、今回たくさんの話ができて、とてもうれしい出会いでした(出会いじゃなくて、再会かな?) 課題はたくさんありますが、一緒に頑張れる仲間も増えてきて、いろいろなことが少しずつ進んだり形になったりしているのがうれしいです ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月13日
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みなさまこんにちは ここ数日、とってもバタバタしておりました。 いろいろご紹介したいことがたくさんあったのですが、その時間をとることができませんでした。 まずは、タイトルの「東京のよりよいがん医療をつくる会」の調査のニュースから。 都議対象のアンケート調査、約半数が 「東京のがん対策に不満、予算不十分」と回答 (2008年7月9日 がんナビNews 記事は ) 東京のより良いがん医療をつくる会は、現職の東京都議会議員(2009年6月末時点)に対し、東京都のがん対策に関するアンケート調査を実施した。その結果、議員の約半数が東京都のがん対策は不十分と感じていることが明らかになった。 有効回答数は58人(都議会議員全体の46.4%)。「東京都における、現在のがん対策のための予算は十分か」との問い対し、「あまりそう思わない」が4人、「そう思わない」が24人で、合計28人(48.3%)が予算不十分と回答した。また「東京都における、現在のがん対策に満足か」との問いに対する回答も、ほぼ同じだった。 一方、厚生労働省がん対策推進協議会のがん施策・予算提言ワーキンググループが2009年2月、行政関係者に患者や市民、医療関係者を交えた、東京都と宮城県で開催のタウンミーティングで同じ質問をしたところ「予算については86%が不足、がん対策については84%が不十分と回答した。現場と行政では、認識にずれがあるようだ」と同会設立発起人の一人であるグループ・ネクサス理事長で厚生労働省がん対策推進協議会会長代理も務める天野慎介氏は語った。 同会は、地方自治体単位でのがん対策推進、がん医療の向上を目指し、この6月に設立した。設立発起人は天野氏のほかブーゲンビリア理事長で前東京都がん対策推進協議会委員の内田絵子氏、がんと共に生きる会副会長で前厚生労働省がん対策推進協議会委員の海辺陽子氏。(記事より)◆ホームページはこちらです↓ 東京のよりよいがん医療をつくる会 東京都議会議員選挙、明日ですね。(あ、もう、今日か・・・) 私の家の周りも、候補者の宣伝カーが声を張り上げて回っていました。 都民の方は、どうぞ、投票の際の一つの参考となさってください。 有権者は、絶対に投票に行きましょう!!! さて、続きまして・・・・ がん幹細胞からiPS細胞 米大など成功、治療法への応用も (2009年7月9日 日本経済新聞朝刊 記事は) 米ハーバード大の森口尚史研究員と東京医科歯科大などは、がん細胞を作り続ける「がん幹細胞」を使って新型万能細胞(iPS細胞)を作り、これを正常な細胞に変化させることに成功した。新療法につながる成果で8日からスペインで始まった国際幹細胞研究学会で9日発表する。 がん幹細胞はがん細胞のうち、自己複製しながらがん細胞を作り続ける少数の細胞。抗がん剤が効きにくくがんの再発原因とみられている。(記事より) iPS細胞、採取部位で腫瘍発生に違い 山中教授ら突き止め (2009年7月10日 日本経済新聞朝刊 記事は) 【バルセロナ=吉野真由美】京都大の山中伸弥教授と慶応大の岡野栄之教授らは、再生医療への応用が期待される新型万能細胞(iPS細胞)を作る際、体のどの部位の細胞を使うかで腫瘍(しゅよう)のできやすさが異なることを突き止め、スペインで開催中の国際幹細胞研究学会で9日発表した。iPS細胞の移植の適否を判断する重要な手掛かりになる。 研究チームはネズミの胎児から成長すると皮膚になる細胞や、大人のネズミの胃の上皮、しっぽ、肝臓などから細胞を採取しiPS細胞を作製。それらを神経のもとになる細胞に育て、ネズミの脳に移植した。(記事より) すみません。 取り急ぎ、駆け足でのご紹介でした。 ではまた~~ ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月10日
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みなさまこんにちは 今日はこちらは雨です。 3日連続でブログを更新したのって、2年ぶりぐらいかもです。 できるときにしておかないと・・・。 今週は木曜日まで予定びっしりです。 あ、娘たちは今日から期末試験です さて今日は、がんサバイバーで、アメリカのがん患者支援組織「ランス・アームストロング財団」のランス・アームストロングのニュースです。 アームストロング、まずまずの初日/ツール (2008年7月6日 サンケイスポーツ 記事は)世界最高峰の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスは4日、モナコで第1ステージの個人タイムトライアル(15・5キロ)を行い、4年ぶりに出場したランス・アームストロング(米国)はトップと40秒差の10位だった。 2005年以来の出場となったアームストロングは、再び挑んだ大舞台の初日をまずまずの成績で終えた。「トップになれると思っていなかった。ツールのスタート台に立つ気持ちを久しぶりに思い出した」と感慨を語った。 7連覇中、個人タイムトライアルで3位に入れなかったのは03年の1レースだけだった。全盛期に比べ見劣りする結果ともいえるが、37歳のスター選手は「心拍数は196まで上がった。自分としては精いっぱいだった」と冷静だった。(AP)(記事より) がんばれ~~~! さて、ランス・アームストロングと言ったら、がんのサバイバーとして世界中のあちこちから講演やCMにと引っ張りだこですが、自分の肖像権やギャラなどの収入を「ランス・アームストロング財団」の資金とするため、絶対に出演料を値引きしないことでも有名なようです。 日本などに呼んで講演をしてもらおうと思ったら、主催者がお金のないボランティア組織でも、最低1000万円は必要とか。企業だったらもっとかかるのかな? ただ、私が2006年、2007年とアメリカへ視察というか勉強の旅に行った時に、アームストロング財団がとてもよい活動を展開しているのをしっかり見てきましたから、アームストロングが銭ゲバとは少しも思いません。 若年層のがん患者向けにいろいろなサポートプログラムを持っていましたし、普及啓発の冊子もたくさん出していました。 移民の人たちの中には英語が読めない人もたくさんいますから、同じ内容の冊子で、スペイン語版も出していました。 冊子一つ出すにもお金がかかりますし、安定的に、良いサポートプログラムを、患者さんに対し無償で提供しようと思ったら、たくさんのまとまった資金が必要になります。 スタッフにも、きっちりプロとして仕事をしてもらう必要がありますから、その人たちの雇用を支えるお給料も、十分に準備する必要があります。 日本の介護スタッフみたいに、大変な仕事を24時間体制でやってもらっているのに年収200万円、なんていうのでは、心ある優秀な人材を、その人がつぶれるまで使い倒すようなことになるわけですから・・・。 財源確保は、その組織の安定的な運営のために、絶対必要な課題ですね。 日本の場合、いろいろなところがまだまだ未熟で、患者会や患者支援組織の在り方も課題が多いと思います。 財源の問題は、どこの組織でも大きな問題ですが、そもそも、日本では小さな患者会がたくさんあるという形だから、個々の患者会になかなかお金が集まらないのは当たり前といえば当たり前かもしれません。 また、人材確保・人材育成も大きな課題で、老舗の大きな患者組織でも、設立時のメンバーが高齢化して運営がままならない、というようなお話を耳にしたことがありますし、そういう古くからある患者組織ではなくても、やはり、やる人にどんどん仕事の負荷が来てしまう傾向があり、しかも、負荷のかかっている人に対し注文をつける人まで出てきたりしますから、「もう、やってられない」と、その人が辞めてしまうようなこともよくあるようです。 今後は(といっても、長いスパンでの「今後」ですが)、それぞれの会が、企業同様に「使命・目的」「組織としての社会的責任」「構成メンバーの責務」を問われるようになるだろうと思います。 今後、日本において、医療行政の場というか政策決定の場に、患者や市民の立場の代表が参加する場面が増えてくることは、他の先進国がそうであることを見ても、間違いないだろうと思います。 現在は、そういう代表をきちんと選考するシステムが日本にはないし、そもそも、そういう人材がなかなかいないというか、どこにいるのかわからない、という現状がありますけれど・・・。 でも今後、先ほどの課題をきちんとクリアした団体が多数存在するようになれば、素晴らしい代表者を多数輩出できるようになるだろうと思います。 例えば、昨日このブログでご紹介した「がん対策推進協議会委員」の天野慎介さんが理事長をしていらっしゃる「NPO法人グループ・ネクサス」は、悪性リンパ腫の患者・家族が会員となっている会ですが、会員は全国に1500人、東京の世田谷区に事務所を構え、安定したよい活動を展開されています。 こういう組織が増えていくには、まだまだ、時間はかかるかな、と思いますけれど・・・・。 ありゃ…ランス・アームストロングから、随分話題が遠くなっちゃいました・・・。 今日はこのへんで・・・m(__)m ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月06日
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みなさまこんにちは 今日は雨は降らないのでしょうか? 今のところとっても涼しいです。 昨日に引き続き、がん関連のニュースのご紹介です。 今日の日経新聞の医療欄の「最前線 ひと」のところには、現在のがん対策推進協議会の患者側代表委員であり、グループネクサスという悪性リンパ腫の患者・家族の会(NPO法人)の理事長である天野慎介さんが大きく紹介されています。 こちらのブログでも記事をご紹介したかったのですが、「ひと」欄は、NIKKEI NETに無いようで、全文ご紹介できません 新聞でご覧くださいm(__)m 天野さんのお写真も大きく載っています 天野さんは「がんの普及啓発懇談会」の委員も務め、とても知的で謙虚な方です。 患者代表として、どの側面から見てもふさわしい方ではないかな、と思います。 患者サイドの人間だけでなく、医療者からの信頼も厚い方です。 この活動をしていると、ほんとにいろいろな方がいて、いったいホントのところでは、この人何がしたいんだろうと首をかしげたくなるような方もいらっしゃるのですが、天野さんはまったくそういうところがなく、非常に公平で、目的が明確です。 ぜひ、こういう素晴らしい方が日本の医療界(患者サイドの)を代表する「顔」になって、医療政策をリードしていってくださったらな、と思います。 そのほかの4名の患者代表委員の方々も、それぞれに持ち味があって皆さん素晴らしい方ばかりです。 5人のチームワークもよく、皆さん目的に向かって努力されている方ばかりですから、どうぞこのブログをお読みになっている皆さんは、がん対策推進協議会の患者代表委員を応援して下さいね。 さてさて・・・ 今日はそのほか、2点の記事をご紹介します。 まずは、今日のブログタイトルの記事 バイオ抗がん剤、製品化へ ──塩野義や武田、海外大手に対抗 (2008年7月5日 日本経済新聞朝刊 記事は) 製薬大手が相次ぎ、バイオ抗がん剤の製品化に着手する。塩野義製薬はがん治療用ワクチンの臨床試験(治験)を2009年度中に始める方針。武田薬品工業やエーザイは、がん細胞に反応する抗体を使う医薬品の治験に入った。バイオ医薬品は従来の化学合成薬より副作用を抑制できる可能性があり、今後10年で抗がん剤市場の主流になると判断。抗がん剤開発の中核にバイオを据え、海外大手に対抗する。 塩野義が開発するがんワクチンは、がん細胞だけに発生する特殊なたんぱく質をワクチンとして投与し、体内の免疫細胞を刺激してがん細胞を攻撃する仕組み。ぼうこうがんが対象で、今年度中に国内の患者に投与を始め安全性を確かめる。効果を確認できれば海外治験も検討する。(記事より) がん細胞の増殖を抑えたり、縮小させたり、消滅させたり、きちんとした効果が確認されて、それが証明されているワクチンが増えてくるのはうれしいことですね。 がんに対する有効性が確認されているワクチンはまだ数少ないですが、子宮頚がんを予防するワクチンなどは、「人類が初めてがんを制圧!」というほど、センセーショナルでした。 このブログは楽天の無料ブログを利用しているので、変な宣伝を完全に削除することができないのを残念に思っていますが、それに対抗するには、「正しい情報を患者が選びとる力をつけること」と、「有効な、希望ある治療法が多数確立すること」に尽きると思います。 子宮頚がんを予防するワクチンの開発に貢献されたハラルド・ツア・ハウゼン博士は、2008年ノーベル医学生理学賞を受賞されています。 「これでがんが消えた!」が、多くの人に有効な治療なら、その治療を開発した人は間違いなくノーベル賞受賞ですよね。 さてさて・・・ 次のニュースは、子宮頚がんの無料検診に関するニュースです。 女性のがん無料検診、10年度も予算要求 厚労省 (2008年7月3日 日本経済新聞朝刊 記事は) 厚生労働省は一定年齢の女性を対象に今年度のみの措置として6月から実施している子宮頸(けい)がんと乳がんの無料検診について、来年度も予算要求する方針を固めた。要求額は200億円程度を見込む。少なくとも5年間は無料期間を継続する構えで、女性が年齢によって無料検診を受けられなくなる不公平を解消する狙い。 厚労省は女性がん検診の無料化経費として216億円を2009年度補正予算に計上。対象は、子宮頸がんが昨年4月2日から今年4月1日までに20、25、30、35、40歳になった人、乳がんが同じ期間に40、45、50、55、60歳になった人とした。ただ、単年度の措置であるため、対象年齢に該当しない女性との不公平性が指摘されていた。 (記事より) 「バラマキ」と悪名高い補正予算の中で、なぜか議論が見えないうちに、厚労省は、がん予算としては女性のがんの検診の無料クーポンに200億だけ取って、あとはほとんど何もせず、という感じでした。新型インフルとかで忙しかったのはわかりますけど~~~ 「なんでいきなりこれなのかな?」 「単年度単発の予算なのに特定の年齢の人だけなのでは、それ以外の人に不公平では?」という疑問がありました。 その辺り、第10回がん対策推進協議会で、天野さんが鋭く切り込んでいらっしゃいました。ありがたいことです。m(__)m 少なくともこの記事を見る限りは、該当年齢ではないせいで受けられない、という不公平が解消されることになります。 早期発見のためには検診を受けることです。(ちゃんと診断してもらえれば、ですが) 私も忙しさを理由にいろいろ検診を受けてませんが、今年はちゃんと受けようと思います。 自分の健康のための義務ですね。 なお、この検診については、その協議会の席上で日本医師会常任理事の委員の方が、 「急にこんなに予算がついても、きちんとした精度の保たれた検診が行えるのか、準備期間もなく非常に不安がある。」というような発言をされ、座長の垣添先生は 「もっともなご意見だ」とおっしゃっていました。 私は傍聴していて、ほんとに厚労省も医師会もなってないなぁ…と思わずにはいられませんでした。 これまでの協議会では、日本医師会の理事の委員は、「がん検診事業への十分な金銭的手当て」を求めるご意見をくりかえし述べられていました。 いざ、検診にど~~んと予算がついてみたら「対応できない」では、あいた口がふさがりませんでした。 厚労省も、いきなりどうしてこれになったのか、明確な説明ができませんでした。 若い女性を対象に、子宮頚がんを封じ込める事業を展開すれば、現在毎年20歳代の女性で1000人以上、30~34歳で2000人以上の患者さんが、子宮頚がんを発症するのを防ぐことができます。 子宮頚がん予防ワクチンを、性交渉を開始する前に接種しておけば、この3000人以上は、発症しなくて済むのです。 また、2年に1度、十分な(精度の保たれた)子宮がん検診を受けていれば、前がん状態からチェックでき、子宮を摘出しなければならないほどがんを進行させることなく、がんの治療を受けることができます。 そういう明確な目的のもとに予算が組まれたのであれば、厚労省も協議会の席でそれらがすらすら言えたはずではと思うのですけれど・・・。(予防ワクチンの接種には予算が取れてないから、結局、封じ込めるという目的で組まれた予算でもないわけですよね) 不透明な中で、適当に、出来そうなことしかしない…というお役所の在り方には、ほんとにうんざりしています。 個人個人の役人は、それぞれ普通にいい人かもしれませんが・・・。 自分たちの対応が、国民一人ひとりの生活や幸せに直結しているという意識があまりにも希薄だなぁと思います。 ただの専業主婦でも、ちょっと勉強すればこのぐらいの意識を持つのにねぇ・・・。 ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月05日
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みなさまこんにちは すっかり梅雨になってしまいました。 …というか、そのうちに梅雨明けかもしれませんね ご無沙汰しています。 皆様お変わりありませんでしょうか? がん対策推進協議会も2期目に入り、協議会のメンバーも一部入れ替わりました。 患者・家族・遺族を代表する委員は5名に増え、新しい顔ぶれとなりました。 先日(6月24日)第10回がん対策推進協議会が開催され、任期満了で委員を卒業した私は、傍聴席から傍聴しておりました。 患者側代表委員の方々は皆さん素晴らしく、私は安心して卒業できる思いがしました。 協議会の他の委員(医療者の委員)の方々も、患者の声を反映させることの意義を認めてくださっているような雰囲気がありましたし、なにより、あきらめずここで真剣に話し合い、提案などを作り上げていくことが、現状を変えていく一歩になるのだという雰囲気がみなぎっていて活気がありました。 医療の現場がすぐに変わることはなくても、少しずつ変わってきているのではと思います。 相変わらず、「現場は大変だ」としかおっしゃらない方々もたくさんいますが、「現状を変えるには、自分たちが変えていかなくては」という意識をお持ちになって行動される方が、医療者の中にも増えてきているのを感じます。 母の死の直後、葬儀が終わってすぐに始まった予算提案書のワーキンググループでしたが、ワーキンググループが作成した予算提案書もそれなりの評価を頂いていて、必死で取り組んだかいがあったかな、と思いました。 あの提案書は決して完璧なものでは決してありませんが、新しい医療行政の在り方としては第一歩だと思います。来年度予算の要求は、あの提案書に沿って作成してもらいたいと切に思います。 さて、今日は日経新聞の記事から。 がん拠点病院、施設別データ公開は見送り 連絡協 (2009年7月4日 日本経済新聞朝刊 記事は) がん治療の中核病院で構成する「都道府県がん診療連携拠点病院連絡協議会」の会合が3日開かれ、各施設が診断したがん患者の症例数などのデータを公開する案が提案されたが、一部病院の反対意見で見送られた。施設別ではなく、都道府県別のデータの公開にとどめる。 協議会は国立がんセンター中央病院(東京)と同センター東病院(千葉)のほか全国計375のがん診療連携拠点病院で構成。拠点病院はがん患者に関する集計データを同センターに情報提供することが義務づけられている。 公開を提案したのは同センターで、内容は各施設が2007年に診察したがんの種類や患者の性別、年齢階層別の症例数など。11月をメドに同意した施設のデータをホームページ上で公開、実現すれば初めてだったが、「症例数が多い病院がいい病院と思われる」などの反対意見が出た。 一方、参加したある県の担当者からは「患者からどこの病院に行けばいいのか尋ねられた時に提供する情報になる。施設別データも公開してほしい」という要望も出た。同センターは「今回は見送るが、各施設の理解を得ながら施設別の公開を検討していきたい」としている。(記事より) さまざまなデータの公開は、透明性や公平性の確保、医療の向上のために必要なことです。 目標を持って頑張っている病院なら、データの公開を嫌がるのは不思議な感じがします。 一元的な切り口のデータ公開なら意味はありませんが、どういうステージのがん患者が何人治療を受けて、その予後がどうであるかは、患者向けの情報として公開される必要があります。 そうでなければ患者はいつまでたっても、口コミの情報を頼らざるを得ません。 情報公開は世の中の常識なのに、医療界って相変わらず遅れてるとしか言いようがありませんね。 現「がん対策推進協議会」委員のみなさま、ぜひ、がんばってください。m(__)m ←もしよろしければ、1日1クリック♪で応援を
2009年07月04日
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みなさまこんにちは今日は完全につれづれネタです。桜も終わってしまいましたね。新学期が始まり、長女は高校生、次女は中学生になりました。わたしも…年取るわけだ…。新学期は、学用品の準備とか、新年度の書類の書き込みとか、体操服へのゼッケンの縫いつけとか、わずらわしい作業がありますが、それも何とか終わりました。私はスケジュール帳の予定を書き込むとき、子どもの予定は赤、自分の個人的な予定は黒、がんの活動にかかわる予定は青、というように区別して書き込んでいます。ず~~~っと、この3月までは、スケジュール帳には青か赤で何かの予定が書き込まれていて、の~んびり、という日が続くことは少なかったのですが、とりあえず、4月からは、かなり真っ白です。今も、やらなきゃいけないことはそれなりにたくさんあるのですが、もとが怠惰だから、追い詰められないと動かなかったりして・・・・今日もなんか、のほほんと過ごしてしまいました。この頃毎朝5時に起きているから、そのせいで眠かったということで・・・・来週からは気合いを入れます今日は命の洗濯~~~~
2009年04月10日
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みなさまこんにちは 昨日はとても良いお天気で暖かいというか暑かったですが、今日は打って変わって、嵐みたいなお天気です。いろいろなものが吹き飛ばされていく音がうるさくて、夜中の3時に目が覚めました さてさて・・・。 昨日(3月19日)朝9時35分ごろから、厚生労働省の大臣執務室に於いて、がん対策推進協議会の垣添忠生座長から、ワーキンググループが作成した「平成22年度がん対策予算提案書」が手渡されました。(私もワーキンググループのメンバーでしたので、手交式には参加しました) がん対策 現場の声反映を提案 3月19日 12時58分 NHKニュース(記事:映像はがん患者が24時間電話で相談できるコールセンターの設置など、患者や現場の医師などの意見を受けて作られた70項目に上るがん対策の提案書が舛添厚生労働大臣に提出され、厚生労働省では、再来年度の予算に反映させることにしています。提案書は「がん対策基本法」に基づいて、がんで死亡する人を10年以内に20%減らすための対策について話し合う「がん対策推進協議会」がまとめたもので、19日、舛添厚生労働大臣に手渡されました。提案書に盛り込まれたのは、24時間365日、がん患者が電話相談できる「コールセンター」の設置をはじめ、がんの検診を健康保険の対象にし、検診を受けやすくすることや、長期にわたって抗がん剤治療を受けている患者に対する医療費の助成など、70項目に上ります。これまでの国のがん対策は必ずしも医療現場のニーズに合っていないという指摘から、この提案では、がん患者自身やがん治療にあたる医師など、およそ300人のいわば「現場の声」をまとめたのが特徴です。協議会の会長を務めている国立がんセンターの垣添忠生名誉総長から提案書を受け取った舛添大臣は「がんは日本人の最も多い死因で、この対策をきちんとやるかどうかによって日本の将来が決まる。現場の声を予算に反映するのは重要だ」と述べ、再来年度の予算に反映させる考えを示しました。(記事より) 面会の席上では、「22年度の予算に反映させたい」と、明言して下さいました。 「政権がどう変わろうと、大臣が変わろうと、国民にとって必要なものはやっていかなければならない」とも。うれしい言葉でした。 そしてもうひとつ、こんなニュースもありました。3大臣がん対策推進で一致 3月19日 18時41分 NHKニュース(記事は日本人の死因で最も多い「がん」を克服するため、19日、経済産業、厚生労働、文部科学の3大臣が会談し、治療に有効な医薬品や医療機器の開発を支援するなど、各省庁が連携してがん対策を進めることで一致しました。会談は、二階経済産業大臣が舛添厚生労働大臣と塩谷文部科学大臣に呼びかけて開かれました。冒頭、二階大臣は「日本では年間30万人以上の尊い命が、がんで失われており、がん対策は国民の生命や健康を守るうえで最も重要な課題の1つだ」とあいさつしました。そして、3大臣が協議した結果、がんの克服を目指して、省庁の枠を超えて連携し、がんの治療に有効な医薬品や医療機器の開発を進めている研究機関やバイオ関連のベンチャー企業に対する支援を強化することや、治験や臨床研究を行う拠点を新たに整備するほか、抗がん剤などの審査をより迅速に行うための体制強化などの対策を、今後進めていくことで一致しました。日本人の死因のうち、「がん」は全体の30%を占めて最も多く、各省庁では来月上旬までに対策を取りまとめ、速やかに実施することにしています。(記事より)映像も記事も48時間しか保存されないので、今日までしか見られないようですが・・・。 ←もしよろしければ、クリック♪で応援を
2009年03月20日
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みなさまこんにちは 今日はとってもいいお天気です。 昨日とはうって変わって…というか。 昨日は家族で、レインボーブリッジの見える眺めのいいレストランでのランチだったのですが、あいにくのお天気で、窓の外の景色はどんよ~~りしていました おまけに私は、前の晩、長女の小学校1年の時から一緒のママ友達5人で飲み会(中学卒業おめでとうの会)をして、二日酔い気味でした(自業自得) 亭主は、私がそういう体調で飲めないのをいいことに、車の運転を私に任せて、おいしそうなワインを飲んでいました さてさて・・・ 昨年11月27日から「看護の質の向上と確保に関する検討会」(第1回時点では、検討会ではなく懇談会)というのが開催されていまして、なぜ私が呼ばれたのかわかりませんが、私はその委員の一人になっていました。 私が呼ばれた名目は、「患者の視点の反映」も必要であろうということで…。 患者の立場の代表としては、もうおひとり、「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達の会」でのご活躍が有名な、代表の方が入っていらっしゃいました(とっても的確な発言をなさる、素敵な方でした)。 私の母は、若いころ看護師をしていて、看護師から保健婦の資格を取り、保健婦となり、そのあと養護教諭の資格を取り、養護教諭(いわゆる、保健室の先生)となりました。 私の両親は、結核の療養病棟で出会いました。肺結核を患い入院した当時大学生の父と、その病院に看護師として勤務していた母が出会ったのです。父が22歳、母が20歳の時だそうです。 ・・・・と、話がそれましたが、そんな環境で育ったので、私にとって看護職は身近なものではありましたが、そんなこと、その委員に私を推挙された方がご存知なはずもなく、がんの医療に関しては勉強しているものの、看護職の問題についてなど、私に語れるはずもなく、委員のお話をお引き受けした後で、「う~~!しまった!!」と思いました。 全く知識のない状態で会議に臨むわけにもいかないので、厚労省のホームページで関連する検討会の議事録を読んだり、報告書を読んだりして、検討会の背景についての知識を得ました。 厚労省のホームページの「厚生労働省関係審議会議事録等 その他(検討会、研究会等)」の医政局の所を開くとわかりますが、看護職に関する検討会は、かなりの数があります。本来はすべてに目を通さないといけないのでしょうが、さすがにそこまでの時間はありませんので、比較的最近のものを中心に目を通しました。 ◆「看護基礎教育の充実に関する検討会」 報告書 概要 ◆「看護基礎教育の在り方に関する懇談会」論点整理 ◆「安心と希望の医療確保ビジョン」 ◆「『安心と希望の医療確保ビジョン』具体化に関する検討会」 中間とりまとめ 大熊由紀子委員提出資料「~国民の目線から~」 ◆「第六次看護職員需給見通しに関する検討会」 報告書などは、プリントアウトしたりして、目を通しました。 また、付け焼刃ですが、看護職の方と交流があり問題に詳しい方にもお電話したりメールしたりしてご意見を伺い、第一回の検討会が終わった後も、看護職の方と面会していただいたり、雑談も含め、いろいろな方にレクチャーしていただいて勉強したり準備したりしました。 私はこの問題に関してはドシロウトなので、ほとんど先入観なく取り組みました。 そうすると、問題としては、看護協会の方々、看護師の育成や教育にかかわっていらっしゃる方々など看護職の未来に関してビジョンをお持ちの方々によって、現状を踏まえた上でも、将来に対する方向性は打ち出されているのに、現状の医療との整合性の問題や、専門学校の運営の問題、採用や病院経営に関する問題から、議論が一周しては元に戻ってしまうということが見えてきました。 養成機関がいろいろあり、受けた教育やレベルが均一でないことや、新人看護師の臨床実習が不十分であることの問題点、定着率の低さ(離職率の高さ)の問題が話し合われていたのですが・・・。 大きなポイントとしては、 ■看護の基礎教育については、他の先進国のように、4年制化すべきではないか、という議論(しかし現在の3年制や2年制の養成機関にとっては死活問題なので、それを何とか阻止し、現状を維持したい勢力もある)と、 ■定着率が低いのは自己の技術に自信が持てない=臨床の実習が十分ではないから=やっぱり教育の問題ということのようでした。 定着率の低さについては、自己の技術に自信が持てないという問題がかなりクローズアップされ、だから臨床実習の重要性が議論の中心になっていました。 本当は、労働環境や待遇なども大きな問題のはずではと思いますが、その辺りについては、あまり議論の対象にはなりませんでした。 なお、専門性や技術を高めるための新人の臨床教育については、大きな病院でないと十分に行えないということがある一方、日本では私立の中小規模の病院がとても多く、新人の臨床教育がそういうところでは十分には請け負えないという問題も議論されました。 そうであるならばなおさら、病院の機能別の役割分担や集約が真剣に行われなければならないのではと感じましたが、これまた、中小規模の病院にとっては自分たちに都合の悪い決着をしてほしくないということがあるのか、助成金の増額、というような話になっていました。 現状では、助成金を増やしたぐらいでは、砂漠に水をまくような話で、新人看護師の教育にまで手が回らないのではないかと思います。 病院がそれぞれに自分たちにできることをするだけではもう地域に必要な医療を十分に提供できないのだから、地域の医療資源を必要に応じ、機能別に振り分けたり集約させたりして確保していく必要があるだろうと思います。 病院の団体や医師会などが、そういうビジョンをもっと明確にしていかない限り、医療不信や医療崩壊は食い止められないのではと思います。 と、看護の話から横道にそれてしまいましたけれど・・・。 現状に問題があるからこそ検討がなされているはずなのに、常に現状肯定の報告がなされ、報告書の中に「さらなる検討を重ねていく必要がある」という文章がちらほら・・・。 一般常識的に言うと、何か結論を出してその方向に向けて結果(成果)を出していくためにこそ検討がなされるのであって、検討した結論が「もっと検討する」では、いい加減すぎるのじゃないかと… だって、このテの検討会、ほんとにたくさん行われてきてるんですよ まあ、国の財政難もあるから、お金をかけないと実現できない改革には消極的にならざるを得ないのでしょうけれど・・・。 検討会の開催費用だって税金です。 結局、(お金がかかるから?)看護の基礎教育の見直しはまた検討しましょう、ということに落ち着くなら、正直、こんな検討、するだけ無駄じゃないかしら…お金も時間ももったいない…と思いました。 この検討会の報告書の取りまとめの段階でも、平行線的な不毛な議論が続きました。両論併記についてや、その順序についてなど、結論の出ない状態で議論は回りました。 今回はおとなしくしていようと思っていたのですが、つい「検討会の報告書が“さらなる検討を重ねる”では、この検討会自体が何だったのかということになりはしないか。現状に問題があるからこそ検討会が開かれているのであって、この議論が10年後も続いているようでは、今ここにいる私たちは糾弾されるのではないか」というようなことを発言してしまいました・・・・・。 こんな状態でしたから、「中間とりまとめ」(←何に対して中間なのかイマイチ不明)をまとめられた座長の先生の御苦労は、大変なものがおありだったと思いますが・・・(スミマセンm(__)m)。 そもそも、何がしたくてあの検討会はあったのか・・・? 実は、これまでの検討会や懇談会の報告書だの議事録だのを見ればすでに明らかじゃないかと思うのですが・・・。 これでも若干の進歩なのでしょうか…?ううむ・・・。(進歩ならいいけど…) その検討会の報告書を、座長が大臣に手渡す式が近日中にあるそうです。 私も行ってみようかな~~~。 ←もしよろしければ、クリック♪で応援を
2009年03月15日
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みなさまこんにちは ご無沙汰しております。 あっという間に3月になり、桃の節句も終わってしまいました はっきりしないお天気が続きますね。 2月26日には第9回がん対策推進協議会も終了し、私の任期2年の間に行われる協議会は、すべて終了しました。 それなりに必死というか、全力でというか、でも力不足というか、とにかくそうやって取り組んできましたが、私にできることはもう、(少なくとも、国に対し何か意見を述べるという点では)何もなくなりました。 率直に言って、達成感はまるでなく、かなり空しい気分です。 この2年で何か変わったかというと、現場ではほとんど何も変わらなかったんじゃないかという気がしますが・・・。 でも仕方ありません・・・・。 5年後10年後に、少しでも良くなっていることを願っています。 患者サイドの委員は全員入れ替わりますが、そのほかの委員の先生方は据え置きのようです。 次の委員の人たちが、どういう基準で選ばれたのかとか、どなたに変わったのかなどは、私には何も相談がなかったので、わかりませんが・・・。 きっと、私よりやる気・実力ともに十分な方が選ばれていると思います。 厚労省の善意に期待します。 さてさて・・・。 すみません、今日はつれづれネタです。 私自身は、自分では無意識だったというかあまり自覚していませんでしたが、相当なストレスやプレッシャーを抱えていたようで、任期満了の解放感からなのか、今までやる気になれなかった家の中のこと、あれもしなきゃ、これもしなきゃと家事にいそしんでいます♪ 昨夜のお夕飯は、我が家恒例の「菱餅の形のお寿司」でした。 私が子供のころ母が作ってくれて、とてもうれしかったことを今も思い出します。 母は勤めていて忙しかったのですが、お雛様の時や、家族の誕生日、クリスマスなどのイベント(?)の時には、腕によりをかけてごちそうを作ってくれました。 我が家でも、娘がまだ幼稚園の頃にこのお寿司を作ってみたら、以来毎年、 「お雛様の時はあれ作ってね」と、リクエストしてくれます。 作り方はとても簡単です。 【1】ご飯を炊いて、普通のすし飯を作ります。 【2】それを3等分して(一つは、ちょっと少なめに)ボールに分け、一つのボールは青のり、もう一つにそぼろにした炒り卵、3つ目には桜エビをミキサーなどで粉にしたもの、を混ぜます。 いり卵のボールのご飯は、ほかのボールのご飯より少なめにしないと、卵の分だけ多くなってしまいますけど、まあ、適当で大丈夫です。 【3】ラップをテーブルなどに長く広げ、それぞれのご飯を幅7センチくらいの平べったい帯状にします。(ラップで包んで、帯状にします。) 【4】それぞれの帯をラップから外して重ね、もう一度全体をまとめるようにラップでくるみ、形を整えます。 【5】包丁で、お寿司がひし形になるように斜めに切ります。 と~っても簡単なのですが、ラップで形を作るところだけ、めんどうというか、手間がかかります。でも、1年に1度しか食べられない形!ということで、作っています。 そのほかのメニューは、定番の蛤のお吸い物と、菜の花のお浸し、おさしみなど・・・。 母は、私が子供のころから茶碗蒸しが大好きだったので、茶碗蒸しもほとんど必ず作ってくれました。 実は、私の実家では、父の誕生日は2月21日、兄が2月27日、私が3月6日と、たった2週間の間にお誕生日が3回来るのです。そして、兄と私の誕生日のたった1週間の間に、ひな祭りもあって…。 子供のころはわかっていなかったけど、母は随分頑張ってくれていたなと、改めて思います。 お母さん、ありがとう ←もしよろしければ、クリック♪で応援を
2009年03月04日
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