聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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熾天使4444

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2011.12.03
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今週、我が家で蟹を食べました。義母が蟹が好きで冬には時々食べます。


その日ではありませんでしたが、ふと、実家の父の事が思い出されました。
父は最近蟹食べた事あるのかな・・
一人で、蟹を買って食べる事はないんだろうな・・と思い、いつも実家に行くと、「ここが安かった、じいちゃんも買い物が上手になった」と話しています。
そんな父が思い出され、どうしようもなくいとおしく感じました。

先週は、わが家も実家にはいきませんでした。
主人は仕事が忙しく、日曜日に仕事でした。主人の夕飯を作らなくてはいけないし、行けない事を父に連絡をしますが、何度電話をしても繋がらず、行けないと言う事と伝える事ができませんでした。
父から夕方「今日は来れないのか」と電話がありました。何度電話をしても繋がらなかった事を伝えました。


父は「朝の7時頃なら電話の近くにいるから、その時間に電話をしてほしい」と言いましたが、朝の7時頃は私もバタバタしていて父の都合のいい時間に連絡をすることは難しいと伝えました。









 こう言ってみては?

 「私も朝の7時頃はバタバタしているから、連絡できるかどうかわからないんだけど、少しでも余裕があれば、かけるように頑張ってみます。でも、もし余裕がなくてかけられなかったら、その時はごめんなさい。」

 一応、お父さんとK子さんの性格を考慮に入れて考えて見ました。michael









父の寂しさが伝わってきました。冬になり外に出る事も減り、「する事がない」と漏らしていました。
実家に行けない事で申しわけないと言う気持ちもありましたが、連絡が取れなかったからしょうがないと言う気持ちもありました。

心に流れてきた父に対するいとおしさ、父の寂しい気持が分かり、やはり申しわけなかったと改めて思いました。

k子









 それぞれが完璧にこなそうと、一方は急く性格で、もう一方はすぐに余裕がなくなる性格なので、それぞれが相手を思いやり、どこで折り合いを付けていくかを模索していく必要がありますね。michael





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Last updated  2011.12.03 11:35:18


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