1
約1年前にムスメがグレードテストのために弾き始めたドビュッシーのグラドゥス・アド・パルナッスム博士。本日、グレードテスト本番を無事終了いたしました。グレードテストでは、アド博士だけでなく、もう1曲、レッシュホルン作曲の「柔軟な手首の動きのための練習曲」という、ちょっとツェルニーに似たアルペジオの練習曲をひかなければならず、こちらは秋から練習を始めたのですが、よくまぁ仕上がったと思います。なにしろ、部活だ、学校行事だ、と、週1回のレッスンにも行けなかったことが何度もあって、しかも、12月と1月は月に2回くらいしかレッスンを受けておらず。家で練習する時間なんて、本当に皆無で。それで指をくるくる動かし続ける曲を2曲も仕上げたのは、本当にわが子ながらたいしたものだと思いました。まぁ、大して練習もしなかったし、今回は落ちても仕方ないか、くらいに思ってテストに臨んだのですが、とりあえずノーミスで弾ききることができました。それにしても、ちょっと驚いたのが、同じ級を受けた子がムスメの他に3人いたのですが、他の子たちの弾く曲のレベルとムスメの弾いた曲のレベルが、あまりにも違いすぎて・・・。これで同じ級は、ちょっと不公平なのでは!?というくらいムスメの弾いた曲は難易度の高い曲でした。一つ上の級を受けたお子さんが弾いた曲も、かつて、「子どもコンクール」(対象学年小3まで)でよく聴いたなつかしの曲で。ということはつまり、一級上でも、小3生が弾けるような曲だということで。アド博士、そんなに簡単な曲だとは思えないんですが(^^;;;ムスメ自身もテスト会場で驚いたようで「ちょっと飛び級させてほしいくらい」とこぼしていました・・・。まぁ、よくがんばりました。ただ、テスト本番で頭が真っ白になったようで、「(「柔軟な手首の動きのための練習曲」の方は)頭が真っ白になってどこを弾いてるのかわからなくなっちゃって・・・繰り返しをごっそり間違えて弾いたかも」と・・・。ノーミスでも楽譜通りじゃなければ・・・ダメですよねぇ。ちょっとドキドキな結果待ちです。それにしても、今日でアド博士ともお別れ・・・と思うと、とてもさびしい気がする私でした・・・。
January 26, 2014
閲覧総数 1621
2
映画『オッペンハイマー』、実は先週の日曜日にムスメと見てきました。クリストファー・ノーラン監督 『オッペンハイマー』https://www.oppenheimermovie.jp/#modal感想をひと言で言うと、日本人ならこの映画を絶対に見るべき!ですが、とても難解です。「原爆の父」として知られる科学者の伝記的映画であったため世界公開前に日本国内で物議を醸し、国内では一旦公開中止となったものの、アカデミー賞7部門で受賞を果たし、とうとう3月29日に日本公開となりました。「広島・長崎の描写が一切ない」ということから原爆投下礼賛とまではいかずとも肯定のストーリーなのではないかとの懸念もあったようですが、私は、ノーラン監督は明らかに反核兵器、反戦争の立場であり、「当時原爆は生まれざるを得なかったが、日本に落とされる必要は本当にあったのだろうか?」と考えているような印象を受けました。このように日本への原爆投下の正当性に疑問を投げかけるような映画が米国で高く評価されたということは大きな驚きです。・・・とまぁ、いろいろわかったように書きましたが。まぁとにかく、前評判通り、わかりにくい映画です。何の前知識もなくこの映画を見たら、間違いなく寝ちゃうと思います(上映後、そう話していた若者がいました・・・)。第二次世界大戦、戦中戦後の社会情勢(米独ソの関係性)やアインシュタインと量子力学との関係性・・・いわゆる「教養」を試されます。そういう意味では、私はある程度この映画の時代背景の知識があってよかったと思っています。話がちょっと逸れますが、ときどき「三角関数なんか大人になって使ったことがないから勉強するのはムダ」などという論争が起きたりするじゃないですか。この映画に関して言うと、私は「学生時代に量子力学と素粒子論を勉強していて本当によかった」と実感しました。なぜなら、量子力学には絶対に欠かせないような超一流の現代物理学者の名前が映画の中でぞろぞろ出てくるからです(ちなみに、量子力学の中身は全く必要ありません)。そして不勉強ながら私は全く知らなかったのですが、オッペンハイマー自身もまた当時の超一流の物理学者だったのです。あの、今では誰もが知っている”ブラックホール”の存在を世界で初めて理論的に予言したのがオッペンハイマーでした。そして第二次世界大戦後、プリンストン高等研究所の所長となって、ノーベル賞級の日本人理論物理学者、湯川秀樹、朝永振一郎、南部陽一郎などを招聘して育てたのでした。実は私はこの映画を見るまでは、オッペンハイマーという人は自己顕示欲がとても強く名誉にこだわる人物で、物理学でなかなか頭角を現せなかったから”原子爆弾の開発者”という名誉がほしくて暴走したマッドサイエンティスト、という印象を持っていました。おそらく、大方の人たちは多かれ少なかれそのようなイメージを持っていたのではないかと思うのですが。これは私の勝手な想像なのですが、クリストファー・ノーラン監督は、この映画によって、オッペンハイマーについてのさまざまな先入観や後世に作られ勝手に一人歩きしている誤った不名誉なイメージを払拭したい、という狙いがあったような気がしてなりません。彼は鬼畜でも悪魔でもマッドサイエンティストでもない、非常に優秀な物理学者だということ以外は、本当に一介のごくふつうの人間で、ただただ時代が彼に原爆を作らせただけなのだ、ということを描きたかったのではないかと。そして、原子爆弾は当時最高峰の頭脳をもつ”超賢い”科学者たちが集まって理論と技術の粋を使って作り上げたものではあったけれども、その科学者当人たちもまた欲望や羨望、嫉妬といった人間らしい感情に支配され大きく翻弄され、この地獄の猛火をコントロールすることはできなかったということを訴えているように感じました。一旦開けられたパンドラの箱を元に戻すのは極めて難しい、人類にその覚悟はできているのか?と問われている気がしました。実はこの映画を見る前に、たまたま、とある雑誌の解説記事を読んでいたのですが、これを読んでいたからこそこの難解な映画を楽しむことができたと思います。オッペンハイマーという人物を端的に非常にわかりやすく解説した記事です。日経サイエンス 2024年5月号『特集:オッペンハイマー その知られざる素顔』https://www.nikkei-science.com/202405_078.html映画「オッペンハイマー」を見に行かれる方は、その前に、ぜひ雑誌を手に取って全文を読むことをお勧めします(ただ、この記事自体もちょっと小難しいかもしれませんが・・・)。この映画の最後のシーンには、「アインシュタインという人は何をした人なのか?どういう人なのか?」という知識が深く関係しています。アインシュタインにまつわる知る人ぞ知るいろいろなエピソードを知らないと、最後のシーンはとても難解です・・・これを「教養」として観客に求めるのはとても酷な気もするのですが。でももし知らなかったとしても、謎は謎のまま余韻が残る不思議な映画です。
April 14, 2024
閲覧総数 145
3
本日22:30からNHK総合にて戸塚洋二先生のドキュメンタリーを再放送します。(副音声で、ノーベル物理学賞受賞者 梶田隆章先生と池上彰さんの解説を聞けます)『あと数ヶ月の日々を~物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜』https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/episode/te/6QZ261R81X/スーパーカミオカンデの建設の陣頭指揮を執られた、私が最も尊敬する素粒子学者です(・・・っていうかほぼほぼふつうのファンです)。本来、ノーベル物理学賞は戸塚先生が取られると言われていたのが、その前にお亡くなりになりました。このドキュメンタリーはすでに2回見ています。そして、何度見ても号泣してしまうのです・・・。1回目、2回目を見たときの感想をこのブログに書いています。 ノーベル賞をもらう必要条件https://plaza.rakuten.co.jp/tanuchan/diary/201010080000/祝・ノーベル物理学賞~戸塚洋二先生の功績https://plaza.rakuten.co.jp/tanuchan/diary/201510060000/「物理学者 がんを見つめる 戸塚洋二 最期の挑戦」https://plaza.rakuten.co.jp/tanuchan/diary/201510120000/スーパーカミオカンデの建設にまつわる話といい、闘病のご様子といい・・・ドラマ化、しませんかね。戸塚先生のブログThe Forth Three-Monthshttps://web.archive.org/web/20081110222735/http://fewmonths.exblog.jp/
April 26, 2024
閲覧総数 222
4
朝日新聞の日曜版に『おやじのせなか』というコラムがあって、毎週違う有名人や文化人がお父さんの背中から学んだことを書いています。で、今日のコラムは坪内祐三さんという評論家の方でした。人前で「まずい」は下品 朝日新聞 2009年5月3日そのコラムの中にこんな一節がありました。坪内さんが小さいころ、あるデパートのレストランで食べたハンバーグライスが、いつも食べていたレストランのものと比べておいしくなかったのだそうです。「まずいね」と父に告げると、「おいしいと思って食べている人もいるんだから、そんなこと言うな」と。おいしいと言うならともかく、まずいなんて人前で言うのは下品。それは今も僕の中に残っている。 この一節を読んで、ある気になっていたことがすとーんと腑に落ちました。去年の夏だったか。劇団四季の子供向けミュージカル地方公演がうちのあたりにもやってきました。小学生は無料ご招待--ただし、親は料金を払ってね、という企画だったので、小学校を通して申し込んだところ、たまたま、ムスメの同級生ママ&娘ちゃんも申し込んでいたとのことで、一緒に行ったのですが・・・。前・後半の間に設けられた休憩時間、うちとは座席が離れていたそのママ&娘ちゃんとロビーで落ち合ったのですが、そのママさん、開口一番、「なんか、つまんないわねー。うちで寝ていればよかったわ」と。子どもたちの目の前で。聞いているところで。確かに、話自体が前半あまり明るい調子ではなかったし、台詞も東北弁を意識したコトバだったので、こちらの人にはわかりにくかったかもしれません。でも、四季なのでダンスもアクションもキレがあって素晴らしく、歌声も迫力があって、ムスメははじめてのミュージカル体験に目が釘付けになっていました。なので、ムスメと私は、すごいねー、と、ぽーっとなっていたのですが、「つまらない」のコトバに、はぁ・・・な心境。まぁ、人によって受け取り方が違いますからね。感想を率直に表現することは悪いことではない・・・ですしね。これまで、よほどよいものを見ていらっしゃるんでしょうし。だから、四季といえ地方まわりの子供向けのミュージカルはつまらなかったんでしょうね。(でも、私も一時ミュージカルにはまっていて、帝劇まで見に行ったりしていたこともあったので、見る目がないとは思ってないんですけどね)と思いつつも、何か・・・もやもやーーーーっと、心の隅に残ったままだったのです。なんか、ヤダなー、それ今言わなくてもいいじゃん、と。でも、そんな私の了見が狭すぎる?とも思ったり。私は、はっきりものが言えない日本人気質?と気落ちしてみたり。でも、坪内さんのコラムで、すっきりしました。そう、楽しんでいる人の気分に水を差すようなことをするのは品がないのです。気に入らない点があったとしても、その場で口にしなくてもあとで話せばいいことだし。そもそも、子どもの前でそんなこと言っちゃぁいけないですよ・・・。でも、私自身、そんなことをぽろっと言ってしまっているかもしれない、と、猛反省(汗)。何も考えずにものをいっていることがあるからなー・・・要注意。坪内さんのコラムはこう締めくくられていました。 評論の中で、自分の嫌いという感情を押しつけようとは思いません。だいたい、好きなもののことを書いているだけでハッピーじゃないですか。好きなものだけ。それも父の影響か。これ、いいなー♪と思いました。この前向きな考え方が。だって人生、その方が楽しそうですものーーー。まぁ、人生が長くなると、嫌いなものもたくさん出てくるし、愚痴もこぼしたくなるけれど、そういう時はなるべく自分の「嫌い」という感情を人に押し付けないように気をつけよー。気がつかないでやってそうだからな、私。というわけで、一つ勉強になりました♪
May 3, 2009
閲覧総数 344
5
ジブリ映画の『耳をすませば』。私の大好きな映画なのですが。その最後の方に、こんなシーンがあります。人生をかけた大挑戦を終えて、疲れ果てて、制服のままベッドで眠りこんでしまった主人公に、父親が布団をかけてあげながらこうつぶやくのです。「戦士の休息だな・・・」今まさに、うちのムスコ、「戦士の休息」中です~。前のエントリーに、ムスコもまた4月から学校生活の集大成をかけた一大チャレンジにのぞんだことを書いたのですが。すべてを終えて、学校から帰宅したムスコ。キッチンに来るなり、「なんか・・・終わっちゃったら空しいもんだね・・・」と。「でも、とっても楽しかったよ。やってよかった」と、ちょっと興奮気味で、キッチンでずっとしゃべり続けてました。自分が本当に役に立ったのか、よくわからない。最初は自分一人でもがんばる、と気負っていたのが、高1から下は中1まで、後輩全員が、自分の得意分野をテキパキとこなしてくれて、結局、自分は見ているだけだった気がする、のだそうです。なんか、よくわかりました。私も、子供会行事のたびに思うことですから。会長だから、っていろいろ気負っていたけれど、どの行事もみんな、テキパキとこなしてくれて、私はうろうろしているだけで終わってた・・・みたいな(笑)同じような感覚に陥るなんて、ヘンなところで親子だなぁと思いました(^^;;;)でも、本当にみんなよく動いてくれたのだそうです。それぞれに得意分野があって、この人はこれ、あの人はあれ、と、分担を決めたらみんな、きちんとこなしてくれて。気がついたら、何も言わないのに自発的に掃除を分担してくれる人までいて、びっくりした、と。ええ、うちにもそういう子、一人欲しいです(違)。うちのムスコががんばれたのも、きっとみんなが頑張ってたからなんだろうな、と、あらためて、いい仲間に恵まれて本当によかった、と、涙うるうるものでした。実は。うちのムスコ以下の学年は、それより上の学年と溝ができてしまっていたようなのです。上の学年の先輩たちが結束の固い人たちだったようで、下級生であるうちのムスコたち以下の後輩たちには、雑用以外の仕事が回ってこなかったのだそう。それで、展示物作製のノウハウが伝承されずに途切れてしまったのだそうで。ムスコにしてみれば、4年間、もっといろいろやりたかったのにさせてもらえなかった、という後悔があったのでしょう。半ば強引に自分から部長に志願して、上級生から下級生まで垣根をなくして、全員参加で展示物をつくる、という態勢につくりかえた、というようなことを教えてくれました。「だって、下級生のほうがいろいろ知ってるんだもん。先輩とか後輩とかそんなのいらないよ」と。そして、「一部の上級生が自分たちだけでやっていたから、下がどんどん離れて行っちゃったんだよ。だから、全員に仕事を任せないと」ともいっていました。もっともだと思います。でも、こんなムスコですが、帰ってくるなり、「本当にこれでよかったのかな?僕、何か全然役に立ってなくて。僕なんか存在感なかったでしょ、○○くんのほうが部長に見えたよね・・・」と、なんかしきりに自信なさげにしていたので。「大丈夫!たぬきちは一番背が高いから、目立ってたし、一番先輩に見えたよ!」と、言ってやりました。そりゃぁもう、親なんてエコひいきの塊ですから、自分のムスコしか見えてませんから(爆)そしたら「え?あ、そっかー(^^)」と、ホッとしたような表情に。いや、ホント、気にしてたのね・・・。戦士の休息・・・明日の朝までリビングで眠っているつもりのようです・・・起こしてもびくともしないしなー。疲れ、取れるのかなー?
September 12, 2010
閲覧総数 1709
6
以前、ちょこっと書いた、ムスメのピアノコンクールがこの日ありました・・・。結果は・・・玉砕!でした~~~(><)わずかに持っていたプライドが雲散霧消、というか、もうレベルが違いすぎちゃって笑うしかなかった、というか・・・(^^;;;;;)去年までは『こどもコンクール』に参加していました。参加資格が小3まで、課題曲も難しすぎない曲目に抑えられていて、”表現力を競う”と謳われているコンクールでした。それが、今年からは小6までが参加対象のコンクール。課題曲がなくなり、完全に自由曲一本勝負。で、ムスメは、湯山昭作曲の『バウムクーヘン』で参加したのです。ムスメ本人としては、大変良い仕上がりまで持っていけました。あの小さな手で1オクターブに広がるアルペジオの連続を私よりはるかにきれいに弾けるようになったのには、我が子ながら驚きました。年末のピアノ教室のクリスマス会ではノーミスで完全に弾けるようになっていました。先生も、「これなら、いい線までいけますよ」とおっしゃってくださって・・・。ただ。ここのところ、レッスンで弾くときにふと指が止まることがありました。「なんか、頭が真っ白になっちゃって・・・」といっていて。私も夢中で弾いていると、それまで難なく弾けていたところがふと弾けなくなることがよくあって、あ、そういうことかな?と思っていました。それが、頻発するようになってきて、ちょっと不安ではあったのですが、練習しすぎると指が痛くなったり、手が疲れて演奏が雑になったりするので、直前は練習を絞るようにしていました・・・。それが、裏目に出てしまったのかもしれません。それまで自分と同じくらいの背丈の子どもたちの中で弾いていたのが、今回は、ムスメとは子どもと大人ほども体格の差のある大きな子たちがぞろぞろと・・・。プログラムを見てみれば、ショパンやらモーツァルトやらバルトークやらスカルラッティやら大御所の名曲から、聞いたこともないような作曲家、タイトルの曲がずら~~~り。そして、ムスメの直前に弾いた女の子が、それはそれは上手だったのです。あとでムスメが「なんかね~、音がきらきらしてたよ」というほど。こどもコンクールとは全く違った雰囲気に、ムスメは飲まれてしまったようです。練習ではあれだけ上手に弾けていたのに、曲の始まりから、気持ちが上の空になっていることが演奏からわかるほど、空回りして・・・。演奏会で初めて、舞台の上でミスをしました。あ、泣き出す・・・ムスメの姿を見ていて、それが見て取れました。でも、なんとか持ちこたえて弾きつづけたのですが、いつも絶対に間違えないようななんでもないところでまたミス。その後のクライマックス部分は、今までにないほどよい出来だっただけに、痛恨のミスでした。とりあえず最後まで弾ききって、舞台から降りてきたムスメ。歩いているときはなんでもないような表情をしていたのですが、私のそばに戻ってきたとたんに、泣き出しました・・・。声こそ出さなかったものの、号泣でした。舞台の上でミスをするという、人生初の経験でした・・・。ただ、すべての演奏が終わって結果が出てみれば、ミスがどうのこうのというレベルではなく、曲のレベルもテクニックも、はるかに差があった、ということでした(^^;;;)入賞者は、もう、大人並みの演奏でした。ご近所で「ちょっと上手ですよ」くらいじゃ、ぜんぜんダメ、ということでした。ムスメにもそれがよくわかったのでしょう。帰るときには「ミスさえしなければ、もうちょっと納得がいく演奏だったのにねぇ・・・」とたらたら言っていた私に、「え?もう全然気にしてないけど~~~(笑)」とムスメ。切り替え早いな~~~。でも、今まで井の中の蛙で慢心気味だったムスメ、さほど年の違わない人たちが大人のように弾いている姿を見て、もっともっと練習しないと、とモチベーションアップしたようです。それは大収穫。ま、いつまでその気持ちが続くかは、わかりませんけどね・・・毎度のことで(^^;;;)さて。帰りの車中、私が「やっぱり、体格の差は大きいよね~~~ほとんど6年生だろうね~~~(金賞の子は5年生でしたが体格の大きい子でした)」とつぶやいていたら。「でも銀賞取った子、3年生だってよ」と、オットが・・・「後ろの席に座ってた人たちが言ってたぞ、3年生なのによほど自信があるんだね~、って」p(@@)q確かにいました。ムスメより小柄に見える女の子だったのに、ショパンのワルツをまるでプロのように弾きこなしていた子が。・・・体格だけじゃないのね・・・なんだかもう・・・この世界は広すぎて深すぎて・・・ぐったり疲れた帰途となりました・・・。
January 24, 2010
閲覧総数 2491
7
引っ越しのアドバイス云々を書こうとはつゆほども思ってません・・・なんとなーく、振り返ってみたかった、という、あくまでも個人的感情的な話になりますが。でも、全部書くと、恨み辛みも合わせて一冊の本にでもなっちゃいそうなので、ほんのひとこと(<ウソばっか)。今まで、独身の時も合わせたら、7回ほど引っ越しを経験してきました。引っ越しはいつでも大変な作業でした。でも、こんなに大変だったのは、今回が初めてでした・・・何が大変って・・・ゴミとほこりとの闘いが。今年度に入って引っ越し話が進み始めてから、徐々に物の整理を始めておりました。一部は、このブログのカテゴリ「クリーンアップ大作戦!」にも書いてきました。仕事が上がって時間ができるたびに、洋服、押入、本棚、仕事机、台所、ベランダ・・・と、徐々に捨てたり譲ったりして、物を減らしてきたつもりでした。でも。本格的に引っ越し作業に入ってから捨てた可燃ゴミ。45Lのゴミ袋に24袋分。リサイクルゴミ、10袋分以上。古紙、すごくたくさん。粗大ゴミ、袋詰めしたものだけでも軽トラ1杯分(<もはや数えきれず)これに、台所で使っていた家具は油ほこり汚れで一切使い物にならず、本棚やタンス、テーブルセットも、引っ越し先に合わず、捨てたり、リサイクルショップに引き取ってもらったり。それでも捨てきれずに残ったものが、まだ新居のベランダに放置してあります。結局、ゴミを全部引き上げるのに、引っ越し作業後から丸2日かかりました。キレイになったと思っても、湧いて出てくるんです、あちらの隅、こちらの隅から不要物が。そして驚いたのが・・・ほこり。その量たるや、ハンパじゃなかったです。これは旧居の団地が特殊な作りになっていたせいもあったからとは思うのですが。風の通りを一切無視した作りになっていた上に、我が家は1階だったので、窓を開け放すということがあまりできなかったのです。その上、網戸がないから夏はほぼしめ切ったまま。朝、掃除機をかけても、昼には食卓の上に字が書けるほどほこりが積もってました。マメに掃除される方でも「ほこりが・・・」とグチってらっしゃったほど。全然掃除しなかった我が家は惨憺たるもので。引っ越し屋さんが、ほこりを感動的なほどキレイに拭って運んでくださった家具を新居で受け取ったオットが「ほこりだらけで恥ずかしかった・・・」とのたまうほど。何を驚いたかって、家具をどけたら、壁にほこりが生えているんですよ・・・唖然としました。途中から、旧居の床は「土足で結構です」と言いたいくらいの状態になってました。結局、荷造りを始めてから引っ越しまで1週間ほど、この大量のほこりの中で家族そろって寝泊まりしていたわけですが、全員、風邪をこじらせ(私はさっさとお医者さんに行って薬で抑えたので治りましたが)、体調絶不調のまま、年末年始を迎えることに。日頃、カゼなんかひかないオットまで、ゲホゲホしてましたからねー・・・ほこりで人は死なない、といいますが。私は「死ぬ」と思いました。えー、そこで命をかけて学んだ教訓。家財はもう増やしません。掃除はマメにします。今振り返ってみると、顔から火が出るほど恥ずかしい引っ越しでした
January 9, 2008
閲覧総数 3429
8
公開前の宣伝を全く行わなかったということで話題になったジブリの映画『君たちはどう生きるか』を公開日の翌日(7/15)に見てきました。ちょっとだけSNSで感想を見かけたものの、事前情報ほぼゼロで見に行きました。確かにそれが正解だったような気がします。なので、まっさらな頭で映画を見に行きたいと思ってらっしゃる方は、ここから下は読まないで下さいね(なるべくネタバレ的なことは書かないようにしますが)。ひと言で言うと、宮崎駿監督の集大成。このタイトルから「宮崎監督に説教されるのだろうか?」とドキドキしながら見に行ったのですが、原作の吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』とは全く異なるストーリーで、とにかく宮崎ワールド全開。宮崎監督の初期の初期の作品から、『ナウシカ』、『ラピュタ』・・・『風立ちぬ』まで、全作品のエッセンスがぎゅっと詰まっていて、見覚えがあるシーンがこれでもかと詰め込まれていました(宮崎作品以外にも名作映画を彷彿とさせる描写があった気もしますが・・・)。そして、まるで夢の中をさまよっているような心地よい気持ちになりました。「このシーンの意味は?」なんて難しく考えちゃいけない、ただただ宮崎ワールドに浸ればよい・・・映画を見た直後の感想はそんな感じでした。なにしろ、宮崎監督自身が「おそらく訳が分からないところがあったでしょう。私自身、訳が分からないところがあったのです」とおっしゃっているのだそうで。好書好日ー「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと https://book.asahi.com/article/14953353でも、家に帰ってきてからいろんな方の感想や背景情報を少しずつ眺めているうちにふと気がついたのです。宮崎監督はこの映画を通して「ボクはこう生きたよ。君たちはどう生きる?」と問いかけているのではないかと。この作品は制作にあたって制作委員会方式をとらず、大手テレビ局や出版社、各種企業とのタイアップをほとんどしなかったのだとか。それはつまり、宮崎監督が自分のやりたいことを自由にやりたい、ジブリのファンに自分から直接メッセージを発したい、ということだったのではないかと思いました。これまでジブリ映画を楽しんできた大人世代には「なつかしい宮崎作品の集大成」と見えますが、そうした長い歴史を知らない子どもたちや若い人たちには、複雑な社会の中を生き抜いていくための一つの指針を示している様な気がしました。宮崎監督らしく、押しつけがましいところなくさらっと。映画を見に行った日の夜、実家にたまたま吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』が置いてあったので、初めて読んでみました。そして、なるほど、と思いました。宮崎監督はこの物語のエッセンスをうまく抽出して、それを宮崎ワールドで描き直したのか、と。登場人物にも「あれ?」と思うような共通点があります。映画を見たけど原作を読んだことがない、という方は是非読むことをお勧めします(大型書店で山盛りに平積みされてました(^^;))。児童書ですが、戦前に書かれたとは思えないとても明るく前向きな優れた哲学書です。映画の最後のシーンは、まさに原作の終わり方そのものでした。ボクはこう生きたよ。さあ次は君たちの番だ。君たちはどう生きるか君たちはどう生きるか [ 吉野源三郎 ]漫画 君たちはどう生きるか【電子書籍】[ 吉野源三郎 ]
July 20, 2023
閲覧総数 146
9
先月末のことですが、角野隼斗(かてぃん)ピアノ、下野竜也指揮の日本フィルハーモニー交響楽団演奏会に行ってきました。皆さま既にご存じのように、角野さんは、開成中高、東大工学部OB、大学院在学中に2018年ピティナ特級グランプリ受賞、そして2021年ショパンピアノ国際コンクールで三次予選出場。それでいながら、Cateen(かてぃん)としてジャンルを問わないピアノ演奏を披露する大人気YouTuberという、なんだかもう、天は一人に何物を与えるんですか?というお方です。我が家のように、中学/大学受験のためにすべての習い事を中断/断念、みたいなことをせずとも、いくつもの最難関をさらりと乗り越えていく才能は、うらやましいなどという次元を超えて、単純に「すごい・・・」という言葉しか出てきません。さて、そんなかてぃんさんですが、ショパンコンクール以降、彼の演奏会のチケットなんて取ろうと思っても取れるものじゃないと、チケット争奪戦に参戦することすらすっかり諦めてたのですが。ある日、うちの実家のリビングに区の広報が落ちていました。片付けようと思ってちょっと裏返してみたら、なんとそこにかてぃんさんのお写真と演奏会のお知らせが。その週の週末がチケット発売予定日。区の公会堂だからチケットが安い・・・これは天啓?そこで、チケット争奪戦に参戦してみようと思い立ったのでした。チケットのオンライン発売開始日当日。10時からの発売開始に備えてすべての環境を整えてPCの前に待機。接続チェックを何度もして、いざ、10時を迎えました。ところが、10時を過ぎた途端ネットがつながらない!それでも2,3回トライしたらあっさりつながって、え?楽勝??と思いながらチケットを買う手続きを進めていったのですが、どこかの操作を間違えて座席が自動選択になっていて、取れたのは2階席の前の方でした。えー、座席は選びたいなぁ・・・と思い、もう一度戻って座席選択の画面に入ったところで不思議なことが起きました・・・座席が選択できない。なぜだ??何度か操作を繰り返したのですが、座席選択の画面が出ない。え?と思って、もう一つ前の画面に戻って確認してみたら・・・もうS席は完売していたのでした。ものの数分の出来事でした。小さいホールで座席数も少ない、というのはあるのですが、それにしても、ものの数分でS席完売・・・。10時からネット接続を開始していたのに自動選択で2階席が提示されたということは、1階席は1,2分で売り切れたということか、それとも別ルートで事前確保してらっしゃる人たちがいたのか。なぜ素直に2階席で我慢しなかったのかとか、もう、朝からどよんとした後悔の気持ちでいっぱいになりました。ただ、幸い、A席はわずかに残っていたので、A席を購入しました。小さいホールなので、2階席の奥の方とはいえステージがすごく遠いという感じではないだろうと、ちょっと気持ちを立て直して。当日はチケット完売。同年代を中心にお客さんには女性が多く、角野さんの人気を体感しました。演目はフィンジ:前奏曲 ヘ短調バルトーク:ピアノ協奏曲第3番Sz,119ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」日本フィルの演奏は初めてだったのですが、下野竜也指揮のオケの演奏もとても素晴らしかったです。特に最初のフィンジの前奏曲は5分という短い作品ながら、切なく美しい曲で、演奏会終了後、「あの曲よかったよね」と他のお客さんの会話が聞こえてくるほど。角野ピアノのバルトーク:ピアノ協奏曲第3番はもちろん素晴らしかったです。毎日あちこちでいろんな演奏会をこなしていらっしゃるのに、こんなに難しい曲もさらっと弾きこなしてしまうんだ、とあっけに取られました(^^;)ただ、座席が二階席の奥だったのでステージから遠く、ああ、ピアノ協奏曲だとピアノの音が小さいなぁ・・・と若干がっかりしたのですが。アンコールでは、YouTubeの持ちネタ(?)「きらきら星変奏曲 角野隼斗版」を演奏して下さいました。それがですよ・・・ホールの後ろの隅の方まで、小さい音から大きな音まで響き渡る、迫力の演奏で。え?協奏曲のときは遠慮してたの??超絶技巧かつ大迫力の「きらきら星」に、すっかり魂をわしづかみにされました(^^;;;)次はクラシックじゃない音楽のライブにも行ってみたい・・・ただ、チケット争奪戦に参戦できるだけの気力が私にあるかどうかがネックかもしれません。
July 21, 2023
閲覧総数 1004