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03年9月14日(日) 13時23分Subject:心の問題も丸4年皆様大変ご無沙汰でした。宇梵合です。去る八月のウインドウズウイルス事件に、わたしも巻き込まれ、三週間以上にわたり、パソコントラブルを体験しました。手足をもぎ取られたわたしは、方向転換を余儀なくされました。心の視点はフエイス・トウ・フエイスを行動指針として、見直す機会を与えられたものと考えました。本欄も、開設以来四年間も経過継続しました。その成果が現実の生活にどう役立っているかを問われている筈です。インターネット科学技術の進歩は、ユビキタス社会の到来を意味します。生涯学習など学問知識水準は否が応にも奥深く高度なものにならざるを得ません。まさに知識や知恵の心は地球社会全般の核になるべき時期にさしかかっています。心の分野は人類の未来への導入部分で貢献せねばならないように、わたしには思えて来ています。
2006.07.31
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袰岩敬吉教授公開講座162“人間最後まで努力を”3それはさておき、私の年輩ともなれば会う人毎に「もの忘れがひどくなって」という。聞けば「もの忘れをしないための努力や対策」など全くやっていない。少くとも還暦を過ぎたならば記憶力を維持するための訓練をやらなければならないと思う。私は歌詞の暗記を時どきやっている。過日の「日が沈んで」の選定証授与の際の挨拶のため、一週間前から毎日「アイウエオアオ」の発声練習をやった。人間最後まで機能の老衰化防止に努力したいものだ。
2006.07.31
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イギリスのレスタ-大学ホワイト教授による世界各国の幸福度調査結果がこのほど発表されました。(教授は、社会心理学者)それらよると、第一位が北欧のデンマ-クです。以下上位陣は欧州勢です。日本は、178カ国中のなんと真ん中の90位です。米国が、23番目。これは、経済状況や医療制度や教育レベルに関する国連や世界保健機関(WHO)などのデータ百件以上を分析し数値化したものです。国民生活の幸福度マップでは、単なる経済力だけでは計れないことを示しています。国家指標のあり方に対する政治的関心度を狙ったものとも云えます。(ロイタ-)
2006.07.30
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03年8月3日(日) 19時14分Subject:熱き心と暑い心こんにちは、宇梵です。わたしはいま熱き心と暑い心の間にあります。熱き心は日本元気への挑戦です。暑い心は、都心の暑さ克服への挑戦です。軍配ははたしてどちらに上がるでしょう。わたしの熱きこころはこどもの頃から、かれこれ60年間も続きます。本格的な暑い心は22歳から24歳時の2年間大阪千日前以来ですから、2回目の3年目です。長い経験と創意工夫の智慧にあがるか、9月末には結果が出るでしょう。こころパワーアップ吉田松陰神社ウォークは、その指針の一つです。昨日も102回目の松陰ウォークに挑戦して、その足で三軒茶屋まで行き、まちづくり事務所に顔を出しました。気温は今年最高の記録32度まで上がりましたが、ウォークは快調に進みました。東京都内のわたしの居住では熱きこころが、暑い心を凌駕しそうな勢いです。
2006.07.30
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袰岩敬吉教授公開講座161“人間最後まで努力を”2桑田選手は、七月十六日の横浜戦で、三塁線上に転がったボテボテの打球を、普通はかがんでボールを捕る…姿勢を立て直す…足を踏ん張り…体をうねらせて投げるという、一連の動作を同時並行的にこなし、ボールを捕った瞬間に、一塁に送球して刺したという。甲野氏は「剣の前後切りの動き」のもので普段から、稽古していたとはいえ、とっさに応用できるところが、彼の天才の証と褒めている。私はNO141に剣道を学んだら、日本のボクシングが一段と強化されるだろうといったが、今度は、江戸時代北辰一刀流の千葉周作の門下に六百キロを三日で走り抜いた人物がいたという。これを研究したら、日本のマラソンは一大飛躍するのではなかろうか。
2006.07.30
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わたしはついに達成しました。4500万歩、地球3/4周ウォーキングです。毎日の一歩々々の積み重ねが、昨日、45,012,312歩をカウントしました。これから1500万歩ウォーク達成で、やっと地球一周です。健康であればこそのウォークでしたが、わたしとインターネットとの出逢いがなければ、9年3カ月の長きにわたって、継続できなかったでしょう。ウェブ上にカキコするということは、自分を後押しします。人との約束になるからです。無言のプレッシャーになります。また反面にはカウント数達成に対する、自己満足感が加わります。そんなこんなが地球一周ウォークへと夢を広げています。
2006.07.29
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袰岩敬吉教授公開講座160“人間最後まで努力を”“人生、気持と工夫だ”に私はプロ野球巨人軍の桑田真澄投手のことを書いたが内容がよくわからなかった。数日後、再び新聞に今度は誰にも理解できるように説明されていた。桑田選手の師匠は、三十年來、古武術の術理を追求し、合気道から鹿島神流の剣術、抜刀術、根岸流の手裏剣術などを通じて体の捌き方を研究している甲野善紀氏である。歴史は書物だけで学ぶのではない、体からも学べる、桑田選手は明治初期までの日本人の身のこなしを甲野氏から学び試合で実践している。
2006.07.29
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日本の明日は、いま企業人や市民に問われています。小泉政権は、ますます日本の明日を、破壊しつつあります。それに唯々諾々とマスメディアも与党政治家も官僚も大学界も、尻尾を振っています。反論反撃する少数者の声は、無視軽視されます。その上小沢民主党には、政権奪取のパワーが、いま一つのように思います。ということは、政治家に頼れないならば、心ある縛られない企業人や市民が、立ち上がるしかないのが現状です。それしかありません。日本の明日のために、企業人と市民が、チカラを合わせてパワーアップしようではありませんか。
2006.07.28
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03年8月3日(日) 6時52分Subject:心無心有おはようございます。宇梵です。なだいなださんが、バーチャル「世直し老人党」の旗揚げをしました。(作家、精神科医)8月4日の有楽町電気会館には世話人を名乗る、老人党戦士たちが、大勢押し掛けることでしょう。世の中はこころが無いようであるものですね。小泉政権はその火蓋を開けました。わたしは私なりの「アクション・ゴーゴー」を開始します。心はこころを呼び心になります。「心無心有」は心有心無ではないようです。わたしにとって老人党旗揚げは「心はないようで、心はある」を確信した出来事でした。成功を祈ること切なりです。
2006.07.28
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袰岩敬吉教授公開講座159“第四の人生”3何を今更、この年になって苦しむ必要があるのかといいたくなると思う。そう考える人は自分の好きなようにして終ってゆけばよい。ただ私は、毎日の新聞やテレビの中に、無上の楽しみと喜びを享受することができれば、両者相待って「臨終行儀」を成就完了して、「第四の人生」に花を咲かせたいと願望しているだけである。ご感想をお聞かせ下さい。
2006.07.28
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わたしたち人間には、一心のチカラが秘められています。そのチカラをどう使うか使わないかです。わたしたちには、いつもさまざまな困難が、付き物です。普段は、なんの役にも立たないように見える心でも、大きな危険や事件事故に会い、ここぞと観念して一心にアイディアを搾り出して、事に当たる時、思わぬ閃きを得られることがあります。一心のチカラは、捨てたものではありません。とことん考えて考え抜いてみる価値はあります。こころパワーはきっと期待に応えてくれます。全国のワーキングプア-の皆さんも、財政困難な自治体の皆さんも、現状打破の智慧を持ち寄りましょう。
2006.07.27
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03年7月20日(日) 7時06分Subject:心の概念規定おはようございます。宇梵です。21世紀は心の時代と云われても、そのこころの実態や概念が把握出来ていない、すなわち社会の共通認識に至っていないから、始末が悪いのです。ある人は宗教や倫理道徳と見、またある人は神経医学や脳科学の分野と考え、そしてある人は心理学こそと思っています。まさにこころに対する認識は、個々バラバラになっています。それこそ心を合わせて、こころの概念規定やこころの特性研究とは、なにかから、始めればいいのです。こころとは、こういうモノこういうコトこういう実態、こういう概念ですよ、というところからわたしたちは、こころを知らなければなりません。そしてこころのエネルギーが21世紀人類の共生共存を可能ならしめる、大きな「チカラ」になることをわたしは確信します。
2006.07.27
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袰岩敬吉教授公開講座158“第四の人生”2「第四の人生」とは如何なるものだろうか。敢えて私はこれを「臨終行儀時代」と名づけたい。「臨終行儀」とは安らかに人間らしく死ぬための準備をすることをいう。先ず見たい、聞きたい、食べたい、飲みたい、やってみたいなどの欲望から次第に遠のいてゆくように努めたい。食事は肉、油物から野菜中心に移ってゆく。タバコは止める。アルコールも減らしてゆく、ご飯は体重の調節と消化のためお粥にしたい。晴耕雨読ならずして晴れても降っても読者三昧、時には孫へ残すものを書く。スポーツは勿論、外出散歩もしないかわりに、関節の柔軟運動は、二時間以上を日課とする。ここまでも容易なものではない。その上に八十年の過ぎた歳月の中に、自分の姿をみつめ直し諦観に近いものを悟らなければ「第四の人生」の意儀が見出せない。
2006.07.27
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なんやら、世のなかは、騒々しくなってきたようです。北海道夕張市が財政再建団体の申請をする、とかワーキングプア-の問題が急浮上しているとか、日本のあちこちにほころびが目立ちます。だれがどのように責任を取るというのでしょうか。無責任体制のままで、事は済むのでしょうか。国家の借金は、一体1千兆円を超えているのかいないのかです。国民の税金負担能力も、もはや限界(他の負担も含めて)にあるように思います。小泉内閣は、責任回避に始終して責任の先送りで、すべての事を済ませています。一方国民の側も、自分達が如何に間抜け面をしているのかさえ、分かっていません。これは、わたしたちの出番ですよと云われているということなのかもしれません。さてさて、どっこいしょと立ち上がりましょうか。
2006.07.26
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袰岩敬吉教授公開講座157“第四の人生”長い間、いわれてきた「人生五十年」が、今や八十年時代を迎えている。五十代までを「第一の人生」とするならば、六十、七十代は「第二の人生」となろうが、最近は定年を待たずして「第二の人生」に飛びこんでゆく人たちも多い。そして、その生き方がかつて私が座骨神経痛で、入院した当時書いた「第三の人生」に共通したものがあって区別がつき難くなっている。しかしながら、長寿者が増えたとはいえ「第二の人生」を迎えることなく終る人もあり、また「第二、第三の人生」半ばにして倒れる人もある。幸か不幸か、この先なお生きる人たちのために私は「人生の第四節」の概論をここに掲げたい。
2006.07.26
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03年7月17日(木) 19時52分Subject:心の危機今晩は 宇梵です。わたしは区立図書館の雑誌棚から「読売ウィークリー」7/27号を取り出しました。依存する女たち-「心の危機」から酒、メール、セックス・・・・・という特集が目に付いたのです。「-豊富なモノに寂しいココロ-というテーマで蔓延する21世紀型依存症が激増しているのです」と紹介されています。すなわち「ココロの危機」が高給取りのキャリアウーマンたちを襲っているのです。人は、豊かな金銭というモノだけでは、幸せを勝ち取れないのですね。彼女たちは心の寂しさからお酒やインターネット出会い系メールや過激な不倫セックスへと走らせられているのです。21世紀は心の時代と云われる所以です。
2006.07.25
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袰岩敬吉教授公開講座156“もう一人の師を友を”3次には好奇心と挑戦と、飽くなき追及の友人がいる。この友人の勇猛果敢さには定評がある。友人知人の間では知らないものはないだろう。ご承知のように、本物の私は単純でハヤトチリで数えきれない程の失敗を、くり返してきた人生だ。ところが、種あかしをすれば夢の先生もファイトの友人もみんな子供っぽさから未だに抜け出せない、私の頭の中にあるのだから不思議だ。こうして難しいことを書いているのも紛れもなく私だ。長いことご厚誼を賜わっている方がたにはおわかりのことと思う。
2006.07.25
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06年7月24日(月) 6時32分Subject:日本人の心おはようございます。宇梵合です。昨晩9時のNHKスペシャル番組「ワーキングプア-」は、衝撃的な内容でした。一体日本の政治家は、税金泥棒かと疑うような映像ばかりが、目に飛び込んで来ました。なんたる情けない光景であり、現状でしょうか。日本人の心は、どうなってしまったのでしょう。何時の間にどこへ捨てられてしまったのでしょうか。心の問題こそが、日本が世界に誇り得る最大の特性ではありませんか。弱者に対する憐憫の心、喜捨の心は、古来からずっと受け継がれて来た情緒(相互扶助、近隣愛)ではありませんか。世界一繁栄した国家国民の日本が、どうしてこんな有様に堕落したのでしょうか。一人ひとりの国民の心の痛みは、勝手にしろ、どうでもいいと云うのでは、政治家は不用の長物です。本当にほんとに情け無いです。心の問題が、すべての根底にあることが厳然たる事実なことは、歴史や経験が実証していることを何故、現職の総理が放棄してしまうのでしょう。超馬鹿の壁なんでしょうか。
2006.07.24
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03年7月16日(水) 6時00分Subject:心を伝える道具おはようございます。宇梵です。今朝のヤフーニュースで、犬語に続いて猫語翻訳機が、発売されると報じています。わたしたちは人間の心を翻訳する機械「心翻訳機」こそが待ち遠しいです。わたしたちは自分の心を適切に伝えるために言語、文字や声やしぐさなどを使用します。がしかし言語文字声しぐさなどは、果たしてしっかりと必要とされる相手に、届いているのでしょうか。はなはだこころもとない限りです。相次ぐ少年たちの残酷な殺人事件や大人たちの自殺や世相を反映するテレビ映像や各地のテロ事件暴発など、人間同士の殺し合いのような気がします。わたしたち人類の最重要課題は、一人ひとりの心を理解し合うことではないでしょうか。インターネット科学技術はそのための最高最大の道具になっています。
2006.07.24
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袰岩敬吉教授公開講座155“もう一人の師を友を”2私は、あまりにも我意を通り越した人生だったから、自分に気付いたのが遅かった。今まで、何回も書いたように自分の思想信念に蘇ったのが七十歳のとき、同時に私の理解者も現われた。そして残生幾何もない、八十五歳にして我が意を得た、理論に出会うことができた。寂しさを訴える高齢者が実に多い。自分の考え一つで指導者も友人も、いくらでもつくれるのだ。努力しないからではないか。私には夢づくりの先生がいる。それが世界的、宇宙的に規模の大きいものが殆どだから、一見価値もある。たいてい夜明けのぼんやり半分位眠っているような時間帯にヒントが生れる。それに手や足をつけ最後に翼をつけ大空へ舞い上らせて喜んでいる。
2006.07.24
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03年7月8日(火) 5時52分Subject:心の巣箱NPOおはようございます。宇梵です。わたしたちの仲間四人が、先月6月1日にスタートさせました、NPO任意団体「心の巣箱」は設立資金20万円を以って準備され出発しました。ひょっとしたほんの思い付きから、集まったたった四人のメンバーからトントンと運んだ、NPO「心の巣箱」は、特定非営利活動法人認可申請の手続きを今年中に静岡県に申請します。その中心は静岡県函南町平井に住んでおられる地域ボランティア女性活動家の方です。わたしは「心の巣箱」というネーミングに最初戸惑いました。語感は申し分ありませんが果たしてどんな活動の展開を目指すのかが、正直に云うとぴんと来ませんでした。しかしよくよく考えますと皆さん方には受け入れ易い言葉であることは間違いありません。さあ「心の巣箱」からより多くの夢を託されたさまざまな小鳥たちが飛び立つことを願うのが今の私の心境であります。
2006.07.23
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袰岩敬吉教授公開講座154“もう一人の師を、友を”親の別れ、子供に先立たれる親、長い間連れそった夫婦、突然の友の死など、残された者の悲しみ、寂しさが何時までも続く。しかし身内はいうまでもないし、先輩友人たちの慰め励ましで、立ち直ってゆく。だが死の別ればかりではなく、長い人生には、幾度も味わう挫折感や失意のドン底へ突き落されることもあろう。最後に頼れるものは自分しかないことを知らされる。そのためには、でき得る限り早い機会に師とも仰ぐ存在、信友をつくっておかなければならない。これがもう一人の自分だ。随分以前に一度書いている。戦後、日本を見失なった若者の間で流行している“自分さがし”など阿呆らしい。何も特別なことをしなくても、外国へなど行かなくても、信仰に身をおけば、尊敬する人物に師事すれば、自ら、自分の存在が現われてくるものだ。
2006.07.23
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03年7月5日(土)2時58分Subject:医療者のこころおはようございます。早朝便の宇梵です。現代の人々は健康に対する関心がもっとも高くなっています。それは健康志向というよりも、平和平穏で余暇時間の豊かな社会になったからではないでしょうか。したがって医療に従事する人たちは、時代の先端を行く技術技量とともに健康志向の、意味する心を的確に掌握して、医療にかかって来る人々の人生に対して生命の尊厳や厳粛さを伝えつつ、心と体の両方のケアをしなければならないのではないでしょうか。人間は心で生き、体で生きる特異な生命体なのです。こころだけではいけません。体だけでもいけません。一人だけでも生きていけません。まさに三位一体の心なのでしょうか。
2006.07.22
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袰岩敬吉教授公開講座153“命の軽重”3理由原因なくして命を奪われた遺家族は、犯人を殺しても憎しみは生涯消え去ることはあるまい。それを改心更生で死刑廃止を唱えるなどは、むしろ命の尊厳を損なうものといわねばならぬ。私は戦地において死に直面すること幾度か、私の死に対する認識は以上のようになっている。「私の昭和史」の投稿文、読むこと数百編、すべて、悲しかった。辛かった苦しかった。かわいそうだった。そして二度と戦争を起こしてはならぬで終っている。しかし世は平成を迎え、21世紀に生きている私たちは、命とは如何なるものか、戦争を起こさないためにはどうしたらよいか、自らの頭の中に構築されているものと、信じたい。もしそうでなかったら「私の昭和史」体験記は、死文に等しい。
2006.07.22
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06年7月21日(金) 午前5時45分Subject:総理心の問題発言おはようございます。宇梵合です。小泉純一郎総理は、今回の昭和天皇靖国神社非参拝メモ発見報道に対して、これは天皇の心の問題ですから、と、相変わらず逃げのコメントを繰り返しています。人間の行動とは、心の発動であるという厳然たる事実をどうして分からないのでしょうか。小泉総理は、靖国神社参拝をするべきと思うこころがあればこそ、参拝しています。天皇陛下は、A級戦犯が祭られているから、参拝しないのです。その心こそが、日本人のこころを代表していると云っても過言ではありません。太平洋戦争突入の判断責任を問われていた、昭和天皇がどれだけ心を痛めていたかという事実は、今回のメモ発見で明白になったということの厳粛さを、わたしたちの「心の問題」としては、真剣に取り上げるべき絶好の機会です。国家の「心の問題」はまさに政治問題であります。個人の範疇を超えているということが、どうして分からないのでしょうか。総理こそが、まず猛反省すべきと云われている陛下の御心を理解すべきです。「心の問題」は、国家課題なのです。国民一人ひとりの心が、国家の明日を決定しているという事実を、どうして「個人の問題」にしてしまうのでしょうか。これは、総理の詭弁です。総理のごまかし発言です。総理の責任回避発言です。
2006.07.21
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03年6月9日(月) 午前4時49分Subject:心の扉おはようございます。宇梵です。さて日本では、昨年3万人以上の自殺者があったそうです。一年間の交通事故死の3.5倍なのだそうです。わたしたちはこうした現実に対処する手立てを一向に見出していません。いのちの電話全国連盟は、24時間無料相談体制を確立しています。しかしここ数年毎年の自殺者は3万人を超えています。どうしたことでしょう。結局、政府や既存の施策によっては、自殺者の心の扉は開いていないということです。これまでわたしたちは、心の扉を開く研究や対策などを宗教家や心理学者や精神科医に任せて来ました。また任せるしかないものと思っていました。しかし、カタチのないこころはカタチに拘る人たちでは、心の扉を開くことが出来ない、すなわち解決出来ないのだということにやっと気が付き出しました。
2006.07.21
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袰岩敬吉教授公開講座152“命の軽重”2また「命は地球より重いとか、どんな犯罪人の命も、善良な市民の命と同じだ。」という主張に対しても私は「ちがう」といい続けている。何故ならば戦争という場において敵味方の命が、価値が同じだというバカは、世界中どこを探したって一人もいないだろう。世界第二次大戦で、ナチスの大量殺人に、人間と牛や豚とどこがちがっていたのか、虫けらのように処理された。日本においても、関東軍から見捨てられた、旧満州開拓団何十万の家族が、男性は軍へ召集され、残された者たちは着のみ着たまま飢えと寒気で、引き揚げのためには、先ず乳幼児から命を奪い、次には病弱者怪我人が置去りされた。その上、行動を共にできなかった女性は満人の妻となった。即ち、開拓民の命が年齢強弱、性別などにより順位がつけられたということになろう。時と状況如何によっては、このようなことも起こり得るということだ。
2006.07.21
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03年6月6日(金) 午前5時23分Subject:心の発想おはようございます。宇梵です。鉄腕アトムで有名な手塚治虫の長男である手塚眞氏が昨日NHK昼の対談番組に出演し心のリアリティー心の発想について語っていました。心の世界と日常の現実の世界とはリアリティーは同じであると強調していました。心の世界のリアリティーがたまたま父治虫の「鉄腕アトム」になったのです。わたし手塚眞氏の心の世界では、それが映画という世界にしたいと思います。心のリアリティー心の発想という点では同じだと思いますと語っておられました。日本にもこういう考え方の人がおられるんだなあと、わたしは心強く思いました。心と現実のリアリティーは同時に二つとも存在するということです。
2006.07.20
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袰岩敬吉教授公開講座151“命の軽重”広島長崎の原爆展が国連から許可されなかった。再度願い出るそうだが同じだと思う。理由は「あまり残虐残酷過ぎるから」だという。これがまた原爆関係者に理解できないらしいから悲しいことだ。世界唯一の、被爆国だからと考えていると思うが、私はマンガ、テレビ、ビデオの残酷物が青少年にとって、百害あって一利なしと同じで、原爆だけを特別視してはいないと考えられる。私も三十余年以前から、大人はよいとしても青少年の修学旅行とかその他で観覧させることには反対してきた。まして全国被爆展示会など愚かなことをするものだと思っていたから、私は戦争反対運動として「青少年には美しい花と勇気を与えよ」と書き続けてきた。
2006.07.20
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03年6月5日(木) 午前5時40分Subject:心のグランドデザインおはようございます。宇梵です。わたしの役目は、心のグランドデザインを描くことにありそうです。国連の21世紀課題である魂の在り方「スピリチュアル」についての研究はほとんど進んでいないのが現状であります。そのことが意味することはカタチのないこころ「魂」についての「グランドデザイン」がないからではないでしょうか。すなわち、カタチのないこころ「魂」の概念規定構築から取り掛からねばなりません。「カタチのないこころ」のこころ化です。言うなればカタチのある心とは、なにかということです。人はカタチのないこころをいくら追い掛けても、カタチがないから、捕らえ様がありません。カタチのないこころはこころでしか捕らえられません。即ちカタチのないこころを持った者にしか出来ない仕業なのです。幸いにもわたしは長いことカタチのないこころばかりを追い求めていたがために、こころ化の作業をすることが出来るものと確信します。
2006.07.19
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袰岩敬吉教授公開講座150“思考力と感度の測定”3私はハッと気がついた。毎日何か書かなければ気がすまないのだ。それは生きがいでもなく老人を励ますものでもなかった。自分自身の思考力の衰えや感性の減退に不安を感じ始めたのに他なかったからだ。ボケを非常に恐れていることも事実だ。新聞を読みテレビを見て、神経が反応しなくなる日が、遠からずくることはわかっているのだが、そうなるのが耐えられないような気がする。だから毎日書いて「感度良好」を確めている。
2006.07.19
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03年6月3日(火) 午前5時25分Subject:心の待機姿勢おはようございます。宇梵です。わたしたちのこころはいつも待っているような感覚を身に付けています。それは生存本能の為せる緊張感、緊縛感なのでしょうか。いついかなる時でも身の危険から、逃れられる動物本能なのではないでしょうか。生命誕生の海から植物連鎖動物連鎖が、数億数千万年も経て続き、わたしたちの現在があるのですから、当然と言えば当然のことで、なんの説明も不要でしょう。家族関係にしろ地域連携にしろ、経済活動や問題にしろ国家国民の統一性にしろ、わたしたちの心は瞬間々々に待機姿勢を取り続けています。この心の待機姿勢に応えて行くのがどんな分野の指導者にも課せられた使命であるように、わたしは思います。
2006.07.18
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袰岩敬吉教授公開講座149“思考力と感度の測定”2ここしばらくの間、私は岩手放送編集の「私の昭和史」を読み耽った。それに加えて「私の戦後五十年」と、約三百編だった。「私の昭和史」は昭和五十五年から始まり、平成三年五月NO11で終っている。十一年間発刊された。気がついてみたら、戦争体験記が回を追う度に少くなりNO11では全く姿を消していた。私は今まであと十年もしたら、戦争体験者は生きていないだろうと度々書いてきたが十年も前に戦争の思い出が絶えていたのだ。戦争体験者の私が驚いている。何か滑稽なような気がする。まして戦後生れが覚えているなんてことは、ないのが当然だと思う。だがこれでよいのだろうか、戦後処理が未だ終っていないのに。
2006.07.18
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03年6月2日(月) 午前6時46分Subject:昨日の心はおはようございます。宇梵です。2003年6月1日、わたしの心は揺れるこころになったのでしょうか。はたまた使命感に満ち溢れたこころになったのでしょうか。昨日は、まちづくり人づくりに熱心な、男性二人と女性二人の四者による、第一回熱海会談の開催日でした。どのような話し合いになったのでしょうか。結論は出ました。まずは第一歩を踏み出すことになりました。昨日の皆様の心は、非常に前向きな心でした。積極的な建設的な心です。熱海は、わたしにとって非常に因縁があり、そして意義深い土地柄です。確実にその第一歩を踏み出しました。
2006.07.17
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袰岩敬吉教授公開講座148“思考力と感度の測定”六月二十日、自民党鈴木宗男議員が逮捕された。長い議員活動の中で鈴木は今日の自分の姿を予測したことがあったろうか。おそらく一度もなかったろう。マスコミは事ある度に「政治資金の醜聞で、議員を辞めた加藤紘一にしても、総理総裁の有力候補だった」と書き、鈴木のことは「ひところは、将来の派閥会長にも擬せられた人」と評している。果してこの二人にそれだけの力量があったのか、私はそうは考えない。これはマスコミの浅見からきたものだ。自民党という収賄、汚職の育ち易い温床(体質)だからこそ今日まできたもので、他の党だったら、むしろ淘汰されていたかもしれないからだ。間違った世論の引き金にもなりかねないマスコミの論調には、もっと広く深い視点をもって書いてもらいたい。
2006.07.17
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ワンルームマンション販売会社「株式会社エスグラントコ-ポレ-ション」社長杉本宏之氏の書籍「IR男」は、マンション投資セミナ-会場からの電車と図書館と自宅で、一気に読みました。読ませられました。書き出しが、こうである。「ポタポタと、畳に落ちる真っ赤な血を見つめながら、もしかしたらこのまま俺は父に殺されるかもしれない、そんな考えが、頭を一瞬よぎりました。」父は我に返ったようです。父の手から包丁がするりと落ち、畳に刺さりました。現在年商179億円で創業からなんと48カ月と2日の名古屋証券取引所セントレックス市場で上場を実現したワンルーム男物語です。
2006.07.16
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03年5月28日(水) 午前5時10分Subject:ふるさと回帰の心おはようございます。宇梵です。わたしたちのふるさと回帰志向は、なにを求めているのでしょうか。その心とは一体なんなんでしょうか。わたしは、ふるさと回帰の心をあれこれ考えているうちに辿り着いたのは、ふるさと回帰は農業や農業に伴う製造業のなかにあり、森林業や漁業のなかにあるように思います。都会の中の行政や流通販売業や情報産業などのなかにはないのではないでしょうか。それらの三つの基本産業、農業や森林業や漁業の未来即ちふるさとの未来は、どうあるべきなんでしょうか。わたしは、農業は脳業へ森林業は神臨業へ、漁業は御業へ転換変身すべきなのではないでしょうか。思うには農業が「脳業」になれば、森林業が「神臨業」になれば、そして漁業が「御業」になれば、世の中の人たちは競ってこの三つの産業に雪崩れ込んで来るのではないでしょうか。ふるさと回帰の心は、こうした創造性の到来を待っているのではないでしょうか。
2006.07.16
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袰岩敬吉教授公開講座147“人生出逢い” 「好きな人と結婚して楽しい幸せな家庭をつくりたい」と。これが高校生あたりからの希望である。しかし、そのためにはどうすればよいかは全く知らない。知ろうともしないのだから呆れる。老人たちは死ぬときまで自分のことは、自分でやりたいと願う。そのための自己管理は考えない。日本国民は二度と戦争はしないといいながら、憲法第九条を改正しようとしている。自衛隊のイラク派遣小泉政権を支持している。私は押売りでも宗教の広布者でも出逢いを大切にしている。通院もその日の出逢いを楽しみにしてでかける。積極的に出逢いを多くして、いろいろ勉強してゆけば、知識が豊富に知恵もついて正しい判断が身についてくる。先ずできるだけ多くの人たちとの出逢いをすすめたい。
2006.07.16
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ザ大学機構の看板大学である「内閣総理大臣大學」第2代学長袰岩敬吉公開講座も今朝連続146回目を記録しました。さて最近のガリ刷り会報1149号が、先日郵送されて来ましたので下記に概略紹介致します。日本サッカ-界代表中田英寿についての記述です。中田英寿よ貴方には日本代表チ-ムが、世界一流として活躍するために絶対必要な逸材発掘の任務がある、と云う。明日からでもいい、日本全国を歩いて「ゴ-ルの臭いを嗅ぎ付ける選手」を探し出して欲しい。この仕事は、中田英寿にしかできない。このような論評は他には見られなかったように思いますが、皆さんはどう思われますか。鋭く元気な袰岩教授でしょう。
2006.07.15
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03年5月22日(木) 午前0時38分Subject:心を捨てる心を拾うこんばんは、深夜便です。わたしは「心を捨てる人こころを拾う人」どちらの人になっているのでしょうか。どういう訳か知りませんが、小さい頃から物を欲しいと思う心「物欲」が、弱かったように思います。勿論毎日の食欲は旺盛でしたから、食べ物を買うお金「小遣い銭」はごねっていました。長じてからは物欲食欲ともに薄くなる一方でした。そんなんで親譲りの財産も、あっさりと人の手に渡してしまいました。一方でこころを拾うことに対しては、強情にも諦めずに粘り強く、何年でも追い掛けて遂には、手に入れてしまうという経過を辿っています。いま思えばそれが母親の躾けでした。
2006.07.15
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袰岩敬吉教授公開講座146“人生出逢い”人の一生は、精子と卵子の出逢いから始まる。生れて両親兄弟姉妹と身内、縁故者、幼な友だちから、幼稚園小中大学校、社会人、…病気、怪我、諸会合…そして人生終焉の際の身内、医師、看護師にいたるまで出逢いで終る。人間ばかりではない。地球上のあらゆるものとの出逢いで人生は転換を続けてゆく。ところが、この大事な出逢いを嫌ったり避けたりしているのが、戦後日本人の世相ではないだろうか。交際はおろか、結婚から、自殺、強盗から殺人までメールとかの出逢いで、人生を狂わせている。全て嘆かわしい。
2006.07.15
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今朝は、ヤフ-のブログ検索を初めてしてみました。なんと、「ザ大学」の結果がぞろりと出て来ました。わずか1年半ちょっとでも、継続のチカラは、大きいです。ここゆっくりと活動の休止をしていますが、ザ大学の明日がなんとなく見えるような気がします。
2006.07.14
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03年5月15日(木) 午前6時35分Subject:怠けごころおはようございます。宇梵です。わたしの持病である腰痛が顔を出し始めています。心と体の両方からの疲労とストレスが怠けごころの顔を醸し出させます。わたしにとって一種の東京スランプかもしれません。吉田松陰ウォークも84回止まりです。なかなか快適ウォークとは行きません。東京世田谷のまちづくりも一歩も進みません。これだけは焦っても致し方ありません。そんなこんなが重なり合って、こころパワーは湿りがちです。それをいい口実に怠けごころを容認しています。
2006.07.14
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袰岩敬吉教授公開講座145“宗教と科学”3われわれの現在の生命の中には、永遠といってもよい何十億年という地球の歴史が宿っているのである。時を越えて、場所が異なってもエホバの聖書と親鸞の説二種廻向と、そして現代科学の遺伝子学との三者がかくも美事に共通一致しているとは、ただただ驚くほかはない。これらに比べたら、仏教の極楽地獄説は幼稚にみえてくるが、幼稚性もまた捨てたものではないと思う。むしろ、この幼稚性の地獄極楽説の方が現在の単純化した青少年の教育に適しているかもしれない。難しい文章を私なりに解釈したから、間違っているところもあると思う。
2006.07.14
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03年5月4日(日) 午前6時03分Subject:心の爆発おはようございます。宇梵です。日本経済はバブル不況から10年以上も立ち上がれません。どうしたことでしょう。政治家や官僚や大学教授陣や財界人は一体どんな手立てを打っているのでしょうか。国民の不満の心は爆発寸前です。10年間の心の鬱積は頂点に達しています。いわば国民の心の我慢がその限界を迎えようとしています。いずれこの不満ごころは爆発するでしょう。ただしどのような形で爆発するかが問題です。良い意味や方向での、政治改革経済改革、地球文明改革ならば歓迎ですが、ひょっとくだらない気持ちに、支配されたような心の爆発ならば、国民は迷惑します。先日イラク取材の毎日新聞記者がちょっとすけべごころを起こしたために、所持した爆発物で死傷者までも出した事件に発展したように、世の中はとんでもないことにもなりかねません。ひとり一人が、持ち場持ち場の仕事をきちっとしなければならない時代です。政治家であれ官僚であれ教育者や研究者であれその他多数の国民であれ、日本国民の心の爆発は必須であります。まさに「こころ」して然るべき時でしょう。
2006.07.13
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袰岩敬吉教授公開講座144“宗教と科学”2それから何日か過ぎて私は朝日新聞の梅原猛氏の“反時代的密語”を読んだ。親鸞は二種廻向の説を説いている。一種は、どのような悪人でも口称仏すれば必ず極楽浄土へ往生するという往相廻向である。もう一種は、極楽浄土に行った人間が、また衆生救済のために、この世に帰るという還相廻向である。近代真宗学は、この二種廻向の説をほとんど説かない。なぜなら科学を信じる近代人にとって死後、浄土へ行くというのは幻想であり、その浄土からまた帰ってくるというのは、幻想の上に、また幻想を重ねるようなものと思われるからである。しかし念仏すれば浄土へ行き、またこの世へ帰り、また念仏すれば、あの世へ行き、またまたこの世へ帰るというのは、人間は生と死の間を永遠の旅をするという思想である。この思想は、個人としての人間を主体にして考える場合、幻想にすぎないかもしれないが、遺伝子を主体にして考える場合、必ずしも幻想とはいえない。遺伝子が生まれ変り、死に変りして永遠の旅をしているという思想こそ、現代生物学が明らかにした科学的真理なのである。
2006.07.13
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03年5月1日(木) 午後7時02分Subject:まちづくりごころみなさんこんにちは。宇梵です。2003年もはや中盤を迎えます。あっと言う間の5月です。わたしの「明日を作る」心がカタチになろうとしています。勤務先のマンション管理業務に対してオーナー様方の信任が得られつつあります。近隣関係はこれからですが、心を許すベテランの相棒が現れました。また今回の地方統一選挙施行が思わぬ人脈づくりに役立ちました。わたしのまちづくりごころがまちづくりを目指す「候補者の心」を捉えたのです。カタチのないこころがさまざまな方々の心に、すっと入り込んで行きます。みなさんのまちづくりごころも、なにかを求めはじめています。
2006.07.12
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袰岩敬吉教授公開講座143“宗教と科学”これほどたまげた話は滅多に聞けるものではない。どんな場合でも輸血を拒否するといわれている宗教(エホバ)の幹部と私は、数年前からの付き合いで、今年家へ戻ってからも二度で来れば一時間半は話しこんでゆく。私は彼の名前は知らない。別に必要もないから聞いたことがない。一週間前にきたときは、エホバの聖書を開いて私に、次のように説明した。「特定の指導者とか神は存在しない」十四万何千人のアドバイザーがいて地上の人間に正しい生き方を示す。それに從い、守る人間は死んでも、生き返ってくる。守らない人間は消えてゆく。千年たてば、世界は楽園となる。このように私は受けとった。
2006.07.12
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03年4月29日(火) 午前7時03分Subject:心はいつもおはようございます。宇梵です。わたしの心は、いつもいまわたしには、なにが出来るのかです。わたしのこころはわたしの心とわたしの体とわたしの行動とをじっと眺めています。わたしのこころはわたしたち地球と地球環境と人類達の未来に注目しています。わたしの心はこれまでの過去と足元の今と未来の道をどう捉え、どう作り出すかに全神経を集中しています。心はいつも自己と他者の両方を行ったり来たりです。わたしたちの今にはわたしたちの過去とわたしたちの未来がいつも一緒に生きています。こころにはそうした現在と過去と未来を瞬時に統合する働きが生かされています。わたしたち人間は、この素晴らしい能力を未来に繋がる現在に、最大限に活かして行きたいですね。
2006.07.11
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袰岩敬吉教授公開講座142“不思議な人間の体”4とにかく体を早く動かすことができなくなった。約一三〇メートルのところにあるスーパーの往復も思うように歩けなくなった。これが三度目だ。三度目の恢復はあるだろうか。わからない。私の歩行困難の原因は肉体は、勿論、ストレスと重なって起きているし、そのストレスから解放されて歩行可能となっているが、次第に加齢し八九にもなろうとしている肉体には、自己治癒力にも限界があろうというものだ。しかし考えてみると、人間の体というものは、実に不思議なものだとつくづく考えさせられている。
2006.07.11
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