聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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熾天使4444

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2011.01.12
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 今の自分にイメージできる世界が、

 それぞれが今いる次元なのです。



 私はだいぶ前にこういう質問を受けたことがあります。

 「天とつながり天を目指すには、何をどうすればいいのですか?」と。

 天とつながり天を目指すには、

 その理想郷ともいえる天を、まず自分の中でイメージできなければなりません。

 天とはこういう所であると。

 イメージができれば、いついかなる時でも自分がどうあるべきかがわかります。



 自分が思い描く天が素晴らしいところであればあるほど、

 自分の身を捧げたい、委ねたい、天の媒体として使っていただきたいと思わずにはいられなくなるのです。



 今までのみなさんは、私が思い描いている天を、私を通して見ていただけなのです。

 だから、それではだめだと私は方針を変えることにしました。



 私と同じ世界でいいと思うのであれば、

 私の中にある世界と同じ世界が、それぞれの中にもなければだめなのです。



 「だから、左の世界とはどういう世界ですか?

 あなたはどういう世界を目指し、歩んで行きたいと思っているのですか?

 具体的にイメージして宣言して下さい。」

 と言ったのです。



 右も左も区別がついていないということになり、

 結局迷子になって終わってしまうか、違う道を行くことになります。





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Last updated  2011.01.12 11:10:51


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