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昔々あるところに、仲が良い兄弟がおりました。兄弟は貧乏ではありましたが、お互いを気遣い、助け合いしながらなんとか暮らしていたそうです。ある日、兄弟が道を歩いていると、なんと黄金に輝く金貨が落ちているのを見つけました。それを見つけた弟のほうは大層喜びました。はしゃぐ弟に、兄はいいました。「この金貨は二人で半分づつ持っていよう。しかし、弟よ!この金貨を決して大切に 扱って無駄遣いしてはならぬぞ。」弟は答えました。「わかりました。兄さんの言うことを肝に銘じます。この金貨を大切にします。」そうして、二人はそれぞれ、半分づつの金貨を持つことにして、別々の道を歩くことになりました。そして、数年の月日が経ちました。兄の方は、手に入れた金貨を元手に商売を起こし、成功を収めていました。今や豪邸を構えりっぱな服装をして、家来も雇っていて、町一番の名士と謳われるようになっていました。兄が、いつものように町を家来をつれ歩いていると前方より一人の男が歩いてきた。その男は着ている服はぼろぼろで、みすぼらしいなりをしていました。しかし、姿は変わっていても、兄はそれが、数年前、別れた弟であることに気がつきました。兄は、弟のそばにかけより声をかけました。「ああ、弟よ。そのみすぼらしい姿はどういうことだ?お前にはちゃんと金貨を分け与え たではないか。どうせ、つまらぬことで無駄使いをしてしまったのであろう」弟は答えました。「私は兄さんの言いつけを守りました。数年前にもらった金貨は無駄使いせずに今も 大切に持っています」弟は、兄の言いつけを守り、数年たった今も肌身離さず大切に布に来るんで持っていました。この物語は、仏教経典にでてくる話を私なりに意訳して抜粋したものです。同じ金貨という宝物を得た兄弟が、その扱い方、大切にするという意味の解釈の違いにより人生が全く異なる展開を迎えてしまうところにこの物語からのメッセージがこめられています。「金貨」というものの本質を見誤ったため、弟は、ずいぶん損な人生を歩むはめになりました。今一度、自分を取り巻く環境や資産、あるいはスキルを見直し、本質を見極めもっともすべてを活かせる道を模索したい。
2008.04.19
私にはこだわりがある。といっても酷く幼稚なものではあるが。それは、働く職場の環境には、うるさいほうであるということ。汚らしい薄暗い建物に入っている会社などで働くと本気で具合が悪くなる。こんなことを書くと、とんでもなく我侭なやつだと思われるかもしれない。もちろん、いったん職場が決まってしまえば、そんなことは行って折れないので仕事はこなす。だが、やはり、パフォーマンスは低下することは否めない。これは、一種のトラウマなのだが。。今の職場は、高層ビルの中でかなり環境がよいので気にいっている。プロジェクトは火を噴いてるが、もう少しがんばってみようかな。
2008.04.17
人の性格、行動パターンは、過去から現在までの足跡を辿る過程において作られてきたものだ。中国の古典の四書五経の中の一つに「易経」がある。この書物のなかの言葉で次のものがある。「霜踏みて堅氷に至る」冬の寒い朝、地面にはうっすらと霜が降りている。その霜は打ち払ってしまえば、なんてことのない細やかなもの。しかし、この霜を放置して、足で踏み固めると固い氷となってしまう。いわゆるアイスバーンである。堅氷に至れば、なかなかこれを打ち崩すことは困難なことだ。この言葉は油断していると最初は、柔らかい霜も固い氷になるごとく、物事も柔軟性を失ってしまうことを意味している。もちろん、この言葉にはもっと深い意味があるのではあるが、簡単にいうとこんな感じだ。人間の性格や行動パターンもこの言葉どおり、しらずしらず堅氷になってしまい、改めることが困難な状態になってしまうことが多いような気がする。では、堅氷に至ってしまった、自分自身の性格、行動パターンを改める方法はないのであろうか?一つだけある。それは、自分が最もこだわっているものを積極的に一度、あきらめてみることだ。あきらめるという言葉には、ネガティブな意味合いで受け取られることが多い。しかし、ここで強調しておきたいのは、「積極的に」という部分である。多くの場合、願望や目標を定めて、突き進もうとする。だが、それこそが、今まで自分が突き固めてきた性格や行動パターンから生まれたものなのかもしれない。硬直した考え方、状況を打破していくためには、一度、自分自身が背負いこんでいる思いやエゴを捨ててみる必要があるのではないだろうか。捨てることができれば、新しい道も見えてくるものなのかもしれない。
2008.04.16
ブログを開設してから辛くも3年の月日が経過しようとしている。なんだか、いつもそんな報告を書いては、ブログを放置している気がする。よくも、まあ、削除されずに残っているものではある。ブログを書き始めた当初から今にいたるまで、フリーランスのエンジニアとして活動してきたわけだが、これといって真新しい事柄があるわけでもなく、他のエンジニア向けサイトで多くは語られていることの真偽をいちいち確認する日々を過ごしてきた。ただ、やはり、リアルで感じるのと他サイトの記事を読んで、わかったつもりになるとでは雲泥の差が出る。現実は、そんなにあまくないですね。(^^;)フリーは選択の自由が広い。ゆえに迷いが常につきまとう。迷いに足をとられれば、逆に不自由さすら感じてしまうことがある。そのようなことは、独立しなければ、決して理解できなかっただろう。体験から得たものは大きい。
2008.04.13
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