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大野城市牛頸4-3-13092-596-2346
2007.12.31
年を越す前に食べきらなければならず、蕎麦を残すと翌年金運に恵まれない細く長く達者に暮らせることを願って蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないように金細工職人が作業場に散った金粉を蕎麦粉の団子で集めたことにちなみ、金運を願ったetc.
2007.12.30
097-575-345 大分市佐賀関1580 完全予約制 不定休
2007.12.29
熊本県阿蘇郡南小国町波居原旗返しTEL/FAX 0967-48-6800営業時間 AM10:00~PM6:00(無休)http://sansensoumoku.info/index.html
2007.12.28
ネット上で 『The Secret ザ・シークレット DVD 最初の20分』 が話題になった原作の日本語版http://jimaku.in/w/_b1GKGWJbE8/ae1POlJjQMK新刊本紹介 『ザ・シークレット』http://www.kadokawa.co.jp/thesecret/
2007.12.27
熊本県阿蘇郡南小国町そば街道TEL/FAX 0967-42-1510営業時間 AM11:00~PM6:00(無休) (オーダーストップPM5:00)
2007.12.26
ある出会いからこの子のことを知りました小さな力を集めて「何かできることはないかな?」って思ってしまう。同じように思えた方はぜひ”電話1本”でも良いのでドネーション(寄付)お願いし ます。0990-5-06600(ダイヤルQ2)1回350円の寄付になります!!つなぎとめたい命http://www6.ocn.ne.jp/~s-honoka/
2007.12.25
クリスマスになると思い出す友達がいます。小学校の3、4年生とクラスが同じだった、K村君のことです。ときは、昭和40年代の前半のことです。そう、あの頃は、ほとんどの家庭が貧乏でした。貧乏というか、物がないということが、ごく普通の生活でした。我が家もご多分に漏れず、ズボンの膝やセーターの肘は継ぎはぎされていました。今なら、「恥ずかしいよ」と言うところですが、みんな一緒なので気にもなりません。もちろん、コンビニもマックもない時代の話です。そんな時代に、K村君の家庭は、一層輪をかけて貧乏でした。直接、話を聞いたことはありませんでしたが、噂ではお父さんがいなくて、お母さんが日雇いで働いてK村君育てていたようです。こんなことがありました。学校の秋の遠足での出来事です。昼飯の時間になると、それぞれ仲のいい同士が4、5人のグループを作って車座になります。そして、当時流行っていたのは、お弁当の交換です。サンドイッチなんてシャレたものを持ってくる女の子もクラスに一人か二人はいましたが、ほとんどがオニギリでした。二個か三個持ってきたオニギリのうちの一つを交換するのです。私は、たまたま、K村君のオニギリをもらいました。さて、それを一口がぶりとして、思わず吐き出しそうになってしまいました。なんてまずいオニギリだったことか。とにかく、お米がパサパサなのです。そして、一粒一粒が硬くて、口の中でジャリジャリいっているのでした。私の顔つきを見て、K村君は言いました。 「お母さんは、暗いうちに家を出て行くから、 夕べのうちに作ってくれたんだ。 それで硬くなっちゃったんだ」そのころは、ラップもありません。作り置きのオニギリは、時間が立ち過ぎると乾燥してしまうのです。私は、「まずい」とも口に出せず、とにかく全部を飲み込むようにして食べました。子供ながらに、友達の家庭の事情を察して、心が痛くなったものでした。K村君のうちは、貧乏でしたが、卑屈な奴ではありませんでした。どちらかというとヤンチャでした。たまにふざけて、教室の窓ガラスを割ってしまったりするので、担任の女の先生からは、いつも睨まれていました。そのせいでしょうか。その遠足の時も、担任の先生は、私たちのグループにやってきて「おやつチェック」をしました。遠足にもっていくおやつは、百円までと決められていました。遠足の前日になると、みんなで工夫をこらして買い物に出かけます。先生は、リュックサックからおやつを出させて、予算をオーバーしていないかをチェックするのです。順番に見て周り、K村君の番になりました。リュックからは、袋物の駄菓子が山ほど出てきました。僕らは、(へええ、大したものだなぁ)と感心しました。彼は、駄菓子屋へ行き、量の多い袋詰めの駄菓子を何種類も買い込んだのでした。一つが十円か二十円なので、相当の量になります。それを見た先生は、いきなり大声を上げて怒りました。 「こんなに滅茶苦茶買ってきて、 なんて子なの!」K村君は、一つ一つの値段をきちんと説明しようとしましたが、駄菓子屋なんて行ったことのない先生には信じてもらえませんでした。僕らも一緒になって反論しましたが、聞く耳を持ちません。K村君は、先生が去ったあとも悔し涙を流していました。今では、信じられないことかもしれませんが、エコヒイキや体罰をする先生なんて当り前。そして、物が無くなると、貧乏な家の子が疑われるのも当り前の時代だったのです。K村君は、何事につけても、先生に目をつけられていました。その年の暮れのことです。K村君が言いました。 「僕んちでケーキを買ってくれるんだ。 クリスマスに遊びに来ないか」と。少しずつ、「豊かさ」が浸透しつつある時代でもありました。家庭で食べるための、クリスマスケーキもよく売れていました。子供たちにとっては、甘いものは貴重でした。ケーキと言われては、ほっておけません。みんなで、 「行く、行く!」と大騒ぎしました。初めてK村君の家を訪ねました。その日もお母さんは仕事に出かけていて留守でした。彼の家は、たった一間の板張りの部屋でした。今から思うと、親戚か誰かの家の、離れか何かを間借りしていたのでしょう。ひょっとすると、納屋か物置だったかもしれません。冷たい床の上に、5、6人で座りました。K村君は、満面の笑顔でケーキの箱を運んできました。みんなが、 「イエーイ」と声を上げます。彼が、箱のふたを開けました。すると、・・・本当に、本当に小さなケーキが座っていました。そして、どうみても、美味しそうには思えませんでした。箱には、製パン会社のシールが貼ってありました。K村君の表情も少し曇りがちになりました。ロウソクを立てて、火をつけて、みんなで吹き消します。ロウソクを立てたために、小さな小さなケーキの表面は、凸凹になってしまいました。それでも、 「いいか、切るぞ」と包丁を振りかざします。誰かが、 「ちゃんと、みんな同じ大きさに切れよ」と言いました。お皿に乗せて、配ります。フォークなんてありません。手で持って、がぶりと食らいつきます。口の中に、何やら、ベタッとした甘さが広がりました。もちろん、生クリームではありません。安価なバタークリームでした。それが、固まって口の中でもなかなか溶けません。どうお世辞を言おうにも、美味しいとは思えない代物でした。全員が口に含んで、とうとう黙り込んでしまいました。それでも、誰一人「まずい」とは口にしませんでした。それは、K村君の気持ちをわかっていたからです。クリスマスの日に、仲間の前で、ちょっとだけでもいいからいい格好をしてみたい。そのために、きっとお母さんに無理を言って、ケーキを買ってもらった。お母さんは、息子のためにも相当に思い切って買ったのでしょう。先生からは、いつも冷たくされているけれど、一緒に遊んでくれる仲間がいる。その仲間に、ほんのちょっとだけでもいいから、お礼がしたい。それは、いつも一緒にいたから、何も言わなくてもわかるのです。誰かが言いました。 「公園行こう」すると、また、誰かが言いました。 「野球やろう」 「いこう、いこう」K村君の表情も急に明るくなりました。 「僕のバット、持ってくよ!」 「おう、貸しくれよな!」 「うん♪」実は、そのケーキをどうしたか覚えていません。最後まで残さず食べたのか。そのまま置いて公園に出かけたのか。でも、「公園行こう」の一言で、気まずい雰囲気が、パッと明るくなったことははっきりと覚えています。まだ、9歳か10歳の子供でしたが、大切なものが何なのか、みんな知っていました。物は溢れていませんでしたが、心は豊かでした。その公園は、少し整備されてキレイになりましたが、今でも子供たちの遊び場になっています。K村君の住んでいた家は、今ではコンビニが建ち、24時間煌々と灯りが点いています。クリスマスが来るたび、K村君のことを思い出します。彼はこの聖夜の星の下、どこで何をしているのかな。間違いないのは、私と同じ、いいオジサンになっていることです。
2007.12.24
▼12月、クリスマスですね。 クリスマスに、世界中で演奏され歌われる「きよしこの夜」の誕生物語をご紹介します。▼「きよしこの夜」は、約200年前、オーストリアの西、美しいアルプスの山並みに近い チロル地方、オーベルンドルフというところで作られました。▼1818年の12月24日の朝、ヨーゼフ・モール神父は教会のパイプオルガンが壊れている のを知ります。 なんと、ネズミがオルガンのふいごをかじっていたというのです。 修理するにしても、この地方には雪が深く積もっており、今日中に修理工が来るのは 無理でした。 もはやクリスマス・イブの深夜のミサに使えないのは明らかです。 このままでは今年のクリスマス・イブは寂しいものになってしまう。 毎年楽しみしている村人をがっかさせてしまう。 モール神父は、途方に暮れました。▼そこへ貧しい農婦に赤ん坊が生まれたから、祝福してほしいとの知らせがありました。 モール神父は、その家まで出かけていきました。 生まれたばかりの赤ん坊を祝福したあと、雪道を通って教会に帰る途中に、 モール神父は、初めてのクリスマスのことを思い巡らしていました。▼それは、今から2000年前に馬小屋で生まれたイエスの誕生です。 あの貧しい馬小屋にも、もちろんオンガンなどなかった。 でも、生まれた赤ん坊を祝福する星が輝き、母親も父親も、羊飼いたちも、動物たちも、 みんな、喜びあっていたじゃないか。 道すがら、モール神父のなかで、イエスの誕生の感動が言葉となってあふれてきました。 そしていつのまにか、数節の詩ができあがっていたのです。▼ただ、メロディーがありません。 モール神父は、何とかクリスマスのミサでそれを歌いたかったので、曲をつけてもらおうと、 友人の小学校教師フランツ・グルーバーの元に急ぎました。 「フランツ、この新しい詞に曲をつけてほしい。深夜のミサで歌おう。 オルガンがあろうとなかろうと構わない!ギターの伴奏で歌おう!」 ▼しかし、グルーバーは、自分はオルガニストであってギターはやらないし、作曲など なおさらだと断りました。 でも、モール神父は引き下がりません。 「ギターコード三つぐらいは知っているだろう。」 グルーバーがうなずくと、モール神父は続けました。 「じゃあ、三つくらいしかコードを使わない簡単な曲を書いたらいいじゃないか。 今夜、僕たちは新しいキャロルを歌うんだ。」 そこで、グルーバーはモール神父の求めに応じ、1時間もしない内にその曲を書き上 げたのです。▼その日の深夜のクリスマスのミサ。 できあがった歌は、ギターの伴奏でモール神父がテノール、グルーバーがバスを担当し、 二人の女性と共に四重唱で歌われました。 その歌声は、星の輝く聖夜、アルプスの山なみにある聖堂に響き村人達を感動させました。 きよし この夜 星は光り 救いの御子(みこ)は まぶねの中に 眠りたもう いとやすく きよし この夜 御告(みつ)げ受けし 牧人(まきびと)たちは 御子の御前(みまえ)に ぬかずきぬ 畏(かしこ)みて きよし この夜 御子の笑(え)みに 恵みの御世(みよ)の あしたの光 輝けり 朗(ほが)らかに (訳詞 由木 康)▼いま世界中で愛されている賛美歌「きよしこの夜」はこのようにして作られたのです。 わずか数時間でできた歌ですが、クリスマスソングとして、これほど世界中で広く 親しまれている歌は他にないでしょう。▼考えてみると、 オルガンが壊れるというアクシデントがなければ、この歌は生まれていませんでした。 思わぬアクシデントがあったからこそ、この歌が生まれたと言っていいと思います。 そのアクシデントにもめげず、クリスマスを皆とともに喜び祝いたいという気持ちが、 この歌を生んだのです。 もちろん神さまの助けを受けて・・・★ あなたが幸運になれるヒント ★ アクシデントがあっても信念をもって行動しよう。 そこから素晴らしいものが生まれる。(^.^)
2007.12.24
モスバーガーってご存知ですか。 日本でただひとつの、日本生まれのハンバーガーチェーンです。作り置きをせず、すべて注文を受けてから作ります。 スタッフの人もおばちゃん、おじちゃんが多い。高校生や大学生のバイトと違ってとても自然体なんです。 ある日の夕方、いつものようにテリヤキバーガーを頬張りながら、なんとなくカウンターの方をみていると、若い女性がやってきました。 『モスバーガーください。ソースは多めで。タマネギは抜いてください』 よくある注文です。しかし、それに対する返事がよくある返事ではなかったのです。 おばちゃんアルバイトのその店員さんは、 『あんた、タマネギ嫌いなの? 若いうちから好き嫌いはだめよ。 タマネギは栄養の宝庫なのよ。あんた、まだ独身でしょ。 これから結婚して子供を生んで、旦那さんの面倒見ていくのに、 栄養つけなきゃだめ。 ちょっと火を通しといてあげるから食べてごらん。 だまされたと思って。ほんとにおいしいのよ。いいわね。」その女性、あっけにとられて、思わず、 『はい。お願いします。』 ・・・窓際のカウンターで食べ始めた彼女の目に、涙が浮かんでいるのに気付きました。やっぱりタマネギが辛かったのでしょうか・・・想像するに、彼女、多分東京で一人暮らしをしているのでしょう。一人だけの侘しいハンバーガー・ディナー。それが、おばちゃんアルバイトの一言で心温まる時間になった。長いこと誰からもこんな言葉をかけてもらった事が無かったんじゃないかな。嬉しかったんだ、きっと。帰り際のカウンターで、 『ご馳走様でした。すごく美味しかった。 また来ますから、タマネギお願いします!』 『いいわよ、いつでもいらっしゃい。 でもハンバーガーばかり食べてちゃだめよ』 『えっ、お店の方がそんなこと言っていいんですかぁ(笑)』 『あらっ、そうね。今の、店長には内緒よっ!(笑)』帰っていく彼女の後姿、来た時よりもずっとずっと元気に見えました。
2007.12.24
年間160台!累計2000台以上!2日に1台メルセデスを売る男がいた。ノーネクタイ、顔はひげ面。しかし、セールスは超一流。顧客の心を虜にする秘密とは。その破天荒なライフスタイル。すべてのお客様に感謝を込めて 吉田満■第1章 メルセデス・ベンツのセールスマンの至上の喜び ・累計2千台以上、驚異の販売実績が語るもの ・「くるま屋」それが仕事です ・いつでも120%の顧客利益を目指す ・トラブルは迅速に処理。ときにはカウンセラーにも ・納車はセールスマンにとって最大のイベント ・指名を受けてこそトップセールスマン ・狩猟の感覚でお客さまの満足を測る ・1日120件の着信履歴は信頼の証 ・価格の次元を超えた吉田流セールス ・無理に売らないのも吉田流■第二章 「生意気」は究極のセールス術 ・メルセデスを売る吉田独自のアイテム「ちょっと生意気」 ・好きなものしか、売れません ・目標がなければ日本一は無理 ・顧客150件の電話番号を暗記しています ・注文から4日で納車できる理由 ・1~2分の商談で買うかどうかわかる ・お客さまも喜べば、メーカーも喜ぶ ・「くるま屋」の嘆き ・リピーター客の「お任せ」に応える ・サービスの基本は、いくつのサプライズを出せるか ・洋服もまたサプライズです ・スーツは戦闘服 ・自分のスタイルも常にモデルチェンジ 吉田とは?(1)■第三章 接客姿勢は同等の目線で ・対等な目線で売る姿勢が大切 ・お客さまの要望には確実に応える(1) ・お客さまの要望には確実に応える(2) ・多岐に渡る「くるま屋」の仕事 ・気配りにやりすぎという言葉はない(1) ・気配りにやりすぎという言葉はない(2) ・サービスという付加価値 ・サービスは無料であり、無料ではない■第四章 日本一のセールスマンになるためには ・相手の不安や疑問を払拭する ・背伸びをするのは大事なこと ・著名人への気配り ・さまざまな業種のお客さま ・お客さまは大事な広報マン ・ライバルは恋敵 ・特殊なメルセデスの営業方法 ・電話にはすぐ対応(1) ・電話にはすぐ対応(2) ・お客さまと接することが第一 ・小心者は先に先にと考える ・トラブルのときこそ前線に立つ ・いかに客から反論されるか ・覇気がない者はセールスマンにあらず ・スタイルが確立していれば立ち直れる 吉田とは?(2)■第五章 小心者の少年は悪ガキに ・海苔問屋の次男坊に生まれて ・シャイで人見知りの小学生時代 ・兄の背中を追って悪ガキの世界へ ・サーフィンか海苔問屋を継ぐかの選択 ・父親に決められた就職 ・最初は週休4日の社長見習い ・解雇寸前に下された社長命令 ・1台目のセールスから熾烈な戦い(1) ・1台目のセールスから熾烈な戦い(2) ・夜な夜な種まきの日々 ・突如やる気モードになったわけ ・憧れた外車セールスマン ・フルコミッションセールスマンの商売とは ・尊敬する先輩の接客姿勢に憧れ ・自分のスタイルを確立して売れ出した 吉田とは?(3)■第六章 バブルを終えて日本一に ・毎日プール通い。それでも月間15台 ・チップ100万円の世界を満喫 ・お手伝いさんまでメルセデスに ・豪快なバブル紳士とも同じ目線で売る ・バブル時代にもサラリーマンにこだわった ・バブル終焉で増えた「夜逃げ」客 ・バブルの教訓 ・車を奪われ、危険な目に ・バブル後にも勝ち抜けたのは... ・日本一のセールスマンに■最終章 魅力あるメルセデス、そしてこれからの私 ・あるドイツ人の言葉が自信を育む ・1日24時間オンの毎日 ・ジムで肉体も進化させる ・休日でも客からの連絡はほしいもの ・最善か無か...メルセデスにこだわるわけ ・粋なお客さまへは「意気な」サービスをあとがきにかえて
2007.12.23
クリストフル ジャパン株式会社http://www.oakcapital.jp/portfolio/investee/christofle/chopstick01.html
2007.12.23
大人が集う、モダンとクラッシックが融合したくつろぎの空間092-433-2305福岡県福岡市博多区博多駅前3-4-8http://www.thehotel.co.jp/jp/blog/sutton_hakata/
2007.12.23
半径1キロ圏内の病院を探すことができる「ホスピタル・ナビ」旅先や自宅で急に病気になった時、どこにいても半径1キロ圏内にある病院を検索し、インターネットや携帯電話の地図上で一覧できるデータベース「ホスピタル・ナビ」を開発したと名古屋大が20日、発表した。24日から公開する。 名古屋大によると、データベースには全国に約15万施設ある病院や診療所を登録し、毎月、閉鎖した診療科情報などを更新する。サイトでは、場所や診療科の項目を選択すると、1キロ圏内で条件に合う病院が地図に一括表示されるため、自治体ごとに区切られやすい診療圏を超えて、近い病院を探すことができる。 平成20年度中には、症状によって病名や病院を調べられる機能も搭載する予定。将来は救急患者のたらい回し防止のため、受け入れ先を紹介したり、カーナビでも利用できるよう整備するという。 インターネットの患者用ホームページはhttp://www.geosense.co.jp/pubhnavi/pub_hnavi.html
2007.12.23
私なら、「もちろん、いるよ」と答えるでしょう。 私はその存在を少しも疑っていません。 ただ私が信じているのは、本物のサンタクロース、聖ニコラオです。 彼が赤い服を着て、8頭のトナカイをひきつれ、 そりに乗ってやってくるとは限りません。 どんな姿であれ、彼がいまも天国から 貧しい人や子どもたちのことを一生懸命考えて、 プレゼントを贈ってくれることを信じているのです。
2007.12.22
サンタのトレードマークとなっている赤い服は、 1931年にコカコーラ社が自社のイメージカラー赤の服を着せた サンタクロースを宣伝用の絵に使ったところ、 その絵がとても好評でその後世界中に赤い服のイメージが、 広まったそうです。 またカトリック教会では司教のイメージ色が赤なので、 ニコラス司教のイメージを赤い服で表現したとも言われています。 なお、広告のモデルは、 1800年代後半に活躍したアメリカの風刺漫画家トマス・ナストによって 描かれた、赤い服を着た白いひげの優しそうなサンタクロースでした。
2007.12.22
サンタクロースという名前は聖ニコラスの オランダ語の呼び名「ジンタークラウス」のなまりで、 アメリカに移民したオランダ人が彼をそのようによんでいたのが いつしか「サンタクロース」に変わっていったのです。
2007.12.21
その後、宗教改革の頃から、 プロテスタントでは聖人を認めないために、 プレゼントの日が聖ニコラスの日(12月6日)ではなく、 イエスの誕生のクリスマス・イブ(12月24日)に変更されました。 また、イギリスでは、煙突から入って、 靴や靴下にプレゼントを入れると伝えられるようになりました。 さらに、フィンランドやスウェーデンに伝わると、 北の国からサンタがトナカイのそりにのってプレゼントを 持ってくるという形が生まれたようです。
2007.12.21
その後、聖人の位にあげられ、命日である12月6日は、 聖二コラオの記念日となりました。 彼の死後、三人の娘たちを助けた話が公になり、 聖ニコラオが生前に貧しい人々を助けたように、 子供たちにもプレゼントを贈ってくれると 信じられるようになりました。 そのため、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリア、 ドイツの一部などでは、聖ニコラオの日の前夜に、 子供たちはベッドや窓のそばに靴や靴下を掛けて プレゼントを心待ちにするようになったのです。
2007.12.21
後に、神父となり、司教となった彼は、 人々を心から愛し、困っている人を助け、 泣く人がいると慰めと励ましを与える人でした。 町の貧しい人々のために、食堂や病院、孤児院を建て、 人々にたいへん慕われたそうです。 また死んだ子どもを生き返らせたり、 難破しかけた船を救ったりする奇跡も起こしました。 343年12月6日に73歳で帰天。
2007.12.20
しばらくすると、ニコラスはまた、同じように金貨を投げ入れてやり、 次女も結婚できることができました。 そして、三女の結婚持参金を同じように持っていったところを ニコラスは靴屋の主人に見つかってしまいました。 主人は逃げるニコラスの足をつかみ、 「あなたはわが家の恩人です」 と言ってひれふして感謝しました。 しかし、ニコラスは 「このことは人に話さないでくださいね」 と頼みました。
2007.12.20
朝になって目を覚ました娘たちは、 窓から投げ入れられたその袋を靴の中に発見しました。 「あら、金貨が入っているわ」 「どこのどなたか知らんが、おお、有り難い。 天の恵みだ」 靴屋一家は、神さまに感謝の祈りをささげました。 こうして、このお金で長女はめでたく結婚をすることができたのです。
2007.12.20
「おお、なんてこったい!」(と言ったかどうかは知りませんが) それを聞いたニコラスは、 娘のためにどうにかしてあげたいと思いました。 そこで真夜中に皆が寝静まるのを待ち、 小さな袋にいくらかの金貨をしのばせ、 頭巾のついたマント姿でそっと靴屋の家にむかいました。 「どうかこのお金で娘が結婚できますように・・・」 そう願って、金貨の入った袋を投げ入れたのです。
2007.12.19
それは、4世紀頃、民衆にたいへん親しまれた トルコのミュラの司教、聖ニコラスです。ある日、近所に住む靴屋の家族が、 娘を身売りするという話を彼は耳にしました。 その家族には3人の美しい娘がおり、 結婚適齢期に達していたのですが、 家が貧しいために、結婚するための持参金がありません。 そこで長女が身売りして、 そのお金で妹たちが結婚できるようにしようというのです。
2007.12.19
それは、次の話がもととなっています。 昔々のことです。 西暦270年、聖ニコラスは、 今のトルコのパタラという町に生まれました。 彼は裕福な家に生まれましたが、 10代で両親を疫病でなくしました。 そのため、両親から全財産を授かったのですが、 (なんと、なんと、なんと・・・) 彼はそれをすべて貧しい人にあげようと決心します。
2007.12.19
県民性とは、一言で言えば、生まれ育った地域がはぐくむ固有の性格もちろん、地域が同じだからと言って、みんな同じ県民性―性格―ではありません人の性格は先天的なものと後天的なものから形成されます出身地に加えて、両親の影響、一人っ子か、長男長女か、末っ子かなどによっても異なるhttp://enmusubi.yahoo.co.jp/imap/index.html
2007.12.18
相田みつを作品に潜むメッセージを日替わりでお届けhttp://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00058/v00117/
2007.12.17
作品とその言葉に潜むメッセージhttp://www.mitsuo-tv.com/archieve07.html
2007.12.17
『パワーポイントを自由に使いこなしてプレゼンしたい。でも、なかなか覚えられない』という人のために良い教材があります。下記URLはマイクロソフト社が無料で提供しているPowerPoint 2003 のトレーニングです。インターネット上で音声でナビゲートしてくれるし、何度でも繰り返し見ることが出来るので初心者にも解りやすいですよ。http://office.microsoft.com/ja-jp/training/
2007.12.17
自分に関係のないことに、興味本位で騒ぎ立て、見物することまた、人のしりについて騒ぎ回ることまた、その人々
2007.12.16
福岡のハウスクリーニングキレイ堂http://kirei-do.jp/index.html
2007.12.15
皆様の援助をお願いします「誰だって一度に世界を変えるのは無理ですが、みんなで力を合わせてゆくうちに変化が起きるのです地球を守るにはひとつの島から始めよう、というモットーで活動している私たちの仲間に入りませんか?」 ポール・アラン・コックス博士、シーコロジー創始者http://www.seacology.org/japanese/
2007.12.14
シーコロジーは現理事長で世界的に有名な民族植物学者、ポール・アラン・コックス博士によって創立されました島とその住民達のために情熱を捧げるコックス博士は、タイム誌、ナショナル・ジオグラフィック誌、そしてアイランド・マガジン等に紹介され、ゴールドマン環境賞を受けましたシーコロジーの事務局長はドウェイン・シルバーステイン氏です世界でも屈指の環境慈善団体であるゴールドマン財団の事務局長を18年務めました
2007.12.14
顕著な環境保全の仕事を成し遂げられた先住民の方を毎年一人選び、シーコロジー賞を授与http://www.seacology.org/japanese/
2007.12.14
シーコロジーは環境保護関係者を集めて、世界で最も包括的な顧問委員会を設立しましたこれは島の多種生物スペシャリストからなる科学委員会で支えられています全体の指揮は、企業のリーダーや島の専門家達で構成された理事会が行なっていますそれゆえ、スタッフの数が少なくてもお役所風とか官僚主義に陥らずに活動する事ができるのです現在までの活動の一部を次に記してみます·フィジー諸島、インドネシア、ポンペイ島、パラオ、パプアニューギニアに海洋保全地区の設立·マレーシアのボルネオで、サラワク島のロング・ローエン村にミクロ水力エネルギー装置の設立·台湾、スリランカでマングローブの復原·アラスカはアドミラルティ島、アングーンのトリンケット族社会にリサイクル及び廃棄物処理の機材購入·マダガスカルで公園、自然保全地、観光施設などの設立のために準備作業を率先
2007.12.13
現在、島は多くの危険にさらされていますカリフォルニア大学教授で、生物学者のピーター・ジェイ・ブライアント博士は、かつてない勢いで島の生物が絶滅している事実を、「地球の歴史の中で、もっとも迅速で意味深い生物学上の破滅」と述べています島は危機に瀕した種族の数がどこよりも高いのですアメリカで、動植物絶滅の72%はハワイで発生と記録されています近年に於ける世界中の動物絶滅のうち75%は島で起こっていますその生態系は、新しくやってきた種族が原因で生じる害に非常に弱いのですさんご礁が面している状況は特に危険で、もし早急に救済活動が行なわれないと50年以内に70%が死滅してゆくでしょう地球上の50%のマングローブはすでに破壊されました島は水位が低いので、地球の温暖化の悪影響も受けやすいのです概して人口が少なく、限られた財政のため、多くの島は外からの開発の力に抵抗できません
2007.12.12
島というとロマンスとか透明というイメージを呼び起こします世界中に10万以上もの島があり、風にゆれているやしの木、海生物であふれんばかりのラグーン、そして砂浜にやさしく寄せる波で満ちていますしかし、島の重要性は目を見張るばかりの美しさだけではありません島は多様な生物を育んでいる地球の大きな貯蔵庫なのです好みに合った気候と、歴史的に孤立した環境のおかげで、他所には生存しない無限な数の生物が島に住んでいます島を囲むさんご礁は、珍しい海洋性ゆえに「海の熱帯雨林」とよく言われますマングローブが栄え、数知れない種類の魚が生殖し、養育される住みかなのです小さな島も周りの広い海を自分の配下と主張してきました島の独占経済圏は地球表面の6分の1を覆い、2分の1の海洋生物を保護していると言われています
2007.12.11
「世界救済はひとつの島から」http://www.seacology.org/japanese/
2007.12.10
世界中の島の住民達は、環境保護のために経済的な犠牲を強いられてきましたが、それに対して何の見返りもありませんそこでシーコロジーは地域環境を守る一方、何らかの形で彼らの生活が向上するような企画を探し始めましたサモア島では、辺鄙なファレアルポ村の長老達に3万エーカーの原始熱帯雨林を守ることを承諾してもらう代わりに、念願の学校を建設しました。フィジ島のヤサワアイララ村では、2つの島の保全と「採取禁止」海洋保全地区の設立を確約してもらうことにより、村人のために文化会館を建設する資金を調達しましたこれらは誰もが恩恵を受けるシーコロジー事業のほんの一部です高い目標を掲げながらプログラムが成功しているのは、地域社会に運営を任せているからです
2007.12.09
地球上の島々の環境や文化の保存を唯一の目的とした、世界で初めての非営利、非政府の団体北極圏から南太平洋まで、島の生態系や文化を維持してゆく上で助けとなるような事業を起こしていますhttp://www.seacology.org/japanese/
2007.12.08
スタンダート食べ放題プラン 料金/大人¥1,380 小学生:¥680 小学生未満:¥480時間/11:00~17:00制限時間/なし種類/約50種類のアラカルト料理飲み物/烏龍茶飲み放題 プラス京菜しゃぶ食べ放題プラン 料金/大人¥1,680 小学生:¥980 小学生未満:¥480時間/11:00~17:00制限時間/なし 住所:福岡県糟屋郡新宮町大字三代999-1ウエルタ新宮内 TEL:(092)963-2547定休日/なし営業時間/昼 11:00~17:00夜 17:00~24:00駐車場/あり
2007.12.07
タイトル:あなたの海で作詞・作曲・歌 Shoko 編 曲 高見 博あなたの海であなたを忘れないあなたの海で (instrumental)あなたを忘れない (instrumental)定価:1,050円(税込み)このCDを手に入れたい方は、下記へご連絡ください。 若年認知症 虹の会 TEL.(092)712-6500 天神オアシスクラブ・中島http://www.shoko.cc/
2007.12.05
「あなたの海で」「あなたを忘れない」http://blog.livedoor.jp/shokoppe777/
2007.12.04
博多では辛い焼肉で有名な店個性的な味もみたれ重視辛さと美味さのハーモニー博多にしかない秘伝のたれ千代店営業時間/AM10:30~PM10:30定休日/水曜日住所/福岡県福岡市博多区千代3丁目48-9tel.092-651-7817席数/55席焼台/有煙香椎店・営業時間/【平 日】 PM5:00~PM11:30(LO/11:00)【日祝日】 PM3:30~PM10:30(LO/11:00)・定休日/火曜日・住所/福岡県福岡市東区香椎駅前2丁目1-23 tel.092-661-5074・席数/72席・焼台/無煙http://www.genpukan.com/index.html
2007.12.03
運が強い人とは、他の人といったい何が違うのでしょうか?それって、先天的なもの?後天的なもの?努力すれば得られるもの? いつの頃か、僕は人の運について真剣に考えるようになりました。なぜかというと、自分はものすごく幸運に恵まれているからです。「どうしてオレってこんなに運がいいんだろう!」と毎日十回以上叫んでしまうくらい、ツキのある日常を送っています。 実はあることがきっかけで、僕の運勢は大きく変わりました。これから、そのちょっぴり不思議な話を紹介させていただきます。ちょっと御伽話みたいな話ですけど、本当にあった話なのです。 今から十三年ほど前、僕がまだ大学院の学生だった頃のことですが、一ヶ月間イスラエルを貧乏旅行しました。「中東の取材」が名目でしたが、実はそれまでやっていた研究に行き詰まり、人間関係にもひどく悩み、さらに気性の荒い自分の性格も好きになれず、現実から逃避したい気持ちがあっての一人旅でした。 ある寒い日の夕方、ハイファという港町にバスで着き、さっそく宿探しを始めました。が、なぜかどこのホテルも休業中。「そんなバカな」と焦って探しても、開いている宿は一向に見つかりません。どんどん夜が深まり、寒さも一段と厳しくなってきました。その日は数十年に一度の大寒波がイスラエルを襲った、とんでもなく寒い日でした。もし、野宿したら死んでしまいます。 「オレの人生ってここまでかな」・・・そうつぶやきながら、肩をガクッと落とし、トボトボと通りを歩いていると、一人のユダヤ人のおばあさんが話しかけてきました。 「どうしたんですか?顔色が悪いですよ」 そのおばあさんはニコニコしていて、まるで魔女のような風貌。でも結局、そのおばあさんの家へ泊めてもらうことになりました。おばあさんの家に着くと、まず、おいしい夕食をごちそうになりました。その後、おばあさんは電気を消してロウソクを灯し、いろんな興味深い話をしてくれました。 その中で、「運命というのはね、本当にあるのよ。それに、ツキというのは、実は簡単に手に入るものなのよ」と言ったものですから、「えっ、本当ですか? どうしたら得られるんですか?」と尋ねました。 「あのね、ツキを呼び込む魔法の言葉が二つあってね。一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』。普段何気なく使っている言葉だけど、使い分けるといいわ。・・・そうね、どんな些細なことでもいいから、いやなことがあったら「ありがとう」。逆に、良いことがあったら「感謝します」何度も繰り返し繰り返し言うのよ。そしたら、絶対にツイてくるわ。本当よ」また、おばあさんは次のようなことも言いました。 「絶対に人の悪口を言ってはダメ。言えば言うほど、あなたからツキはなくなっていくわ。人の口から発せられる言葉はね、魂を持っているものなの。だからネガティブな言葉を言ってはダメ。「てめえ!」「クソったれ!」「死んじまえ!」などと汚い言葉を平気で使っている人はね、そういう人生を歩むのよ。だから、きれいな言葉を使いなさい」 おばあさんのお話に、僕はとても感激しました。僕の唯一の取り柄は素直なこと。だから、この日以来、おばあさんから言われたことをひたすら日々実践しています。結果は言うまでもありません。思いっきりツキまくりです。 「オレってどうしてこんなに運が良いのだろう」の毎日となりました。 ある日、「ありがとう」を何気なく漢字で書いてみました。そうしたら、ナント「有り難う」そうか、やっぱり難が有る時に「ありがとう」か!と、一人で感動してしまいました。 PHP研究所副社長の江口克彦さんは、松下幸之助の『出来事の肯定的解釈』を通して、「運の強さとは、まず自分にふりかかるすべてを「自分は運が強い」と捉えることによって、その人の身につくものではないか」と言っています。 また、日本一のお金持ちである、銀座日本漢方研究所創設者の斉藤一人さんも「ツイてる」と言っていればツイてくる。逆に「ツイてない」と言っちゃうとツキが逃げてしまう。実に簡単な法則です」と言っています。 「ありがとう」「感謝します」に加えて「ツイてる」「運が良い」も僕は意識して繰り返し言うようになりましたね。誰に対して言うのか? 喜んで聞いてくれる自分に対してです。そしたらね、すぐに言うクセがつきました。クセがついたらこっちのものです。 今の会社で研究部門の課長になったとき、気になる部下が一人いました。僕よりひと回り年上の係長さん(Aさん)です。優柔不断で自信もなくて、何やってもうまくいかない人でした。 みんなからもバカにされていましたが、人間的にはとても良い人で僕は好きでした。そこで、僕のもとに配属になってもらい、彼にちょっとした提案をしてみました。 「ねえ、Aさん、ご自分は運の良い人生を歩んできたと思います?」 「え?・・・そ~うですね。どう考えても、運が良いなんて思えませんね」 「そうか。ひとつお願いがあるんだけどね、毎朝ロッカールームで会うでしょ。そのとき、「ツイてる?」って聞くから、「ツイてます」って応えてくれないかな。帰りも同じく」「はぁ? どうしてそんなこと言わなきゃいけないんですか?」 ・・・Aさんはそう言うものの、上司のお願いだから「しょうがないな」という感じで、一応了解してくれました。 翌日の朝、「Aさん、おはよう。どう、ツイてる?」 「え? あっ、はい、はい。ツイてますよ」と、少しイヤイヤながらという状態でした。でもね、毎日毎日やっているとAさんも慣れてきて、「は~い、ツイてますよ~」と楽しく言えるようになったんですね。さらに、「今朝、妻がつくってくれた朝ごはん、おいしかったな~」「今日、業者さん、頼みもしないのに、気の利いた物を持ってきてくれてね」というような感じで、ツイてたことの理由付けができるようになってきました。 そうしたら、彼の身の回りに起こる出来事がどんどん変わってきたのです。彼が開発担当していた研磨剤で、誰も到達したことのない品質のものができてしまったんです。それで磨くとものすごくピカピカで、傷が一切ない。 なんと、世界一の素晴らしいデータが出てしまったんです。会社側も多額の投資を行うことを決定し、彼には優秀な部下が二人も付きました。その後のことは言うまでもなく、ますますうまくいきましてね。大口のユーザーからは認定が下り、海外に対して輸出体制も整いました。世界中に供給すればシェア百%です。特許は国内外に出願しました。すべて彼のアイデアと努力の賜物です。明らかに、一年前の彼とは全然違います。僕が何かをしてあげたとしたら、「ツイてる?」って聞き続けたことくらいなもんです。もちろん、僕は彼に「ツイてる?」なんて、もう聞いていません。彼は、いつ、どこでも、「ツイてる、ツイてる、ツイてる・・・」が口グセとなり、笑顔が多くなりました。 皆さん、どんな状況に面しても「ありがとう」「感謝します」を連発しましょう。ツキは少しずつですが、必ずツイてきます。些細なことでもツイたら、「ツイてる!」を連発しちゃいましょう。これで人生、マンモス・ハッピーです。」
2007.12.02
燃える心で言葉と出会う▼同じ話を聞いても、 その受け手の心構えで、 得るものはまったく変わってくるものです。▼1960年代に、京都で松下幸之助氏が、数百人の経営者たちの集まりで 講演をしました。 講演のテーマは、松下の持論である「ダム式経営」でした。 「ダムがいつも一定の水量で満たされているように、 われわれも、人材も資金も蓄えを持って 事業を経営していなければならない」 という話です。 ▼質疑応答の際、聴衆の1人が質問しました。 「ダム式経営をしたいのは山々だ。 しかし、自分には、余分な資金がない。 どうやってダム(蓄え)を作れば良いのか 秘訣を教えてもらえないか」 と尋ねたのです。 ▼松下氏は、じっと考えて言いました。「わたしにも、それは分かりませんなぁ」 その後、「しかし」と氏は続けました。 「まず、ダムを作ろうと思わんと、あきまへんのや」▼失笑が会場をおおいました。 「思うだけでできたら世話はない」 「馬鹿にするんじゃない」 と腹を立てた人もいたでしょう。 「せっかく話を聞きに来たのに損をした」 と失望した経営者もいたでしょう。▼ところが、その中でただ一人、まっすぐに、 燃えるような眼差しで松下氏を見つめる青年がいました。 「そうか。まず思わないとあかんのか・・・」 松下氏の言葉にいたく感動していたのです。 それは、京セラを創業して間もない二十代の稲盛和夫氏です。▼松下氏にしてみれば、 「自分には金がない。 どうすればいいか、方法を教えくれ」 というような質問を受けたとき、 次のような気持ちだったのかもしれません。▼ダム(蓄え)をつくる方法は、いろいろある。 その人の、個性にあったやり方があるので、 「ただ、こうすれば良い」と一律に教えられるものではない。 私だって、何も蓄えがないところからスタートした。 うまくいく方法は知らなかったから、 汗水たらし、知恵を絞り、試行錯誤でやってきた。 皆さんも、いいと思ったら自分からやってみる姿勢が大切だ。 そのためには、まず「やってみようと思う」こと。 「強い信念をもつ」こと。 それが、まず何よりも大切なのだ。▼松下幸之助という稀代の名経営者の心中は 後に名経営者となる稲盛青年だからこそ 受けとめられたのかしれません。 ともかく、このとき稲盛和夫氏は、 他の人が失笑した松下幸之助の言葉を聞いて、 脊髄に火がついたように感動で心を燃やしました。 その火が彼の信念となりました。 ▼京セラの創業時、セラミック製造の作業は、 汚い、厳しい、きついの3Kでした。 深夜作業を終えると、うんざりした若い社員と ともにラーメンをすすりながら、 稲盛氏は信念をもって熱く語りました。 「いま自分たちがやっていることは、 世界の誰もやっていないことだ。 しかし、やろうと思えば必ずできるんだ」 ▼松下氏から受け継いだ稲盛氏の信念は、 その後、会社を大躍進させる原動力となり、 現在に至っています。▼自分の心構えいかんによって、 言葉は宝になります。 心を燃やす原動力になります。 そして、生きていく信念になるのです。
2007.12.01
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