昭和史 戦後篇 1945-1989【電子書籍】[ 半藤一利 ]
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同時に、言ってみれば日本の「頼りなさ」です。今日まで「一億玉砕」「戦士であるおまえたちがそんなだらしないことでどうする」と横ビンタ張っていた人たちが、次の日から「これからはアメリカだ」「民主主義だ」なんて言い出すんですから、その変わり身の早さにも驚かざるを得ません。
その一番のいい例、じつは一番「悪い例」なんですが、それが内務省が中心となり、連合軍の本土進駐を迎えるにあたって十八日に打ち出した策に出ています。戦時、「敗けたら日本女性はすべてアメリカ人の妾になるんだ。覚悟しておけ」と盛んにいわれた悪宣伝を日本のトップが本気にしていたのか、いわゆる「良家の子女」たちになにごとが起こるかわからないというので、その〝防波堤〟として、迎えた進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」をつくろうということになりました。そして早速、特殊慰安施設協会(RAA)がつくられ、すぐ「慰安婦募集」です。いいですか、終戦の三日後ですよ。
暴力のもとにジャーナリズムは必ずしも強くないのです。戦前、軍の暴力のもとにジャーナリズムがまったく弱かったのと同様で、それは残念ながら、しっかりと認識しておかなくてはいけません。表現の自由を断固たる態度で守らねばならないというのはその通りですが、断固たる態度を必ずしもとれないところがジャーナリズムにはある、それは反省と言いますか、情けないくらいの私の現実認識でもあるのです。
そしていまは、戦後日本は押しつけてつくられたのだと珍なる議論がかまびすしいときです。そのとき両国のトップによる、それこそサミットともいえる会談がこのような形で行なわれていた事実を知ることは、必ずしもむだではないと思います。それが正しかったか正しくなかったかは皆さん方一人ひとりがお考えいただきたいと思います。