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2016.02.13
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(各駅停話:583)東北新幹線「七戸十和田」駅 「進み続けた寺山修司」  (朝日新聞・2016年2月13日)

 青森県東部の上北(かみきた)地域。古くからの馬産地で、人々の馬への愛着心も強い。青森出身の寺山修司も馬に魅せられ、競走馬の馬主になったこともあった。駅から車で約40分。小中学校時代を過ごした三沢市に「市寺山修司記念館」がある。

 歌人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、作詞家、エッセイスト、俳人、そして演劇実験室「天井桟敷」の主宰者。多彩な才能を輝かせた鬼才・寺山が旅立ったのは1983年、47歳のときだった。遺族らから寄贈された遺品を保存・公開するため市が3年がかりで建設を進め、97年に記念館ができた。

 「寺山ワールドを楽しんでください」と学芸員の広瀬有紀さんはいう。延べ床面積約830平方メートル。不思議なオブジェや写真が展示され、幻想の世界に誘い込む。テレビモニターに生前の映像が流れていた。「行きと帰りとどちらが好きか」。そう聞かれ、寺山はきっぱり答えた。

 「好き嫌いを問わず、帰り道を通ったことは一度もない。生まれてからずっと行きっぱなしだった」

 過去を振り返ることが嫌いだった。私も前へ進もう。次回は新青森。東京から700キロの旅も終わる。(編集委員・小泉信一)



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(逆風満帆)映画監督・園子温:中 「撮りたい映画が撮れない停滞」  (朝日新聞 be・2016年2月13日 )



 1986年の「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)に入選したデビュー作のタイトルは「俺は園子温だ!!」。みずから被写体になり、ありふれた日常の続きを物静かに語りだすかと思いきや、半狂乱になって騒ぎだし、バリカンで丸坊主になってしまう。青春の存在の証しを、もどかしげに刻みつけようとした映画だった。

 そのころの園は、「呪縛されていた」というほど、寺山修司に心酔していた。

 序幕と終幕で、主人公がスクリーンから観客に語りかけて挑発する、映像魔術のような寺山の映画「書を捨てよ町へ出よう」(71年)に衝撃を受けていた。

 「詩作で自己と向きあう作業を突きつめていたので、他人を撮るつもりはなかった。カメラを自分に向け詩を叫ぶという発想。やがて、言葉を突き動かす情念をアクションで見せれば、もっと、おもしろくなりそうだと思うようになった」    =敬称略 (保科龍朗)






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Last updated  2016.02.15 01:02:05
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