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旭市飯岡地区は、合併前は海上郡飯岡町であり、そのほうがピンと来るのですが、千葉県内で津波の大きな被害を受けたところです。
瓦礫はほとんど撤去されましたが、歯が折れて使えなくなった櫛のような状態です。ブロック塀が傾いたまま残っています。1階は吹き抜けのようになったまま。

そばにある飯岡海岸護岸竣工碑にはこう記されています。 九十九里浜東端の飯岡海岸は、遠い昔から太平洋の怒涛に洗われる浸食海岸で、そのため海辺に住む多くの人たちは親類縁者を頼って町内各所に移転し、あるいは集団で故郷を追われ他の市町村に移住したと伝えられている。
(中略)
昭和の初期、波と大人たちの闘いを見ていた二人の少年が、郷土を護るために海岸に石を積んで浸食を防ぐことを思い立った。
彼らは学校から戻ると、海岸に打ち寄せられた飯岡石をひとつずつ積み上げていった。やがてこの行動が全校生徒に広まり、校長先生が立てた「我らの波止」という標札のもと学校ぐるみで波止を築く運動となった。生徒たちは雨の日も風の日も交代で石積みを行い、海岸に小高い石の山を築いた。
こうした子供たちの行動と住民のたゆまない熱意が当局を動かし、国県の好意で飯岡海岸の護岸工事が積極的に推進されることとなった。
(後略)
今、見事な砂浜が続いています。私に少年の心を持たせてくれるよう手を合わせました。
もうひとつ、おもしろいものを見つけました。

お昼は飯岡灯台近くのカントリーハウス海辺里(つべり)で鯖すしを食べました。
めずらしいふぐ寿司
さんまのつみれ汁
夏は岩牡蠣、冬はアンコウ、海に沈む夕日が有名。反対側に朝日がみられ、初日の出のときはさぞ混雑するでしょう。
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