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天の父よ、イエス様、マリア様、天使の皆様、日本の八百万の神々よ、ご先祖様、いつも私達を守りお導きくださりありがとうございます。今日も我らを守り導き給え御先祖様と全ての魂を成仏させたまえ全ての存在を神のもとへ導き給えイエス・キリストの名のもとに、アーメン。※日本の八百万の神々について自分が生まれ育った国で古くから信仰の対象とされ、感謝されてきた神々の存在を無視することはできません。従って、八百万の神々も祈りに加えさせて頂きました。神殿の夢解きが今終わろうとしています。神殿の中の様子は、ロザリオの祈りそのものを表していて、神殿の中から消えてなくならないマイナスのものは、ロザリオの祈りから消さなければならないマイナスの言葉だったのです。言葉は大勢で長い間唱えると形となって現れます。つまり、「罪」や「悪(闇)」、「誘惑」を口にすればそれらはいつまで経ってもこの世から消えてなくなりません。「聖徒の交わり」はおかしな教団を表し、「罪の赦し」はイエス様が既に人間の罪を贖っておられるのに、自分で自分の尻拭いをするどころか祈りで許しを請い願う他力本願ぶりも甚だしい有り様です。「体の復活」もスピリットを尊ぶ発想とは真逆になります。つまり、「」の言葉は全て消すべき言葉なのです。弟子に「祈りの言葉があれば教えて下さい」と言われたイエス様が、ロザリオの祈りを教えたわけではありません。イエス様は「そのようなものはない」と言われ、強いて言うなら「父よ!」と子供のように天に語りかけなさいと言っておられます。ロザリオの祈りを作ったのは後世の人です。このような祈りを唱え続けていれば今のような世の中が続いても不思議ではありません。神殿の夢は、それらのことに気づいて欲しかったのでしょうね。Seraphim
2023.10.06
以前、「憑依体質を何とかしたいのですが」と相談を受けたことがあり、私も憑依されないわけではありませんが、それで困ったことがないのはなぜかと考えていました。最も重要なのは、あなたがどれだけ自分を勘定に入れず、他人を優先できるかです。憑依とは、自分に気づき知って欲しいと願う相手がいるというサインです。従って、常に意識が自分ばかりではなくちゃんと周りの人や霊にも向いていて、相手を気遣える人であれば憑依には悩まされません。憑依してくる相手が亡くなっているのであれば毎日成仏できるようにと手を合わせ、祈ってあげましょう。生き死にに関係なく全ての人のために毎日祈りを捧げ、連絡を取りたがっている親兄弟が身近にいるのであれば自ら進んで安否を気遣い連絡を取りましょう。相手を気遣う思いやりの心があれば憑依に悩まされることはありません。もし、あなたが憑依に悩まされているのなら、それは自分のことばかりに目が向いていて、周りを気遣う思いやりの心に欠けているからだと気づいてください。憑依してくる相手が誰なのか思い当たらず悪質な場合は、私であればイエス様の力を借りて「あなたがたの帰るべき所へ帰りなさい!イエス・キリストの名のもとにアーメン」と数日に渡り何度か唱えて帰します。時々嫌がらせをしてくる輩がいるので、そういう場合はキッパリと三下り半を下して構いません。とにかく、自分が愛ある存在でい続けること!そうすれば愛が全ての問題を解決してくれます。Seraphim
2023.01.20
洗脳されないための注意事項です。睡眠不足や疲労は、思考や判断力を鈍らせます。従って、人が大勢集まる団体や組織に参加する場合は、洗脳されないように睡眠を十分に取り、肉体的にも疲労回復させ、きちんと頭が働く状態にしてから参加してください。組織側がわざと思考や判断力を鈍らせるために、睡眠時間を減らしてまで働かせたり、荒行や愛行と称して労働を強いたりするようなら、その団体は信じるに足りません。知らずに指導していた人達も皆同罪です。この話は何も宗教団体に限ったことではありません。このことに気づけた人は、すぐにその場を去るか、環境を改善するように努めましょう。Seraphim
2022.11.29
前に、この世は善い行いをすれば善い行いが、悪い行いをすれば悪い行いが返ってくると書きましたが、誤解のないように言っておくと、悪い行いを帳消しにするために善い行いをしても、打算や下心がある行為には愛がないため、帳消しにはできません。また、たとえ打算や下心がなく愛から出た善い行いであっても、罪を償えたかどうかは私達が決めることではありません。神のみぞ知るです。勝手に人間が判断を下さないようにしましょう。Seraphim
2022.11.25
罪の償いは、人を愛する第一歩。罪を償うと、自分も含む弱い人間が愛おしくて仕方がなくなります。自分の罪も他者の罪も知って、より一層深く人を愛せるようになりましょう。Seraphim
2022.11.24
ネトフリでやっている「博士と狂人」、オススメです。罪を犯した人が襲われる強迫観念と、強烈な自責の念に対し、赦しと深く大きな愛が描かれた実話です。このタイミングでこの映画に出会えたのは神のお導きとしか言えません。このメッセージを読まれた方は、是非ご覧になってみてください。Seraphim
2022.11.24
子供に試験勉強を教えています。試験が迫っているのに悠長に構えているため、車の中で「試験勉強大丈夫なの?」と確認する夢です。〈解説〉現実には子供が相手とは限りません。大人の可能性もあります。相手にとって、生きていく上で参考になるような話を、あなたがさり気なくする機会が訪れます。場所は車の中。内容は勉強というような堅苦しいものではなく、最近観た映画の話かもしれません。しかし、相手にとってはそれが我が身に起きたこととオーバーラップして、感動と学びが同時に得られるというわけです。Seraphim
2022.11.23
人を思うこと、優しくすること、人のために動くことは、私にとっては罰だったのです。愛ではありません。罪滅ぼしです。C穂もし、このように考えている人が他にもいたら、地獄から抜け出せるように、神と一致する方法をお教えしましょう。まず、前にも言いましたが罪を償うのに苦痛はつきものです。なぜなら、自分が人に与えた苦痛が返ってくるからです。そのような世界を地獄と言います。つまり、罪を償う前の自分は愛のない地獄に住んでいるのです。愛だと思っていたものが他者のためではなく、自己満足のためであれば罪が消えないのも当たり前。それではいつまでたっても地獄から出られません。地獄を出るには、神(与える力)の愛と一致するしかないのです。神の愛は分け隔てなく万人に向けられており、神は万人にいつも寄り添っておられます。従って、神の愛と一致しようと努力すれば、その思いは寄り添っている神に届き、神のサポートによって報われる時が必ず来ます。神は与える力でもあるので。最初はC穂さんのように、自分に与える罰であっても罪滅ぼしであってもいいのです。心が伴わなくても、人を思うこと、優しくすること、人のために動くことを続けてください。意地悪で嫌いな人に対してもです。分け隔てなく、万人に向けられているのが神の愛なので。神に倣って神の愛を目指しましょう!勇気と忍耐と、チャレンジを粘り強く繰り返すネバーギブアップの精神で。すると、意地悪で嫌いな人にも抵抗を感じず、その人を愛するために体が自然にスッと動く日が必ずやって来ます。心もあとからついて来るので大丈夫。本当に不思議なのですが、神の力が働いているとしか思えません。それが神と一致した瞬間です。神と一致するための努力とはすなわち、神を愛し愛されるようになるための努力です。神は神を求める声には必ず耳を傾け、力を貸し、目標が達成できるように導いてくださいます。トンネルの中にいても、神と一致する努力をしていれば神の声は聞こえ、サポートが得られ、長さは人それぞれですが必ずトンネルから出られます。人や団体ではなく、あなたのそばにいつもいてくださる神を頼ってください。全てを愛し愛されるために。Seraphim
2022.11.23
本気で人を愛せるようになりたくて、努力し続けられる人は神と共に歩む人。神と共に歩む人の願いは、神によって聞き届けられます。何でも神に相談し、神に聞いてもらってください。Seraphim
2022.11.22
商店街を通りかかると、左側の歩道に置かれたストレッチャーの上で心臓マッサージを受けている中学生か高校生くらいの男子がいます。何があったのかと右に目をやると、車が衝突して路肩に乗り上げ、前がぺちゃんこに潰れていました。「ああ、可哀想に。助かるといいんだけど」と祈る思いでいると、「蘇生した!」と誰かが叫び、ホッと胸をなでおろす夢でした。次に見た夢が、目つきの悪い輩が突然人を襲い、乱暴を始めます。いわゆる悪が暴走を始めたので善人は相手をせず、バスに乗ってその場を去り、建物に避難しました。「悪が入れないようにしたほうがいい」と言いながら、皆に部屋が割り当てられます。部屋数は沢山あるわけではないので、1部屋を2人で使うことになりました。〈メッセージ〉どちらも事故や災難に気をつけるようにというメッセージです。夢の中で自分が傍観者であれば、現実に事故や災難を見かけても自分に直接降りかかることはありませんが、身近なところで起きるという暗示なので注意が必要です。また、2つ目の夢の場合は、世の中の不穏な動きに気をつけなけれなりません。不穏な動きにいち早く気づき回避できるか、または、自分の波長がマイナスのものと同調しなければ災難は免れますが、それができなければ巻き込まれることになります。不穏な動きとは、マイナスの念や波長、地獄のただならぬ妖気によって引き起こされる事故や事件、それらを含む災難といったところでしょうか。巻き込まれないようにするためにも、罪の償いは必要です。Seraphim
2022.11.20
今日のメッセージ「罪や罰のあるところに愛はない」「罪を償う正当なやり方」「人が君臨する地獄」2021.07.08私には自分は酷い人間だから辛い事をして罪を償う、そうすることで自分に罰を与えないといけないという気持ちがあったのだと思いました。許されない、誰から?と思いました。私からなのではないかと思いました。私が求めた許される基準はなんだろうと思いました。罪を忘れず自分を 責め続ける事なのではないかと思いました。自分で自分を許してはいけない。罪を犯した人は許されるはずはない。罪は絶対に消えないと思っていました。人を思うこと、優しくすること、人のために動くことは、私にとっては罰だったのです。愛ではありません。罪滅ぼしです。人の事を地獄からしか見ていない私です。自分のための罪滅ぼしで人を踏みつけてきたのです。私が自分の罪滅ぼし、私が偽の愛で関わってきた全ての人は私の罪を消すため、私が良い人になるために利用されていたのです。私には心からの愛がありません。愛されていた私だと少し前に気づかせていただきました。私も心から愛せるようになりたいです。でも私には難しいと思います。ようやく自分の地獄が見えたような気がします。 失くしてしまった愛を取り戻すために頑張らせていただきたいです。逃げていてすみません。利用して申し訳ありません。C穂↑最近読まれている過去の記事から、C穂さんが書いた部分だけ抜粋して載せました。C穂さんの気持ちがよく表れている記事で、肉の支配者率いる団体にいる人の心理がとてもよくわかります。ちょうどよい機会なので、文章をいくつかに分けて、罪の償い方について解説してみましょう。Seraphim〈C穂さんの文章とSeraphimの解説〉私には自分は酷い人間だから辛い事をして罪を償う、そうすることで自分に罰を与えないといけないという気持ちがあったのだと思いました。C穂まず、罪を償うことはあっても自分で罰を与える必要はありません。罰を与えずとも、自分がしたことは自分に返ってくるので。自分で主導権を握らないこと!全ては神の御手に委ねてください。C穂さんのように、自分が犯した罪を自覚している人は、まず自分の行いを謝罪し、2度としないのでどうか赦して下さいと手を合わせて下さい。思い出すたびに。赦されたかどうかは、その後、自分の身に何が起きるかを見ていればわかります。もし、赦されれば何も起きなくなりますし、自分が犯した罪がまだ返って来るようなら、改心が足りず赦されなかったのだと判断し、文句を言ったり、責任転嫁したりせず、素直に申し訳ありませんでしたと反省し、相手を赦しましょう。Seraphim私が求めた許される基準はなんだろうと思いました。罪を忘れず自分を 責め続ける事なのではないかと思いました。自分で自分を許してはいけない。罪を犯した人は許されるはずはない。罪は絶対に消えないと思っていました。C穂C穂さんは、罪を赦すも赦さないも自分が決めることだと思っていますが、違います。自分で自分を赦しちゃいけないのは当たり前。しかし、赦すか赦さないかを決めるのは自分ではありません。「許されるはずはない。罪は絶対に消えない」と自分で勝手に思い込むのも傲慢です。全ての決定権は私達のあずかり知らぬところにあるのですから。他者を不幸にして恨みを買うのが罪です。従って、自分で自分を責めても、それはただの自己満足にすぎません。本気で罪を償おうと思ったら、自分がしたのと同じ仕打ちを他者からされた時、言い訳をせず自分の所業を振り返って反省し、謝罪の心を持って相手を赦し、自分がしたことと同じことをさせるしかないのです。この時、打算や下心なく、心の底から申し訳ありませんでしたと反省して相手を赦せれば、相手も手を止め赦してくれます。そうすることで罪は償われるのです。Seraphim人を思うこと、優しくすること、人のために動くことは、私にとっては罰だったのです。愛ではありません。罪滅ぼしです。C穂C穂さんは罰だと言っていますが、この場合は罰ではなく、苦痛を伴わない見せかけの罪滅ぼしですね。しかも、自分を良い人に仕立て上げるために罪滅ぼしを利用しており、更に罪も償えて一石二鳥とばかりに、自己満足に浸っています。罪の償いに苦痛はつきものですが、それは自分が自己満足するために自分に強いる苦痛ではなく、他者の仕打ちに耐える苦しみです。その仕打ちも過去に自分が誰かにしたであろう仕打ちなので、辛ければ辛いほど申し訳なさも増すはずです。Seraphim人の事を地獄からしか見ていない私です。自分のための罪滅ぼしで人を踏みつけてきたのです。私が自分の罪滅ぼし、私が偽の愛で関わってきた全ての人は私の罪を消すため、私が良い人になるために利用されていたのです。C穂C穂さんは自分が地獄にいるとわかっています。地獄につきものの偽善で罪を消すことはできません。従って、実際には全く罪を償ったことになっておらず、ただ良い人を演じ、自己満足に浸っていただけです。C穂さんに利用された多くの人たちはC穂さんの愛が偽善だとも知らず、C穂さんに騙され、肉の支配者率いる団体へ連れて行かれました。マインドコントロールで人を支配する団体にいる人達は、皆このC穂さんと同じです。そのことを脱退したC穂さんは教えてくれています。Seraphim
2022.11.20
人を神(プラスを与える力)へと導き救うのは気づきです。ここ重要!まず、この世の人達は神の国より罪とつながる地獄に近く、サタンの誘惑に遭いやすいのは今までの記事を読んでもわかりますよね。なぜなら、神を認識できる人が少な過ぎるのと、自分の罪という悪行を自分で尻拭いしていない人が多いからです。そこを何とかしなければと、神の教えを広めようとした人達は多いのですが、人間は教えによって救われると、その教えにすがりつく悪い癖があります。教えによって救われたからといって、団体を頼る必要はありませんよね?教えに気づけたのはあなた自身ですし、神もそんなことまで望んでいません。あなたに必要な気づきは、他からも得られるわけですから。また、努力もせずに、苦しい時の神頼みだけするのも良くありません。いわゆる全て他力本願ですよね。これがマインドコントロールや良くないことが起きるそもそもの原因です。前にも言いましたが、気づきは神によっていろいろなところからもたらされます。そこにはもれなく宗教団体の教えも含まれます。人が気づくためにそこにあるものに罪はありません。問題はその後です。自分が気づけたのは誰のおかげだと思いますか?私なら神のお導きだと考えます。そこが大きな分かれ目なのです。人だと思えば人に支配されるようになりますし、団体だと思えば団体に支配されて、言われるがままお金を搾取されなければならなくなります。神はそのようなことを望んではいません。ただ気づいて学んで欲しいだけです。全ては私達が気づくために、神によって準備されたものなのですから。皆が神に手を合わせて祈るのは、神が有難い存在としてそこにいるとわかっているからではありませんか?神に手を合わせて祈ることができるのであれば、師は神のみです。何でも神に尋ねてください。答えは様々なところから必ず返ってくるので。閃きも神からの返事です。聞き逃さないようにね。Seraphim
2022.11.18
神の左側(罪と繋がる地獄)で起きることをなかったことにする教えがあります。言葉には力があり、神の国には罪と繋がる地獄はないのだから、神を礼拝し、「地獄はない」「罪はない」「病はない」と言えば消えてなくなるという発想です。神の国を目指している人であれば、神の国に罪と繋がる地獄がないのはわかりますし、神をイメージすることもできます。できますが、この世には神の国を知らない人、神をイメージできない人もいます。その各人の認識の違いを全て把握し、理解しておられるのは神(与える力)だけです。認識の違いに合わせて、神は私達に合った必要なものをその都度与えて下さっています。それがたとえ病だったとしても。自分の行いが全て返ってくるこの世のシステムも、私達が何をしてきたかをわからせるためのものです。つまり、自らの生き様を知って反省し、生き方を変え、神の恵みに気づき、神の国を目指せるように、神が人間に与えた学びの場がこの世なのですから、不満があるなら自分の行いを悔い改めなさい!行いを悔い改めれば状況は一変し、いつしか不満も消えてなくなります。それが私達の辿るべき道です。急がば回れ!自分の悪しき行いを全てなかったことにはできません。「悪しき行いに蓋をしてなかったことにしてもいいんだよ」と甘く囁き誘惑するのは誰ですか?そう、サタンです。神ではありませんからね。間違えないでください。Seraphim
2022.11.15
悪魔祓いの面白いところは、悪魔を消そうとするのではなく、「帰るべき所へ帰りなさい!」と帰そうとするところです。悪魔には帰る場所があるのです。いわゆる地獄と言われる場所ですが、なぜ地獄はあるのか?人間が光に背を向けるからです。光に背を向ける人間がいる限り、影は見える場所にあり、地獄はなくならず、悪魔も消えてなくならない。だから帰るべき場所に帰すしかないというわけです。地獄を見ずに過ごそうと思ったら、人間が光に向かうしかありません。だから、神殿の夢に出てきたシスターは、神から見て「左側を見てはいけません」と言ったのです。神の左側は、この世でいう地獄、邪神を崇める世界だからです。但し、シスターが言った言葉の意味は、左側を無視しろとか、なかったことにしろと言っているのではありません。左を見ずに右を見なさいと言っているのです。左の世界があると辛いから、苦しいから、嫌だからといって、人間の都合でなかったことにはできませんし、また、言葉の力で勝手に消していいものでもありません。地獄がないのは神の国だけです。その神の国が確かにあり、その国を目指せば人は皆救われるのだという証拠を見せるために、言葉による奇跡は起きるのです。地獄を消すためや、この世を神の国にするために起きるのではありません。人が努力もせず地獄を消したり、この世を神の国にしたりできると思うのは驕りで、悪魔崇拝もいいところです。邪神に幻を見せられ、惑わされていることにも気づけず、邪神を崇めているからそのような発想になるのです。従って、自分が犯した罪は最後まで責任を持って償い、自力で神の国を目指してください。これができない人間は、自分の足で歩けない赤子も同然。だから邪神に狙われるのです。自分にとってマイナスで嫌なものは何でも言葉で消せると勘違いしてはいけません。それは魂の成長を拒む人間の甘えであり、明らかに背徳です。人間が神の子であるならば、神を信じて、全ては神の御心のままにと委ねましょう。罪とつながる邪神によって何が起きてもです。その覚悟が神へと向かう原動力を生み、人間を強くするのですから。人に神のごとき力を与え、その力にすがりつき骨抜きにされた人達を地獄へ連れ去ろうと目論む輩は、邪神以外に考えられません。まやかしに心を奪われたまま地獄に連れて行かれないように気をつけてください。Seraphim
2022.11.15
悪念が誰にでもあるのはわかりますよね?人間に悪念がある以上、人は皆、悪念を飛ばしたことがあると言わざるを得ません。意識して飛ばす人もいれば、無意識のうちに飛ばしている人もいるので。例えば、相手に対する思いが強過ぎると、自分が生霊となって飛んで行くことがありますが、生霊が悪念を抱けば悪霊や怨霊と化します。つまり、全ての人に赦しを請わなければならない理由がここにあるというわけ。この悪念というツールを故意に使うか使わないかはその人次第ですが、世の中には悪魔崇拝というのもあります。人間の邪な心が大好物で邪神を崇拝し、闇の力を利用しようとする人達です。悪魔を呼び出して悪魔と密接に結びつき、意識を乗っ取られた悪魔憑きは、目を見るとわかります。人間の弱さを見て取ると、邪悪な目つきに豹変し、ニヤリと嘲笑うからです。悪魔祓いの出番があるとすればここです。但し、乗っ取られた本人が祓って欲しいと言うかどうかわかりませんが。祓わなければならないような塵芥を生み出すのは人間です。罪を償い消す作業は、いわば悪魔と一線を画すために必要な身を清める作業と言えるでしょう。Seraphim
2022.11.15
罪につきものなのがマイナスの念です。怨念、怒り、嫉妬、憎しみや悲しみといった念や感情と罪は結びついています。嫌な目に遭った人が気持ちのやり場に困り、原因が自分にあると思えず相手を呪ったり、復讐しようとしたりすると、念は生き物のように相手に襲いかかります。生き物と化した悪念が人を餌食にし始め、悪魔と呼ばれるようになったというわけです。昔から呪詛というのがありますが、人を呪わば穴二つ。呪った人と呪われた人2人が地獄に堕ちるを繰り返せばどうなるか?それを阻止するために必要なのが赦しなのですが、人間にとってこれほど難しい作業はありません。赦すためにはまず自分を赦して欲しいという心境にならなければならないからです。「悪いのは相手なのに、なんで自分が赦しを請わなければならないの?」と大抵の人は思いますよね?それは、人間がこの世に生まれて来た理由、つまり、楽園(与える力によって何不自由なく暮らせる国)を追放された理由が罪にあるからです。楽園には罪がないので災いは起きませんが、この世は違います。基本的に、自分がしたことは自分に返ってくると思ってください。悪しき行いをすれば悪しき行いが、善き行いをすれば善き行いが返ってきます。従って、痛い目に遭ったことがある人は、自分の悪しき行いは消えていないのだと悟りましょう。さて、罪ありきで生まれてきた私達は、まず謝って災難を回避しなければなりません。罪を放置しておくと、この世で何が起きるかわからないので。ただし、自分の罪深さに気づけないのに謝っても、それは空念仏と同じ。中身が伴わなければ意味がありません。天使の会のメンバーが皆罪を告白して心から謝罪したのには重要な意味があったのです。皆さんにも、メンバーのように自分が犯した罪について考え、謝罪する機会が訪れますように。それが幸せへの第一歩なのですから。Seraphim
2022.11.14
だいぶ前にルシフェルは鏡を持っていて、人の前に現れてはその鏡に各人の闇(罪)を映し出し、見せてくれると書きました。自分が蒔いた種を刈り取っていない人にはその鏡に罪が映し出され、刈り取った人には人間が神の子の証である光が映し出される。そして、明けの明星、光の子ルシフェルや神(与える力)と同じその光を放ち続けることによって、肉体をまとった人間であっても、この世で何不自由なく生きて行けるようになるというわけ。つまり、罪が消えるということは、楽園を追放される前の状態に戻れて、この世が楽園になるという意味なのです。さて、ルシフェルは堕天使であって悪魔ではありません。神によって遣わされたルシフェルの光に背を向け、できた人間の影=闇(罪)が悪魔の正体です。「人間だもの」とその罪を肯定してしまうと、楽園を追放された状態になり、塵あくた(悪魔)の誘惑に遭い餌食にされます。この餌食にされた状態から塵あくたを追い出すのに有効なのが悪魔祓いです。ちなみに、塵あくたの誘惑を肯定し、罪の世界で生きている人はこの悪魔祓いをとても嫌がります。悪魔祓いですが、罪が軽い人や消えた人が行えば効果てきめんなのでお教えしましょう。ある本によると、十字架と聖水を準備してロザリオの祈りを唱えます。この時対峙している人には、全てが終わるまで目をつぶり、手を合わせているよう指示してください。聖水は自分で作れます。器を水道水で満たし、水の上で十字を3回切るだけです。ロザリオの祈りを唱えたら、塵あくたを追い出したい相手に聖水を振りかけながら、「イエス・キリストの名のもとに、あなたがたの帰るべき所へ帰りなさい!」と強い口調で出て行くまで唱えましょう。出て行ったかどうかは、影が消え、光が見えるのでわかります。私の経験上、一時祓えても本人が罪と縁を切らない限りまた同じ状態に陥ります。そのことを必ず相手に伝えてください。悪魔との縁が切れるか切れないかは、罪を消そうと取り組むか取り組まないかによって決まるのです。悪魔祓いで解決できるものではありません。Seraphim
2022.11.14
ロザリオの祈りは罪に囚われている人達のための祈りです。罪の沼にはまって抜け出せずにいる人達のための祈りです。生きている人、死んでいる人に関係なく。自分が蒔いた種を刈り取って罪が消えた人は、その人達のために祈ってあげてください。その際、決して闇(罪)を振り返ってはいけません。罪は既に消えているのですから。罪が消えると、よりはっきりと光(与える力)が見えるようになります。その光(与える力)に向かって祈るあなたの声を聞きながら、囚われ人は後ろからついてくるのです。「光(与える力)はこっちですよ」と導いてあげてください。いつか闇を抜け出し、光に向かって昇天(成仏)できるようにと。Seraphim
2022.11.13
恐怖で支配するのが宗教団体におけるマインドコントロールのやり方です。自分達のやり方に従っていれば幸せなれるが、従わなければなれないし不幸になると脅すのです。信者は良い教えを広めているのだから、自分達は良いことをしていると思っています。それが行き過ぎて、良いことはするべきだ、しなければならない、して当たり前と変化して行きます。もっともっとと拍車がかかり、教えを押し付け、団体への奉仕を強要するようになった時、悲劇が起きるのです。表向きは「強制ではない」と言いながら、「本を買いなさい」「チケットを買いなさい」「人を集めなさい」と言われ、ノルマが課せられ、成績によって表彰されます。どんな汚い手を使っても成績の良い人が、団体の中では信仰心が篤い人と評価されるわけです。その人がどんな人なのか、中身は全く関係ありません。ちなみに、表向きの言葉を信じて従わないとイジメられます。成績を上げるためには、当然身内も協力させられます。つまり、身内は数を増やすため、奉納金を増やすために利用されるのです。講習会の参加人数が減っていても、それは講話のせいではなく、集める側の努力が足りないせいだと言われ責められます。教えと総裁が雲の上の存在として祭り上げられている証拠です。しかもその総裁は、人間の中身で選ばれたのではなく、団体を存続させるために血筋から選ばれただけです。さて、今マインドコントロールされている人もされていない人も、弱さから何かを支えにしようと依存先を探すと上記のような場所に辿り着くのだと覚えておいてください。偽善に騙されて中に入ると、言うことを聞かない人はイジメに遭い、村八分にされて左遷されます。しきたりが何よりも大事なので、1人1人の意見は、しきたりや教えの妨げになるのを恐れて潰されます。それがたとえ時代錯誤の悪しきしきたりであってもです。また、悲しいかな団体の中に教えを正しく理解している人は1人もいません。だから全てが偽善になるのです。つまり、偽善=誤った教えの解釈を脅しによって押し付けてくるのがマインドコントロールの世界というわけです。マインドコントロールされないためにも、自分の考えは決して手放したり、人に委ねたりしてはいけません。おかしいと思い、意見を言ってイジメられたら、心身が崩壊してしまう前にその場を去りましょう。そこに残れるのは、マインドコントロールされて幸せを感じられる人か、自分の考えを持ち続け、イジメに立ち向かい、プラスを味方につけて上手くかわせる人しかいません。統一教会の二世信者が議員秘書の多数を占めていると言われていますが、統一教会にマインドコントロールされている人達が日本の政治の中枢に入り込んでいて、日本の情報が国外に漏れる恐れはないのでしょうか?また、議員がマインドコントロールされてしまったら、日本の政治家の心は他国に乗っ取られ、心の植民地化政策は成功し、日本は日本でなくなってしまいます。今は統一教会だけが取り上げられていますが、他にも肉の支配者率いる団体は、宗教という看板を掲げていなくてもあるということを知っておいてください。日本には、何か事件が起きないと動かない後手に回る悪い癖がありますが、潜入捜査は手遅れにならないためにも、早めに行う必要があります。Seraphim
2022.11.10
「決して闇を見ないこと! 闇に焦点を当てないこと! 必ず光を見て光に焦点を当てて祈ってください」と先日書きました。この場合の闇とは罪のことですが、人間が犯した罪をどうにかしようと思って祈ると闇に焦点が当たってしまいます。罪をどうにかできるのは祈りでもマリア様でもなく、自分自身です。先日も書いたように、自分が犯した罪は自分に返ってきます。従って、自分の尻拭いは自分でしてください。祈りもマリア様も関係ありません。無原罪のマリア様にすがればなんとかなるかもと、聖母に祈りを求めたところでどうにもならないのです。祈るのであれば、人間が神のもとへ帰れるようにと祈ってください。糧も神が与えて下さっています。神は光でありプラスであり、必要なもの全てを与える存在です。プラスである光を捉えて同調し続けることができれば、誰にでも糧は必ず見つかります。皆がそうなれるように、意識をプラス(神)に向けて祈ってください。マリア様やイエス様、天の父を巻き込んで、肉の世界に人を縛り付けておくために祈りを利用するのは、肉の支配者の所業です。罪の意識につけ込んで人を操り、勢力を拡大するのが目的です。肉の支配者の策略に乗って罪に縛られ、闇の中に居続けている限り、全てに満たされる日は永遠に訪れません。従って、皆さんには、闇に囚われている存在、つまり言い換えるとこの世でもあの世でも地獄につながれたままになっている存在が光に気づき、全てにおいて満たされるためにも、全ての魂が成仏するように、そして、全ての人を神のもとへ導きたまえと祈って欲しいのです。人間を闇から光にシフトチェンジさせる、それがルシフェルの仕事です。だからルシフェルは肉の支配者に悪魔というレッテルを貼られ貶められたのです。肉の支配者からすると大いに邪魔な存在なのでね。堕天使の愛は、神と人との絆を維持し続けるために、人類がエデンの園を追放された時から我々に注がれ続けているのです。神から贈られた賜物は、この世で肉の支配者に目をつけられると、甘い果実から苦い果実へと変わることがよくあります。神の賜物を手放させ、縁を切らせ、裏切らせることで、人を光ではなく闇に向かわせるためです。でも、神から与えられた賜物には光が宿っています。苦い果実は神の賜物だとも言い換えられます。神の光は肉の支配者によって一時隠されても、決して消えてなくなることはありません。辛くても光を見失わず、ずっと大事に手放さなければ必ず報われる時が来ます。知恵と努力と忍耐を駆使して肉の支配者の企てに打ち勝ち、神を信じて神の賜物を持ち続けてください。それができた時、あなたの光はより一層輝きを増し、神と同調し、何者にも負けない強さを手にするのですから。Seraphim
2022.11.05
私はロザリオの祈りが好きではありませんでした。などと言ったら衝撃的すぎるでしょうか?(笑)どこがかといえば、神は人に楽園を与えて下さったのにそこを出たのは人間です。人間の勝手を今更悔いるのか?人間にとって都合よすぎる祈りが嫌いでしたし、そもそもそんなことを祈らなくても神は全てを赦し、与えてくれています。そのことに気づけないのは、ルシフェルの光によってできる人間の闇ばかり見ているからです。祈るのであれば闇を見ずに光を見て祈ってください。人間によってできる闇を背にして光を仰ぎ見るのです。イエス様が十字架を背負ったように。人間が肉体をまとっている以上、祈りは必要です。肉の世界に住んでいれば、闇に身を投じる人間も霊も、悲しいかないるわけですから。では、何のために祈ればいいのか?自分も含め、その人達を光へ向かわせるために祈ってください。それが祈りの本来あるべき姿です。その際、決して闇を見ないこと! 闇に焦点を当てないこと!必ず光を見て光に焦点を当てて祈ってください。罪悪感がある場合、スタートは自分の罪の赦しを請うためであっても仕方がありませんが、いつまでもそのままだと闇から抜け出せません。自分がしたことは必ず自分に返ってきます。天に鍔を吐くと自分に返ってくるのと同じです。その時人のせいにせず、自分が悪かったのだと受け止めて反省し、二度と同じことを繰り返さなければ罪は消えてなくなります。罪は神が消すのではなく自分で消すのです。神が人間の犯した罪と関わることはありません。関われない次元におられるので。私たちは誰のために祈るべきなのか?全人類のためにです。決して自分一人のために祈ってはいけません。みんなのために祈ること。みんなで神のもとへ向かうために祈ること。これを守ってください。Seraphim
2022.11.04
正確には31日のハロウィンの数日前からですが、夜になると何やら見知らぬ客(霊)が来るようになり、睡眠を邪魔されてよく眠れなくなりました。夜中に気配を感じて目が覚めると魔女のような老婆が座ってこちらを見ていたり、夢の中にも雰囲気の悪い見知らぬ人達が出てきて良からぬことに巻き込まれたりと、ほとほと疲れ果ててしまいました。ハロウィンでこんなことは今までなかったと思います。頭痛にも襲われ下手をすると体調を崩しかねなかったので、夜寝る時はマスクを着け、首回りから肩、両腕が布団の外になるべく出ないようにして寝ることに。油断すると憑依されてしまうのでね。寝ていて背後に気配を感じたら背中も下にして寝た方がいいです。日付が11月になると皆いなくなり、何事もなかったかのように普段通りの生活に戻りましたが、昼間はまだ余韻が残っていて、烏が群れを成して道の真ん中で騒いでいましたね。韓国の事故について知ったのは今朝でした。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。Seraphim
2022.11.01
長男が生まれてから数年が過ぎても子供ができず諦めかけていた頃、待望の次の子を妊娠したのですが育たず流産したことがあります。しばらくして、主人の会社の社員旅行に参加し訪れたのがイタリアのローマでした。バチカン市国でクリスマスのミサに与り、出国の日の明け方近く、ふとホテルのベランダから空を見上げると、強い光を放ち一際目を引く存在感溢れる星が1つ目の前で輝いていました。神秘的なパワーを感じて思わず「子供を授かりますように」と手を合わせたのを、今でもはっきりと覚えています。そして、生まれて来たのがもうすぐ25歳になる次男です。イエス様が生まれた時も星に導かれて三賢人がやって来ます。生まれたことを知らせ、三賢人を導くくらいですから、きっと一際目立つ星だったに違いありません。今思うと、人間の生命の誕生を知らせるのはルシフェルの明けの明星で、肉体の誕生に深く関わるのはルシフェルなのかもしれません。ルシフェルがこの世を神から任されていれば、マリア様の受胎にも関わっていた可能性があります。肉体をまとった人間には必ずルシフェルが関与している。この世を任されたルシフェルと肉体が切り離せないのは、光の子ルシフェルの光が楽園を追放された人間の肉体によってできる闇と切り離せないからなのでしょう。今まで夢に登場してきた天使は一体誰なのか?あのルックスと雰囲気、魅力から一番しっくりくるのはルシフェルです。本来は中性的存在なのでしょうが、必要に応じて性を使い分けられると言ったほうがルシフェルらしいかもしれません。私の夢の中では男性性であることが多いですが、女性として登場した記憶もなきにしもあらずなので。更に、肉体をまとった人間と接する時は、ルシフェルも肉体の次元に自分を合わせる必要があるため、コンタクトを取る相手に合わせて一時的に明るさを調節するようです。誤解のないように言っておきますが、光の子ルシフェルの光はセラフィムの光、山吹色の炎に引けを取りません。対極にいるようでいて、相通じるもの、重なる部分も持ち合わせているからこそ、この世を光へと導けるのです。人間にとってとても心強い守護天使と言えますが、その光が強烈であればあるほど我々の肉体が作り出す闇も濃く深くなるということを覚えておいてください。ルシフェルの光を背にすることによって生まれる甘い闇の誘惑に負けず、闇を見て進むのではなくルシフェルの光を見て進む道を選びましょう。光の子ルシフェルは自由意志が認められているこの世を任され、肉体をまとった人間をマイナス(闇)ではなくプラス(光)へ導こうとしているのです。そこを忘れないでください。Seraphim
2022.10.22
ロシアが戦争を始め、日本では統一教会が問題視されてから肉の支配者について考えていました。すると辿り着く先に現れたのがルシフェルです。「ルシフェルは神様から汚れ役を任された」と言った人がいます。私も同感でしたが、その言葉を聞いた時、再びルシフェルについて考える時が来たと思ったのです。この世とルシフェルは切っても切り離せません。明けの明星、光の子と呼ばれるルシフェルは、その光の強さから闇も生み出します。ルシフェルが神からこの世を任され、この世に留まる限りその状態は続きます。では、人間が闇と縁を切るにはどうすればいいのか?光になればいいのです。光になるしかありません。光って何?プラスです。自分からマイナスが消えてなくなればプラスになれます。マイナスが何かというと煩悩です。人間の弱点である肉体と様々な欲、邪心や邪念、誘惑に注意しなければなりません。なぜなら、神への祈りが神につながるツールなら、煩悩はサタンにつながるツールだからです。プラスに立つかマイナスに立つか、それが神殿の神の右に立つか左に立つかです。ちなみに、私たちが神を正面に仰ぎ見て立つと右左は逆になります。私が夢に見た神殿には天使がいました。悪の役を担うのもまた天使でした。この世の動向を見ていて1つはっきりしたことがあります。それは神殿はルシフェルが任されたこの世の次元をめいっぱい上げた世界だということです。だから右左の世界の差があの程度ですんでいるのです。従って、戦争もありません。せいぜい井戸端で善の役割を担う天使と悪の役割を担う天使が戦って勝ち負けを決める程度のものです。勝つのは決まって善の役割を担う天使です。これも私たちにメッセージを伝えるために行われている1つのパフォーマンスにすぎません。ルシフェル以外にもこの世に遣わされた天使がいます。この世で私たちが交流できる天使たちは、皆ルシフェルの仲間です。この世の次元を神殿の次元にまで高めようと、私たちに惜しみなく力を貸してくれています。神殿の次元に至ってもまだ統一教会のような団体は神から見て左側にいました。そのままそこに居続けるのか、やがていなくなるのかはわかりません。少なくとも私が夢を見た時はまだいました。今日はこの辺にしておきます。また何かあったら書きます。その時またお会いしましょう。Seraphim
2022.10.21
失うものはあっても得るものがないのが戦争です。もし、戦争で「得るものがある」という人がいたら、その人は人ではありません。人の魂を食らって生きるバケモノです。今や戦争に価値を与える人間などどこにもいないのですから。Seraphim
2022.10.11
神や人にずっと寄り添い続けるというのが祈りの大きな特徴です。式年遷宮が繰り返されるのも神への祈りが古よりずっと続いてきた証。私たちの人生、生き方が祈りそのものでありますように。Seraphim
2022.10.03
日々皆さんが毎日誰かのために行っている作業はすべて祈りです。お父さんの仕事は家族を思い、生活を支え守り育むための祈り。お母さんの家事や育児も家族を思い、安心安全で健やかに日々を送るための祈り。ロザリオの祈りは、罪を犯した人が救われるように日々神に願う祈り。これは生きている人のためでもあり、霊のためでもあります。あなたが何かをすることで誰かが喜ぶ、あるいは守られ助けられ、明るく元気に生きて行けるのであれば、それらは全て皆が幸せになるための祈りなのです。例えば、誰かと趣味を共有するとか、今なら毎日SNSでメッセージを発信する。どんな些細なつぶやきでも、それを見た人や読んだ人がホッコリと幸せになれればそれも立派な祈りです。そういう意味では、祈りが万人に直接届く時代になったと言えるのかもしれません。たくさんの祈りを毎日積極的に発信して行きましょう。皆で幸せになるために。Seraphim
2022.10.02

猫神使み~つけた!(笑)Seraphim
2022.09.26
皆さんは「神様はじめました」という漫画またはアニメをご存知ですか?このストーリー、日本の八百万の神々と神使を理解する上でオススメです。私はキリスト教と縁が深く、日本の神様に常々理解し難い違和感を感じていました。そんな中、出会ったのがこの作品で、私が感じていた違和感の正体がわかってスッキリ!今日はその話をしましょう。まず、以下をご覧下さい。「神使(しんし)」とは神の使いのことです。神使とされる動物には、以下のようなものがある。動物神鼠大黒天牛天満宮 ※天神信仰を参照のこと。虎朝護孫子寺蜂二荒山神社兎住吉大社・岡崎神社・調神社亀松尾大社 蟹金刀比羅宮 鰻三嶋大社蛇弁才天・大神神社海蛇出雲大社白蛇諏訪神社狐稲荷神社 ※稲荷神を参照のこと。鹿春日大社・鹿島神宮猿日吉大社・浅間神社烏熊野三山・厳島神社鶴諏訪大社鳩八幡宮鷺氣比神宮鶏伊勢神宮・熱田神宮・石上神宮狼武蔵御嶽神社・三峰神社など奥多摩・秩父地方の神社鯉大前神社猪護王神社・和気神社ムカデ毘沙門天 ※ウィキペディアより抜粋私が日本の神社で感じていた違和感の正体がこれらの動物たちです。キリスト教で神の遣いといえば天使。動物と天使では発する気や性質、明るさなどが違います。全く別の存在です。また、日本の神には堕天使ならぬ神堕ちがあり、堕ちた神々は妖怪化し、神在月に出雲で行われる神議り(かむ(み)はかり)に出られず、新たに選ばれた神がいると嫉妬し悪さをするというもの。神がいなくなった神社もあり、そこには神使のみが存在する。なるほどです。感覚的に捉えていたもの(闇)の正体がこれだとハッキリしました。皆さんはどのように感じましたか?Seraphim
2022.09.24

佐世保から長崎方面へ向かう202号線(長崎街道)沿い、琴海にほど近い場所にある曼珠沙華畑。台風が去ったばかりの花畑に陽の光が差し込み、キラキラと輝くそこは、まさしく極楽浄土そのものでした。Seraphim
2022.09.19

山城といってもそれほど高くなく、とても登りやすい高城(たかしろ)。立派な遺構がそこかしこに残されており、見どころ満載です。石段を上まで登りきると、突然目に飛び込んでくるのがこの大楠。驚きのあまり固まって声も出ません。まさしく本丸の主です。触れることはできませんが、同じ空間にいるだけで神聖な空気とパワーに浄化され、元気がもらえます。Seraphim
2022.09.17
姦淫した人が辿る道を、私の母を例に挙げて説明しましょう。母の前世は奉公先の主人に手を付けられた女中でした。今世で生まれ変わる時、母の父親になる人は自分の妻に子供ができないのを嘆いて、妻の姉に母を産ませたのです。姦淫すると、このように人はまず姦淫のループにはまります。現代に生まれてきた母は、自分の前世を覚えていません。そのため、母は実父が犯した姦淫の罪にのみ焦点を当て、自分のところでその罪を断ち切ろうとしました。そうすることで娘たちが姦淫のループにはまらないようにしようとしたのです。父母はとても仲の良い夫婦でしたので、当初母はそれができると思ったのでしょう。しかし、人の罪は肩代わりできませんし、母はまだ自分の罪も償っていません。そのため、ある時父が姦淫してしまいます。前世を覚えていない母は、実父の罪を自分たちの代で断ち切れなかったと嘆き、父を責めました。きっと子供たちにその罪が行くに違いないと。しかし、一連の流れは祖父や父のせいではありません。母が生きた前世での姦淫こそが、母にこのような人生を歩ませていたのです。父には最初から離婚するつもりがなかったため、母は父にしがみつく姦淫の相手を自力で引き離し、離婚せず父との人生を全うしました。その間、母は父にお金でも苦労させられており、「貯めては全て持って行かれる」とよくボヤいていました。それも前世のツケと言わざるを得ません。きっと主の所に行ってはお金をせびっていたのでしょう。一応これで姦淫した人が次に進むステップは無事終えたと言えます。但し、母は自分が病と知りながら治療せず、人生から逃げるようにして自ら寿命を縮めた可能性があるため、その点においては課題が残されたと言えるでしょう。さて、姦淫した人が家族にいるということは、自分もまた無関係とは言えないのがこの世のしくみです。類は友を呼ぶからです。母はこの点が理解できていませんでした。罪は引き継がれて行くものではなく、同じ罪を背負った者同士が集まるのです。私自身で言えば、普通に性欲があっておめでた婚だった反面、性欲に対する罪悪感も強く嫌悪感もあったため、今世では夫婦生活でとても難儀しました。おかげで姦淫のループからは外れましたが。 妹は最初の結婚で夫が姦淫して離婚。再婚しますが、今度は妹が姦淫してしまいます。妹の性格は、好き嫌いが激しい上に堪え性がなく我が儘で、本人曰く「結婚には向かない」のだそうです。妹の日本での前世は遊女でした。妹は母を見習いながら母の後ろを歩いて行くのです。母は私の後ろを歩いています。生前母がよく私を頼ったのは、そういう理由からです。幼い頃、祖母に手を引かれて日曜学校へ通っていた母でしたが、私がカソリックとつながると、母もロザリオを枕元に置いて寝ていました。また、母は幼い頃、祖母からよくいじめられたと言っていましたが、その親を自宅で看取ったのは母です。祖母は母が可愛くなかったわけではありません。実際、幼い母を連れて、よく近所を自慢して歩いていたそうなので。ただ子供ができない深い悲しみと、自分の姉や娘に対する嫉妬心、やり場のない怒りや憎しみに翻弄させられたのです。2人とも生前よくケンカをしていましたが、祖母は母を母は祖母を最後まで面倒見て人生を終えました。よくここまでクリアできたと思います。神が創りたもうた人間は強いです。それぞれの中に神聖を見出し、決して諦めずに皆で前を向いて進んで行きましょう。Seraphim
2022.09.06
最初に、モーゼ(モーセ)の十戒をわかりやすく解説したサイトがあるので、ご存知ない方は一度読んでみてください。ちなみに、このサイトの団体と聖セラフィムの証拠は全く関係がありません。十戒の内容のみ参考にしてください。https://www.newlifeministries.jp/the-ten-commandments/私も完璧な人間ではありませんが、実はこの十戒の第7戒から第10戒に反する行いをした人が今世で改心したのを、私は見たことがありません。前世で犯した罪を自ら回収すべく、今世で次のステップを無事クリアした人はいますが、ごくごく少数です。サタンに支配されると人は光を避けるようになり、逆にサタンに恋焦がれるようになります。彼女たちにとってサタンは優しくて超イケメン。そのように勝手に美化して見ているから、いつまでたっても改心できないのです。人の話にも耳を貸さず非常に厄介ですが、一時的にサタンを祓うことはできます。また、罪を犯して亡くなった人の彷徨える魂なら、ロザリオの祈りで成仏させられます。もちろん、全てというわけにはいきませんが。それくらいしかできることがないのです。つまり、何が言いたいかというと、決してサタンの餌食になってはいけない、そのような行いに手を染めてはいけないということ。サタンとつながると、救われるためにできることは本当に限られていて、皆無といってもいいくらいです。お兄さんを刃物で殺害した義理の姉に、飼い殺し同然の仕打ちをし続け、浪費が過ぎて実家の蔵を潰し、ご主人が留守の間不倫三昧だった女性は私にこう言いました。「今世で生き方を変えるのはムリだ」と。彼女が住んでいる地域には666という数字が振り分けられていて、彼女に誘われ道連れにされた女性は、離婚して幸せな家庭を手放しました。どうか皆さんはそうならないように、強い意志をもって誘惑を退けてください。Seraphim
2022.09.02

地球の豪快なエネルギーが感じられる場所。佐賀県唐津市にある「立神岩」です。岩場ですがサーフポイントとしても有名で水もとても綺麗。溶岩が冷えて固まったと思われる黒い岩が神秘的です。美しい場所は良い気に満ちています。機会があったら是非行ってみて。Seraphim
2022.08.31
不倫をする女性と出会い、掴んだ特徴を証拠として残しておきます。1) 隣の芝生が青く見え、嫉妬心が強い2) 人の物を欲しがる3) 自分の物や環境に満足できない4) 結婚しても長続きしない5) 依存症6) 自分を正当化し、欠点を克服しようとしない7) 人間嫌いこれらの特徴は、幼少期からずっと変わりません。従って、もし自分にも当てはまると思ったら、ロザリオの祈りにもあるように、誘惑に陥らないよう普段から注意が必要です。「盗み」と「不倫」はつながっています。この「盗み」と「不倫」に共通しているのが「楽」です。皆さんは人間が好きですか?嫌いですか?人間が好きな人は、人間関係で苦労しても途中で諦めたり、関係を断ち切ったりすることはありません。逆に、良い点も悪い点もひっくるめて、理解できるまでとことん付き合おうと努力します。本気で好きになるとは、そういうことだからです。ところが、「楽」をしようとする人は嫌いなものを撥ねつけ、苦手なことには決して手を触れず、自分が欲する美味しいところだけを楽して人から奪おうとします。つまり、楽→楽しい→快楽とつながって行くわけです。そういう人は自分が一番であって、それ以外の人間は好きではありません。だから人を苦しめたり、傷つけたりできるのです。「楽」をして得たものは「愛」ではなく「快楽」です。「相手を理解する」という「努力」と「忍耐」と「苦労」なくして、真に人を愛することなどできないのですから。更に、自分への「甘さ」は「依存」へとつながって行きます。甘えて楽をするのが目的です。そうやって人間は堕落して行くから十戒があるのです。Seraphim
2022.08.25

良い気が満ちている私的にオススメの聖地です。歴史的には陶石を掘り尽くした跡地で現在は機能していませんが、非常に質の良い石が採れたとあって、山が放つ気は今でも健在です。訪れた人を元気にしてくれるので、是非、行ってみてください。Seraphim
2022.08.20
以下の記事は過去に一度掲載したものです。若干手を加えましたが、もう一度皆さんに読んでもらいたいと思い、3つの記事を1つにまとめました。ご存じない方もいると思うので、是非読んでみてください。ルシフェルが最高位の天使セラフィムだった頃、神はセラフィムにある任務を授けます。神「お前の私に対する揺るぎない愛を信じて任務を言い渡す。人間は自分の中に克服すべき弱さ(サタン・獣)があることを自分の力だけでは気づけない。そこでお前が鏡となり、人間に己の醜さ、おぞましさを見せつけ、気づかせて欲しいのだ。さすれば、その内なる醜さを知った人間は、その怪物を自分で退治しようとするに違いない」セラフィム「はい、神がそれを望まれるのであれば私は喜んで」地上に降りたセラフィムは、人の傍で神が言われていた人間の弱さを人にせっせと見せ、気づかせるために忠実に鏡の役目を果たします。人は自分の目の前に現れたサタンが自分の中に存在している獣であるということを認めることができず、その姿形の恐ろしさから逃げまわり、「サタンが出た!」「サタンを見た!」と騒いでは、悪魔祓いを呼んで退治させようとしました。その頃から鏡の役目を仰せつかったセラフィムは、ルシフェル(サタン)と人間から呼ばれ、恐れられるようになったのです。しかし、当のルシフェルはそんなことなどお構いなしに、黙々と神から仰せつかった任務のみを忠実に遂行すべく、神の愛に応えるべく人の傍で鏡を見せ続けます。人間も相変わらず「サタンが出た!」「サタンを見た!」と言っては、悪魔払いの力にすがろうとしましたが、一度去ったかのように見えたサタンが何も克服していない人間の中から消えるはずもなく、ルシフェルから鏡を見せられるたびに人は何度でも姿形を変えては舞い戻ってくるサタンに恐れおののくのでした。人の傍で人間を見続けてきたルシフェルの手元には、人間に関する膨大な資料があり、それは長い年月をかけて人を観察し、見てきたルシフェルだからこそ手にすることができた人類への愛の証(証拠)です。人の思いを浄化させるために、その人にとって最も必要な真実(証拠)を収めた書物、道しるべ、或いは、浄化されずにいた人の思い(鍵穴)にあった鍵であり、その鍵を回すことで人(発想)を180度生まれ変わらせ(転換させ)、浄化させることができ、懺悔と改心、感謝によって黄金の階段を上りたい、天との婚儀(最後の審判)に臨みたいと人の心を神の住まう神殿へと向かわせるものです。以前私はある女性の夢を見ました。大抵私の夢に出てくる天使といえば男性性なのですが、その人(天使という感じがしませんでした)は女性でした。私は彼女を見るなり泣きながら「あなたは決して悪くない!その仕事を引き受けたがために人から悪く言われ、非難されるなんて私には納得できない。あなたは決して悪くないのに(号泣)」と言うと、彼女は毅然とした態度できっぱりと私にこう言ったのです。「これが私の仕事なのでこれでいいんです」と。その姿がセラフィム(ルシフェル)と重なります。時が過ぎ、人はサタンを見なくても、周りの人に映し出された自分自身を見ながら自分の問題に置き換え、人との関わりの中で魂を磨き、進化することができるようになりました。しかし、まだまだ自分を変えることは難しく、自分達のせいでセラフィムがルシフェルと呼ばれるようになったなどとは到底思いも及ばず、イエス様に一目置かれていたユダやマグダラのマリアの評価も地に堕ちたままです。私たちの目の前から悪を消すためには、私たちが天使にならなければなりません。そのために神はセラフィムを私達に遣わされたのです。私たちが天使になれなければ、いつまでたってもセラフィムはルシフェルのままですし、ユダもマグダラのマリア(その他大勢)も汚名を着せられたままでいなければなりません。犯罪もなくならず、浮かばれない人の思いや、ふしだらな不浄の念は地上を生き物のごとく我が物顔で徘徊し、同じ獣を持った人にとりつき、人から人へと渡り歩くことになります。セラフィム(人間がルシフェルと呼んだ天使)の証拠(愛の証)は人を天使(アースエンジェル)へと導きます。私達人間は皆、セラフィムから証拠となりうる体験をさせられており、そこから得た気づきを分かち合うことで、それぞれのケース(問題)に合った解決策が的確にもたらされるのです。一人歩きをし始めたサタン(人間の弱さを糧に生き続ける怨念、亡者)にとっては、それが自分達の存在を消しにかかる目の上のたんこぶなわけで、夢の中で「このままタダですむと思うなよ!」と言われたり、カバンに火をつけられたりする(証拠隠滅を図ろうとする)所以というわけです。最初は意思など持たなかったものを放置し、私達が自分自身から逃げ、ついには悪念を獣として一人歩きさせてしまった責任は私達にあります。従って、自分達でまいた種は自分達で刈り取らなければなりません。みなさん、セラフィムの証拠、ミカエルの剣、盾、天秤を駆使して、自分自身の中に認める獣と戦ってください。それしか獣を退治する方法はありません。立ち上げられたこのブログは、セラフィムの保護の元、みなさんの証拠となりうる情報を提供し続けていきます。「サタンは文字を理解できない」と以前誰かから聞きました。だからブログでなければならなかったのです。ここに記された証拠は全て皆さんのためのものです。どうぞ存分にお役立てください。Seraphim
2022.08.17
少し前まで痛み止めが欠かせませんでした。乳がんの治療以降、体のあちこちが痛んでいたからです。原因は治療の後遺症や現在飲み続けている薬のせいだろうと思っていました。お医者様も、「リンパを取ってしまっているから仕方がありませんね」とのこと。しかし、はっきりとした原因はわかりません。それと同時に不思議な現象が私の身に起きていました。寝ていると男性と女性の声が私から漏れ聞こえてくるのです。女性の声は母に似ています。「誰かが私に憑依している」そう思いながら特に気にも留めず、そのまま過ごしていました。それが何なのかハッキリするまで泳がせておく必要があったからです。しばらくして、妹から尋ねたいことがあると連絡が来ました。一通り話し終えると、煩わされていた痛みのうち、特に強烈だった痛みが消えてなくなり、原因は妹にあると判明。男性と女性の声の主は妹の彼氏と妹だったのです。私には妹に言って聞かせなければならないことがあり、二三日かけて話したり、メールをしたりと時間を費やしました。しかし、二人の依存関係をやめさせることはできません。私を襲った「強烈な痛み」はとても腹立たしいもので、私は久しぶりに祓う必要があると判断。祓い始めるとその日の晩、私は夜中に頭を何者かに踏みつけられました。怒り心頭した私はしばらく祓い続け、今では全ての痛みから解放され、声も漏れることはありません。妹と彼氏がその後どうなったかはそのうちわかるでしょう。依存症の人は憑依体質です。そして、モーゼの十戒を破ると、悪霊や悪魔といった良からぬ類のものにその身を乗っ取られます。「お祓い」は、それぞれの霊に合った場所へ帰すのが目的です。久しぶりに怒りを感じた時は思わず「退散!」と言ってしまいましたが。(笑)キリスト教の悪魔祓いの言葉は「イエス・キリストの名のもとに、あなたがたの帰るべき所へ帰りなさい!」というものです。十字架と聖水が必要だと書かれていて、最初は私もその通りにしましたが、今回はブツブツ念じて祓いました。祓ってもらった人は、行いを改めなければすぐまたその人のもとへ悪しきものがやって来てしまいます。「祓ったから大丈夫!」ではないのです。その点に注意してください。Seraphim
2022.08.17
「盗み」や「不倫」といったモーゼの十戒に反する行いをすると、人はサタンの餌食にされてしまいます。「サタンの餌食にされる」というのは、人を傷つけ傷つけられ、苦しみから逃れられない世界、つまり「地獄に堕ちる」という意味です。一度暗くてじめじめした闇の深淵に身を堕とし、愛(光)を見失ってしまうと、這い上がるのは容易ではありません。そこで役に立つのがロザリオの祈りです。ロザリオの祈りは、人が犯した罪を赦し、赦されるための祈りであり、誘惑を退け悪から救われるための祈りでもあります。なによりも「与える力」とつながるためのツールとして有効です。「盗み」や「不倫」だけでなく、人の命を奪う「戦争」も地獄です。このような時こそ、1人でも多くの方とロザリオの祈りを唱えたいと思います。下記の祈りの言葉がわかりやすいです。祈り方と併せて参考にしてみてください。http://pweb.sophia.ac.jp/j-puthen/page026.html1人でも多くの方が地獄から這い上がれますように。また人類が犯した「戦争」という過ちから、皆が一日も早く解放されますように。Seraphim
2022.08.08
ブログを始めてから「盗み」や「不倫」の話を聞くことがあり、突き詰めていくといつも見えてくるのは「寂しさ」でした。つまり、寂しさから空いた心の隙間を埋めようと盗みを働いたり、人の伴侶を奪って依存したりするのですが、なぜ人のものを奪おうとするのか?「寂しさ」は誰にでもあります。盗みや不倫に走る人とそうでない人との違いとは一体何なのでしょう?不倫している人からよく聞かれる言葉に、「私は愛されてこなかった」というものがあります。誰から?「母親から」とある女性は言いました。「母親から愛された記憶がないから自分はこうなったのだ」と。つまり彼女の目には「母親が愛したのは自分以外の兄弟姉妹で、自分はその兄弟姉妹に母親を奪われた」と映っているのです。だから「愛する人を奪い返そうとする」というわけ。この時、彼女の中には「人のものを奪って(盗んで)もいいんだ」という自分勝手な価値観が出来上がっていて、その価値観を使って悲しむ自分を慰め、納得させようとしたのです。自分の中に「他人のものを奪うに値する正当な理由がある」と思っているから、不倫した彼女には罪悪感も反省する気持ちもありません。それどころか、不倫相手がどれだけ素晴らしい男性かを自慢して歩き、優越感に浸っていました。「母親以上の存在が見つかった」と。「母親以上」というのは、「母親の愛情を上回る」という意味です。もちろん、女性が一方的にそう思い込んでいるだけで実際は違います。男性からすれば責任など取るつもりもなく、単なる遊びなのですから。責任の伴わない優しさなど愛情とは呼べません。まやかしです。では、その男性と縁ができてしまった理由は何なのか?1つ目に考えられるのは、女性と同じく男性も「寂しさ」を抱えていた可能性です。そして2つ目は、子供を絶やさぬための側室や妾制度が過去に存在し、それを良いことに遊郭などを遊び歩いていた男性の過去が清算されておらず、いまだに泥沼のループから抜け出せていないから。彼女がこの時出会っていた女性の1人である可能性もありますし、同じ業により惹かれ合い、つながった可能性もあります。3つ目は、単純に男性が女性の寂しさにつけ込み、結婚する気もないのに大勢の女性をもて遊ぶプレーボーイ気質だからというのがあるでしょうね。盗みや不倫をする人たちを探って行くと、盗みを働く人にも、浮気をする側される側にも、過去に「母親の愛情に恵まれなかった」という同じ理由があるようです。更に、「母親に愛されなかった」という「恨みの念」が強過ぎて、皆自分の行いを振り返って反省することができません。「悪いのは自分ではなく母親だ」と、全てが「母親のせい」になっているからです。本当の愛(親の愛情)を見失うと、人は自分が人を傷つけていても自分の行いを正当化し、他人の助言には耳を貸さず、信ずべき人を信用しなくなります。差し伸べられたたくさんの救いの手を、自ら振り払ってしまうのです。そしてついには、まやかしの救いの手を取ってしまう。人から奪うという形で。「欲しかった母の愛を奪われた(盗まれた)可愛そうな私。今度は私が奪って(盗んで)やる! 」そうやって仕返しをしないと気が済まないのです。心の底に恨みがあるのでね。では、その悪行のもとになっている「母への恨み」を手放すにはどうすればいいのか?「母の愛」もしくは「与える力(愛)」に気づくしかありません。続きは次に書きます。Seraphim
2022.08.02
前回、「人は皆、課題に取り組むためにこの世に生まれてくる」「魂を磨くために生まれてくる」と書きました。では、これらをクリアできなかった魂はどうなるのか?再チャレンジしにまた生まれて(戻って)くるでしょうね。(笑)それを望んでいるいないに関係なく、解決できなかった魂は、解決するために設けられたこの場所に、何度でも引き寄せられるようです。地球に引力があって、上に投げたものが自然と地球に向かって落ちてくるように。それが定められた法則なのでしょう。「だったら、わざわざ今辛い思いをして解決しなくても、あとででいいんじゃない?」と思う人も当然出てきますよね?あなたはその苦しみのループにずっとはまり続けるつもりですか?肉体と切っても切り離せないのがこの世なので、病気やケガに置き換えて考えてみましょう。病気もケガも、大したことがなければ自然治癒力で回復しますが、手遅れになる場合がありますよね?ウィルスが悪さをしているのにそれを放置したり、適切な処置を施さなかったりした場合です。魂の曇りも、曇りの原因がわかる早い段階で消しておけば、自分も納得した上で行いを振り返って反省し、人のせいにせずに消すことができます。しかし、放置してしまうと、放置した時間の分だけ記憶があいまいに、あるいは消えてしまって、なぜそうなったのか、理由がわからなくなってしまうのです。この場合の「時間」とは、「過去世(前世)」にまでさかのぼります。すると人はどうするか?「人のせい」にするのです。「こんなひどい目に遭う理由がわからない」と言ってね。つまり、そもそも記憶がないので「自分がこんなひどい目に遭うはずがない」と思っているのです。さあ、こうなると厄介です。今回安倍晋三氏を銃撃した犯人も、母親が洗脳されて全財産を失った時、きっと同じように思ったでしょうね。私も自分がひどい目に遭った時、同じ思いに駆られていましたから。1つ私の体験談を書きます。あれはアメリカから帰国してまだ間もない頃、「モーゼの十戒」をたまたまテレビで観ていて、迫害する場面が出てきた途端、申し訳なさから涙が溢れ出て止まらなくなってしまったのです。そこにあったのは「罪悪感」と「自責の念」でした。私にも何が何だかさっぱりわけがわかりません。でも、「ごめんなさい」と何度も謝っている自分がそこにいたのです。自分が今理不尽な目に遭っているのは、自分が人にしたひどい仕打ちのせいだと悟った瞬間でした。過去の記憶がないのは仕方がありません。しかし、記憶がなくても自分が犯した罪や過ちは消えてなくならないのです。だから今の状態があるのだと悟ってください。そうすれば人のせいにしなくなり、自分自身と向き合えるようになるので。「謝罪の言葉」も自然と出てきます。謝罪の言葉が出てくるようになると、自分につらく当たっていた人にも優しくなれます。それが本当の「優しさ」です。自分に優しい人に優しくするのは簡単ですし、優しくできて当たり前です。でも、自分につらく当たってくる人にも優しくできたら、それこそが「本物の優しさ」なのです。人間関係に摩擦が生じたら、自分の至らなさを素直に告白して謝りましょう。許してもらえなくても諦めてはいけません。それも自分が過去に犯した罪や過ちのせいなのですから、許してもらえるまでその人のために尽くしてください。見返りを期待せずに尽くし続けていると「与える力」とつながり、与える力が和解させてくれます。トラブルは、大きければ大きいほど、乗り超えた先で手にする賜物は計り知れません。全くの別人に生まれ変わる人もいます。自分が新たに生まれ変わり、人との摩擦が消えてなくなると、穏やかで豊かで幸せな日々がやって来ます。皆さんに、そのような日々が訪れますように。Seraphim
2022.07.24
本来、「課題や問題をクリアする方法」は、クリアできた先人たちがアドバイスすればいいだけの話であって、「教え」と称して「宝物」のように扱ったり、手の届かないところに保管したり、或いは一部の人にだけ公開したり、売ったりすべきものではありません。普通に困っている人に伝えてあげて、その教えが役に立ったのなら「ありがとう」でいいのです。もっと言うなら、アドバイスする側の立ち位置は、「与える力によって全てが満たされる世界」でなければなりません。「与える力によって全てが満たされる世界に立つ」ということは、自分自身も「与える存在」にならなければならないということです。従って、どのようなものも決して人から搾取してはならないのです。それが教えに対する寄付やテキスト代であっても。そもそも「教え」には元手がかかっていないのですから、伝え方も無料にすべきなのです。今なら無料で大勢の人たちに拡散する方法があるではありませんか。それを有料にしてしまうと、途端に搾取する側、つまり肉の支配者に我が身を貶めてしまいます。本来人を救うべき宗教団体が、ただ人やお金を集めるだけの団体に成り下がってしまうのは、「教えの見返り」を求めてしまうからです。これはアドバイスする側とされる側、どちらにも責任があります。アドバイスする側は「与える」に徹し、学ぶ側も教えが役に立ったのであれば、同じように困っている人のために役立てる。それだけでいいのです。お互い肝に銘じておきましょう。さて、『「課題」は、この世に生まれて来た人たちにとって、いわば「満たされた状態」に身を置くために必要なパスポートだと思ってください』と前回書きました。この意味を説明しましょう。以前、「この世の位置」について書きました。『「全てが満たされた状態」に戻せるうちは、まだやり直しがきき、「やり直しがきく」ということは、この世は地獄ではないのだ』と。つまりそれを言い換えると、『皆がこの世に生まれてくるのは、「全てが満たされた健全な状態」に魂を戻すために必要な「学ぶべきこと」があるから』という意味になります。その「学ぶべきこと」というのが「課題」です。皆の「課題」には「魂を磨く」という共通点があります。そもそも、磨く必要のない魂であれば、この世に生まれてきていないので。例外もあるかもしれませんが、それが通常のケースです。「魂を磨く」とは、どこかに曇りがあるから磨かなければならないわけで、まずその「曇り」が何かを探ってみましょう。皆さんには、自分の感情を逆なでするような、苦手で避けたくなる嫌いなものはありませんか?「気持ち」や「感情」をコントロールするのが難しいものという意味です。結論から言うと、魂を曇らせるのは「気持ち」や「感情」をコントロールするのが難しいものに触れることによって生み出される「悪感情」なのですが、「与える力」に「悪感情」はありません。あったら何も与えられなくなるので。従って、「悪感情」を持っていると、「与える力」とはつながれないのです。「与える力」とつながれなければ、何も与えてもらえません。そうなのです。皆さんが豊かに幸せな人生を送ろうと思ったら、「感謝の気持ち」で「悪感情」を消し、「慈しみ深く愛せる人」にならなければならないのです。もちろん、だからといって悪感情があるのに、いつもニコニコと悪感情を押し殺し、ないフリをして「ありがとう」と感謝の言葉を連発してはいけません。結構これをする人がいるのですが、これをしてしまうと途端に「嘘つき」になってしまいます。「嘘をつく」のは肉の支配者の十八番です。そちら側に行ってしまうので気をつけましょう。「悪感情」を克服するのは簡単ではないし、決して楽ではありません。ものすごい苦痛を伴います。苦痛なくして克服できないものだと心得ておいてください。なぜなら、「悪感情」を克服しようと思ったら、絶対に人のせいにできないからです。「人のせいにする人」は、「人を変えよう」としますが、「悪感情を克服しようとする人」は「自分を変えよう」と努力します。今起きている出来事や自分を取り巻く環境は、全て自分が作り出したのだと、全ての責任を自分自身で負わなければ「悪感情」は消せません。それは全てに対する「謝罪」から始まるのです。悪いのは自分であって他人ではないのだと自覚できなければ「謝罪」はできません。しかし、この「謝罪」ができなければ全てに対する「悪感情」は消せないのです。だから苦痛を伴う。「今起きている出来事や自分を取り巻く環境」が悪ければ悪いほどね。でも、この状況が悪ければ悪いほど魂は鍛え上げられ、強くたくましく鋼のような美しい輝きを放つようになるのです。肉の支配者が尻尾を巻いて逃げ出すような。そして、同時に「与える力」との絆ができます。すると、「自分の感情を逆なでするような、苦手で避けたくなる嫌いなもの」ですら、自分の魂を磨くために必要な、与えられた「恩恵」だったのだと自覚できるようになり、「感謝の気持ち」が湧いてきます。それがなければ魂はいつまでたっても磨かれず、「与える力」にも気づけなかったわけですからね。その時に湧いてきた「感謝の気持ち」こそが嘘偽りのない本物。その本物を手に入れた人が放つ「感謝の言葉」には、豊かさを引き寄せるパワーが秘められています。つまり、「与える力」とつながるために抱えてきたのが「パスポート(課題)」というわけなのです。お分かりいただけたでしょうか?Seraphim
2022.07.23
どのように宗教団体とつながっていくのか、その流れを書いてみます。前回、「人は皆この世に課題を抱えて生れてくる」と書きました。本来この「課題」はクリアしなければならないものですが、「課題に気づけるかどうか」。一つ目の分かれ道がここです。そして、二つ目の分かれ道が「課題に取り組むかどうか」。このそれぞれの分かれ道で課題に気づけなかったり、放置したり逃げてしまったりすると、あとあとその「課題」は「問題」、つまり「トラブル」となって本人に降りかかります。「トラブル」に手を焼き、お手上げ状態になると、人はSOSのサインを出して助けを求めます。ここが宗教団体とつながってしまうポイントです。このサインを肉の支配者がキャッチすると、手下がやって来ます。この場合の「サイン」とは、悩んでいる時の念や思い、発した言葉を指します。「エっ! 思っただけで?」と驚くかもしれませんが、「思っただけでも」です。(笑)恐がらなくても、「前向きに取り組もう」と意識をマイナスからプラスに変えれば大丈夫!意識の切り替えは、早ければ早いほど効果的です。頑張って!課題を放置せずに取り組み、自分で解決できれば問題なし。宗教団体と接点はできません。自分の課題を自分で解決できず未解決のままにしてしまうと、それはその人の「弱み」になります。そこに優しく手を差し伸べるフリをしてつけ込むのが、宗教団体のやり口です。「課題」は、この世に生まれて来た人たちにとって、いわば「満たされた状態」に身を置くために必要な「パスポート」だと思ってください。パスポートに「課題クリア」の印がなければ、「与える力によって満たされた状態」には身を置けません。その大事なパスポートを宗教団体に渡してしまったらどうなるか?「与える力のない世界」で、いつまでも満たされないまま一生を終えなければならなくなります。「与える力がない」「いつまでも満たされない」というのは、言い換えると「搾取される」という意味です。宗教団体に入ってお金がなくなるのは、そこが「全てを与える世界」ではなく、「与える力のない世界」だからです。更に言うと、宗教団体とはトラブルから逃げて来た同じ境遇の人同士が、共感と安心感を得ながら苦痛を紛らわせるだけの単なる逃げ場とも言えます。一度逃げ込んでしまうと、課題に取り組まない限りエンドレスで逃げ続けなければならず、まがいものの効果を発揮しない教えを信じて課題に取り組んでいても、クリアできなければ同じこと。盗んできた教えや裏技を使った奇跡で、万が一課題が1つクリアできたとしても、同じく洗脳による搾取のループは延々と続きます。「課題は自分で何とかする!」と告げて、すぐその場を離れてください。昨日の早朝夢を見ました。「魔法使いの中に嘘つきがいる」という内容です。「魔法使い」とは、「与える力によって満たされた状態」に身を置く方法を知っていて、常にそこにいられる人たち。「嘘つき」は、「私もそうだ!」と嘘をついて魔法使いになりすましている人。この世でどんなに偉い人でも、自分の課題が未解決のままでは魔法使いにはなれません。なりすますのもほどほどにしてください。Seraphim
2022.07.20
「奇跡(全てにおいて満たされている状態)」を発動させるには、まず、問題を隠したままにせず、早急に解決し、マイナスの感情や状況をなくさなければなりません。つまり、自分の魂を「健全な状態」に戻さなければならないのです。そもそもそれが「全てにおいて満たされた状態」のベースとなるのですから。私の場合、癌になったのがキッカケで、家族が長年胸に秘めていたマイナスの感情が、全て表に出て消えました。精神、心、魂が健全になることが一番大事なのです。この世にはプラスにあてはまるものとマイナスにあてはまるものがあり、マイナスが消えてなくなるとプラスがハッキリ見えてきます。プラスが見えてくると、プラスは「与える力」なので、そのプラスに対して自然と感謝する気持ちが湧いてきて、ついにはプラスの感情の連鎖、つまり、「満たされた世界」に向かおうとする動きが始まるのです。逆に、問題を放置したままにしていると、問題は悪感情を生み、愚痴や不平不満は恨みや憎しみへと発展し、マイナスの連鎖が始まります。マイナスの連鎖は「満たされた世界」とは逆方向、つまり、肉の支配者が悪巧みをし、罠を仕掛けて待ち構えている世界へ向かわせ、最悪の場合、心の闇から抜け出せなくなって地獄行きとなるので気をつけてください。「全てを与えてくれる力」に気づけないのは、問題が解決されず残ったままになっていて、「その状態が当たり前」になり、マイナスの発想に囚われ続けた結果生まれた悪感情が、「光を見る目」と「感じる心」を曇らせ、鈍らせているからです。この世に人は皆、課題を抱えて生まれてきます。課題に取り組むためにあるのがこの世なので。抱えてきた課題に取り組むのか取り組まないのか。解決できるのかできないのか。それによって、プラスに気づけるかどうかが決まります。私の場合、癌は家族のためだけでなく、夫婦の「誤解」を消すために必要でした。夫婦がお互いに頑張り過ぎていて会話が足りず、いつしか「疑念」が「誤解」を生み、心のすれ違いから「理解されていない」というマイナスの思いが二人の間に広がっていたからです。病を間に挟んで、私達夫婦はお互いの気持ちを表に出す機会を得ました。そのおかげで誤解は解け、それと同時に悪感情は消えてなくなり、プラスがハッキリと見えたのです。おかげさまで、なぜか肉の支配者の動きもよくわかるようになり、私の場合は「視界が開けた」と言ったほうがいいのかもしれません。(笑)プラスに気づいて、その恩恵に与るためにマイナスを消していく方法は人それぞれです。肉体第一主義の世界でマイナスに見える病でも、それが光=愛の気づきに役立つのであれば、肉の支配者による病を消す奇跡はいりません。そもそもすでに、私達には「治癒力」という恩恵が与えられていますしね。健全な魂に戻れさえすれば、肉体も自然と治癒します。Seraphim
2022.07.19
「闇は深くなればなるほど、そこに光は届きにくくなる」と前回書きました。光が届かない場所を「地獄」と言います。従って、満たされた状態に戻せる「奇跡」が起きているうちは、たとえその奇跡が肉の支配者の手によるものであったとしても、この世はまだ地獄ではありません。戦争を起こし、暴力を振るう輩がいてもです。つまり、光が届いているうちは、まだやり直しがきくということ。現れた「光(=全てにおいて満たされた状態)」に気づける人は、手にした光をしっかり握って離さず、そのまま光の道を進んでください。残念ながら光に気づけず、不平不満を言いながら闇に飲み込まれて行く人もいるでしょう。それがあなたの選んだ道なら仕方がありません。どちらの道もあるのがこの世ですから。夢に出てきた神殿のようにね。Seraphim
2022.07.18
「奇跡ってうさんくさい。サクラが仕込まれているだけだよね? 」と思っている人いますよね? (笑)なんでだと思います?それは、この世であり得ないことが起きるし、それを肉の支配者が悪事に利用してきたからです。では、こう考えてみてください。「奇跡は光である」と。わかりやすく説明するために、もう一度夢に出て来た神殿について触れさせてください。神殿に現れた神の右側にはスピリットの世界(と私は呼んでいる)があり、神の左側には肉の世界(と私は呼んでいる)があります。更に、スピリットの世界は光(愛)で満たされた不滅の魂を中心とした世界で、肉の世界は闇(人間の弱さ、煩悩)と共に生きていく滅びゆく肉体を重視した世界です。もっと突き詰めて言うと、スピリットの世界は愛の光で覆われており、全てにおいて常に満たされていますが、肉の世界は闇に覆われているので苦悩や苦痛が絶えず、常に不自由さを強いられます。ちなみに、なぜ愛が常に満たされた状態を作れるのかというと、愛は「すべてを与えてくれる力」だからです。さて、その闇の世界に光が射すと、「満たされていない状態」が「満たされた状態」に変わるため、それをこの世では「奇跡」と呼んだのです。スピリット(光)の世界に奇跡はありません。なぜなら、常に満たされている(奇跡が起きている)状態だからです。「奇跡」と銘打ったのは肉の支配者です。闇の中で光を発動させる(奇跡を起こす)偉大な王としてこの世に君臨するために。肉の支配者が奇跡を起こす仕組みは、前の記事で書いた通りです。闇は深くなればなるほど、そこに光は届きにくくなりますが、愛(光、与える力)を発動させて満たされた状態に戻すことは可能です。「今はまだその時ではありません」とイエス・キリストも言ったように、いつでもというわけにはいきませんが。そして、その奇跡を肉の支配者に悪用されると、偽宗教団体ができるというわけです。サタンがイエス・キリストをそそのかしたのは、彼を肉の支配者として君臨させたかったからです。その誘いを彼はキッパリ退けましたが。最初の話に戻りますが、「この世で奇跡などあり得ない」と思うのは、闇の中でずっと闇だけを見続け、闇しか知らず、闇だけがこの世に存在していると思い込んでいるからです。「光がない」と思わせているのも、「光」を「奇跡」という言葉を使ってうさん臭いものに貶めているのも肉の支配者です。光はあります。「奇跡」というものではありませんが。Seraphim
2022.07.17
政治家と宗教団体がつながるのは、「大勢の群衆を従えている」という点で一致するからです。この世には、住む世界の異なる人たちがシャッフルされた状態で存在していますが、同類が引き合うようにできています。つまり、愛ある人は愛ある人とつながり、肉の支配者は肉の支配者と、肉に属する人は肉に属する人とつながるというわけ。いわゆる似た者同士が集まるようにできているのです。もちろん、与えられた使命による「例外」も存在します。スピリット側(神の右側)の人間が肉側(神の左側)に侵入している場合です。その場合、その人には自覚があるはず。もう1つ説明しておくと、スピリット側には人の上に君臨する存在はいません。つまり、ピラミッド構造になっていないのです。使命を与えられた者同士つながりはありますが、横並びであって上下ではありません。「スピリットの世界」については、「奇跡」と併せてまた別の機会に説明します。さて、「偽宗教団体」について続きを書いていきましょう。ここで「偽」とあえてつけたのは、「愛がない」という意味です。愛があれば、この世に生き残れる宗教団体になれますが、愛がなければその団体は人を惑わすまがいものとして消えていきます。厄介なのは、前回書いたように愛ある経典の教えを盗んでまるパクリした、肉のために作られた宗教団体です。そうなると、ちょっとやそっとでは本物と偽物の区別がつきません。宗教団体がまがいものでも、奇跡が起きた時だけは愛が発動しているので。しかし、人を騙すために肉の支配者が悪知恵を働かせてしかけた罠であっても、見破る方法はあります。偽物と判断できるポイントを挙げておくので、参考にしてください。1. 接点を持つと具合が悪くなる2. コピー人間がたくさんいる3. 信者は洗脳されているので、自分で判断して行動できない4. 軍隊のように統率が取れている5. 隠し事が蔓延している6. 表と裏の顔が違う7. 変に愛想が良い8. 下心があって親切を押し売りしてくる9. 教えを押しつけてくる10. 力(権力)による支配があり、上下関係は崩せない11. 怒りに支配されている12. 愛のない言葉や態度で接してくる13. 皆愛を理解できない14. 一般常識は通用しない15. 先輩信者は傲慢で自信過剰16. 「神様」ではなく「君臨する人」を崇拝している17. 暗くて陰気臭い18. 様々な方法でお金を生むシステムができており、ノルマがある他にも思い出したらその都度書きますが、今日はこの辺で一息つきましょうか。今まで受け継がれてきた宗教組織であっても、いつ愛のない「まがいもの」になるかわかりません。愛を見失って、上記のようなことにならないように気をつけてください。Seraphim
2022.07.16
左目を使ってハッキリと見えるようになった肉側の様子を書き始めてから数日が経ちましたが、「いつか来るだろうなあ」と思っていた痛み(襲撃)が昨晩胸に来ました。バラされたくないことがたくさんあるのでしょうね。「ついに来たな!」と心の中でつぶやくと、「しまった! ばれたか! 」とばかりに痛みは消えてなくなりました。(笑)得体の知れないものは恐怖をあおり、具合が悪くなるだけで何も解決されませんが、正体を知ってしまえば解決への道が開けます。闇(ウソ偽りや企み)は光(神の御前)にさらすのが一番というわけです。すぐに消えてなくなります。Seraphim
2022.07.15
本来、「真っ当な宗教」と「奇跡」は切っても切り離せません。なぜなら、二つに共通して存在する「愛」が、これらを結び付けているからです。「愛し愛されている」「愛が留まっている」「愛が学べる」といった理由があると「奇跡」は起きます。つまり、「奇跡」が起きる正当な理由は、「愛」無くして語れないのです。ところが肉体第一主義の肉の支配者は、愛がないにもかかわらず、この奇跡を「肉体(肉の世界)」のために利用しようとたくらんでいます。特に欲しい奇跡が、「病気治癒」や「死の淵からの生還」です。なぜなら、肉の支配者にとって肉体を脅かす「病」や「死」は、この世の勢力拡大の妨げとなる、最も忌み嫌うべきものだからです。真意はただ「健全な肉体」が欲しいだけで、そこに「愛」はありません。しかし、愛がなければ奇跡は起きないと肉の支配者も知っています。そこで教えの中に愛を取り入れ、テキストをもとに愛を教えるフリをして信者から愛を引き出すといった裏技を使って、奇跡を起こすのです。奇跡は大勢の人たちの目を引き、驚きと尊敬の念を持って迎え入れられます。教祖は神のように崇め奉られ、信者の数はうなぎのぼり。膨大な寄付金も集まり、こうして肉の支配者が運営する愛のない宗教団体は、その地位を不動のものにするのです。かつて私はアメリカで、皆が大事にしている「経典」が大勢の目の前で盗まれる夢を見ました。まさに、奇跡を起こすために教祖が使ったテキストがそれです。夢で見た場所は教会でした。ただし、そこに集まっていた人たちは、目の前で経典が盗まれても誰も気づきません。盗まれたのは「物」ではなく「教え」だったからです。さて、そうやって不動の地位を築いた宗教団体もコロナには敵いませんでした。コロナが活動を休止させたのです。「その辺にしておきなさい」という神の声が、私には聞こえた気がしてなりませんでした。もちろん、それ以前に「奇跡」はすでに起きなくなっていましたし、信者の数も激減していましたが。さて、これからが正念場です。この世で生き残っていくためには何が必要なのか?これは宗教団体に限らず、誰にでも当てはまる疑問ですよね?ここで、最初に書いた「奇跡が起きる理由」に戻らなければなりません。実はこの世に存在するために必要な「神が定めた条件」というのがあります。それが「愛し愛されている」「愛が留まっている」「愛が学べる」なのです。この世は「将来愛で満たされるように」と、愛を学ぶために神によって創られました。人間の弱さ(煩悩)を克服する学びの場であるのもそのためです。従って、愛し愛されている人や物、催し。愛があり、愛が学べる人間関係や書物、場所であれば尊重されて残りますが、そうでないものは徐々に消えていきます。「奇跡」は「神の愛の証」でなければなりません。宗教団体の力が弱まっているのは、「愛のない偽物」だから。われわれ人間はその弱さから、まやかしの消えゆく「偽物(偽善)」に飛びつきしがみつくのではなく、永遠不滅の「真実の愛」を手にして奇跡が起きる世の中を目指しましょう。Seraphim
2022.07.15
宗教団体の中を覗いて見てきたものを、左の目を使って少しずつ整理してみようと思います。まず、肉の支配者率いる宗教団体には得体の知れない薄気味の悪さがあります。そして関わりを持つと、何かの拍子に突然わけのわからない痛みに襲われて具合が悪くなるのです。神聖な場所であれば具合が悪くなるなどあり得ません。時折襲われる得体の知れない痛みが何か、私は以前からその理由を探っていました。思えば前のブログにも書いた、悪鬼、悪霊、凶霊が襲ってきた時の痛みなのですが、ではなぜ浄化できないのか?理由は「肉体の死をも恐れぬ強い愛」が団体にないからです。当たり前ですよね。悪鬼、悪霊、凶霊のボスである肉体第一主義の肉の支配者に、愛などあろうはずもありません。「浄化できない」のではなく、「しない」のです。つまり宗教団体とは名ばかりで、そこは悪鬼、悪霊、凶霊を野放しにしているこの世の地獄。だから薄気味悪くて当たり前というわけです。では、薄気味悪くさせている悪鬼、悪霊、凶霊の正体とはいったい何なのか?「エゴ(自己中、利己主義)」と「偽善」の正当化です。宗教団体はピラミッド構造になっています。教えを間違えて解釈している偽善者が信者の上に神様気取りで何人も君臨し、人々を惑わせながら従わせているため、悪意を持って故意的に嘘をつく結果となり、肉の支配者が大勢生まれるというわけです。しかも、洗脳された信者たちに「○○先生」と呼ばれて担ぎ上げられたリーダーは、王様気取りで権力にものを言わせ、洗脳されていない信者がいると、怒りで言うことを聞かせようと脅してくる始末です。暴君と言わざるを得ません。一度暴力に屈してしまうとますますつけ上がり、プライベートな領域にまでズカズカと踏み込んできます。「良い教えを勉強するため」と称して。肉の支配者が君臨する世界に「優しさ」は通用しません。なぜなら、優しく対応するとその優しさを逆手に取ってつけ込んでくるからです。また、「素晴らしい教え」と見せかけるために、団体や個人が抱える問題は隠す癖があり、問題が解決するとそれは全て「教えや肉の支配者たちの手柄」として信者に発表する場が与えられ、集まってきた大勢の人たちの前で大々的に褒め称えられます。今日はこれくらいにして、続きはまた今度。次回は「奇跡」についても触れてみたいと思います。Seraphim
2022.07.14
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