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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年6月1日 大津市 晴れ 最高気温26℃ 最低気温14℃湿度の低い爽やかな晴天。今回は日吉大社と西教寺をウォーキング。今回のウォーキングの順路は以下の通り。距離約13km。 JR比叡山坂本駅 ー 穴太衆の石積みの街並み ー 西教寺 ー 日吉大社東本宮 ー 日吉大社西本宮 ー 日吉大社奥惣社金大巌 ー JR比叡山坂本駅その2の今回は日吉大社巡拝をまとめる。日吉大社のシンボル、山王鳥居。日吉大社とは、比叡山の麓に鎮座し、およそ2100年前!の崇神天皇の時代に創祀されたとの伝え。全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。本宮は東本宮・西本宮と2社あり、東本宮の祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で古事記にもその神名が記されている比叡山の山の神である。西本宮の祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)で、天智天皇の時代に奈良から大津へ遷都された際に奈良の三輪山から御神霊を迎え国家鎮護の神として祀られた とのこと。平安京遷都の折には、日吉大社の方角が都の表鬼門(北東)に当たることから都の魔除・災難除を祈る社としてまた伝教大師最澄が延暦寺を開いてからは天台宗の御法神として広く崇敬を受けた。中世に織田信長の焼き討ちで建造物すべてが灰儘に帰する災難に遭うもののその後の復興により今の姿になっている とのこと。(日吉大社パンフレットより)以上の通り極めて古い歴史を持っており、境内の社や石橋など建造物のほとんどが国の重要文化財である。特に2つの本宮殿は国宝に指定されているというとてつもないまでの文化遺産領域でもある。日吉大社入苑には拝観料(¥500)が必要。拝観料を払うともらえるパンフレット。かわいいお猿さんが紹介してくれている案内図。比叡山には猿が多く日吉大社でも信仰の対象となっており「神猿(まさる)」と呼ばれている。「魔が去る、何よりも勝る」に因んで大切にされているそうだ。東本宮の楼門前にある神猿岩。西本宮の前には本物の神猿さんがいてる。さて、西教寺から戻り東本宮の楼門に到着。10:00頃。東本宮楼門。重文。中に進み、東本宮拝殿。重文。手前にある樹下宮とその拝殿も重文。樹下宮の祭神である鴨玉依姫神は東本宮の祭神 大山咋神の奥さんとのこと。東本宮本殿。国宝。案内版。先に進もう。西本宮に向かう。途中、神輿の収蔵庫がある。7基の神輿が展示されている。パノラマ写真で撮ってみたがサイズが大きすぎてブログに貼り付けできず3分割で貼り付け。日吉大社の主な社殿の神輿のようだ。左から、三宮・牛尾宮・樹下宮(下の写真の左側と重複)中央が西本宮。左は樹下宮(上の写真右側と重複)、右は東本宮(下の写真左側と重複)。左から、東本宮(上の写真右側と重複)・宇佐宮・一番右、白山姫だったか忘れた。案内板。この神輿らも国の重要文化財とのこと。毎年4月に山王祭が開催されている。これらの神輿も重文といえど担ぎ出されるのだろう。東本宮から西本宮に行く参道には小さな祠が並ぶ。その隅にある忍耐地蔵(しんぼうじぞう)。杉の木の根元にお地蔵さんがあるそうだ。随分木の幹に飲み込まれ殆どのその姿は見えない。西本宮エリアへ。冒頭の山王鳥居。立地は駅からの参道を進み三ノ鳥居の次にある。「合掌鳥居」ともいわれ神仏習合の信仰を伝えると言われる。(日吉大社 Web Site より)西本宮楼門。重文。この楼門の屋根の四隅にはお猿さんがいて屋根を担いでいる。入口側の左右のお猿さんを撮ってみた。右側。左側。可愛らしい表情をしている。「そんな重たないで」「余裕やで」って言ってそうな感じ。昔の職人さんには時として遊び心がある装飾をするものだと改めて思う。西本宮へ。西本宮拝殿。重文。西本宮本殿。国宝。本殿の案内板。西本宮の前にある宇佐宮の本殿・拝殿、白山姫神社の本殿・拝殿ともに大変古い建造物で国の重要文化財に指定されている。本殿横にある社務所にて御朱印をゲット。パンフレットの7番の奥惣社への行き方を確認。東本宮手前の石段が参拝道になっているとのこと。そういえばこちらに来る途中に左右に小さな祠を備えた大きな石段があった。向かう。石段を登ったさきの参拝道... というか、かなり急角度の上り坂。約1km 30分の道のりらしい。頑張ろう。ふぅふぅ息切れ・汗だくで登ること30分程度。ようやくお宮手前の石段に到着。大岩の遙か上に社殿が見える。奥惣社の社の手前。晴天に社が映える。右側が牛尾宮、左側が三宮。どちらも重文。共に文禄4年(1595年)の創建。参詣道の急峻さがわかるアングル。昔の職人さんは時にとんでもないところにとんでもない代物を作ってしまうものだと感じる。金大巌(こがねのおおいわ)。日吉大社始まりの地といわれるパワースポット。この奥宮、しんどい思いをして登ってきただけの価値あるものがあった。琵琶湖南湖を広く見渡す絶景だ。絶景を眺めつつ汗が引くまで休憩。乾いた春風がとても心地よい。訪れる参拝者も殆ど無く小鳥のさえずりと風の音だけの空間。登頂の達成感と共に心が清められる思い。さて、では下山し昼食としよう。下山も転ばぬよう注意。この参道の急さ加減よ。写真でわかるだろうか。昼食は、京阪 坂本比叡山口駅近くの蓬餅のお店 比叡・三九良 へ。焼きヨモギ餅お雑煮セット。蓬餅(あんこ無し)を網焼きして味噌ベースの出し汁に入れて食す。うまし。蓬餅(あんこ入り)を追加注文。おいしいねぇ。店内は全席座敷にテーブル席で、甲冑や大皿・扇子などが展示されている。また、小柄ながら庭園を配しとてもおしゃれで静かで落ち着けるお店。ごちそうさまでした。JR比叡山坂本駅に帰着。13:00。今日歩いた距離 13.6km 歩数 16,295歩歩いたコース。今日もしっかり歩きました。おつかれちゃん。
2024/06/02
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年6月1日 大津市 晴れ 最高気温26℃ 最低気温14℃湿度の低い爽やかな晴天。今回は日吉大社と西教寺をウォーキング。西教寺のかざぐるまのトンネル。今回のウォーキングの順路は以下の通り。距離約13km。 JR比叡山坂本駅 ー 穴太衆の石積みの街並み ー 西教寺 ー 日吉大社東本宮 ー 日吉大社西本宮 ー 日吉大社奥惣社金大巌 ー JR比叡山坂本駅8:00 JR比叡山坂本駅に到着。前々回の比叡山延暦寺(徒歩でビワイチ㉓)と同様に石積みの街並みを歩く。延暦寺ウォーキングしたときに次は日吉大社を歩こうと決めていた。途中、ヨゴイチ(徒歩でビワイチ㉗)が挟まったが、今回、晴天の週末で決行。日吉大社までは約2km程度の道のり。神社までは駅から一本道。一ノ鳥居。駅から約400mほど。二ノ鳥居。一ノ鳥居から約400mほど。このあたりから石積みの街並みが神社まで続く。前回は日吉大社に向かう道路の右側を歩いたので今回は左側を歩く。こちらは石畳の歩道。途中、参道を逸れて石積みの街並みをウォーキング。石畳の路が続く。三ノ鳥居に到着。8:30ごろ。ここからが日吉大社の境内となる。しかし、神社入苑には拝観料(\500)必要で受付は9:00から。よって、西教寺に向かうこととした。西教寺は日吉大社から北方に約1kmの距離。日吉大社の傍から続く小道を征く。このあたりは古墳群にもなっており、途中このような場所も。琵琶湖西岸の高台を通る里道。八講堂千体地蔵。その昔、日吉大社の北方に 八講堂 という谷がありお堂があったそうだ。その近辺の村落では至る処に地蔵が祀られていて、田畑開墾などで出てきたお地蔵さんをこの地に集められたとのこと。(案内版より)西教寺に到着。拝観料を払うとパンフレットと共に貰える境内参拝順路図。西教寺は、正式名称を天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といい 聖徳太子 の創建との伝え。その後、久しく荒廃していたが 慈恵大師良源 が復興。(件のかなり神ってる横川のドン 元三大師 である 徒歩でビワイチ㉖ より)さらにその後、文明18年(1486年)に真盛上人が入寺し再興、不断念仏の道場として天台真盛宗を興し今に至っている。真盛上人はこの寺の中興の祖として祀られてもいる。寺の本尊は阿弥陀如来。また、戦国の武将 明智光秀 が麓の 坂本城 の城主の時代に菩提寺として所縁が深いお寺であり境内には明智一族を弔う墓所がある。客殿・書院内の庭園は 小堀遠州 の築造で有名。最近ではこの時期に境内に多くのかざぐるまを飾って地域の風物詩としてメディアに紹介もされている。徒歩ビワイチでも麓の坂本城趾を巡った。(徒歩でビワイチ②)完歩後の史跡旧跡巡りとして来訪したかったお寺でもある。総門から本堂に向かう参道。もみじの緑が美しい。紅葉の季節にはさらに映えることだろう。かざぐるまもお出迎え。参道の行き止まりには勅使門。この門は天皇もしくは天皇の勅使しか通れない。脇道から進む。脇には宗祖大師殿。宗祖大師殿の唐門。立派な御門である。この門の破風には麒麟の彫刻が遇われている。明智光秀の大河ドラマ「麒麟がくる」はこれが所以だろうか?この門の建造は大正時代。宗祖大師殿。先に向かう。かざぐるまのトンネル。この先に明智光秀を弔う墓所がある。明智家一族の墓所。光秀を弔う墓標。人間50年下天の内を駆け抜けた戦国武将に合掌。案内版。すぐ傍には内室の煕子さんの墓所もある。本堂。重文。本堂・客殿・書院には大本坊で受付し入場することが出来る。大本坊の入口では麒麟に見立てた盆栽?作り物かな?、が出迎えてくれる。本堂には大変大きな阿弥陀如来座像が祀られている。見たところ3m位だろうか。大きい。その他、幾多の仏像も安置されていた。参拝・見応えのある本堂である。客殿・書院の御庭も大変立派なものだった。だがしかし、撮影禁止のため画像はない。境内最奥には、宗祖真盛上人の御廟がある。尊い高僧の墓所はいつも階段ばかり...墓所。西教寺は以上。これから日吉大社に向かう。が、長くなったので今回はこれでおしまい。次回、日吉大社を東本宮・西本宮・奥惣社と巡る。おつかれちゃん。
2024/06/01
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年5月5日 長浜市 晴れ 最高気温25℃ 最低気温14℃日本晴れ。今回は余呉湖一周のウォーキング。ヨゴイチである。天の羽衣をまとった天女像。余呉湖ビジターセンターにて。余呉湖は、琵琶湖の北端にあり賤ヶ岳を挟んで北側にある湖。周囲約7km。水面の標高は約133mで、琵琶湖よりおよそ50m高い位置にある。(Wikipedia より)また、「羽衣伝説」や「菊石姫伝説」がのこる神秘の湖とも言われており四季を通して美しい湖であり、サイクリングやハイキングに人気がある。冬期にはワカサギ釣りも楽しめる湖である。 (長浜・米原・奥琵琶湖 観光情報サイト より)今日も湖畔ではキャンプや釣りを楽しむファミリーやカップルが散見された。GW期間中だが全然混雑しておらずアウトドアレジャーの穴場的な場所でもある。駅前の観光地図。琵琶湖との位置関係がよくわかる図。遊歩百選 というのが有るんだね。知らなかった。8:20 最寄りのJR余呉駅に到着。素晴らしい天気である。余呉駅舎。さぁ歩こう。余呉駅から湖畔までは約500mほど。余呉湖観光館の湖畔から撮った写真。このあたりが湖の最北端になる。対岸の峰が賤ヶ岳。今回、湖を時計回りに廻った。北から歩き始め、東岸→南岸→西岸 というふうに歩いた。東岸から南岸(賤ヶ岳の麓、湖の最奥端) は民家も無くキャンプ・釣りを楽しめる区域西岸から北岸にかけては田園・町並みが広がり地域の生活の場となっている。湖の周囲を県道が巡っておりとても歩きやすい。交通量は少ないが車には注意。賤ヶ岳古戦場が近く湖畔にはそれに関連する旧跡の案内がいくつかある。賤ヶ岳の戦いは、天正11年(1583年) 羽柴秀吉と柴田勝家が争った戦で、勝利した羽柴秀吉は織田信長が築いた権力と体制を継承し天下人となっていく節目となった戦である。(Wikipedia より)尾の呂が浜。天正11年4月20日、秀吉方の中川清秀の兵が勝家方の佐久間盛政の兵によってこの場所で切られたのが戦の口火となったようだ。賤ヶ岳登山道入口。説明版。賤ヶ岳七本槍の謂れが生まれた舞台である。槍洗いの池。今はのどかな湖畔だ。森深く、伏兵の格好の場所とのこと。こんな場所。確かに隠れやすそう。このような案内版も。サワオグルマの群生地とのこと。湖畔から道路を挟んで山側にお花畑が。悲しい物語「菊石姫伝説」の謂れのある岩。雨乞いのため娘が湖に身を投げ蛇に化身してしまった話。人間に戻れない娘は、疫病から父母を護るために目をとってこの石に投げその趾が残っているという。湖の最奥部から撮った写真。湖水がとても透き通ってきれい。足下に何やらうごめく物がいたのでとっさに撮った1枚。イモリかサンショウウオか? 湖水が綺麗な証。湖の西岸。田園と村落が広がる長閑な風景。広場には鯉のぼり。10:30 北岸の余呉湖ビジターセンタに到着。ほぼ一周した。センターの前の広場に「羽衣伝説」の天女の像がある。11:00 ビジターセンター内にある食堂 舟戸 にて早めの昼食。カレーライスとワカサギの天ぷら、缶ビール。わかさぎ おいしかったー ごちそうさま。 11:30 余呉駅に帰着。ヨゴイチ完歩。駅ホームから余呉湖と賤ヶ岳を望む。今日歩いた距離と歩数。距離:8.9km 歩数:10,432歩おつかれちゃん
2024/05/05
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃雨後のさわやかな春の日。今回は、比叡山延暦寺を巡った。順路は、東塔ー西塔ー横川 の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。延暦寺は天台宗の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているがこれらすべてを総称して比叡山延暦寺という。平安時代の延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)により開山され、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)日蓮(法華宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・一遍(時宗) など、後の仏教各宗派の開祖が学んだいわば日本仏教の総合大学といえる地である。今回は横川(よかわ)を巡ったことを纏める。経路は以下の通り。龍ヶ池 ー 横川中堂 ー 恵心院 ー 元三大師堂(四季講堂) ー 道元禅師得度の地ー 定光院 ー 元三大師御廟 ー(バス移動)ー 東塔 ー ケーブル延暦寺駅横川は、第3代天台座主 円仁 が開いた地であり、延暦寺中興の祖と言われる慈恵大師良源 (第18代天台座主) が本拠としていた地でもある。良源は元三大師とも呼ばれる。正月三日に亡くなったことに由来する。横川の本堂である横川中堂。西塔からの林間ハイキングを経て横川に到着。12:30。横川エリアの入口。入口から先に進むとすぐ左手に小さな池がある。龍ヶ池である。池の中央に祠があり龍ヶ池弁財天が祀られている。この池の謂れ。この池には大蛇が棲み着き修行僧や村人に害を与えていた。そこで、延暦寺中興の祖 元三大師良源 が退治し教え諭して大蛇は弁財天の使者 龍神 となり人々を護るようになったとのこと。その退治の時のやり取りは、、、 元「おまえ悪さばっかしてるらしいな。それに何にでもなれるって豪語してるらしいやん」 蛇「せやで、オレは何にでもなれるで。すごいやろ」 元「ほんまかー? ほならでっかくなってみて」 蛇「そんなん余裕やで」ジャジャーン「どや、すごいやろ」 元「スッッゲ おまえ ごっついなー! したら次はちっちゃなって俺の手に乗ってくれへん」 蛇「かしこまりー」ジャジャーン、ホイッ! 「どや、手に乗ったったで。ちっちゃいやろ」 元「よっしゃ念力で捕まえたろ」喝ーッ! 蛇「・・・」この逸話により「その手に乗るな」の慣用句が生まれたとのこと。先に進む。横川中堂。横川エリアの本堂であり、本尊は聖観音菩薩で重要文化財。遣唐使船をイメージした舞台作りにしているとのこと。横川中堂の正面。織田信長の比叡山焼き討ちなどで焼失・再建を繰り返しているようだ。最近では昭和17年(1942年)に落雷で焼失、昭和46年に再建で鉄筋コンクリート製。恵心院。時の太政大臣 藤原兼家 が 良源 のために建立した寺。良源の弟子の 恵心僧都源信 がこのお堂で仏堂修行と多くの著述を残したことから恵心院と呼ばれる。続いて、元三大師堂(四季講堂)。元は良源の住まう定心房だった。康保4年(967年)、四季に講経論議をおこなう道場と定められ四季講堂と改名されたとのこと。良源の死後、元三大師良源を本尊として祀り、元三大師堂と呼ばれるようになった。お堂と境内の風景。お坊さんが砂利を綺麗にしている。お堂の左右には僧房があり今現在も修行や僧らの日常生活の場にもなっている様が感じられる。また、このお堂はおみくじ発祥の地ともいわれている。良源が村民からの相談に対し、観音菩薩のお告げとして100枚ある札から1枚選び出し書いてあることをもとに教え導いたという故事に基づく。元三大師堂では現在も「おみくじ」としてカウンセリング相談を行っているとのこと。(要予約)さらに、元三大師良源は角大師とも呼ばれている。法力が強く、疫病が全国に蔓延したとき、良源が座禅瞑想すると鬼夜叉の姿に変わりその姿を弟子が写し取ってお札にして各戸に貼り付けたところ、見事に病魔退散できた という謂れから。良源さん、コロナパンデミックを抑えるmRNAワクチン的な力もお持ちだったようだ。かなり神ってます。角大師の御札、今も現役で貼っているおうち有りますよね。続いて、元三大師堂の前の広場にある石碑。道元禅師得度霊跡。曹洞宗開祖の道元が得度を行った地とのことで石碑の横から山道が伸びている。下りの山道を進み得度の地に到着。人気も無くひっそりとしている場所だった。山道を戻り定光院へ向かう。この時点で随分足に疲れが出ていた。でも頑張ろう。定光院に向かう山道。随分と長い下り道。途中まで下ったところで 「しまった!!」 と思う。案内図を見るとこの道を戻ってこなければならないことがわかる。足腰も随分疲れており後悔するも止む無し。まだ先はありそうだが頑張ろう・・・定光院。日蓮が修行を積んだ場所。境内には日蓮上人の銅像もある。堂内でお参りし、定光院境内にあった小さな休憩所で小休止。このお寺でも元三大師堂と同じように、お堂のほか僧房があり今を生きるお坊さんたちの日常活動を感じられる雰囲気があった。東堂エリアは域内全体が何というか観光地化された大寺院といった感じで生活感があまり感じられなかったが横川エリアは今現在も修行僧の方々が日々の生活をしているお寺という雰囲気を感じられた。対照的に思えた点である。どちらも今の比叡山延暦寺として良きと思う。今回のウォーキングの最後の巡拝目的地の元三大師御廟へ向かうべく先ほどの山道を戻る。今回で一番キツかった上り坂である。元三大師御廟に到着。13:30。鳥居がある。神様の扱いである。お堂の先にさらに鳥居があり墓所がある。全く人気も無く、静かで厳かな、少し怖いくらいの雰囲気がある空間。墓標。中興の祖 といわれるにはひどく寂しく荒れているようにも見える。しかし、これは良源の教えによるものらしい 。「御廟を掃き清めるよりも修行をしなさい」 という教え。墓所の石垣の外は掃き浄められ枯れ葉など落ちていない。石垣の内は管理された寂しさ・侘しさなのだろうと想像される。時の為政者と深くつながり山門での権勢を振るい、鬼夜叉にも例えられるなどあまりにカリスマ的で畏れられる一方で、失われた御堂の数々を復興させ延暦寺隆盛に尽力した実利的で優れた指導者だったことが偲ばれる御廟に感じられた。神聖な場所である。帰路は横川バス停から循環バスにて東堂に戻る。14:10 延暦寺バスセンター着。東堂の 鶴㐂そば にて遅めの昼食。天ぷら蕎麦とビールで疲れを癒やす。ビールがとっても旨かった。ごちそうさま。ケーブル延暦寺駅に戻り今回のウォーキング終了。昼下がりの琵琶湖遠景。今回のウォーキング。距離:18.8km(JR延暦寺坂本駅からケーブル坂本駅までを含む、バス移動分を除く)歩数:22,844歩ウォーキングタイムアウトの歩いた記録(ケーブル延暦寺駅から東堂・西塔・横川歩行分、直線部はバス移動)比叡山延暦寺は広大だ。さすが世界遺産・日本仏教の聖地。今回、行き先を事前に決めて廻ったがまだまだ山門内には覧るべき名所・旧跡がある。根本中堂の大改修が完了したら再度訪れたい。おつかれちゃん
2024/05/04
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃雨後のさわやかな春の日。今回は、比叡山延暦寺を巡った。順路は、東塔ー西塔ー横川 の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。延暦寺は天台宗の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているがこれらすべてを総称して比叡山延暦寺という。平安時代の延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)により開山され、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)日蓮(法華宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・一遍(時宗) など、後の仏教各宗派の開祖が学んだいわば日本仏教の総合大学といえる地である。今回は西塔から横川(よかわ)に向かう登山道を巡ったことを纏める。経路は以下の通り。椿堂 ー にない堂(常行堂と法華堂) ー 釈迦堂(転法輪堂)ー 弥勒石仏 ー 峰道展望台 ー 玉体杉 ー 横川(よかわ)今回のブログの表を飾るのは西塔エリアの本堂である釈迦堂。開祖最澄の御廟である浄土院を出た後、パンフレットの地図を参考に西塔エリアに向かう。山道を進み、箕淵弁財天の前に拝観受付がある。その山道の右手崖下に椿堂。お堂の名前の由来は、聖徳太子が比叡山に登ったときに使った椿の杖をこの地に刺したところみるみる大きく育ったという言い伝えによる。写真左側の木がその椿と思われる。お堂の周りを廻ると何本も椿が生えていたものの写真の椿が最も太く大きかったので多分これだろう。知らんけど。 先に進む。山道からやや広まった境内域に入ると左手に石碑がある。親鸞聖人の修行地趾とのこと。偉大な宗教家であり仏教の国内最大派閥といえる浄土真宗の開祖も比叡山の中では扱いがやや低いように感じるのはオイラだけだろうか? 歴史と輩出者(卒業生)を考えればやむなしか。比叡山の中では優秀な卒業生の1人ということなんだろう。 先に進む。にない堂に到着。向かって左側が常行堂。右側が法華堂。いずれも天台宗の修行を行うお堂。2つの堂を廻廊でつないでおり左右対称に見える。にない堂の由来は、武蔵坊弁慶が廻廊に肩を入れて担ったという謂れによる。それだけ左右対称ということなんだろう。このような廻廊なり通路を挟み左右対称にした建物は街道沿いの旧宿場町などにも見受けられる。昔の設計者や職人は洒落っ気があるというか遊び心があるというか、こういうのを見るのも旧跡巡りの面白さのひとつといえる。だがしかし、火気厳禁の白い看板がちょっと無粋か、、、?!どうせなら現代人が付する説明看板も左右対称に設置したらいいのにと思った。釈迦堂へ。正式名称は転法輪堂。西塔の本堂に当たるお堂として冒頭にも掲載。ご本尊が釈迦如来なので釈迦堂と呼ばれており延暦寺に残る建物で最古のもの。建立は記録によると貞和3年(1347年)とのこと。(説明板より)この建物も面白い由来がある。元々は山麓の園城寺の金堂として建立された建物で1596年に豊臣秀吉により園城寺から移築されたとのこと。たしか、三井寺巡りをしたとき、金堂の説明板に1599年に豊臣秀吉の正室 北政所 によって再建されたと書いてあったはず。(徒歩でビワイチ⑱ 琵琶湖疎水と三井寺 参照)幾多の法難に遭い焼失と再建を繰り返したとの記載も延暦寺に移築されたことは全く書いて無かった。後で調べてみると、園城寺は比叡山の焼き討ちで織田信長側に付きその後は秀吉とも良い関係にあったが園城寺が何かやらかして秀吉の逆鱗に触れ闕所の憂き目に遭ったそうだ。そのときに宿敵の延暦寺に本堂を移されるという仕打ちとなったらしい。その後、秀吉が死の間際に再興を許し、死後に奥さんの北政所によって再建されたという流れ。その 「やらかし」 が何かはよくわからないが(豊臣秀次の処分に関係しているという説もあるらしい)秀吉の遣り様にも廻りから見てやり過ぎ感があったのかも。なので、奥さん北政所が後の始末として再建したとかかなぁ、、、 と考えたりもする。真相はわからないが、勝手な想像でしかないが、北政所さんは旦那の遣り様のフォローアップをする出来た奥さんと思う次第である。こういう勝手想像をしてみるのも旧跡を廻る楽しさのひとつだ。西塔エリアでの最後の巡拝目的地としていた 弥勒石仏 に向かい山道を進む。が、見つからない。Google Map ではすぐ傍に来ているはずなのに。スマホと辺りの景色を繰り返し見返しながら捜索。どう見ても道無き山中にあるように思われ、、、しばらく探したところ、山中に向かうけもの道的な脇道を見つけ出しようやく到着。オイラだけ道不案内だったのかもしれないがこれは巡拝の難易度が高いように思った。後でわかったが近くに重要文化財の 相輪橖 があるのでそれを目印にするべし。大きめな石仏。長年の風雪による劣化なのかあちこち擦り減っているというか欠けている。光背の右半分が欠損しているのは織田信長の比叡山焼き討ちの時に欠けたとの謂れ。相輪橖。この時点で11:00。横川へは循環バスで向かう計画をしていたが西塔のバス停までは戻る方向にある。横川までは約4km程の道のり。天気も良いので歩いてみるか と計画変更した。道のりは上り下りの多い登山道でややキツかったものの完歩した結果としては大正解だったと思っている。折角の比叡山延暦寺ウォークなので。このような登山道。木漏れ日の中を歩くのが心地よい。登りはキツいものの山道は遊歩道としてしっかり整備されている。奥比叡ドライブウェイの傍を縫うように道が続く。途中の分かれ道では正しい経路に比叡山のテープが巻かれており昼間なら迷うことはなさそう。写真右側の木の幹に巻かれた白いテープがそれ。見落とさないよう注意は必要。登山道を進むこと約1km。峰道レストラン&展望台に到着。11:20。伝教大師最澄の大きな立像が目印。展望台からの琵琶湖遠景は絶景。対岸の三上山や遙かに鈴鹿山脈も望む。ここでは循環バスのバス停もある。比叡山ハイキングの良き途中休憩地といえる。小休憩しリスタート。峰道の展望台から約1.5km位か。12:00に玉体杉に到着。説明板。スギって日本にしか生えていないのね。初めて知る。京都市街を一望。写真中央やや左側の緑地帯が御所かな。古の千日回峰行(比叡山の修行)でも僧侶・山法師がここから同じように京を望み祈りを捧げていたと思うと歩いてきて良かったと感じる。12:30 横川に到着。登山道の距離は約4km、所要1時間30分ほど。琵琶湖湖畔の平坦な道とは異なる山道。しんどかったけど完歩の清々しさもあり徒歩でビワイチとしては大正解なウォーキングだった。今回はこれでおしまい。次回は横川巡拝を纏める。おつかれちゃん。
2024/05/04
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃雨後のさわやかな春の日。今回は、比叡山延暦寺を巡った。順路は、東塔ー西塔ー横川 の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。延暦寺は天台宗の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているがこれらすべてを総称して比叡山延暦寺という。平安時代の延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)により開山され、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)日蓮(法華宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・一遍(時宗) など、後の仏教各宗派の開祖が学んだいわば日本仏教の総合大学といえる地である。今回は東塔を巡ったことを纏める。坂本ケーブル延暦寺駅から約10分で東塔の入山口。前回にも書いたが、Wet購入券は受付で提示が必要だが電波が弱くWeb画面表示されないことがあるので現地での購入がお勧め。東塔は延暦寺発祥の地で本堂に当たる根本中堂を中心とする地域。根本中堂 ー 文殊楼 ー 大講堂 ー 戒壇院 ー 阿弥陀堂・東塔 ー 山王院 ー 浄土院の順で巡った。入口からすぐに根本中堂がある。本堂と廻廊で構成される建物で、本堂は国宝、廻廊は重要文化財。現在は2016年から10年かけての大改修中で堂全体を修理建屋で囲われている。しかし、修理建屋内の入場とお参りは可能。大改修の張り紙。根本中堂は延暦寺の総本堂で本尊は薬師如来。複数回の災害による破損を経て、その都度規模を大きくし、現在の姿は寛永19年(1642年)の竣工。本尊の前には1200年間灯り続けていると言われる「不滅の法灯」がある。(比叡山HPより)しかし、この不滅の法灯、延暦寺では織田信長の焼き討ち(1571年)で一度消えているらしい。それより以前に山形県の立石寺(天台座主 円仁 の開山)に分灯しており、そこから再灯火したとのこと。また「油断」の語源とも言われている。法灯は菜種油で灯されており油を絶やさないようにしなさい ということらしい。(Wikipediaより)修理建屋内に入場。不滅の法灯は本尊の前に3つ灯されていた。館内写真禁止のため画像はない。しかしお堂の外になる修理建屋の見学エリアは撮影可能。改修中の廻廊。説明文。本堂屋根と大改修を説明する動画。2026年の完成が楽しみである。そのときはまた来よう。さて、根本中堂から出て真ん前に大きな石段がある。文殊楼に続く階段だ。1段1段が高い長い石段である。文殊楼。琵琶湖に向かって立っており、延暦寺の本来の正面玄関といえる建物。重要文化財。文殊楼を後にして大講堂へ。元は天台座主第1世の義真により建立された建物で僧侶が学問研鑽のための議論をする道場。昭和31年(1956年)に焼失したため、昭和39年(1964年)に麓の坂本にあった讃仏堂を移築したものとのこと。(延暦寺HPより)本尊は大日如来で、堂内には延暦寺で修行をした各宗派開祖の木像と肖像画が安置されている。重要文化財。大講堂前にある鐘楼。誰でも撞くことができる。(賽銭は必要)この鐘楼のおかげ? で東塔の域内では鐘の音が常に響き渡っている。明日からの連休中は早鐘のごとく鳴り響くことだろう。大講堂の前にはこのような大きな石碑も建てられている。「しょうせんいちぐう これすなわち くにのたからなり」と詠むらしい。一隅にありながら千里を照らすことができる人材が国の宝である というような意味らしい。尤もである。その石像の裏面。「いちぐうをてらそう」と読む。表面とちょっと意味が違うような気もするが、、、「英知により千里を照らす人となれるよう研鑽すると共に一隅にも気を配り救いましょう」ということなんだろうと自分なりに解釈した次第。人としてそうありたいものである。次に向かうは戒壇院。重文。この建物、延暦寺ではとても重要な意味を持つ建物。戒壇とは、戒律を授ける場所という意味で、正式な僧として認定する場所ということ。正式な僧とは、出家した人を正式に僧として認めること。得度=出家すること、戒壇=正式な僧として認められること と捉えるとわかりやすい。得度 → 修行 → 戒壇 が僧としての出世のステップとなる。最澄の時代は、税を逃れるため出家する者が横行したことから国が僧を認定する制度を採っていた。よって、この戒壇院を創建するということは、寺が僧を認定する権限を得ると言うことで寺の権威を高めるとても重要な事柄で、最澄も建立に心血を注いだようだ。最澄が亡くなった7日後にようやく授戒を行うことの認定を得たとのこと。(亡くなったがゆえに認定を受けられたという説もある)戒壇院の先にある石段。この先に東塔と阿弥陀堂がある。東塔と阿弥陀堂。阿弥陀堂にお参りをして次に向かう。2つの堂の裏側から続く山道を歩く。向かうは山王院と浄土院である。ここからは殆ど参詣者もいなくなる。ひっそりと佇む山王院。説明板。平安末期の源氏・平氏の争い、その後の南北朝の争いにまでつながる騒乱(寺門山門の争い)の大元の紛争の舞台となった建物ということで歴史的にとても重要なお堂。東塔の最後は浄土院へ。開祖最澄の御廟で比叡山延暦寺の中で最も神聖な場所。今回、最も参拝したかったお堂でもある。灯籠が立ち並ぶ参詣道。人気のなさもあり厳かさを感じる。門前。門前にある説明板。浄土院境内。御庭は綺麗にされ葉っぱ1枚と落ちていない。障子戸が閉まっており中の様子はうかがえないが、お堂からは読経の声が聞こえていた。1000年以上の時を超えて敬い弔い続けられている静かで厳かな空間である。合掌。この後、西塔に向かう。長くなったので今回はここまで。おつかれちゃん。
2024/05/03
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃雨後のさわやかな春の日。今回は、比叡山延暦寺を巡った。順路は、東塔ー西塔ー横川 の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。延暦寺までは、滋賀県側からは大津市坂本地区から発する 坂本ケーブル で登ることができる。ケーブルの終点 延暦寺駅 からの琵琶湖風景。スタートはJR比叡山坂本駅から。7:45着。さぁ歩こう!JRの駅から坂本ケーブルまでは約1.5km程度。この坂本地区は比叡山を守護する 日吉大社 の門前町で石垣の街でもある。この地に根付く 穴太衆 による石垣である。穴太衆とは古の古墳築造などを行っていた石工集団で、安土桃山時代の安土城など城郭建設にも力を発揮したといわれる土工技術者集団。現在その技能は滋賀県大津市所在の 栗田建設 に引き継がれている。日吉大社につながる石垣の町並み。歩道も綺麗に掃き清められており、とても気持ちよくウォーキングができる町並みでもある。8:10 ケーブル坂本駅に到着。坂本ケーブルは、比叡山延暦寺の表参道として1927年(昭和2年)より営業している。全長2,025mで日本一長いケーブルーカーでもある。この駅舎も 国の登録有形文化財 になっている。ケーブルカーは朝の8時台から17時台までで30分毎に運行されている。所要11分で終着 延暦寺駅 に到着。駅舎のすぐ横の展望台からの眺めが冒頭にも貼ったこの写真。絶景である。ケーブル駅から比叡山延暦寺 東塔 は徒歩10分程度。写真奥の小さな小屋が拝観受付。ここで注意。ケーブルカーも入山券も事前にWet購入していたのだが、比叡山は山間のためスマホの電波が弱くNetがつながりにくい。受付でWeb購入の画面を見せられず少し困った。事情を話したら 「他の受付で見せればいいから」 といって入山させてもらえたものの少々困った。受付を通過してすぐにNetがつながったので戻って受付してもらい入山証明のパンプレット(他地域でも入場券として通用)を受け取ることができた。行列ができるほど拝観者は多くないようなので現地購入が良いように思った。比叡山延暦寺の概略説明板。比叡山全景を記す案内看板。横川は少し離れているようだ。延暦寺は天台宗の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているがこれらすべてを総称して比叡山延暦寺となる。平安時代の延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)により開山され法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・日蓮(法華宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・一遍(時宗) など後の仏教各宗派の開祖が学んだ、いわば日本仏教の総合大学といえる地である。この後、東塔、西塔、横川 と巡るが、長くなるので、今回は一旦ここでおしまい。次回に続く。おつかれちゃん。
2024/05/02
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年4月20日 近江八幡市 晴れ 最高気温23℃ 最低気温7℃春真っ盛りの晴天の日。今回は安土城趾と滋賀県立考古学博物館公園内の信長の館を巡った。順路は以下の通り。約8kmのウォーキング。 安土駅 - セミナリヨ趾 - 安土城趾 - 安土城天守 信長の館7:30 安土駅 着駅前では織田信長が出迎えてくれる。駅舎と信長殿 さぁ歩こう駅から住宅地を歩き約1km。セミナリヨ趾。小さな公園として整備されている。セミナリヨとは、キリスト教イエズス会の教育施設で、日本人の司祭・修道士を育成するため安土桃山時代に設立された初等教育機関。安土のセミナリヨは日本初のもので、1580年に織田信長から土地を寄進されたオルガンチノ神父によって建てられたもの。木造3階建ての建物だったらしい。しかし1582年の本能寺の変で織田信長が亡くなった後は明智勢の侵略で廃墟と化した。園内に掲示されているセミナリヨの1日。ラテン語・日本文学のほか音楽なども学びの科目になっていたようだ。セミナリヨから安土城趾までは約1kmほど。8:00頃に到着。南側城壁趾。大手門廻りは公園としてきれいに整備されている。安土城趾は織田信長によって創建された織田家の菩提寺である摠見寺(そうけんじ)が管理している。拝観料(700円)を払い入場。Google Map では開門8:30だったがお寺で作業されている方が開門してくれて早く入場させてもらえた。「本来は何時開門なんですか?」 と尋ねたところ「うーん、受付のおばちゃんが来たら」 とのこと。おばちゃんが来るのが大体8:30ごろなのだろう。安土城は1576年(天正4年)から築城、1579年(天正7年)に天守が完成し信長が移り住んだ。近世日本の城郭の範となるお城で天守は地下1階・地上6階建ての威容を誇ったとのこと。しかし、1582年(天正10年)の本能寺の変の直後に残念ながら焼失した。築城から短期間で消失したことから幻の城と呼ばれることもある。本丸につながる大手道の長い長ーい石段。登り初めてすぐ左側の敷地。羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の住居跡。石段を挟んでお向かいさんは、前田利家の住居跡。築城の石材には石仏も使用されたようだ。石段の石仏。いくつもあった。石垣から見つかった仏足石もみじの青葉が目に眩しい。紅葉の季節もさぞ美しいことだろう。石段のあちこちにコンクリートブロックが設置されている。安土城の石段は一段一段が高く補助として置かれたもの。強者どもが夢の跡、、、時折聞こえるウグイスのさえずり以外は音もなくとても静かな空間。ここだけがゆっくりと時が進んでいるような感覚になる。長ーい階段で登る足取りもゆっくりになる。途中にある織田家の供養塔。奥から、信雄(信長の子)、信武(四代目)、長頼(三代目)、高長(二代目)江戸時代に大名として存続した信雄を初代としているようだ。二の丸跡に到着。ここには信長を弔う本廟がある。本能寺の変の1年後(1583年 天正11年)に羽柴秀吉により建立された。信長の太刀や烏帽子・直垂などや本能寺の灰を埋葬したとのこと。門扉が新しく今も続けて弔われていることがわかる。本廟奥の様子(立入り禁止)天守手前の本丸趾。本丸御殿は天皇を招き入れることを想定した 御幸の間 が造られていたとのこと。いよいよ天守跡に。天守の説明板。安土城の説明板では一貫して天守を「天主」と表している。1582年の焼失後、何百年も放置されたままで、初めて調査されたのは1940年(昭和15年)とのこと。幻の城と言われる所以か。天守の土台となる礎石が並ぶ。天守から西方、琵琶湖を望む。黄砂でかすんでしまっているが手前の伊庭内湖と奥の琵琶湖が一望できる。今は田園が広がっているが、築城当時は麓まで湖だったそうだ。この安土城趾、私有地でもあり発掘調査が進んでおらず石垣などが荒廃したままの場所が散見される。観光資源として整備されたお城もよいが、安土城趾のような荒々しい時の流れを感じられる城跡を巡るのもよいものだ。下城は摠見寺跡を巡る。お寺自体は敷地内の徳川家康居住趾と伝えられている場所に移されている。山門に続く石段。奥に見える山門は二王門と呼ばれ左右の仁王像は国の重要文化財とのこと。大手道よりもこちらの道が城下町につながる道としてよく使われたらしい。秀吉や利家・光秀もこの石段を登ったことだろう。さて、安土城趾を跡にして近隣の滋賀県立考古学博物館に向かう。博物館施設敷地内の案内図。公園として整備され市民の憩いの場にもなっているようだ。ここには 安土城天主 信長の館 という施設がある。そこでは安土城天守の5階・6階が復元展示されている。館内には復元天守のほか、本能寺の変の直前に信長が徳川家康を招待しもてなした「本膳料理」のレプリカが展示されていたり、安土城をCG再現させたVR映像の定期上映もある。安土城趾来訪に合わせて立ち寄りたい施設である。復元天守 全景6階(最上階)内装豪華絢爛である。信長の館を後にして帰路に。農道から見た安土城趾。天下布武の覇業の象徴も今はのどかな里山である。安土城の御城印ゲットかと思ったら摠見寺の御朱印だった。信長が好んで舞ったと言われる 幸若舞の「敦盛」 の一節が書かれている。(敦盛動画 2:00ぐらいにその一節がある)本日の昼食はJR安土駅近郊の とんかつ亭天乃家 へ。街の洋食屋さんという雰囲気のお店。開店直後の11:30ごろに訪問も店内はほぼ満席状態。あとで調べたら滋賀のグルメ紹介動画「湖国のグルメ」でも紹介される人気店のようだ。カウンターにて Aランチと瓶ビールを注文。エビフライ・クリームコロッケ・ハンバーグ。このボリューム。味もまた善し。腹パンである。ごちそうさま。今日歩いた距離と歩数。距離 8.9km 歩数 10,980歩ウォーキングワークアウトの経路。信長の館から駅までの経路が飛んでしまっている、、、おつかれちゃん
2024/04/21
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年3月30日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃本格的な春を思わせる晴天の日。今回は琵琶湖疎水ウォーキング。このコースを歩いた → そすいさんぽ 大津ー鴨川コース琵琶湖の疎水大津閘門から小関峠を越えて京都の蹴上インクラインと南禅寺水路閣まで歩いた。山科の毘沙門堂など寄り道もしたことから総歩行距離は約18kmとなった。今回ブログは、その3として、蹴上インクラインから南禅寺水路閣を巡りゴールの東山駅までを纏める。行程:蹴上インクラインー南禅寺水路閣ー京都地下鉄東山駅疎水第3トンネルのすぐ傍が蹴上インクラインだ。インクラインとは、傾斜面にレールを敷設して船舶や荷物を台車に載せて引き上げる設備。蹴上インクラインは、琵琶湖疎水構築に伴い、明治24年(1891年)から昭和23年(1948年)まで実用された設備である。現在は国の史跡として整備されて京都の桜名所の1つになっている。(Wikipedia より)インクラインの台車と船の展示物。設備を説明する案内板。この展示物のレールの先が史跡として残されている蹴上インクライン。レール上が遊歩道になっており、両サイドが桜並木になっている。来週あたりは満開見頃だろう。今日はちらほら開花しているぐらい。インクラインの傍には展望台を兼ねた小さな公園があり琵琶湖疎水設計者の田邉朔郎の功績を称える銅像がある。インクラインを下りきると疎水記念館があり噴水がきれい。噴水の向こう岸は京都市動物園だ。また、インクラインの下には ねじりまんぽ と呼ばれる小さなトンネルがある。ねじりまんぽ とは明治・大正期に造られたレンガ構造のトンネルだ。アーチ状のトンネルは強度を増すためにねじるような構造で造られている。まんぽ は近畿地区のトンネルを表す方言とのこと。トンネルのことを "まんぽ" なんて言うのあまり聞いたことないけど・・・ネジネジである。南禅寺に向かう。蹴上インクラインからは1km弱の距離。南禅寺三門に到着。門でかいな。本堂かな?これもめちゃくちゃでかい。国内一級の観光名所でもあるので外国人観光客の多いこと。水路閣へ。ここも観光客が多かった。説明看板。水路閣の上まで上がれる。琵琶湖疎水の分線。水路閣の下のアーチが連なる映えスポットは着物姿の若者や外国人観光客が多くて撮影は諦めた。一応、御朱印ゲット。さて、疎水ウォーキングも水路閣でゴールし昼食へ。地下鉄東山駅近くの 食堂はやし に入店。目当ては近くの中華屋さんだったが、大行列で諦め、道路を挟んだこの街食堂が目についたので入った次第だが、大正解だった。店内はほぼ満席だが案内のお母さんが手際よくすんなり座れた。味噌とんかつ定食とビールを注文。このボリュームで950円。これヤバない? カツがめちゃくちゃボリューミーな定食。そして旨し。ごちそうさまでした。また来たい。食後は最寄り駅の京都市営地下鉄東西線 東山駅 から帰路についた。3回に分けて随分と長いブログになってしまったが、今回の歩き録はこれでおしまい。今日歩いた距離は 18.6km。歩いた歩数は 22,361歩。久々の長距離だったけど、春の晴天の下とても気持ちよいウォーキングになった。おつかれちゃん。
2024/04/05
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年3月30日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃本格的な春を思わせる晴天の日。今回は琵琶湖疎水ウォーキング。このコースを歩いた → そすいさんぽ 大津ー鴨川コース琵琶湖の疎水大津閘門から小関峠を越えて京都の蹴上インクラインと南禅寺水路閣まで歩いた。山科の毘沙門堂など寄り道もしたことから総歩行距離は約18kmとなった。今回ブログは、その2として、山科の毘沙門堂から第3トンネル出口までを纏める。行程:毘沙門堂ー安祥寺水路閣ー第2トンネルー第3トンネル出口毘沙門堂から琵琶湖疎水へ戻る。安祥寺水路閣に到着。9:30頃。毘沙門堂からは0.5km程度の距離。安祥寺川と琵琶湖疎水が交差する地点で、川の上を疎水が流れる立体交差。山科の桜。大津よりやや開花が早いか? 或いは、今日の陽気で開花が進んだのか。遊歩道の休憩場所から山科の市街を望む。第2トンネル入口に到着。毘沙門堂から約2.7km。時刻は10:30頃。現在位置。トンネルの傍の案内板より。扁額の説明。揮毫者は井上馨。明治の政治家。第2トンネル出口。トンネルの全長は124mと短い。毘沙門堂からの距離は2.9kmほど。案内看板は見つけられなかったが、扁額には「随山到水源」と書かれている。”やまにしたがいてすいげんにいたる” と読む。明治の政治家の西郷従道の揮毫とのこと。この人は西郷隆盛の弟さん。第3トンネル入口に到着。10:50ごろ。第2の出口からほど近く。トンネルの手前には、日本最古のコンクリート橋がある。老朽化のためか鉄橋で保護されている。日本初のコンクリート橋を示す石碑。「本邦最初鐵筋混凝土橋」と画かれている。第3トンネル入口。日本初の鐵筋混凝土橋から撮影。近景。現在位置。扁額の説明。揮毫者は、明治の内閣総理大臣、松方正義。ここからはしばらく疎水を離れ国道沿いを歩く。峠を越えて蹴上地区へ入る。第3トンネル出口。現在位置。扁額の説明。揮毫者は三条実美。明治の公卿であり政治家。ここまでの距離、毘沙門堂から約7km、スタートの三井寺駅からは約12km。到着時刻は11:10。久しぶりの長距離ウォーキングだったことと、ほぼ平坦路のビワイチと比べて峠越えなどで高低差が大きかったこともあり随分と足腰が疲れた。ブログも長くなったので今回は一旦ここでおしまい。蹴上インクラインと南禅寺水路閣は次回に。おつかれちゃん。
2024/04/01
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年3月30日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃本格的な春を思わせる晴天の日。今回は琵琶湖疎水ウォーキング。このコースを歩いた → そすいさんぽ 大津ー鴨川コース琵琶湖の疎水大津閘門から小関峠を越えて京都の蹴上インクラインと南禅寺水路閣まで歩いた。山科の毘沙門堂など寄り道もしたことから、総歩行距離は約18kmとなった。今回は琵琶湖から山科の毘沙門堂までを纏める。行程:京阪三井寺駅ー大津閘門ー小関越えー毘沙門堂7:40 三井寺駅着。ウォーキングワークアウトをセットしスタート。さぁ歩こう。三井寺駅から0.5km駅の横に琵琶湖疎水が流れる。大津閘門。琵琶湖の水面は疎水より高くこの閘門で水位差を調整しているとのこと。前回から2週間ぶりの琵琶湖疎水。(徒歩でビワイチ⑰)桜の名所だが、うーん、、、まだ蕾だ。今年は遅れているが今日明日の陽気で一気に開花して来週末ぐらいが見頃だろう。案内板と現在位置。琵琶湖疎水は、滋賀県大津市から京都市伏見区までの全長約20kmの 第1疎水(1890年完成) とその北側を全線トンネルで平行する全長約7.4kmの 第2疎水(1912年完成)及び、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長3.3kmの 疎水分線などから成る水路の総称である。(日本遺産 琵琶湖疎水Web Siteから)京都府知事の北垣国道が計画し当時 工部大学校(現 東京大学工学部)を卒業したばかりの田邉朔郎が主任技術者となり設計監督した。疎水には4つのトンネルがあり、それぞれに扁額(建物や門・鳥居に設置する看板)が設置されていてウォーキングの案内板にも紹介されている。今回はこの扁額とトンネルを見て廻ることをウォーキングの目的の1つとした。第1トンネルの入口(琵琶湖側 上流)あっ、トンネルの上の桜だけ咲いている!春みーっけって感じ。うれしくなる。第1トンネルの入口は初代内閣総理大臣の伊藤博文の揮毫とのこと。千円札の人やね。(昭和世代)琵琶湖疎水を離れ京都山科に通じる小関の峠道に向かう。このような感じの山道。上り坂が運動不足の体にきつい。途中から車道を外れ登山道のような小道に入る。天気がよくウグイスの鳴き声を楽しみながらのちょっとしたハイキング。この小道の途中に琵琶湖疎水のトンネルを効率上げて掘るために作られた竪抗がある。スタートの三井寺駅からは約2.5km。立入り禁止のため近くまではいけない。説明看板。第1トンネルの全長は2,436mで琵琶湖疎水最長。竪坑は換気の役割があるがその他に、そこから左右に掘り進めることでトンネル掘削の効率を上げたとのこと。峠を越えて京都府内に。第1トンネルの出口に到着。スタートから3.4km。トンネル近くまでは立入り禁止のため行けない。現在位置。第1トンネル出口の扁額の説明。揮毫者は山縣有朋だ。ここからは山科疎水と呼ばれ遊歩道として整備されている。諸羽トンネルと船溜まり。このトンネルは新しく、JR湖西線の建設などに伴う疎水のバイパス化のために造られたトンネル。昭和45年(1970年)完成とのこと。(日本遺産 琵琶湖疎水船 Web Siteより)琵琶湖疎水は京都・大津間を疎水観光の船も通っている。案内板。案内にも記載が無いのでこのトンネルには扁額はないのだろう。遊歩道の桜。山科では桜がちらほら咲き始めている。琵琶湖疎水沿道は桜の名所でもある。菜の花が疎水を彩る。春やね。途中、疎水を離れ毘沙門堂に向かう。スタートから約8km。疎水からは0.4kmぐらいの距離で立ち寄り。山門。左右の仁王像と大きな提灯が威容を誇る。この毘沙門堂、天台宗のお寺で正式名称は護法山安国院出雲寺といい、大宝3年(703年)に開かれたお寺。開山当初は京都の出雲路橋付近にあったが、戦乱や焼失により、寛文5年(1665年)に現在の地に再建されたとのこと。(毘沙門堂門跡 Web Site より)本堂。境内には大きなしだれ桜があるが、まだ蕾だった。御朱印ゲット。今回はここまで。次回以降、毘沙門堂から琵琶湖疎水に戻り、第2トンネル・第3トンネルと廻り蹴上インクラインと南禅寺水路閣に向かう。おつかれちゃん。
2024/03/30
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年3月16日 大津市 晴れ 最高気温18℃ 最低気温5℃暖かく穏やかな春の到来を思わせる日。久しぶりの徒歩でビワイチ。今回は琵琶湖疎水と三井寺を散策した。三井寺の境内をいろいろ散策して総歩行距離約9kmのウォーキング。行程京阪三井寺駅ー琵琶湖疎水ー三尾神社ー三井寺ー大津市歴史博物館ー大津港ー京阪びわ湖浜大津駅8:20 三井寺駅着。ウォーキングワークアウトをセットしスタート。駅の横に琵琶湖疎水が流れる。300mぐらい歩くと琵琶湖疎水の有名スポットに到着。石橋の上からの1枚。琵琶湖疎水と三井寺は滋賀県の桜の名所。だがしかし、まだ早いみたい。桜のつぼみもまだまだ堅い。今年は暖冬で桜も早いかなと思ったが寒暖差が大きく開花は平年より遅れそう。石橋を渡り疎水沿いに歩くと三尾神社に到着。疎水のすぐとなりである。うさぎの神社としてこの地では有名な神社。本殿は応永33年(1426年)室町幕府の将軍足利義持の建立で重要文化財である。朝早かったが社務所で御朱印をいただいた。今日3月16日は卯の日とのこと。三尾神社の北隣に三井寺の総門がある。パンフレットの左下が総門。拝観順を示す矢印とは逆方向で境内を巡った。拝観料は文化財収蔵庫の入場料含め¥800。受付で収蔵庫の分も含めて勧められる。最初は拝観料だけでいいかなと思ったが、拝観後の感想としては収蔵庫は見応えあり必見である。この三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山。国宝の金堂をはじめ建造物や仏像など数多くの重要文化財を有する歴史あるお寺で境内も随分広く拝観に巡るだけでも2時間程度はゆうに掛かるくらいで、境内全体が文化遺産ミュージアムともいえる。(三井寺文化遺産ミュージアム)総門を過ぎると観音堂につながる長い階段。観音堂。西国三十三所観音霊場の14番札所でもあるとのこと。お堂は県指定文化財になっている。観音堂の横手から展望台に行ける。展望台から望む観音堂。同じく展望台から望む琵琶湖。拝観記念の御朱印。続いて傍にある毘沙門堂。色彩美しい小さな建造物で重要文化財。元和2年(1616年)の建立、昭和31年(1956年)の修理移築とのこと。毘沙門堂から唐院に歩く。途中に文化財収蔵庫がある。その向かいにある本家力軒という茶店で小休止。三井寺弁慶力餅をいただく。文化財収蔵庫へ。小さな博物館だが、仏像・ふすま絵・屏風絵など貴重な文化財が展示されていて見応え十分。来訪時は是非見学すべき。次に唐院に向かう。唐院は三井寺の開祖 智証大師円珍の廟所でお寺の最も神聖な場所とのこと。唐院の名は智証大師が唐から持ち帰った経典類を納めたことに由来している。唐院に続く回廊。唐院四脚門。重要文化財。唐院内の大師堂と三重塔。大師堂には国宝の智証大師像と重要文化財の黄不動尊像が納められているとのこと。三重塔は徳川家康が寄進したもので建物自体が重要文化財。晴天に映える三重塔。唐院を出て金堂に向かう途中にある一切経蔵。重要文化財とのこと。蔵の案内板。続いて弁慶の引摺り鐘なる物が展示されている。これ引摺ったあとが鐘の右側についている。案内板によると三井寺と比叡山が争ったときに延暦寺の僧の武蔵坊弁慶が延暦寺まで引摺って持ち帰った時についた傷との謂れ。鐘の横には弁慶が使ったと謂れのある大鍋も展示あり。金堂へ。三井寺の本堂で国宝。現在の建造物は豊臣秀吉の正室 北政所の寄進によるもの。お堂内も拝観でき多くの仏像類や尚書省司門過所(最古のビザ)が展示されている。金堂の傍には、「三井の晩鐘」といわれる鐘楼がある。こちらも重要文化財。¥800で衝くこともできる。金堂の御朱印。金堂を後にして食堂へ。こちらも重要文化財とのこと。お堂の中も拝観可。最後、大門(仁王門)こちらが三井寺の正門の体をなす。これも重要文化財。左右に金剛力士像が配置され仁王門と呼ばれる由来。三井寺を離れ、近くにある大津市歴史博物館へ。こちら入場料¥360が三井寺の拝観券を見せると¥260になる。見晴らしのよい立地でこの地の歴史を示す展示物多数。今、大河ドラマもあり紫式部や源氏物語に由来する展示もされている。一通り散策を終え昼食に。帰路途中にある定食屋さん お食事処アケミ へ。昔ながらの定食屋さんという感じでGood。瓶ビールととんかつ定食。とってもおいしかったです。ごちそうさま。お店の外観。(お食事処アケミ)最後、駅近くの大津港にて。びわこ花噴水。12:40、京阪びわ湖浜大津駅に到着。今日の歩いた距離 9.6km歩数 9,208歩春を感じる暖かい日でとても気持ちよくウォーキングできた。おつかれちゃん。
2024/03/17
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。前回からの続き。2024年1月3日 彦根城を訪れた。彦根城の建築物を一通り観覧し、大名庭園である玄宮園に向かう。案内パンフレットによると、正式名称は 「玄宮楽々園」大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と御殿に望む池泉・枯山水庭園である楽々園の総称とのこと。玄宮園の名の由来は、「荘子」の文中にある中国の皇帝が退位した後に暮らした玄宮に由来すると言われているそうだ。藩庁である「表御殿」の北に位置し退位した者が住む隠居所であるという共通性から命名されたのだろう とのこと。楽々園。無料観覧可能。屋敷の玄関口。横の庭園入り口から庭園内へ。居室の奥に茶座敷が並ぶ。この茶座敷は「地震の間」と呼ばれていたそうだ。案内板にその謂れが記載されている。建物構造が、屋根は薄い板材を使用、床下は建物規模に比して足下を強固にし、建物全体の重心を低くして屋根裏には筋違いが存在する造りになっているとのこと。「地震の間」についてもう少しWebを調べてみると、旧江戸城(現皇居)にも「地震の間」なる建築物が存在したそうだ。どの建物にも隣接せず徹底した軽量化と土台強化による耐震構造にし建物の重心も低く設計されていたとのこと。累代、徳川家の譜代大名として関係も深い井伊家。大きな地震を経て同じような構造の建築物を彦根城にも建設したのは想像に難くないように思った。元旦の能登半島地震で被災地域では救出・避難支援・復旧の真っ只中のいま被害に遭われた方々の無事を祈るばかりだが、まさか彦根城にも震災経験に基づく工夫をこらした建築物が残されているとは思わなかった。古の時代にも地震・天災から人命を守るための改良が行われており、その陰にはきっととても辛い経験が秘められているのだろうと感じる次第。玄宮園へ。この庭園は有料。玄宮園は、隣接する楽々園と共に国の名勝に指定されている。また、2015年(平成27年)には「びわ湖とその水辺景観 -祈りと暮らしの水遺産-」の構成文化財として日本遺産に認定されてもいる。庭園から彦根城を望む。あいにくの曇天だがとても美しい景観である園内のベンチからの1枚。しばし休憩。この景観、とても美しいと思うと共に、どこか既視感がある...休憩しながらなにげに考える。なんだっけ????・・・思い出した!ここ、この風景、古の名時代劇ドラマ 「暴れん坊将軍」で見たことある!マツケン(松平健) 演じる 徳川吉宗 が爺と共に池の畔の芝生に立ち江戸城をバックに話すシーンだ!Wikipediaで暴れん坊将軍を調べてみると、やはり、撮影場所に玄宮園の記載あり。すっきりした気分で玄宮園を後にし、内堀の畔を歩いて表御門に戻る。彦根城博物館。この博物館、彦根市の市政50年を記念して1987年(昭和62年)に建てられたもので、藩主井伊家の所蔵品を中心に展示している施設。所蔵品は9万1千点超とのこと。(彦根城博物館HPより)また、博物館、管内展示品の撮影が許されている。(但しフラッシュ禁止)彦根藩井伊家2代当主の井伊直孝のものと伝わる甲冑・具足・太刀、「井伊の赤備え」だ。こちらは本陣を示す幟と家来の軍医さんの甲冑とのこと。そのほか、井伊家所蔵の宝物の品々が展示されている。刀剣・能面・衣装・茶道具や書物などなど。また、建物自体も展示品となっており、奥の客間などが博物館と隣接している。お城のおまけ程度に考えていたが、しっかり見て回ると2時間ぐらいは軽く掛かるほど見応えのある博物館だった。城内の観覧・散策を終え帰路につく。外堀の京橋口から続く、夢京橋キャッスルロード。江戸時代の町割りを模した通りで小洒落たカフェやお土産物屋さんが立ち並ぶ。昼飯は 彦根ちゃんぽんの発祥 と云われているお店 をかべ にて。彦根チャンポンとミニチャーハン のセットと餃子を注文。ごちそうさまでした。歩いた距離と歩数。城内を随分散策したためウォーキングワークアウトでは12.4kmを記録。歩数11,524歩。おつかれちゃんでした。
2024/01/06
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年1月3日 彦根市 曇り 最高気温10℃ 最低気温4℃曇天なるも1月としては暖かく穏やかな日。今年初めての気ままな歩き録は、徒歩でビワイチでは巡ることができなかった彦根城へ。歩いた経路は以下の通りで、Google Map では約6km程だが城内観覧で実際には倍の12km程となった。 彦根駅 ー 二の丸佐和口多聞櫓 ー 馬屋 ー 天秤櫓 ー 太鼓門櫓 ー 天守 ー 西の丸三重櫓 ー 玄宮園 ー 彦根城博物館 ー 夢京橋キャッスルロード ー 彦根駅彦根城の全景俯瞰図。大変大きなお城敷地である。天守は国宝、多聞櫓・馬屋・天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓の5つの建築物が国の重要文化財だ。玄宮園は井伊家の庭園。彦根城は、徳川四天王の一人 井伊直政 を中興の祖とする 井伊家 彦根藩 の居城だ。国内の現存天守12城のうち国宝指定されている5城の1つである。築城は1603年(慶長8年)着工、1606年(慶長11年)に天守完成、複数回の工期を経て1622年(元和2年)に完成。築城に当たっては近隣の大津城や佐和山城など近江国内の諸城を破却・移築しての建設で、譜代随一の大名の井伊家として江戸時代初期の一国一城令を率先垂範した事例となったとのこと。現存12城の写真も展示されていたので国宝5城に丸をつけてみた。上から2つめが彦根城。(国宝5城:左上から松本城・彦根城・姫路城・犬山城・松江城)8:00 彦根駅からウォーキングスタート。駅前の 井伊直政像 去年5月以来の対面。彦根城は駅から琵琶湖に向かって一本道。距離にして1km程度。外堀の佐和口多聞櫓(重文)に到着。前の道路は一般道。その傍に重要文化財の多聞櫓が建っている。向かって左が重文の多聞櫓。右側は再建され開国記念館となっているが左右対で多聞櫓。狭間の道路を抜けるとその奥に馬屋がある。馬屋(重文)こちらも一般道の傍、一般駐車場の隣にあり油断すると見過ごすレベルで普通に建っている。無料観覧可能で開けっぱなしである。家族と来て車止めて嫁さん子どもがトイレに行っている間に観覧できるレベル。恐るべし彦根城... である。馬屋の前が表御門。この内堀より先が有料エリア。受付事務所でチケット購入。彦根城・玄宮園・彦根城博物館のセット\1,200を購入。(バラバラで買うより\100だけお得)右側が彦根城博物館。のちに観覧する。受付窓口を抜けると櫓に向かう階段。段と段の間隔がばらばらになっている。これは敵が攻めてきたときに上りにくいように敢えて間隔をズラしているらしい。石段の先に天秤櫓がある。石垣をぐるりと廻り写真の架け橋につながる。とても大きく美しい形をした櫓である。よく見ると櫓は左右非対称。また、石垣の積み方が左右で異なる。右側は築城当初の「牛蒡積み」といわれる積み方、左側は幕末嘉永年間に積まれた「落し積み」といわれる積み方。(櫓内に掲示の説明による)櫓の内部の階段。彦根城は櫓も天守もすべて ほぼ梯子といえるぐらいに階段が急角度である。上れる階段には手すりが備え付けられ、各所に係員の方が常駐されていた。天秤櫓を過ぎると次に太鼓門櫓(重文)。天守がある本丸表口を守る櫓門で城内合図の太鼓を置いたことから名付けられたらしい。太鼓門の向かいにある時報鐘。係の方に伺うと毎日9時・12時・15時に時報の打鐘があるとのこと。ちょうど通りかかったのが9:00頃で梵鐘の音色と共に太鼓門をくぐった。この鐘の音は日本の音風景百選に選定されているらしい。太鼓門櫓をくぐるといよいよ天守(国宝)である。彦根城はひこにゃんのおうちでもある。天守は3階3重の屋根で構成されており、屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配し2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせるなど外観に重きを置いて変化に富んだ美しい城容となっている。政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れており、天守の北側の附櫓と多聞櫓の壁は鉄砲玉から守るため2重壁になっており、間には栗石を詰めて防弾効果を高めているとのこと。 だそうです。(彦根城HPより)また、彦根市のゆるキャラマスコットがなぜにネコなのか?彦根藩井伊家二代当主の井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる ”招き猫” が元になっているとのこと。 らしいです。 (彦根市HP ひこにゃんプロフィールより)先代の彦根城マスコットキャラ 「城まる君」は亀とお城をモチーフにしたが、やはり人になじみ深いネコのほうがアイドル要素もあり人気を博したよう...「城まる君:彦根城とその別名金亀城にちなみ亀と天守閣を合体させ擬人化したもの」(Wikipedia '87年世界古城博覧会 より)蛇足だが、城まる君の今は... 徒歩でビワイチ⑧ を参照。お城散策に戻る。天守内に展示の甲冑。国宝指定の証書。天守から西の丸と琵琶湖を望む。本丸敷地には桜の木が多数植林されている。彦根城は桜の名所でもある。西の丸三重櫓へ。三重櫓から琵琶湖を望む。三重櫓内部の階段。急さ加減がわかるだろうか。西の丸から玄宮園に向かって石垣を下る。石垣の巨大さがわかる景観。石垣の上にさらに石垣。遠方の突端は天守のある本丸差見櫓跡あたり。長くなったので一旦ここで終了。次回、玄宮園と彦根城博物館をまとめる。おつかれちゃん。
2024/01/03
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年12月30日 近江八幡 晴れ 最高気温13℃ 最低気温-1℃徒歩でビワイチ完歩のあと少し休憩していたが、2024年はびわ湖の名所旧跡を巡ってみようと思い再開。今回、2023年最後のビワイチとなるが、名所巡りの第1弾として近江八幡市の長命寺に行ってみた。経路は以下の通りで Google Map では歩行距離10kmの見込み。 近江八幡駅 ー 本願寺八幡別院 ー 日牟禮八幡宮 ー 近江八幡運動公園 ー 長命寺 JR近江八幡駅 7:40朝は冷え込んだが晴天でウォーキング日和。ウォーキングワークアウトをセットしてスタート。駅前市街を琵琶湖に向かって歩く。8:20 第1経由地の本願寺八幡別院に到着。近江八幡駅から約2kmぐらい。まだ開門していないので写真を撮っただけでスルー。本願寺八幡別院の歴史は、1558年(永禄元年) 浄土真宗本願寺派の11代門主の顕如が開祖し、1580年(天正8年) 織田信長の寺地寄進で安土城下に移転、1592年(文禄元年) 豊臣秀次の寺地寄進で八幡城下である現在の場所に移転されたとのこと。その後、徳川家康が宿泊したり朝鮮通信使の昼食所にも使われたそう。本願寺八幡別院が見られなかったので日牟禮八幡宮に立ち寄りした。途中にあったヴォーリズ像。像から道路を挟んで向かいが近江兄弟社メンターム資料館だ。日本で西洋建築を多く手がけた建築家・社会事業家で、近江の地を中心に活動し近江兄弟社 メンソレータムの創業者でもある。メンソレータムはロート製薬の商標で近江兄弟社ではメンタームと言う名で販売している。8:40 八幡宮の鳥居。本願寺八幡別院からは1km程度。鳥居を潜ると八幡堀。白雲橋の袂から撮影。朝の八幡堀。人影もなく穏やかな水面に屋形船が浮かぶ。日牟禮八幡宮の山門。新年を迎える準備中だ。境内もお正月のセッティング。舞台の上の米俵の正月飾りは たねや の寄進。歩を進め次の経由地 近江八幡運動公園へ。日牟禮八幡宮から約3km。9:40に着。写真なし。小休止をと考えていたが、グランド整備中のようで駐車場・トイレも使用不可。スルー。運動公園から目的地の長命寺までは1km程度。9:50 長命寺の麓に到着。ここから808段有るといわれる石段を登る。麓には杖も無料貸し出しあり。石段の途中の鳥居? 小休止。この時点でかなり息切れ。普段の運動不足を恨む。まだ1/3程度。ふぅふぅ言いながら到着。だがしかし、この先ももう少し階段がある。オイラは麓から登ってきたが、この山門のすぐ傍に駐車場がありそこからは200段程度で長命寺だ。鐘楼から撮影。鐘楼では参拝者が自由に梵鐘を撞くことができる。三重の塔。長命寺は天台宗系の寺院で聖徳太子の開祖といわれているらしいが、寺院の基盤ができたのは平安時代前期の頃とのこと。千手観音を本尊として、安置されている仏像類の多くが国の重要文化財に指定されており、建造物もすべてが県あるいは市の指定文化財になっているそうだ。境内からびわ湖を望む。境内奥に太郎坊権現につながる鳥居・参道がある。また階段である。太郎坊権現からの眺望。社の前にゆっくり眺望できる祠が有る。霞がかってはいるが絶景である。下りの石段。小春日和の木漏れ日が心地よい。麓にあるお蕎麦屋さん 長命庵 にて昼食。人気店で1時間以上待っての入店。鴨南そばとミニ野菜天丼。1日早い年越し蕎麦。どちらもとても美味でした。特に天丼のごぼう天が柔らかくて甘くておいしかった。残念ながらこのお店、明日2023年12月31日で閉店とのこと。最後に来られてよかった。ごちそうさまでした。昼食後はお店の前にある長命寺バス停からバスで帰路についた。今日の歩いたコース。総歩行数は12.5km。歩数16,184歩。おつかれちゃん。
2023/12/30
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。(第2なぎさ公園)ビワイチは概ね200kmといわれるが、湖畔を歩き途中で史跡などに寄り道すると随分距離が伸びることになる。そこで、実際に歩いた距離と歩数を整理すると共に、歩行計画で感じたことを纏めてみた。距離と歩数の集計条件は以下。 ・距離と歩数は Galaxy Watch5 及び Galaxy S21 のウォーキングワークアウトの計測によるもの。 ・スタート駅から琵琶湖畔を歩きゴール駅まで戻った距離。 (ブログ各項の巻末に歩行ルートを示した図を表示) ・駅名はJR線の駅名 (唐橋前駅のみ京阪電鉄)。 ・徒歩でビワイチ①(琵琶湖大橋往復)は含まず。【歩行距離と歩数】 ブログ題名 歩行距離 歩数 スタート地点 ~ ゴール地点徒歩でビワイチ② 22.0km 25,206 瀬田の唐橋 ~ おごと温泉駅徒歩でビワイチ③ 25.5km 31,553 おごと温泉駅 ~ 近江舞子駅徒歩でビワイチ④ 30.4km 37,422 近江舞子駅 ~ 近江今津駅徒歩でビワイチ⑤ 20.9km 26,610 近江今津駅 ~ 永原駅徒歩でビワイチ⑥ 17.7km 20,835 永原駅 ~ 木ノ本駅徒歩でビワイチ⑦ 27.1km 33,283 木ノ本駅 ~ 長浜駅徒歩でビワイチ⑧ 18.5km 22,606 長浜駅 ~ 彦根駅徒歩でビワイチ⑨ 23.0km 27,886 彦根駅 ~ 能登川駅徒歩でビワイチ⑩ 24.7km 28,450 能登川駅 ~ 近江八幡駅徒歩でビワイチ⑪ 21.1km 25,687 近江八幡駅 ~ ピエリ守山徒歩でビワイチ⑫ 23.0km 28,674 堅田駅 ~ イオンモール草津徒歩でビワイチ⑬ 6.8km 8,649 イオンモール草津 ~ 唐橋前駅ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 歩行合計 260.6km 316,861歩全周200kmに対し60kmも余分に歩いたことになる。スタート地点のJR駅が湖畔から離れている駅もあったことと、史跡巡りや休憩した公園内の散策も含まれるので、日にちを分けて、かつ、湖畔周辺を巡りながらビワイチするとこれ位にはなるのかなと思う。延べ12日間の歩行で、1日の平均距離21.7km、平均歩数26,405歩。たくさん歩いたなぁ。(和邇浜)【歩くペースと1日の歩行計画について】徒歩でビワイチ① 準備 でも書いている通り、1日の歩く距離は20kmを目処に計画した。これは気ままに歩くビワイチとしては大正解だったと考えている。ワークアウトの記録から、毎回の歩くペースは休憩時間も含めて大凡 4km/hr だった。歩行時間は朝の6時台から7時台にスタートして5時間から6時間程度歩くことが多かった。オイラの場合(普段運動をしていない50代男性)、半日以上歩いて距離25kmを越えると、足にマメができたり、腰が痛くなってきたり と体のどこかにトラブルが起きることがあったので、安全で楽しいビワイチにするためにも20kmが適当だったのだと思う。また、できるだけ湖岸沿いを歩く場合、地域によってはコース途中に美しい風景以外に何もない地帯がある。休憩場所やトイレを見つけられず辛い思いをすることもあり得るので、食事はできるだけゴール駅近くで摂る計画を立てるようにした。この点、サイクルビワイチと徒歩ビワイチの大きな違いのように思う。午前中にビワイチして、昼食後は駅近くの売店などで地元の物を買ったり、少し足を伸ばして近くの史跡を見たりする時間も取れる など、時間と心に余裕をもって楽しい一日にするため、歩行距離20km程度が最適かなと思いましたよ。(西野水道)【歩く時期について】1日の歩行計画を20kmを目処にと書いたが、実際に歩いてみて感じたのは、これには時期も考慮しないといけないということ。今回、1月からスタートして主に冬から春にかけて歩いたが、ビワイチをするには最適の気候だったと思う。だから1日20kmから30kmを完歩できたものと考える。実際、徒歩でビワイチ⑫(23.0km歩行) は7月7日に決行、最高気温は34℃と真夏日。途中、3km~4km毎に休憩をしながら歩いたが、ゴール後は頭痛がするなど熱中症気味で夏のビワイチの厳しさを感じた。湿度・気温が高くなる梅雨時期から暑さも収まってくる9月後半頃までは距離を短くし休憩をしっかり取ることが大切。楽しく歩くには、安全・安心で無理のない計画をすることが第一優先だね。(瀬田の唐橋)以上、歩行距離・歩数・歩行計画で考えたことを纏めてみた。おつかれちゃん。
2023/09/18
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年9月16日 大津市 晴れ 最高気温34℃ 最低気温25℃猛暑の夏。危険な暑さのため7月7日以降、4・5キロを残してビワイチ休止していた。9月に入り朝夕は過ごしやすくなるも昼間は暑い。が、2ヶ月ぶりの徒歩でビワイチ決行。天気は快晴で気温は30℃を越える真夏日となる見込み。ゴールを目指した経路はイオンモール草津から瀬田の唐橋まで。途中の経路は以下の通り。Google Map が示す距離は4.6km。 イオンモール草津 ー 夕照の道 ー 唐橋公園 ー 芭蕉句碑 ビワイチ出発の地 ー 瀬田の唐橋 ー 勢多橋龍王宮秀郷社 瀬田の唐橋ビワイチポイント ー うなぎ料亭山重 ー 京阪唐橋前駅バスにてイオンモール草津に到着 8:40。ウォーキングワークアウトをセットしてスタート。8:50 近江大橋をくぐり、琵琶湖湖岸に出たところ。琵琶湖最南端で湖から瀬田川になりつつある風景。湖岸はカヌー漕艇場になっている。湖岸は遊歩道として整備されており所々にベンチもある。今日の行程は距離も短いのでゆっくり休み休み歩いた。すぐ横を通る県道559号線は「夕照の道」と名付けられている。由来は、近江八景の「瀬田の夕照」。確かに夕日が映えそうな風景。ベンチに座り近江大橋と大津プリンスを望む。第一経由地に定めたJR線の高架下まで到着。9:20 スタートから2.4km。ここまで来るといよいよゴールの瀬田の唐橋が見えてくる。第二経由地の芭蕉句碑まで到着。9:40。スタートから3.2km。俳人松尾芭蕉が瀬田の唐橋を詠んだ句碑である。句碑近くからの瀬田の唐橋。大橋のほう。橋の袂まで来ると「ビワイチ出発の地」の石碑とモニュメントがある。石碑の向かいは無料休憩所もあり、幾人かのサイクルビワイチの方々も休憩されていた。9:45 スタートから3.2km。瀬田の唐橋の東詰に到着。だけどまだ橋は渡らない。橋を越えて瀬田川下流方向へ。瀬田の唐橋の石碑。9:45 スタートから3.4km。石碑のすぐ側にあるお社。勢多橋龍王宮秀郷社 に立ち寄り。このお社の謂れ。瀬田唐橋あたりの水底には龍王が住んでいるという言い伝えがあり、唐橋の掛け替えの際に一旦龍王を陸上にある社殿に移して工事をすることとして永享12年(1441年)に創建されたのが龍王宮。祭神は龍王の娘である乙姫。さらに時代が下って寛永10年(1633年)になって龍王宮の隣に建てられたのが秀郷社。祭神は俵藤太こと藤原秀郷。建てたのは、藤太の子孫にあたる、当時松山藩主であった蒲生忠知。とのこと。Webページより。琵琶湖には俵藤太(藤原秀郷)所縁のお社が多い。徒歩でビワイチ⑪でも 俵藤太に百足退治をお願いした龍神とその奥さんを外宮・内宮で祭った藤ヶ崎龍神社があった。さて、瀬田の唐橋に戻りゴール地点に向かう。大橋の上から琵琶湖を望む。中州に渡り、ビワイチポイントに到着。9:50 今日のスタート地点、イオンモール草津から3.7km。ついに琵琶湖全周のゴール。サイクルビワイチとは逆回りで回ったのでスタートポイントがゴールになる。スタート時に撮影した瀬田の唐橋案内看板。そしてすぐ側にあるビワイチゴールポイント。小橋を渡り西詰に。1月にスタートした時(徒歩でビワイチ②)と同じ場所で橋を撮影。周囲を1時間ほど散策し全周ゴールの自分への祝いとして昼食へ。唐橋東詰近くのうなぎ屋さん うなぎ料亭 山重ビールと湯葉刺し。昼間から飲むビールは3150(サイコー)。うな重 檜(一匹分)を堪能。香ばしく焼かれ脂ものっていてとても美味。ビワイチゴールの達成感も相まって最高にうまい。ごちそうさまでした。食べ終わった後は、再度、瀬田の唐橋を渡り京阪唐橋前駅から帰宅。1月から始めた 徒歩でビワイチ 随分時間がかかったが無事に怪我や事故もなく完歩できた。全周の距離と歩数を次回で纏めてみようと思う。おつかれちゃん。今日歩いた距離・経路。6.79km、8,649歩、下の図の数字は歩いた距離を示す。
2023/09/16
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年7月7日 草津市 晴れ 最高気温34℃ 最低気温21℃七夕。天気は快晴で気温は30℃を越える真夏日となる見込み。梅雨末期で湿度も高くちょっと厳しいかなと思いつつ、何とか午前中に歩き切ろうとビワイチ決行。前回ゴールはピエリ守山だが、早朝に同所まで行く公共交通機関が無く今回は対岸の堅田駅からスタートすることとした。徒歩でビワイチ11日目は堅田駅からイオンモール草津までの道程。今日のコース、経路は以下の通り。Google Map が示す距離は21km。堅田駅ー道の駅 琵琶湖大橋米プラザー琵琶湖大橋 湖岸緑地 木浜1ー道の駅 草津ー烏丸記念公園ー湖岸緑地 志那1 北山田3駐車場ー湖岸緑地 帰帆島3ーイオンモール草津経路を見ての通り、経由地は道の駅以外はすべて湖畔の公園・駐車場。今回は湖畔をガッツリビワイチするものの湖畔風景以外はほとんど何もない歩け歩け大会となる模様。厳しい暑さとなるので適度な距離でトイレと自販機があり休憩できる公園を経由地とした。堅田駅。6:30ウォーキングタイムアウトをセットしビワイチスタート。気温は23度ぐらい。早朝は心地よい。堅田の町並みを歩き、道の駅 琵琶湖大橋 米プラザに到着。6:55 スタートから1.7km。1月のビワイチ歩き初め以来。(徒歩でビワイチ⓪参照)暑くなる前に歩きたくほぼスルーにて琵琶湖大橋へ。7:05 琵琶湖大橋最高部の展望スペース。ややガスがかかったような天気だが琵琶湖の広さを体感。大橋から北湖に向かって東から西へ順に写真を撮ってみた。岬はなぎさ第1公園。朝日が眩しい。北湖は広大。これもう海やね を再体感。海無し県で見る水平線、淡海万歳。西岸。穏やかな水面。そして、橋のたもとの米プラザ。大橋を渡り切った東岸はビワイチの味方ピエリ守山。今日はスルー。ごめんねピエリ、また来るね。。。 まだ開店前だし。東岸から見る巨大建造物。ここからゴールまでさざなみ街道を歩く。琵琶湖大橋から木浜5号水路までは道路左側(東側)が桜並木となっていて午前中は木陰となる。日影がある場所は日影側を歩こう。8:00 第2経由地 湖岸緑地 木浜1 に到着。スタートから6.5km。公園内の広場にて小休止。湖岸緑地 木浜1を出てすぐのさざなみ街道。琵琶湖側の風景。同じ場所から東側(反対側)の風景。田園が広がる。はるか先の大きな建物(写真中央やや右)はJAのカントリーエレベータ。この辺りは空がとても広い。(何もない)そして今日はとても暑い。。。8:50 スタートから10km、道の駅 草津に到着。開店前のため小休止してリスタート。道の駅 草津からさざなみ街道を挟み向かい側が烏丸記念公園。烏丸半島の根元がこの烏丸記念公園で、半島全体が公園・博物館となっている。博物館の中には水族館があり湖の生き物が展示されていて一見の価値あり。併設されているレストラン「にほのうみ」ではブラックバス料理も食すことが出来る。琵琶マスとブラックバスの食べ比べは味・風味の違いがよくわかり興味深い。また、今年2月にビワコオオナマズを展示する水槽が割れて100tの水が館内にあふれる大惨事 (夜中の事故で人的被害無し、ナマズくんも無事保護され命に別状はなかったとのこと) があったが今は無事復旧しているとのこと。さらに、ここ烏丸半島は毎年秋に「イナズマロックフェス」が開催される場所としても有名。この「イナズマロックフェス」、滋賀が生んだスーパースター西川貴教主催で、今年は10月7日~9日開催とのこと。イナズマの命名由来は滋賀県の「滋」がイナズマに見えるから。県外の人にはたまにゲジゲジと言われることがある。ゲジゲジロックでなくてよかったと思う。ありがとうター坊。さて、歩を進め次の経由地、湖岸緑地 志那1に到着。9:45 スタートから14km。とても暑い。木陰のベンチで大休止。園内にはメタセコイヤ並木もある。写真ではわかりにくいが、、、その次の経由地、北山田3駐車場。10:30 スタートから16km。南湖東岸はさざなみ街道沿いにこのような湖岸緑地が多く点在しBBQもokでキャンプも無料という場所も多く京阪神の人気キャンプ地となっている。無料なだけに末永く気持ちよく利用できるよう使用時のマナーは守りたいものである。ようやく帰帆島に到着。北橋。11:00 スタートから19km。北橋最高部からの琵琶湖。大津プリンスを望む。帰帆島内の 湖岸緑地 帰帆島3にて。ここはほぼスルー。南橋から近江大橋を望む。ビワイチ1日目であの橋の西岸を通ったなぁ、帰ってきたって実感。(徒歩でビワイチ②参照)気ままな歩き録、徒歩でビワイチ も最終盤である。南橋から今日のゴールのイオンモール草津はすぐそば。11:40 今日のゴール地点、イオンモール草津に到着。スタートから21km。お昼はフードコートでとんてき定食を喰らった。真夏日の徒歩でビワイチは、想定はしていたものの、やはり暑さはとても厳しかった。休み休み歩いたけど熱中症リスクは高い。琵琶湖大橋からの南湖東岸は市街からも離れているので夏場のビワイチは水分・塩分補給と適度な休息場所確保など準備に怠りなく挑むことが必須。徒歩でビワイチも最終盤となりスタート地点の瀬田の唐橋まで数キロを残すのみ。おつかれちゃん。実際の歩いた距離、ワークアウトの記録では23.0km、歩数28,674歩。下の図は歩いた経路、数字はkm数。
2023/07/07
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年6月24日 守山市 曇り 最高気温28℃ 最低気温21℃曇天の朝。湿度が高く汗ばむ気候。熱中症に注意のビワイチウォーキングになりそうな日。徒歩でビワイチ10日目は近江八幡駅からピエリ守山まで。スタートの近江八幡駅から湖岸は少し離れているが、今日は久しぶりに湖岸を歩けるビワイチとなる。今日のコース、Google Mapが示す距離は20km。経路は、近江八幡駅ー湖岸緑地 岡山園地ー藤ヶ崎龍神社 ローソン野洲菖蒲店ー湖岸緑地 吉川公園 かねふくめんたいパークー野洲川しあわせの丘 第2なぎさ公園ーピエリ守山早朝 6:20 近江八幡駅湿度の高さは感じるものの朝はまだ涼しい。さぁ歩こう。市街を抜け白鳥川沿いの びわ湖よし笛ロード を湖岸に向かって歩く。この路、近江八幡駅から長命寺・西の湖・安土城・能登川水車を経て能登川駅までつながるサイクリングロードとなっている。早朝のランニング・ウォーキングを楽しむ方々も多い遊歩道。紫陽花が路を彩る。白鳥川河口。今日の琵琶湖は穏やか。ここから湖岸を沿って通るさざなみ街道を南下。スタートから6.4km 7:40最初の経由地、湖岸緑地 岡山園地に到着。駐車場・トイレ完備された公園となっている。広場の緑がきれい。園内を湖岸まで出て小休止。穏やかな湖畔景色で癒される。湖面を渡って吹く微風が心地よい。次の経由地は岡山園地からほど近く。藤ヶ崎龍神社スタートから6.9km 8:00着。ここ、龍を感じるパワースポットと言われているらしくビワイチの隠れたスポットとのこと。規模は小さいものの湖岸側と岡側の祠に分祀して龍神が祭られている。毎年4月に例祭も行われているようだ。箒で掃き清められ厳かさを感じる。由緒も古く、平安時代の平将門の乱の頃まで遡るらしい。西暦939年に将門討伐の為にこの地に訪れた藤原藤太秀郷 (三上山(近江富士)で大ムカデを退治したと伝えられる滋賀では有名な侍) の藤の字をもらい受け龍神を祭ったとのこと。(神社の案内板の記述による)湖岸側とその後ろの岩の祠に祭られている。こっち、湖岸側。竜王様が祭られているとのこと。近くまで行って参拝。背後の岩は夫婦岩のようだ。こっち、岡側の祠。奥さんの龍神をお祀りしているとのこと。奥まで立ち入りし参拝可能。見える扉は獣よけとして設置されている。岩の祠の内部。参拝後は必ず入り口の金網扉を閉じること。横には藤原藤太の碑もある。ちょっとしたドラクエウォークのよう。また、ここからの琵琶湖の景色もとても美しい。パワースポットと言われる所以か。しっかり参拝して次の経由地へ向かう。湖畔の風を受けつつさざなみ街道をテクテク。時折の晴れ間、照り付ける日差しが暑い。さざなみ街道沿いのローソン野洲菖蒲店に到着。藤ヶ崎龍神社から5km、スタートから12km。8:50着。気温も高くなってきたのでここで大休止。汗が引くのを待ってリスタート。次の経由地、湖岸緑地 吉川公園。スタートから14km。9:25。駐車場と無料キャンプ場のような場所。簡易トイレ有り。コンビニでしっかり休憩したのと休憩できる場所もなさそうだったのでここはスルーした。続いての経由地。かねふくめんたいパーク着。スタートから16km、9:40。なぜに滋賀でめんたいパーク? と思うのはオイラだけ?駄菓子菓子、なかなかの人気のようで観光バスも立ち寄る観光名所になっている。ここへ入るとエアコンが涼しく休憩スペースも広くて居心地がよく長く留まってしまいそうなのでスルーした。明太子の試食をやっていたり、大きな明太子入りおにぎりがリーズナブルな価格で販売されていたり、ちょっとした子供たちの遊戯スペースありと、観光立ち寄り地点としてはよき場所ではある。(以前家族と行った時の感想)大休止したコンビニから約5km。野洲川まで到達。橋の上から三上山を遠望。(画像中央やや右側の小山、前出の藤原藤太がムカデ退治したといわれる山)山容から近江富士とも呼ばれている。琵琶湖東岸は遥か東の鈴鹿山脈に至るまで標高の高い山が少なく単独の山として湖上の遠方からでもよく見え、古からランドマークとなっている故の名付けかと。実際には標高432mの岩山である。この先は守山市に入りビワイチ聖地巡礼。スタートから17km、10:00。野洲川に架かる中州大橋の南岸、しあわせの丘。盛土かな?ビワイチをできる幸せを感じつつ小休止。盛土・・・ もとい、しあわせの丘から琵琶湖を望む。ごめんね守山市。。。サイクルビワイチの聖地、第2なぎさ公園に到着。スタートから19km、10:30。BIWAKOモニュメント。ビワイチで最も有名なスポットの1つ。多くのサイクリストが記念写真を撮ってました。守山市は全力でビワイチを応援してくれています。『ビワイチサイクリストの聖地』碑モデルはダンサーでありウォーキングトレーナでもある田中セシルさんとのこと。ここでも多くのサイクリスト達が記念撮影を。オイラ的には、このポーズこれに見えてしまうのですが・・・なだぎ武のディラン・マッケイごめんね守山市。。。さて、なぎさ公園で聖地巡礼した後は今日のゴール地点であるピエリ守山へ。第1なぎさ公園を隔てすぐ近く。スタートから20km、11:00着。ここピエリ守山もビワイチを支援してくれており、E駐車場をビワイチ利用者に開放してくれているようだ。(Web Site Ready for BIWAICHI の よくある質問Q4 参照)利用の際はピエリ守山でのお買い物もしよう。敷地内には 癒しの温泉 水春(すいしゅん) も併設。ビワイチ後の疲れを温泉で癒せる。今日のお昼ご飯はピエリ守山にあるバーガーキングにて。スモーキーBBQワッパーをセットで購入。フードコートにて食す。ピエリ守山のフードコートからバスボートが浮かぶ琵琶湖を望む。ピエリ守山からは無料送迎バスで守山駅まで帰着。梅雨の中休み的な天気だった一日。蒸し暑かったが今日も何とか完歩。いよいよ琵琶湖南湖に戻ってきた。ゴールまであと僅か。お疲れちゃん。今日の実際の歩行距離 21.1km、歩数 25,687歩 (ウォーキングワークアウトより)
2023/06/24
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年6月11日 守山市 雨時々曇り 最高気温23℃ 最低気温20℃梅雨空の日曜日。守山市にある佐川美術館に行ってきた。佐川美術館は、宅急便の佐川急便が母体で1998年に創業40周年を記念して守山市内の琵琶湖湖畔に設立された美術館。(佐川美術館HPより)目的は企画展『生誕100年 山下清展 -百年目の大回想』。開催期間が6月11日までということに先週気付いて急遽観覧予約した。雨の佐川美術館。朝9:30入場。入館は事前予約が必要。美術館入口山下清さん、多分、日本人画家で最も名の知られた1人じゃあないかと思う。オイラの中の山下清は ”放浪画家=裸の大将=芦谷雁之助” のイメージが強い。芦谷雁之助さん演じる山下清さん。『ぼ、ぼくは、お、おむすびが大好きなんだな』のフレーズと共にリュック1つで全国を放浪し、旅先でお世話になった人達にお礼がわりに貼り絵を残し再び放浪の旅に出る人情喜劇ドラマのワンシーンが思い浮かぶ。そう、裸の大将放浪記シリーズ である。が、これは完全にテレビドラマによって作られた間違ったイメージで実際には、自由な時間を求めての旅で、放浪中は画材やスケッチブックも持っていなかったのだそうだ。作品は少年時代から育った施設に帰ったのちに、各地で見た風景を思い出して制作していたとのこと。生誕から100年を記念しての企画展。展示は少年期から円熟期まで5章に分けられ、少年期の鉛筆画から始まり、貼り絵と出会った頃、画家としての作品集、ヨーロッパ周遊の作品、円熟期と素朴な画から繊細で美しい見事な作品と変化していく様がよくわかる構成。また、貼り絵だけでなくペン画や油絵・陶器に描かれた絵 など、今まで知らなかった作品の他、放浪時に使用していたリュックや所持品も展示されていた。代表作の『長岡の花火』・『ロンドンのタワーブリッジ』の貼り絵を間近に鑑賞し、色紙の使いこなしや表現の仕方に感嘆。2時間半ほどかけて 放浪画家 山下清 の世界をしっかりと堪能しました。お昼は、ビワイチ途中の雄琴で食べて旨さに感動したラーメン屋さん 麺屋 聖(kiyo)が南草津にも有ると知り行ってみた。(徒歩でビワイチ②参照)淡竹ラーメンと唐揚げ。貝出汁スープとコシのある全粒粉麺が絶品!ごちそうさまでした。徒歩でビワイチも全周完歩が見えてきた。時間が空いた時に歩く気ままなビワイチだけど完歩目指して頑張ろう。お疲れちゃん。
2023/06/14
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年6月10日 近江八幡市 曇り 最高気温28℃ 最低気温18℃梅雨の天気で湿度の高い日。天気予報では夏日になる見込みだが、曇天で何とか長距離ウォーキング出来そう。早朝は気温もまだ低く気持ちよくスタートした。徒歩でビワイチ9日目は、能登川駅から近江八幡駅まで。今回の経路はスタート駅・ゴール駅共に琵琶湖畔から離れていてほとんど田園地帯のウォーキングとなりそう。気温も高くなりそうなので経由地をこまめに設定した。能登川駅ー能登川水車ー水車橋(琵琶湖畔) ファミマ近江八幡白王町店ーだいなか愛菜館 ラコリーナ近江八幡ー日牟禮八幡宮ー白雲橋ー近江八幡駅いつも通りワークアウトセット。6:25 能登川駅スタート飲み物を忘れたので駅近くのコンビニに寄ろうとしたが、Google先生を頼りに歩くも変な路地に入り込み、コンビニは見えるのに路地は行き止まり。出戻って1kmほどロス。。。。飲み物補充しリスタート。西に向かって市街を抜けると田園風景が広がり、その先に大きな水車が見える。能登川水車である。この水車、琵琶湖に繋がる伊庭内湖の湖畔に整備された公園能登川水車カヌーランド内にある。歩き進み、伊庭内湖畔から水車を望む。内湖にはSUPやバス釣りのボートも浮かぶ。7:25 能登川カヌーランド 着。スタートから約4km。とても大きな水車が目印。今はオブジェであり稼働はしない。水車は直径13mとのこと。ガンダムで例えるとRXー78 機動戦士ガンダムの全長は18m・・・よくわからないので、概ね4階建てビルと同じくらいの高さ。この水車は2代目だそう。初代は軸だけが残され展示(手前)。園内の施設にも水車が。こちらは稼動している。公園で小休止し出発。琵琶湖に繋がる水路沿いを歩く。道路沿いには水車や魚のオブジェも点在する。水路と琵琶湖を区切る水門堰。オブジェはドラゴンカヌー。琵琶湖では毎年夏に ペーロン(竜頭を付けた複数乗りカヌーみたいなの)競争を開催しているからかな?水門堰には航行船用の信号も設置されていた。8:20 第二経由地の琵琶湖 湖畔の水車橋に到着。スタートから約7km。水車橋からの琵琶湖。今日のビワイチで琵琶湖を眺めるのはここだけ。ここからはしばらくさざなみ街道を進む。8:40 街道沿いのコンビニ ファミリーマート近江八幡白王町店に到着。スタートから約9km地点。しばし休息をとる。この先さざなみ街道も内陸を通る。湖岸沿いは国民休暇村や長命寺に通ずる道路はあるものの歩道なく道幅も狭いため避けた。次の経由地、だいなか愛菜館に到着。9:00 スタートから10km。丁度開店時間だった。この辺りは大中町という地名で農村地域。地元の農産物・近江牛・湖魚を販売するお店。野菜がお値打ちだった。ソフトクリーム販売や休憩スペースもあり。気温が高くなってきて少し疲れてきたのでゆっくり休息。次の経由地までは約5km。次の経由地着。10:30 スタートから約15km。近江っ子 みんな大好き ラコリーナ。CLUB HARIE(たねや)が主催するお菓子のテーマパーク。入場は無料。園内にクラブハリエの店・カフェなど複数のショップあり。おなじみ 草の家。園内の案内図。『自然に学ぶ』をコンセプトにした園内。これもおなじみの画。この他にもお洒落で開放的なテラス席を設置したお店も有り。園内を一通り廻り、次の経由地へ。ここは今度家族と来よう。10:50 スタートから約16km、日牟禮八幡宮に到着。山門。御社。この先に本宮がありその裏に屏風岩。伝承では、西暦131年の草創とのこと。(wikiより)近江八幡市の市名は神社に基づくとも。神社の西側には豊臣秀次が築いた八幡山城址に繋がるロープウェイもある。行ってみたかったが今回はスルーし歩を進める。神社の傍、白雲橋。橋の上から八幡堀を撮る。水郷巡りの屋形船が見える。時代劇の撮影ロケもたまにあるとか。さてさて、今日のウォーキングも終盤。昼食のお店へ向かう。今日はお昼ご飯のお店目当てでラコリーナのカフェも八幡山ロープウェイもスルーしてきた。近江八幡と言えば近江牛ということで近江牛のお店へ。近江牛処ますざき。ちょっと敷居が高そうな佇まい。落ち着いた雰囲気のお店でした。ランチの近江牛御前(近江牛の陶板焼き)をチョイス。ビールと共に。やはり天下に名を轟かすブランド牛である近江牛。脂も甘く柔らかくとってもとっても美味しいです。ちょっとお高めだけど大満足のランチ。ほろ酔い気分でゴールの近江八幡駅に到着。12:20 スタートからの距離は約19km。(Google調べ)今回は琵琶湖はほとんど眺めず田園地帯のビワイチだったけど適度に休息して公園・テーマパーク・名所旧跡も廻れ、最後の近江牛で〆て、大満足のビワイチでした。お疲れちゃん。実際の歩いた距離24.7km、歩数28,450歩
2023/06/10
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年5月31日 彦根市 曇りのち晴れ 最高気温23℃ 最低気温18℃ずいぶん早く梅雨入りした今年。今日は一日時間が取れたので、雨が降るかなと思いつつビワイチ決行。曇天の早朝。天気予報は午前中雨となっていたが何とか降らなさそう。徒歩でビワイチ8日目は、彦根駅から能登川駅まで。Google Mapでの表示距離は22km。今回の経路は、以下でセット。彦根駅ー湖岸緑地 大藪ーコンビニファミマ滋賀大学前 あのベンチー湖岸緑地 南三ツ谷ー愛知川橋ー能登川駅湖東地域に入りスタートする最寄り駅が湖岸から離れているためスタート駅から湖岸まで出る・湖岸からゴール駅まで戻る道のりが遠い。また、今日のコースは寄り道する旧跡なども特になく湖岸歩け歩け大会となる模様。だがしかし、天気は晴れ間も見えてそよ風も涼しく快適に歩けそう。6:35 彦根駅到着。彦根城を望む。6:40 駅を出てほぼ1か月ぶりの井伊直政像と対面。ウォーキングタイムアウトをセットしてスタート。さぁ歩こう。琵琶湖に向かう路地から城を望む。彦根城はまたの機会にゆっくり散策したい。駅から約3km。琵琶湖湖岸に到着。今日は穏やかな琵琶湖。やや風強し。7:30 第1経由地の 湖岸緑地 大藪 到着。スタートから約4km。やはり琵琶湖北湖は広い。湖岸から北西を望む。はるか北に伊吹山が見える。同じく湖岸緑地 大藪から西方の風景。左に小さく浮かぶは多景島。更に同じ場所から南西を望む。見える山並みは比良山系から南は比叡山が霞む。緑地内の休憩所で小休止し、第2経由地、滋賀県立大前のコンビニに向かう。7:50着。スタートから約5.5km。が、閉店・解体のよう・・・ スルー。次の目的地に向かう。通ってきた道の少し手前(北より)には別のコンビニも有ったので事前のコース調査不足と少し後悔。琵琶湖東岸を通るさざなみ街道。歩道も広く快適ウォーキング。しばらく歩いた後、さざなみ街道を外れ湖岸沿いに通る路地に進み今回のウォーキングで一番行きたかった あの場所 に向かう。道路にはビワイチサイクルロードを示すブルーラインも。8:40 スタートから約10km。第三経由地 ”あの場所" に到着。そう、ビワイチの聖地の1つ『あのベンチ』数年前にSNSに #あのベンチ として投稿されたことがきっかけで隠れた名所?としてビワイチ方々の人気になった。普段は映える写真を撮るために順番待ちにもなるらしい。しかし、今日は平日で誰もおらずリュックを下ろしてゆっくり休憩できた。『あのベンチ』からの琵琶湖。打ち寄せる波の音が心地よい。やや風強し か。写真を見ると湖面が荒れているように見えるね。実際には穏やかな風景で癒された。ビワイチPR WebSite に出てきそうなカット。このベンチ、周りは砂利で整地されていてゴミも落ちていない。傍には小さなごみステーションがあり、ごみのポイ捨てや持ち込みを禁ずる看板も。ビワイチ人気のスポットは地域の方々の弛まぬ整備のおかげで維持されていることが容易に判る。感謝と共に観光としてくるオイラたちは ”飛ぶ鳥あとを濁さず” を心掛けたい。それと、徒歩ビワイチをしてよく分かったが、このように風景を楽しみながら小休止できるベンチは湖岸の至る所にあり、自分だけの『あのベンチ』を見つけるのもビワイチの一つの楽しみといえる。ここも素晴らしいが、オイラ的『あのベンチ』は和邇浜にポツンと置かれていたこじゃれたベンチかな。(徒歩でビワイチ③参照)さて次の経由地に向かう。9:30 スタートから約14km。湖岸緑地 南三ツ谷。広い駐車場やトイレ・自販機、グランドもあり公園となっている。ここでも湖畔を望むベンチが多くあり、しばし休息し足の疲れを癒す。最後の経由地、愛知川橋へ。10:10到着。スタートから約16km。橋の上から河口に向かっての1枚。今日の湖畔ビワイチはここまで。この後、ゴール駅 能登川駅まで内陸を6kmほど歩く。11:10 少し早めのお昼ご飯。能登川駅近くの中華料理店 万両力石 能登川本店 にて。酸辣湯麺とミニ炒飯。美味しかったです。ごちそうさま。11:50 能登川駅着。駅ホームに繋がる階段が水車形状になっている。時計台も水車。街を挙げての水車推しである。次回コースは能登川水車を廻ろうと心に決める。今日歩いたコース、距離23km 歩数27,886歩。天気が心配だったが、薄曇りで快適なウォーキングとなった。これから蒸し暑くなる季節だが、ビワイチも残す距離1/4程度となってきた。体調管理をしっかりして安全に頑張って完歩しようと思いを強くする。お疲れちゃん。
2023/05/31
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年5月13日 京都市東山区 曇りのち雨 最高気温22℃ 最低気温13℃今日は午後から雨の予報。ビワイチは小休止して京都国立博物館へ行ってきた。京都駅から博物館まではGoogle Mapの表示距離1.7km。9:00京都駅出発。京都駅前のアレ。東に向かって歩く。七條大橋からの鴨川。9:25 京都国立博物館に到着。写真は明治古都館。特別展開催の平成知新館へ。目当ての企画展はこれ。親鸞聖人生誕850年特別展。親鸞の記した著作物「教行信証」や生涯を表す伝絵親鸞が尊敬する法然はじめとした七高僧の教えを示す経文や導師像・仏像など全国から浄土真宗の宝物類を集めて紹介している特別展。無信心者のオイラ。だけど書物・仏像・絵巻物などどれもとっても素晴らしいものでした。また展示された古文書類からは、親鸞が生涯を通じて仏教経典を熱心に読み解き解説を織り込み一般民衆に伝えようとした姿が読み取れその姿勢からは愚直なまでに真面目な宗教家であり研究者だったのであろうと感じられる次第でした。どれも素晴らしい書物・宝物類だったけど、その他にもオイラ的に驚いたのは漢文書物の文字・配列・大きさがまるで活版印刷物のように整っている事や平仮名文字が淀みなく流れるような美しさ、絵図の線もブレることなく直線・曲線が美しいし墨絵も濃淡をうまく使い立体表現している事 等々。また、カタカナって鎌倉時代から今と変わらぬ字体で使われていたんやね。9:30入館で博物館を出たのは13:30。古の宝物類をしっかり堪能しました。少し遅めの昼飯は京都駅近くの定番ラーメン店へ。新福菜館 中華そば(並)今日の歩いた距離。京都駅ー国立博物館ー新福菜館 で 4.6km 5,589歩。今日も楽しいウォーキングでしたとさ。おつかれちゃん。
2023/05/13
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年5月3日 長浜市 晴れ 最高気温23℃ 最低気温10℃4月は家の用事などで忙殺されビワイチ小休止。その間にすっかり季節は移ろい春真っ盛りのGW。徒歩ビワイチ再開。徒歩でビワイチ7日目は、長浜駅から彦根駅まで。快晴のGWで沢山のチャリビワイチの輪列を横目にさざなみ街道を歩く。Google Mapでの表示距離は15km。今回の経路は、長浜駅 - 長浜びわこ大仏 - 道の駅 近江母の郷 烏帽子岩 - 松原下屋敷 - 彦根城金亀公園 - 滋賀県護国神社 - 彦根駅長浜駅 7:10ウォーキングタイムアウトをセットしてウォーキングスタート。琵琶湖湖畔に出る。朝の湖畔は穏やか。バスボートも多数出撃。さぁ歩こう。長浜駅から最初の経由地 長浜びわこ大仏 までは距離1.6km。7:30に到着。湖畔を背にそびえ立つ仏像。朝日を浴びて神々しい。せせらぎ街道沿いの駐車場にお寺と大仏を説明する看板がある。初代仏像が昭和12年にコンクリート製で創建老朽化により平成6年に今の二代目大仏を建立したとのこと。全高 約28m、重量 約80トン 青銅製。大きさが イマイチ ピンとこないのでみんな大好き 機動戦士ガンダム と比較してみる。ガンダム(RX-78) 全高 18.5m 本体重量 43.4トン大仏様は概ねガンダムの1.5倍である。お判りいただけたであろうか。これを書いているオイラもよくわからないので・・・建物で比較すると大凡ビル9階分の高さ。巨大である。大仏のあるお寺は 平安山良畴寺という臨済宗のお寺で鎌倉時代の弘長2年(1262年)に開かれたとのこと。表に廻り寺構えの1枚。大仏ばかりが目立つが、境内もきれいに整備されており庭園もツツジが満開でとても華やかでした。次の経由地、道の駅 近江母の郷。8:09到着。スタートから約4km。お店は9:00からのようでトイレと少し休んだのみ。ビワイチ途中の方々が多く小休止されていた。次の経由地 烏帽子岩 まではせせらぎ街道が湖岸沿いを通っており快晴の下、湖面からの微風が涼しくとても気持ちよく歩けた。烏帽子岩から手前1kmぐらいは湖岸に降りて水辺をビワイチ。9:30 スタートから9.5km。烏帽子岩 に到着。岩である。滋賀びわこ観光情報の Web Site によると男岩・女岩の2つの岩が一つに重なっているところから 『結びの岩』とも呼ばれているらしい。道路沿いには歌碑もあり。万葉歌人の高市連黒人の歌碑とのこと。たかいちれんこくじん・・・ いえ、たけちのむらくろひと という歌人。もっと古文を勉強しておけばよりウォーキングが楽しめるのに と思う瞬間。さて、次の経由地 松原下屋敷までは約2km。庭園のようなのでそこまで行って休憩しようと決めて歩く。10:15 松原下屋敷に到着。入口にテント張りがあり、係の方からパンフレットを頂く。庭園の歴史を紹介する立派なパンフレット。拝観は無料とのこと。茶店でもあれば一服しようと期待しつつ屋敷に進むが・・・ 廃屋である。旧彦根藩主井伊家の別宅で、パンフレットを見ると正式名称は『名勝旧彦根藩松原下屋敷 (お浜御殿) 庭園』とても立派な名称であり観光資源でもあると思う。しっかりPRと共に拝観料を取っても良いので彦根城下の歴史遺産として整備し後世に残すべきではないかと感じた。敷地奥の庭園。築山や池・灯篭・四季の樹木もあり整備次第ではとてもきれいな庭園のはず。この中だけ古から時が止まったまま朽ちつつあるような不思議なそして静かな空間。これもまた善し とも思うが、もったいないなぁとも感じた次第。松原下屋敷を後にして彦根城の金亀公園へ。彦根城と言えば ゆるキャラ ひこにゃん が有名だが、事前のGoogle調べでは園内にひこにゃんに先立つ彦根のゆるキャラ 城まる君 のモニュメントがあるとのこと。そこで経由地に 城まる君 をセット。10:30 城まる君モニュメントに到着。ひでえ・・・ 自販機の裏側に佇む 城まる君Wikiによると、彦根市の市政50周年を記念し1987年に開催された'87世界古城博覧会のキャラクターで、彦根城とその別名金亀城にちなみ亀と天守閣を合体させ擬人化したもの とのこと。市の代表キャラの座をひこにゃんに譲るも一時期を支えたキャラに対しもう少しリスペクトしてあげて、、、と思うのはオイラだけ?自販機の後ろからこちらをチラ見する城まる君。彦根城は入場料が必要でGWの人並みもあり公園からの石垣のみ。城内はまたの機会に。さて、盛者必衰のもののあはれ を感じながら次の経由地、滋賀縣護国神社へ。11:00 スタートから14km。父の像と母の像。戦地で斃れたあるいは負傷したように見える父の像帰りを待ち耐える母と子の像並び建つ2つの像を見ると戦争の悲惨さと悲しみや無念を思わずにいられない。かつ、今日があるのは彼ら彼女らの犠牲と奮闘のおかげでもある。心正して本殿にて参拝した。昼食。駅近くの カレー食堂ジャンゴ にて。開店は11:30から。お店には11:15頃に到着。すでに数名の行列あり、入店後すぐに満員に。マトンキーマカレーとチキンサグカレーの2種盛中辛を注文。温玉トッピング追加。セットの飲み物はマンゴーラッシー。サグカレーはマイルド、キーマカレーはスパイシーでとっても美味しかった。ご飯が硬めでカレーに合う。また来たいと思うお店。ごちそうさまでした。12:00 彦根駅に到着。駅前に井伊直政像。久しぶりの徒歩ビワイチ。色々感じることのあるウォーキングだったが五月晴れの下、爽快なビワイチになった。ウォーキングワークアウトの記録。歩いた距離 18.5km 歩数22,606歩お疲れちゃん。
2023/05/03
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年3月19日 長浜市 晴れ 最高気温14℃ 最低気温2℃まだ桜の芽は固く早春の湖北なるも晴天の下でのビワイチ快適なウォーキングとなった。徒歩でビワイチ6日目は、木之本駅から長浜駅まで。Google Mapでの表示距離は22km。前回、琵琶湖最北端の塩津まで完歩。今回からいよいよビワイチ後半となる。湖北から湖東へ移る道、さぁ歩こう。今回の経路は、木之本駅-西野水道(西野放水路) 道の駅 湖北みずどりステーション 奥びわスポーツの森ー産直琵琶みずべの里ーあの地球儀 豊公園ー長浜駅今回、第一経由地の西野水道(西野放水路)は今回オイラ的に最も訪れたかった場所。あとはさざなみ街道をひたすら歩け歩け大会となる模様。だがしかし、一定距離でマイルストン(経由地)を定め、計画的には快適な経路と思う。7:20 木之本駅。いつも通り、スマートウォッチ ウォーキングタイムアウトをセットしてスタート。8:50 スタートから約7km。第一経由地の西野水道に到着。ここまでは琵琶湖が見えない道程。集落を離れた山のふもとに水路が通る。独特の雰囲気がある場所。近くには「熊注意」の看板も。。。江戸時代に掘られた水路で長さ約220m。工期約6年間、総工費1,275両で、ノミだけで掘られた水路とのこと。(長浜観光協会)その昔、洪水や飢えに苦しめられたこの土地に住まうお坊さん(当時の最高学府で学んだ名士やね)恵荘上人が惨状を見かねて「そうや、水抜くのにトンネル掘ったらええんちゃうん!」との発案に村民も「せやせや」と同意・協力して行われた一大事業とのこと。確かに、この地、地形を見ると余呉湖から流れる水が山が邪魔して滞留するような地形。史跡を見るだけでは「ふーん昔は大変だったんだね」だけどその発案と実行力に当時の人たちはとっても感謝し今もその恩恵を受けているのではないのかなと思う次第。史跡は公園として整備されていて坑内見学もできるようになっている。ヘルメットや懐中電灯・長靴まで用意されている。なんか出そうやから行かんけど。この施設にはトイレも完備。で、その隣には昭和の時代に作られた新たな水路 西野放水路 がある。下の写真は放水路横の琵琶湖に抜ける歩道トンネル。いろんな意味で有名なスポットでもある模様。映ってはいけないものは映ってないよね。。。トンネル坑内。照明は一切無し。写真は入り口近くで明るいがトンネル真ん中あたりは真っ暗。歩行注意。(琵琶湖からの戻り方向から撮影)トンネルを抜けた先の琵琶湖。うつくしい景色。西野放水路、独特な雰囲気を醸しているが、水路の出口は釣りのポイントとしても有名で多くの釣り人達が常にいる。釣り人達、古の恵荘上人の恩恵に感謝かな。沖の砂州まで歩いて水路出口の写真。さて、西野水道を一通り廻って次の経由地へ向かう。片山隧道を抜けて 道の駅みずどりステーションへ。10:00 到着。スタートから約10km。手前の湖北野鳥センター。今回はスルー。建物が鳥やね。隣が 道の駅みずどりステーション。こっちも建物が鳥やね。地元の産物販売所にきれいなフードコートも併設。各種ビワイチの人たちの休息場にもなっている。30分ほど休憩。フードコートでカレーパンを購入。外はカリッとパンはもちもちでうまかった。満足の一品。しっかり休息して次へ。途中、湖畔にこんな祠が。建立から日が浅いような感じがするが謂れは不明。11:10 奥びわスポーツの森に到着。スタートから15km。グラウンドと大きな遊具のある公園にもなっている。公園内の池を眺めながらしばし一服。12:00 スタートから18km、姉川。姉川大橋からの1枚。前日までの雨で川は濁り湖水とのコントラストがくっきりと出ている。12:05 産直びわ みずべの里 に到着。地元野菜や琵琶湖の魚介の販売所。屋外にトイレも併設されていて地元のスーパーという感じ。入口横が小さい広場になっており小休止。12:30 スタートから19km Google Mapで「あの地球儀」と表示される地点。ルート決めの際、Google先生がMap上でずいぶん推し感あり的な感じだったので何だろう? と思っていたが、機械メーカーのヤンマーの工場敷地にあるモニュメントだった。前の石文に「美しき世界は感謝の心から」とあるが、これは創業者の山岡孫六氏の言葉を記しているようで、「人生というものは、運、不運に左右されることも大きかろうがそれでも誠実さと、感謝の心を失わないで努力しておれば、よき協力者を得て途(みち)も開け人から感謝もされて、美しい世界がおのずから展開してくるのではないだろうか」という意味を込めての言葉らしい。実はこの滋賀の地、ヤンマー王国と言っても過言ではないぐらい同社の工場・施設が多い。創業者の地元ということもあろうが、国内の東西の交通の要衝であり、海外へ通ずる大阪や四日市・名古屋などの貿易港にも近く、稲作農業・都市近郊農業・海事(琵琶湖)や林業さらには豪雪地帯もある土地柄、自然と共にある様々なユーザーに近い土地での展開は先見の明ありというべきか、そういう地で展開したから成功したのか オイラにはわからないが、すごいねぇと思う次第。さて、今日のビワイチウォーキングも終盤。少し遅めのお昼ご飯は長浜駅近くの うどん屋さんへ。13:10 そのお店に到着。スタートから22km。うどん馳走 山石土平(やまいしどへい) 人気店のようで着いた時には複数組のお客さんが店の外に行列。30分ほど待って入店。讃岐天ざる(\1,180)を注文。うどんはもちもちでコシがあり美味。天ぷらはちくわ・かしわ・舞茸。揚げたてアツアツ・サックサクでめっちゃうまい。大満足のお昼ご飯。是非また来たい。JAF会員割引も使えて尚善し。さぁ、おなかも満足して、最後、豊公園 長浜城を眺めて今日は終了。晴天に映える長浜城。公園入口のモニュメントからの1枚。14:30 長浜駅。今日はたくさん歩いた。ウォーキングタイムアウトでの総歩行距離27.1km。歩数33,283歩。さくらはまだまだだったけど日差しは暖かく春を感じるビワイチでした。長浜の街はまた別の機会にゆっくり散策したいな。豊公園での1枚。春は足元にも来ていました。おつかれちゃん。
2023/03/19
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年3月12日 長浜市 晴れ 最高気温19℃ 最低気温10℃すっかり春めいた温かい日。徒歩でビワイチ5日目は、永原駅から木之本駅まで。Google Mapでの表示距離は15km。経路は、永原駅ー道の駅 あじかまの里-塩津園地-木之本地蔵院-木之本駅今回は琵琶湖の見えない道を歩くの会。永原駅から近江塩津駅の間、つづら尾崎の奥琵琶湖パークウェイは3月末まで冬季通行止め。内陸の国道303線を徒歩ビワイチ。7:40 スタート駅の永原駅に到着。降車はオイラ1人。7:45 スマートウォッチをセットしてスタート。駅から琵琶湖とは逆方向の北に向かって歩き始め。国道303号線まででる。国道から琵琶湖方面に向かっての1枚。山はつづら尾崎でその先が琵琶湖。梅が満開。1つ目のトンネル 岩熊第2トンネル。長さ796m。片側通行でトンネルは2本に分かれている。トンネル内も広い歩道があり歩行の安全は確保されている。トンネル内の照明も明るいが念のため懐中電灯を点灯して歩行。相手に気づいてもらうためにね。車の通行量はそれほど多くない。トンネルを抜け西浅井へ。8:46 道の駅あじかまの里に到着。スタートから約5km。道の駅は9:00開店。しばし小休止。道の駅の中に丸子舟の展示がある。が、店の裏であまりPRされていないというか全然目立っていない。道の駅から約600mで北湖最北端の塩津浜に到着。9:20ここから4kmほどは琵琶湖畔を歩く。今日の琵琶湖はとても穏やか。半島沿いの周遊道路は歩道がないが旧道のため車もほとんど通らずゆっくり徒歩ビワイチができるコースといえる。北湖地域のビワイチ聖地といわれる飯之浦大音線も3月末まで冬季通行止め。やむなく国道303号線を征く。2つ目のトンネル、賤ケ岳トンネル。ここは右側に歩道があるものの幅が狭く、交通量もとても多いので注意。トンネル内も薄暗い。途中チャリビワイチの人たちとすれ違ったが壁に身を寄せて歩道を開けなければならないほど歩道幅は狭い。トンネルを抜けてひたすらまっすぐに行くと木之本の街に到着する。11:20 スタートから約15km。木之本駅から木之本地蔵院までの通り。木之本地蔵院に到着。境内には大きなお地蔵さんの銅像がある。本尊を模した像とのこと。お昼は地蔵院近くで、名物の焼鯖そうめんを提供しているお店「みちくさ」にて。愛想のよいお母さんが1人で切り盛りしている様子で、色々お話ができそうだったがあとから数組お客さんが入店し忙しくなってしまったよう。撮る前に少し食べてしまった、、、 食べかけの写真。焼鯖そうめん定食を頂きました。昔懐かしい味で美味しかった。付け添えの総菜もおいしかったな。同じ通りには、日本酒「七本槍」の冨田酒造や、滋賀の県民食「サラダパン」のつるやパンも軒を連ねる。どちらもお土産に購入。冨田酒造つるやパン本店で、12:30 木ノ本駅到着。電車は1時間に1本なので時間注意。今日歩いた距離17.7km。歩数20,835歩。余り琵琶湖を見ない歩きだったけど気候も良くなってきて快適なビワイチでした。おつかれちゃん。
2023/03/12
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年2月25日 高島市 晴れ時々曇り 最高気温6℃ 最低気温2℃三寒四温でゆっくりと春の気配が感じられる2月だが今日は三寒のほう。北風が強く寒いビワイチとなった。徒歩でビワイチ4日目は、近江今津駅から永原駅まで。Google Mapでの表示距離は19km。経路は、 近江今津駅ー湖西の松林 桂浜園地ーマキノサニービーチ 海津大崎ー大浦三位公園ー永原駅7時30分ごろスタートの近江今津駅に到着。ホームからの1枚。ウォーキングワークアウトセットしスタート。今日は立ち寄る史跡・旧跡もほとんどなく、歩け歩け大会。今津の案内図。九里半街道の起点とのこと。九里半街道とは今津と福井の小浜までが九里半(約38km)からそう呼ばれるようになったとのこと。室町時代の文献からすでにその名を記されていたようで随分歴史のある海道のようだ。日本海の産物をこの街道(海道?)を通じて海上輸送で京や大阪に運んだよう。説明文の後半はよくわからない。今津駅近辺は古い街並みが並び風情のある道。8:00 スタートから1.2km 第一経由地の今津周遊基地到着。湖畔の様子。逆光で湖畔が真っ黒に・・・ 実際はとてもきれいだった。8:30 スタートから約4km 湖西の松林。この先、マキノサニービーチまで松林が続く。こんな感じの松林。松1本1本の幹がとても太く直径70-80cmぐらいある立派な松林。随分樹齢の長いことがうかがえる。ひたすら湖岸を歩く歩く。途中にある休憩所で小休止。9:40 スタートから約8km地点。マキノサニービーチに到着。定番スポットの建造物。だがしかし、何の用途に使われている建物なのかは不明。湖に向かっていくつかベンチがあり小休止。回廊の先が1枚の絵画のように見えてキレイ。この先、海津の石積のある古い街並みを通り海津大崎に向かう。写真ではわかりにくいが、湖畔に沿って石積が並び古の海上交通拠点の風情がある。10:30 スタートから約10km。海津大崎の入り口に到着。大崎の入り口は公園になっている。海津大崎湖岸緑地。ここから海津大崎の湖岸全周、桜並木が続く。滋賀の桜の名所だが、昭和初期に1人のご老人が植樹を始めたのが始まりとのこと。ご老人の熱意と努力に感謝。ここからもひたすらに歩く。海津大崎の道路は歩道がないので注意。公園から約1kmほど。義経隠れ岩。源義経がお兄ちゃんに追われて東北の方に逃げるときにな、この地を通ったらしいねん。ほんでなそん時に、見つからんようにこの岩に身ぃ潜めたって伝わっとんのや。ちゃあんと謡曲「安宅」でも謡われてんねんからほんまやで、知らんけど。というようなことが 滋賀県の観光情報Site に書かれている。大崎の突端に到着。トンネルが4本続く。ここも歩道がないので注意。ご安全に。それから、ここから先は岬の最後までトイレもないので注意。岬の後半で高島市から長浜市へ。いよいよ湖北地域に。海津大崎と葛籠尾崎の間のワンド内強風吹き荒れる中バスボート出撃を目撃。荒天下での航行に無理は禁物、気を付けてね。12:20頃 海津大崎周りの終わり、大浦地区に到着。スタートから約18km。途中湖畔の砂利道を歩いたりして、まあまあ疲れた。大浦地区内のお店、福島屋 にて昼食。日替わり定食のアジフライ。お造り付で美味しかったー。店内はちょっとした会席料理屋さんのような造り。結構混んでいて、街のお料理屋さんといった雰囲気でとてもよかった。桜の時期にまた来たいな。福島屋から約1.5km。13:10 今回の最終目的地、永原駅に到着。駅構内にレンタサイクルを併設している。ホームに上がる階段がとても長い。電車は1時間に1本。今日は北風が吹く寒い日だったが、気持ちよくウォーキングできたかな。実際の歩行距離は20.9km 歩数26,610おつかれちゃん。
2023/02/25
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年2月11日 高島市 晴れ 最高気温12℃ 最低気温7℃三寒四温でゆっくりだけど着実に春は近づいているのを感じた1日でした。徒歩でビワイチ3日目は、近江舞子から近江今津まで。Google Mapでの表示距離は28km。経路は、 近江舞子駅ー北小松浜ー白鬚神社 乙女が池ー大溝城址ー荻の浜 道の駅しんあさひ風車村ー近江今津駅史跡・旧跡めぐりのメインは白鬚神社。とにかく今日は湖岸を歩くの巻。ウォーキングしながら風景を楽しみたい と計画した時は考えていた。スタート地点の近江舞子駅には7:15ごろ着。ホームから琵琶湖と朝日。1週間ぶりの近江舞子駅では、今日もスマートウォッチでワークアウトセットしてスタート。最初の経由地 北小松浜は駅から2km程度。7:45到着。朝日に輝く北湖。浜の入り口にはトイレもあり。早々に次の目的の白鬚神社へ向かう。道のり、国道161号線、約5km。山が湖に迫る狭間にJRと国道が並行している。不思議な道路標識。なんやろね?これ。途中、岩除け地蔵と記されたお地蔵さん。この先の道を見て納得。昔は難所だったんだろう。白鬚神社の手前1.5kmぐらいの地点。道路の湖畔側に渡れる横断歩道はここしかない。また、渡っても歩道はない。白鬚神社前の道路を渡る人が絶えず交通死亡事故も起きているとのことで交通量の多い幹線道路では無理な横断は絶対禁止。ようやく神社手前のコンビニに到着。今日のビワイチで最初で最後のコンビニでもある。心して小休止する。9:00 スタートから8km。白鬚神社到着。創建は2000年以上前と伝えられ、道開きの神と言われる猿田彦をまつる神社。神社内にはこの地を旅した紫式部や与謝野鉄幹・昌子の句碑もある。9月には、其の年2歳になる子供に神前で名前を授けてその名前を3日間呼ぶと子どもの健やかな成長のご加護が授かるという「なる子まいり」というお祭りがあり毎年その時期の関西のニュースになったりもしている神社。神社境内から琵琶湖を一望。紫式部の句碑。紫式部がこの辺りを旅した時に京の都を愛おしんで詠んだ短歌。若かりし紫式部、都会から田舎に転勤になったお父ちゃんに付き従って赴任地に向かう旅の途中、この地で漁業を営む民を見て詠んだとのこと。句碑の解説によると、貴族で都会っ子の紫式部ちゃん、生涯で初めての長旅の途中庶民生活を垣間見て驚きと戸惑いの毎日、田舎に転居するも田舎暮らしが馴染めず1年ほどで京の都に帰ったとさ というようなことが書いてあります。で、ここへ来たら、例のあれ。場所や名前は知らなくてもみんな見た事あるあれの映える1枚を撮りたいと思うもの。しかし、湖畔側への道路横断は厳禁されている。。。でも大丈夫、神社の横に真新しい展望台が造られています。そこからの1枚。展望台は高島市ロータリークラブ寄贈とのこと。ありがとう高島市。境内からの1枚。白鬚神社でしばし足腰を癒し、次に向かう。この先、乙女が池・大溝城址・荻の浜と経由した。9:50 乙女が池 太鼓橋が池の中央部を連なる。10:10 大溝城址 兵どもが夢のあと的な苔むし崩れかけた石積。10:40 荻の浜 湖水めっちゃきれい。さすが関西の水瓶。この環境みんなで守っていきたいね。さて、荻の浜まで約13km歩行。疲れてきた。この先の道の駅しんあさひ風車村まで約9kmがきつかった。美しい風景と青い空のほかは何もない。休憩出来そうな店もない。駐車場を備えた休憩所はあってもトイレがない。11:45 スタートから約19km。安曇川越え。安曇川は湖に注ぐ河口が分岐していて南流と北流の2本の橋がある。で、安曇川を越えた先は神奈川になります。風車街道は続くよどこまでも。。。歩いていて気づいたこと、安曇川あたりからの風車街道、ずっと桜の木が植えられていて1本1本に番号を記した板が付けられている。これ、近江今津の市街手前まで続いていて合計654番まであった。距離で約7kmぐらい。桜の季節はドライブ・サイクリング・ウォーキングに最適だろうな。12:45 スタートから23km。ようやく 道の駅しんあさひ風車村 に到着。道の駅は駐車場とトイレのみ。風車などはない。風車(本物ではない)は近くの STAGEX高島 というグランピング施設敷地内。レストランも併設していて、ここで昼食。自家製ハンバーグのロコモコのドリンクセット。ハンバーグが肉厚ジューシー、野菜もたっぷりで美味しかった。店内もおしゃれで落ち着いた空間でしっかり疲れを癒せた。ここまで遠かったもんなぁ。さてさて、リフレッシュして歩を先に進める。風車街道。近江今津近くまでは、こんな原野を往くみたいな感じの道が続く。道の駅から近江今津までの間で見た史跡・モニュメント類。その1江戸時代、3代で瀬田川の治水に尽力した人の像。その2琵琶湖母神像、謂れはよくわからないが、琵琶湖と子供達を見守っていると思われる。その3二ツ石大明神。毎年7月28日に雨乞いの神事が行われているとのこと。15:00 最終目的地の近江今津に到着。なんとか完歩。歩いた距離30.4km、歩数37,422歩。この先の道程を考えて今日は長距離歩行を計画したけど30kmはちょっときつかったな。次は無理のない計画にしよう。おつかれちゃん。歩いた経路。数字はkm。
2023/02/12
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年2月4日 大津市 晴れ 最低-2℃ 最高10℃今日は立春。暦の上では春が始まる日らしい。だがしかし、北海道では雪まつりが開会し、大津市北部は残雪の冬でした。徒歩でビワイチ2日目は、おごと温泉駅から近江舞子駅まで。Google先生の案内では道程22km。経路は、 おごと温泉駅ー衣川緑地公園ー満月寺浮御堂 出島の灯台ー道の駅琵琶湖大橋米プラザ 和邇浜ー鳥居??ー近江舞子ー近江舞子駅スタート地点、雄琴温泉駅には7:00少し前に到着。ホームから琵琶湖を望む。夜明け前。今回から歩く道のりと距離を記録するためにスマートウォッチのウォーキングワークアウトをセットしてスタート。最初の経由地、衣川緑地公園までは約2km。20分ほどで到着。日もまだ低く寒い。公園も凍てつく大地でした。しかし朝日を浴びて心地良い。早朝ウォーキングや散歩の方もちらほら。あと、たまたまかもしれないけど猫いっぱいいた。続いて、ビワイチ定番スポットの満月寺浮御堂へ。公園からは2kmないぐらいの距離。堅田の古い街並みを通っていく。7:45着。拝観は8:00からで着いたときは閉門していて近くをうろうろ。湖畔を草津方面に向かって1枚パチリ。バスボート出撃。ほどなく開門。山門をくぐった中に拝観を受け付ける社務所あり。大人300円也。堂守のお坊さんに話しかけられ、徒歩でビワイチしていて今日は近江舞子まで行くんですって話したらえぇーっ近江舞子まで歩くの て少し引かれた。定番スポットで皆さん知っているだろうけど一応紹介。浮御堂は近江八景『堅田の落雁』の舞台。現在のお堂は昭和12年に再建されたもので、境内の観音堂に安置されている聖観音坐像は重要文化財だそうです。なお、浮御堂は土禁仕様なのでスリッパに履き替えて拝観します。定番の浮御堂と琵琶湖。雁に変わり対岸にピエリ守山。今昔物語。。でも、境内からの湖畔風景は本当に美しく近江八景に偽りなし。この満月寺、見どころは浮御堂だけかと思ってたけど、境内の松の立派なこと。きれいに手入れもされていて浮御堂と合わせてPrice Lessな価値ありと思いましたよ。あと、境内にトイレ有ることもPrice Lessな価値、オイラにはね。朝から美しい風景で癒され気持ちも晴れやかに。ではでは、次の経由地 出島の灯台へGoGGo!(by ひろみ某)浮御堂からは1.5kmぐらい。こちらはビワイチでもどうだろう、穴場的ランドマークじゃあないかな?出島の灯台解説しとく 琵琶湖の最狭部の堅田地区の岬に明治8年(1875年)に建てられた木製灯台とのこと。 昭和26年(1951年)にその役目を終えた。 昭和36年(1961年)の第二室戸台風で倒壊寸前となったものの、地域の保存運動で再建。 現在は大津市の有形民俗文化財に指定されている歴史モニュメントとのことです。役目を終えても琵琶湖を渡る漁船やバスボートの安全を見守っておくれ。さぁ次いってみよー(by 某いかりや)道の駅琵琶湖大橋 米プラザ へ。道程約1km。どうして米プラザって名称なのか?調べたところ、滋賀の米をはじめ県産農産物の啓発を目的とした施設を併設していてそれを米プラザというらしい。確かに2階に案内嬢(コンシェルと言え)が常駐していて特産品案内のパンフレットとか置いてた。巨大建造物道の駅 琵琶湖大橋 米プラザで30分ほど小休止。この先は近江舞子まで約15km、史跡旧跡なども立ち寄るあてもなくただただ湖岸沿いを歩け歩け大会となる模様。しっかり休息して頑張ろう。まずは次のマイルストンの和邇浜へ向かう。県道558に出てテクテク。。。米プラザから約4kmほど先、うどん屋のある交差点を農道に逸れて湖岸に向かう。残雪の田畑と雪を頂いた比良の山並み。日本の原風景のよう。ビワイチきてよかったと思う瞬間である。スタートから13km。和邇浜。うつくしい、、、余りにきれいな風景だったので湖岸砂浜をそのまま徒歩ビワイチする。途中、こんなベンチが。しばし休憩。ベンチからの琵琶湖 北湖。これもう海じゃね?滋賀の人は琵琶湖をときに淡海と表現するけどその理由がわかる。淡海は「たんかい」じゃあなくて「おうみ」ね。和邇浜を完歩し再び県道558へ。時は11時過ぎ。県道沿いにハンバーガー屋さん発見。やってるのかな?とそろそろ近寄ると、気のよさそうな兄ちゃんマスターがどうぞ!と一声。今回は道中お店無いかもと思って雄琴温泉駅でおにぎり買ってたんだけど店構えを見て予定変更。バーガースタンド蓬莱 というお店。右がお店で左がイートインスペース。50'sアメリカンちっくな空間。クラシックバーガーとホットコーヒーを注文。ポテトチップ付き。程なく兄ちゃんマスターがテーブルまで持ってきてくれる。小洒落た見た目。出来立てアツアツがうれしい。ガブリッといくと肉汁ジュワーで Tastes good !こりゃうめぇ、、、 サイズも大きく大満足。ポテトは普通。メニュー観たとき、あーちょっと高いなぁ と思ってしまったけど全然、その価値ありで、ごちそうさまでした。あとでNetで見たらインスタやってるみたいで、ワニ肉バーガーもあるよう。和邇なだけにか。また来よう。さてさて、満足のお昼を済ませ先に進む。この後は、ずっとこんな感じの道。道路を挟んで湖と逆側はリゾート用セカンドハウスであろう一軒家が多く見受けられた。次の経由地、鳥居。出来るだけ湖畔を歩くべく、Googleマップとにらめっこして道程計画してたところ発見した。Google先生も 鳥居 とだけ表示で解説なし。「なんか鳥居あるで、知らんけど」的な感じだったので、これは行ってこの目で確かめねばと考え経由地とした。で、到着。うん、鳥居やね。たぶん地域の皆様のランドマークとなっているであろう存在感を示している。路地を挟んで山側に天満宮旅所と示された祠があったのでそれと対なのだろう。鳥居の傍に休憩できるスペースがあり、しばし足腰の疲れを癒す。ここまでで、色々寄り道したからかスマートウォッチの記録は22kmを示す。最終ゴールの近江舞子まではもう少し。近江舞子到着。よう歩いた。最終経由地で淡海を眺めながら休憩。内湖。駐車場は冬は無料。海の店もすべて休業中でした。で、近江舞子駅到着、13:50ビワイチ2日目も計画通り完歩。総歩行距離25.5km、31,553歩。正直なところ道の駅米プラザ以降は単調な道程で退屈かなと思っていたけど、和邇浜とか比良の山並みや鳥居も含めて、とっても充実した歩き録になりました。次も頑張ろう。今回もおつかれちゃん。今回歩いた道程スマートウォッチのワークアウト記録より。数字はkm数。
2023/02/04
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徒歩でビワイチ、番外。仕事・プライベート、諸々あって中々ビワイチ出来る時間取れず。。。今日は家族の用事で外出。その帰りに琵琶湖の様子を1枚。冬の嵐が吹き荒れた1週間だったけど今日は好天で比良の山々がとてもきれいでした。来週はビワイチ出来るかな('_'?)気ままな歩き録だけど何とか時間を作ろう。
2023/01/29
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2023年1月21日土曜日大津市 曇り時々雪のち晴れ 気温 最低2℃ 最高7℃スタート地点の大津市の天気はあいにくの曇り時折雪がちらつく。本格スタート第1日目。瀬田の唐橋からおごと温泉まで約20kmを歩いてみた。順路は、瀬田の唐橋ー膳所城跡 ーなぎさ公園ー大津港 ー唐崎神社ー坂本城址ー雄琴港京阪電鉄の小さくかわいい電車で唐橋前駅着。駅もコンパクトだ。朝7時前の到着でまだ夜明け前。瀬田の唐橋は駅のすぐそば。大橋・小橋とあるが、駅側からは小橋が見える。小橋を渡り中洲側から駅方面に向かってスタートの記念写真。瀬田の唐橋は、古来から都に通じる交通の要所で古より「唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われていたそうです。今の大橋・小橋の2橋にしたのは織田信長とびわ湖大津観光協会のWebSiteに。瀬田川沿いの歩道を歩き出し。瀬田川大橋をくぐって、湖畔の遊歩道へ。ここからなぎさ公園となり大津港まで湖畔がきれいに整備されていてとても気持ちよく歩ける。早朝のランニングをする人たちも多い。先に見える橋は近江大橋。瀬田の唐橋から約3km。膳所城址に到着。はるかに近江富士(三上山)を望む。膳所城址はきれいな公園として整備されている。こんなのがあった。標高87mの三角点。6月3日は測量の日らしい。この先も湖畔遊歩道をランドマーク大津プリンスホテルの方向目指してズンズンいく。なぎさ公園市民プラザ到着。スタートから約4km。天気が良くなってきた。公園内の常夜燈。風光明媚で歩いていて気持ちいい。この先大津港まで約3km。ドンドン行こう。大津港到着。スタートから約7km。港のモニュメント。近江っ子みんな大好き うみのこ号。ここまで来て一旦小休止。というのもトイレに行きたくなったから。長距離のウォーキングで色々と準備考えていたけど最重要事項はトイレの場所チェックだな。楽しいウォーキングが突然の生理現象(便意という)で自分一人だけ地球最後の日になりかねない。。。唐橋からここまでは公園整備されていてトイレも一定距離であったので安心。ありがとう滋賀県。この先、次の目的地の唐崎神社までは湖畔を離れて県道558 高島大津線を徒歩ビワイチ。スタートから約10km中間点近くのマックで休憩。少し足が疲れた。一息入れてリフレッシュ。唐崎神社まではもう少し。唐崎神社に到着。スタート地点から約12km。唐崎の松。3代目だそうです。立派な松だけど枯れているような。世代交代も間近かか?近江八景の一つ 唐橋の夜雨 の舞台。古の景観ではないとのことだが明媚な地。今回のウォーキングで一番風景が良い地と思いました。悠に琵琶湖大橋を望む。バスボートも出撃。唐橋神社から坂本城址の道程。この間は県道沿いを徒歩ビワイチ。歩道がない箇所もあり本日のルートで最も気を付けるべき場所かな。ご安全に。坂本城址着。スタート地点から約13km。七本柳鳥居。珍しい形の鳥居。4月のお祭りの時に神輿をここから船に乗せ湖上に出るらしい。初代城主 明智光秀像。みんなご存じの有能な武将で文化人の麒麟児であり歴史を動かした謀反の人でもある。とても優秀な仕え人だったが上司のパワハラが過ぎたんだろうな。石造には功績を称える説明が書かれている。亀岡市も福知山市も光秀由来なんだって。この地もとても風景が美しい。かつブラックバス釣りの有名ポイントでもある。ここまで来てやや足が疲れてきた感あり。雄琴までもう少し。頑張ろう。雄琴に到着。おごとと言えば。。。 ジジイの発想。今日の最終目的地の雄琴港。スタート地点から約20km。はじめての長距離ウォーキング、何とか完歩できた。と共に、気ままな歩き録 は1日20kmがちょうど良いと改めて実感。お昼時。おごと温泉駅近く県道沿いのラーメン屋さん 麺屋 聖(kiyo) へ。計画ルート沿いだったので寄ったのだけど、、、いやぁ ここのラーメン屋さんビックリするほど美味しかった!!貝の出汁が絶品。チャーシューも大きくてうまい。サイドで頼んだ唐揚げも絶品でした。あとで調べると有名店だった。納得。(滋賀のラーメンYOUTUBER 麺コレ 参照)おごと温泉駅着。歩いた距離22km。駅前に足湯。駅前のモニュメント。源満仲が興したお祭りに使う仰木太鼓の像で、仰木太鼓は市の無形民俗文化財とのこと。徒歩でビワイチ、第1日目で完歩できるかな? だったがウォーキングには快適な気候で何とか完歩。無理のない歩行計画と共にトイレの場所もしっかりチェックして、次も頑張ろう。おつかれちゃん
2023/01/21
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徒歩でビワイチこの連休、色々な所用がありスタートできず・・・本格的なスタートをする前につらつらと準備について考えてみた。まず、ビワイチって琵琶湖一周することだけど、琵琶湖まわり周回ぐらいにしか考えていなかった。だがしかし、Web Siteを調べると色々とコースがあるようだ。琵琶湖全周・北湖・南湖、琵琶湖から離れた名所旧跡巡り、順路も反時計回り・時計回り等々。そもそもサイクリングでの周遊がビワイチという言葉の始まり。もともと琵琶湖を歩いて一周してみようと思い立ったわけで徒歩は変わらず。コースもやるからには全周を目指したい。ということでGoogleマップを見ながら歩くコースを考えてみた。 ①スタートは瀬田の唐橋から ②廻り方は時計廻りでやってみる ③1日の歩行計画は20Kmを目途にする ④できるだけ湖岸際の道路を歩いてみる 理由は、①はビワイチ起点で公共交通機関のアクセスも良いから。 ②は徒歩は右側通行で琵琶湖が望みやすいと思ったのと、コース途中でも湖岸からJR線が近く駅も多いから。1日に15Km以上歩くことは今まで無く、万が一、途中リタイヤせざるを得ない状況になった場合に公共交通機関に近い方が安心感がある。③は普段の週末に6~7Km程度のウォーキングはしていて自分の歩く速さ・掛かる時間は凡その把握はしているつもりだけど、楽しく最後まで廻るには万が一の場合でも無理がない程度の距離・計画がよいだろうと考えた。④は徒歩なので出来るだけびわ湖を眺めながら歩きたい。歩いてみて途中で変わるかも程度の決め事。以上でGoogleマップで概ねのコース取りを検討。考えるこの時間からビワイチ始まりって感じで結構楽しい。持ち物は、JR守山駅の総合案内所で無料で頂いたビワイチのパンフレット地図とスマホ・充電用バッテリー・イヤホン・タオル・折りたたみ傘・水筒をリュックに詰めるぐらいか。インターネット検索でも滋賀県守山市は市内に琵琶湖大橋を擁し市を挙げてビワイチを支援しているようだ。それと、ノートとペンも持参する。歩きながら思いついたことをメモするのに。若い子たちはスマホでメモるんだろうけど昭和世代の僕は紙に手書きが手っ取り早いほう。あと、道の駅 琵琶湖大橋米プラザ で買った滋賀が生んだ全国区の元祖ゆるキャラ飛び出し坊や(0系)(と僕は思っている。個人的には栗東市の馬に乗った飛び出し坊やが好きだ)のキーホルダもリュックに装着。交通安全のお守り代わり。あとは歩いてみて必要に感じたものを追加所持していこう。ぐらいで準備としてみた。まだ1歩も歩いてないけどマップをみながらもう琵琶湖一周したような気分。。。完歩できるかな。気楽に気長にやっていこう。知らんけど。飛び出し坊や(O系)JR守山駅の総合案内所頂いたサイクリングマップ(案内書の丁寧な対応に感謝!)*WebSiteからダウンロードも可総合案内書には『写真で見る守山(名刺サイズ)』 の無料配布もしていました裏面には写真の紹介WebSiteに繋がるQRコード掲載【参考にしたWebSite】びわ湖一周サイクリングビワイチ サイクリングマップReady FOR BIWAICHI ビワイチ守山守山市観光物産協会守山駅総合案内所飛び出し坊や(0系)UMAのまち栗東滋賀県守山市道の駅 琵琶湖大橋米プラザ
2023/01/09
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徒歩でビワイチ2023年のお正月に歩いて琵琶湖一周してみようと思い立ち、その記録をブログに綴ってみる。気ままな歩き録。2023年1月7日 晴れ 気温:最低-1℃、最高8℃普段、特に運動していないのでまずは琵琶湖大橋を往復してみた。ピエリ守山から対岸の道の駅 琵琶湖大橋米プラザまで行って戻ってくる。歩いた距離約4km。守山側からスタート 料金所 徒歩は無料です 右の建物1階にトイレあり始めの1歩はここから大きな橋 往復するランナーもちらほら展望台到着 展望台は大津方面に向かって右側にあり展望台から琵琶湖東岸(守山側)の風景 バスボート出撃道の駅 琵琶湖大橋米プラザ到着米プラザ2階展望台から 霧で霞んでます米プラザ案内図米プラザ案内図2歩いたルート
2023/01/07
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