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2006/01/09
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カテゴリ: カテゴリ未分類



ぼくがまだ社会人二年目くらいのころ(つまり、だいぶ前)、勤めていたコンサルティング会社の日本人副社長の一人(Mさんと呼びます)と話をしたときの質問です。Mさんが、別の副社長(米国人)と話していたときに

「心臓と腎臓、どっちが価値があるか?」
という話になったそうです。

で、Mさんが
「そんなん、どっちが価値がある、という問題じゃないだろう。どっちも大事なんだから」というと、米国人副社長は、
「いや、心臓の方が価値がある」と。
「心臓は1つしかないが、腎臓は二つあり、一つなくなっても大丈夫。」などの理由から「病院では、心臓の方が(価格が)高い」とのこと。
(詳細は、うろ覚えです。『価格が高い』というのは、病院が臓器を購入するときの価格か、患者が病院から提供を受けるときの価格か、献体で臓器を提供する場合に遺族が受け取る金額か、そもそも全く別の概念か、例によって思い出せません。。すみませんが。。)



当時、『欧米的』なものの考え方と、『日本的』なものの考え方の違いが端的に現れているなぁ、という印象が強く残っていて、なぜか今でも覚えているエピソードです。


『欧米的』『日本的』と「国・地域、もしくは人種」で考え方を分けるのが、正しい方法だとは思いませんが(『日本的』な考え方の欧米人・欧米企業、『欧米的』な考え方の日本人・日本企業もたくさんいる・あるので、『欧米』『日本』がラベルとして正しくない気がするので)便宜的に『欧米的』『日本的』と呼ぶとすると、

『欧米的』=とにかく、お金に換算できるものはどんどんお金に換算しよう。で、換算できない・換算が難しいものについては、出来ないものとして、困ったときにまた考えよう。

という発想で、

『日本的』=基本的には、多くの物事はお金に換算することが難しい(もしくは、適切でない)。だから、何らかの前提をおいてお金に換算できたとしてもそれ以上のものではない

という発想ではないかと思います。
だから、Mさんの発想では「心臓の方が腎臓よりも高い、イコール、心臓の方が腎臓よりも価値がある、ということを、そもそも考えとして思いつかない」ということなのではないかと。


例えば、ライブドアVsフジも、村上ファンドの一連の案件も、「お金に換算できる・できない」ということに関する「買いたい側」と「買われる側」の考え方のズレが根底にあるのではないかと思います。

買う側の前提は、「株式市場という形で会社の価値は、お金に換算されている。その価値で会社を買って何が悪い」ということになるでしょうし、
買われる側の前提は、「その『価値』とは、『カネを産むマシーンとしての企業』の価値であって、本当の企業の価値(例えば、そこで働く従業員の幸せ・誇りみたいなもの)を無視している。そこを理解・評価しない人に会社を買ってほしくない」ということになるでしょう。それ以前に、心臓・腎臓の件のMさんのように「そもそも、『企業の価値分のカネを出すから、オレも経営に混ぜろ』という発想自体なかった」ということかもしれません。

結果的にM&Aの大半が失敗に終わっているということは、買った側が『企業の本当の価値』を理解せずに(あるいは、理解できたとしてもそれを再現できずに)、その価値を毀損してしまっている、ということですね。「心臓の方が腎臓よりも高いから、価値がある」という思想にはすくい切れていないものがある、ということではないかな、と思います。



例えば、百式(100shiki.com)には$40万の価値がついてますが、広告媒体としての価値ということでなければ、この『価値』でこのブログを売買することは、基本的には不可能なわけですから。(そもそも、持ち主が売るということも考えづらいですが)

なんだか、オチがつきませんでしたが。





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Last updated  2006/01/09 04:13:03 PM
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