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2013.06.17
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朝日新聞 朝刊(2013年06月16日)

(ニュースの本棚)寺山修司没後30年 「多面体」を取り巻いた人々 穂村弘 


 寺山修司の書いた本を何冊読んでも、寺山本人のことはわからない。いや、読めば読むほどわからなくなる。そしてますます惹(ひ)きつけられる。それこそが表現者としての彼の特質だと云(い)ってもいい。人々が寺山を評した言葉、すなわち「多面体」「虚人」「遊戯の人」「虚構地獄」などからもそれは窺(うかが)える。

 そこで、ここでは寺山の身近にいた人というか、それぞれの時代の盟友が彼について書いた本を挙げてみたい。まず『寺山修司と生きて』(田中未知)。田中は寺山作詞によるヒット曲「時には母のない子のように」の作曲者であり、秘書として劇団「天井桟敷」を支えたパートナーでもある。

 長い沈黙を破って書かれた本書の、あまりにも生々しい記述に驚きつつ、引き込まれる。関係者への名指しの批判も多く、その捨て身の率直さによって傷ついた人や怒った人もいると思う。良くも悪くも主観に迷いがなさすぎるのだ。その根底にあるのは愛の確信だろう。

 〈柑橘類(かんきつるい)は皮をむく手間をはぶくため、そのまま口に放りこめるようにお皿に盛った。歯医者には私が先に行って待合室で順番を待った。「この次」というときに、喫茶店で原稿を書いている寺山を電話で呼び出すのである〉〈ときには、私が女性たちの交通整理を引き受けることもあった〉〈要するに寺山修司はこの私にとって「王様」だったということだ〉


 ■虚実の「実」に光

 身近な者しか知り得ないエピソードの力もさることながら、何よりも二人の愛と真実に関する暴力的なまでの確信に基づいて、著者は寺山修司との時間を語っている。結果的に本書は、おそらくは寺山自身の潜在的な望み通りに虚実が分かちがたく語られてきた天才の、実体部分に強烈な光を当てる一冊になっている。それは他の評伝作者がやろうとしてできなかったことだ。ちなみに、やはり側近の一人だった高取英の『寺山修司 過激なる疾走』(平凡社新書)には、当時の出来事がよりニュートラルな視点で描かれている。




 ■文学運動を共に

 最後に『麒麟(きりん)騎手』(塚本邦雄)。前衛短歌運動の盟友塚本邦雄が寺山に送った書簡集である。一つの文学運動を共に戦った彼等(かれら)の情熱、そして時代の雰囲気が伝わってくる。最初の手紙が交わされたとき、塚本邦雄三十四歳、寺山修司十八歳。肺結核とネフローゼによって、それぞれ療養中だった。

 〈よくなつてくれよ。きつとよくなつてくれよ。天才は夭折(ようせつ)せずといふ。見事な典型になるのだ〉

 寺山からの返信が収められていないのが残念だが、昨年の新聞記事によれば「寺山修司が代表作『田園に死す』の題名決定を歌人の塚本邦雄に頼んだ手紙が見つかった」とのこと。自らの代表作の命名を委ねるところに文学的な信頼の深さが窺える。二人には『火と水の対話』(新書館・品切れ)という対談集もある。


 ◇ほむら・ひろし 歌人


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Last updated  2013.06.18 02:34:20
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