徒歩でビワイチ

徒歩でビワイチ

2024/05/04
XML
カテゴリ: ビワイチ
徒歩でビワイチ
気ままな歩き録。

2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃

雨後のさわやかな春の日。

今回は、​ 比叡山延暦寺 ​を巡った。
順路は、​ 東塔 ​ー​ 西塔 ​ー​ 横川 ​ の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。

延暦寺は​​ 天台宗 ​の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているが これらすべてを
総称して比叡山延暦寺という。
平安時代の延暦4年(785年)に​​ 最澄 ​(伝教大師)により開山され、 ​​ 法然 ​(浄土宗)・​​​ 親鸞 ​(浄土真宗)
日​ ​(法華宗)・​​ 道元 (曹洞宗)・​​ 栄西 ​(臨済宗)・​​ 一遍 ​(時宗) など、 後の仏教各宗派の開祖が学んだ
いわば日本仏教の総合大学といえる地である。


今回は​​​ 横川 ​(よかわ)を巡ったことを纏める。

経路は以下の通り。

ー 定光院 ー 元三大師御廟 ー(バス移動)ー 東塔 ー ケーブル延暦寺駅

横川は、第3代天台座主 ​ 円仁 ​ が開いた地であり、延暦寺中興の祖と言われる
慈​ 恵大師良源 ​ (第18代天台座主) が本拠としていた地でもある。
良源は元三大師とも呼ばれる。正月三日に亡くなったことに由来する。

横川の本堂である横川中堂。


西塔からの林間ハイキングを経て横川に到着。12:30。
横川エリアの入口。


入口から先に進むとすぐ左手に小さな池がある。龍ヶ池である。
池の中央に祠があり龍ヶ池弁財天が祀られている。



この池には大蛇が棲み着き修行僧や村人に害を与えていた。
そこで、延暦寺中興の祖 元三大師良源 が退治し教え諭して大蛇は弁財天の使者 龍神 となり
人々を護るようになったとのこと。

その退治の時のやり取りは、、、
 元「おまえ悪さばっかしてるらしいな。それに何にでもなれるって豪語してるらしいやん」

 元「ほんまかー? ほならでっかくなってみて」
 蛇「そんなん余裕やで」ジャジャーン「どや、すごいやろ」
 元「スッッゲ おまえ ごっついなー! したら次はちっちゃなって俺の手に乗ってくれへん」
 蛇「かしこまりー」ジャジャーン、ホイッ! 「どや、手に乗ったったで。ちっちゃいやろ」
 元「よっしゃ念力で捕まえたろ」喝ーッ!
 蛇「・・・」
この逸話により「その手に乗るな」の慣用句が生まれたとのこと。
先に進む。

横川中堂。
横川エリアの本堂であり、本尊は聖観音菩薩で重要文化財。
遣唐使船をイメージした舞台作りにしているとのこと。


横川中堂の正面。


織田信長の​ 比叡山焼き討ち ​などで焼失・再建を繰り返しているようだ。
最近では昭和17年(1942年)に落雷で焼失、昭和46年に再建で鉄筋コンクリート製。

恵心院。
時の太政大臣 ​ 藤原兼家 ​ が 良源 のために建立した寺。
良源の弟子の ​ 恵心僧都源信 ​ がこのお堂で仏堂修行と多くの著述を残したことから恵心院と呼ばれる。


続いて、元三大師堂(四季講堂)。
元は良源の住まう定心房だった。
康保4年(967年)、四季に講経論議をおこなう道場と定められ四季講堂と改名されたとのこと。
良源の死後、元三大師良源を本尊として祀り、元三大師堂と呼ばれるようになった。


お堂と境内の風景。お坊さんが砂利を綺麗にしている。
お堂の左右には僧房があり今現在も修行や僧らの日常生活の場にもなっている様が感じられる。


また、このお堂はおみくじ発祥の地ともいわれている。
良源が村民からの相談に対し、観音菩薩のお告げとして100枚ある札から1枚選び出し
書いてあることをもとに教え導いたという故事に基づく。
元三大師堂では現在も「おみくじ」としてカウンセリング相談を行っているとのこと。(要予約)


さらに、元三大師良源は角大師とも呼ばれている。
法力が強く、疫病が全国に蔓延したとき、良源が座禅瞑想すると鬼夜叉の姿に変わり
その姿を弟子が写し取ってお札にして各戸に貼り付けたところ、見事に病魔退散できた という謂れから。
良源さん、コロナパンデミックを抑えるmRNAワクチン的な力もお持ちだったようだ。
かなり神ってます。
角大師の御札、今も現役で貼っているおうち有りますよね。


続いて、元三大師堂の前の広場にある石碑。
道元禅師得度霊跡。
曹洞宗開祖の道元が得度を行った地とのことで石碑の横から山道が伸びている。


下りの山道を進み得度の地に到着。人気も無くひっそりとしている場所だった。


山道を戻り定光院へ向かう。
この時点で随分足に疲れが出ていた。でも頑張ろう。

定光院に向かう山道。随分と長い下り道。
途中まで下ったところで 「しまった!!」 と思う。
案内図を見るとこの道を戻ってこなければならないことがわかる。
足腰も随分疲れており後悔するも止む無し。まだ先はありそうだが頑張ろう・・・


定光院。
日蓮が修行を積んだ場所。


境内には日蓮上人の銅像もある。


堂内でお参りし、定光院境内にあった小さな休憩所で小休止。
このお寺でも元三大師堂と同じように、お堂のほか僧房があり今を生きるお坊さんたちの
日常活動を感じられる雰囲気があった。

東堂エリアは域内全体が何というか観光地化された大寺院といった感じで生活感があまり感じられなかったが
横川エリアは今現在も修行僧の方々が日々の生活をしているお寺という雰囲気を感じられた。
対照的に思えた点である。どちらも今の比叡山延暦寺として良きと思う。

今回のウォーキングの最後の巡拝目的地の元三大師御廟へ向かうべく先ほどの山道を戻る。
今回で一番キツかった上り坂である。

元三大師御廟に到着。13:30。
鳥居がある。神様の扱いである。


お堂の先にさらに鳥居があり墓所がある。
全く人気も無く、静かで厳かな、少し怖いくらいの雰囲気がある空間。


墓標。


中興の祖 といわれるにはひどく寂しく荒れているようにも見える。
しかし、これは良源の教えによるものらしい 。
「御廟を掃き清めるよりも修行をしなさい」 という教え。
墓所の石垣の外は掃き浄められ枯れ葉など落ちていない。
石垣の内は管理された寂しさ・侘しさなのだろうと想像される。

時の為政者と深くつながり山門での権勢を振るい、鬼夜叉にも例えられるなど
あまりにカリスマ的で畏れられる一方で、失われた御堂の数々を復興させ延暦寺隆盛に尽力した
実利的で優れた指導者だったことが偲ばれる御廟に感じられた。
神聖な場所である。

帰路は横川バス停から循環バスにて東堂に戻る。14:10 延暦寺バスセンター着。
東堂の ​ 鶴㐂そば ​ にて遅めの昼食。


天ぷら蕎麦とビールで疲れを癒やす。ビールがとっても旨かった。
ごちそうさま。


ケーブル延暦寺駅に戻り今回のウォーキング終了。


昼下がりの琵琶湖遠景。


今回のウォーキング。
距離:18.8km(JR延暦寺坂本駅からケーブル坂本駅までを含む、バス移動分を除く)
歩数:22,844歩

ウォーキングタイムアウトの歩いた記録
(ケーブル延暦寺駅から東堂・西塔・横川歩行分、直線部はバス移動)


比叡山延暦寺は広大だ。さすが世界遺産・日本仏教の聖地。
今回、行き先を事前に決めて廻ったがまだまだ山門内には覧るべき名所・旧跡がある。
根本中堂の大改修が完了したら再度訪れたい。

おつかれちゃん





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/05/05 04:51:12 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: