聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2022.07.15
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カテゴリ: スピリチュアル
本来、「真っ当な宗教」と「奇跡」は切っても切り離せません。


「愛し愛されている」「愛が留まっている」「愛が学べる」といった理由があると「奇跡」は起きます。
つまり、「奇跡」が起きる正当な理由は、「愛」無くして語れないのです。

ところが肉体第一主義の肉の支配者は、愛がないにもかかわらず、この奇跡を「肉体(肉の世界)」のために利用しようとたくらんでいます。
特に欲しい奇跡が、「病気治癒」や「死の淵からの生還」です。
なぜなら、肉の支配者にとって肉体を脅かす「病」や「死」は、この世の勢力拡大の妨げとなる、最も忌み嫌うべきものだからです。
真意はただ「健全な肉体」が欲しいだけで、そこに「愛」はありません。

しかし、愛がなければ奇跡は起きないと肉の支配者も知っています。

奇跡は大勢の人たちの目を引き、驚きと尊敬の念を持って迎え入れられます。
教祖は神のように崇め奉られ、信者の数はうなぎのぼり。
膨大な寄付金も集まり、こうして肉の支配者が運営する愛のない宗教団体は、その地位を不動のものにするのです。

かつて私はアメリカで、皆が大事にしている「経典」が大勢の目の前で盗まれる夢を見ました。
まさに、奇跡を起こすために教祖が使ったテキストがそれです。
夢で見た場所は教会でした。
ただし、そこに集まっていた人たちは、目の前で経典が盗まれても誰も気づきません。
盗まれたのは「物」ではなく「教え」だったからです。

さて、そうやって不動の地位を築いた宗教団体もコロナには敵いませんでした。
コロナが活動を休止させたのです。
「その辺にしておきなさい」という神の声が、私には聞こえた気がしてなりませんでした。


さて、これからが正念場です。
この世で生き残っていくためには何が必要なのか?
これは宗教団体に限らず、誰にでも当てはまる疑問ですよね?

ここで、最初に書いた「奇跡が起きる理由」に戻らなければなりません。
実はこの世に存在するために必要な「神が定めた条件」というのがあります。

この世は「将来愛で満たされるように」と、愛を学ぶために神によって創られました。
人間の弱さ(煩悩)を克服する学びの場であるのもそのためです。
従って、愛し愛されている人や物、催し。
愛があり、愛が学べる人間関係や書物、場所であれば尊重されて残りますが、そうでないものは徐々に消えていきます。

「奇跡」は「神の愛の証」でなければなりません。

宗教団体の力が弱まっているのは、「愛のない偽物」だから。
われわれ人間はその弱さから、まやかしの消えゆく「偽物(偽善)」に飛びつきしがみつくのではなく、永遠不滅の「真実の愛」を手にして奇跡が起きる世の中を目指しましょう。

Seraphim





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Last updated  2022.07.17 08:48:23
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