PR
サイド自由欄
キーワードサーチ
カレンダー
フリーページ
コメント新着
今日も快晴
けれど、気温は上がらず、寒い日が続いています
おととい、いつものコースでウォーキングしたけれど、お山のてっぺんにはまだ残り雪。しかも思いもよらぬ強風で、木々はうなり、弱った枝が落ちてきて、いつもとは違った自然の感覚。強風に吹かれて、最初は空気の激しく動くさまを楽しんでいましたが、身体の冷えが頂点に達し早々と下山。いつもぬくぬく室内生活の多い私は縮みあがりました。したがって昨日はワンチャんの散歩のみ。
こんな日々はこたつでミカンが一番ですね~
はやく、春が来ないかな~
こんななか、一冊の本を読んでます。
タイトルは『プラネットウォーカー』。タイトルに惹かれて買い求めました。
書いた人は、ジョン・フランシスというアフリカ系アメリカ人。1946年生まれで、まだ20代の時、住んでいた近くで起きた2隻のオイルタンカーの衝突事故の惨劇を目の当たりにしました。その事故で、多量のオイル流出で油にまみれた鳥類の救出、を通して環境について深く考えるきっかけになりました。
さらに、何不自由なく暮らしていた親友の事故死。人生のはかなさを感じるようになりました。
そうした出来事から、この人は車の運転をやめることを決意。歩くこと・・になりました。どこに行くのも時速5キロのウォーキング。当然、仕事もままなりません。それまではいい車に乗り、アメリカンドリームの実現のため、お金を稼ぐ、ことに腐心していた若者の人生が急激に変わり始めました。
車社会のアメリカで、運転しない、ということは、実に大変なことと想像するのは簡単です。賛同する人は少なく、逆に議論になることの方が多かったようです。
そしてこの人は、27才の誕生日から話すことをやめました。以来17年間沈黙を守り通したのです。沈黙を守りながら、故郷のカリフォルニアを出、北上、アメリカ大陸を横断しました。その間に大学で学び、メディアでも取り上げられ環境問題について無言のまま訴えました。
『話さない』・・・言葉を発しない・・・ことについての記述は興味深いものがありました。
自分良心(本当の自分)に気付き始めました。自分を偽ることでまわりの社会にに受け入れられている錯覚していた自分。自分自身が別の人間であるふりをすることで、本来の自分を見失っていた、ということにきづくようになりました。
歩くこと、沈黙・・・がこの人を真に変えていきました。
文中
ひたすら歩き、沈黙を守る暮らしが私を救ってくれた。私はゆっくり生きて、他の人間を見つめ、彼らの言葉にじっくり耳を傾けられるようになっただけではなく、自分についても同じことが出来るようになった。沈黙を守るとは消極的な行為ではない、ということに私は気づいた。沈黙を守るとは単に口をきかず、言葉を発しないということではない。それ自体で完結した、支えを必要としない行為なのだ。沈黙の中で私は本来の自分を取り戻した。
と記述しています
私たちは話すこと~が唯一のコミュニケーションの手段と思っています。
でも、話す、ことで伝わるのは全会話の7パーセントに過ぎないといわれます。
後は、非言語の部分・・・身振り、手ぶり、顔色、表情~などからの情報が大半を占めるわけです。
話すことは・・自分を伝える手段として大切なことですが、言葉に頼り過ぎていると、どんどん自分とかけ離れてしまう・・そんなことを思いました。
言葉にならない~ことを言葉で表現するジレンマを抱えているのが私たちかもしれないですね~。
この本を読んで、無駄なおしゃべりをやめてみました~
生活することが丁寧になるのを感じました。
少し、続けてみようかな~と思います。
長くなりました。おしゃべりですね~笑い