聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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熾天使4444

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2011.12.14
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666をよく見て、そして考えていたときに、ふと666ってなんだろう?と思いました。

<6とは?>
 人を構成する一部分であり、自由意志であり、魂の成長を促す弱点。

と書かれています。
考えていて、6とは自分が苦手だと思うから、見えてくるものだと思いました。
そしてずっと自分を責めていることにも気が付かせていただきました。
前に自分を責めているということは、何かをしなければいけないことに気が付いているのに、行動していないから自分を責めることになる、というような感じで書かせていただいたと思います。
何をしていないんだろう?と考えていました。


このメールを途中まで書いて下書きに入れてありました。
何かまだ・・・と思っていました。
しばらく前に母の事をいとおしく思えた時期がありました。この事に気がつけて、その時はそれまでよりも、そして今よりも楽しく家事ができていました。
でもしばらくしてその状態でいられない私になりました。
その途端、自分はできていないと自分を責めていることに気が付かせていただきました。
まだまだ楽しい状態、相手のことを思える状態でずっといられません。少しでも長く相手のことを思っていられる私でいられるよう、自分を見つめていきます。


ブログから
誰が良いとか悪いとか、誰が正しいとか間違っているとか、誰かを責めるとか責められているといった捉え方をするよりも、全ては自分が向上するために、他者の力を借りて、自分の癖を正しているだけだと捉えてはいかがでしょうか。

 全てに愛があるという確信が持てなければ、負の要素をポジティブに捉えるのは難しいと思います。
 そのためにも、『666の中にも愛がある』と思える強い人になって下さい。

 C-このお母さんにも、その辺を理解してもらえるといいですね。

 『全ての人の中に愛がある』がキーワードです。


今回michaelさんが言ってくださっていること、どうやって母に伝えたらいいのだろうかと、考えています。

「全ての人の中に愛がある」
自分に言い続けています。
母の行動にも愛がある、今までの母からされてきた事が嫌だと感じていたこと、それもすべて愛だったと振り返っています。

母、父もそうなんですが、とにかく私達のことを愛してくれているから、心配しすぎて行き過ぎてしまうこともある行動なのだと感じています。

母の言っていること、行動に違和感を感じることがあります。
でもやっぱり心配してくれているからなんです。
でもそんなに心配するのは私のことを信じてくれていないからではないか、と思ってしまいます。

考えていて、私も息子のことを信じ切れていないと感じました。
今、息子が大学に行く事から、食事は朝晩ついていますが、一人暮らしを始めます。
前にメールに書いてから、大学の始まる時間から電車の時間を考えると、朝は2時間前には出なければいけません。主人はその時間を見たときに、寮に入ることを決心したと感じました。田舎なので、電車の本数も少ないし、帰りのことも考え、決めました。
寮も見て歩き、途中で主人は「うーん、どこも・・・」と言っていたのですが、最後に見た寮がよかったと話していました。息子は他の寮がいいと思ったのですが、主人は会社に入って寮生活をしていました。主人が言っていること、そして寮生活の経験がある主人がここがいいと言っていることに、息子も最初は「納得はしていないけど、了解した」と言っていました。でもしばらくして、どう思っているのか聞いてみると、「お父さんが言っていることが本当にそうで、今はそれでいいと思っている」と言っていました。

主人が会社を辞めたいと思っていると書いてきました。
前は本当にすぐにでも辞めるという感じでしたが、今はとにかく今のところで頑張ると主人は言ってくれています。
それが前にmichaelさんがC穂さんに言われていた、
「どのような状況になろうと、それがベストだと言えるように頑張って下さい。
 なぜなら、私達が置かれる状況は、神とつながっているのであれば、間違いなくそれがベストだと言えるからです。
 きちんと神とつながっていないから、不完全で見直す必要のある状態が生まれるのです。michael」
と言われていました。今の私達にとってベストの状態なのだろうか・・・ずっと考えています。
主人に「お給料の事ならもしどうしても、という状態になれば私も働くよ」と言いました。主人は「それでは意味が無い」と言いました。
少し前、主人は「病気にでもなったら楽な職場にいけるかな」と言いました。私は「病気になるくらいなら辞めようよ」と言いました。
昔、主人は「お金の事でN子(私)を働かせるようなことはしない」というような事を言ってくれていました。
だからと言って、主人が病気になったりしたら意味がないのです。でもそれが主人の愛だから従わなければいけないのだろうか・・・と考えながら、この事は愛に気がつけなかったときの私がやらなければいけなかったことだから、でも今はどうなんだろう・・・と思いながら、主人に「でもお父さんが病気になったら家族みんな辛いんだよ」と話しました。
今はとにかく頑張ると言ってくれている主人ですが、主人の中に辞めたいという気持ちが無くなったわけではありません。
そしてこの前、職安の情報をネットで見ていて、主人が「これはいいかも」と言った仕事がありました。翌日職安に詳しい情報を見にいくと、今の主人の会社と繋がっている仕事でした。主人はそれを見て、私が「どうするの?」と聞くと、主人は「仕事を変わるとしたら原子力関係には就くつもりはない」と言いました。
とにかくmichaelさんが私に言ってくださっている「焦らず、慌てず」と自分に言い聞かせ、「主人に合った仕事が見つかりますように」と祈っています。

それからmichaelさんが私に言ってくださっている、「家族で話し合う」ということもずっと思っています。
私はmichaelさんから「家族で話し合う」と言われて、「話し合う」とはどうしたらいいのだろう?と考えていました。
ふと前にmichaelさんが「Cーこは私(michaelさん)に話しているように、ご主人と話したらいいんだよ」と言ってくださっていたことを思い出しました。
michaelさんが言ってくださっている、「話し合う」とはこういうことなのかまだ分かっていないのですが、とにかく主人に話をしています。
息子の寮の事も主人が会社を辞めたいと思っているのに、寮に入れる事を聞きました。私は最初に寮に入る話が出た時に息子に「お父さんが会社を辞めたら寮生活はできないと思う。そうなったら家から通えるかな?」と話していました。息子は「分かった」と言っていました。そのことを主人に話していました。主人は「前に言っていたように辞めたらその時に寮の事も考える」と言いました。

きっと私が不安から慌てて騒いでいたら、息子が寮に入る話は無くなっていたのではないかと思っています。
主人の会社の事、息子の事、娘の事、そして母の事、これが神様と繋がっているベストの状態なのだろうか・・・ずっと考えています。     Cーこ









 はい、大丈夫そうですね。

 C-こは不安になって慌てさえしなければ、冷静に物事がよく見える方だと思いますよ。
 不安になって慌てると、勘が働かなくなるので、それをやってしまうと、天界とのつながりが絶たれてしまいます。
 神を信じることが大事だと言われているのは、神を信じることができずに不安になって慌ててしまうと、神との絆が希薄になって最悪の場合、絶たれてしまうからです。

 自分と神とのつながりに確信が持てないのであれば、持てるように頻繁に祈り、語りかけることです。
 そして、「ああ、助かった」「助けてもらったなあ」と思えるようなことがあったら、そのことを決して忘れずに、心に刻みつけていけば、神との絆に自信が持てるようになります。

 不安になったら、「助けてください」と手を合わせても構わないんですよ。
 その代わり、助けてもらったら、神との絆に感謝し、神の救いを信じる力に変えていって下さい。michael





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Last updated  2011.12.14 13:42:09


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