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『見方がネガティブになると』
ある朝、僧院の中庭に座って本に見入っていた。そこには、いくつかの花が咲いていて、雀が十数羽とまっていた。眼に入るものすべてが、歓びの感覚をもたらし、現象の果てしない純粋さを感じさせてくれた。
ふと、無理やりに気分を落ち込ませ、ありとあらゆるネガティブな感情を起こしてみよう。と考えた。すると、きは埃をかぶって汚らしいし、花には生気がないし、チュンチュンいう雀の鳴き声までを煩わしいと感じはじめた。
どちらがものごとの見方として正しいだろうと、思案した。そして、最初の見方がの方が正しい、という結論に至った。
最初は心が解放されていて、創造的で、自由な感じで方で、より大きな満足感が得られたからである。このような心の姿勢でいれば、世の中全体を受け入れることも、いきものすべてを包み込むことも自然だと思えるし、自分と世界を隔てる自己中心的な衝動が起こることもなくなる。他方、現象の見方がネガティブになると、耳元で、なんか変だという声が囁かれだす。そうなると、世の中が退屈で、よそよそしくて、冷淡で、時には敵対的にすら感じられ、そこから自分を『隔絶』するようになる。
~Happiness 幸福の探求 マチウ・リカール~ 評言社 刊
この文章を読んだとき、『そっか~』と納得~。在るもの、出来事には何の意味もない~それに自分で意味づけをする。
ものごとをネガティブに感じてしまうのは、悲観的な性格の傾向・・・ともいえるけど、かといってこのまま放置はできない~心の姿勢として考えれば、それを正すことが可能になる~。
楽観主義者は今の世の中で、軽視されがち・・・。まったく軽率なだけの楽観もあるけれど、楽観的ということは実は奥が深い。
例えば道に迷った時、3方向に道が分かれていたとして、悲観的な人は『どうせどの道を行ったとしても、また迷うだけ~、そんなことになったら、疲れるだけ~』と迷ってしまった身の不幸を嘆くだけ。
一方、楽観的な人は自分の来た方向、記憶などを頼りに分析・・・『よーし、真ん中の道を行ってみよう!間違えたとしても、ここに戻ってやり直せばいい!』と果敢にも挑戦するでしょ~^^
楽観的な友人、知人を観ていると彼らは
創造的(制限をどのように解決するか~多面的に観ることが出来る)
忍耐強い (諦めない~、前向きに頑張る)
希望的 (きっと、解決できる)
ものごとに対して現実的、実際的なアプローチをする
他の人を勇気づける
などなど、楽しくて、共感的な人たちです。なにより接していると生きるパワーと歓びに溢れてます~^^
生まれつきの性格~がある、性格は育った環境にも依る、それらは否定できないけれど、決定ではないかな。これから、世界をどう観るか~生きている間に変化する可能性はある~経験上いえるけど、かなり変化する^^
~マチウ・リカール