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新疆楽しかったです。 そこにあったのは、 草原・砂漠・空・大地・山・太陽・雲・湖・羊・馬・牛・遺跡・葡萄・墓・観光客・人間は少し・少数民族・通れない高速道路・でこぼこ道・中国人の喧嘩・注射・羊の肉と乳・恐ろしい気温差 なかったのは、 トイレ・羊肉以外の食べ物・休憩 という感じです。感覚は伝わるでしょうか?私が行ったのは、ウルムチ・天山天地・セイラム湖・イーニン・ナラティー大草原・トルファン・です。 もうそこは中国ではないですね。歩いている人々の顔も違いますし(もちろん漢族の方もいますが)むしろ、外国にむりやり中国をねじ込んだような奇妙な感覚でした。トルファンなどの観光地では、少数民族の方の写真を撮るとお金を請求されていました。何か人をめずらしい動物か何かのように扱っているようで写真を撮るのはやめました。その代わり、景色の写真は大量に撮ったので個人的には満足です。それと、本当に心が広くなった気がしますね。お墓なんかもそこら辺に(草原と空しかないような場所に)ありましたし。写真はセイラム湖
2005/08/13
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私の住んでいる上海大学の付近はザ-北区大寧というところでそこには日本で言う自治会のようなコミュニティー(社区)があります。そこが主催する「双語角」という中国の人と外国人が公園で言葉などを教えあう活動が、毎週日曜日に一時間ほどあるのですが、今日はその社区が夏にサマーキャンプを主催するのでそのためのイベントがありました。私はそこで発言をする事になり・・・。上海大学の国際交流学院の留学生代表として中国語・日本語・英語で日ごろの活動などを話したのですが、本当に緊張しました(>
2005/07/03
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南京二日目は・南京大虐殺記念館・夫子寺・中山陵に行ってきました。【南京大虐殺記念館】南京大虐殺については様々な意見があると思います。しかし、殺された方の人数や、展示されている写真の真否に関わらず、ここを日本軍が占領して多くの一般の人々が殺されたしかも、多くの人がむごいやり方で・・・という事実は認めて、そこから出発しなければいけないと思っています。展示には「歴史を鏡として、後の教訓にしよう」というようなことが書かれていました。しかし、展示の全体的な主旨として、そこから読み取っている教訓は「戦争は人間を殺す。こんなにも何の罪もない人々が殺される戦争というものをなくしていこう!」というようなものではなく、「経済的に弱い国はこういう目にあうんだ、だからみんなで団結して中国を強くしよう!」というものでありました。是には広島や長崎の例と比べて色々と考えるところがありました。日本と中国の友好のためにも、東アジアの平和の為にも考えなくてはいけないことが山ほどあります。【中山陵】中山(孫文)のお墓があるのがこ中山陵。なんだか、台湾の中正記念堂(こちらは蒋介石)とそっくりだなーという印象を受けました。屋根が真っ青で、建てものが白いんです。中や天井には国民党シンボル現在の台湾の国旗?である青天白日旗の模様が・・・。ここは撮影禁止だったのですが、観光客はバシバシ写真を撮っていたので私も天井だけ失敬させてもらいました。南京の旅行は、考えることの多い楽しい旅となりました。次はどこへ行こうかな・・・。写真は南京大虐殺記念館の彫刻
2005/06/11
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金曜日授業の後に一泊で南京に行って来ました☆上海から南京までは汽車でやく4時間と少し(特快はもっと早い)私達は硬席に乗って出発です。上海から南京に向かう汽車は、上海を出発し、蘇州、無錫、常州、鐘江南京、と進んでいきます。あの日中戦争の時、南に戦線を拡大した日本軍が上海に上陸し、南京に向かっていったルートとほぼ重なる旅となりました。私のいる上海大学があるのは上海のザー北区。日中戦争の時に日本軍の空爆にあい、大打撃を受けた場所でもあります。南京についてまず最初に思ったことは、「木がでかい!」上海も道路わきに木を植えているところはありますが、それと比べものにならないほど南京はとても大きくて鬱蒼とした感じでした。歴史を感じましたねー。【汽車内で思ったこと】汽車に乗って思ったことは、やはり中国には色々な人がいて、色々な人生があるということです。行きは上海発なので、上海人が多く乗っていました。私の前に乗っていた女の人はきれいな格好をしていて、絶えず携帯電話で誰かと話をしていました。電車が特快でないのを聞いて、「買ったときは特快って言っていたのに!4時間半も乗っているなんて絶えられない!」ともらしていました。その人は、こちらを何も気にせずに、話をすることもありませんでした。それとは対照的なのは帰りの電車。帰りの電車はどこが始発だったのかはわかりませんが、温州行きでした。多くの人が座席を取らずに乗っていて、いたるところで簡単な小競り合い(座席を取っていた人が座れなかった為)をしていました。私の隣に座っていたのは蘇州にたぶん物の売り買いに行くであろうカップル。そして、斜め前に座っていたのは、雲南省出身の女の人と、北方出身の男の人(彼らは71、72年生まれ)のカップルです。しばらくすると彼らはお互いに興味を持って話を始めました。雲南の人と北方出身の人は、10代の時に出会い、それから10年以上ずっと一緒にいると話していました。彼らに「南京では何をしていたのか、杭州には何をしに行くのか」とたずねたところ、「南京ではアルバイトをしていた、杭州ではまだ何をするかわからない」と言っていました。彼らは、ずっとこのように各地を回りながらアルバイトをして生活をしているのでしょうか?途中で車内販売の水を買ったときに女の人が大切そうにティッシュにくるんであるお金を取り出して(ぱっと見た感じ数百元)高いともらしていました。暫くすると蘇州行きのカップルの男性の方が話しかけてきました。どこ出身かと聞かれたので中国人ではない、日本人だと答えると話は思わぬ方向へ。前方や後方の座席に座っていた人達にも私達の会話が聞こえたのか、みんながこちらを見守る中、学生証を見せるはめになりました(笑)それが、あろう事か人から人へどんどんと手渡され、ちゃんと戻ってくるのかドキドキでした(笑)日本人を初めて見た人もいたようでした。興味を持って色々聞かれたので聞かれるまま答えていると、話はお金の方へ。日本から中国への飛行機が安くて3000元くらいするという話になると「そんなにお金を持っているのか!」と。現在の中国は上海でも月の平均収入は2000元を越えるくらい。俺達は友達だろう!日本に行くからあちらで面倒を見てくれと言われ、ちょっと困りました。電車を降りるまでの約2時間多くの観衆に見守られて話をし、また聞き続けました。日本人と聞いて顔色を変えた人達も、最後にはニコニコ顔になってくれたので、良かったです。しかし、私達の会話に入ってきたり、興味深げに聞いていたのはブルーカラーの労働者、もしくは農民といった感じの人ばかりでした。途中、蘇州辺りから乗り込んできたビジネスマン風の人達は別に日本人なんて何も珍しくはないのか、もしくは自分のやることで忙しかったのか、近くに座っても何も興味を示さず、自分達のことをやっていました。日本を離れて、中国で暮らして約3ヶ月半。上海にいても日本と違うところをたくさん感じる毎日ですが、上海は中国の中でも特別なところなんだと肌で感じることが出来たような気がします。この広い中国をもっともっと感じたいです。
2005/06/10
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中国の6月7日はある意味で特別な日です。それは、「高考」(大学入試)が始まる日だからです。中国の高考は、今日から9日までの三日間で全国共通。たいていは高校で受験することになります。高考の数日前から、結構な騒ぎになっています。新聞でも、試験当日の気温は~、当日の渋滞は~など様々報道していましたが、特に大変なのは受験生を抱えた家族です。ご存知の通り、中国では子供が一人の家庭が多いので高考ともなれば家中の一大事です。ラジオでは、高考前日から4日間休みをとったお父さんの話や、当日遅れてはいけないので新しく助行車を買った人の話など、どれ程この高考が一大事かを物語る小話がたくさん流れていました。多くの父母が高校の前で、自分の子供が試験を終えて出てくるのを待っています。以前、高考は7月の7,8,9にあったそうですがその時期とても熱いので一ヶ月早くしたようです。このことからも、高考がどれ程重要かがわかります。「望子成龍、望女成鳳」受験戦争三日間の幕開けです。
2005/06/07
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上海には地下鉄が通っています。これまた日本の地下鉄と同じかそれ以上にきれいなのではないかと思うような地下鉄です。今のところ1号線から3号線まで通っていますが将来的には上海万博に向けて8号線までできる予定だそうです。そして、地下鉄以外にも、地方へ行く人、地方から来る人が利用する。電車があります。その中心地はなんと言っても「上海駅」いつも地方から来た人などで賑やかに盛り上がっています。しかし、この上海駅付近、上海で一番治安が悪いんじゃないかと思われます。スリや泥棒の多いこと多いこと。この駅の付近で最近習い事を始めたのですが帰りにはいつも、お財布に気をつけて!かばん取られないように!と声をかけてくれます。前に道に迷っておまわりさんに聞いたときにも、財布に気をつけて!といわれました。ここでは、地方から来た人なのか、上海の別の場所では見ないほどたくさん子供(ほとんどが少年)が働いています。道端で何かの広告のカードを配っているのです(たいていは飛行機予約)また、道端で物乞いをする人、座り込んでいるひとなどなど上海の別の場所とは比べ物にならないほどたくさんいます。彼らの多くは「発票、発票、発票(レシートの意味)」とつぶやいています。これは先生に聞いたのですが、地方から出張などに来た人が会社が支払う飲食代等のレシートを売り買いしているとの事でした。ここは、上海にいてはなかなか見ることのできない中国の「格差」の一端を垣間見れる場所です。
2005/06/03
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前々から言われていたことではありますが中国語は、本当に「音」を大切にします。有名な例をあげると。例えば中国の家庭ではよく「福」という字をさかさまにしてドアに貼り付けます。これは、倒す(逆さにする)という意味の「dao」と来たという意味の「dao」が同じ音なので福が来た、もしくは福よ来い!というような意味でこうするとの事です。また、引っ越しの時などの贈り物に「時計」をあげてはいけないとの事。これは、時計を意味する「鐘zhong」と終わりを意味するの「終zhong」が同じ音で、時計を送る「送鐘song zhong」となくなった方をあの世へおくる「送終song zhong」が全く同じ音になってしまうからなのです。最近、中国の方がこのように音を大切にするというのが身にしみてよくわかる出来事がおこりました。それは私の名前を新しくお友達になった方に教えた時のこと。私の苗字は本来「ku」と発音するのですが、中国では珍しいためよく「jue」と間違えられます。その方も始めに「jue」と間違えて発音したので、私の苗字は「ku」というのだと訂正すると、「いや、jue」の方がいいのだといいます。理由を聞くと、「kuの音はは、泣くを意味するkuや、苦しいことを意味するkuと音が同じだから、聞こえが良くない」というのです。なるほど、言われて見れがその通り。私はそのとき初めて、自分の苗字がこのような意味を表す音と同じであることを知りました。本当に、面白いですよね。これからもこんなことに注意してみると、面白い発見がいっぱいあるような気がします。
2005/06/02
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留学生新聞を始めることになりました。アメリカの大学から来た友達が始めたいというので私も中心的に手伝うことになりました。もちろん中国語で書くので語学の勉強にもなります。内容は、留学生のカルチャーショック、学校の近くのおいしい店、様々な国からきた学生の感覚の違いを話し合う場所の提供などです。留学生と中国の人の交流も企画しています。それで、早速事務室に行き、創刊号に国際交流学院の院長に文章を書いてもらおうとしたところ、他の先生に引き止められました。どうやら、学生が自ら「新聞」を書くというのは問題があるようです。先生曰く、「日本や他の外国と、中国の事情は異なるのだ。学生自治会が新聞を出すのは問題はないのだが・・・。」それで、留学生担当の先生に了解を取ることに。新聞のコンセプトを説明し、了解を取ることは出来たのですが、政治に関することは書かないこと、発行する前にその先生に見せることが条件となりました。こんなことからも中国の内部の事情を見たような気がしました。
2005/05/18
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「道端にタンをはく人達!あれは外から来た人達よ!」「お財布には気をつけな、最近は上海の外から泥棒がたくさん来てるから。」「最近お店のウエイトレスには上海人は少ないの。汚くてきつい仕事はしたがらない人が増えているし。」「地下鉄で列に並ばないの、あれは上海人じゃない!」「デモに参加した人は上海人じゃないわよ。」「上海人はきれい好きなの!」地下鉄でタンを吐いていたあの見目麗しい女性はどこの人か?店で上海語を喋りまくるあのかわいらしい小姉はどこの人か?道端に平気でごみを捨てるあの中学生達はどこの人か?ああ、それが愛すべき上海人!
2005/05/11
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5.4.この日はデモが一番懸念されていた日でもあります。しかし、中国政府が動き出した為、デモの呼びかけが行われていたサイトが閉鎖されました。そして、そのほかの愛国サイトにも、労働節期間中のいかなるデモも支持しないとう声明が発表されていました。それなので、今日もいつもと同じようにお2人と出かけです!今日はショッピングデーにするということでしたのでまずは浦東の巨大なデパート正大広場へ。本当に巨大なデパートでした!中国のブランドですごくかわいいものを見つけました!これからもたびたびチェックしよう!そして、昼食後シャンヤンの市場へ。ここは服飾礼品市場で、その名のとおり洋服とかお土産がたくさん売っています。そのかわり偽者のブランド品ばかりで最初は驚くほど高値をふっかけてきます。(特に外国人には)大体が値引きをすれば最初の値段の5分の1くらいにはなりますね。もっと安くなるものもあります。ちなみにYちゃんが買った箸。最初280元といわれていたのを80元までまけさせて買いましたが、少し入った店で全く同じものが80元から売られてました。ほんとボッタクリです。値切りのコツは、自分がこのくらいの値段なら買おうか、と思える値段より安くいうこと。そして、最後は譲らない。それで売らないなら帰るという態度を示すことです。そうすると追いかけてきて言い値くらいにしてくれます。しかし、ここで気をつけないといけないのは、値切ると決めたものは買わないといけないということ。もっと値切れそうだからといって最初に自分が言った値段より下げないことです。そうすると、売り子は本当に怒り出します。ここでは私も少し買い物をしました。久しぶり!?そして、この日の夜は最後の夜ということもありクライマックスの黄浦河のクルージングです!上海の夜景で一番きれいなのはこの河をはさんで両岸の浦東と外灘。それが、河の上からたっぷり味わえるのでかなりお得です!約一時間。色々考えながらきれいな夜景を見て上海観光は終わりました。yちゃんMちゃんありがとう!また上海に遊びにきてね☆
2005/05/04
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朝、ラジオで愛ちゃんのインタビューが流れてびっくり!彼女、なんて中国語がうまいんでしょう!私も頑張らなくては・・・と気持ちを新たにして2人と上海の町へちなみに、昨日上海の上海体育館で彼女の試合があったんです。こちらの人は本当にみんな愛ちゃんが大好き!そして、彼女を形容する時は必ず、「赤ちゃんみたい!」という形容詞がつくんですよー。本日は、お2人が我が上海大学を見たいとのことだったのでおよびしました!先ずは私の住んでいる寮へ。やっぱり一人部屋、テレビ・シャワー・空調つきは贅沢だという結論になりましたねー。そして、G会員さんお決まりの魯迅公園・記念館へ。大学からバスで一緒に行きました。東体育館前で下車。こちらの公園は色んなことをしている人が何度いってもやっぱり面白い。バトミントンがやりたくなりました(笑)魯迅公園のあとは豫園に。ここは上海の伝統を今に伝える場所でもあり、買い物ができる場所でもあります。有名な小龍包は並びすぎていたので食べるのを諦めました(笑)ここのものは本当に面白くて、平日とかすいている時にもう少しゆっくり来ようかなっと思いました。彼女らのかわりに値段交渉をするのがとてもうまくなりましたよ(笑)値切った暁には、また友達が来たらつれてきてくれるんなら安くしてあげるといわれる始末。それにしても、人の波、波。疲れたので、帰りにマッサージに行きました。これはほんとうに気持ちがいい!そして、日本のマッサージに比べたらビックリするほど安い!そして、おきまり。マッサージ師さんにも私が日本人に見えないといわれましたねー。この観光が始まってからというもの、お二方は日本人だと言われるのですが私は、どこか別の国の人に見えるらしく。今日は初めて少数民族か?ときかれました(笑)こんど誰かだましてみようかなー。
2005/05/03
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昨日夜に日本から社会学科の時の友達が2人上海に到着しました!南京行きもなくなったし、これをいい機会と、上海を観光しようと心に決めました!(笑)この日は労働節の最中と言うこともあり、どこに行っても「人山人海!」(人がいっぱいという意味)地下鉄もいつもの3倍くらい混んでいてほんとやばかったですね!一日目のコースは、まずは上海の中心地を見ていただこうと、南京東路へそしてそのまま黄浦江の下を通る観光トンネルをくぐり、浦東へ。南京東路は普段でもこんでいるのに、それに国内旅行の人たちが加わり本当に身動きが取れないくらい混んでいました。観光トンネルは何か乗り物に乗って、キラキラと光るトンネルをくぐり(ちょっと悪趣味なディズニーランドという感じ)トンネルの向こうは雪国!?もとい!浦東でした!浦東では上海国際会議中心(センター)の前にすごい人だかりが!その日の朝、ラジオで台湾国民党の連戦が上海に来ていると聞いていたので、まさかと思いそこら辺の人に尋ねると、やはり連戦が来るとのこと!本当に、大量の人々が待っていました。ただの野次馬なのか、それとも何かの期待の現われなのか。そして、私達もその中の一部に。二時間ほど待ちましたが、ものものしい雰囲気はあるものの連戦を見ることは出来ませんでした。そこら辺の警察にたずねても、自分も知らないということだったので、諦めて昼食を取りに行くことに。昼食後は、東方明珠テレビ塔などを眺め、浦西に戻りました。夕飯まではそのほかの繁華街を散策、そして上海のヨーロッパ?「新天地」へ!ここはすごくおしゃれで、物が一番高い場所!そして、なぜかこんなところでS大の後輩のG君にあいました!駄目だよー。新天地で遊ぶなんて贅沢な暮らしをしちゃ!そして夜は外灘(バンド)と浦東の景色が見渡せる穴場のバーへ!そこで、日本の活動のこと、仕事のこと、様々なことを久しぶりに語り合いました!やっぱり大学の仲間っていうのはいいですね!お土産にS新聞とうどん、つけものを頂きました!帰りは地下鉄の終電がなくなってしまったのでタクシーで。写真は、連戦を待つ人々
2005/05/02
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そして、杭州旅行の二日目は六和塔や博物館などに行きました!六和塔は、とても高くて(60m)登るのが大変でした!昨日の夜にホテルでしたマッサージがなつかしいくらい(笑)そうそう、マッサージをしている時、歴史的な国共対談が行われた番組を流してくれていたのですが、マッサージをしていた安徽省出身のお姉ちゃん達(といっても私より若い!)は連戦をみて「この人誰?」って言ってました。話は戻って、六和塔ですが、眺めが最高でした!そして、茶葉博物館と中薬博物館へ茶葉は、特に杭州の特産である龍井茶(緑茶の一種)の入れ方をじっくりと勉強してきました!杭州に近いせいか、上海でも龍井茶は一般的に飲まれていて、私も毎日愛飲しているのです(笑)そして、一路上海へ。天気があまりよくなかったので時間を切り上げての帰宅となりました。バスはパンクするし、道に迷うし(さすが中国!)本当に波乱万丈の旅行でしたが、楽しかったです!杭州旅行で一つ心残りなのは、龍井茶の聖地とも言うべき龍井泉に行けなかった事ですね。次回は必ず行こうと思います!
2005/04/30
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4月29日-30日と、一泊で杭州に旅行にいってきました☆29日には烏鎮(上海から杭州に行く途中にある水郷)と杭州で一番有名な「西湖」に行きました!行く途中高速バスから見えた風景は日本とは大きく違ったものでした。何が違うかというと、山がない!!平らな地平線というものは日本ではなかなかお目にかかれないと思いますが、こちらでは近くに山がないので360度平らな地平線になるのですね。さすが、大陸!そして、上海の都会である中心地しか見てこなかった私には同じ上海でもこんなに田園風景が広がる地域があるのか、と驚かされました。そして、バスは杭州のある浙江省へ烏鎮では小船で古い家々の並ぶ市内を観光しました。市の中心を流れる小さな運河「東市河」では、鵜飼が鵜を使って漁をしていたり、周りに住んでいる住民が洗濯物をしていたり、この地域の様々な生活模様を見ることができました。また、染物やおかしなど、この地域の特産を売っている昔ながらのお店を散策してなかなか有意義なひと時をすごしました。そして、再度バスに乗り込み杭州の「西湖」へ杭州に入ると周りの風景が一気に美しくなりました!道はきれいに整備されているし、中央分離帯に植えられている花々は上海のように排気ガスで灰色になっているということもなくスプリンクラーで水をまかれ、色も鮮やかに周囲を照らしていました。町を行く人々もどこかこざっぱりとしていて、余裕が感じられました。最近杭州留学が流行っているようですが、ここは本当にお金持ちの人が多くて、景色もきれいだし、日本人には暮らしやすい所だなーと感じました。中国の六大古都でもあるし。新しい建物もたくさん造っていました。そして、「西湖」はというと、とても美しかったです!この名前はその昔、春秋時代に越王の勾践が呉王の夫差に贈ったという絶世の美女「西施」にちなんで名づけられたようです。本当に、絶世の美女にふさわしい美しさでした!一元札の裏に印刷されている三本の石塔も眺めてきましたよ。
2005/04/29
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最近はデモの話題が続きますが、また今日もその話題です。デモのあった日。知り合いのS君(彼は上海人で、日本の大学に一年間留学していた経験を持つ)が、同じ大学に留学していた友達と夕飯を食べていまた。日本人のMさんから電話がかかってきたので、いつものように日本語で応答したようです。(彼らはみんな日本語が堪能)その時、店の中にいた数人の中国人男性が、彼らを日本人と間違えけんかになりました。S君達も腹を立て、殴り合いの喧嘩になったなったそうです。その後、彼に会ったMさんの情報によると、彼は頭から血を流しながら、自分の国は嫌いだと話していたようです。それとは対照的に、デモを見に行った日本人のこの話。彼は、上海に一年住んでいるのですが、デモの日は日本人の友人三人とデモを見に行ったようです。実は今日、その時の写真を見せてもらったのですが、たくさんの人に紛れ込みピースをする三人。彼曰く、こっちにきて一年もすると、遊ぶことがなくて困るとの事。彼にとってデモは観光の一部だったようです。さて、これをみて何をどう考えるべきでしょうか。
2005/04/21
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今日の授業で聞いたのですが、上海大学の先生達は自分の大学の学生がデモに参加しないように奮闘したようです。大学で呼びかけるとともに、人民広場方面のバスに乗る学生をつかまえては思いとどまらせたり本当に大変でしたよね。土日も出勤して帰ったのは夜の11時とか。おかげで、上海大学の参加者は少なかったようです。多かったのは、上海交通大学、華東師範大学など。デモから2日たってこちらの日本人社会は平静をとり戻して来ました。けっこう、物見遊山の参加も多かったようです。私も冷静になってこのデモを分析出来るようになってきました。普段の生活には支障はありませんので、安心してください。参加を呼びかけていたサイトでは、5.4にもデモを行うと予告をしています。ゴールデンウィークにこようとしている人は、くれぐれも気をつけてデモ隊の近くには寄らなければそこまで危険はないと思うのですが。
2005/04/18
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今日のデモは、とっても大変だったらしいです。日本のニュースで知っている方もいるとは思いますが、本日現地時間9時、上海市の中心地である、外灘、人民広場あたりで人が集合し、日本総領事館(これは日本人の多くいる古北地区にあります)に向かって行進しました。その後は日本人のたくさんいる古北地区に入り込んで行ったようです。行進は今でも続いています(現地時間の17時)行進の中心は若者だったようです。警察もいたようですが、基本的にただ見ているだけで行進を止めたりはしなかったようです。***ここからは、目撃者の証言など***1)人民広場付近に住んでいる日本人あまりにも声が大きいので家にいられない。それなので、近くの上海植物園に避難している。(この証言は中国語でした。日本語を話すと危険なので)2)日本総領事館付近に住む中国人すごい人が集まっている。事前にネットでトマトと卵持参という情報が流れていたが、本当に投げている。3)上海大学の中にいた日本企業で働く中国人私は参加しませんでした。もし社長にみつかったら首になっちゃいますから・・・。参加していた人は上海人じゃないんじゃないですか?わからないけど・・・。4)上海大学留学生寮のフロントのおばちゃん中国人、特に上海人は日本人を殴ったり出来ないわよ。だから安心しなさい。そんなことは絶対にないから。5)古北に住む日本人の方先ほど(現地時間の18時頃)家の近くを通り過ぎていった。領事館近くの目立つ日本料理屋はめちゃくちゃにされていた。火を付けられたという情報もある。6)中国人の友人(女性22歳、会社員)デモの情報は同僚から聞いた。みていないからどんな状態なのかわからない。五月に日本に行く予定だが、この状態だからビザが下りるかわからない。******今日は上海大学内でも物々しい雰囲気を味わうことになりました。新聞を買いに学校の外に出たのですが、門には警察が張り込んでいました。学校に戻ってきて門から入ろうとすると、「お前はどこに行くんだ。」と詰問口調。「学校の中の宿舎にいくんだ」と答えると、私の中国語がちょっとおかしかったのか「留学生か?」と聞かれ、「留学生だ」と答えたら入れてもらえました。学生証、要持参だったようです。(知らなかった・・・。)もちろん、こんなにすごいデモでも、新聞には一言も載っていません。これらのデモを呼びかけているサイトでは、今日のデモは無許可で行われるため、しっかりとわきまえて行動するようにとの注意が飛び交っていました。なかなか、大変なことになってきましたねー。私は見た目完全に中国人で、話さなければ絶対にばれないのですが、それでも今日の夜、留学生同士の外出は控えることにしました。追伸:今日のデモの様子は、デモを呼びかかけていた書き込みサイトで分析されていました。ただし、10万人くらいが集まったとか、書いていましたが・・・。
2005/04/16
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ついに上海でもデモがあったみたいです。本日(13日現地時間8:00、日本時間9:00)に上海の日本領事館前で2万人の人がデモに集まるよう呼びかけされたようです。周辺の日本企業の人からの連絡ですが、実際に人が集まったかどうかは定かではありません。また、今週の土曜にも人民公園でデモが行われる予定だそうです。こちらは週末の休日であることから、人が集まることが予想されます。写真を撮りに行きたいのですが、止められました(笑)実際に、同じ学校の日本人が石を投げられたと言っていました。先日は上海で日本人留学生が殴られるという事件がありましたが、あれも関係があるのでしょうか?ちなみに、そのことはこちらでは報道されていません。どこまでが本当でどこまでが嘘かはわかりませんし、今まで日本人に友好的だった上海人がいきなりそこまで変わるとは思えません。こっちにいても、自分の目で確かめなければ事実は雲の中・・・です。ちなみに私の周辺はいつもと変わりなくいたって平和的です。以前、北京でデモがあった時に上海人の先生にこのことを聞いてみました。彼女は、「上海人は自分の生活のこと、お金を稼ぐこと、きれいな服を着ること等に興味があって、政治に関心がないの。むしろ、昔日本が・・をしたとか、そういう話は嫌いなの。だから、北京ではあるかもしれないけど、上海では心配ないわよ。」と言っていました。上海人のある友達も、「そういう話は、自分と関係ないからよくわからない」と言っていました。でも、これは日本人に友好的な人の話すことなので、他の上海人がどこまでこのような意見なのかはわかりませんし。上海には上海人以外の外省人がたくさんいます。どんな人がそのデモに参加しているのか、どういう人が呼びかけているのかそのあたりが興味のあるところです。どうやらネット上で情報がやり取りされているようなので、そちらを覗いてみます。これ以降も、このことを追っていきます。
2005/04/13
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今日は、留学に来て初めて本格的にお腹を壊しました(>
2005/04/08
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だんだん暖かくなってきました。お蝶さんのブログによると、武漢では桜が綺麗に咲いているようですが上海はやっと咲き始めたみたいです。東京八王子はまだ枝垂桜だけなんですね。今年は遅いですね。上海では、あるところに行って見ないと見れない桜。新聞では中山公園の桜が咲き始めたといっています。来週の土日くらいが見ごろだとは思うのですが、来週の土日は予定がつまっているので行けないでしょう・・・。残念。上海中心気象台では、連続で5日間平均気温が10度を超えると春になったとしているようで、上海は3月30日に春になったようです。そうかと思っていたら今日は夏のような暑さ!学校の中庭の芝生には欧米から来た人々がランニングで日向ぼっこをしている姿が見受けられました。でも、夕方になったらまただんだん寒くなってくるので怖いです。気温差が激しいので風邪をひいてしまいました。気を引き締めていきます!
2005/04/05
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最近、中国で耳にする日本のことといえば、韓国との「竹島」問題常任理事国入り反対、教科書問題等、ちょっときな臭いものばかりですが、30日付けの「新民晩報」にかわいらしい記事を見つけました。みなさん、普通にご存知と思いますが、卓球の愛ちゃんこと福原愛選手が中国遼寧省の女子卓球チームでプレイすることになったというものです。どうやら、昨日(31日)に中国外務省の劉建超報道副局長が「日中関係改善のために必ず効果がある」と発言したそうですが(毎日新聞より)、上海市民愛読の(上海市のこまごまとした情報満載:でも政府発表の記事の少ない)「新民晩報」にこれが載っているとは、驚きました。記事は短く、内容は事実を淡々と述べたものでしたが、写真につけたコメントがかわいい!『ブランコに載っている福原愛「赤ちゃん顔」の一枚、とてもかわいい』ここからも、愛ちゃんに寄せる中国の人の愛情(?)が感じられません?ぼかしたから写真を載せてもいいかな・・・。
2005/04/01
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上海の子供は面白い服を着ています。はじめ見たときはびっくりしましたが、結構便利かも。どうなってるかっていうと、おしりのところが開いてるのです。用を足す時はそこから・・・。恥ずかしくないのかなー。それよりも、寒くないかなーと心配です。そういえば最近はなくなってきましたが、お手洗いもドアがないところがありました。この前、上海古グ園に行ったとき、そこのお手洗いにいたのですが、多くのおばちゃんはドアを閉めないのです!鍵もついているのに!そして、極めつけに、まだ終わっていないおばちゃんに「早く入ってきなさい!いいわよ!いいわよ!」というようなことを言われました。(上海語だったのでよくわからなかったのですが、手招きをされました。)ちょっと・・・。迷いましたが、にこやかに話しかけてくるおばちゃんの申し出を断るわけにもいかないので、心で泣きながら「シャヤ(謝謝の上海語)」といって入れていただきました。結局待ってなきゃいけないので、時間の短縮にはならなかったのですが・・・。こんな経験日本では絶対にできないですよね。すばらしいです(泣)。
2005/03/28
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上海の冬は八王子より寒く、夏は八王子より暑い。こんな天気です。最近は雨ばかり。もうすぐ梅雨になって,あけると夏になるそうです。春はいずこ~??そして、極めつけは空気が悪い!晴れてても曇ってても霞がかかっている感じ。有名な東方明珠棟からの景色もあまりよくないようで・・・。そう、こっちに来て最初に気になったのは「すずめ」が黒い!!こと!決して種類が違うわけではないと思うのですが・・・。ちなみに最近開発されている浦東地区のすずめは黒くなかったです。このあたりは特に空気が悪いのでしょう。写真には上手く取れなかったので、来たら見てみてください。今日は、2月25日9時に開通した上海史愛国主義教育基地ネットにリンクを貼って終わりにしたいと思います。http://www.sh-aiguo.gov.cn/全国の国家級、市級、区県級200以上の愛国主義教育の基地が紹介されています。
2005/03/27
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ずいぶんとご無沙汰しました。たへです。こっちにきてから一ヶ月も音沙汰なくてすいませんでした。これから少しずつこちらのことを書いていこうと思います。まずは、身近なことから。私が現在留学しているのは上海大学の国際交流学院というところ。上海大学は校区が三つあるのですが、そのうちの一つ。延長路にある校舎です。この校舎は、理系の人たちがいるところなので、気になる授業を聞きたいときは、遠い遠い新校区に行かなくてはなりません。まだ、もうちょっと中国語を頑張らないと授業を聞いても子守唄にしかならないと思いますが・・・(笑)奇しくも、先日の特別文化講座「魯迅を語る」に上海大学のことを書いていただき、私も気合を入れなおしました。そして、ネット環境はダイヤルアップ・・。中国はネット社会ときいていたんですが、あんまり環境はよろしくないようです。ちなみに、こっちはカード社会です。電話をするにもネットをするにもカード。ちなみに寮内の洗濯もカード、食堂もカードです。学校の近くには今年の初めに開通した地下鉄の駅(延長路駅)がある為、中心地に出るのにとても便利です。ちなみにこれにも私はカードを使って乗っています。日本でいうスイカみたいなものです。地下鉄の駅に面白い広告を見つけたので、今日はその写真を載せて終わりにします。
2005/03/26
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ついに明日出発します!中国国際航空で、到着飛行場は浦東国際空港です。(心も含めた)準備とか、ここ一ヶ月くらいかなかなか忙しい日々でした。本日の夕方携帯を解約したのですが、少し寂しさを感じたのは、常に誰かとつながっていたいという現代人の欲求のせいでしょうか?旅なれていないせいか、スーツケースはパンパン。超過料金覚悟ですね(^^;)。到着語、大学の方が出迎えてくれるそうです!留学生とか、たくさんいるのにありがたいですね。ネットの状況がどうなるのか未知数なので、しばらくはBlog書けないと思います。(今もあまり書いていませんが)では、期待と少しばかりの不安を胸に、いってきま~す☆
2005/02/20
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留学中の資金のこと。本当は、シティー・バンクと郵貯の提携を利用して、JALマイレージバンク郵貯ワールドキャッシュ(長い名前!)を作っていこうと思ったのですが、先日郵便局に行ったら、「お作りするのに一ヶ月程かかります。今回はあきらめてください」と言われました…。いや、諦められないだろう!!だって、一年もトラベラーズチェックとか嫌だし。どうすれば…。と思ったら、みずほでも海外で現地通貨をおろせることが判明しました!危機一髪!?すぐに手続きしました。一週間から10日でカードが届くようです。今回ばかりは焦りましたね~。でも、これでもうだいたい準備は終わったので、後はどうやって荷物を持って行くかを考えるのみですかね。修士論文の準備もしなくてはいけないので、どの本と論文を持っていくかを選別しなくては。出発まであと、18日。
2005/02/03
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昨日、学校での最後の手続き(と思われる)出発届を出してきました。出発届といっても、すぐに出発するのではなく、出発の飛行機とかを報告するのですがなんだか、近づいてきたって感じです。この後、国際課が保険の手続きしてくれるので楽でよかった☆今回出発する交換留学生から、保険の料金は大学が負担してくれるので助かりました。そして今日Hゼミの三年生のみんなが中国出発組みの壮行会をしてくれるそうです!嬉しい(>
2005/01/28
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今日は、台北日本人学校でお世話になたN先生に会って来ました。N先生は奥さんが上海の人で、留学に行くことを話したら色々と教えてくれるということだったのでお家に伺いました。先生と奥さんは1980年代に知り合い、結婚したそうです。いまでも形式的にはそのようですが、当時の結婚は許可制で、特に外国人との結婚を政府は認めていなかったそうです。まず、外国人とお付き合いすることすらできなかったようで、ばれたら捕まる!!というから驚きです。先生の友人も何人か捕まったそうです。(どのくらい拘束されるのかは聞きませんでした)先生も奥さんとのお付き合いを隠すのにすごく苦労したといっていました。もちろん、お二人の結婚許可にもたくさんのコネと少しばかりのお土産が必要だったそうで…。しかも、結婚の申請をした時には、すでに要注意の外国人リストに名前が載っていたそうです。どうやって調べたのか、怖い…。中国共産党はすごい情報収集力だったのですね。結婚話はこのくらいにして、重要なあちらの情報をたくさん教えていただきました。持っていったほうが良いもの、逆に向こうで購入すれば良いもの、公共の交通機関の使い方、喜ばれるお土産、あとは美味しいお店や、見ておいた方が良いもの等です。楽しそうですねー。聞けば聞くほど、一年じゃ足りないなですね。語学と専門の勉強のみでなく、あっちの空気を肌で感じて、たくさん学んできます!(出発まであと一ヶ月を切りました。)
2005/01/23
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今、中国と台湾の間の「三通」が変化しています。この「三通」についてちょっと書いてみようと思います。 三通とは、中国大陸と台湾の「郵便、通商、通航」のことで、中国はこの「三通政策」によって台湾統一工作を進めてきました。一方の台湾側はこれまで、「不談判、不接触、不妥協」の「三不政策」によってこれに対抗していました。 しかし、両岸の年々増える貿易や投資など経済交流の進展によって、水面下での交流は着実に進展していて、非公式・民間レベルでの部分的な三通(小三通)はすでに実現しています。 台湾メーカーは、すでに中国への製造ライン移転を進めているので、三通を拒否することは自滅行為です。また、台湾対岸の福建省などは、港などの施設の準備が整っており、三通はいつでも始められる状況のようです。 ただし、三通は「1つの中国の原則」のもとに全面的に(大三通)おこなわなければならないとし、小三通による段階的な解禁は認められないというのが中国側の原則的立場です。 もっともこの当たりは政治的な思惑もからんでいて、両岸は相手の出方を見つつ駆け引きを行っている状況です。中国側は、「三通は経済問題で、一つの中国の政治問題に立ち入らなくてよい」(銭基シン副首相)との柔軟姿勢で、台湾に攻勢をかけています。 2003年1月には、台湾機の中国大陸乗り入れが決まりました。中国と台湾の54年間の歴史の中で初めてのことです。これで春節(旧正月)の時期、中国大陸で働く台湾のビジネスマンは上海から台湾の航空会社によるチャーター機で帰省できることになりました。 また、昨年の12月29日には江蘇省の太倉と台湾(基隆・高雄)を結ぶ初めて定期貨物航路が正式開通しました。日本の石垣島を経由するようですが、貨物の積み替えは不要で事実上の「直行路線」となっています。 「三通」に対する捉え方は、「国内便」に準ずると考える中国と「国際便」として取り扱う台湾に違いがあり、まだまだ全面的に開通するのには時間がかかりそうです。 今後の両岸関係に大きな影響を与えるであろう「三通」は、これからも注意して観察していきたいポイントです。
2005/01/20
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趙紫陽についてひとこと。 趙紫陽さんは、文革時代67年には「陶鋳の走狗」と批判され失脚しました。復帰した後は四川省第一書記、省長として経済改革に取り組み、農業請負制と企業自主権の拡大で大きな実績をあげ、そのことが「四川の経験」と評価されて、79年中央政治局委員になっています。 そして、80年4月副総理として中央入り。同年9月華国鋒に代わって総理就任。82年9月の12全大会で政治局常務委員になり、トウ小平のバックアップのもと、胡耀邦総書記とのコンビで改革開放に取り組みました。つまり、経済改革のプロだったわけですね。 87年1月、民主化運動への対応を批判され解任された胡耀邦総書記のを引き継いで、総書記を代行。11月に総書記、中央軍事委第一副主席になりました。 同年の13全大会では、「社会主義初級段階論」を出して沿海地区発展戦略を提起し、市場経済化を加速させました。 さまざまな問題を抱えつつも、今日の上海の、ひいては中国沿海部全体の経済発展はこの趙紫陽さんなしには語れないのです。 89年6月に起きた天安門事件では、民主化を要求する学生に同情的な姿勢を示したため、トウ小平ら党の主導の下、4中全会で総書記はじめ全ての職務を解任され失脚しました。その後を江沢民が継いで総書記となっています。 2003年4月末、「北京市の自宅で急死」との情報が、中国のウェブサイトに流れたようですが、翌5月、国務院弁公室が公式に死亡説を否定しました。 2005年1月10日にも、病気入院のためか、香港紙が死去報道を行いましたが、政府、家族とも否定していました。 今回は本当に亡くなってしまったようです。趙紫陽さんの名誉回復は天安門事件の再評価とからむだけに微妙な問題ですが、いつか名誉が回復される日が来ると考えています。【北京・大谷麻由美】中国共産党機関紙「人民日報」は18日、89年の天安門事件で失脚した趙紫陽・元中国共産党総書記が17日に死去した事実を淡々と伝える記事を最終ページに小さく載せた。 人民日報など主要各紙の記事内容は、17日に新華社通信が報じた内容と全く同じで、扱いもほぼ同様だった。 人民日報のインターネットサイト「人民網」に設置された掲示板「強国論壇」や新華社通信のサイト「新華網」の掲示板「発展論壇」などでは、趙氏死去に関する論評は見られず、書き込みが制限されている模様だ。(毎日新聞 2005年1月18日 東京夕刊)
2005/01/19
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すいません。今記録のために過去の日記書いてるんです…。この日は領事館に査証を受け取りにいきました。領事館の近くには大使館があるのですが、大使館の前には「法輪大法好」とかかれた横断幕を持った法輪功の人々が…。他にも江沢民を厳罰に処せとかいったような幕も持ってましたねー。繁体字だったので、台湾か香港の人かと思いますが。そういえば教祖は今アメリカに亡命中とのことです。この方たちが1999年4月25日に政府のある北京の中南海を包囲しまして、共産党の指導部に大きな衝撃を与えた訳ですが、おかげで某組織も活動停止になりました。留学してからは一人で頑張らなければいけないのかなー。包囲とはいっても、ただ静かに座り込みをしただけで、彼らが帰った後にはごみひとつ落ちていなかったそうですが…。まあ、法輪功の話は機会があれば詳しく書くとして、査証は3000円で取得できました。並んで一瞬でしたねー。昔はただパスポートに印鑑をおしただけだったようですが、いまはきちんと用紙となっておりました。初めてのビザも無事に取得できましたし、これであとは航空券を購入するのみです。
2005/01/07
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ついに、ビザの申請をしてきました。中国領事館は今日が仕事始めの為、混んでいることを予想してはやめに出発しました。留学の為のXビザに必要なものをすべて持っていざ広尾へ!途中で写真添付の為にのりを購入しましたが、領事館にはなんでもそろっていて、驚きました!スピード写真、写真を切る機械、のり、コピー機その他もろもろ。領事館内には、たくさんのパスポートを束ねた査証代理申請の旅行会社の人たち、様々な中国語を話す人たち、ビジネスマン、色々な人がいて面白かった~。あと、窓口のお姉さん。慣れた日本語で話しているかと思えば、急に英語になったり中国語になったり。ビザは4営業日で発行されるそうなので、7日にはできているようです。
2005/01/04
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健康診断の結果を受け取りに行ってきました。ちょっとドキドキしていましたが、特に何も問題はなくこれでビザ取得のための書類がそろいました!予約時間に遅れてしまい、年末で、今日が最後の日だったのでギリギリセーフでした!あぶないあぶない…。
2004/12/27
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1年留学する為に査証が必要になってくるのですが、これには国公立病院での健康診断が必要です。平日の午前中のみという学生には厳しい時間帯ですが、今日は学校の薦めもあって日野市立病院に健康診断に行ってきました。やることは、基本的な身長体重…などど視力。そして心電図と血液検査です。私は、以前親知らずを抜いたときに貧血を起こしたことがあったので(←小心者)看護師さんに「採血で貧血を起こしたことがありますか?」ときかれた時、念のため「はい」と答えました。そしたら、別室に連れて行かれて…。ちょっと焦りました(笑)一緒に留学をするようちゃんも、私がどこかへ連れて行かれるので驚いたようで。横になって採血するために、ベットのあるところに連れて行かれたのでした☆そんなこんなで無事に1時間程度で健康診断は終わりました。保険がきかないために、2万6千ほどかかってしまいました。6日後の結果受け取りが楽しみです。
2004/12/21
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